じょん吉のビートルズ日記 093 アコースティック
久しぶりにジョンのCDが発売された。9/29発売の「アコースティック」である。生前、ジョンがギター1本で作曲したり、デモテープを作ったりしていた時の雰囲気がそのまま収められているらしい。来週あたり、買ってみようかと思っている。

今回のアルバムも、ヨーコ夫人が所有する音源がいろいろと使われている。おそらく、ジョン・レノン・ミュージアム、ジョン・レノン・アンソロジー、また過去に発表された書籍等にまだ紹介されていないジョンの未発表作品が山ほどあるに違いない。こういうものは小出しではなく、どさっと全部出してしまって、博物館等に管理を任せて欲しいなどと、勝手なことを考えてしまう。
2004年10月02日 19時09分00秒

じょん吉のビートルズ日記 092 ベートーヴェン
ベートーヴェンとビートルズは関係がないようで、実はいろいろとある。初期の頃、チャック・ベリーの曲で、「ロール・オーバー・ベートーヴェン」をジョージが歌っていたし、アビーロードの中の「ビコーズ」はベートーヴェンの「月光」からヒントを受けてジョンが作った曲である。

ある日、ヨーコが弾いていた「月光」を録音して、そのテープを逆回転させたことから、メロディの基礎が生まれ、そしてジョンが「ビコーズ」を完成させたと言われている。

「ビコーズ」を聴いていたら、「月光」が聴きたくなった。「月光」を聴いていたら、ショパンやモーツアルトも聴きたくなった。こういう形でクラッシック・ピアノの楽曲に興味を持つこともビートルズ・ファンの楽しさの一つかも知れない!!
2004年09月23日 12時13分24秒

じょん吉のビートルズ日記 091 グッド・ナイト
ホワイト・アルバムのラストにグッド・ナイトという曲が入っている。ジョンがジュリアンを寝かしつける時に歌う子守唄をイメージして作ったと言われているが、最初からリンゴに歌ってもらうことを想定して、ジョンが曲を作ったとも言われている。メロディアスなバラードにリンゴの甘いやさしい声が重なる。

デビュー当時からジョンが亡くなるまで、実に多くの楽曲をジョンはリンゴに提供している。実際、ジョンが亡くなった時も、リンゴへ提供する曲を何曲か作っていたのである。

ジョンが心許していたメンバーは、リンゴだけだったのかも知れない。ジョンが凶弾に倒れた時も、海外で休暇中であったリンゴは真っ先にヨーコのもとへ飛んだ。リンゴとジョンの関係は、冷めた時がなかったような気がする。
2004年09月20日 23時21分50秒

じょん吉のビートルズ日記 090 青汁サワー
とうとう出た。いつかは出ると思ってたが、とうとう出た。いつも行く居酒屋から新製品ご案内の葉書が来た。その名も「青汁サワー」。葉書によると、まずいからぜひ飲みに来て下さいとのこと。まずい味だから飲みに来いとは、飲食店にあるまじきお誘いと思いつつも、近々飲みに行くつもり。ああ世も末か。

健康食品に凝っていたジョン・レノン夫妻は、青汁があったら、必ず飲んでいたと思う。彼らが玄米食を始めた頃は、日本で玄米食がブームになるはるか前である。今、わが国では玄米のみならず、発芽玄米がブームになっている。ジョンが青汁を飲んでいたら、きっと僕も愛飲したに違いない。
2004年09月09日 23時51分23秒

じょん吉のビートルズ日記 089 主夫宣言
本日の新聞によると、「主夫」という職業は今や一般にも広く認められ、各種申込書の職業欄に「主夫」があるらしい。確かに、何かの申込書に、「主婦」とならんで「主夫」という項目があった気がする。現にこのPCにおいても、「シュフ」と打ち込むと、とたんに「主夫」に変換された。小生の理解するところ、世間に「主夫」という言葉を最初に広めたのは、ほかならぬジョン・レノンだったと思う。

1975年10月9日、ジョンとヨーコの一人息子である、ショーン・タロウ・オノ・レノンが誕生した。ショーンをジョンと同じ誕生日にするために、二人は医師と綿密な計画を立てたらしい。ショーンが生まれてまもなく、ジョンは5年間は音楽活動を一切せず、「主夫」業に専念すると世界に対して宣言をした。これが有名な「ジョンの主夫宣言」である。

あれから約30年がたち、「主夫」は一般化したようだ。小生も許されれば「主夫」をやってみたい。良い「主夫」になれる自身はある。
2004年07月22日 21時11分14秒

じょん吉のビートルズ日記 088 お宝発見
オーストラリアのメルボルンの骨董市で、ビートルズのロードマネージャーだったマル・エヴァンズ氏のものとみられる秘蔵品が400点もでてきたらしい。その中には未公開テープも含まれており、今後のCD化が期待される。落札価格は日本円にして4000円程度だったというから、驚きである。

マルはビートルズのメンバーからは頼りにされていたし、中でもジョンの信任が厚かったらしい。郵便局員をやりながら、リバプールのキャヴァーン・クラブの用心棒をしていた。身長は2メートルだったので、用心棒にはぴったりだったのだろう。その頃にビートルズと知り合い、ロードマネージャーになったのだ。

ビジネスのことはブライアン・エプスタインが面倒を見、音楽のことはジョージ・マーティンが面倒を見た。それ以外のことはマルが世話をしたのである。そのマルの所持品ならば、きっと面白いお宝があるに違いない。期待値は大!!
2004年07月18日 11時46分45秒

じょん吉のビートルズ日記 087 裏旋律
ビートルズの楽曲のメロディーやコーラスの美しさは、聴く人の心までひきつけてしまう不思議な力があると思う。これがビートルズの魅力なのだろう。しかし、よく曲を聴きこむと、メロディーの裏に流れるいわゆる「裏旋律」自体が「主旋律」に匹敵するほどの美しいものであることに気づく時がある。

美しい「裏旋律」に関しては、多くのクラッシックの作曲家達も名作を残している。これを初期のロックに取り入れたビートルズはさすがであると思う。たった4人で演奏して、音に厚みを出すためには、各楽器の音がかぶらない演奏が必要であるし、コーラスや掛け合いによって歌の厚みを出すことも重要であった。

ポールのベースは、まるでもう一つのメロディのように、美しく「跳ね」ながら演奏されているし、ジョンとジョージのギターもうまくからみながら別々のパートを演奏している。「Don't Let Me Down」などは、裏旋律の方が美しい気がする。とにかくそういう曲が多い。
2004年05月31日 22時19分24秒

じょん吉のビートルズ日記 086 めまぐるしい時代
あるインタビューからの話。ヨーコに対してインタビュアーが質問した。ジョンが今の時代に生きていたら何に夢中になっていたかとの問いに対して、ヨーコは言った。「インターネットでしょうね」と。ジョンならば、このインターネットの世界をどのように彼流に活用していたのか興味が湧く。

最近痛切に思うことがある。僕自身の生活パターンはそれほど変化していないにもかかわらず、回りの環境がものすごいスピードで変化している気がする。政府の規制緩和、企業のリストラ、企業の吸収合併等々、外的要因によって日々の生活に変化を強いられている。

例えば銀行や証券会社。自分の契約は変わっていないのに、吸収合併や支店の併合等によって、新たなカードが必要になったりする。また、僕の契約しているインターネット・プロバイダーも企業買収により契約先が変わってしまい、それにともない契約のし直しをした。ひいきにしていた牛丼屋も支店縮小のために閉店になったりもした。近所のスーパーマーケットも身売りされ、店の名称も変わってしまった。郵政省でさえも、名称が変わってしまった。

たぶんこのようなことは数十年単位で繰り返しあったことなのだと思う。しかしそれにしてもそのテンポが速いような気がする。このようなめまぐるしい時代は、精神を落ち着かせるような音楽が必要なのかもしれない。ビートルズやビートルズのソロのバラード系の曲は、なかなか癒しに効くと思う。今、フール・オン・ザ・ヒルを聴きながらこれを書いている。
2004年05月20日 21時59分40秒

じょん吉のビートルズ日記 085 「YES オノ・ヨーコ」展
5/17から6/27まで、東京都現代美術館にて「YES オノ・ヨーコ」展が開催されている。アバンギャルド、または超前衛アーティストといわれているオノ・ヨーコ氏の作品は、奇抜で目を引くものばかりだ。作品一つ一つは、見る人に考えさせる何かがあり、作者との対話が感じられる。今回の展示は1960年代から現在までの作品が並ぶ。

オノ・ヨーコ氏の作品は時代をかなり先に行ってしまっているものが多いと思う。例えば、1960年代には前衛的過ぎて世間にビックリされたようなものが、今の時代ではあたりまえな表現になっているものがたくさんある。正直、自分が大人になってから理解できたものもいくつかある。ジョンはオノ・ヨーコ氏のアーティストとしての才覚を全て評価して受け入れ、そして自分自身の作品にも影響を与えるまでに消化している。オノ・ヨーコ氏の作品のをとおして、ジョンがどのような感じでインスパイアされたのかを「想像する」と面白いと思う。これは私がオノ・ヨーコ氏の作品に接する時にいつもすることである。

近日中に同展に行くのを楽しみにしている。
2004年05月02日 09時48分35秒

じょん吉のビートルズ日記 084 ジョージの魅力
最近はジョージの曲を毎日聴いている。アルバム「33 1/3」や「オール・シングズ・マスト・パス」などは、僕が中学生や高校生の頃にお年玉で買って聴いていた。あの頃の学生にとってはかなり高額な買物であった。

ふと考えてみると、僕はジョンのファンになるまえからずっとジョージのファンであったのである。ジョージの歌い方をマネして、放課後の学校で友達と騒いだりした。子供の頃はジョンの行動が全く理解できなかったし、ジョンが「変」に見えていた。いきなりヒゲもじゃの顔になったり、素っ裸になっちゃったり、主夫になると宣言したり、そりゃ子供には理解できるようなものではなかったと思う。しかし、大人になってからはジョンに傾倒していった。

ジョージの魅力はたくさんある。彼は音楽的に強く主張することはせずに、自分のやり方で名曲を作るようになっていった。ジョンやポールという稀有のコンポーザーのはざまにいながら、縮こまることなく花を開花させたことはスゴイと思う。またこれはリンゴと共通していることだが、交友関係の広さも特筆すべき点である。元ビートルズという肩書だけでは、他のプロから評価を受けつづけることは難しい。本人に魅力がなければ、世の一流のプロたちが寄っていくはずがない。(、、、続く)
2004年04月05日 22時12分23秒

じょん吉のビートルズ日記 083 ジョンのファン
ビートルズ自体が有名なバンドであるので、ジョンのファンも世界中にはたくさんいることが容易に想像がつく。しかし、毎日の生活の中で、ジョンのファンに出会うことは少ない。たとえファンであったとしても、そのような話題になることは少なく、ファン同士がばったり出会うこともあまりないと思う。

今宵は、新発見があった。何年も付き合いのある友人が、ジョンのファンであることを初めて知った。灯台下暗しである。これは本当に嬉しい発見であった。
2004年03月28日 02時38分10秒

じょん吉のビートルズ日記 082 ロバート・ジョンソン
ビートルズ関連のCDを買いに行ったのだが、その日はちょうどロバート・ジョンソンの2枚組CDの発売日だった。これはラッキーであった。何も考えず、すぐにレジへとCDを持っていった。すぐに聴きたかったが、この日はCDプレーヤーを持参していない日であった。これについては残念。。。

ロバート・ジョンソンはエリック・クラプトンやキース・リチャーズが心の師と仰ぐ伝説のブルースマンである。天才として知られていたが、その生涯は短く、若干27歳でこの世を去った。時に1938年。50s、60sの遥か前である。

このところ毎日このアルバムをかけっぱなしにしている。まったく耳障りなところがない。寝る時もこのアルバムをかけている。本当に素晴らしい。今回発売されたこのアルバムは、「ロバート・ジョンソン・コンプリート・レコーディングス」という。これは現存するジョンソンの録音曲全てを収録してある。実に素晴らしい。
2004年03月27日 15時44分50秒

