すべてはここから始まった…8485年にかけてのスーパー・チャリティ・プロジェクトは、

イギリスの1アーティストの呼びかけから始まる

 

ボブ・ゲルドフ、立ちあがる

「サムワンズ・ルッキング」「哀愁のマンディ」のヒットで知られるブームタウン・ラッツのボーカリスト、ボブ・ゲルドフ84年秋、あるテレビ番組でエチオピアの大飢饉の惨状を目にした。ボブはその光景にショックを抱き、自分にできることを考えた結果、スーパーユニットによるチャリティー・シングルを作ることを思い立つ。

元々が社会派であった彼だけに行動もすばやく、ウルトラヴォックスのミッジ・ユーロとともに曲を書き上げた。それが「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」である。ボブは当初この活動により、数十万ポンドの資金を集めようと試みていた。が、それは彼の思惑を大きく外れ、大規模なものへとなっていく。

 

参加アーティストとレコーディングの状況

19841125日、ボブは共作者のミッジと、当時売れっ子のプロデューサーで元バグルスのトレヴァー・ホーンとともに集めた37人のアーティストとともに、トレヴァーの所有するサーム・スタジオに入った。プロモビデオのイントロで次々と集まるアーティストの様子を見ることが出来る。

集まったアーティストは以下の通り。(ジャケット写真順)

アダム・クレイトン(U2)/ フィル・コリンズ / ボブ・ゲルドフ / スティーヴ・ノーマン(スパンダー・バレエ)/ クリス・クロス(ウルトラヴォックス)/ ジョン・テイラー(デュラン・デュラン)/ ポール・ヤング / トニー・ハドリー(スパンダー・バレエ)/ グレン・グレゴリー(ヘヴン17)/ サイモン・ル・ボン(デュラン・デュラン)/ サイモン・クロウ(ブームタウン・ラッツ)/ マリリン / カレン(バナナラマ) / マーティン・ケンプ(スパンダー・バレエ) ジョディ・ワトリー / ボーノ(U2)/ ポール・ウェラー(スタイル・カウンシル)/ ジェームス・JT・テイラー(クール&ザ・ギャング)/ ピーター・ブレイク / ジョージ・マイケル(ワム!)/ ミッジ・ユーロ(ウルトラヴォックス)/ マーティン・ウェア(ヘヴン17)/ ジョン・キーブル(スパンダー・バレエ)/ ゲイリー・ケンプ(スパンダー・バレエ)/ ロジャー・テイラー(デュラン・デュラン)/ サラ(バナナラマ)/ シボーン(バナナラマ)/ ピーター・ブリケット(ブームタウン・ラッツ)/ フランシス・ロッシ(ステータス・クォー)/ ロバート・クール・デル(クール&ザ・ギャング)/ デニス・トーマス(クール&ザ・ギャング)/ アンディ・テイラー(デュラン・デュラン)/ ジョン・モス(カルチャー・クラブ)/ スティング(ポリス)/ リック・パーフィット(ステイタス・クォー)/ ニック・ローズ(デュラン・デュラン)/ ジョニー・フィンガーズ(ブームタウン・ラッツ)/ ボーイ・ジョージ(カルチャー・クラブ、ただしジャケットには不在)

またB面となった「フィード・ザ・ワールド」にメッセージだけの参加として、ホリー・ジョンソン(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド)、ポール・マッカートニー、ビッグ・カントリーの面々、デヴィッド・ボウイが参加している。

演奏はクレジットがされていないため、よくわからないがビデオではフィル・コリンズがドラムを叩き、デュラン・デュラン、スパンダー・バレエの面々が演奏していたと記憶している。また日本発売シングルのライナーにはユーリズミックスの名もあるので、恐らくはデイヴ・スチュワートが参加しているものと思われる。

 

担当ヴォーカルと「フィード・ザ・ワールド」のメッセージ収録アーティスト

まずA面「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」のヴォーカル順を下に示す。

ポール・ヤング → ボーイ・ジョージ → ジョージ・マイケル → サイモン・ル・ボン → トニー・ハドリー → スティング → ボーノ → ここまでのメンバーでコーラス → ミッジ・ユーロ、ボブ・ゲルドフ(?)+ ポール・ヤング → 全員

オープニングはポール・ヤング。当時デビューして2年目で、まだ「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」の全米大ヒット前だったが、「カム・バック・アンド・ステイ」「愛の放浪者」などでイギリスでは大ブレイクしていた。左ジャケット写真は彼の1st「何も言わないで」で、全英1位を獲得している。

 

