地元で評判のレストラン

「ああ、あの廃業したレストランのことですね。山の方に上がっていく道の川沿いの」とその男は言った。「あそこはねえ、地元でも有名なんですよ」。

私がこの地方都市に出張してきて、もう1週間になる。市街地から車でちょっとばかり走った山の中で、私の設計に基づく工事が行われている。その工事が重要な工程に差しかかったので、監査や監督をするためにやってきたのだ。しかし、この街に来てから連日のように、工事を請け負っている地元企業の接待やら何やらが続き、私はいささかうんざりしていた。そんな接待漬けからもようやく開放され、今日は久しぶりに自由な夜になったので、一人でゆっくりすごそうと夜の街へ出かけ、たまたま目に付いたスナックのカウンターに腰を下ろしたのだった。

どういうきっかけがあって、カウンターで隣り合った男と話し始めたのかは覚えていない。いつの間にか私は、山中の現場に通ううちに気になり始めていたことについて話していた。「毎日通っている道の側に、廃墟になったレストランがあるんですが、それがなんとなく妙でしてね」。そう、その店は、つぶれてしまってからかなり経っているようなのだ。ところが、車で前を通り過ぎようとすると、一瞬、店内の明かりと人の動きがちらっと目に入る。驚いてバックミラーで見直すと、間違いなく廃墟なのに。

そういえば、こんなこともあった。帰りの夜の山道を下りてくる途中、煌々とした明かりが、下の方に遠くポツリと見える。あんなところに何かあっただろうか、といぶかりながら下りてくると、その明かりがあったとおぼしき場所は、真っ暗なこの廃墟なのだ。一度、気になって、わざわざ店の前に車を停め、しげしげと見たことさえある。天窓のガラスが全て割られているし、駐車場にある車も廃車ばかりで、どうみても営業しているようには見えない。

地方紙の記者をしているというその男は、さすがに新聞記者らしく、地元の事情にはめっぽう詳しかった。「あそこではねえ、たびたび神隠しが起こるんですよ」と声をひそめるように言う。なんでも、あの店の駐車場に車だけを残して、そのまま消息が分からなくなるという事件がたびたび起こっているらしい。「お気づきかどうか分かりませんがね、ほら、あそこにある廃車って、みんなきちんと駐車場の区画に合わせて停っているんですよ。みんな、あの駐車場に車を入れ、そのままレストランに入ろうとして消えてしまったみたいに見えるんですよね」。車の所有者に連絡がつかないと、私有地にある私有財産だけに警察でも勝手に処分したりできないものらしい。また、土地や建物の所有者も行方不明なのだという。「だから、こっそりと車の部品を盗みに行く連中も多くてねえ」とその男はため息をついた。

世の中には不思議なこともあるものだ。人が消えるレストランか。何か昔読んだ話にそんなのがあったな。なんだっけ、ああ、宮澤賢治の「注文の多い料理店」か。いや、あれはずいぶん違うぞ。そんな、とりとめのないことを思っているうちに、ふと気づくと、さっきまで隣にいた新聞記者がいない。トイレにでも行ったのかと思い、カウンターの上を見ると、飲み物を置いた形跡さえなくなっている。いつの間にか帰ってしまったのだろうか。席を立つ前に、一言ぐらい挨拶があってもよさそうなものだが、意外と失礼なやつだったのかも知れない。

「私の隣にいたお客さんは、いつの間に帰られたのかね」とカウンターの中にいたマスターに聞いてみると、けげんそうな顔で「お隣には、ずっとどなたもいらっしゃいませんでしたが」と言う。そんなはずはない。けっこう長い時間、話をしていたんだ。そう思って、先程の記者の顔を思い出そうとしたが、全く浮かんでこない。よく考えると、いくら物思いにふけっていたとはいえ、それはほんのわずかな間でしかないし、そもそも、すぐ隣の人が立ち上がったことぐらい、気づかないわけはない。私の頭は混乱し始めた。「ああ、私の勘違いだったようだ、私はかなりぼんやりしていたようだね?」と言うと「私が話かけましても、なにもご返事されないので、何かお気に障ったのか、具合でもお悪いのではないかと心配しておりました」とマスターは、ようやく普通の表情に戻った。