じょん吉のビートルズ日記 081 ストロベリー
ジョンは「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の仕上がりが全く気に入っていなかったという話をよく耳にするが、実際のところはどうであったのだろうか。

かなりの数のテイクを録ったのだが、最後に選び出した2つのテイクの音程が微妙に違っていたらしい。音程を合わせるために、一つのテイクのテープスピードを少し速く回して、2つのテイクをつなげたのである。曲が始まってちょうど60秒目のあたりで、微妙に曲のテンポが速くなるのである。ここがつなぎ目。

上記のようなことをせずに、もう一度取り直したかったのだろうか。「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」はジョン曲の中の名曲の部類に入る作品であるだけに、本人が気に入っていなかったとうのが、よくわからない。
2004年03月21日 22時35分51秒

じょん吉のビートルズ日記 080 33 1/3
3月にはジョージのダーク・ホース・レーベル時代のアルバム5枚がデジタル・リマスターされて復活する。ボックス・セットも発売予定で、その中には上記の5アルバムのほか、1991年のライブ・イン・ジャパンのCD、それから75分のDVDも含まれる。ここ数年のビートルズ関連の発売ラッシュで、財布がもたない。。。

33 1/3は、ジョージがダーク・ホースから最初に出したアルバムだ。当時のLPの回転数の33 1/3と当時のジョージの年齢をかけて考えられたアルバム・タイトルだ。当時中学生であった私は、その月のこずかいをすべてつぎ込んで、このアルバムを買ったのである。ビートルズ時代の音楽と違い、独特なジョージ・サウンドを聞き、その音楽の中に引き込まれたことを思い出す。その後、このLPはどこかへ紛失してしまった。レコード店でもCDが売られていなかったので、来月の発売を心待ちにしている。

男なら、ボックス・セットで購入したいところだが、たぶん結構な値段になるだろう。1ヵ月位昼食代を節約すればなんとかなるか。。。中学生時代の自分は、大人になった自分がCDを買うのにこんなに苦労しているとは考えてもみなかった。
2004年02月21日 19時52分22秒

じょん吉のビートルズ日記 079 レノン・リメンバーズ
図書館で借りた「レノン・リメンバーズ」(片岡義男訳、草思社)を読んでいて、つい夢中になってしまった。これは、1971年にローリング・ストーン詩に掲載された、ジョンとヨーコのインタビュー集なのだが、今読んでいる本は、2000年に発表されたニュー・エディションである。オリジナル版は、自由奔放なジョンやヨーコの発言を、かなり手を加えた上で発表されていた。当時のジョンの発言の影響力を考えて、出版社が問題になりそうな部分をカットしたり、ニュアンスをソフトにして世に出したのであろう。ニュー・エディションは、いろいろと裏話やジョンの心の変化など、細部にわたって書かれている。かなり面白い。

ジョンに関する本を読む時にいつも感じることがある。ジョンを理解するためにはヨーコを理解する必要があり、ヨーコに関して新しい発見をすると、ジョンが少し近くに感じられる、、、ということをいつも思う。この本についても、インタビュー中のヨーコの発言が、インタビューの内容をかなり充実したものにしている点が注目される。
2004年02月21日 18時05分44秒

じょん吉のビートルズ日記 078 bayfm78
毎週日曜日の午後6時から、bayfm78で小林克也さんがパーソナリティーの「ビートルズから始まる」という番組があります。好きな番組の一つです。

先週は番組の中で、ジョージの「マイ・スイート・ロード」とシフォンズの「ヒーズ・ソー・ファイン」の聴き比べをやっていました。似ている部分もあるし、そうでない部分もあるし、非常に微妙な感じでした。この話題については、「じょん吉のビートルズ日記」の027話でもとりあげています。

また、先週は1973年8月30日に行われた、ジョンのライブ・イン・ニューヨーク・シティからも何曲か紹介されていました。

今後は自分の目標として、解散後のビートルズに少し焦点をあてて聴き込んでみようかなと思っています。結構面白い発見があるかも知れません。
2004年02月21日 12時00分02秒

じょん吉のビートルズ日記 077 テレビCM
最近、ビートルズのカバー曲がテレビコマーシャルに何曲か使われている。車会社がレボリューション、塾がハロー・グッドバイ、電話会社がアクロース・ザ・ユニバースなど。テレビを見る時間が限られているので、全てを把握しているわけではないが、たぶん他にもいろいろと使われている曲もあるはずだ。

ビートルズは、カバー曲の多さもその特長の一つである。「サムシング」は、一説によると実に400曲近いカバー曲があるそうだ。
2004年02月20日 23時19分12秒

じょん吉のビートルズ日記 076 ダイエット話
別にジョンの真似をして、ダイエットをしようと思ったわけではありません。昨年の7月、体重計に乗った瞬間に、メモリが80kgを超えていたのを見て愕然としたからなのです。自分の人生で80kgを超えたのはあの日が初めてでした。

あれから約7ヶ月。一応今の体重は72kgまで落とすことができました。まだまだ、見た感じは太目のおじさんです。しかし、一割の体重減になると、まわりの人も気づき始めました。秘密のダイエット法を実践しているわけではありませんので、ちょこっとご紹介いたします。

− 夜の9時以降にはなるべく高カロリーのものは摂らない(なるべくというレベル)
− 食べる時はよく噛んで、ゆっくり食べる(なるべくというレベル)
− 普段から脂っこいものはなるべく摂らない(なるべくというレベル)
− あまり食欲が無い時は、食事をしないか、軽めの食事をする(だいたいというレベル)

上記のようなことをこの7ヶ月間、実践してきました。特に運動をしたわけでもなく、何かを買ったわけでもありません。酒の量も全く減っていません。要するに、以前の私は毎日高カロリーを摂取していたので、80kgになってしまったのでした。その摂り過ぎていたカロリーを少し減らした結果が、72kgなのでしょう。

これから少しずつ、運動もしようかと思います。とりあえず、歩くスピードと同じくらいのジョギングを考えています。実践編として、急いで駅まで行くフリをしながら、駅まで走ることを考えています。
2004年02月15日 20時20分39秒

じょん吉のビートルズ日記 075 検索サイトでビートルズを検索してみた
日々の生活をなるべくビートルズと関連付けて生活しようとしている私は、当然のことながら、ビートルズ・ネタはいつも探しています。最近の気になる現象を一つご紹介しましょう。

私はある有名な検索エンジンをよく利用しております。私は通常、この検索サイトのトップページにある、「ニュース」というサブタイトルから、ビートルズ・ネタを探しに行くのですが、最近、ビートルズ関連の記事が非常に少ないことに困っております。本日の検索結果は23件。同様の方法で、同じ検索サイトのイギリス版を検索すると、529件、アメリカ版を検索すると、なんと2785件も検索結果が出てきました。

ジャンクなニュースも含まれてはいるももの、アメリカ版の件数には圧倒されます。ビートルズのファン層の厚さや人数、CDの売上枚数、ビートルズ関連のイベントの多さなどを考えますと、もう少しビートルズ関連のニュースがあっても良いような気がします。うーん、どう考えても、23件は少なすぎる。。。何か私の検索方法に間違いがあるのだろうか。。。
2004年02月11日 18時35分31秒

じょん吉のビートルズ日記 074 ジョンのブートレッグビデオ
先日購入したジョンのビデオは約2時間もの。一気にみる時間がなかなか無いので、寝る前に少しずつ見ようと思うのだが、毎夜すぐに寝てしまう。今夜こそはと思うのだが、昨夜もビデオを見ながらうたた寝をしてしまった。風邪をひきかけているのは、このせいかも知れない。冬のうたた寝を甘く見てはいけない。うたた寝は風邪と直結している。

まだ部分部分でしか見ていないのだが、このビデオは、1968年ころから1980年までのジョンやヨーコ、そして彼等をとりまく環境を映し出している。レコーディング風景や、テレビのインタビュー風景、くつろいでいる風景や、その他色々な場面がでてくる。中には、ジョンとヨーコが服を脱いでしまう場面もあるので、周りに人がいると、こっちが恥ずかしくなってしまう。

さーて、寝る前に少しだけみるとするか。
2004年02月09日 22時34分34秒

じょん吉のビートルズ日記 073 新宿のブートレッグ店
トムトムさん(ご近所の音楽仲間)から新宿にあるブートレッグ店を、教えてもらいました。普段はなかなか新宿まで行く機会はないのですが、その日以来、仕事で新宿へ行くチャンスが来るのをじっと待っていました。ようやくというか、わりと早くそれは実現しました。

インターネットで店を確認し、所在地も確認、営業時間も確認し、夜の宴会までの30分弱、じっくり商品を見る時間があることも確認、そして夜の新宿探検に出ました。お店は見つけやすく、入りやすく、お店の人たちも感じがよく、期待感が膨らみました。

お店は2階建てで、ブートレッグのビデオが中心でしたが、DVDもいろいろとありました。洋楽中心に、お店の1階部分は、60年代から現代までの幅広いジャンルが並べられていて、うれしくなりました。ビートルズはもとより、ピンクフロイド、クラプトン、サザンロック系、その他スゴイ量でした。2階はハードロック、ヘビメタ系でまとめてありました。キッスもずいぶんたくさんあったなあ。

ビデオやDVDは視聴できるので、いろいろと見せてもらいました。ジョージの1991年のライブインジャパン・ウィズ・エリック・クラプトンは、思わず見入ってしまいました。映像はブートレッグならではの画質ですが、それがかえってそのライブのリアルさを出していました。

ジョンのビデオを1本買って帰りました。日本のブートレッグのレベルの高さを感じました。次回訪問の際は、2階のハードロックのコーナーを中心に掘り出し物を見つけるつもりです。
2004年02月04日 22時59分43秒

じょん吉のビートルズ日記 072 ヘルター・スケルター
ビートルズとヘビメタチックな曲は、イメージ的に結びつかないのは事実だが、これが実は結構ある。一般的にビートルズと言えば、イエスタディ、ヘイ・ジュード、レット・イット・ビーなどが有名な曲の御三家と言われている。スローでメロディアスで優雅なのがビートルズの楽曲である、などと思っていたら大間違い。

たまたま最近いろいろなミュージシャンがカバーしている「ヘルター・スケルター」を聴いたばかりなので、何か書きたくなった。ホワイト・アルバムに収録されているこの曲は、まさにヘビーロック。このギンギンの曲を、パット・ベネター、モトリー・クルー、ボンジョビ、エアロスミス、U2などがカバーしている。カバーしている面々を見れば、ハードなのがよくわかる。

この「ヘルター・スケルター」はレコーディングも面白い。リードギターはジョンとポールのツインだし、ベースもジョン。驚きなのは、ジョンはテナー・サックスまで吹いている。ついでにローディーのマル・エヴァンスもトランペットを吹いている。曲のエンディングでピープー音がしているのは彼等の演奏(?)である。何回聴いても、楽しめる曲である!
2004年02月02日 23時01分30秒

じょん吉のビートルズ日記 071 ジョンの顔
ビートルズの4人の中で、デビュー時と比べて一番容姿や雰囲気が変ったのはジョンだと思う。他の3人も約8年間の現役時代の間に、長髪になったり、ヒゲを生やしたり、いろいろと変化はあった。でもジョンの場合は全くの別人になってしまったようだ。これはやはり、ヨーコの影響が大きかったのではないかと思う。

ビートルズの中期といわれる頃からジョンは長髪にヒゲ面になり、ファッションも徐々に変った。当時流行っていたロックミュージシャンの服装というよりは、前衛アーティストの雰囲気に近くなっていった。特にヨーコと出会ってからは、ミュージシャンであることよりも、アーティストであることを選んだように見えた。

1970年にビートルズが解散してからショーン君が生まれる1975年までの5年間は、毎年のように雰囲気が変っていった。痩せたり太めになったり、時には不健康そうになったり、それはそれはめまぐるしい変化の時だった。

