上平村菅沼伝統的建造物群保存地区保存計画

平成6年8月12日上平村教育委員会告示第5号

 上平村伝統的建造物群保存地区保存条例(平成6年上平村条例第5号。以下「保存条例」という。)第5条の規定に基づき、上平村菅沼伝統的建造物群保存地区(以下「保存地区」という。)の保存計画を次のように定める。

1.保存地区の保存に関する基本計画
(1)保存地区の概要
〈保存地区の地理〉
 上平村は富山県の南西端で白山山系の山岳地帯にある面積約94.77I、人口914人の山村である。村の西は白山山脈の尾根を境として石川県に接し、南は白山の最高峰笈ケ岳(1,841m)から発する深い谷を境として岐阜県に接している。また、村の北と南東には1,000から1,500m級の山々が連なって村を囲んでいる。村の北東部に深い渓谷を刻む庄川は、岐阜県白川村から北上して上平村に流れ入り、やがて東に流れを変えて北東の平村へと流れて出ている。深い山林と急峻な地形の中にあって、上平村の集落のほとんどはこの庄川沿いの僅かな段丘に点在している。現在では、この庄川沿いに設けられた国道が村内の集落を結び、また、村外の地域との主要な出入口となっている。
 菅沼の集落は庄川が蛇行しながら東へ流れを変える地点の右岸に位置する。集落のある平坦地は北に舌状に突出した河岸段丘であり、その西・北・東の三方を庄川の流れが囲み、南と川の対岸は急峻な山地となっている。川の平常水位から段丘上までは15mほどの高低差があり、川岸は急傾斜となっているが、特に流れによって削られる西側は垂直に近い岩崖となっている。
〈保存地区の歴史〉
 菅沼集落のある河岸段丘からは縄文式土器が出土しているので、古代以前からこの土地には人が住んでいたと考えられる。中世には五箇山一帯に浄土真宗が浸透し、真宗教徒による村落が作られたが、その布教の中心となったのは蓮如の弟子で菅沼の近くの赤尾集落に居を構えた道宗であったと伝えるので、この辺りが五箇山の文化的中心となっていたと推測される。
 近世の上平村は加賀藩領であり、菅沼集落は越中五箇山のうちの赤尾谷に属していた。元和5年(1619)の検地帳によると村高は53石余で、11和紙や塩硝が主要な産品であったことが記されている。また、僅かな土地での米作のほか、薙畑とよばれる焼き畑の耕作地で稗・葉やそばなどが栽培され、食糧の自給が行われていた。戸数は寛文年間には7戸であったが、天保年間には9戸と記録され、明治5年(1872)には戸数14戸となり、田1反歩、畑9町歩、山林83町歩であった。
 明治22年(1889)に五箇山70ヵ村を分けて19ヵ村が上平村となり、菅沼集落はその一部となった。これ以前の明治12年には、対岸に渡るための手段であった「篭の渡」が廃止されて吊橋が架けられ、また、この頃から五箇山では塩硝の生産が衰退し、代わりに絹の輸出振興政策に伴って養蚕が盛んとなり、従来からの和紙とともに重要な換金生業となった。菅沼を含む五箇山の山間の各集落にも政治・交通・産業の各分野にわたって近代化の影響が徐々に現れ始めた。
 昭和初期には自動車道が庄川沿いに開通し、電源開発が進み、水田が開拓されて、一層の近代化が進んだ。太平洋戦争後の昭和30年から40年代にかけては、日本の急激な経済発展に伴う都市への人口流出による過疎化と住民の高齢化がみられるようになり、その状況は現在も続いている。
〈史跡の指定〉
 昭和45年には、菅沼集落とその周辺の茅場を含む山林14.5haが国の史跡に指定され、合掌造り集落とその環境の保存が図られることとなった(別図一2)。当時は上平村にも近代化の波がおしよせ、衣・食・住に変化がおこり、労働力の都市部への流出は村に過疎化をもたらしていた。これらのことが原因となって相互扶助の精神も希薄となり、伝統的集落景観の崩壊も進行していた。菅沼が国の史跡として保存の対象となったのは、他の集落と較べて合掌造り家屋の残存状況が良好であったからである。以後も他の集落では合掌造り家屋だけでなく歴史的環境が急激に失われて現在に至っているが、菅沼だけはかつての村落景観を今日に伝えている。世界に誇れる歴史遺産としての菅沼の今日があるのは、史跡指定以後の、国、県、村、住民等の関係者によるたゆまないの努力のたまものであり、今後もその努力を尊重しながら、歴史的集落と景観を保持しなければならない。
