MIDI、ゲーム・ミュージックの社会学――高度情報消費社会論・試論

 

※はじめに

 残念ながら現在では音楽著作権管理上の問題からオンライン 上では下火になってしまったが、1990年代半ばにおいてはMIDI(Musical Instruments Digital Interface)というプロトコル を利用した音楽配信形態が広く存在していた。この時代においてしかしMIDIという通信規格は、技術でありながら文化でもあった。これには一体どのような背景があったのだろうか。新しい技術が社会的に受容されていくまでにはその背景、文脈が必ず存在する。しかし、MIDIはこれまで社会学的な考察がなされてきていなかった領域である。そこでこの論文では、以降大きく分けて3つの分析を行う。それはすなわちMIDIの技術的な歴史、及び文化的な歴史の分析、MIDIの文化的な歴史に見るコミュニケーションの変容の分析、メディアとしてのMIDIが示唆する現代のコミュニケーションの変容の分析である。

 

 

※MIDIとは・・・

 MIDIは1983年に誕生した通信の一つの規格である。すなわちMIDIはそれまで各社の製品毎にバラバラであった電子楽器間の通信を統一するために、日本の楽器メーカー数社の会合の結果をもって生まれたものであった。しかし、こうして楽器のために(音楽のために)誕生したMIDIは1980年代にパソコン通信(BBS)文化や、ゲームカルチャーと相乗し、1990年代の初頭には独自の形態を持つMIDI(DTM )文化に発展した。こうした歴史の結果MIDI文化の最盛期であった1995年頃にMIDIは…命規格▲侫.ぅ觀措悪DTM文化という3つの意味を併せ持っていた。

 

 

    目次

     

    第1章  MIDIという技術  

        第1節  脱政治化するサブカルチャー      

        第2節  音楽、ジャンル、MIDIというジャンル      

        第3節  MIDIとは何か    

        第4節  日本における情報消費社会化の変遷        


    第2章  MIDIという歴史   

        第1節  MIDIの受容の歴史分析    

            第1項  「個人作曲家」――音楽的MIDI利用        

            第2項  「パソコン通信」BBS文化とMIDI   

            第3項  ゲーム・ミュージック、第二、第三のMIDI  

            第4項  MIDI――DTMの二次創作化 

        第2節  〈送り手/受け手〉の「MIDI」――インタビュー調査        


    第3章  MIDIの社会学    

        第1節  メディア論としてのMIDI  

        第2節  「ベタ」化するMIDI      

        第3節  MIDIと近代的理念        

        第4節  情報化と戯れ――後近代的理念    


    第4章  結語    

        第1節  高度情報消費社会論・試論        

        第2節  結語    


    引用・参考文献 

 

 

 

第1章  MIDIという技術

    第1節  脱政治化するサブカルチャー

 

 「サブカルチャーとは何か」という問いかけは、「メインカルチャーとは何か」という問いかけと等価であり、同じものである。しかし現代のわたしたちにとって「現代においてサブ(/メイン)カルチャーとは何か」との問いかけは非常に難しいものとなっているとは言えないだろうか。

 「メインカルチャー/サブカルチャー」への問いかけのこの難題は現状を2つの位相で描写している。それは.瓮ぅ鵝愁汽屬涼噂稘図式化理解の閉塞的状況 △靴しながら、そうでありながらも現実にはただ漫然と「メイン」が存在し、そしてその周縁にただ漫然と「サブ」が存在しているという状況である。ではなぜそのような状況になってしまったのであろうか。それには一旦サブカルチャーの歴史を紐解いていく必要がある。日本のサブカルチャーの歴史は文化の歴史と同等、あるいはそれ以上に政治思想の歴史と連関している。すなわち、その時代においてサブカルチャーとは政治と思想そのものであったのだ。文化と政治思想の歴史は1970年代頃までには不可分であったし、文化−政治の中心は大学という空間でもあったのである。

 団塊世代が支えた1970年代前後までの大学空間においては「教養主義 」という、ひとつのイデオロギーが強く支持されていた。「教養主義」の時代において「メインカルチャー」及び「サブカルチャー」とは、論ずるまでもない共通コードの上に座していたと言える。

 

 「団塊世代」の青春時代、かれらにとって積極的な自己像を維持することは相対的に容易であったといっていい。なぜならば、積極的な自己像が、共通コードとの結合によって、いわば担保されていたからである。……したがって「自分は若者だ」という意識は、そのまま何の負担もなしに、「若者的なサブカルチャーにコミットする自分」という積極的な自己像をもたらすことができた。(宮台[1994:254-255])

 

 しかし社会における自分というものの自己像観や、〈われわれ〉という〈共〉の存在としての団塊世代の政治思想観の自明性を担保した教養主義はそれほど長く続くものではなかった。団塊世代が支えた1970年代前後の一連の学生運動を経験しなかったポスト団塊世代――新人類世代にとって、こうした「教養主義」は彼らが大学に入ったころには総じて〈古臭いもの〉として相対化されうるものへとなっていたのである。そして現在目にすることのできる「サブカルチャー(マンガ、J-POP 、アニメ、ゲーム)」もこのとき、現存するメインカルチャーへのアンチ(カウンター)として誕生したのだ。

 ここで、こうしたサブカルチャーの誕生と存在に関して、わたしたちはひとまず2つの論点を指摘しておく必要がある。それは“振詰楴腟租諧謔(カウンター・カルチャー)としての〈共〉のサブカルチャーの論点⊂霾鵐瓮妊ア没入的おたくとしての〈私〉のサブカルチャーの論点である。この点について、社会学者宮台真司は1970年代のサブカルチャーをめぐる状況を次の様に指摘する。

 

     一口で言えば、「どうせ世界はこんなもの」と諧謔しながら、ホンネでは"なのか"がくっついていた。「どうせ世界はこんなもの"なのか"」。そこには明らかにディプレッション(抑鬱)があった。だから「時来たれば政治にまた出ていくのに」と思っていた。現に福永ケージのようにナンパ・カメラマンから政治活動に戻って来た者もいる。政治とサブカルは、新人類世代ではそんなふうにつながってもいた。

     戦略拠点としてサブカルを選んだと言えばカッコイイが、実存的には政治からサブカルに追い込まれたわけ。……「理論的には政治もサブカルも等価だ」というのは本当だけど、実際に僕ら世代がサブカルを語るときには、いま言ったような独特な諧謔──「どうせ」と「なのか」の合体──がある。(東・宮台・鈴木[2004])

 

 やや世代論的すぎるきらいはあるものの、これは前述した,涼奮――カウンターカルチャーとしてのサブカルチャーの段階であると言っていい。すなわち、1970年代のサブカルチャーとは政治思想的なものへの〈対抗counter〉政治思想として存在した文化であり、かつそうしたメインの存在を〈前提〉にした文化であったのである。

 だが、現代日本おいて私たちがそのような状況を観察することはできるのであろうか。むしろわたしたちはまったく逆の現象を日常的に観察しているのではないだろうか。

 

     共通コードは、連合赤軍事件の起こった72年から……73年にかけて、急速に崩壊していくが、こうした崩壊は、若者内部の共通のコミュニケーション前提が消失することを意味していた。相手が若者だというだけでは、いったい何をあてにできるのかが、わからなくなってきたのである。(宮台[1994:255])

 

 こうした「メイン/サブカルチャー」の二項図式化理解の背後にあった共通コードの崩壊は「サブカルチャー」本来の思想性や唯一性を失わせ、閉鎖的な独自領域への縮小傾向を促進していくことになる。これはまた自明性が相対化するという、「島宇宙化」 の前景化でもあり、総・相対主義の時代の到来が「おれって(あたしって)、けっこうおたくだから」という「〈私〉化したおたく」という状況を前景化させたことでもあると言える。すなわち、「サブカルチャー」が〈私〉化(ウチワ化)したという意味において、つまり本来,琉嫐として誕生した「サブカルチャー」が、現代においては△凌綵爐悗伐鯊里気譴討い襪箸いΠ嫐において、「メインありき、ゆえのサブ」として存在したサブカルチャーは「ただサブありきの、サブ」へと解体されていると言えるのである。

 ならば、そうした歴史的、政治的な意味をもつというサブカルチャーは実際にはどのように社会と連関していたのであろうか。本論では今後「MIDI」というあるひとつの通信プロトコルの社会的受容について分析する。既に論じてきたように、サブカルチャーのみならず、私たちの自己像(自己存在像)までもが「島宇宙化」、「おたく」化した後の現代において、では「歴史とは」、「政治とは」という問いもまた「サブカルチャーとは」という問いと等価に解体されていると言える。

 ここまでサブカルチャーについて冗長すぎるほどに書いてきた真の理由は、こうしたサブカルチャーの興隆と解体という〈大きな潮流〉が、またMIDI文化の興隆と解体に深く影響していたからであった。本論が今後MIDIの分析を通して論を展開していく上での最も重要な点――それはMIDIではなく、MIDI文化というメディア空間であることをここで明記しておこう。MIDI文化は既に“振詰楴腟租諧謔(カウンター・カルチャー)としての時代を終えており、また、⊂霾鵐瓮妊ア没入的おたくとしての〈個〉のサブカルチャーの時代も終えつつある。これらの「役割を終えつつあるMIDI文化」は、最盛期当時から現在まで一方で音楽文化でありながら、他方で音楽サブカルチャーと直接関係せず、むしろ別種の領域のサブカルチャー(アニメ、ゲームなど)と深く関係していた。ではMIDIはどのような発展と受容−消費、そして解体の歴史を遂げたのか。さらにいえば、このMIDI文化の衰退はわたしたちの暮らす現代社会のどのような側面を照射し、何を示唆せんとしているのか――それが今後続く本論の目的である。


 

    第2節  音楽、ジャンル、MIDIというジャンル

 

 一般的に音楽は、〈ジャンル〉という単語 によって分類される。しかし、この〈ジャンル〉という単語があまりに多くの解釈を持ちすぎていることから、多くの試みは〈ジャンル〉を巡る問題はそもそも合意には至らない、としている。たとえば社会学者南田勝也は著書『ロックミュージックの社会学』において「ロックとは何か?」と序文に記し、次の様に述べている。

 

     ロックがたんに音楽様式の区分上の一ジャンルにすぎないとすれば……疑問をもたれることもない。「ロック」という言葉がなんらかのライフ・スタイルを表していると思えるからこそ、この問いはさまざまな場面でいくどとなく提起されつづけてきた。……しかし、これがロックであると意見が一致したことは未だかつてない。(南田[2001:7])

 

 ここで南田は、〈ロック〉という〈ジャンル〉において〈ロック〉という概念が合意されえず、〈ロック〉が音楽的な水準を越えた意味を含んでいることを指摘する。これもまた、サブカルチャーの〈大きな潮流〉と決して無関係ではない。

 

     1980年代中期の「記号化の事態」によって、自身をロックであると明言すればロックとして流通する状況が訪れ、「メジャー/マイナー」の差異が無意味化した。……ロックの実践は「漂泊化」し……「本物のロック」の不可能性があらわになった。ロックはどこにでもあるが、しかし、本物のロックはどこにもない。(南田[2001:187])

 