しかし、ショーン君が生まれてから亡くなるまでの5年間は、玄米食など和食中心の生活になり、かなりスリムになった。もやは顔の輪郭からはデビュー当時の面影はなくなっていた気がする。

前置きが長くなってしまった。。。ヨーコと出会ってからのジョンは、丸めがねは常時かけているようになり、またサングラス(丸めがねにアタッチする形式のものが多かった)をかけることも多くなった。一見すると、デビュー当時とは全く違う雰囲気のジョンなのだが、よく見ると実は昔のジョン表情がよく出てくるのである。この域に達するには、ビデオ、DVD、写真に出てくるジョンをを見るときに、昔の顔を想像しながらオーバーラップさせるある種のテクニックが必要になってくる。しかし、一旦このテクニックをマスターしてしまうと、1975年頃までのジョンの顔は、昔とあまり変っていなかったことに気が付くのである。髪型、ヒゲ、ファッションに惑わされることなく、素顔を想像しながら見ると、ちゃんと昔のジョンに見えるのである。特に横顔からみるジョンは、昔のままの感じが多かった。しかし、1975年以降はかなり体重も減ってしまっていたので、なかなか昔の雰囲気をつかむのは難しいと思う。

一般的には容姿が極端に変ってしまったジョンという認識が世間にはあるのだが、実はそうでもなかったということが、ファンとしては少し嬉しいのである。そういう目で見ると、ジョンに関する記事や楽曲も少し違って感じられるのである。

一度お試しあれ。
2004年02月01日 21時55分33秒

じょん吉のビートルズ日記 070 牛肉問題
ベジタリアンのポールは、「目」のある生き物は絶対に食べないそうです。牛はもちろんのこと、魚にも「目」がありますから、刺身なども口にしないのでしょう。

今日、久しぶりに吉野家へ行ってきましたが、混雑具合はいつもと同じ。ただ、僕の周りのお客さんの何人かは、カレー丼や海鮮丼を食べていて、そう光景は吉野家ファン30年の僕が初めてみる光景でした。僕は迷わず、牛丼並と半熟卵を注文しましたが、思わず声のトーンが高くなってしまいました。

牛丼の味は平常時よりも濃い気がしました。これは何を意味しているかというと、牛丼の肉がいつもより長時間、鍋の中に滞在していたことなのです。それだけ、牛丼以外のものを注文するお客さんが増えているのでしょうか。

牛肉の輸入がストップしたままだと、あと数週間で牛丼が食べられなくなってしまうそうです。それまでは、頻繁に食べるつもりです。ああ、なんとなく、寂しい気分でした。
2004年01月26日 22時29分46秒

じょん吉のビートルズ日記 069
早いもので、明日から師走。来月中に、ビートルズ関連のDVDが2種類も発売されることになっています。一つはドキュメンタリー(音楽はナシ)で、もう一つはビートルズがエド・サリヴァン・ショーに出演した時の完全版。さらに、ビートルズのLPの復刻版も出ます。

ここ数年、ほとんど何かしら、毎月発売されている気がします。ファンとして嬉しい反面、全てを買うことも財布が許さず、じっとガマンの日々であります。
2003年11月30日 23時36分23秒

じょん吉のビートルズ日記 068
引き続き、「LET IT BE... NAKED」の話題をお送りします。本日は、じょん吉による日記ではなく、バンドの大先輩であるwatchさんのコメントを転載させていただきました(許可済)。バンドマンであり、かつ、音響やコンピュータにもお詳しいwatchさんならではのご考察をご紹介いたします。ちなみに、watchさんのホームページは下記のURLです:

http://webclub.kcom.ne.jp/mc/watch/top

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遅ればせながら「LET IT BE... NAKED」を聞いての考察をしたいと思います。何と言っても、最近話題のデジタルリマスタリングによってミックスダウンされた事でしょう!
この、デジタルリマスタリングを簡単に説明しますと・・・

アナログレコードの頃には周波数特性から、実際の演奏での高音や低音は再現されずにトラックダウンされてしまい、またノイズも入ったミックスダウン・マスターとなってしまいました。だから、今までのCDというのはそのレコード用のミックスダウン・マスターから作られた物が多く、ノイズのないレコードの音となっていました。

デジタルリマスタリングとはオリジナルのマルチトラックテープから、サンプリングの幅を24ビットで区切ってデジタル抽出してミックスダウンする事です。ノイズもカット出来るので、今までのCDより鮮明に聞こえ、周波数特性によってカットされていた高音や低音も再現されている訳です。

良いことずくめのようですが、何か変・・・?(じょん吉さんゴメンネ!)
診療所で比較的大きな音で聞いているのですが、空間が無い・・・
ボーカル、楽器の音は鮮明に聞こえているのに臨場感が無い・・・
これは、決して良い音ではないと思います。鮮明に聞こえる音です!私の耳には不自然に聞こえて気持ち悪いのです・・・
私にとっての良い音のCDとは一体感があって、それぞれの音が聞こえるとでも言いましょうか?そこで演奏しているかのような音です!どうも、音がバラバラに独立して聞こえてしまうのです!まあ、レコードからCDになっていく時もこのような事は言われていましたね!ということは、その内慣れて来てそれが当たり前になるのでしょう。バンドマンとしての音源としては最高なんですけどね・・・
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watchさん、貴重なコメントをありがとうございました。
2003年11月29日 23時46分45秒

じょん吉のビートルズ日記 067
「レット・イット・ビー...ネイキッド」の話のつづきです。

とにかく、音がいいのには驚きました。今まで、「レット・イット・ビー」関連の音源は、色々なバージョンを聴いてきましたが、間違いなく音質が一番良いと思いました。耳が良くなった気がする感じです。今まで聞こえていなかった音がいろいろとでてきます。

今まで発表されていなかった音源を使っているのと、24ビット・デジタル・マスタリング処理をしているので、何度も聴いた曲であっても、とても新鮮な感じがするのでしょう。
2003年11月19日 23時53分12秒

じょん吉のビートルズ日記 066
レット・イット・ビー・ネイキッドを聴いてみました。これについてのコメントはいろいろとありそうなので、別途書くことにします。

久しぶりのビートルズのニュー・アルバムの発売ということで、CD以外にもファンには嬉しいことがいろいろありました。レコード店やレコード会社によるキャンペーンに始まり、各方面のメディア(新聞、雑誌)等でも、ビートルズの特集がたくさん組まれました。また、テレビでもニュースやトピックスとして紹介されました。

EMIが保管管理している音源の中には、ビートルズのメンバーとジョージ・マーティン(プロデューサー)だけが聴くことを許されているものがあるそうです。その音源の中にはきっと貴重なものが、たくさんあると思います。マーティン氏自らが選曲したものを、1つのCDにしても面白いと思います。彼の視点で選曲したものは、きっと面白いはずです。
2003年11月18日 23時57分45秒

じょん吉のビートルズ日記 065
最近興味をもっているものが料理。料理といっても、ビギナーなので、とても簡単な料理からはじめています。お手本にしているのは、清水ちなみand OL委員会著の「サルでもできる料理教室」、通称「サルりょう」。簡単にできる料理やデザートのレシピが文庫本に1028種類も入っています。この料理本は、写真が全くなく、すべて文字だけによるレシピの紹介です。いろいろなアイディア料理が詰まった本ですが、なかには学生時代に先輩のアパートで食べたような、懐かしいけど食べたくないタイプの料理も紹介されています。この本を読んでいると、通勤時間がとても短く感じます。

ビートルズの楽曲と料理との間には、あまり接点がないような気がします。食べ物の名前が曲のタイトルになっている曲もいくつかありますが、とくに食べ物について歌っているわけではありません。唯一真剣に食べ物について歌った歌は、ジョージの曲の「サボイ・トラッフル」だけだと思います。「ハニー・パイ」や「ワイルド・ハニー・パイ」という曲もありますが、これらは食べ物の歌ではなく、女性のことを歌った歌なのです。

さてさて、今夜は何を夜食に作ろうか。。。
2003年11月10日 23時01分27秒

じょん吉のビートルズ日記 064
「レット・イット・ビー・ネイキッド」の発売が近づいているので、ほんの少しこのアルバムについてふれてみたいと思います。

そもそも、もとのアルバムは「レット・イット・ビー」ではなく、「ゲット・バック」という名前になるはずでした。解散の雰囲気が色濃くなっていたビートルズを元に戻そうとして、ポールががんばっていた時期に作られたアルバムです。ビートルズがデビューした頃のように、ギター、ベース、ドラムスだけでレコーディングして、ポールがピアノを弾く時は他のメンバーがベースを弾く約束でレコーディングが始まりました。オーバーダビングを使った録音をせずに、まさに「もとの状態にに戻る」とう意味を込めた「ゲット・バック」プロジェクトだったのでした。

このアルバム、「ゲット・バック」こそが、オリジナルであり、今月発売される「レット・イット・ビー・ネイキッド」のベースになっているものなのです。

それでは、アルバム「レット・イット・ビー」とはいったいなんなのかということになります。実はこのアルバムは、プロデューサーであったフィル・スペクター氏がオーバーダビングやコーラス、ストリングスなどを入れて作り上げたものなのです。当然アルバム「ゲット・バック」とはコンセプトが全然違ったものに仕上がっています。ポールの知らないところで全く別物に仕上がったアルバムは、ポールの怒りをかい、結果としてバンドを完璧に解散へと導いてしまいました。

4人のメンバーとビリー・プレストン(キーボード)だけで演奏されたビートルズ最後のアルバムは、非常に貴重なものと言えます。なぜ今になって、「ネイキッド」が発売されることになったのかはわかりませんが、いずれにせよファンにとってはとても嬉しいことです。あと数日で発売です。

***ビートルズの最後のアルバムがなんであったのか、ということを語りだすととても長くなってしまいます。詳しくは、「じょん吉のビートルズ日記 049」をご覧ください。
2003年11月07日 23時35分50秒

じょん吉のビートルズ日記 063
予約してあったレノン・レジェンドのDVDを買い、早速鑑賞してみた。

このDVDは、1997年に発売されたジョンのソロ時代のベストアルバム「レノン・レジェンド」の音源に映像をプラスしたものである。さらに、ボーナス・トラックとして、CDには入っていなかった曲や映像も含まれている。映像は基本的にはジョンのビデオ・プロモーション・フィルムから引用されているが、未公開映像もたくさんある。映像とは不思議な魔力があり、まるでジョンがまだ生きているような錯覚も受けた。

DVDを一気に最後まで見てみたが、クォリティの高さについてはもちろん異存はない。が、しかし、ジョンならもう少し違う風に仕上げたのではないかとうことを何度も感じた。「レノン・レジェンド」のCD自体、ジョンの没後17年経って作られたベスト集であるので、曲の組み合わせ等々、ジョンの意向が入っているはずもない。今回のDVDの映像に関して言えば、ビデオクリップ用に作られていたものを引用している曲は、真のジョンの作品と言える。しかし、新たに作られたり、未公開映像をカット・アンド・ペーストして作られた映像は、100%ジョンの作品とは言えないだろう。このDVDのエグゼクティブ・プロデューサーはヨーコ夫人であるので、作品全体としてはヨーコ夫人から見たジョン・レノンの姿を映し出したものであると言える。そこには「男」レノンというよりも、「よき夫」レノンという色がより濃く表現されている気がする。

ジョンが生きていれば、当然違った形のものが出来上がっただろうし、逆に作らなかったかも知れない。自分としては、もう少し楽器を弾いていたり、歌ったりしているジョンの姿も見たかった。思うに、このDVDについては以下のように解釈して鑑賞するとスッキリするのではないだろうか。

***63歳のジョンがヨーコに全てを任せ、「レノン・レジェンド」を作らせた***
「ヨーコ、俺は何にも口出ししないから、好きに完成させてみてごらん」ってな感じだろうか。そう思うと、DVD全体から受けるイメージが違ってくる気がする。ジョンの一番のパートナーであるヨーコ夫人の監修のもとに作られた作品であるので、彼女のみが知る自然なありのままのジョンの姿も多々映し出されている。
2003年10月31日 22時43分08秒

