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■ほしぞら高原鉄道について


△路線図(クリックすると640×480で開きます)


 ほしぞら高原鉄道は、地元自治体及び沿線企業が出資する第三セクター『神崎ほしぞら高原鉄道』が運営する鉄道線。
元々は、地元有力企業であった鉄鋼業会社『大帝都産業』が、自社工場への資材運搬・製品出荷などを目的として鉄道敷設・運営を行うために設立した完全子会社『大帝都産業交通(既解散)』が建設・運行していた鉄道であった。
 元来、この企業は資材運搬などを他の運送業者や自社のトラックなどを利用した道路輸送及び船での輸送に頼っていた。しかし、公害問題などが浮き彫りとなったこと、道路輸送では大量の荷物を運べない、頼みの船も安定した輸送量を補えないという欠点があった。それに加え、道路はほとんど舗装されておらず、整備も十分なものでなかったため、たびたび支障が起こることも珍しくなかった。地元企業もそれに悩まされており、どうにか、輸送面の改善策を立てる必要性に迫られていた。
「物流が川の支流のようでは駄目だ。ちゃんと本流のようにならねば、地域の発展にも何もつながらない」
 道路が期待できない、船はどうしようもない…。その結果持ち上がったのは、鉄道を敷設することであった。
「鉄道を敷けば、物資の運搬は無論、旅客面でも安定した輸送力が見込める。トラックでの輸送を置き換えれば、公害の原因となる排気ガスを減らすことが出来るし、一度にたくさんの荷物をさばく事が出来る」
 しかし、敷設面では膨大なお金がかかる。そして、その建設費用の捻出と、それに見合った貨物・旅客輸送量を確保できるか、先の見えない未来予想で、鉄道計画も立ち消えようとしていた。
「道路の輸送能力は限界、船も安定した荷物輸送量を期待できない。ここで到達する答えはたった一つ。安定した輸送量の確保と、地域間移動を短く出来る夢のツール、それは鉄道だ。道路が新しく出来る可能性が見込めない以上、慢性的な交通渋滞と、多発している交通事故の原因を減らすには、公害問題でも取りあがった、トラックでの輸送を最小限にとどめる必要がある。それには、鉄道を敷設して、まとまった貨物を運搬する列車を走らせるほうが得策であり、その路線で旅客列車も走らせられれば、移動は便利になる可能性は十分にある」
 力説したのは、大帝都産業の当時の社長であった。その後、地元自治体に陳情するなど、行動を起こすことになった。ようやく敷設に向けた第一歩を踏み切れたのは、立案から2年。路線敷設に伴い、用地買収には困難を極めたものの、多くの地主は地域移動が便利になることに賛同の意を示し、用地買収に応じてくれたのであった。ようやく運行ルートの策定、駅の設置場所などを決め、建設に取り掛かったのは、実際に計画が動き出してから2年、立案から4年後のことであった。
 大帝都産業が子会社として鉄道会社を設立することなり、そこに地元企業などが出資し、鉄道会社『大帝都産業交通』が発足し、ようやく建設に取り掛かった。全線単線ながら、重量級の機関車を入線させても問題ない幹線級の道床と、全線電化という路線として建設。4年という歳月を経て、ようやく鉄道が開通(現:榛名高原線 東神崎〜舞方)。  開業から少しずつ貨物輸送量も増加し、貨物列車も多数運転。旅客列車も僅かに貨物と比べれば少ないものの、相応の本数の列車を運転。徐々に路線網も増えて、本線も観光路線を視野に入れて延伸し、榛名高原まで開通。桜庭台線も開業し、鉄道の経営は順調に進んでいくと思われていた。
 しかし、その栄光は20年程度となってしまう。
 鉄道経営は順調そのものであり、沿線の山で採掘された鉱山資源の輸送による貨物輸送、そして、その鉱山従事者の通勤にも使用され、黒字経営を続けていた。しかし、終わりの始まりとも言うべき出来事は、着実に進行していたのであった。
 親会社であり最大の得意先であった『大帝都産業』が経営不振となってしまった。このあおりを、少なからず受けてしまう。
 大帝都産業は老朽化の進んでいる本工場を閉鎖し、本工場で生産できない分を補うために作られた分工場にそれぞれ集約し、生産する量を減らした。それに伴う人員削減のため、多くの労働者は仕事を失い、新たなる仕事を求めて、その場所を去っていった。そして、いつしか最大の頼みともなっていた鉱山も閉山し、鉱山からの資源輸送の貨物列車が廃止され、沿線企業からの荷受がメインとなった貨物輸送。そして乗客数が少なくなっていった旅客輸送。やがて赤字に転落し、再建の兆しは見えなくなっていった。
 ついに止めを刺す出来事が起きた。
 最大の得意先であり、親会社であった地元有力企業『大帝都産業』が自己破産してしまった。抱えていた債務に関しては、工場敷地などを売却して返済を行うなどといった、清算が行われた。
 このため、子会社の大帝都産業交通も会社解散及び鉄道廃止を発表したが、沿線住民などは鉄道存続を強く望み、何とか継続運行の道を探ることになる。
 既に大帝都産業交通を独立しての鉄道存続は無理のため、受け皿会社を設立の上で、清算会社となった大帝都産業交通から鉄道に関わる全てのものを譲り受け、運行再開することを決めた。その後、沿線自治体及び企業が出資した、第三セクター『神崎ほしぞら高原鉄道株式会社』が発足。資産を譲り受け、車両を新たに導入するなどの準備を進めた。そして大帝都産業交通鉄道線廃止から1年の後、ほしぞら高原鉄道線として再出発を果たした。それ以降は、鉄道自体を観光資源化しようという動きが高まり、現在では看板列車の一翼を担うプリキュアトレインや、懐かしさと夢を併せ持つブルートレインを臨時列車として運転している。さらに、当時の東海電気鉄道が新線として計画、建設を進めていた新明日香線が建設中止となった際、これを引き継いで建設を継続。路線の規格を生かして標準軌の線路に引きなおし、今では懐かしい形式となった新幹線電車の運転を開始している。