 価値感が横並びとなり、何が価値で何が価値でないのかわからなくなった相対主義――不透明性――の時代では、けだし「いったいそれは何であって、何でないのか」という問いも同様に不可能なものとならざるを得ない。「ロックとは何か?」という問いもまた、あまりに多様化したロックの状況を前に沈黙をせざるを得ないのである。

 問いの多様化、問いの不可能化は同時に、高度に記号化した社会の到来を可能にした情報自由選択社会の現代におけるメタ・クエスチョン、「ジャンルとは何か?」という問いについても同様の帰結とならざるを得ない。

 

     あるジャンルと別のジャンルとの境界というものは、ちょうど国家と国家との境界が恣意的なものでしかないのとよく似て、見れば見るほど実体はなく、たえまなく監視や紛争、略奪や書き換えにさらされています。言い換えれば、現行とは別のルールを少しでも設定すれば、ジャンルの既存性というものは簡単に瓦解する(椹木[1991→2001:65])

 

 この様に、何をもってジャンルとし、何をもってジャンルとしないのかという問いもまた「明言すればロック」との論理と同様に、ある側面においては不透明化しているのである。

 90年代に理想的なものから現実的なものへと認識され始めたマルチメディア化の影響もあり、現在の日本社会において、個人のパーソナル・コンピューターを使用して音楽を聴取するという形態はさほど珍しいことではない。そういった情報社会の波を受けて、音楽、あるいは音楽メディアもまた、他メディアと同様に統制され結合するデータベース的(検索的)構造の中に取り込まれている。

 現在オンライン上で広く利用されている「CDDB」という楽曲名データベース もそれを裏付ける、ひとつ有力な存在であろう。「CDDB」に対応するアプリケーションにおいては、CDを〈入れさえすれば、ただちに〉そのCDの著作権者名、楽曲名、発売年、ジャンルなどが表示される。たしかにこれはユーザービリティの勝利であり、効率的で便利なことではあるのだが、それを使用することに対し発生するデータベース的(検索的)権力について、わたしたちは快楽を越えた留意を向ける必要があるのではないだろうか。

 CDDBでは2005年1月現在、およそ150ものカテゴリーによってジャンルを分類している。しかし、それは同時に世界中の全ての音楽はたった150程度の選択肢でカテゴライズされているということでもあると言えるのである。

 ここで本稿は「ゲーム・ミュージック」というカテゴリーについて論じてみたい(CDDB−ジャンル−"Game")。先に「ジャンルとは何か?」という問いは無効化していると述べたが、未だに一般論としてはジャンルという概念は有効である。演奏される楽器形態、ハーモニー、リズムなどによって音楽は分類されるというものである、等々 。だが一方、ジャズならジャズで、ロックならロックでその内部において「あれは、このジャンル足りえない」という論争が起きるのも常である 。

しかし、ジャンルとしての「ゲーム・ミュージック」をとりあげるのは、決して「ゲーム・ミュージックにもゲーム・ミュージック足りえないものがある」という観点からではない。実は「ゲーム・ミュージック」のジャンルの成立要件は他多くのジャンルのカテゴライズの作法とは決定的に異なる点があるのである。勿論言うまでもないことではあるが、「ゲーム・ミュージック」とは「ゲーム・プレイ中に挿入される音楽」のことである。だが、一般的には〈ジャンル〉というものは、その楽曲の様式や内容によって判断されるものであり、状況によって定義されるものではない。映画のワンシーンに〈ロック・ミュージック〉が挿入されたからと言って、その物語性の如何によって「これは、〈ロック・ミュージック〉である/ではない」という弁別が左右されることはないこと――音楽のジャンルは音楽の内部によって規定されること――がこの好例であろう。すなわち、「ゲーム・ミュージック」もあるいは〈ロック・ミュージック〉である可能性があり、その意味から言えばゲーム中に挿入されるという弁別のみによって、「これはゲーム・ミュージックである」と単純に分類すること――音楽のジャンルを外部によって規定すること――は、一般的なジャンルの意味においては出来ないはずなのである。

 しかしながら、作中に挿入される曲という意味においては「ゲーム・ミュージック」というジャンルは映画、ドラマなどの「サウンド・トラック」のそれと同じなのではないかと反論する向きもあるだろう。確かに、市場において「ゲーム・ミュージック」はそれこそ「ゲーム・ミュージック・サウンドトラック」とジャンル分けされて販売されていることがある。しかし私が「ゲーム・ミュージック」に注目した本当の理由は、そのジャンルの定義といった水掛け論的なものなどではなく、それ以上に注目すべき特徴があったからである。私が興味を惹かれた「ゲーム・ミュージック」の特徴――それは「ゲーム・ミュージック」というものの受容と消費の構造であった。

 

    第3節  MIDIとは何か

 

 MIDIの誕生のきっかけは、1981年秋の楽器フェアにおける国産メーカー数社による「演奏情報の伝達方式」についての会合であった。このときはじめて俎上に載った伝達方式についての協議はその後も継続的に議論が行われ、1982年10月のKEYBORD誌上で最初のMIDI規格として誕生することになる。当初から国際的な規格になることを勘案されていたために最初の規格は英文によって書かれていたが、まもなく内容は日本語に翻訳され、1983年にMIDI規格協議会(JMSC)から出版された。

 

     MIDIは、「Musical Instruments Digital Interface」を略したものだ。電子楽器が相互に通信できるようにするための、コンピュータの「言葉」といえるだろう。MIDIができる前から、楽器どうしを接続するための独自のシステムを設計していたメーカーはあった。しかし、同じ「言葉」を使って話をするシステムは存在していなかった。MIDIは、シンプルなメッセージ(MIDIメッセージ)を使ってデータを送受信する標準化されたシステムで、それまでの互換性のなかったシステムに取って代わるものとして1983年に登場した。(Young[1997:1])

 

 残念ながら現在では音楽著作権管理上の問題からオンライン上では下火になってしまったが、1980年代後半から2000年頃までこのMIDIというプロトコルを利用した音楽配信形態がオンライン上に広く存在していた。この時代においてMIDIという形式は例えばニフティ等を利用するパソコン通信ユーザーに広く知られた存在であり、このような時代においては「MIDIを聞く」と言えば、それは「パソコンで音楽を聞く」ことであり、「MIDIを落とす」と言えば「曲をダウンロードする」ことだったのである。

 しかし、MIDIとはその正式名称(Music Instruments Digital Interface)からも理解できる様に、本来は電子楽器間の信号を制御する規格名のことであり、厳密な意味においては音楽ファイル(楽曲)をそもそも意味するものではない。つまりMIDIはこの時代、拡大解釈され「電子楽器間の通信プロトコルである」という本来の意味に加えて、第二の意味「音楽であり、曲である」という意味を持ったのである 。だが、このMIDIのもつ二重性の指摘、それ以上に注目しておかなくてはならないのは、90年代においては「MIDIを聞く」というメッセージには、「ゲーム・ミュージックを聞く」という第三の意味が含まれていたことであろう。

 MIDIという規格のそもそもは、日本の楽器メーカーが1983年にそれまで煩雑だった電子楽器間の信号をデジタル処理できる汎用性を求めて提唱、設計したものであり、ことの興りから純国産の歴史を持つ。しかし、意外なことにこの純日本的規格であるMIDIは当然使用されるべき音楽シーンでよりもむしろ、プログラムに親和性の高いPCユーザーの方面において圧倒的速度で広まった。MIDI規格は8バイト長のデータを基本とする16進数信号であり、すべての音楽表現を基本的に8bit=256段階の順列組み合わせによって統御できるように設計されている 。初期のゲームは表現手段に制限の多い低容量の条件下を絶対として作られていたので、その意味では「ゲーム・ミュージック」の制作がロスの少ない合理的で効率の良いMIDIによって行われるようになったり、あるいはそれから転じてMIDIということばそのものが「ゲーム・ミュージック」という意味を含むことは特別不思議なことでもないとも言える 。この点においては後ほど詳述するが、そうしたプロトコルとしての汎用性を重視したMIDI規格が1990年代に第三の意味を持ったことは、ある意味では示唆的であり、またある意味では必然的であったのかもしれない。

 

    第4節  日本における情報消費社会化の変遷

 

 高度情報消費社会といわれる今日の時代、しかしそもそも消費社会とは一体何であるのだろうか。消費社会とは一言で言うならば消費が「フィクションの消費」を伴う社会のことである。

 

     まず「消費社会」という概念から吟味してみよう。「モノを消費する社会」が「消費社会」かというと、じつはそうではない。なぜなら、モノを消費しない社会はないからである……消費社会――それはモノの消費がフィクションの消費をともないはじめる社会ということである。……五十年代後半からは、この商品(炊飯器・掃除機・洗濯機などいわゆる3S)を買いさえすれば「アメリカ風の文化的生活が営める」というフィクションが人びとをおおい尽くし、六十年代後半になると、この商品(カー・クーラー・カラーテレビなどいわゆる3C)を買わないと「人並みになれない」というフィクションが席巻した。七十年代後半からは……このフィクションが細分化していくことになる。(宮台[1994:142-143])

 

 ここで述べられていることからも理解できるように、消費社会とは、「モノの価値が虚構的価値によって左右される社会」のことである。日本において消費社会という構造が完全に社会に浸透したように感じられ始めたのは、宮台がここで指摘したように1960年代の後半であった。消費社会の端緒は、それこそ昭和初期においてすでに見られていたものではあったのだが 、そのころの社会はあくまで世界的な危機に瀕しており、ファシズムやナチズム、民主主義や社会主義、資本主義などの大きな対立テーゼがあったため、市井の庶民の生――彼らのライフデザインに関わる問題や、生活――モノの消費の価値とは何であるかというアポリアはそもそも成立すらしなかったと言えるだろう 。

 

     「高度消費社会」とは何だろう。フィクションが消費される度合がますます高まった社会、というわけではない。……「量的」な概念ではないのだ。「高度消費社会」をひとことでいえば、〈物語〉が、商品ごとに、人ごとに、多様に分化した社会のことである。そうした社会では、消費にかかわる動機形成が不透明になってくる。……実際「豊かさ」という言葉でわたしたちがほんとうに言及しているのは、消費の動機形成をめぐるこの不透明性だといっていい。「いったい何でソンナモノが欲しいんだ?」という見通しにくさが、「ムダ」という批判的感覚と「豊かさ」という肯定的感覚を、同時に高めるのだ。このことからしてすでに、高度消費社会化が経済次元での変化に限定された問題ではないことを示している。動機形成の透明性はもっと一般的なコミュニケーション次元における問題だからだ。(宮台[1994:143-144]、傍点部引用者)

 

 しかし、現実的に高度情報社会化されてしまった現在においては、前述した「なぜ生か、なぜ死か」というアポリアは生と死の問題であるがゆえにアポリアとして存在しえないものとなった。幸せの尺度は「ムダ」と「豊かさ」いう不透明性に霧散したのである。それは尺度そのものが不透明性という尺度として相対化され、自明であった社会(性)の準拠枠が解体されたことを意味しているのである。