じょん吉のビートルズ日記 062
忙しくしていると、ついついビートルズ情報からもうとくなってしまいがちであります。うっかりしていると、「えっ、じょん吉さん、知らないんですか?」と言われてしまうこともよくあります。解散後33年たった今でも、ビートルズをとりまくビジネス環境は衰えを知らないようです。

今年の12月10日に、ビートルズのオリジナル・アルバムのアナログ盤LPが限定発売されることになりました。LP13枚ということになりますので、そこそこの値段になります。欲しいけど、プレーヤーもないし、、、「限定発売」という言葉にいつも惑わされてしまいます。
2003年10月28日 23時48分06秒

じょん吉のビートルズ日記 061
忙しくて、またまた日記の間隔が空いてしまいました。普通の日記もそうだと思うのですが、途中で途切れてしまっても、時間ができたらまた書きはじめることが、大事なのだろう、、、と、いつも自分に都合のよい解釈をして納得しております。

さて、忙しい時にふと思い出すビートルズの歌詞の一節やメロディーがあります。今日はジョンの作品から。

そんなに ガンバらなくていいんだよ
たまには 息ぬきが必要さ
人生は
かけぬけるもんじゃないんだ

Don't be hard on yoursefl
Give yourself a break
Life wasn't meant to be run

この一節は「Dear John」という曲の一部です。これはおじさん世代だけじゃなく、たぶん若い人たちにもグッとくる言葉じゃないでしょうか。ジョン・レノン・ミュージアムのファイナル・ルームには、ジョンの歌詞の一節がたくさん紹介されています。そこは、詩の響きの良さにふれることができる、素晴らしい空間です。
2003年10月15日 22時30分03秒

じょん吉のビートルズ日記 060
ビートルズの5人目のメンバーと言えば、プロデューサーのジョージ・マーティン氏です。マネージャーだったブライアン・エプスタイン氏も5人目のビートルズと言われることもありましたが、音作りの重鎮はやはりマーティン氏です。

マーティン氏は名ピアニストでもあり、「イン・マイ・ライフ」や多くの曲のビアノ・ソロを弾いています。また、アルバム「イエロー・サブマリン」の中の6曲はジョージ・マーティン・オーケストラによる彼の曲です。彼がポールやジョンのアイディアをささっと楽譜にして、サポート・ミュージシャン達に渡していました。彼がいなかったら、名曲の多くは生まれていなかったかも知れません。

そんな彼が、なんと10/9(ジョンの誕生日)からスタートするフジテレビの「白い巨塔」の主題歌である「アメージング・グレイス」をプロデュースしています。歌うのはニュージーランドの新人歌手ヘイリーさん。一見、ビートルズとは何の関係もないようなところにも、ビートルズは出てくるのであります。
2003年10月05日 22時20分46秒

じょん吉のビートルズ日記 059
じょん吉のビートルズ日記もおかげ様でもうすぐ60回です。「そんなによく話のネタが続きますね?」とよく言われますが、ネタは無限に近い状態にあります。忙しくて毎日書けないだけなのです。しかし日記に書く以上は、自分の頭の中のデータが正しいかどうか検証する必要もあります。たいしたことは書いてはおりませんが、一応自分レベルで入稿チェックはしております。

僕の毎日の生活は、ビートルズと連動していることも多く、そこから話のネタが出てくることもよくあります。TVCMのBGM、駅のポスター、CDショップでの会話、メンバーの好きな食べ物を食べた時などなど。また、196?年の今日にビートルズが何をしていたかということも、日記にはよく出てきます。さらにビートルズ関連のニュースは定期的に新聞にも出ますので、本当にキリがありません。それに、楽曲の解説も大好きなので、これをやりだしたら214曲、つまり214日分、日記が必要になります。

とは言え、継続は思ったよりも大変でした。ホームページ製作の諸先輩方をお手本に、これからも精進してまいります。
2003年10月02日 22時59分16秒

じょん吉のビートルズ日記 058
今年も10月9日記念日が近づいてきました。何の記念日かといえば、もちろんジョンの誕生日であります。同時にショーン君の誕生日でもあります。

わが家には、ビートルズ記念日が多数存在いたします。メンバーの誕生日はもちろん、ルーフ・トップ・コンサートや来日記念などなど、たくさんありすぎてたまに忘れてしまうこともあります。

前にも書きましたが、ジョンにとって「9」という数字はラッキーナンバーでした。「9」を題材にした曲なども複数存在します。
2003年10月01日 23時56分22秒

じょん吉のビートルズ日記 057
わが家の緊縮財政のこの時期に、たて続けにビートルズ関連の商品がリリースされる。迷っているわけにもいかず、すぐに予約をしてしまったが、こうも連続だとちょっとつらいかな。でも、本音は嬉しくて仕方がない。

「レノン・レジェンド」の映像版DVDが10/29に発売されるのだ。ビートルズ時代の未発表映像から、解散後のソロ活動風景や、家族とのだんらん場面など、数多くの映像が収録されているそうだ。それに、最後のライブパフォーマンスとなった、1975年の「サルート・トゥ・ルー・グレイド」コンサートでの「イマジン」や、ビデオ・クリップなど合計20曲も収録されている。ああ、待ち遠しいなあ。

ヨーコ夫人を通して、今度もきっと何かジョンの映像、曲、写真など、貴重な秘蔵の情報が少しずつ出てくると思う。
2003年09月30日 23時50分51秒

じょん吉のビートルズ日記 056
昨日は新譜の話でしたが、本日はブート・レッグの話を、忘れないうちにしましょう。

ライブ版の海賊版のことをブート・レッグなどど言いますが、僕自身、ごくあたりまえのようにブート・レッグという言葉を長いこと使ってまいりました。でもなぜブートレッグというのでしょうか???先日、アメリカの音楽仲間から教えてもらいましたが、「へぇ」が90点位つきました。

時はアメリカの禁酒法時代。酒を造っても売ってもいけない時代なんですから、どうしても飲みたかった人は密造酒に頼るしかなかったのです。密造酒はフラスコ(平べったい小ビン)に入れ、ブーツのふくらはぎの部分に隠したそうです。

その後、時代は流れ、禁酒法はなくなりましたが、依然として酒を持ち込んではいけない場所はたくさんありました。そのような場所に酒を持ち込む時は、やはりフラスコに入れた酒をブーツの内側に隠す方法が一般的だったのです。

ライブ・コンサートで隠し録りをしようと思ったら、録音機材を隠して会場に持ち込まなくではならない訳で、この行為が酒をブーツに隠して持ち込んだことに例えられて、ブート・レッグ(ブーツのふくらはぎの部分)と呼ばれるようになったとさ。「へぇ」。
2003年09月29日 22時58分56秒

じょん吉のビートルズ日記 055
11月17日に、「レット・イット・ビー・・・ネイキッド」が世界同時に発売されることになりました。当然僕は予約を既に予約を済ませ、内金も入れました。まだ2カ月も先のことなのですが。

このニューアルバムは、基本的には1970年4月に発売された「レット・イット・ビー」と同じ時期のレコーディングなのですが、仕上がりが全く違います。今回のアルバムはビートルズのメンバーのみの演奏によるもので、オーケストラやコーラス隊の音は入っていません。元々のコンセプトとおりに、ライブに近い生音を中心にアルバムを仕上げています。1970年に発売されたアルバムは、この生音の上にいろいろな味付けをしており、今回はこれらを取り払い、「素」の状態にしたわけです。英語でネイキッドとは「裸」とか「素」と言う意味なので、うまくネーミングをつけたものだと思います。

「レット・イット・ビー」のアレンジに関わったプロデューサーは2人いましたが、そのうちの一人は、かのフィル・スペクター氏です。彼が1970年に、ポールの意向とは全く違う風にアルバムを仕上げた張本人と言われています。残念ながら、フィル・スペクターは今年初めに殺人容疑で逮捕され、音楽活動からは遠ざかっています。そんな状況下でのニューアルバム発表、しかもフィル・スペクターのアレンジを全て取り除くこのアルバムは、ビートルズが解散後33年たって、ようやく「ゲット・バック」したことを意味します。つまり、デビューした時と同じ、4人での演奏に戻ったわけなのです。
2003年09月28日 23時38分43秒

じょん吉のビートルズ日記 054
先日、ジョン・レノン・ミュージアムへ行ってきました。一人でのんびりと時を過ごしました。ジョンの幼少の頃からの私物の展示からはじまり、クォーリーメン時代、ハンブルグ時代、ビートルズ時代、ソロ時代とボリュームたっぷりでした。実際にジョンが使用した物を目の前でみると、やはり感慨深いものがあります。

展示品の中で、一番感動したのはジョンの手形のコーナーです。身長178cmのジョンの手の大きさは、僕の手の大きさとほとんど同じだったのです。何度も比べて測り直しましたが、やはりほとんど同じ大きさでした。このことはかなりの感動を僕に与えてくれました。

ハンブルグ時代のジョンは、リッケンバッカーのショートスケールのギターと出会い、喜び、直ぐに購入したと言われています。このギターはネックが短く、コードが押さえやすくなっているのです。なるほど、欧米人の平均よりも少し小さい手なら、リッケンバッカーが使いやすかったのもうなずけます。

ジョン・レノン・ミュージアムの方にお願いがあります。あの手形をショップで売って下さい。力士の手形のような感じで作っていただけないでしょうか。ミュージアム側は許可してくれても、はたしてヨーコ夫人がOKしてくれるかどうか。。。

http://www.taisei.co.jp/museum/
2003年09月27日 19時56分15秒

じょん吉のビートルズ日記 053
「間接キッス」という言葉はあるけれども、僕がこだわっているのは、ジョンとの「間接握手」である。すでに亡くなってしまったジョンと直接握手したり、会話を交わすことは物理的に不可能である。ならば、ジョンと握手した人と握手すれば、ジョンと握手した気になれるといつからか思い始めた。

最初に握手したのは、ジョンとクオーリー・バンク高校でクラスメートだったデイビッドさんである。デイビッドさんによると、学校を卒業してから、しばらくジョンを見かけないなと思っていたら、突如新聞や雑誌に掲載されていたジョンを見て相当ビックリしたらしい。

次に握手をしたのは、有名なベーシストであるトニー・レビンさんである。トニーは数多くのミュージシャンのレコーディングやライブを手伝ってきたが、彼が「ダブル・ファンタジー」のベースを担当したのは有名である。トニーがカリフォルニア・ギター・トリオと共に来日した時に、クラブ・クアトロの楽屋で握手をしてもらった。嬉しかったのは言うまでもない。

ついにこの夏、3人目の方と握手をした。Sさんという75歳の日本人男性。Sさんは、ジョンが亡くなる前の年の夏、軽井沢でのパーティに友人と共に招かれた。Sさんは当時51歳。パーティ会場のほとんどの日本人は、ジョンを遠くから見ているだけで精一杯だったらしい。ヨーコさんは皆を気遣い、ジョンを連れて一人一人に挨拶をして回ったとのこと。Sさんによると、ジョンはもの静かで、とても穏やかな人物というのが、第一印象だったらしい。

直接ジョンに会った人たちからジョンのことやヨーコさんのお話を聞けるのは実に楽しいし、ありがたい。これからも「間接握手」、がんばるぞ。
2003年09月26日 22時45分35秒

じょん吉のビートルズ日記 052
日米でバンドやユニットの再結成が続いている。イーグルスの再結成あたりから、どんどん広まっている気がする。日本では、ピンクレディーの期間限定再結成や、最新のニュースではキャンディーズの再結成の話もでている。

ジョンやジョージが他界してしまった現在、ビートルズに限って言えば、再結成は不可能である。もしも、4人とも健在であったならば、この再結成ブームにのり、1回だけでもセッションくらいはやったかもしれない。ひょっとしたら、昨今の再結成ブームより早く、期間限定の再結成をしていたかも知れない。

ロック界の大御所であるローリング・スト−ンズは、過去に若干のメンバー・チェンジはあったにせよ、40年も君臨していることは絶賛に値する。
2003年09月06日 08時28分29秒

