大坂城周辺戦争遺跡探索
2003.5.3.
2003.5.16.更新


↑写真1:天満橋に一番近い「乾櫓」を正面にしたショット。
2枚の写真をつなぎ合わせたため、変な画像になりました。
これだけ接近してもこの方角からは天守閣が見えません。

大阪城周辺の地図。
因みにこの写真は、大阪城の案内板を撮影し、使わせて頂きました。
”現在地”と書かれた場所で撮影)
@〜Oまでの番号は写真を撮った位置を表しています。
観光地として有名な大阪城です。
地方や海外からの観光客だけではなく、地元の人たちの憩いの場としていつも賑わっています。
しかし、この大阪城は旧陸軍第4師団司令部があり、現在の難波宮跡には第8、37連隊がありました。そして周辺は大阪砲兵工廠があり、正に関西の軍事拠点だったのです。
今回は大阪城周辺の戦争遺跡探索です。

写真2:大阪ビジネスパークから撮影した大阪城。右に見えるのはNHK。
大阪砲兵工廠とは、太平洋戦争以前からあった重要な軍事施設(兵器工場)の事で、当時、大阪陸軍造兵廠とも言われていました。
当初、大阪砲兵工廠の本館があった(現在の)大阪城ホール近くの一部だけだった敷地は、戦争の拡大に伴い、大阪城公園、大阪ビジネスパーク、JR大阪環状線車庫、森之宮公団団地まで拡張されその敷地は約40万坪にも及びました。
写真:米軍が撮影した大阪城周辺(昭和23年頃)。
当時軍需工場のあった大阪城公園、大阪ビジネスパーク、JR大阪環状線の車庫、片町〜京橋周辺も全て空襲で焼け野原となった。
この広さは東洋一を誇り、太平洋戦争末期には約6万人もの人が働いていたと言われています。
幾度の空襲(昭和20年8月15日(終戦日)未明の空襲が最も被害が大きかった)で、その殆んどが焼け野原と化し、多くの学徒動員、女性工員が亡くなりました。
写真:3大阪城ホール裏手にある記念碑。
「砲兵工廠跡」と書かれている。
戦後、一帯は立入禁止となりますが、アパッチ族の鉄屑不法回収が原因で死亡事件が起こるなどの問題もありました。
その他空襲で骨組だけになった建物の一部は、某大手自動車メーカーの車庫として使われていたそうです。
原爆ドームのように本館を保存しようという運動もあったそうですが、1981年に跡形もなく取り壊されました。言い換えると1981年までこの付近だけ空襲の後の廃墟のまま姿を変えることなく残っていたのです。
本館のあった周辺は現在全く面影を残さず大阪城公園となり多くの人が憩う場となっています。しかし、一部の建造物は今も尚その姿を残しています。
その建造物をみて行きましょう。