運転状況
 その後、工業団地や住宅地などの開発が進み、榛名高原線及び桜庭台線の旅客列車の輸送状況は、大帝都産業交通時代よりも飛躍的に向上し、貨物列車もコンテナ列車を中心に運転され、幹線級の電気機関車が行き来している。朝夕ラッシュ時、最も混雑する列車を中心に列車が6両・7両編成で運転される。
 新明日香線に関しては6両及び7両編成の旅客列車が多数運転されており、朝夕ラッシュ時を中心に混雑が目立っている。

EF66の楽園
 幹線級の電気機関車…この鉄道で主力機関車として運行されているのはEF66形電気機関車である。
 明らかに過剰スペックとしか言いようのない機関車だが、貨物列車を中心に縦横無尽に活躍を続けている。貨物列車はコンテナ列車が主であり、両数は平均4両程度、長くても7両が相場となっている。明らかな牽引力過剰であるのは無論、むやみに多く走行させると様々な箇所に影響が出てくる。最大出力3900KWを半分程度の2000KWに抑えて調整されている。
 しかし、それでもEF66が多いのは、貨物などを担当する電気機関車乗務員の多くがEF66に乗務していたり、整備していた経験者が多いこと、そして何より、この鉄道で最初に導入された機関車がEF66であるなど、理由は多々である。  定期列車では貨物のみだが、休日などにはブルートレイン客車を用いた臨時列車の牽引をしてみたりと、往年を思い出させるような『小さなタイムスリップ』を体験させてくれる。近年では35号機及び42号機の2両がパンタグラフを交換され、往年にブルートレインを引いていたEF66形に準じたスタイルへとなっている。

なつかしの電気機関車
 ブルートレイン全盛期を知る方々であれば、EF65-500番台と20系或いは24系(或いは改良型の24系25形)の長大編成の寝台特急を思い浮かべる人も多いだろう。今ではJR東日本に501号機が在籍している以外、500番台は姿を消し、EF58形に関しても、営業線上からは姿を消している。今では思い出になってしまった、この電気機関車も運行されている。
 比較的初期頃、貨物列車の運転本数の多さにより、当時3両の電気機関車(EF66-19,EF64-1006,EF65-1127)ではフル稼働でも足りなくなることが予測されたため、EF65-522号機が入線(その後、EF65-542号機に改番)。旧型客車を用いた観光列車の運転を計画した際、その客車3両(後に売却)とともにEF58-89号機が入線。その後、特別客車…スーパーエクスプレスレインボー号の入線に際し、EF81-95号機及びEF65-1019号機の2両が入線。以後、廃車状態となった車両を譲り受けて自社工場でレストアするなど、動態保存目的ながらも現役復帰している機関車は10両を軽く超える。