じょん吉のビートルズ日記 051
先日、英語歌詞直訳シンガーの「王様」のCDを購入し、このところ毎日楽しく聴いています。何が楽しいって、歌の意味が全部わかるところが楽しいのです。それに、自分が中学や高校へ行っていた頃に聞いていた曲がほとんどなので、懐かしさもあります。

僕の場合、洋楽を聞いて感動する時は、歌詞以外でその曲をまず好きになることが多いのです。メロディー、ハーモニー、バンドの構成、歌い手のルックスなどなど。しかし、歌である以上、やっぱり意味がわかるとわからないとでは大きな違いがでてきます。

ビートルズの曲の歌の意味がわかると214曲なんてあっという間に聴けてしまいます。ビートルズは初期の頃は純なラブソングが多いのですが、中期から後期にかけては様々な状況を歌った歌がでてきます。曲の題材になっているものは、愛や恋を始め、親のこと、子どもへの歌、架空の物語、歴史、政治、架空の人の話、税金の話、タコの話、リバプールの情景、新聞記事や広告チラシにいたるまで実に多様です。タコ庭の歌を聴いてから、今夜は寝ることにします。
2003年09月05日 01時37分15秒

じょん吉のビートルズ日記 050
早起きをしたので、朝一番に映画「レット・イット・ビー」を鑑賞した。早朝にみるような映画ではないかもしれないが、昨日の日記を思い出しながら、あれこれと考えながら見入ってしまった。

この映画の後半は、アップル本社の屋上で行われたルーフ・トップコンサートが紹介されている。1969年1月30日、このビートルズとしての最後のライブ・パフォーマンス(42分間)については、数々のエピソードや裏話がある。
2003年09月01日 23時38分40秒

じょん吉のビートルズ日記 049
解散前のビートルズが出した、最後のアルバムは何かということで、2つに意見が分かれる。「アビーロード」か「レット・イット・ビー」のどちらがラストアルバムかということで、意見が分かれるのである。ビートルズファンでなければ、実にどうでも良いことなのであるが、面白い事実があるので、日記に書いておこう。

実際には、アルバム「レット・イット・ビー」は、1969年1月に映画「レット・イット・ビー」製作のためのゲット・バック・セッション中にほとんどの曲(1曲を除き)をレコーディングしているので、1969年8月末に完成したアルバム「アビー・ロード」より先に出来たアルバムとみることができる。

しかしいろいろな事情から、アルバム「レット・イット・ビー」はレコーディング終了時から放っておかれたままにの状態となり、その間に「アビー・ロード」が完成し、1969年9月にリリースされたので、「アビー・ロード」の方が先にレコーディングされた印象持ってしまう。

お蔵入りしていたはずのアルバム「レット・イット・ビー」が、1970年1月に復活することになる。そこで問題になったのが、映画「レット・イット・ビー」に登場するジョージの曲「アイ・ミー・マイン」である。映画に登場するのに、アルバムに収録されていないのは不自然であるとのことから、急きょレコーディングされることになった。この曲が1970年に唯一ビートルズとしてレコーディングされた曲となり、ビートルズとしての最後の曲となったわけである。アルバムとして最終的に仕上がり、リリースされたのは1970年5月である。

プロデューサーの手により、最終的にアルバムとして仕上がり、リリースされたのは「レット・イット・ビー」が文句無しに一番最後である。しかし、ビートルズのメンバーがスタジオでレコーディングした時期や曲の雰囲気などを考えると「アビー・ロード」の方がラスト・アルバムっぽい。

この場合、最後の2枚がラストアルバムであると考えると、何とか落ち着く。ま、どっちでもいいか!?
2003年08月30日 23時52分07秒

じょん吉のビートルズ日記 048
いつの世も、アイディア・マンはメモ好きが多いと言われている。ヒラメキや素晴らしいアイディアというものは、突然浮かびあがることが多いので、忘れないためにはメモらなくてはならない。メモることにより、そのアイディアは記録として残り、形になる。自分のような凡人は、10年に1度出てくるアイディアさえも、10分後にはきれいさっぱり忘れてしまい、後にはなーんにも残らないのである。

ジョンの場合、曲のフレーズ、メロディ、歌詞、タイトル、展開などのアイディアを思いつくと、瞬時にメモをしたそうである。それこそ目の前にある、書けるものであれば、何にでもメモをしたらしい。何かの封筒に書いたり、タバコの箱にも何か書いたのを雑誌か何かで見たことがある。

寝ている時にみる夢でさえ、起きてから10分もすれば忘れてしまう。だからこそ、メモをすると自分の何かが変るかも知れないという気持ちになる。しかし、メモをするためには、たえず筆記用具は持ち歩かなくてはならず、多少の面倒くささは覚悟をしなくてはならない。でも明日1日、何かをメモってみうようかと思う。
2003年08月26日 23時24分05秒

じょん吉のビートルズ日記 047
重量級の己の体を改善しようと、この夏はいつもと違うことをいろいろと試みました。ハードなことは何もせず、原始的なことをやってみましたが、まあ1ヵ月で3キロ減といったところでした。この数字では満足できず、まだ何かすべきことがあると考えていました。たまたま、本日そのヒントになる方にお会いしました。その方は、食べるものの質と量だけを気をつけて、かなりスリムになられたそうです。あまりに辛いもの、あまりに塩味のきついもの、あまりに油っこいもの、それに合成着色料や保存料などの添加物をあまり摂取しないように心がけることだそうです。

この日記でも何度か出てきますが、ジョンやヨーコは玄米をよく食べていたそうです。1968年頃にジョンとヨーコは玄米食中心の食餌療法を行い、その結果体はスリムになり、体の動きが機敏になったそうです。その経験から、ニューヨークに移り住んだ後も野菜などが中心の食事と玄米を食べたそうです。確かにニューヨーク時代のジョンは、やせていた時期が長い気がします。

何をどう食べるのかは、とても大事なことだとあらためて思いました。というわけで、今夜は寝るまで間食はしないことにしました。これを継続できれば。。。
2003年08月25日 01時25分54秒

じょん吉のビートルズ日記 046
高知の地酒をちびりちびりやりながら、幕末の志士、坂本龍馬のことなどを考えていた。どのような声で、どのようなイントネーションで話していたのだろうか。酔った席では、おじさん的ジョークや駄洒落もひねったのだろうか。そのようなことを勝手に想像しながら、地酒を味わっていた。そうそう、そういえば、かの高知空港は、今年の11月15日から「高知龍馬空港」という名称になるらしい。人名がつくのは日本では最初らしい。

世界には、人名を冠した空港が意外とたくさんある。ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港、パリのシャルル・ド・ゴール空港、ローマのレオナルド・ダ・ビンチ空港など。また、アジアではホーチミン・タンソンニャット空港やジャカルタのスカルノ・ハッタ空港などがある。アフリカでは、ナイロビのジョモ・ケニヤッタ空港などなど。

2002年3月15日からは、リバプール国際空港が、リバプール・ジョン・レノン空港という名前になった。ターミナルビルの2階に等身大のジョンの銅像がある。銅像一体でも、その場所を訪れる人は少なくないという。そう考えると、さいたま市にジョン・レノン・ミュージアムがあるわが国は、相当に恵まれていると言える。
2003年08月19日 22時38分39秒

じょん吉のビートルズ日記 045
ブルースに挑んだ白人ミュージシャンは数多い。エリック・クラプトンはその中でも有名な方である。国籍や人種に関係なく、心のモヤモヤをはきだすように歌うブルースは、昔から人気があった。

わが国でも、演歌系の曲に「〇〇ブルース」という名の曲が多い。曲のイメージはアメリカのブルースと全然違うが、歌詞の中味は独特の「憂い」を歌っていて、少なからず共通項があるように思える。

ホワイトアルバムに入っている「Yer Blues」という曲をご存知だろうか。ジョンがブルースにトライした代表例である。この曲は、ブルースの極意である「日々の生活の憂い」を出すために、スタジオ横の物置小屋でレコーディングされた。当然高度な音響設備もない。その物置小屋で、ギター2本、ベース1本、そしてドラムスだけのセットで一発録りだったらしい。テイクは20近くとったらしが、最終的な出来栄えの良さに、ジョンは上機嫌だったらしい。

成功したミュージシャンが、わざわざ物置小屋でレコーディングするなんて、おかしな話だなと思いつつ、「Yer Blues」を聴きながらバーボンを一杯。
2003年08月16日 22時17分28秒

じょん吉のビートルズ日記 044
ビートルズが解散してから25年後の1995年、アルバム「アンソロジー1」が発表になり、翌年の1996年には「アンソロジー2」と「アンソロジー3」が続けて発表になりました。各アルバムはCD2枚組になってますので、合計6枚のCDということになります。

「アンソロジー」は音楽的にはとても荒削りに仕上がっています。このアルバムの醍醐味は、どうやってビートルズが数々のテイクを重ねて、公式アルバムにあるような曲に仕上げていったかを楽しみながら聴くところにあります。中にはデビュー前の音源なども紹介されていたり、また、レコーディングの途中で間違えて演奏をストップする場面などいろいろあります。ビートルズでも、いろいろと間違えることを知り、妙に親近感を感じたりします。ですから、ビートルズの音作りの生々しい部分を大いに楽しんでいただきたいと思います。「アンソロジー」というアルバムは、完成途中の貴重な音源を集めた、まさに詩集(アンソロジー)であるのです。

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」は、ジョンのデモテープから始まり、数テイク分が紹介されています。
2003年08月12日 00時34分07秒

じょん吉のビートルズ日記 043
この夏の間に、さいたま市にある「ジョン・レノン・ミュージアム」へ行ってみようと思っています。前から行こう行こうと思いつつも、実現できずにいます。

同ミュージアムではホームページの他に、メールマガジンも発行しています。定期的に様々な情報が送られてきます。最新号のメルマガによりますと、9月29日(月)までに同ミュージアムを訪問された方にはもれなくミュージアム3周年記念に新しく制作したオリジナルポスターをプレゼントくれるそうです。ジョンがリッケンバッカ―を弾いているビートルズ時代のポスターで、B2サイズの大判でしかも非売品だそうです。

http://www.taisei.co.jp/museum/
2003年08月10日 00時37分11秒

じょん吉のビートルズ日記 042
ほとんどのビートルズの曲のクレジット(著作)は、「レノン−マッカートニー」になっていますが、これは作詞がジョン・レノンで作曲がポール・マッカートニーということではありません。ビートルズがデビューした頃は、共同名義で楽曲のクレジットをとることが流行っていたので、彼らも同じようにしたのです。従って、ジョンかポールのどちらかが曲を作っても、クレジットは「レノン−マッカートニー」になりました。どちらが作った曲かを見分ける方法は、とても簡単です。ほとんどの場合、リードボーカルをとっている方が、その曲を作った人です。

とはいえ、本当に共同で作った曲も数多く存在し、そのような曲は大抵ジョンとポールがダブルでリードボーカルをとっています。「シー・ラブス・ユー」や「抱きしめたい」などはその典型例です。

複雑なケースもあります。ここまで来ると一種マニアの世界なのですが、控えめにご紹介しましょう。ビートルズのデビュー・シングルは「レノン−マッカートニー」になっていました。しかし、ビートルズのデビューアルバムのクレジットは、「マッカートニー−レノン」になっていたのです。でもセカンド・アルバムから解散までは、「レノン−マッカートニー」で通しています。これにはいろいろなエピソードや憶測があるのですが、一般的にはジョンとブライアン・エプスタインの一存で「レノン−マッカートニー」に統一されたと言われています。ポールは長年、そんなことには全くこだわっていなかったように振舞ってきましたが、ソロ活動でビートルズの曲を演奏する時は「マッカートニー−レノン」にクレジットを変更しています。やはり、ジョンもポールも、どっちの名前が先に来るかを、相当にこだわっていたのでしょう。