 社会(性)の自明性とは社会の用意した上昇志向――〈大きな物語〉へ傾倒することへの自明性ということである。〈大きな物語〉についてここでは詳しく述べないが、社会的に自明であるとされているひとつのイデオロギーの前提であり、近代性(というものが存在するとして)のあるひとつの主様態であると説明しておこう 。では、自明性が失われたポストモダン的社会(これも同じように、というものが存在するとして)においてそういった〈大きな物語〉への傾倒はどのように説明されるのであろうか。〈大きな物語〉という表現からも窺い知ることができるように、実は〈大きな物語〉という概念はそもそも虚構的な性格を有していた。物語は何であるかという問いは絶えまざる自己言及self-referenceに陥るのである。〈大きな物語〉が自明であった(かのように思われていた)時代においては、それはこの永遠回帰のメタゲームを社会の自明性の中に回収、無害化することが社会構造的に可能であった。しかし、この高度情報消費社会的近代において自己言及のメタゲームはラディカルなまでにリミッターを持ちえない。それを制限する社会の自明性はもはやどこにも存在しえず、また存在している(かのように思える)としても、相対主義という到達できないメタとしての社会の枠内に準拠せざるをえず、その意味から言って構造的に「物語とは」という問いは永遠的なメタへとなるのである。

 少し話が混み入って来ているので簡単に整理しておこう。現代において〈大きな物語〉とは絶対的自明性の下に存在するものではなく、それが〈大きな物語〉であると説明できる相対的自明性の下に存在するものであるのだ。では、現代的〈大きな物語〉への傾倒はどのような状況説明を被るのであろうか。たとえばある人が〈大きな物語・A〉への傾倒を成功させたとする。しかし、それは同時に本人によって次のように言及されざるを得ない。――「その時の〈私〉には、AとBとCとDとEの選択肢がありましたが、B、C、DはFの理由から、EはGの理由から除外され、選択肢としてAが最適であると判断しました」――これが現代型(〈私〉型)〈大きな物語〉への言及の限界性である。契機すらも自己言及されてしまう悲喜劇、この〈大きな物語〉性そのものにすら宿ってしまう悲喜劇――〈消費〉こそが、高度消費社会と表現されている構造の根幹なのである。そしてそこに情報社会的処世術(マニュアル知―マニュアル身体)としての〈大きな物語〉性への限りの無い没入と、諧謔という所作と知恵に繋がっている可能性 をここで指摘しておく。これは第3章(MIDIの社会学)にて再び論じられるだろう。

 

 

第2章  MIDIという歴史

    第1節  MIDIの受容の歴史分析

        第1項  「個人作曲家」――音楽的MIDI利用

 

     今や100万円以内という設備投資によって、……「プロVSアマ」の"音"のレベルが大差ない録音作品の制作が、ハード・ディスク・レコーダーやA・DATを使ったデジタル・レコーディングにおいては実現しており、とりわけ人声およびアコースティック性のある楽器を用いない、デジタル音源フル活用のインストゥルメンタルであるのなら、まずそれがプロ用レコーディング・スタジオで作られたのか、アパートの一室の"DTM"(デスクトップ・ミュージック)であるか、なんてことは全く問題にならない時代を迎えているのです、今すでに!(斎藤[1995:105])

 

 1983年にMIDIが実際に商用の技術として使用されるようになるごく最近まで、個人の音楽家がさまざまな楽器を駆使することには多くの障壁があった。人間である以上は、「様々な楽器を、同時に、思いのままに演奏する」ということは不可能だからである。もちろん、他者に譜面を渡し、他者によって演奏される形態を楽曲の最終形態とする音楽家がいなかったわけではない。しかし、一般的な市井の個人にとっては、経済的な理由からそのような形態で音楽を創造することは夢の様なものであった。初期から中期のMIDIと音楽の関係もこのような可能性への興奮に満ち溢れたものであったことは資料からも窺い知ることができる。

 

     「芸能」まで至らぬ、自己満足で済んでもいい「芸術」としてなら、どんな音楽を作ろうとも、そのアーティストの自由なのですが、何はともあれ"究極"の"レコーディング・バンド"としてビートルズが様々に活用した、種々多様な「音源」(楽器の音から効果音に至るまで)ですら、今はシンセサイザーとサンプラーおよびその音源ソフトの充実によって、それまた非常に安価かつ手軽である!(斎藤[1995:51])

 

 戦後の高度経済成長による国民的豊かさの追求は「一家に一台のピアノ」というものがステイタスと言うよりは現実的なものとなる契機をもたらした。1960年代末の学生運動時に大学空間で流行した、アパートの一室でフォークギターを抱えて歌われる政治的なプロテスト・ソングなどは第1章で指摘した〈共(われわれ)〉の意識と明らかに結びついた〈メッセージ性〉の強いものであった 。しかし、大衆にそういった〈メッセージ性〉を脱臼した音楽の演奏や創作のありかたが次第に敷衍していった1970年代を経て、音楽の需要と消費の構造もまた、高度情報消費社会の下の不可視な構造の中に包含されていくことになる。

 

     (1970年代においては)〈私たち〉ではなく〈私〉の不安を馴致するツールが、さまざまなメディアで開発されたのであり、音楽の享受に見られた「〈私〉を分かってくれるのはあの人だけ」という相互浸透の形式も、少女マンガの「乙女ちっく」における「これってあたし!」と同様、そのひとつだったのである(宮台・石原・大塚[1993:68])

 

 第1章で既に指摘したように、脱政治化するサブカルチャーにおいて「〈私たち〉ではなく〈私〉の不安を馴致するツール」は1970年代以降一貫して求められてきた。そして、そのツールへの飽くなき渇望が再帰的に更なる欲望を生み出していった。それは音楽文化においてもまた、ポップ化、アイドル化、脱ポップ化、脱アイドル化……と、けだし再帰的なものへとなっていったのである。

 〈共(われわれ)〉の暑苦しさに疲弊した音楽文化の文脈にとって、〈私〉化を整備させる可能性を十分に備えたMIDIという技術は待望されていたものであったと言っていい。メデイアからユーザーへ伝達されるトップダウンの図式ではなく、ユーザーからメディアへ伝達されるボトムアップの図式。〈共(われわれ)〉のメディアから、〈私〉化するメディアへという発想の可能性は、ここにおいて特権階級に限られていた音楽の社会構造、産業構造を組み変えていったことを示している。

 MIDIもまた、当初はそのメディア特性(技術特性)をもってして社会の個人に潜在していた欲望を喚起させ、社会的な可能性を刺激し、組み変えて行くという可能性を提示する技術として受容されていったと言える。

 

        第2項  「パソコン通信」BBS文化とMIDI

 

 しかしこのように社会的な文脈に促され発展した技術的なMIDIは、1980年代後半から少々変わった展開を見せていくことになる。第1章で指摘したように、この時代においてMIDIはパソコン通信と強く結びついていたのである。ここでMIDIとパソコン通信との関係についての議論を慎重なものとするためにも、先ずはパソコン通信がどのようにして生まれ、どのように受容されていったのかを書いておかねばならないだろう。

 軍事的な目的をもったネットワークは第二次世界大戦直後から開発されていたものの、広く一般人に開放された最初のBBS(電子掲示板)は、1973年8月にアメリカのバークレーで誕生した「コミュニティー・メモリー・プロジェクト」であるとされている 。この「コミュニティー・メモリー・プロジェクト」はテレタイプの端末をレコード店に設置し、市民がアクセスして情報を共有できる初のコンピュータ・システムだった 。

 

     レオポルト・レコード店に置かれたのは単なるターミナルではなかった。それは慈愛をもった道具だったのだ!何も知らない群集を、人を息苦しくさせる官僚主義から守られ、温かなハッカー倫理によって豊かに肥えた牧場に導いてゆく羊飼いだったのである。 (小口[1998:55])

 

 レコード店に置かれたテレタイプの古びた端末が新たな世界を創造しうるという興奮は、当時世界的な盛り上がりを見せていた反体制や革命という概念と結合し、ネットワークという技術に「ハッカー思想」と言えるものを根付かせていくことになる。日本ではオンライン上の侵入者という侮蔑的な意味として理解されがちの「ハッカー」という単語も、黎明期においては先進的、革命的な技術者を指すものであった 。いわゆる「パソコン」はこの4年後、1977年になってからようやく誕生するのであるが、パソコン通信前夜の時代において、ネットワークを構想した技術者たちがどのような思想とともに技術を開発していったのか、という点は考慮されねばならないだろう。

 

     60年代から70年代のアメリカは、特に若者にとっては流動的で混乱した時代だった。……ヒッピーの文化がコンピューターの世界と親和性が高いのも、ネットワークという新たなデバイスを通じて新たなコミュニティの創世が図れるといったニューエイジ思想に近い文脈があったからだと言える。(鈴木[2004:219])

 

 鈴木謙介が指摘するように、西海岸的なヒッピー文化とコンピュータ世界の間には高い親和性が見られていた。周知の通り、ベトナム戦争や、カンボジア侵攻に強く反対したヒッピー文化には無政府主義や反体制の思想が見られていたが、レコード店での情報共有システム、つまり音楽という土壌を支えたという意味での「コミュニティー・メモリー・プロジェクト」を開発したリー・フェルゼンシュタインも、またそういった「ハッカー思想」と無関係ではなかった。彼も一方ではアメリカのカンボジア侵攻に反対し、大学を中退したハッカーであったのである。1970年代にハッカーたちによって、はじめてネットワークが構想されたとき、それはある種の〈革命の道具〉として存在していた 。そのことは現在何気なくわたしたちが利用しているインターネットという技術とも無関係ではない。技術は単に技術として存在しているのではなく、技術を支える社会的な土壌があってこそ発展するのである。ならば、日本においてパソコン通信はどのように広まり、どのようにMIDIと結びついていったのだろうか。

 この世界的なネットワークの機運の到来に即し、日本でも1979年にNECのパソコン、PC-8001が売り出された。PC-8001は当時としては記録的な売上を記録し、パソコンを普及させたものではあったのだが、パソコン人口の膾炙と、パソコン通信人口の膾炙の時期は必ずしも一致するものではなかった。パソコン通信が広く一般的なものとして広がっていったのは第二種電気通信事業法が改正された1985年以降のことである 。この年の法改正により、現在のNTTである旧電電公社が民営化され、それまで電電公社と国際電信電話(KDD)の独占事業とされていた通信事業に新規参入が認められるようになった。日本初の商用パソコン通信サービス(アスキーネットなど)がスタートしたのもこの1985年からであったのである。こういった商業・産業的な整備は、同時にアマチュアBBS(電子会議室)コミュニティにおけるパソコン通信文化というものを生んでいくことになる。ではそのパソコン通信文化とはどのようなものであったのだろうか。ひとつ象徴的な例がある。それが1984年から接続が開始されていた「千代田・常盤マイコンクラブ」のパソコン通信実験「ミニデータベース(CANS )」における慣習である。モデムも存在していない当時、電話回線で電子情報をやりとりすることは困難を極めることだった。通信速度も今と比べれば1/1000程度にすぎず、不安定だった回線状況を確認する手段として選択されたひとつの短いメッセージがあった。そのメッセージはシステムと全く関係の無いSFファンタジー小説だったのである。以下に引用するのは当時の実際に表示されていたメッセージである。