(2)保存地区の現況
 昭和初期に庄川沿いに開設された自動車道路は、多くの集落の中を通り抜ける形で設けられたため、それぞれの集落景観を大きく変貌させる契機となったが、さいわい、菅沼の場合には集落の南上方の山腹に道路が造られたので、集落は旧来の姿のままで残された。また、太平洋戦争後の急激な近代化や産業構造の変化、人口の流出と過疎化の波も受けたが、集落の地理的立地条件や形態の基本的な部分は改変されることなく、近代以前の状態が保存されている。
 集落内の住居は、五箇山地方独特の茅葺きの合掌造りの家屋であり、その周囲に伝統的形態の土蔵や板倉が建てられて、田畑が広がる状況はよく残されている。現在、伝統的な茅葺き合掌造り家屋は9棟である。これらの合掌造り家屋は江戸時代末期から明治時代にかけて建てられたものであるが、大正時代のものが1棟ある。合掌造り会屋を中心とした伝統的建造物群と集落の構成要素である道、耕作地などは、おおよそ明治時代から昭和20年代にかけての時期の状況を伝えるもので、これらが周囲の環境とともにこの地方独特の歴史的風致を形成している。
(3)保存地区の集落構成とその特徴
 菅沼集落はわずか戸数8戸、人口40人の小規模な集落である。しかしながら、明治22年の記録によると、当時、菅沼は13戸で、上平村の19の集落の中では9番目に戸数の多い集落であり、その意味では上平村にあっては標準的な規模の集落であったといえる。
 集落のある土地は南北約230m、東西約240mの舌状に北に突出した河岸段丘である。標高は330m前後で、ほぼ平坦な地形であるが、南東部がやや高く、それより北西方向に7mほど緩やかに下がっている。段丘の南背後は急傾斜の山地となっている。保存地区は屋敷地と耕作地で構成される平坦部の範囲であるが、ブナ、トチ、ミズナラなどの大木が生い茂る集落背後の山腹は木の伐採が禁じられていて、「雪持林」として保存されている。
 屋敷地は平坦部の南東に寄せられている。いづれの家も板倉や土蔵などの附属屋を有しているが、主屋に近接して建てられているものは僅かで、多くは離れた場所に建てられている。したがって、主屋と附属屋で屋敷を構えることはなく、それぞれの敷地は狭く、また、周囲に塀や生け垣も設けていない。
 耕作地としては、集落の北西部の低い土地にまとまった水田があるが、このほかに屋敷地の周囲にも小規模で不整形な水田と野菜や豆類を栽培する畑がある。水田は以前は桑畑などを栽培していた土地であったが、昭和20年に対岸より水を引いて水田化したものである。
 菅沼集落の守り神である神明社は、南東部北寄りのやや小高くなった場所にあり、その周囲を杉林が囲んでいる。神明社は古くは現在地よりもやや南東の土地にあったが、昭和12年に南背後傾斜地の国道脇に移転し、さらに昭和45年の国道拡幅工事に伴って現在地に移されている。
(4)伝統的建造物群の特性と環境物件
〈伝統的建造物群〉
 菅沼集落の伝統的建造物群の主体をなす建築物は、五箇山と飛騨白川郷に特色的にみられるいわゆる「合掌造り」の家屋群である。これらの合掌造り家屋と、非合掌造りの木造家屋、これらの附属建物である土蔵、板倉及び水車小屋、神社建築、石造工作物によって伝統的建造物群が構成されている。