ジョージやリンゴが作った曲は、そのまま本人の名前でクレジットがついています。また、初期の頃はいろいろなミュージシャンの曲をカバーしていましたので、それらの曲は当然オリジナル・コンポーザーのクレジットになっています。
2003年08月09日 16時57分16秒

じょん吉のビートルズ日記 041
しばらくぶりの日記です。なかなか梅雨が明けず、冷夏の感じでしたが、とうとう猛暑がやってきました。

1980年の8月4日は、ジョンがアルバム「ダブル・ファンタジー」のレコーディングを開始した日です。このアルバムは、ジョンが生存中にリリースされた最後のアルバムになってしまいました。「ウーマン」、「スターティング・オーバー」など、今も有名な曲が入っています。

このアルバムの特長の一つは、その曲の構成にあるのではないでしょうか。ジョンの楽曲とオノ・ヨーコの楽曲が交互に入っている珍しい構成です。当時ジョンは、「今後発表するアルバムハ、全てこの形式にする」というような発言をしていました。

亡くなった人は帰っては来ませんが、画家や作家、音楽家をはじめ、アーティストは作品を遺すことができるので、人々はいつでも作品に接することができます。ジョンにはもう少し長生きしてもらって、もっと多くの作品を遺してもらいたかったです。

お盆も近いこの時期、ふとこんなことを考えていました。
2003年08月06日 00時03分07秒

じょん吉のビートルズ日記 040
毎日ではありませんが、この歳になっても英語を勉強しています。今年からはいい番組ができましたので、さらに楽しくなりました。NHKテレビの「いまから出直し英語塾」という番組です。講師の大杉正明先生が、番組の中では「Pub Starting Over」という店のマスターの設定になっています。毎週テーマが変り、英語で映画、英語で料理、英語で大リーグ、英語で芝居、英語でジャズ等々、日常生活の中の英語を自然に学ぶことができます。

大杉先生はビートルズ好きでも知られています。きっと「Pub Starting Over」の名前も、ジョン・レノンの歌からきているのでしょう。

今月号のテキストには、オノ・ヨーコが昔出した「グレープフルーツ」という本のレビューが紹介されています。この本にでてくる「Imagine」からジョンの名曲の「イマジン」が生まれたと言われています。ジョンは後々、「イマジン」の曲のクレジットを自分ひとりにしてしまったことをとても後悔していたようです。
2003年07月18日 23時59分10秒

じょん吉のビートルズ日記 039
あっ、日付がかわってしまいましたが、7/7はリンゴの誕生日です。リンゴは1940年の七夕の日に生まれました。ジョンが生まれる約3ヶ月前のことです。

子どもの頃は病弱だったリンゴは、1年から2年にわたる長期の入院を2回もしています。復学してもなかなか授業はきつく、楽しいことばかりではなかったようです。

学校を卒業し、社会人になった時、職場のバンドでパーカッションをやることになたリンゴは、最初は適当なものを叩いてリズムを取っていたそうです。しかしその後安物のドラムを手に入れ、必死に練習したリンゴは腕も上がり、ついには大枚はたいて高級ドラムセットを買いました。当時は高級ドラムセットを持っている人は少なく、リンゴはあっちこっちのバンドからお呼びがかかったそうです。声をかけてきたバンドのひとつが、ビートルズだったわけなのです。

高級ドラムセット購入が、リンゴの「投資」であったならば、この「投資」は、後々数百万倍のリターンを生んだことになります。リンゴがそこまで考えてやったことなのかはわかりませんが、これは自分の好きなことに「投資」することの成功例と言えるでしょう。
2003年07月08日 00時33分14秒

じょん吉のビートルズ日記 038
1966年のお話です。

6/29、台風4号の影響で到着が11時間も遅れた。アンカレッジ経由で、早朝3時50分に羽田に着いた一行は、そのまま東京ヒルトン(現在のキャピトル東急ホテル)へ直行。

6/30、この日は午後6時30分から、1回目の公演。

7/1、ジョンとポールは朝の散歩。ポールはホテルに戻ったが、ジョンは原宿などで買い物。リンゴとジョージはホテルから一歩も出ず。この日は午後2時と6時30分と2回の公演。

7/2、この日も午後2時と6時30分と2回の公演。3日間で合計5回の公演を終了。

7/3、朝の10時43分に、フィリピンへと出発。

1966年の今夜、離日を明日に控え、公演を終えたメンバー達は今ごろ何をしていたのだろうか。
2003年07月02日 21時04分01秒

じょん吉のビートルズ日記 037
1966年6月29日の午前3時50分に、ビートルズは初来日をしました。本日はその記念日です。記念日といっても、私個人が毎年勝手にそう思いながら、この日を迎えているだけの話なのですが。。。

ビートルズは7/3まで滞在して、合計5回のステージを行いましたが、1回のステージは約30分強の短いものでした。日本のミュージシャン達がいろいろと前座をつとめましたが、あのドリフターズも前座をしていた話は有名ですね。

ビートルズの日本武道館でのコンサートに、実際に行かれた方に、たまにお会いすることがあります。本当にうらやましく思いながら、あれこれお話を聞いています。このへんの詳しいことは、また別途日記に書くつもりです。
2003年06月29日 09時58分01秒

じょん吉のビートルズ日記 036
再び、みたび、フィル・スペクターのことを考えてみた。ジョンやジョージがえらく彼のことをに気に入っていたものだから、プロデューサーとして迎え入れ、アルバム「レット・イット・ビー」の仕上げを任せたのである。ここまでは良かったのだが、あまりにもポールの意向を無視した仕上げになってしまったので、ポールを激怒させてしまった。

さて、ソロ活動中のジョンが、盗作疑惑に決着をつけるために、新しいアルバムを出すことになったのだが、訴えていた出版社の所有曲3曲をアルバムに入れることになった。これで、示談は成立。そしてジョンの意思で、このアルバムのプロデューサーに、またまたフィル・スペクターが選ばれたのである。

16曲のレコーディングが済んだ1973年12月のある日、フィル・スペクターは、このマスターテープを持って突然どこかへ消えてしまったのである!半年後にテープはジョンの手に戻ったものの、使えそうな曲は4曲くらいしかなく、結局、ジョン自らがプロデュースしてレコーディングをし直したのである。

1973年の10月からアルバムを作り始め、途中の空白時に別のアルバムを作り、最終的に元のアルバムが発売になるのは1975年の2月であった。うーん、なんとも話題にあふれているというか、苦労の多かったアルバムである。このアルバムの名前は「ロックンロール」。このアルバムの発表を機に、ジョンは主夫宣言をして、5年もの間、音楽シーンから姿を消してしまうのである。

世の中、本人に直接聞いてみないとわからないことばっかりだ。本日の日記は、ちょっとマニア向けの話だったかな。。。
2003年06月23日 20時48分08秒

じょん吉のビートルズ日記 035
仕事の関係でしばらく日記もお休みしておりましたが、復活宣言です!

昨夜は地元のビートルズバンドの演奏を聞きに行きました。貸切状態のレストランで、夕食やツマミを食べながらのたっぷり2時間のステージでした。休憩無しで2時間演奏しっぱなしでしたので、一体何曲位演奏されたのかわかりません。音楽に合わせて踊るお客さんも大勢いて、とても楽しい雰囲気でした。メンバーはお店のオーナーをはじめ、自分達からみると大先輩格のいぶし銀のカッコいいお父さんたちでした。

自分達もあのように歳をとりながら、音楽を楽しんでいきたいと思いました。何度もそう感じるほどカッコ良かったです。
2003年06月22日 16時42分29秒

じょん吉のビートルズ日記 034
鉄道会社のテレビCMで、白井貴子の「りんごの花の木の下で」がながれていました。昨年の白井貴子のライブでも聴いた、僕の好きな曲です。自分でも歌ってみたい楽曲です。

白井貴子はビートルズが好きなことでも良く知られ、昨年のライブでも日本語で「イマジン」を歌いました。この「りんごの花の木の下で」は、ジョンの遺作イラストの中の一作、「A Family Tree」のシーンを思い浮かべながら、
白井貴子が曲を作ったそうです。大きな木の下で、ジョンとヨーコがくつろいでいる姿。そんな情景からスタートした曲だそうです。

ライブの後にサインをもらい、握手をしていただきましたが、とても小さく繊細な手にびっくりしました。あのバイタリティーあふれる白井貴子は、同時に繊細なアーティストなのだと感じた瞬間でした。(敬称略)
2003年06月01日 12時36分30秒

じょん吉のビートルズ日記 033
もうすぐ61歳のポールだが、なんとヘザー婦人がオメデタ!今年の暮れにはポールの赤ちゃんが誕生する。昨年の東京ドームでのライブでは、2時間ステージに出っぱなしの歌いっぱなしポールだったが、確かにあの歳では考えられない位とても元気だった。子供をつくっても全く不思議はない。

ヘザーと一緒にいて、ものすごく楽しいから、音楽への情熱やパワーがどんどんでてくるのだろう。ウラヤマシィー。とにかく、ポール、おめでとう!
2003年05月29日 22時16分04秒

じょん吉のビートルズ日記 032
わが家に、すごーいコーヒーメーカーがやって来た!というか、引き取られてきた。本格派マシーンゆえに、操作とメンテナンスが大変複雑で、うちの実家でもてあましていた代物である。でも見た感じ、なかなかのルックス。大手家電メーカー製のミル付き、マイコン抽出・サイフォン式のものである。説明書とにらめっこしながら、やっとセットアップ。なんと、通常の操作でも、4人分のコーヒーが出来上がるまで30分近くかかる。スタートボタンを押してからでさえ、20分かかる。ボタンを押した後、思わず女房に言いました。「おーい、コーヒーが出来上がるまで、お茶にしようや」。でも苦労したぶん、コーヒーの薫りと味は、本当に最高でした。

ところで、ビートルズの歌にはコーヒーがほとんどでてこないのです。彼等は英国人だから紅茶というご意見もありますが、ちょっとくらいコーヒーがでてきても良さそうなものです。英国でも「コーヒー」は人気があるのですから。

ジョージの歌った「サボイ・トラッフル」という曲の中には「コーヒー・デザート」というくだりがありますが、これはお菓子のことで結局コーヒーのことではありません。

ポールがソロで歌った「アナザー・デイ」という曲に「コーヒーをもう一杯のんで、、、」という歌詞がでてきますが、このくらいしか思い浮かばないです。うーん、他にあったかな。なかなか思い出せません。
2003年05月26日 22時26分30秒

じょん吉のビートルズ日記 031
実は今週、人間ドックがありました。胆のうの超音波検査。胆のうはみぞおちの右側のはずですが、美人技師は僕の右のわき腹ばかりを何度も真剣に検査していました。しかも長時間。なーんかいやな予感がして、検査終了後に恐る恐る聞いてみました。すると、、、「誠に言いにくいことなのですが、、、、、おなかの脂肪が厚すぎて、、、上から検査できないんですよ、、、あーたの場合は、、、」。普通の人よりも検査が大変だったみたいです。でも、僕はものすごくホッとしたのでした。

ビートルズもツアーをしていた頃は、かなりのハードスケジュールでしたので、メンバーは健康には気を使っていたようです。でもそこは生身の人間、ツアー中にも風邪をひいたり、扁桃腺が腫れてしまうこともたまにありました。

1964年のワールドツアーの直前に、リンゴが扁桃腺を腫らしてしまい、代理のドラマーとしてジミー・ニコルがツアーの途中まで参加しました。ジミーは後述していますが、とても幸せだったそうです。そういえば去年のポールのライブの時、アンコール曲でポールが数名のファンをステージに上げましたが、ファンとしては最高の栄誉だったと思います。ステージに上げてもらうだけでも幸せなのに、一緒に演奏してツアーに同行させてもらえるなんて、ジミーは本当にラッキーな男ですね。
2003年05月22日 22時16分36秒

じょん吉のビートルズ日記 030
つい最近、友人にこんなことを言われました。「じょん吉っさん、ビートルズの曲にはイントロがない曲もあるんだよねぇ」。この知人は、目のつけどころが非常によろしく、ビートルズファンの僕としては嬉しさを隠すことができませんでした。