 

    ? マイコン SF ファンタシ゛ー ? No.006

    シシャ ノ ミルユメ  : Haradaエリカ :

    ソモソモ シ゛フ゛ンカ゛ ナセ゛ キリノナカヲ

    サマヨッテ イタノカ 、 アレカラ ト゛レホト゛ノ トキカ゛

    ケイカシタノカ ト イウコトサエモ カナリ キオクカ゛

    アイマイタ゛ッタ 。 「 アイマイ・・・? 」

    ソシテ ハシ゛メテ キカ゛ツイタノ タ゛ッタ ・・・・・ 。

    (ワ タ シ ハ イ ッ タ イ  タ゛レタ゛ロウ!!!)(小口[1998:49])

 

 マイコンセンターの伝言版に入り、まず最初に回線の状態を確認するこのわずか256バイトのメッセージこそが、日本初のオンラインSFファンタジー連載小説「シシャノミルユメ」であった。少ない情報量のメッセージで効率よく通信状態を確認、確保していくという意味だけをもつメッセージ――システムのためのコンテンツ、これはメッセージに書かれているメッセージ性、表象を脱臼したコンテクストによって解釈される、いわば「受信完了」のシニフィエだけをもった、ひとつながりのメッセージであったのである。

 この〈メッセージ性を脱臼したメッセージ〉という、諧謔としてのメッセージが前景化したことは当時の社会的な潮流ともまた合致している 。例えばテレビ文化において〈芸(真実のメッセージ)〉を〈あえて〉諧謔して笑う「フジテレビ」的な笑いが新たに生まれたのもこの時期であった。つまり、1980年代においてメッセージの真実性が自明なものではなくなり、真実性とは一見して遠い脱臼された真実こそがより真実のものであるという――メインを諧謔するという――日本的なカウンター・カルチャー的感性が文化全体へと敷衍していったことが、パソコン通信という文化においても顕著であったのである 。テレビゲームを舞台にした初の漫画『ゲームセンターあらし』で有名な菅谷充が、一方ではパソコン通信業者、ニフティサーブのシステム・オペレータを務める先進的なネットワーカーだったように、SFファンタジー・テレビゲームを愛好するユーザーがPC通信と結びついていたことは、当時においては意外なことではなかったのだ 。

 パソコン通信時代のMIDI文化もこうしたパソコン通信のカウンター・カルチャー的な側面に乗って広がっていったことは否めない。1985年以前にもアナログ・シンセサイザーanalog synthesizer をパソコンに接続させるというモデルは存在していたものの、現在にまで繋がるMIDI統御によるデジタル・シンセサイザーdigital synthesizerとパソコンの連携という形は、1989年に発売されたローランド「ミュージくん」以降に初めて実現したのであった。民間用のパソコン通信が登場した時期に最初期の電子音楽コミュニティは誕生していたが、当時の技術的な制約から、MIDIファイルは送受信するには「重い」データだった。そのようなことから、オンライン上で本格的なMIDIコミュニティが発展していったのは1990年代に入ってからであり、そしてこのとき現在言及されているようなMIDI文化、DTM文化が一般化したのである。

 

        第3項  ゲーム・ミュージック、第二、第三のMIDI

 

 1989年にローランド社から発売されたDTMセット「ミュージくん」シリーズは、MIDI文化にとって欠かすことのできない存在であったと言えるだろう。初代「ミュージくん」に付属していたDTM音源(電子楽器)MT-32(資料1)とのまさにことばどおりの結線によって、パソコンとMIDIは初めて結びついたのである。勿論「ミュージくん」が発売される以前にも単体の楽器としてシンセサイザーは存在していた。それがアナログ・シンセサイザーである。今でも音楽をリアルタイムで(それこそアナログで)演奏するプレイヤーには多く使われているアナログ・シンセサイザーではあるが、1983年に一度試みのあったパソコンとアナログ・シンセサイザーを連携させるモデルは、規格の不統一から普及までには至らなかった。そのため日本でパソコンが販売され始めた1980年頃から「ミュージくん」が発売される1989年までは、コンピュータ単体で音楽を演奏させる機能こそあったものの、その機能はあくまでおまけであったと言ってよい 。MIDI以前のコンピュータ・ミュージックといえば音質も悪く、音数も少ない電子音であり、その曲もプログラマーがコードcodeのついでに書いたかのような、数十行のメッセージによって統御されているようなものであったのだ。シンセサイザーという楽器とパソコンがMIDIによって結託したことはパソコンと音楽との関係においてはまさに革命的な出来事であったのである。

 

     DTMが登場したことの最大の革命は、音楽の中で今まで時間軸は絶対にいじれなかったのが、これが可能になったことです。リアルタイムの演奏の場合、タイミングを外したら、それはミスプレイです。だから音楽は時間の芸術と言われます。それをコンピュータの登場で、時間の要素を分けて扱えるという条件が入ってきたため、いろいろな方々が音楽に参加しやすくなった。

 

 音楽の中で絶対であった時間軸を相対化したDTMの衝撃は、MIDIという技術の存在を一般化し、同時に曖昧化させた。MIDIという技術が、…命の規格から、MIDIによって演奏すること(されること)を意味するようになったのもこのときである。連続性としての音楽から断絶性としての音楽へと漸近するMIDI。MIDIは連続性(一回的)から断絶性(複製的)へと音楽そのものを新しく読み変えていったのである。そしてそれは同時にMIDIにおいて音楽が創造createされるものから、編集editされるものへと変容していったことも示している。

 

     今はどんな商品(楽器・音響機材)に限らず、商品の持っている性能の10%〜20%しか使っていただけないことが多いようです。……SC88Pro(電子楽器名)などが難しく感じられるユーザーさんがいらっしゃるというのはメーカー側の責任です。アイスキャンディーのように、食べ易くするために棒を付けて誰でも簡単にペロペロしてもらえるようにしなければならない(ママ)思います。

 

 奇しくも、音をゼロから合成synthesizeする電子楽器シンセサイザーsynthesizerは、その合成への合理的な機能MIDIによって、合成を生産するものから、合成されたものを消費するものへと変容していったのだ。生産する技術としての第一のMIDIから、消費される技術としての第二のMIDIへの変化――〈送り手〉のMIDIから〈受け手〉のMIDIへの変化は、DTM文化自体にも大きな影響を与えた。この変化はMIDIを設計した〈送り手〉からすると思いもよらない事態であったに違いないが、MIDIを生産する〈送り手〉もまた、創作から編集へとMIDIを読み変えていったことは指摘しておかねばならないだろう。編集されるものとしての第二のMIDIは、オンライン上にある音楽を消費する形態を技術革命的な側面だけではなく、カウンター・カルチャーとしてのパソコン通信文化と結びついた技術という、まさに「革命」的な意味において変容させていったのである。

 「ミュージくん」が発売され、「DTM」、「MIDI」ということばが一般化した90年代以降、同じくローランドの「ミュージ郎」、楽器メーカー大手ヤマハの「ハロー・ミュージック」などDTM製品は相次いで販売され、90年代の後半にはDTM製品は大きめのパソコン量販店には必ず揃えてあると言っていいほどのものとなっていた。マイクロソフトのOS(基本システム)ソフトWindows95、Windows98などが普及し、マルチメディア、インターネットといったパソコンの周辺文化が発展、大衆化したこの頃、MIDIは再び新たな位相を見せることになる。その新たな位相とは――ゲーム・ミュージックとしての第三のMIDIである。

 日本のパソコン通信ネットワーク会員数が200万人を超えた1995年頃から、インターネット接続がネットワーク接続の主流となった2000年頃まで、ネットワーク上においてMIDIとはゲーム・ミュージックのことを指していた。カラオケ、CD、テレビなどで発展を続けるMIDIを利用した音楽が頻繁に流れるようになったこの頃においても、ネットワーク上ではMIDIはゲーム・ミュージックのことだったのである 。第二のMIDIは編集されるものとして存在していたことは既に述べた。音楽CDからサンプリングされた素材としての音をMIDI楽器(主にサンプラー)によって再構成したものを新しい音楽とするサンプリング・ミュージック、あるいは歌の歌い手性を剥奪し、楽曲部分のみをMIDIによって再構成した通信カラオケなど、DTM文化のみならずMIDIが一般に膾炙した音楽消費にとっても、編集されるものとしてのMIDIは一般化しつつあった。ならば、この時代においてMIDIはなぜ第三のMIDI――ゲーム・ミュージックでありえたのであろうか。その理由をいくつか挙げるとするならばMIDIは第一の意味においてプロトコル、すなわちプログラム言語のようなものであったため、パソコンユーザーにとって理解しやすかったからであり、▲謄譽咫Ε咼妊ゲーム全盛の時代で、パソコンゲームを自主制作するアマチュアパソコンユーザーにとって最も手軽な言語だったからであり、そして、ゲーム・ミュージックではないMIDIである通信カラオケ、サンプリング・ミュージックもまた当然ながらMIDIであったからだという理由を挙げることができる。音楽におけるMIDIの編集の優位性は、「MIDIであれば」という一点を重要にさせ、そうであったからこそ、ゲーム・ミュージック、歌謡曲、J-POP、あるいは演歌(実際にMIDIで作られている!)であってすらも、ネットワークに流通するMIDIの内容(コンテンツ)を規定しえず、ゲーム・ミュージックとしてのMIDIはネットワーク上において流行し、消費されるものとして存在していたのであった。

 こうして1980年代後半から1990年代にかけて、MIDIは複数の意味をもち、カウンター・カルチャーの文脈として誕生したパソコン通信文化や、当時の社会的な文脈(脱構築やポストモダンというエートス)とそれこそ見事に結線された。そしてこの時、ゲーム・ミュージックという第三の意味をMIDIは持ったのである。MIDI楽器とパソコンと通信環境さえあれば、誰しもが、好きな場所で、好きな音楽を、自由に創造し、発信できるという幻想は、皮肉にもあまりにも魅力的だったMIDIの編集的権力の下に解体されていったのである。

 

        第4項  MIDI――DTMの二次創作化

 