ボーイ・ジョージも当時アルバム「カラー・バイ・ナンバーズ」(左ジャケ、全英・全米1位)が世界中で売れまくっていた。本国イギリスでは新曲「戦争のうた」を発表、日本語の歌詞が盛り込まれていることも話題になった。しかしこの後徐々に失速、ボーイのドラッグ騒動も起きる。

 

 

ジョージ・マイケルは当時ワム!としてようやくアメリカで「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」がヒットし出した頃。ちなみに名曲「ラスト・クリスマス」もほぼ同じ時期で、イギリスではバンドエイドのせいで1位を取れなかったが、年間チャートでは見事6位に入っている。アルバム「メイク・イット・ビッグ」は全英・全米1位を記録。

 

 

続くサイモン・ル・ボンはデュラン・デュランで現在も活躍中。デュランは当時「ザ・ワイルド・ボーイズ」をヒットさせた後で、アメリカでも「リフレックス」などに続き、大ヒットさせている(全米2位)。アルバムでは初のライヴ盤「アリーナ」(全英6位・全米4位)を発表した頃だが、この後映画007の主題歌を手がけてからは徐々に失速。

 

 

トニー・ハドリーは、当時デュランのライバルとされたスパンダー・バレエのヴォーカリスト。前年に「トゥルー」(全英1位・全米4位)の世界的ヒットを飛ばした後で、この年はアルバム「パレード」を発表、「ふたりの絆」「フライ・フォー・ユー」などのシングル・ヒットを生むが、前作を超えられなかった。バンドエイドでは声だけ聞いていると、サイモンとよく似ている。

 

  

当時活動停止中だったポリスのスティングは、1stソロ「ブルータートルの夢」(85年夏発表)はまだ出していない。ポリスは既に前年の「シンクロニシティ」(全英・全米1位)で世界のバンドの頂点に立っていた。が、実質的にはこの頃ポリスは既に空中分解状態であった。

 

 

ボーノはU2としてアメリカでも注目されつつあった頃で、アルバム「焔」(全英1位・全米12位)、シングル「プライド」が好評だった。前作「WAR」におけるライヴを収録した「四騎-ブラッド・レッド・スカイ」(全英2位・全米28位)も売れ続けていた。世界的バンドとなる出世作「ヨシュア・トゥリー」は次作で、87年の発表である。

 

 

次にボーカルを取っているのがウルトラヴォックスのミッジと恐らくはボブだと思われる。ウルトラヴォックスは当時ベスト盤「コレクション」(全英2位)がバカ売れしていた。一方ボブのブームタウン・ラッツは人気が下火になった頃で、そのままバンドは消滅してしまう。おもしろいのはバンド・エイドの牽引役であった両者のバンドがこれを機に失墜していくことで、ウルトラヴォックスも結局アルバム「U-VOX」(86年全英6位)1枚をこの後に残しただけであった。  

 

さてここで疑問というか記憶にないのがポール・ウェラー。彼ほどの人気者がソロ・ヴォーカルを取っていないとは考えにくい。たぶんスティングの前か、ミッジたちと一緒にボーカルを取っていると思われる。スタイル・カウンシルとしての人気も「カフェ・ブリュ」(全英2位)から翌85年の「アワ・フェイヴァリット・ショップ」(全英1位)の時期が頂点だった。

 

 

ちなみに当時も人気者だったフィル・コリンズはドラムに専念している(ドラムの音を聴くだけで彼とわかる)。 ジェネシスとしても絶好調の時期で、ライヴ盤を除けば80年の「アバカブ」からこの時点での最新作「ジェネシス」まで3作連続全英1位を記録。ソロとしても既に2枚(81年「夜の囁き」全英1位・全米7位、82年「心の扉」全英2位・全米8位)を飛ばしていた。

 

 

前述のとおり、B面には「フィード・ザ・ワールド」というメッセージ集(バックに「ドゥ・ゼイ…」が流れる)が収録されている。このメッセージ順は下の通り。 

ホリー・ジョンソン → ジョン・モス → ゲイリー・ケンプ → ジョン・テイラー → ポール・マッカートニー → サイモン・ル・ボン → ボーノ → (再度)ポール・マッカートニー → シボーン、サラ、カレン → ポール・ウェラー → ジョニー・フィンガーズ → ミッジ・ユーロ → スチュワート・アダムソン、トニー・バトラー、マーク・ブレゼッキー、ブルース・ワトソン → スティング → デヴィッド・ボウイ → ボブ・ゲルドフ

 

ホリー・ジョンソンは当時デビュー曲から3曲連続No.1をかっとばすというビートルズもできなかった偉業(これは後にスパイス・ガールズが6曲連続を達成するまで破られなかった)を果たしたフランキー・ゴ―ズ・トゥ・ハリウッドのリード・ヴォーカリスト。電話での参加だった。アルバム「プレジャードーム」は全英1位・全米33位。