 「合掌造り」は叉首組の小屋構造によって、急勾配の切妻造り、茅葺きの屋根を支えるもので、一般の農家に比べて規模の大きなものが多い。叉首組で急勾配の屋根はこの地方の重い豪雪に耐えるためでもあるが、小屋内を広くとって養蚕などの用に当てるためでもある。規模を大きくして、小屋内に2〜3層の床を作ることや、構造的に不利ではあるが通風や採光に有利な切妻造りとすることもこの目的のためと考えられる。
 急勾配で大型の切妻造りの茅葺き屋根の家々が群となって集落を構成する景観は、五箇山と飛騨白川郷の集落以外には見られないものであり、日本各地の農村景観とは際立った違いを見せている。その五箇山にあっても、かつては上平、平、利賀村の3村で合わせて70の集落に1500棟を超える合掌造り家屋があったが、現在では、まとまった合掌造りの家屋群がみられるのは、菅沼集落以外では菅沼と同じく国史跡として保存が図られてきた平村の相倉集落だけとなっている。
 菅沼集落に現存する合掌造り家屋9棟のうち2棟は江戸時代末期、6棟は明治時代に建てられたものである。このほか、大正14年に新築されたもの1棟があり、この時代まで合掌造り家屋が造られていたことがわかる。
 平面は四間取りを基本としているが、規模の大きいものでは六間取りとなり、また、梁間の小さい家屋には広間型三間取りのものもみられる。妻側に半間ほどの下屋を造り、その中央寄りに出入口を設けている。現在は下屋の屋根を鉄板葺きにしているものが多いが、本来は下屋の屋根も茅葺きとし、大屋根との取り合いを葺き回すので、一見、入母屋風屋根となり、平側に出入口を設ける白川郷の合掌造りとは異なった外観を呈している。
 非合掌造りの木造家屋は大正5年頃、昭和8年、24年に建てられた3棟で、柱梁・垂木構造による2階建の建物である。非合掌造りの木造家屋の存在は、菅沼集落の家屋の形式の変化を具体的に示すものであり、また、現在では集落の景観に調和しているので、伝統的建造物群を構成するものとしての価値が認められる。
 附属建物のうち板倉は10棟あり、うち2棟は木造平屋建、8棟は2階建で、明治時代初期から昭和24年頃までのものである。このうち、叉首構造・茅葺き屋根のものが3棟あり、他は切妻造り・桟瓦または鉄板葺きであるが、明治時代の3棟は当初は叉首構造の茅葺き屋根であったとみられる。土蔵は3棟あり、土蔵造り2階建・切妻造り・置き屋根形式・桟瓦葺き(うち1棟は当初、木羽葺きであった)で、明治中期頃から昭和10年の建築である。なお、板倉と土蔵は火災を考慮して、居住部分からやや離れた場所に建てられている。特に、家屋のない神明社の周辺には、板倉・土蔵合わせて13棟のうち半数以上の7棟が集まっている。水車小屋は保存地区の南辺中央西寄りの水路脇にある。昭和初期の建築で、木造平屋建・切妻造り・鉄板葺きの小屋である。
 神明社の本殿石屋と拝殿は、いづれも神明社が現在地に移された昭和45年に造られたもので、本殿石屋は切妻造り・鉄板葺き、拝殿は入母屋造り・銅板葺きである。また、工作物は神明社の石造の鳥居と狛犬である。
〈環境物件〉
 保存地区の南辺中央東よりに小さい池があり、その脇に清水岩と呼ばれる岩がある。ここはかつて湧き水のあった所である。現在では対岸から水道を引いているが、菅沼集落は本来、水の少ない場所で、それ以前は湧き水が貴重な生活のための水であり、集落の共同管理となっていた。また、神明社の杉林は昭和45年の移転時に植栽されたもめであるが、既に社叢としての景観を呈している。これらは、集落の歴史と景観にとって貴重なものであり、環境物件として保存を図る。
(5)保存の基本方針と保存地区の範囲
 合掌造り家屋を中心とした伝統的建造物群の文化財的価値を維持し、併せてこれと一体となって歴史的風致を形成している環境を保存し、住民の生活環境の向上を図る。
 昭和45年史跡指定以後に行われてきた合掌造り家屋の屋根葺き替え、維持修理などは従来の方針どおりとし、これに加えて歴史的景観を損ねている非伝統的建造物等の修景を推進し、良好な住環境の整備と地区防災の充実を図る。
