廣瀬洋一パーソナルインタビュー(95年)



最初は足立区でソロ・インタビューの予定だったのに、ロンドンでやることになって嬉しいね(笑)?

 「ウン、だって梅島(足立区ある東武線の駅名)でやるっていう話だったじゃん?
 それがなんとロンドンだものね(笑)。
 やっぱり、オレ基本的に外国が好きなんだ。前にもニューヨークとロスに行ったことあるけど、次に海外行く
 時には絶対に、プロになってレコーディングで行きたいって思ってた。
 それで、こうやって来れたわけでしょう。
 ミュージシャン冥利に尽きるし、なんだかんだいってイギリスのミュージシャンに影響を受けたものが大きい
 から。
 そういう大きな影響を受けたところに、観光で来るのと違って、ナマの街やナマの人間に触れられたってい
 う部分がすごく刺激になってるんだ。」

最初にロンドンを意識したのは?
 「いくつの時だろ?・・・最初は、やっぱりイギリスのバンド。たとえば、ロンドンにはハイドパークがあって、
 そこでローリング・ストーンズがコンサートやったとか。
 オレたちが子供の頃は、外タレもあまり来ないし、よくフィルム・コンサートっていうのをやっていたんだ。」

区民会館なんかを借りて、大きなスクリーンに外タレのプロモ・フィルムとかライブ・フィルムを写すんだよね。
 「そうそう。そういうフィルムコンサートで、ハイドパークのストーンズを観たんだ。そういうのをガキの頃に観
 て、“こういう緑のいっぱいあるところが、ロンドンの中にでもあるんだ”って思ったし。
 それからアルバム・ジャケット。デヴィッド・ボウイにしても、テレフォン・ボックスの中で写ってたりとか・・。
 いろんな要素があって、ロンドンっていうのはロックの聖地っていう感じがしたんだ。それに、ロックどうのこ
 うのっていう以前に、歴史を大事にする国でしょ。そのことを、すごく再認識したなぁ。
 たとえば、いいものはいいで、絶対に取っておくし。オレたちよりも若いバンドが、往年のロックに影響を受
 けて、いまだにそういうジャンルを大事にしているっていうのも多いし。そういうふうに、歴史がいいふうに転
 がっている街なんだなって」

ところで、HEESEYは中学校の頃から、ロックを聴き始めたわけだけれど、地元の公立中学じゃなくて、都
心の私立男子校に行ったんだよね?

 「ウン。そのおかげでバンドやるようになったと思うんだ。たぶん地元の学校に行ってたら、違う方向に行っ
 てたんじゃないかな?リーゼント系とか(笑)。それに、男子校って情報が早かった。ちょっと小金持ちが多
 いから、ギターを弾くにしても、ギブソンとかフェンダーの本物を買っちゃう。当時のギブソンなんて、えらく
 高いんだけれど、そういうのを平気で買えちゃうプチぼんぼんみたいなヤツがいっぱいいて(笑)。だからレ
 コードなんかも買うのが早いし。
 それに楽器をやっているヤツって、みんなうまかったからね。地元でバンドをやってるヤツもいたけど、日本
 のものをコピーしてるヤツが多くて、あまり洋楽をやるヤツっていなかった。でも、オレの場合は学校でいろ
 んなものを仕入れたから、ホワイト・ブルースとかも聴いたしね。そういうのが男子校に行ったメリットだった
 と思う。
  それまでって、ひとつのことにのめり込んだことってなかったんだけれど、高校になってから“ひとつ真剣
 にやってみようかな”って思って、バンドをやろうと思ったんだ。それから、ずっとこう(笑)。
  ただ、洋楽だけってわけじゃなくて、日本のベスト・テンものも好きでっていう感じだったから、いい具合に
 そういうのがミックスされたかなって。イエローモンキーって、歌謡的な要素もあるけど、その頃の影響が大
 きいと思うからね。」

高校2年生くらいの時にOMMYと知り合って、一気にプロ指向になったんだっけ?
 「そうそう。プロ指向っていっても、コピーが中心で“がんばってね、ボクちゃんたち”っていう感じだったけど
 ね。でも、それがムルバス(80年代の中期から後期にかけて関東のライブシーンで活躍していたバンド。
 HEESEYはこのバンドで知られるようになった)の前身になったわけだけど。そうこうしているうちに、大学
 進学っていう問題が出てくるでしょう。で、オレは一回停学になったことがあって、その時にすごく考えたん
 だ。それまでは、高校を出たらがんばってプロになろうと思っていたけれどそんなアマイものじゃないしね。
 だから“大学行って、名目だけつかんで バンドをやったほうがいいな”って。それでバンドをやりつつも、チ
 ョコッと勉強をして、クラスでも2番とか3番だった から、めでたく大学に入ってね。」

それからバンドやり放題?
 「そうそう。大学行ってからOMMYとふたりでメンバーを捜して始めたのが、ムルバスだったんだ。
 それからライブ・ハウスに出るようになって、だんだん大学にも行かなくなっちゃって、そのなかからもふた
 つだけ選ばないといけないなって。バンドを選んだら、必然的にバイトが付いてくるわけ(笑)。それで、アメ
 横でバイトするようになってから、大学やめちゃったんだ。当然、すごく悩んだし、親ともいろいろ話し合った
 し。だから、絶対にがんばらなきゃいけないと思ったんだ。」

でも、アメ横のロック・ファッションの店だったから、肉体労働をしてるバンドマンに較べたら、けっこうロック的
な環境だったんじゃない?

 「それに、オレって商人りせがれだし、アメ横ってああいう商売をするところだから、バイトもぜんぜん苦にな
 らなかった。まあ、良くいえば夢を売るようなところもあるし。そういうところで、すごく勉強になったと思う。
 服やクツっていうのはなきゃ困るけれど、アクセサリーなんて、なくても困らないでしょ。そういう商品を売り
 込むっていうのは、他の商売と違って、ちょっとロックに近いものがあったから。
  それから、シックスティーン・レッグスを結成して“好きだからやってる”っていうだけじゃすまなくなってい
 くし、壁にぶつかる時があるし、“いつまで、この状態が続くんだろう?”思うようになって・・・・」

そうやってシックスティーン・レッグスをやって、それからイエローモンキーになったんだよね?
 「ウン。EMMAが入って1年くらいした時に、ようやくみんながはじけてきてね。“ただ知られてないだけじ
 ゃん。だったら知られるようにすればいいんだ”って思って、まわりの人たちに認めさせるっていうことをやろ
 うと思ったんだ」

今、こうやってロンドンに来てレコーディングするまでになって、子供の頃からの夢が叶った?
 「かなり、ね。“こういうふうになって、ロック・シーンのなかで、こう位置づけされたらカッコイイだろうな”って思って
 いたことが、全部実現できているから。こういうスタイルでやりながら、武道館をやったバンドっていないで
 しょう。
 多分、若い頃にデビューしていたら、きっとできなかっただろうと思う。いろいろと学習してやってきたから、
 こうやってここにいるんじゃないかな。だから、これからもそういう夢を、実現させていきたいよね。」