さてさて、数え方にもよりますが、ビートルズの楽曲の中で、イントロの無い曲は30曲以上もあります。解散してソロになってからの曲も入れたら、相当の曲数になります。ビートルズの現役時代の公式発表曲が214曲と言われていますので、ざっと考えて、7曲に1曲がイントロ無しなのです。「ヘイ・ジュード」や「ガール」、「ハロー・グッドバイ」なども有名なイントロ無し曲です。確かにいきなり歌が始まりますね。

ところでイントロ無し曲ではありませんが、微妙な曲も数多く存在します。例えば「プリーズ・ミスター・ポストマン」はイントロがあるといっても、ハイハットとバスドラが1回ずつ響くだけなので、実質イントロは1秒弱くらいです。

こういうことって、マニアしか興味もたないんだよなあ。ま、いいか。
2003年05月19日 22時54分44秒

じょん吉のビートルズ日記 029
今年度の大阪府の小学校の教員採用試験の実技テストの課題曲に、「オブラディオブラダ」が採用されたそうです。確かに近年、「オブラディオブラダ」は、子供達にウケのよいビートルズソングのトップの座にあると言ってよいでしょう。僕が小学生だったはるか昔、「オブラディオブラダ」は音楽の教科書の副読本にも掲載されていました。その頃は、これがビートルズソングとは思っていませんでした。

また、最近は公文式のテレビコマーシャルに、「ハローグッドバイ」がながれています。

ビートルズソングには、モーツアルトの音楽と同じような、脳や細胞を活性化させるような効用があるのかもしれません。子供の成長にはフィッシュ・オイルとビートルズが不可欠な時代になってまいりました。
2003年05月12日 22時29分02秒

じょん吉のビートルズ日記 028
再び東京ディズニーランドでのお話。別のアトラクションのBGMとして、「マイ・ボニー」のギターとバンジョーだけのインストゥルメンタルが流れていました。この曲はスタンダード・ナンバーとしても有名(曲名は知らなくとも、どこかで聞いたことがある曲)ですが、実はビートルズともとても縁の深い曲なのです。

デビュー前にハンブルグで公演をしていたビートルズですが、当時ドイツで人気のあったトニー・シエリダンのバックバンドとしてライブをやることもありました。そこで「マイ・ボニー」はいく度となく演奏され、ポリドールからレコードも出ました。

リバプールに帰郷したビートルズは、ホームクラブであるキャヴァーン・クラブで毎夜ライブをしておりました。地元のファン達は、ビートルズの音源を求めて、ブライアン・エプスタインが経営するレコードショップに、「マイ・ボニー」を買いに行きました。しかし何枚も何枚も「マイ・ボニー」が売れるものですから、とうとうブライアンはキャヴァーン・クラブにビートルズを見に行ってみようという気持ちになった訳なのです。そのブライアンがすっかりビートルズに惚れ込み、デビューまで彼らを導いたのは有名な話ですね。

こんなことを考えながら、ディズニーランドで遊んでいました。本日の一言、「人生、どこにいてもビートルズあり」。なんて、ちょっと大げさかも。
2003年05月05日 00時11分20秒

じょん吉のビートルズ日記 027
先日、東京ディズニーランドのあるアトラクションで、BGMとしてシフォンズの「ヒーズ・ソー・ファイン」が演奏されていました。ジョージの「マイ・スイート・ロード」が、「盗作疑惑」で訴えられ裁判にまでなった相手側の曲です。ディズニーランドへ行ってもビートルズが頭から離れない自分を再発見しました。

さて、「マイ・スイート・ロード」と確かに似ているところはありますが、やっぱり違う曲に聞こえます。特にサビの部分は全く別モノ。裁判で決着がつき、ジョージもかなりのお金を相手側に支払ったとされています。が、しかし、曲のクレジットはジョージのままだし、2001年には新バージョンを録り直しています。ジョージは亡くなるまで自分の曲であると主張していました。2001年には新バージョンも録り直しています。

「マイ・スイート・ロード」のイントロは、イントロとしては最高の部類に属するものだと思います。これから始まる曲を期待させる生ギターのストローク、それにさらに期待感をのせるスライドギター。「アビーロード」の次のアルバムがあったとしたら、絶対収録されていたはずです。
2003年05月03日 00時16分48秒

じょん吉のビートルズ日記 026
ポールのニュースでまたまたびっくり。明日の日曜日にイギリスで発行される「サンデー・タイムズ」に、2002年長者番付が発表されるのですが、ポールが7億1300万ポンド(1400億円位)で堂々の34位。ポピュラー・ミュージック部門では当然1位だそうです。ドライビングUSAの興行収入の他、所有する4つの会社からの利益、それから故リンダから受け継いだ遺産などが主な収入源だそうな。それにしてもスゴイ金額です。

僕が去年購入したCDや書籍、それにポールのライブでのチケット代(高かったなぁ〜)などが、彼の収入の一部になっていると思うと、うれしい気分になります。こういうのがファンの心理ってものなのかな。

http://www.timesonline.co.uk/
2003年04月26日 19時50分11秒

じょん吉のビートルズ日記 025
新聞を読んでビックリした。日産自動車がスゴイ。4年前にゴーンさんが社長になった時には借金が2兆1000億円もあったのに、それが完済されたそうな。おまけに今期の営業利益も過去最高の7370億円。風前のともしびだった日産がこうも元気印になるとは、4年前に何人の人が想像できたか。

話は変るが、ビートルズのデビュー当時のスタジオは今とはずいぶんと雰囲気が違っていたらしい。当時のEMIスタジオを例にとると、ミュージシャン、EMI社員ともにビジネススーツ、白いワイシャツ(ホワイト・シャツを縮めてワイシャツという)にネクタイ着用が規則で決まっていた。また音響のエンジニア達は白衣だったようだ。ずいぶんと堅苦しい雰囲気のなかで、ラブソングを演奏していたものだ。しかし最終的には、ビートルズがこの規則を廃止するきっかけをつくることになり、今日に至るわけである。

世の中はいつの時代も、過去の慣習をガラっと変えてしまうニューリーダーがいつも出現するもんだな、などど考えながら通勤電車に揺られていた。
2003年04月24日 23時10分00秒

じょん吉のビートルズ日記 024
噂のバンド、「ザ・パンクルズ」がついに日本デビュー。4/13付のスポーツ報知でも大きく紹介されておりましたが、本日彼らの「レッド・アルバム1998-2003」が発売になりました。正直、まだ1曲しか聴いたことはないのですが、とても気になっていました。というのも、アルバムのジャケットがまさに、ビートルズの「ブッチャー・カバー」と同じだし、収録曲20曲のうちのほとんどがビートルズの曲だったからです。おまけに、銀座の山野楽器では、そのジャケット写真を使ったプレビューチラシが、エスカレーターの脇においてあったので、ビートルズのファンは手にとって見た人も多いはず。

パンクでビートルズ、「All You Need Is Punk!」だそうです。ちょっと気になります。

http://www.punkles.com/index.html
2003年04月23日 23時55分59秒

じょん吉のビートルズ日記 023
森高千里がカバーしていたビートルズナンバーが2曲もありました。バンマスから教えていただいたのですが、曲を聴いてさらにびっくり。これがなかなか良いのです。1曲目は「Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monky」で、これはビートルズのホワイトアルバムに入っている曲です。
2曲めは、アビーロードに収録されている「Here Comes The Sun」です。2曲ともドラムスとヴォーカルは森高千里自身によるものです。

「Here Comes The Sun」は1オクターブ高く歌っています。演奏の方はオリジナルに忠実で、ムーグのシンセサイザーっぽい「揺れた音」まで再現してあります。

日本の音楽業界も、探せばいろいろとビートルズのカバー曲があります。そういえば、金沢明子の「イエローサブマリン音頭」もカバー曲ですね。それになんと、プロデュースしたのは、あの大御所大滝詠一であります。カバー曲の情報、お待ちしております!
2003年04月23日 00時02分20秒

じょん吉のビートルズ日記 022
ポールの曲でCムーンと言う曲がありまして、昨年来のツアーで演奏されています。ライブ版のDVDにも収録されています。Cムーンという曲名については、長いこと謎につつまれていましたが、昨年のアメリカでのコンサートで、ポール自らがステージの上で明らかにしていました。というのも、Cムーンについてはいつもお客さんの反応がイマイチだったからだそうです。

昔のロックンロール曲に、「Wooly Bully」という曲がありますが、その歌詞に「L7になるなよ」というくだりがあります。アルファベットの「L」と数字の「7」とくっつけるとスクエア、つまり正方形になるわけです。そう、「L7」とはしゃくし定規な人、頑固で石頭な人というこのなのです。ポールは「L7]と逆の意味を探し、「C Moon」に行き着いたのです。欧米で単にムーンといえば三日月のことなので、アルファベットの「C」と「三日月」を組み合わせると「〇」になったわけなのです。

楽曲のなかに謎解きめいたものを入れるのは、ビートルズ時代からの伝統のような気がします。
2003年04月21日 00時17分55秒

じょん吉のビートルズ日記 021
昨日書き忘れました。さいたま市にあるジョン・レノン・ミュージアムは、ジョンの60歳の誕生日を記念して、2000年10月9日にオープンしました。
2003年04月10日 21時19分33秒

じょん吉のビートルズ日記 020
昨日はジョンの長男、ジュリアン・レノンの誕生日でしたが、それがきっかけであることを思い出しました。オノ・ヨーコとの間に生まれた次男ショーン・レノンとジョンは、同じ誕生日なのです。これには訳がありますが。。。

ジョンは自分のラッキーナンバーは「9」であると固く信じていました。誕生日は10/9、生まれた所の番地も「9」、ヨーコとの出会いは11/9、ブライアン・エプスタインとの出会いも11/9。「9」が好きなので、レボリューション9や#9Dream(邦題は”夢の夢”)など「9」のつく曲もあります。

ショーンが生まれる時は、絶妙にタイミングを図ったそうです。後にジョンは、「ショーンと僕は親子というよりは、双子なんだ、だって同じ日に生まれているからね」とあるインタビューで発言しています。

さて、自分のラッキーナンバーはなんだろう?
2003年04月09日 21時16分22秒

じょん吉のビートルズ日記 019
花粉症予防には、肉を食べるのを少し控えると良いという話を聞き、2週間前位から意識して肉の量を減らしてみた。うーん、なんとなく体が軽くなり、いい感じだ。しかしこのままベジタリアンへまっしぐらかというと、そうではない。今週は焼肉、ハンバーガー、そしてファミレスでステーキも食べてしまったのだ。

ビートルズのメンバーではポールとジョンがベジタリアンとして有名だが、厳格なベジタリアンのポールに対して、ジョンは時に「例外」をつくるベジタリアンであったようだ。ポールの場合は、今でも野菜オンリーで、しかも動物実験をしない化粧品や製品を大いに好むそうだ。彼の影響力は絶大で、ポールにならってベジタリアンになる有名人も多いとか。チャゲアスのアスカもロンドン在住の際にポールに会い、その日のうちにベジタリアンになったそうだ。

自分は野菜は大好きだが、焼肉はどうしてもやめられない。「なるべく肉より野菜を多く食べるタイプのベジタリアン」という考え方もありかな?
2003年04月04日 20時20分48秒

じょん吉のビートルズ日記 018
僕の好きな番組の一つ、12チャンネルの「開運なんでも鑑定団」で、スチュワート・サトクリフの描いた絵がでていました。70万円の高値がついていました。ビートルズファンとしましては、ほんのもう少しステュ(サトクリフの愛称)とメンバーのことも話題にして欲しかったです。ビートルズデビュー前の時代のハンブルグでのお話です。
ジョンとステュは大の仲良しであったこと。ステュがビートルズを辞めたので、ポールがベースを弾き始めたこと。ステュの彼女(アストリッド・キルヒヘア)があのマッシュルーム・カットのヘアースタイルを考えたり、襟なしスーツを考案したこと。ステュ関連の話は多いです。その頃はリンゴはまだ加入しておらず、ドラマーはポールの高校の1年先輩のピート・ベストでした。
ステュは音楽家である前に、才能のある画家であったので、絵に専念しようとしたのもうなずけます。
2003年04月01日 23時39分27秒