 

ジョン・モスはカルチャー・クラブのドラマーで、ボーイ・ジョージの恋人であった。ボーイはこのとき多忙だったようで、レコーディングが済むとジャケット写真を撮る前にスタジオを去っていたようだ。ゲイリー・ケンプはスパンダー・バレエのギタリスト&ソングライターで、名曲「トゥルー」は彼の手による。ベーシストのマーティンは実弟。ジョン・テイラーはデュラン・デュランのベーシストで、ルックスでは一番人気があった。

ポール・マッカートニーはいまさら説明不要だが、前年マイケル・ジャクソンとの「セイ・セイ・セイ」、「パイプス・オブ・ピース」を大ヒットさせたものの、この年は映画「ヤァ!ブロードストリート」を大コケさせた直後。ただしサントラ(全英1位・全米21位)、主題歌「ひとりぼっちのロンリー・ナイト」(全英2位・全米6位)は大ヒットした。80年代のポール苦戦の時代はここから始まる。

 

バナナラマもまだまだイギリス・レベルでのアイドルに過ぎず、「ヴィーナス」の大ヒットはもう少し後である。ポール・ウェラーはスタイル・カウンシルで活躍しており、シングル「シャウト・トゥ・ザ・トップ」を大ヒットさせていた。ジョニー・フィンガーズはブームタウン・ラッツのメンバー。

ビッグ・カントリーは前年「フィールズ・オヴ・ファイア」「インナ・ビッグ・カントリー」の大ヒットを飛ばし、この年はセカンド「スティール・タウン」(全英1位)発表直後だった。先行シングルとして「ワンダーランド」「イースト・オヴ・エデン」がヒット。

 

 

デヴィッド・ボウイは大ヒット作「レッツ・ダンス」に続いて「トゥナイト」(全英1位)を発表した直後で、シングル「ブルー・ジーン」をヒットさせていた。本作ではティナ・ターナーとのタイトルナンバーやビーチ・ボーイズの「ゴッド・オンリー・ノウズ」のカバー、イギー・ポップ作の「ネイバーフッド・スレット」を収録。

 

 

発売状況とチャート・アクション

シングルは12インチで発売され、ジャケットはビートルズの「サージェント・ペパーズ」を手がけたピーター・ブレイクが担当。当時ブームタウン・ラッツが所属していたマーキュリー・レコードから発売されたが、レコード会社からディストリビューター、小売店に至るまで、一切利益を載せずに販売した。日本での場合は当時マーキュリーを配給していたのがフォノグラムであったため、同社から発売されたが、利益が出ないためかイギリス盤を輸入してステッカーをジャケットに貼り、湯川れい子さんによるライナーをつけて発売された。そのため日本盤には必ずつくはずのレコード袋がなかった。後にフォノグラムから配給されていたアーティストのヒット曲を集めた「バンドエイド・スペシャル」という編集盤が発売された。収録曲は以下の通り。

-@ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・ア・クリスマス"12ヴァージョン(バンド・エイド)・Aインナ・ビッグ・カントリー(ビッグ・カントリー)・Bコーリング・ユア・ネーム(マリリン)・Cマルガリータ・タイム(ステイタス・クォー)・Dトゥナイト(ブームタウン・ラッツ)・Eザッツ・オール(ジェネシス)

-@ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス(バンド・エイド)・A夜明けのランナウェイ(ボン・ジョヴィ)・Bサッド・ソングス(エルトン・ジョン)・Cルック・オブ・ラヴ(ABC)・Dマザーズ・トーク(ティアーズ・フォー・フィアーズ)・Eフィード・ザ・ワールド(バンド・エイド)

チャート状況はイギリスでは当然の如く大ヒット、年間チャート1位を記録、翌85年もクリスマス時期に3位まで上昇、結局年間チャートでも14位を記録した。日本でも予約のみの販売であったが、やはり大ヒットした。アメリカでも売上枚数は1週目でゴールド・ディスクに輝くも、ビルボードの集計方法が現在と異なることもあってトップ20に入った程度であった(記憶薄)。

 

バンド・エイドを取り巻く噂

当然のことながら、音楽ファンはこのバンド・エイドの動きには熱く注目した。そのため、様々な噂が飛び交ったと記憶している。覚えている範囲では以下の通り。

さて、84年のクリスマスは結局バンド・エイド一面に彩られていたが、これはこれで終わると思われていた動きであった。ところがアメリカがこのチャリティに反応した。そう、バンド・エイドに対するアメリカ側からの返答、USAフォー・アフリカである。

 

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