
T 五十嵐理論(I理論)の概説
I理論とは、在野の血統研究家である故五十嵐良治氏が、10数年の歳月をかけて内外の文献やデータにあたり、独自の見解を取り入れて構築された《サラブレッドの競走能力の遺伝に関する法則》を指します。その成果の一部は、昭和59年、『週刊競馬ブック』誌上で連載された「血の提言 競走能力の遺伝について」というタイトルの論文で発表されました。I理論の基本的な枠組みは、以下の言葉に集約されています。
「サラブレッドの競走能力の遺伝は、父の血統と母の血統に、それぞれ存在する同一の祖先によってのみ行われる。したがって、これらの同一の祖先こそ、サラブレッドの競走能力を遺伝させる遺伝因子なのである」
そして、ここでいう「父の血統と母の血統に、それぞれ存在する同一の祖先」こそが、《クロス馬》にほかなりません。すなわち、I理論とは、「父母双方に共通して存在する同一の祖先」(=クロス馬)の存在に着目し、血統表中のクロス馬の配置状況を詳細に検討することによって、遺伝による能力形成の仕組みを分析しようという手法なのです。
確かに、それまでにも(そして現在も)、父と母に共通して存在する祖先(一般的には5代以内にあるそれをインブリードと称している)は、その特徴を子孫に強く伝えるという血統的な解釈はありました。その意味では、五十嵐氏の「クロス馬分析」という手法は、取り立てて目新しい方法とはいえないかもしれません。
しかし、一般の血統論では、この「共通の祖先」の有無を、5代以内についてしか調べないのが普通です。となると、5代以内に「共通の祖先」が存在しない血統構成(アウトブリードといわれる)では、能力遺伝を知るはっきりとした手がかりがなくなってしまいます。というよりも、そもそも「サラブレッドの競走能力を遺伝させる遺伝因子が何なのか」を、明確に規定した血統論も見当たりません。
五十嵐氏は、「共通の祖先」が5代以内にない場合でも、そこであきらめず、さらに6代、7代、8代とその存在を追求していきました。氏は、最初にその試みを、世界的な名馬Mill Reef(1968年、米国産)の血統で実行しました。すると、5代血統表では、一つも存在しなかった「共通の祖先」が、6代、7代、8代と調べていくうちに続々と登場し、8代までに31頭に達したのです。そして、氏は、この「共通の祖先」を《クロス馬》と名付けました。この言葉であれば、5代以内の「インブリード」に限定されず、6代以降でも使用できるからです。
Mill Reefの血統でヒントを得た五十嵐氏は、つぎつぎと世界の名馬の血統を調査してゆき、その数が60頭ほどに達したとき、「サラブレッドの競走能力の遺伝は、十中八九、クロス馬によって行われる」という確信を得ました。そして、さらに名馬の血統を分析しつつ、逆に競走成績の劣る馬、未勝利馬などの血統を分析してゆくと、両者の間には明確な違いがあることを発見しました。そういう過程を経て、クロス馬を「サラブレッドの競走能力を遺伝させる遺伝因子」と規定したのです。
I理論のユニークな点は、5代以内に限定せず、8〜9代まで血統表をたどって、共通の祖先であるクロス馬の存在を確認したこと、さらに、その配置状況を分類整理し、一定の法則性を見い出したことにあります。「共通の祖先」に着目するアプローチは、以前からあった視点だとしても、後で見るように、クロスの種類や形態ごとに、その遺伝効果の違いなどを明らかにしたことは、まさに五十嵐氏独自の功績にほかなりません。《影響度バランス》の型の分類や、《能力変換》というとらえかたなども、他の血統理論には見られない独創性といえるでしょう。