吉井和哉・「涙の履歴書」 (93年)

著=吉井和哉


1964年 吉井昇、旅芸人の一家に生まれ育ち、巡業中静岡にてある女性と出会い恋に落ちる。
当時2人は18才
     
1966年
0才
2人で東京で暮らし始める。10月8日 和哉誕生。昇、妻子を養うため芸の道を断念し近所の鉄工場
で働く

1968年
2才
昇、当時放送中の「巨人の星」に影響されスパルタ的教育を試みるが、母の溺愛により阻止

1970年
4才
和哉、夫婦の愛の営みを目撃!
そしてその日食事時にテレビで見た由紀さおりの“夜明けのスキャット”とオーバーラップし彼の中に
何かが宿る
8月 和哉、右腕骨折

1971年
5才
7月 昇が仕事中転落事故に遭い病院に運ばれる。妻、和哉を連れて病院に急ぐ
和哉はその時の鬼のような母の顔をはっきりと覚えている
8月19日 昇、26才で死亡

1972年
6才
8月23日 和哉、母親と買い物中デパートのエスカレーターのベルト吸い込み口に手を入れて右手の
平を手術

1973年
7才
小学校入学 勉強、スポーツに積極的。学校が大好きだった

1975年
9才
母親姉妹が住む静岡へ移る 
東京が大好きだった和哉はテレビチャンネルが少ない静岡を嫌い、サイクルがまるで違う学校に嫌気
がさし登校拒否になる。垢ぬけてルックスのよかった彼は田舎の憑れた娘たちに集団でセクハラされ
た事もあった
当時唯一の楽しみは日曜日に家に山ほどあった歌謡曲のレコードをヘッドホンで聞きながらジャムトー
ストを食べる事

1976年
10才
和哉はMという少年と仲よくなる
母親が生活のため和哉に内緒で水商売を始める

1977年
11才
初めて化粧(女装)をさせられる
Mの父親が長距離トラックの運転手だったので和哉とMは色々な土地へ連れて行ってもらう
その頃田舎の国道の空気の冷たさと深夜放送から流れる流行歌のマッチングに目覚める
ちなみに2人は一切勉強しなかった

1979年
13才
中学校入学 3度目の恋をするが、当時は太りすぎでスポーツ、勉強どれもダメ。あっさりふられる。
ビートルズの“ヘルプ”をBGMに泣く

1981年
15才
中学3年の時、母親の財布から金を抜き、ぶっ飛ばされる。万引きドラッグに悩まされていた
8月 エレキギター欲しさにバイトするが、作業中3階の高さから落ちて負傷。母親に「26才の8月は
気をつけな」と言われ8月恐怖症になる

1982年
16才
中学を出て喫茶店で働く。朝10時から夜9時迄休みなし。
社会とはこういうものだと思い込み約1年勤務
店に出た大蜘蛛を殺したため、その店は火事になり和哉は店を辞めた

1983年
17才
工場で働くがまた火事になる
ライブハウスにたむろし始める

1984年
18才
あるロックバンドにベーシストとして加入
家出して東京に行く
ヒーセと出会う

1986年
20才
約2年ライブ活動を続けバンド解散
その後しばらく和哉は浮き名を流す
10月 友人Mが他界

1987年
21才
メンバーもいないのにバンド名をイエローモンキーと名づける
住む家がなくなり、水商売のバイトをしながら浮き名を流し続ける

1988年
22才
ミック・ロンソンに肩を叩かれギターに転向。ヒーセとアニーがバンドに加入しイエローモンキー始動
ラ・ママのO氏にデモテープを持参し、けなされながらもブッキング成功
10月 ヴォーカリスト脱退。とりあえず和哉が歌いながらメンバー探し
あくまでもサポートとしてエマ参加

1990年
24才
バンドは鳴かず飛ばず。私生活、乱れに乱れる。25才までに成功しなかったら音楽を辞めようと思って
いた

1991年
25才
エンジンレーベルから「Bunched Birth」発表。和哉はエゴイストな野心家に変貌していた
メジャー契約決定。事務所がなかったためラ・ママのO氏が設立。
デヴィッド・ボウイの事務所「メインマン」とボイン男(両性具有)という意を込めて「ボウィンマン」と命名

1992年
26才
6月21日 1st「夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー」リリース

1993年
3月1日 2nd「未公開のエクスペリエンス・ムービー」をリリース
6月19日 初のホールライブを決行
この日のライブを和哉は両親と友人Mとミック・ロンソンに捧げ、タイトルを
「Life Time・SCREEN〜追憶の銀幕」と名づける

7月 「26才の8月」を目前にして和哉やることなすこと悪い方に考える。
こうして過去を振り返る文章を書いていることすらも・・・・

1994年 3rdアルバムで父、昇がこの世に生き返る