じょん吉のビートルズ日記 017
ピアノをきちんと習っておけばよかったなあと、何度思ったことだろうか。小四の時に無理やりピアノ教室に入れられて、週2回のレッスンが苦痛で仕方なかった。でも、考えてみればなんと幸せな環境だったのだろうか。それなのに半年くらいで辞めてしまい、いまだに後悔している。ピアノが弾けたらどんなに楽しいだろう。

ビートルズの4人はピアノが弾ける。ポールは少年時代にピアノを習っていたので、上手い。ジョンもビートルズの初期の頃からピアノやオルガンを弾いていた。イマジンもいい感じで弾いている。ジョージやリンゴはあまり目立たないけれど、ピアノを弾いている場面もいろいろある。リンゴもピアノで作曲すると言う。

俺もいつかは、、、ちゃんと弾きたい!
2003年03月27日 23時56分47秒

じょん吉のビートルズ日記 016
あ〜久しぶりの日記です。いよいよ、あさって(正確には明日)、リンゴのニューアルバム「リンゴラマ」が発売になります。ジョージに捧げた曲を昨日FMで聴きましたが、リンゴらしく軽快で、ほのぼのしていてよかったです。早くアルバム全曲聴きたく、発売が待ち遠しいです。ところで、2週間ほど前に、リンゴのライブアルバムである、「ストーリーテラー1」を購入しました。曲と曲の間のMCがなかなか良く、30秒ごとにお客さんを笑わせている雰囲気です。やっぱりビートルズは4人揃っていた頃は、非常にバランスの取れたパーソナリティーだったんだなとつくづく思いました。ジョンが多少過激なことを発言したとしても、リンゴのほんわかさで中和されてしまうし、ジョージが会話に詰まっても、リンゴがうまく話をつなげていただろうし。リンゴはええのう〜。今年はリンゴをもっと掘り下げて聴いていこうと思います。
2003年03月25日 01時02分57秒

じょん吉のビートルズ日記 015
本日は「涙の乗車券」のお話です。これは海外のビートルズファンから以前聞いた話です。原題の「Ticket to Ride」は、実は最初は「Ticket to Rye」だったそうです。そもそも、曲名がコロコロ変ってしまうことは、ビートルズの歴史の中で度々あったことは事実です。例えば「イェスタディ」の最初の曲名は「スクランブル・エッグ」だったり。リンゴのぼやきがそのまま曲名になったのもたくさんあります。「エイト・デイズ・ア・ウィーク」他。「Ticket to Rye」の場合は、単にレコード会社の人が、聞き間違えてしまい、印刷してしまった後に気がついたそうです。英語が母国語の方にお聞きすると、「Ticket to Ride」という表現は少しおかしいし、またジョンの声はよく聴くと、「Ticket to Rye」に聞こえるそうです。この話信じますか?ちなみに、Ryeはイングランド南部の美しい町の名前です。ロンドンからは列車で行けます。ご参考までに、Rye市のホームページのアドレスです。http://www.rye-tourism.co.uk/where.htm
2003年03月05日 22時12分53秒

じょん吉のビートルズ日記 014
さあ、もう3月になりました。花粉がブンブン飛んでいますが、なんとかがんばっております。さて、ここ2週間くらいの間に、ずいぶんとビートルズ関連のニュースがでていますね。リンゴのCDの話や、アンソロジーDVDボックスなどの販売関連のものから、ジョージ・メモリアル(2/25がジョージの誕生日)関連、そしてミック・ジャガー、ジョン、リンゴの幻のセッション音源のオークションの話など、ビートルズファンとしては結構楽しめました。DVDは未公開映像が81分も入っているとのことなので、僕としてはぜひとも欲しいところではありますが、値段もなかなかなので、わが家の家計のどこかをけずって予算をひねり出す必要があります。
2003年03月02日 00時27分27秒

じょん吉のビートルズ日記 013
ちょっと10分ばかり時間がありましたので、お客さんを訪問する前に、本屋に寄りました。おなじみ、海外のRS誌に目をやると、おおっ、ビートルズのゲットバック関連の特集ではないですか!映画「レット・イット・ビー」の一場面に、ポールとジョージが険悪なムードで話をしている場面がありましたが、そのやりとりが克明にでているました。また映画にでていない部分の、ジョンのインタビューなどもでていました。さすがRS誌だなと感心しつつ、「やっぱりビートルズは瓦解寸前の末期状態だったんだな」と再確認した次第です。こんなことは様々な文献を通じて何度も読み聞きしてきたことなのですが、なんとなくさびしい気持ちになりました。ポールとけんかしてスタジオを去ったジョージに対して、戻ってこなければエリック・クラプトンを入れればよいなどど言っていたジョン。どのあたりから、このような間柄になってしまったんでしょうか。昔から、仲の良い友人や兄弟でも、それぞれが配偶者を持つと、以前のようには仲良くできなくなることが多いと言われていますが、そういうことなのでしょうか。しかしそんな状況でも、同年に「アビー・ロード」のような大作をリリースできるなんぞ、やっぱりすごい人たちだったんですね。
2003年02月15日 22時49分49秒

じょん吉のビートルズ日記 012
今夜テレビを見てたら、番組のBGMにビートルズの曲が何曲もかかっていて、うれしくなりました。これは別に珍しいことではないのです。テレビ局のディレクターやプロデューサーの多くはきっとビートルズ世代なのですから。テレビコマーシャルにもビートルズの曲は多く使われています。Jポップの中にもビートルズの曲のタイトルをそのまま使ったものも多いです。「Tomorrow Never Knows」、「All My Loving」、「It's Only Love」などなど。また、「Every Little Thing」のように曲のタイトルをバンドの名前にしている例もあります。ビートルズファンとしてはうれしいことです。また、ちょっと古い話ですが、「センチメンタル・ジャーニー」という曲を昔リンゴが歌ってましたが、松本伊代ちゃんの歌った曲の方が有名になりました。
2003年02月09日 01時28分02秒

じょん吉のビートルズ日記 011
数日前にフィル・スペクター逮捕のニュースがでていましたが、その後どうなったかは記事になっていないようです。フィル・スペクターは、アルバム「レット・イット・ビー」をプロデュースしたことで有名です。意外かもしれませんが、このアルバムは一応、同名の映画のサントラ盤となのです。真の意味でのアルバム「レット・イット・ビー」は、オーバーダビング無しのシンプルな音作りになるはずでした。が、フィルの仕事により、アレンジが当初とはだいぶ変わってしまったようですね。たとえば、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」は、バックに合唱隊や弦楽器の伴奏がつき、かなり味付けが変わってしまっています。元々の音源は「アンソロジー3」に収録されています。このことを後で知ったポールは、穏やかじゃなかったらしいです。フィルがかなり大胆にいろいろできたのも、ジョンの後ろ盾があったからかもしれません。この頃のジョンとポールは、どんな感じで付き合っていたんでしょうか。ああ、なんか暗い話になってきちゃったなぁ。
2003年02月06日 22時17分35秒

じょん吉のビートルズ日記 010
本日節分なり。節分の声を聞くと、寒いながらも遠くに春を感じます。1963年の今日、ビートルズはリバプールのキャヴァーン・クラブでライブをしております。この頃のビートルズはほとんど毎日ライブをしております。だからファースト・アルバムのレコーディングは一発録りで、しかもたった一日で仕上げることができたのでしょう。日々のライブ活動が、即、リハの代わりになっていたのでしょう。その伝説のレコーディングまで、あと数日です。
2003年02月03日 23時15分40秒

じょん吉のビートルズ日記 009
1969年1月30日は、ルーフトップ・コンサート記念日でした。ロンドン市内のアップル本社の屋上にて、ビートルズが42分間にわたって演奏した日です。ビートルズのメンバーにビリー・プレストンが加わり、厳寒のなか行われました。オフィス街の昼休みに突如始まった、姿の見えないライブコンサートに、ロンドン市内は大さわぎになったそうです。実際にライブを見ていたのはスタッフやメンバーの関係者だけの少人数でしたが、このライブが世界に与えたインパクトはかなり大きいものがあったと思います。 このライブでジョンが着ていた暖かそうなコートは、前妻シンシアのお母さんがジョンに贈ったものでした。再婚直前に義母の贈り物を大イベントで着用するところが、ジョンのすごいところかな。それとも、それほど考えていたわけではないのかな。この年の3月20日にジョンとヨーコは結婚。
2003年02月02日 21時07分54秒

じょん吉のビートルズ日記 008
今度はリンゴのソロアルバムが3月に発売になるみたいです。リンゴのジョージへの追悼の意を込めたアルバムのようで楽しみです。エリック・クラプトン、ウィリー・ネルソン他ピンクフロイドやイーグルスのメンバーもゲスト出演。リンゴはジョージとビートルズ時代や解散後も特に仲良くしていたので、何かジョージのためにしてあげたかったんでしょう。そういえば、ジョンが凶弾に倒れた時も、真っ先にヨーコとショーン君の元を尋ねたのはリンゴでしたね。バハマでの休暇を中止して、すぐに飛行機に乗ったらしい。リンゴってやっぱり性格がやさしいんだろうなぁ。そんなことを考えていたら、早く買って聴きたくなってしまいました。
2003年01月29日 22時50分26秒

じょん吉のビートルズ日記 006 007
昨年の北米でのコンサートの興行収入第1位はポール・マッカートニーらしいですね。ポールは音楽家としての才能以外にもビジネスマンとしての能力もかなりあると思います。バンドのメンバーとポールの来日コンサートへも行きましたが、最高のエンターテイメントでした。「いかに来場者を楽しませるか」ということを主眼においたコンサートでありました。また、そのことを随所で感じさせられました。ポール、また来てねっ!
2003年01月25日 23時39分28秒

アビーロードのジャケット写真の変造の話がニュースになっていますが、ビートルズファンとしては、これとは別に少し明るい話題もあります。盗難にあって紛失していたゲットバック・セッションの生テープが500本も出てきたとのことです。毎日新聞でも発表になりましたので、ご存知の方も多いかもしれません。これらのテープには1969年のセッションの演奏やメンバーの会話(時には口論も)録音されています。音源の質もかなり良いようです。今後EMIが管理して、商品化する計画なので、とても楽しみです。10枚組ボックスセットにでもして欲しいところです(金額のことは別として、、、笑)
2003年01月25日 01時00分42秒

じょん吉のビートルズ日記 005
夕食に玄米を食べましたが、玄米と言えばジョンとヨーコもしょっちゅう食べていたようですね。ここで一句、「玄米を 食べると浮かぶよ ジョンの顔」。。。失礼しました。
2003年01月24日 00時20分39秒

じょん吉のビートルズ日記 003 004
日記とは関係ないのですが、ゲストブックに記入ができない状態になってしまいました。自分でどこをどうしたかはわかりませんが、困っちゃったな。明日なんとかしてみます。
2003年01月23日 00時11分38秒

1969年の本日は、ポールとけんかしてレコーディングを離れていたジョージが、やっとスタジオに復帰した記念日です。リバプールの学生時代から一番後輩だったジョージも、言うべきことはちゃんと言おうと思ったのかな。 それから、あともう少しで1月30日。1969年にビートルズがアップル本社の屋上で「ルーフトップ・ライブ」を行った日です。ロンドンの真冬はかなり寒いので、よく歌って演奏できたものだといつも関心させられます。
2003年01月22日 23時26分55秒

じょん吉のビートルズ日記 002
昨晩は桃家500/1の新年会でしたが、相変わらず皆さんパワーが全開で、元気一杯でした(笑)。
2003年01月19日 11時23分07秒

じょん吉のビートルズ日記 001
ビートルズにまつわる、あんな話、こんな話などを、気楽に書いてみようと思います。
2003年01月17日 21時09分41秒

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