 「MIDI」が「ゲーム・ミュージック」としての第三の意味を持った後、MIDIは二次創作的側面を徐々に強めていく。生産され提供されたMIDIファイルを、MIDIユーザーが任意で編集し、消費されるMIDIファイルへと改変していくことは、これまで述べてきたMIDIの特性上、不思議なことではない。MIDIもまたアマチュア同志で編集され消費されていったコミック・カルチャーや、ゲーム・カルチャーと同様に、MIDIで創造されたMIDIファイルをMIDIによって編集し、消費していったのである。ここではこの現象を「MIDIの同人化」と呼ぶことにする。MIDIユーザーはお気に入りのゲーム・ミュージックを自由に再構築し、発信した。当初はゲーム・ミュージックではないMIDIファイルも勿論存在していたのだが、あたかもノイマンの「沈黙の螺旋モデル」の如く僅か数年でネットワーク上に存在する「MIDI」はゲーム・ミュージックという第三の意味で埋め尽くされてしまったのである 。しかし、ゲーム・ミュージックを指し示した第三の意味におけるMIDIも、実際には演奏され、再生装置を経由し、空気の振動、すなわち周波数レベルで感知するものであったため、その意味から、そもそもMIDIは構造的にオリジナルの「ゲーム・ミュージック」の再現というものが不可能であった。当然ながらMIDIは演奏のためのプロトコル(譜面)であり、楽音そのものであったわけではなかったのだ。どこまでいってもコピーでしかなく、そしてコピーですらないMIDI。ならばどのようにしてゲーム・ミュージックとしてのMIDIは存続しえたのであろうか。ここでMIDIにとって次の重要な局面への移行が起こった。この時MIDIユーザーはオリジナル(絶対的で一回的なもの)に到達しえない、コピー(相対的で偏在的なもの)そのものが孕む根源的不自由性(ベタ)を倒錯的に捉えたのである。オリジナル/コピーという対立項ではない、どちらでもなく、どちらでもありうるシミュラークル としてのMIDI。すなわち、MIDIユーザーたちはここで解釈可能性(ネタ)としてのMIDIを新たに発見したのである。〈オリジナルに忠実なMIDI〉が存在すれば、〈オリジナルに忠実でないMIDI〉はそもそも存在する価値がないはずだが、実際には同じ楽曲の同じ様な品質のMIDIというものが数十〜数百もの数で存在していた。それは一般的に「アレンジ」と呼ばれ、コミックにおけるSS や、やおいもの と同じような価値を有していたのであるが 、ならばこの一見して無価値なMIDIとは一体何だったのだろうか。

 

     二つの項が両端にあるような明確に区分された項より、この残りは円環的で可逆的な構造により多くを反射する。その構造はいつでもすぐ逆転する。そこでは、どれが他の残りかが全くわからない。(Baudrillard[1970b→1984:179-180])

 

 「MIDIの同人化」の後に残った、何であるとも、どれであるとも判別しがたいMIDI。しかし、それこそがゲーム・ミュージックとしてのMIDIを強く支持したものであったのである。MIDIにある編集的権力、それは絶対的な二つの項〈オリジナル/コピー〉すらも解体する。オリジナルではなくコピーでもないMIDI、しかし同時に、オリジナルでありコピーでもあるMIDI。このシミュラークルの快楽と享楽こそが第三のMIDIの消費の背後に存在する最も大きなものであったのである。ここで「MIDIの同人化」の過程において、もうひとつ重要な存在であった「GM(General MIDI)」の存在を挙げておく必要があるだろう。90年代のMIDIは、統一規格であるMIDIを更に推し進めたGM規格に準拠して表現されるのが通例だった 。GMは汎用性を重視し、MIDI以降にもメーカー毎に存在していた特殊性を排除した規格だが、MIDIユーザーはその不自由性により可能性が縮減する性質にまたもや新たな「遊び」を発見したのだ。言い換えれば、彼らにとっては、MIDIの可能性(創造性)がさらに不可能(ベタ)になっていくことは決して否定されるべきことではなかった。こうして〈ネタ(編集されるもの)〉として最適だったGM-MIDIは、不自由なものであったのにも関わらず一般化していくことになる。このMIDIの不自由化とGM-MIDIの流行の奇妙な相関関係に、「競演のための舞台の設定」という状況(メタ)背景を見ることはできないだろうか。

 

    第2節  〈送り手/受け手〉の「MIDI」――インタビュー調査

 

 では実際には当時のMIDI文化とはどんなものだったのだろうか。1995年〜2000年頃までのMIDI文化と深く関わっていたM氏とW氏の二者にお話を伺うことができた。少し長いが以下にそのインタビューを引用しつつ、当時のMIDI文化の状況を概観してみよう。

 なお、インタビューは2004年11月中旬に兵庫県三木市で対話形式で行った。W氏は1997年頃からゲーム・ミュージックとしてのMIDIに関わり、M氏は1996年頃からMMLに、1997年頃からMIDI文化全般に関わり、2005年の現在もMIDI文化圏で積極的に活動している。

 

【MIDIユーザーとMIDIの歴史】

 

    藤田(以下――とする)1983年にMIDIが誕生した後、しばらくはMIDIはそれほど一般的なものではありませんでした。ネットワーク上でMIDIが一般化した経緯はどんなものだったのでしょうか。

    M 最初に「MSX Basic」というレジャー色の強いPCがあって、それがかなりマルチメディアに傾倒していたパソコンだったんだけど、おそらくはそれがコンピューターで音楽をすることが一般化した最初のきっかけだったと思う。最初はパソコンで音楽と言えばMIDIではなくMMLであったりしたわけだし。

    W パソコン通信の存在は大きかった。当初はそれこそ「草の根BBS」だったんだけど、たとえばあるコミュニティの有力者が九州にいるとする。そうするとネットワークにアクセスするための電話番号が「09」になっていたりするわけで、北海道からアクセスするには毎回わざわざ長距離電話をしなければならないという悪条件だった。

    ――MMLからMIDIへの変化が見られ始めたのはいつ頃だったのでしょうか。

    W 95年くらい……かな。Windows3.1の時代からMIDIファイルは一応再生はできたんだけど、Windows95の後期からWindows98の時代にかけてWindowsにInternet Explorerが付いた。あれでマルチメディアの可能性が一気に現実的なものになったというのは大きかったと思う。MIDIにとってWindowsの存在は大きかったよ。当時は音楽の内容ももちろんなんだけれども、パソコンのスペックがそれ以上にMIDIがどうなるのかを語っていたのかもしれないね。

    ――Windows3.1ということは1993年以降ということになりますね。パソコン通信の全盛期が1995年頃ですから、パソコンの発展があってのMIDIだったというわけですね。ただ、1995年頃には一般的ではないものの商業音楽や通信カラオケにおいてはMIDIはすでに普及していました。DTMという概念が生まれたのが1989年、GMが誕生したのが1991年ですが、このGMという技術はMIDIにとって大きかったのではないでしょうか。

    M 大きかっただろうね。たとえば今でもGMに準拠していないシンセサイザーは、多くはプロのプレイヤーがシンセサイザーを購入していく。同時に色んなパートを演奏するわけではないからMIDI音源の様に「同時に、様々な音」を出す必要がない。様々な音を出す必要がある場合は……プロだから、マルチトラック(多重録音)を使っていたよね。MIDI音源はそういったマルチトラック(多重録音)をマルチティンバー(多重演奏)として代替させる技術としてGM、GS、XG を発展させていったんだと思う。まあハードのスペックの問題だったから、現在のように安価で多重録音できるように技術が進歩していくとGMなどは廃れたんだけど、かと言ってGMがなかったら今のMIDIはここまでになっていないんじゃないかなあ。

    W 音源で言ったらRolandのMIDI音源、特にDTMのデファクト・スタンダードにもなったSC-88シリーズ(資料2) はMIDI全体に強い影響を持っていたけど、PCで録音が可能になりはじめた2000年頃に発売されたSC8850などは赤字だっただろうね(笑)。

    ――GMなどの業界の進化にともなって、MIDIも発展していったと……。

    M いや、業界の進化というよりもパソコンの進化の方が要因としては大きいかなあ。音質的にはもうピークだからね。逆の意味ではコンポーザー(作曲者)の腕前が試される時期がようやく戻ってきたんだけど。DTM時代はハードの制約があったんだけれども、その限られた音や表現の中でいかにいい音で曲を作るかということに試行錯誤していたからね。そういう表現上の細かい定義は、MIDIファイルの先頭に書きこむんだけれども、そういったデータを制作者側が再び開いたときに「バーン」と視覚に訴える威圧感というのはあったと思う(笑)。

 

【第三の意味のMIDIに根付いたDTMコミュニティ】

 

    ――90年代にオンラインに存在していたMIDIの多くはゲーム・ミュージックだったそうですが、それに関してはどの様な状況だったのでしょうか。

    M いまでも「MIDI」はそうかもしれないけど、ゲーム・ミュージックには不思議と固定リスナーが着いていたことが多かったな。これには良い点と悪い点があったと思う。どうしてなのかはわからないが、ゲーム・ミュージック・リスナーはゲーム・ミュージックオンリーという風になるところがあって、それ以外の音楽に目を向けない傾向があったと思う。例えば音楽のジャンルとして「ダンス」をとることなんか普通でありふれているのに、「ダンスを持ってきたアレンジャー(編曲者)はすごい!」となっていたね。……現在の2ちゃんねるで言えば「神キター! 」とでも言えるような(笑)。

    W DTMだけで音楽を制作しているような人は多くの場合、楽器が弾けなかった。それゆえにMIDI文化を支えたハードとしてのPCの能力が著しく向上した2000年頃には、「MIDIっぽいMIDI」に生演奏された楽器が録音されていると人気が出やすかった。

    ――ということは、MIDIリスナーはそれほど音楽に詳しくなかったということでしょうか……。では、オンライン上にMIDIを発信している〈送り手〉側のアレンジャーについては、どのような感じだったのでしょうか。

    M 全体的に、あくまで音楽のテクニック的に見ると、MIDIの〈送り手〉側も水準は決して高くなかったと思う。中間層が多すぎた。いや……中間層というか、初心者、中級者が多く居るなか、他方で圧倒的に飛び抜けた実力をもっている人が居たりしていたな。まあ、だから、基本的にはというか、全体としては電波系というか、どうにもイケてない感じがあったことは否めない。

    ――〈送り手〉側も決して音楽に詳しかったわけではないのですね。それは商業音楽と大きく異なっているところだと思います。世代的にはどんな年の人が多かったように思いますか。

    W 僕らがDTMをはじめた1998年頃って、僕らがほぼ最年少だったんじゃないかな。……16歳くらいの高校生は居なかったと思う。その当時、DTM文化の主流を担っていたのは当時の20代半ばくらいじゃなかったかと思う。自分でパソコン通信をやってる人が多かったというのもあるんだけど、単にパソコンで音楽ができるということに気づいて乗り出していったという人が多かったんじゃないかな。

    M それと、当時は女性が圧倒的に少なかった。まあ何にせよ自分らはその後に生まれてきたという世代ではあると思う。

    ――パソコン通信ユーザーが居たところに、たまたま利用できる技術としてMIDIがあったということでしょうか。それなら、やはりWindows以前の技術であるMMLユーザーなども多かったのでしょうか。

    M MMLの頃のユーザーがそのままスライドしてきたかと言うと必ずしもそうではないと思う。うまく移行できた人とできなかった人が居るんじゃないかな。……MMLは本当にコードだったから。

    W 数分の曲がわずか60行のコードで書かれるような世界だから(笑)。

    M 自分の兄なんかはうまく移行できてるな、というところはあるんだけど……。決してすべて移行したわけではなかっただろうね。MIDIは結構音楽性を要求されて敷居が高かったから。

 

【ゲームの時代、ゲーム・ミュージックの時代としての90年代】

 

    M 今から考えると社会人がFF とかの楽曲をちまちまMIDIに起こしていたのか、と思うとかなり微妙な話ではあるよね。おまえたち本当に遊んだのか、と(笑)。

    W どちらかと言えばみんなが「ファイナル・ファンタジー」をやっていた、ゲームをやっていたという時代だったということだと思うけど。

    ――確かに「ドラゴンクエスト」や「ファイナル・ファンタジー」などのゲームをやっている人は多かったし、僕もやっていました。

    M だからむしろMIDIで「ファイナル・ファンタジー」が流行したというよりは「ファイナル・ファンタジー」に人気があったというか(笑)。……まあ、ひとつ大きなインセティヴとしてファイナル・ファンタジーの曲は「聞いてもらったら何の曲かわかる曲」だったから、というのはあっただろうね。

