時を超え“戦友”結んだロッカー魂 (2003年11月30日掲載)
32年前と同じ姿が見えた

ライブ終了後、語り合う本間亮さん(左)とChar。「あの輝いた1週間、おまえとは戦友だよ」とCharは言った=新潟市の「オープンスタジオ新潟ロッツ

 ローリングストーンズの名曲「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」。
ロックギタリストのCharが弾く大胆で細やかなギターを、観客は食い入るように見つめた。
18日夜、新潟市の「オープンスタジオ新潟ロッツ」。
あまりの技量、あまりのスケール。ロックコンサートに似合わぬ沈黙が、会場を支配した。
ライブを企画した本間亮さん(50)=新潟市窪田町=
はかつての「戦友」が立つステージをまぶしそうに見つめていた。
   ■   ■
 1971年、夏。本間さんは新潟市内の高校3年生だった。
夏休みの1週間、友人が東京からバンドを呼んだ。その中に高校1年生のCharがいた。
 友人の家で、毎日みんなでロックを練習した。
柏崎市の野外ステージでライブもした。Charも舞台に立った。
 

 ライブが終わった。終列車は吉田駅までだった。
夢中で飛び乗ったが、運賃が足りなかった。「飛び降りるぞ」。
連結部から次々と田んぼの中へ飛ぶ。泥だらけになりながら、国道まで歩き、トラックをヒッチハイクした。
「まるで映画の『スタンド・バイ・ミー』だったよ」。本間さんがそう話すと、Charも「本当に強烈な出来事だった。
あの1週間はすごく濃い付き合いだったね。まるで1、2年いたような感覚だよ」。
当時に戻ったように笑い合った。
 

 2人は、その後別々の道へ。Charは、米国や英国に渡りギター修業を。ギタリストとして幅広く活躍してきた。
本間さんは90年ごろまで、同市のアマチュアバンドでボーカルとして活動した。
しかし、子どもが生まれてからは活動を休止。会社に勤めたが、95年に足の神経を患い、やむなく退職した。
 

 32年の間、本間さんにはCharと会える機会があった。が、あえて会わなかった。
「ロックは遊びじゃない。ゼロか百かだ。会社勤めしてゼロのオレと、ロックに生きるChar。会おうとは思わなかった」
 現在は、自宅でホームページ編集などの仕事をしている。医師からは激しい運動を止められ、ロックの演奏は困難になった。
 

 「生活の基本すべてがロックの上に成り立っている。
演奏はできなくても、ロックとはかかわっていきたい」。
さまざまな道を模索し、たどり着いたのがアマチュアロックバンド支援という道だった。
今年初めに支援団体「shelter」を発足させ、ライブイベントを企画した。
 

 無理は承知だった。
5月の初め、Charに新潟市でのライブイベントに「ゲスト出演してほしい」と手紙で頼んだ。
 「ライブ、いつでも行くよ」。
電話の向こうには32年前と同じCharがいた。
「手紙の行間から、亮の気持ちがすぐ伝わった。あのころとちっとも変わってなかったよ」。
Charも同じ気持ちだった。
   ■   ■
 11月18日、2人は再会した。
「ひと夏ぶりに会うような感覚だね」。Charが話すと、本間さんもうなずいた。
 ライブのアンコール。
「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」は本間さんの最も好きな曲だ。
Charは32年前、柏崎のライブで本間さんが演奏していたこの曲を覚えていた。
「亮、歌えよっ!」。
ステージ袖にいた本間さんを呼ぶ。
本間さんは「あくまで自分は裏方。これはCharのライブだから」と固辞した。
 
 ライブが終わって2人は自然に肩を抱き合った。
泥だらけになって笑い合った32年前と同じ姿が見えた。

「おれたちはロッカー」
 (学芸部・鈴木孝実)



人が生きて行く中で生まれる「絆」。