どうやら、マスターには不気味な客だと思われていたらしい。「少し疲れていたようで、心配をかけたね。実は東京から出張で来ているんだが、もう一週間もホテル暮らしでね。工事の監督に来ているんだが」。とりあえずさっきの男のことを無理やり頭から払いのけ、場を取りつくろうために、あわてて話題を探した。「実は、現場に行く途中に、廃業した妙なレストランがあってね」と、私は、先程の話題を引きずるように話し始めていた。

「ああ、あの廃業したレストランのことですね。山の方に上がっていく道の川沿いの」とマスターは言った。「あそこはねえ、地元でも有名なんですよ」。

さっきの男と全く同じ口調だった。「あそこではねえ、たびたび神隠しが起こるんですよ」と声をひそめるように言う。どうやら、私はこの話をするべきではなかったようだ。頭の中のどこかにある導火線が、チリチリと焦げていく。私の中の何かの感覚が、ガンガンと響き渡るような警告を発している。そんな私をよそに、マスターは追い打ちをかけるように言った。「つい最近も、地元の新聞社の記者が、あそこで行方不明になって、騒ぎになりましてねえ」。私の中のどこかから「これ以上、このマスターと話を続けてはいけない」という声が聞こえてくる。一刻も早く、この店を立ち去るべきだ、と。

そのとき、急に入り口のあたりが騒がしくなった。店の女の子たちから「あ〜ら先生、お久しぶりね」と声が上がる。見ると、かっぷくがよく、仕立ての良さそうなスーツを着た年配の男だ。どうやら他の店から連れ出してきたとおぼしい女の子を連れている。かなりでき上がっているらしいその一団は、大声でなにやらどうでもいいことをしゃべりながら入ってきて、ボックスシートの一つを占拠した。地元の有力企業の社長か、あるいは、先生と呼ばれているところをみると地方議員か、ひょっとするとその両方かも知れない。この店にとってもかなりの上客らしく、マスターや女の子たちも、代わる代わるその席に近づいては、なにやら挨拶している。

建設会社の人間としては、本来なら相手が何者かを確かめ、場合によっては名刺の一枚も交換するべき場面だろう。仕事がまわってくるチャンスは、どんな小さなものでも押さえておいたほうがいいに決まっている。もっとも、設計室にこもっている方が好きな私のような人間にとっては、そういうやりとりはうっとうしいことこの上ないのだが。もちろん、それも仕事の一部である以上、避けて通るわけにはいかないが、今回ばかりは、この店を出る絶好の潮時にしか思えなかった。「そろそろ失礼するよ」とマスターに声をかけて、出口へ向かった。レジでお釣りを受け取ると、それをそのままポケットにねじ込み、逃げるようにして店を後にした。

店を出て歩きながら、気を落ち着かせるために煙草を吸おうとして、ポケットを探った。ところが、さっき受け取ったはずのお釣りがない。ポケットに直接入れたと思っていたが、ちゃんと財布に入れたのだったろうか。財布を取りだしてみて、私は首をかしげた。さっきのスナックで支払ったにしては、中身が全く減っていないように見える。そういえば、お釣りと一緒に手渡されたはずの、店の名前や電話番号を印刷したカードも、どこを探しても見当たらない。私は思わず立ちすくんだ。

あの、チリチリとした、導火線が焼けるよう感覚がまた一段と強くなってきた。今ではもう、頭の中を満たすほどに広がっている。そして、何かが私をじっと見つめているようないやな気配を、背中いっぱいに感じている。間違いなく、私は何者かに招かれている。それが何かを確かめずはいられない。「駄目だ、駄目だ、振り返ってはいけない、振り返ってはいけない」。自分の中に響くそんな声を振り払うように、息を一つ大きく吸い込んでから、私は、ゆっくりと振り返った。

(by 象の夢)



バリエーション
「夏の廃車」



このストーリーが生まれたいきさつについて


トップページへ

雑文の目次へ