    ――しかし、「聞いてもらったらわかる曲」という点だけならば、邦楽もメディアから流れているわけですし、それこそ誰が聞いてもわかる曲ではなかったのかと思うのですが。

    M うーん……。邦楽もなかったこともないんだけど……。初期の時代には結構邦楽のMIDIデータなんかも多かったんじゃないかな。純粋なカラオケも結構多かったような記憶がある。……まあ聞いてみると結構ショボかったというのはあったかもしれないね。ネットにアップされている邦楽のMIDIデータって、データとしてのクオリティがいまいちだったのが多かった。ゲームにはめちゃくちゃうまい人が多かったからね。邦楽のMIDIデータって市販されているスコア(楽譜、譜面)を丸写しした、データとは言えないようなものばっかりだった。邦楽MIDIを作ってる人のホームページなんかも、見に行ってみるとなぜかMS明朝体とワードで書かれていたりして(笑)、いまいちなページが多かったな。

    ――なるほど。邦楽のMIDIの質が高くなかったので、MIDIといえばゲーム・ミュージックになっていったと。やはり〈送り手〉にもゲームの影響があったということでしょうか。

    M いや、たしかにMIDIリスナーにはゲーマー(ゲーム愛好家)が多かったけど……、MIDI制作側は決してバリバリゲームやってたような人間じゃなかった。必ずしも純粋にゲームが好きな人がMIDIを制作していたとは言えないと思う。

    W たとえば「ファイナル・ファンタジー」の5や6、あるいは7などは、ゲーム・ミュージックでMIDIを制作すれば、自分のサイトの集客として使えたという向きがあったと思う。それだけの集客能力があったということ。

    ――つまりホームページの広告としてMIDIを利用したと。

    W そうだったと思う。「ファイナル・ファンタジー8」には正式に発売される前に、その会社の別のソフトにおまけとして体験版がついていたんだけれども、ゲーム購入者全体のうち3割がそのゲームを目的に、5割がFF8の体験版をプレイするために、そして残りの2割が体験版の音楽を聞くためだけに購入したと言われていたりする(笑)。「ファイナル・ファンタジー」以外の大作ゲームのサウンド・トラックが発売されるときにも似たような現象があって、MIDI制作者はサントラが発売されるやいなや、イの一番に状況と曲を一致させたリストをサイトにアップロードをしたりしていたしね。そういったものを網羅すると情報発信者になれた、という時代があったと言えるんだと思う。

    ――ゲーム・ミュージックを発信することが、ある意味ではジャーナリスティックだったということですか。

    M そうとも言えるかな。それで言えばCMCというDTMの中では中心的な位置を占めていたサイトがあった(資料3)。これはユーザーが無料で登録できるリンク集みたいなもので、CMCに登録しているMIDIユーザーが各自のサイトのhtmlでmeta(メタ)タグを設定して、それをCMC側が自動取得して、サイトの煩わしい更新を省くというシステムを持っていた。……まあいまで言うとRSS のようなものが近いかな。あと、加えて言えばCMCという〈場〉以外にも、例えばMIDIファイルプレイヤーとしてTMIDI(資料4)というソフトがMIDIリスナーのデファクトスタンダードになっていたりしていた。

    W 確かにそのころMIDIファイルに付属しているドキュメント(文書)には「再生にはTMIDIを推奨」などと記してあった。当時、ネット上のDTMカラオケMIDIデータ配布のカタチとしてWRDという形式があって、さらに画面の色数の制限が16色までOKなのと256色までOKなのと、2種類の選択肢があった。256色が普及したのは1998年くらいかな。後期の256色の方はTMIDIでも動いたんだけど、それ以前の16色のはWindowsじゃなくて……、むしろDOSでしか動かなかったから(笑)。

 

【「MIDIの同人化」、〈場〉としてのMIDI】

 

    ――DTM文化において、ホームページを中心としたコミュニティがあったことは、調べるまで知りませんでした。

    M まあMIDIコミュニティのおもしろいところは、それが何の金にもならなかったところだけど。有名になろうとするでもなく……ある意味では非常にマヌケだったなあ(笑)。だけど、DTM以外のコミュニティにここまでの規模になったのはなかったんじゃないかな。流通センター的なものが存在していて、それらに影響力が確かにあったからね。CMC、Eternal Wind、げ〜む音楽図書館 という中心があったことはMIDIコミュニティにとってかなり大きかったんじゃないかな(資料5)。

    W いや、でもMIDIだけではなくて、絵(CG)の世界にも結構大きな盛り上がりはあったと思うよ。ただ、絵の場合はかなり乱立していて、コミュニティと呼べるようなものがあったかと言うと、決してそうではなかったと思うけどね。

    ――しかし、音楽市場へとDTM文化が踏み込んでいったわけではないんですよね。

    M そういえば絵とMIDIを比べて考えると、同人でMIDIを売るという人は昔は少なかったね。市場には踏み込まなかったのは確か。だから、MIDIが同人市場を開拓していったのは割と最近だったような気がするね。2000年頃に「げ〜む音楽図書館」でネット上に存在しているゲーム音楽の二次創作MIDIを集めてコミケ で販売するという企画があったんだけど、あれが同人市場にMIDIが踏み込んだものとしては最初でしょう。まあ、あれは自分も参加していたんだけどね(笑)。

    ――二次創作が話題になっていた時期なのに意外ではありますよね。オタク・マーケットの歴史はそれこそ結構長いですから。

    W と言ってもパソコン通信時代のことはまあそんなによく知っているわけじゃないんだけど……ただ、このCD(資料6、7)なんか印刷屋にちゃんと出しているし、プレスされたものだしね。フォントも明らかにMacを利用したものだし、GMLさんのこのCDがその後の現象の火付けになったというか、同人のパワーみたいなものを感じさせるものになってるというか(笑)、まあそういうものにはなってる。このGMLのCDは特別としても、コンシューマーレベルで安価にCDを焼けるようになったのは確かにそのころのことで、コミュニティにハードが追いついてきていた時代ではあったと思う。

    M このCDも確かコミケで100万円くらいの売り上げがあったんじゃなかったかなあ。

    ――このCDを含めた同人MIDIのCDは、実際にはどのような感じで制作されたのでしょうか。

    M このCDなんかが企画されていた2000年頃には、MIDIユーザーにとって自宅録音はまだ高嶺の花に近いものがあった。実際にCDに収録する時は、アレンジャーは音声ファイルではなくてMIDIデータそのものを送って先方で録音してもらっていたな。MIDIユーザーならば、必ずこの音源(ハード)を持っているという〈常識〉のようなものがあった時代だったからこその習慣だろうけどね。そういえばその頃そこに参加していた、ある制作者は現在のネット音楽の状況を「オーディオ台頭志向とプロデュース志向が増えすぎていて、そもそものMIDIが疎かになっている」なんて嘆いていたな。

    ――「そもそものMIDI」とはおもしろい話だと思います。

    W まあ当時は、ゲームメーカーの作曲者側でも十分な機材を使っていたとは言えなくて、ハード的な制約や、もちろん予算の制約もあって、シンプルな音楽が多かった。そういう音楽は音が聞きとりやすかったんだよね。邦楽や洋楽は色々音が入っていて聞きとりにくいから(笑)。だから、MIDIユーザー側が耳コピ して再構成してもある程度の形にしすかったのがゲーム・ミュージックだった、というのはあると思う。ついでに言えば同人市場は記録が残らないので著作権法違反の商品があったとしても訴えにくいというところがあって、それがMIDIの同人市場への参入を後押ししていたところもあると思う。……まあ、と言っても、ゲーム・ミュージックの大半はJASRAC登録曲ではなかったし、同人で売っていたCDに収録されている曲は、そもそも著作権フリーな会社の曲が多かったから。

    ――ゲームミュージックとしてのMIDIの発展も、著作権管理の問題と、楽曲の構成の問題に分かれるわけですか。では、最後の質問になります。90年代的なMIDI文化を楽しんだMIDIユーザーは、現在、どこへ行ってしまったのでしょうか。

    M ケータイの着メロを作成したりとか……それだけではとても食えなそうな音楽の仕事をやってそうだね。それなりのクオリティのMIDIを作成していた人に企業から楽曲作成でオファーがこないこともないんだけど、あまり音楽著作権を大事にしない企業……まあ、同人での販売を黙認、公認して、事実上で楽曲の著作権を手放しにしちゃうような企業からオファーが来るかなあ。これって商業的にはありえないよね(笑)。コミュニティが大きすぎたので仕事として食べている人はあまり居ないだろうね。いや、仕事をしている人も居ないことはないが……その仕事っていうのも、同人なのか会社なのかよくわからないところが多い。

    W 同人か会社か、といえばTactics、Leaf、Keyといったギャルゲーの会社なんかはweb方面のPowerがすごいね。1000万アクセスくらいはある。これらはなぜか全部関西に本社があるんだけれど(笑)、IRとか非公開なんだ。正規の流通ルートよりも同人の流通ルートに載せた方が儲かるんだろ。ランダムアクセスよりも囲い込み型だからそうした方が売上も累乗っぽくなるんじゃないかな。

    M それにしても、あれだけの同人の規模を持ちながら社会的にはいまいちというのは少し可哀想なことではある。時間を掛けてるオリジナルよりもコピー(アレンジ)の方が売れるし……。

    ――MIDIはギャルゲーの方向に吸収されてしまったと。

    W 加えて言えばギャルゲー以外の曲でやりにくくなったのも大きい。JASRACの都合でMIDIファイルも著作権侵害物として違法とされるようになったからね 。こちらが作らなければならないんだからMIDIは本当は全然別物なんだけれども。

    ――JASRACの「MIDIで作られたコピー曲もダビングと同じく二次創作である」という見解の影響はやはり大きかったようですね。

    W だから、そのあたりの構造を考えると……スパイラルというか、循環しながら再生産が進んでいるような感じかな。本来的には作曲者はJASRACに登録した方がお金が入るんだけどね。

    M いまゲーム音楽をやりたいんだったら自分たちで巣を選ぶべきなんですよ。ある程度自分たちでフィールド作った方が楽しめるし、いつまでもアレンジにこだわるのもおかしいと思うしね。……というか、最近では「オリジナル」であるはずの「ファイナル・ファンタジー」の楽曲がどうもオリジナルに感じられなくなってきてる。まるでどこかのサイトにアップロードされているMIDIデータを聞いてるみたいなんだよね。だからいまの「ファイナル・ファンタジー」の二次創作って古い時代の残りカスを見るようなもんなんだよな。まあ、何にせよ、割とオタク方面というか、ギャルゲー方面にDTM文化は統合されてしまったのではないかと思う。苦い夢というか……何が何でもゲーム・ミュージックを作りたい人は同人へ行けばいいんだよね。その代わりそのワールド止まりだけど。

 