 保存地区の範囲:別区一1に示す範囲。
 保存地区面積:約4.4ヘクタール
2.保存地区内における伝統的建造物及び環境物件の決定
(1)伝統的建造物
 イ.建築物:別表一1
 ロ.工作物:別表一2
(2)環境物件:別表一3
(3)伝統的建造物及び環境物件の位置と範囲:別図一1

3.保存地区内における建造物及びその他の物件の保存整備計画
(1)伝統的建造物の修理
 伝統的建造物は、現状の構造及び屋根、外観の維持を目的とした修理を行う。後世の改造や修理で伝統的建造物の価値を甚だしく損ねているものについては、復原修理を行うことを基本とするが、個別的な経緯や事情も尊重する。復原は、科学的調査と根拠に基づくものとする。
(2)環境物件の修景と復旧
 環境物件は現状維持を原則とするが、現状が歴史的風致を損ねる状態にあるものについては科学的調査と根拠に基づいて、修景、復旧、整備する。
(3)伝統的建造物以外の建造物等の修景
 伝統的建造物以外の建造物で現状が歴史的風致を損ねる状態にあるものについては、周囲の景観に調和させることを目的とした修景を行う。
(4)建造物の移転、除却、新築、増築、改築
 伝統的建造物の移転、除却、増築、改築及び伝統的建造物以外の建造物の新築、増築については、本条(1)〜(3)に規定する修理、復原、修景、復旧、整備によるもの以外は行わないことを原則とするが、特別の事情により許可された場合には、規模、材料、屋根形式、棟高、軒高、色彩などが周囲の環境と調和したものとする。ただし、かって有った家屋を科学的根拠に基づいて復原するもの以外は、合掌造り家屋に似せたものを造ることはできない。
(5)道路、水路等の整備と復旧
 道路の位置及び幅員は現状維持を原則とする。未舗装の地道は現状のままとし、既舗装の道路については、舗装改修時に歴史的景観を考慮し、地道風の仕上げとする。水路及び側溝の位置及び幅員は現状維持を原則とするが、現状が歴史的風致を損ねる状態にあるものについては、科学的調査と根拠に基づいて修景、復旧、整備する。
(6)その他
 アンテナ類、ガスボンベ等の屋外設備類、屋外の看板、標識などの類で、歴史的風致を損ねる状態にあるものについては、修景、整備等を行う。

4.建造物及び環境物件に係わる助成等
(1)村は保存整備計画に基づく事業に対し、別に定める「上平村伝統的建造物群保存地区保存事業費補助金交付要綱」により、必要な助成をすることができる。
(2)村は保存整備事業の一体的運用と円滑化図るため、別に定める「上平村伝統的建造物群保存地区保存事業受託要綱」にしたがい、事業者の申し出により設計監理等の業務の委託を受けることができる。

5.保存地区の保存のために必要な施設・設備の設置ならびに環境整備計画
(1)管理施設等
 伝統的建造物のうち、その保存のために必要があるときは買上げや借上げを行い、保存地区の歴史的価値を周知・広報し、共有するために一股公開するほか、積極的な活用に努める。地区内には、保存地区を示す標識、説明板、案内板など必要な設備を設置する。これらの設備の設置にあたっては歴史的風致を損なわないように配慮する。
(2)防災施設等
 既存の防災設備の整備点検を行い、合掌造り家屋等の特性と集落の立地条件、地域の気候・風土を考慮した総合防災計画を策定し、計画的に実施を図る。その実施にあたっては歴史的風致を損なわないように配慮する。
(3)電柱等の整備
 電力用及び電話用の配線、電柱については、移設や配線整理、地下埋設等によって歴史的景観の阻害とならないような措置をとる。
(4)駐車場等
 保存地区内の個別の駐車場や車庫の新設と車両の進入を制限し、歴史的風致の維持を図る。この目的のために、地域住民のための共同駐車場と外来者のための公共駐車場を保存地区の景観に影響のないように設置することを検討する。