思い出と出会える鉄道
 走る鉄道博物館…大井川鉄道(静岡県)がそういわれているが、ほしぞら銀河鉄道はやらかしてしまっています。その最たるものがSL列車だが、今では姿を消してしまった寝台特急列車(ブルートレイン)など、様々な思い出の列車が走っている。
 電車列車の代表的なものとして、前面展望を楽しめる特急列車(小田急ロマンスカー10000形HiSE)を筆頭に、485系特急列車(スーパー雷鳥)、中間にダブルデッカーを連結した先代あさぎり号(JR東海371系・小田急ロマンスカー20000形RSE)など、今では見られなくなった列車も多く運転されている。
 近年では過去2度ほど失敗を繰り返した旧型客車を用いての観光列車計画が再度発動し、4両の旧型客車とともに蒸気機関車(C57-180)が入線。今では『走る思い出』を再現した鉄道線と化している。

プリキュアトレインの成功
 今後を見据え、更なる目玉をと考えた結果、何らかのアニメ作品の装飾を施した特別列車を運行してみようということになり、企画された。
 臨時列車用にと導入された特急車両2編成にプリキュア装飾を施し、車内にも工夫を凝らした。当初は休日を中心に臨時特急列車として運転開始。多くの親子連れ、そして『大きなお友達』が一目見ようと、そして乗ろうと集まり、大盛況となった。今では特別企画として、車内で映画を上映する『車内映画館』企画を日にち設定の団体列車の設定で行うなど、目玉企画の1つとなっている。
 現在、7編成のプリキュアトレインが在籍している。
 ちなみに、一部の編成が故障した際には別の編成が基本的に代走するが、ハトプリトレイン371及びドキプリトレイン485は通常の定期特急に使用されている同型車両が代走することが多く、スマプリトレイン251は代走可能な車両が無いため、プランなどの変更により別の車両が充当される。スマプリトレイン251以外の編成は通常期,シートカバーを普通の使用へと戻した上で、定期列車にも使用されるように考慮がなされている。
1)フレプリトレイン485(フレッシュプリキュア!装飾,485系6両編成)
2)ハトプリトレイン371(ハートキャッチプリキュア!装飾,371系7両編成)DD2両込み,1F席は定期映画上映区画。2Fは特別座席。
3)スイプリトレイン253(スイートプリキュア♪装飾,253系6両編成)中間運転台の助手席側は荷物置き場などの小さなフリースペース、3号車のグリーン室にはピアノが置かれ、走行中に演奏を楽しむことが出来る。
4)スマプリトレイン251(スマイルプリキュア!装飾,251系6両編成)1号車・2号車・6号車がダブルデッカー。他の車両も2階席相当のハイデッカーのため、展望超良好。
5)ドキプリトレイン485(ドキドキ!プリキュア 装飾,485系7両編成)7号車がパノラマ車両。7号車及び6号車の一部が特別座席。
6)ハピプリトレイン381(ハピネスチャージプリキュア!装飾,381系6両編成)1号車がパノラマ車両(特別座席)。
7)姫キュアトレイン281(GO!プリンセスプリキュア 装飾,281系6両編成)

走るブルートレインを堪能できる
 大帝都産業交通時代からも、目玉企画として考えられていた計画がある。それは、国鉄時代の代名詞とも言える青い寝台客車、ブルートレインを運行するというものである。
 全国各地で寝台特急…ブルートレインが廃止されていた際、この列車を動態保存し、何かしらで活用できないかという話になり、協議がされていた。その結果、数両の寝台客車及び電源車の購入にこぎつけたのである。編成に関しては、路線距離などを考慮して最大でも6両から7両を目安とし、乗車距離も少ないことから、普通の特急料金程度で利用できるようにしている。1日2往復ずつ、全車座席指定の特急列車として運転。
(貨物列車の減便によって発生する電気機関車の余剰車両を生かすための次善策でもあった。機関車は不特定形式での運転であり、最大数のEF66が牽引する時もあれば、EF65-500番台が使用されることもある)。
 また、近年では元祖寝台特急電車である583系、そして現在、唯一の寝台特急電車となっている285系が入線しており(JRさんから設計図を借りて製作したコピー車両)、臨時列車として運転されている。
運転経路
 神崎⇒榛名高原(折り返し)⇒湯石川温泉(折り返し)⇒桜庭台中央⇒神崎
 全ての区間を走破し、沿線観光地の最寄り駅に停車する『クルーズトレイン』として運転されている。停車駅は路線図の特急停車駅及び、四季の需要などに応じて観光地の停車駅を取捨選択している。

このページについて
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*2016,11/1,ほしぞら高原鉄道の詳細を掲載しました。
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