 専門用語の多さに目を回されたかもしれないが、このインタビューから新たに判明したことを受けてこの章の結論とし、整理・指摘しておかねばならないことがある。それは90年代MIDIにおける〈場〉の存在である。ここまでMIDIはある側面においてはMIDIの技術そのものや、パソコン通信技術によって発展してきていたと書いてきたが、ポスト・パソコン通信の時代においてはMIDIはインターネットの技術発展それ以上に、インターネットの〈場〉の存在によって発展したのであった。このことから、MIDIが90年代においてゲーム・ミュージックであったことが最も重要なのではなく、MIDIがインターネットにおけるホームページや、パソコン通信、同人コミケットと密接に結びつき、市場が介入しない組織の〈場〉において発展したことこそが最も重要であったのだとの結論が得られるだろう。

 この章の結びとして次のようなまとめをしておこう。生産から消費へ――〈送り手〉の〈技術〉から、〈受け手〉の〈場〉へと変容したMIDIは、同じMIDIであるというだけの共通項で括られてしまういくつかの文化を持つことになる。たしかにMIDIは技術である。カラオケにもサンプリング・ミュージックにも送り手の技術としてとはいえ、MIDIは使われている……だが、それらは明らかに別々の小宇宙であるのだ。サンプリング・ミュージック、ポップ・ミュージックは市場の論理で動き、ゲーム・ミュージックは組織の論理で動く。この〈市場−組織〉の指標に、これまで議論されてきた〈共−私〉の指標を用いると、この図1のような類型化をすることが可能ではないだろうか。〈われわれ語り〉のツールとしてのMIDIから〈自分語り〉のツールとしてのMIDI。そう、〈ゲーム・ミュージックとしてのMIDI〉が興味深いのは本来ポップ・ミュージックと機能を同じくした〈ゲーム・ミュージックとしてのMIDI〉が、極私的な方向へと短時間で移行(窟犬悒侫А璽紺楾圈砲掘△修靴討修譴罎┐冒蠡于修気譴討靴泙辰燭箸いε世砲△辰燭里任△襦

 

第3章  MIDIの社会学

    第1節  メディア論としてのMIDI

 

 憲法学者レッシグが指摘したように、プロトコルにはその規格ゆえの権力性が存在する。これは彼のことばでアーキテクチャarchitectureと呼ばれ、一般的にはhttpに代表されるインターネット・プロトコルや、オペレーティング・システム(OS)において認識されるものである 。しかし、このアーキテクチャの概念はむしろその周辺領域においてこそ影響が顕著であるとは言えないだろうか。例えばMIDIを受容する行為におけるア−キテクチャをレイヤーlayer 毎に分析すると、第一のレベルとして聴覚上(楽音レベル)の段階、第二のレベルとしてOS・ファイルシステム上(MIDIファイル)の段階、第三にビット/バイトデータ上(電子情報)の段階というものが考えられる。ここで第三の段階を汎用性の持つ一般権力として認識し、月並みに警鐘を鳴らすこともできるだろう。しかしここまでの議論から、むしろMIDIを受容する受け手に宿る感性――メッセージの内容を脱臼し、〈あえて〉楽しむという感性こそが指摘されるべきであるとは言えないだろうか。

 

     (メディアの受け手性の問題系において重要なのは)‥礎(様式)次元は「意味」をコミュニケートするうえで付随的なものではなく、とりわけ伝達/情報―差異が明示化するMC(Mediated Communication)においては伝達次元の作用が情報内容を規定する側面に留意すべきであること、⊆け手はたんなる情報次元での意味解釈者ではなく、伝達/情報―差異を観察しそこから意味を理解する「観察者」として複相的に捉える必要がある(ことである)(北田[2004:29])

 

 私たちは通常メディアを巡る思想や言説mediumを〈受け手性〉audienceの問題系としてとらえる。そこで取り沙汰される問題系とは、伝達するメディアの媒介は意味に付随するものにすぎないという問題系である 。だが北田は、重要なのは媒介により意味が質的に規定されてしまうというという「伝達の次元」の問題の軽視から発生する、「伝達様式についての情報の次元」の軽視であると指摘する。つまりメディアとしてのMIDIの分析においては、MIDIに内在する「伝達」形式への考察と、そしてMIDIを社会的に構成する「伝達の言説の様式」への考察こそが重要であり、必要とされているのである。

 MIDIの伝達――MIDIのアーキテクチャに宿る暴力性を指摘する第一の重要性は、その指摘そのものがアーキテクチャによって不可視なものとならざるを得ないという点にある。メディアを巡る言説の暴力性の例は幾ら紙幅を割いても足りないほどに挙げることができるだろう。しかし、それがメディアを巡る言説というそのものに対しての――メディアのメディア性に宿る暴力性における例ではどうだろう。あるいは、メディアのメディア性に宿る暴力性という言説における暴力性であるならばどうだろう。おそらく一般的な数ではないのではないだろうか。アーキテクチャに宿る権力、それはアーキテクチャが言説に左右されず、アーキテクチャの論理に基づいて構成されてしまうという問題である。それはMIDIが技術であるがゆえに技術の論理によって構成されていくことであり、MIDIが使いやすい方向へと〈受け手〉の論理を経ずにアーキテクチャの論理で発展していくことである。それはこうも換言されるであろう――アーキテクチャの暴力性とは「使いやすいという権力」である、と。

 では実際にはMIDIに宿る暴力性とは具体的には如何なるものなのだろうか。以下に実際のMIDIシーケンスソフトの画面を用いつつ少々の考察をしてみよう 。

 通常MIDIファイルを作成するMIDIの〈送り手〉は、MIDIシーケンサー(sequencer)というソフトを使用する。MIDIシーケンサーにはエディタというものが複数存在し、ユーザーはそれらを用いて実際のMIDIファイルを作成していく。先に指摘した第一のレベル(楽音レベルの段階)に対応するのはノーテーション(楽譜型)・エディタ(資料8)である。このエディタはMIDIを音符によって表現する。すなわち視覚的には楽譜と同一であるという点から、楽音的な感覚(聴覚)に最も近いものと言えるだろう。第二のレベル(MIDIファイルの段階)に対応するのはイベントリスト・エディタ(資料9)である。これはMIDIデータのメッセージをそのまま表示する形式をとっている。しかしここで注目されるべきはこれもやはり実データではないという点だろう。第三のレベル(電子情報)に対応するのはMIDIエディタではない。前述した2つのエディタの深層にあるMIDIそのものをバイナリ・エディタというソフトを利用して表示したものである(資料10)。16進数で表示されるこのウインドウは最もMIDIそのものに近い。だが、これも実際にはMIDIそのものではない。MIDIがプロトコルである以上MIDIは絶対的に不可視であり、MIDIそのものを表示することは不可能であるのだ。

 

     コンピュータのスクリーンに代表される超平面的な世界は、平面でありながら、同時にそこから超えるものも並列して並べてしまう。(東[2001:154])

 

 つまり、これら3つのエディタの画面はそれぞれが同程度にMIDIそのものを表し、同程度にMIDIそのものから遠いこと――全てが表層であり、同時に全てが深層であることを表しているのだ。メディアとしてのMIDIに宿るアーキテクチャとは、可視的なものとしてはMIDIが存在しえず、しかしそうでありながらもMIDIが存在するという状況の論理である。MIDIという「伝達」の技術に宿る暴力性の軽視は、暴力性というものの理解をさまたげる。そしてそれは同時にMIDIにおけるコミュニケーションの理解をさまたげることを示唆する。MIDIがどんな技術であり、どんなメッセージを持ちうるのかという理解は実際のところ、大勢の知るところではなく、知るべきところでもないだろう。だが、技術、媒介、伝達というアーキテクチャの論理がアーキテクチャの論理そのもので作動しているということへの理解は情報社会における「情報」とは何であるかを理解するのに絶対に必要とされるものであろう。情報とは不可視なものであるという当然のことは 、メディアとしてのMIDIが示唆する状況が、またメディア一般の状況を示唆しているという状況を証明するものでもあるのだ。

 

    第2節  「ベタ」化するMIDI

 

 前章のインタビューから理解されるように、MIDIにおける「アレンジ」曲は、通常私たちがメディアで耳にする「アレンジ」曲とは少し趣が異なっている。二次創作であるため著作権法の了承を得ていないという〈法律上の問題〉からという意味ではない。もっと本質的な〈楽曲構成の問題〉として両者の「アレンジ」に含まれている意味が違うのである。通常私たちが耳にする楽曲の「アレンジ」とは正確にはarrangement、すなわち編曲行為のことだが、MIDIの「アレンジ」とはむしろediting、すなわち編集行為に近い。MIDIにおける「アレンジ曲」において楽曲を構成する重要な要素であるフレーズphraseがオリジナルと全く同じであることは特に珍しくはない。曲が一緒であり、音程、音量が一緒である。しかしならば二次創作としてのアレンジ性、すなわち編集行為におけるオリジナルとの差異性や、第三者としての他者との差異性はどこに存在するだろうか。

 実はMIDIの「アレンジ」においては不自由性、前述した権力として認識される第三の段階に差異性が存在するのである。汎用性としての規格上で――それはそもそもの不自由性であるメタ的設定背景を持つ舞台上で、いかに効率よく〈遊ぶ〉のかが問題であり、そのあえての〈遊び〉こそが、前章までに指摘した90年代的MIDIにおける正統的な楽しみ方だったのである。MIDIの「アレンジ」曲を楽しむ次元において「舞台が何であり、何の意味を持っているのか」はさして問題ではない。その次元においては、舞台上であるかどうかが最も本質的な問題なのである 。

 ここで「2ちゃんねる」というインターネット上の匿名掲示板のメディア空間を分析した北田暁大の次の様な指摘を引用しておく必要があるだろう。

 

     80年代的なメディアに対する皮肉な態度と、2000年頃から前景化する反マスコミ主義とは、完全に同じものではない。……確認しておくべきことは、80年代的《巨大な内輪空間》の共同性があくまでマスメディアによって担保されていたのに対して、2chの行為空間はそうした担保を微妙な形で無価値化しているという点である。(北田[2003:120])

 

 北田は「過剰な情念」に満たされた2ch(2ちゃんねる)空間における「いわゆる岩波・朝日的な感性に対する2ちゃんねる的なツッコミのフォーマット 」の文法的な構造を指摘する。80年代のメディアに対する皮肉的な犬儒主義cynicismはメディアの存在を前提としたメディア準拠的な性質を持っていたため「「愛ゆえのシニシズム」とも言うべきアンビバレントな心性」を有していた。しかし、2ちゃんねるに見られるシニシズムはこの80年代的な犬儒主義とは完全に一致するものではない。

 

     純化された形式主義者たるかれらにとって、『朝日』が「何を」書いているか・意図しているかは実はそれほど重要なことではない。もし仮に『朝日』がらしくないことを書いていれば、「それも『朝日』の狙い」といった具合に陰謀論的に処理してしまえばよい。いかなる内容を持った記事であっても、それが『朝日』に掲載されている限り、いわば文法的に『朝日』を嗤うコミュニケーションのネタとして機能してしまうのだ。(北田[2003:123])

 