写真4:砲兵工廠の入口(今の京橋口)に建立された石碑。
明治天皇と彫られているので、ここに明治天皇が来たのでしょうか?詳しい事は解りません。
写真5:
京橋口を入ったところにひっそりとある赤レンガで出来た小屋。
砲兵工廠入口の石碑のすぐ横から撮影。
守衛詰め所やトイレだったと言われていますが、本当のところ何に使われていたのかは謎。現在は大阪城公園事務所の倉庫として使われているらしいが・・・
当時、どれだけの人が日本の勝利を信じてこの前を通って砲兵工廠へ通ったのだろうか?
そして現在、この前を通る人の中にこの小屋の歴史を知る人がどれくらいいるのでしょうか?
近くによってみましょう。
倉庫はプレハブ小屋くらいの小さな建物で、風化が激しくボロボロ、窓にはベニヤ板が貼られているがこれもかなりボロボロ。
以前は倉庫の裏手にも廻れたのだが、工事用フェンスで周囲を囲まれていて入れません。本当に倉庫として使われているのであろうか?
フェンスが出来る前に倉庫の裏側に入った事があるのだが、大坂城の外堀と壁の隙間に幅0.5メートルほどの通路があり、突き当たりは便所となっている。扉は無くなっていて大便器は当時のがそのまま、小便器があったと思われるところは雑誌の捨て場所になっていた。外堀に柵が無いので足を踏み外すとかなりヤバい事になる。現在は立入禁止区域なので絶対に立ち入らないように!
写真6:
大正8年に建設された大阪陸軍砲兵工廠科学分析場。
倉庫から数メートルの場所にあります。
倉庫にしてもこの建物にしても、風化してかなり危ない状態ですが、空襲による被害は無かったのではないかというほどに状態が良い。
地上2階、地下1階建てで、兵器の実験・開発などが行なわれていたそうです。
最近まで自衛隊が使っていたらしいのですが、今は使われていません。敷地内にある駐車場以外は立入禁止。
写真7:
庭先にあってもおかしくない岩、金魚を泳がせるのにピッタリ。なんて思ってはいけません。
これが実際見るとかなり大きい。路肩の段を作る石がこんなに小さく見えます。この路肩の石がここだけ無い事から考えると、地面に埋もれている部分もあるようで、重さ数千トンとも言われています。鉄の比重が水の7.5倍と計算してもそれほどは重く無いように思いますが・・・。
横幅はなんと大人が二人寝転んだくらいの大きさ。実はこれも砲兵工廠の遺物なのです。
何に使われたのか?はっきりとした事は解りませんが砲兵工廠の鎔鉱炉の底に残っていたものと言われています。
同じ鉄の塊を違う角度から撮影。
より一層大きさが解らない。しかし斜め後ろを歩いている人と大きさを比べて欲しい。これがどれだけ大きいか。
何でこんな所に鉄の塊が置かれているのか不思議です。数多くの瓦礫が取り除かれたのにもかかわらず、これだけが取り残されたのには訳があるのでしょうか?
池のような形が幸いして現在も此処に残されているとか?
しかし、鎔鉱炉に落ちた人が助け出される事無く、この中に眠っているという話も・・・(怖)。
写真8:
平野川に架かる新鴫野橋と大阪城ホールの間にある砲兵工廠の水門です。
大阪ビジネスパーク側から撮影しました。水門のすぐ上に見える石垣が大阪城ホールです。
現存する建造物の中では最も古く作られたもので、明治4年に作られました。
戦時中は、この水門の奥に水路があり、水路沿いに建てられた工場へ船を使い資材が運ばれたそうです。
しかしその水路も今は埋め立てられ、跡形もありません。
対岸に渡って水門を裏から見てみましょう。
写真9:
これが裏側から見た水門です。
柵で仕切られ中には入れません。雑草が生い茂り、水面近くにはゴミが沢山。
この水門はこの先どうなるのでしょうか?
保存されるにしてはあまりにも手入れがなっていません。取り壊す理由が無いだけで、保存するつもりは無いのでしょう。
大阪城ホールの裏手にありますが、この一帯はなぜか人気が全く無く、昼間でも不気味です。
写真10:
さて、戦争遺跡探索は小休止。
本丸の正門です。ここまで来ると大阪城はすぐそこ。真正面に大阪城が見えます。
写真11:
本丸の正門を入ってすぐにある巨石。
いつも人だかりが出来ているので、すぐに解ります。
枡形の巨石は蛸石と言われる城内最大の石で、およそ36畳敷(60u)、推定重量130tあります。
備前藩(岡山県)の良質花崗岩を使っています。
写真に写っていませんが、蛸石の左にある振袖石と言われる巨石は33畳敷(54u)、推定重量120tあり、城内3位です。
写真12:
大阪城です。最近外観を修復され一層綺麗になりました。
夜のライトアップもなかなか。
天守閣の中にはエレベーターが!実は鉄筋コンクリートでバリアフリー!
写真13:
このレンガ造りの建物、天守閣のすぐ横にある巨大な建物は、つい最近まで大阪市立博物館として使用されていましたが、法円坂付近に新しく出来た「ピースおおさか」に博物館は移転。堂々とした正面入口には「大阪市立博物館」の看板が残るものの、現在は使われていません。
この建物が博物館として使われる前は、大阪府警が、その前は大阪市警が、その前はアメリカ軍が、戦時中は中部軍管区司令部が使用していました(戦前は第4師団司令部が使用)。
本土空襲が激しくなった戦争末期にはこの建物の地下に昼夜を問わずに突貫工事が行なわれ地下壕が掘られたそうですが、8月14目の大阪大空襲と翌日の終戦で作業は途中で終わっています。
終戦後、地下壕が崩れ正面玄関前の道路が陥没。道路は修復し、事故の跡は無くなっていますが、石垣の修復はお粗末なものでズレた箇所をコンクリートで埋めただけ。未だに簡単に見付ける事が出来るそうですが、写真に収めるのを忘れました。
そして、この建物の地下にある窓(周辺の地面を掘り下げた形で窓がある)のそばに、コンクリートで塗り固められた地下壕の入口があるそうですが、それは見つけられませんでした。
おまけ:
丁度、旧大阪市立博物館を撮影している時にドラマか映画の撮影が始まりました。ドラマ撮影の邪魔にならないように遠くから撮影。
女優が一人立っているところ(左の写真)へ後方から驚かす様に男優が登場、何か会話をした後にこの建物をあとにする(右の写真)・・・ってなシーンのようでした。
女優、男優ともに古っぽい服を着ていたのでストーリーは戦時中のものだと思います。
因みに女優も男優も知らない人でした。
写真14:場所を天守閣に移動、奥の石垣が天守閣への入口です。
しかし入口はどうでもいい。
見たい箇所はこれです。
1トン爆弾で被害を受けた天守閣の石垣です。
これは凄かった!1トン爆弾の火薬のせいで石垣が変色していました。
そしてその石垣には爆風で飛ばされた何か(石?)によって削られた凹みが付いています。
石垣を近付いて撮影。
凹みが解って頂けるでしょうか?
全て右下から左上へ凹んでいます。
この凹みから爆心地がどこなのか想像出来るのではないでしょうか?
写真15:
これは水道管です。
写真では大きさが解らないでしょうが、これがメチャクチャ太い。
堀に掛かる管なのでこれ以上近くに行けなかったのですが、直径3メートルはあると思います。
実はこれも砲兵工廠で作られたものだそうです。
故障無く、今も現役で頑張っています。
写真16:
大阪城の堀の上から京橋方面を撮影。左に見えるドーム型の建物が大阪城ホール。
その向こうのビル群はOBP(大阪ビジネスパーク)。
その向こうに京阪&JR環状線・学研都市線&地下鉄京橋駅があります。
右手に薄っすらと見える山の稜線は生駒山。