 すなわち彼ら2ちゃんねるユーザーたち(2ちゃんねらー)がコミットしている2ちゃんねるというメディア空間においては、提示されたメッセージはメッセージの内容がどうであれ、そのメッセージがずらされ、はぐらかされ、コミュニケーションのネタとして情報が消費されてしまうという文法的構造(エクリチュール)に支配されているのである。それは犬儒主義と呼ぶにはやや捩れがあり、むしろ正確に表現するならば相当しない 。2ちゃんねるに見られる文法的構造とは、情報の伝達次元において〈ただ、戯れる〉という構造に乗ったまったく別種のものなのである。つまりそれが構造である以上、それは思想や言説ですらないのである。2ちゃんねるに跋扈するこの種の戯れとMIDIユーザーの本質的な問題――「舞台上であるかどうかが最も本質的な問題である」という問題――との間に奇妙な蜜月関係を見出すというのは穿ち過ぎというものだろうか。

 

    第3節  MIDIと近代的理念

 

 ハイデガーを引用するまでも無く、ヘーゲルにおいても「人間」とは自己意識、つまり過去−現在−未来という直線的時間軸(クロノス的時間軸)を念頭に置いた、鳥瞰的視座における〈私〉の理想――私もああなりたいという理想――を意識する存在のことであった 。これはその後マルクスから現在まで続く(/続いていると思われている)真っ当な近代的な精神であるとも言えよう。ポストモダン、あるいは後期近代とも呼ばれる現在において、そういった進化を過程する、社会進化論(ダーウィニズム的社会論)的存在としての人間観(すなわち社会主義的な人間観)は有効なことばとして社会に対して機能していない 。しかし、他方、あくまで記号的な消費社会論、際限なき永遠回帰のメタ・ゲームに陥らざるをえない人文知に対する批判、及び日本における1980年代的なポストモダニズムの凋落など、社会の全体性を描写することばへの希求、その精神そのものが現在においてはまったくの現実性actualityを持たないことは、第1章で述べたように残念ながら事実である。世界にアクセスする知識人たる大文字の「知識人」、あるいは世界の彼岸に到達しえる人間へ至る精神修養、それは近代疑似科学と揶揄されることのある精神分析の20世紀的流行が示したように、ことばの特権性への浅ましい表出の一部でしかなかったとのだ、とすら言えてしまうのである 。近代的なラカン派の精神分析における概念を用いれば、この状況は想像界的現実と現実界的現実を架橋する象徴界的現実の衰退といった指摘が妥当性を帯びる 。しかしながらモダニズムにおいてその地点が経由点でもあり、また、それがMIDI文化以前のある絶対的な地点――特異点に存在していたかのように思われていたことこそが重要なのではないだろうか。ことばの衰退というリアリティも広くは象徴界的リアリティに含まれ、衰退を感じることこそもまったくの近代性の表れであるのだ。

 私たちが時間というものをクロノス的にとらえ、社会を直線的に、人間というものをこうあるべきだととらえる限りにおいて、その精神は近代的なものとなる。しかし、現在メディアとわたしたちの関係を観察したときに見られる状況は、このような認識の近代性とは少し異なっている。MIDIの歴史分析において示されたのはMIDIというものが〇間という存在を脱臼した表層と深層が等価な空間において存在し、島宇宙化による私たちの〈私〉性が極北に到達した結果の後に存在し、そうでありながらも情報という不可視な構造をもったMIDIの確実な存在が、その情報それ自体の論理で作動しているというものであった。こういった状況は第1章で指摘した、私たちが政治の政治性を語る言説すらも、これらレイヤー各層の等価性、〈私〉性、アーキテクチャの論理性に巻き込まれていることを証明するものとなる。政治の政治性もまたメディア史の回帰スパイラルのごとくタブロイド化されて消費される。そう、政治すらも〈受け手〉の次元においてはMIDIや2ちゃんねると等価に受容され消費されてしまうという構造こそがMIDIが示す最大の教訓であったのである。

 

第4節  情報化と戯れ――後近代的理念

 

     現代資本主義の基本問題はもはや利潤の極大化と生産の合理化との間の矛盾……ではなくて、潜在的に無限な生産力……と生産物を売りさばく必要との間の矛盾である。(Baudrillard [1970a→1979:84])

 

 消費社会についての考察を試みたボードリヤールが著書で一貫して指摘したこととは、消費が記号化によって変質していくということであった。モノ(物)がモノ性に左右されず、モノが記号性によって左右されるという指摘は現代の日本において最も重要な指摘であると言ってよい 。前節で指摘した近代的な精神の変容と、中心無き(表層、深層無き)WWWネットワークのごとくそれぞれが恣意的に情報を読み出していくという状況を、哲学者東浩紀は動物化状況における〈データベース消費〉の状況と呼んだ。

 

     『動物になる』とは……間主体的な構造が消え、各人がそれぞれ欠乏─満足の回路を閉じてしまう状態の到来を意味する。(東[2001:127])

 

 近代的な人間観は「人間は欲望する」というものであった。だが東は、現代の人間は〈欲望〉よりもむしろ〈欲求〉の論理に従って動いているのではないかという仮説を提示する。欲望は満たされることがない。だが欲求は欠乏を充足することによって満たされてしまうのだ。情報化された消費社会における私たちの欲望は欲求へと変容し、消費の論理に基づいた充足以上のものにはなっていないのではないかというこの議論 は、非常に重要で示唆深い。だが、ここで重要な点がひとつ残るのである。それは動物化という概念に含まれていない〈残り物〉があるのではないかという点である。

 

     描かれる「大世界」の表象は「流転する歴史」から「停滞する歴史」へと転換している。「流転する歴史」は個人へと翻弄し〈疎外〉するが、「停滞する歴史」は人を〈戯れ〉へと導く――。すなわち、そこでは、「大世界」はもはや「小世界」を翻弄するものとしてではなく、むしろ「小世界」を担保・肯定するものとして描かれているのである。(宮台・石原・大塚[1993:197])

 

 おそらく必ずしもネタがベタになり、必ずしも人間が動物になってしまったわけではない。つまりネタがベタになろうと、動物化が進むにしろ、それとは別種の論理で作動し続ける〈残り物〉の構造が存在するのではないのだろうか。宮台・石原・大塚がここで〈戯れ〉と表現したものは「「小世界」を担保・肯定するものとしての大世界」に見られる「停滞する歴史」としての〈戯れ〉である。その〈戯れ〉はコミュニティの流動性、動物化と90年代後半に指摘されたような〈脱社会性〉というものを担保する 。しかし、先に〈残り物〉と表現したもの、それはこの〈戯れ〉とは別種の奇妙な存在である。蔓延し、行為的に進行する不気味な現象――それこそが〈残り物〉としての〈戯れ〉なのである。二項対立的概念が消失し、主義思想の自明性が失われ〈戯れ〉が支配する社会においても、現実ではますます一層の二項対立が進む。グローバリズムがテロリズムかという命題は、動物化と、ネタとベタの状況に脱臼化される ――だが、同時に〈残り物〉としての〈戯れ〉の並行によって状況は不気味に、そして確実に、進んでいくのである。

 

第4章  結語

    第1節  高度情報消費社会論・試論

 

 高度情報消費社会の現代では、情報消費の構造が変容しつつある。しかし、その構造の変化によって人間の精神が変化しつつある――人間の条件が変わりつつある―のではなく、正確に言うならばむしろ、人間の消費に対する態度が変わりつつあるのである。先にMIDIの項目で述べたように、もはや消費化された存在である私たちにとっては、不自由性としてのベタはネタとして消費することこそが一番効率的(実存的な問題ではなく、費用対効果の問題)であると言える。あまり知られていないことではあるが、MIDIは私たちの社会にあまりにも深く入り込んでいる。音楽だけではない。映像にも、照明にもMIDIはその汎用性をもって利用されるものとなっている。最後にケータイの存在もまた、MIDIと深く関わっていることを指摘しておかねばならないだろう 。ケータイが存在する以前の固定電話の時代には、電話は外部アクセスのためのツールとして存在していた。だがケータイはその「携帯性」によって電話との差別化を図り、多く利用されていくようになる。このとき明らかになったこと、それはケータイが決して電話というメディアと同一ではないということであった。〈私〉化と構造の不可視化をもたらしたMIDIは、ケータイを受容した社会に必要とされ、結果としてあくまでも合理的に「ケータイ的社会」に入り込んだ。現在、MIDIは接触を拒むことは不可能なほどのものになり、ある意味では電力に匹敵するくらい意識されにくい権力となっている。私たちがMIDIに触れない日は既に一日たりともない。だが同時に私たちは絶対にMIDIを見ることができない。不可視なものとしてのMIDIは、ケータイ的状況の現在にも同時に大きな影響を与えているのである。

 このMIDIなき時代のMIDIが示唆する状況とは消費の構造がモノ−消費の直線を離れ、消費の論理や構造の論理そのもので作動し、それぞれの論理に関係性を閉じながらも、その一方で確実に進む〈戯れ〉と、〈残り物〉として進行する〈戯れ〉の状況なのである。以上のような分析から、次頁図2のようなモデルを考案することが可能ではないだろうか。

 

 

 この図2は東浩紀氏が考案した「ポストモダン社会の二層構造――主体の自由と身体の管理が共存する社会」の図式を再考し、再構築したものである 。そう、〈戯れ〉とは表象の次元としての「〈残り物〉としての〈戯れ〉」というメタの枠に準拠したものであり、同時に別種の「アーキテクチャと情報の論理」という「新・深層の次元」によって作動するものを指摘するものであったのである。

 

 

    第2節  結語

 

 前節までに指摘したように、MIDIと私たちの関係は単に技術であるという点を越えて、多様な状況と密接に関係し、現代社会の考察に対し示唆を与えるものであった。これらの分析から、結語と今後への仮説として次のようにまとめたい。

 MIDIの技術的な歴史において、MIDIは消費の論理と〈私〉性の極北という社会状況、およびMIDIそのものがもつ技術特性によって歓迎されつつ受容された。しかし、MIDIの文化的歴史におけるコミュニケーションの受容の状況はMIDIというものが〇間という存在を脱臼した表層と深層が等価な空間において存在し、島宇宙化による私たちの〈私〉性が極北に到達した結果の後に存在し、そうでありながらも情報という不可視な構造をもったMIDIの確実な存在が、その情報それ自体の論理で作動していることを示した。そして最後に、メディアとしてのMIDIが示唆した現代のコミュニケーション状況は、.戰燭鬟優燭箸靴鴇暖颪垢訃況というメタ認識への契機を私たちが失っていること、△修譴人間精神の変化などではなく、人間の情報消費の構造変化であること、情報社会における〈私〉の変容が〈意味/無意味〉の意味性を〈信じるか/信じないか〉といった精神性に関わるものなどではなく、〈意味/無意味〉の無意味性をただただ〈戯れるか/戯れないか〉という〈戯れ〉の消費の構造と、それに並行して進む〈残り物〉としての〈戯れ〉の構造に関する問題であることを示したのである。

 

引用・参考文献

 

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・      大澤真幸「不可能性の時代」,『世界』2005年1月号,岩波書店

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 ※ひとまず提出稿のコピーペースト。