
Paroles: Etienne Roda-Gil.
Musique: Julien Clerc
Tout au pied de la colline
Perdue parmi les lauriers
Se tient la silhouette fine
De la maison de papier
La porcelaine si fine
Des petites tasses de the
Reflete tes yeux d'amande
Aux reflets mouilles
Des jours entiers a t'aimer
La la la la
Des jours entiers a rever
Aux jours passes et a venir
En marchant vers la colline
Sur le sentier escarpe
Je vois ta silhouette fine
Dans la maison de papier
Tous les parfums de la Chine
Et tous les Japons dores
Font de toi la mandarine
Au pouvoir sacre
Des jours entiers a t'aimer
La la la la
Des jours entiers a rever
Aux jours passes et a venir
Et a venir
Des jours entiers a rever
Des jours entiers a t'aimer
久々にアップしようと思って、選んだのがこの曲でした。偶然にもgayakoさんからの
書き込みもあり、そのgayakoさんが書かれていた 「フランス人の仏語の先生(女性)が、
「この歌は、あなたたちのような(アジアの)女の子(?)のことを歌っているのよ」と
言っていた、という思い出があります。。。」で、「え、そうなの?」と思っちゃったのですが、
取りあえず、私なりの思い込みで書きたいと思います。
曲は最も初期の頃、1970年に作られ、2枚目のこの曲と同名のアルバムに収められて
います。上のシングル盤のジャケットは、オフィシャルのHPには出ていませんので、ラジオ
向けか、はたまたフランス以外の国でプレスされたものではないかと考えます。
(その辺は後々にでもハッキリさせなくてはいけませんね。) 作詞はロダ=ジルです。
蜜月の恋人との暮らしを歌ったのでしょうか。 と、言うよりも恋人との生活の理想形のような
気がするのです。 森の中の小さな家で、エイゾチックなアジアの調度類に囲まれて、
二人だけの時が静かに流れていく・・・。
Tout au pied de la colline
Perdue parmi les lauriers
Se tient la silhouette fine
De la maison de papier
丘の麓、月桂樹に紛れて
紙の家の薄い影が建っている
月桂樹はギリシャ・ローマ時代には勝利と栄光のシンボルとして、勝者の頭に飾られた
その意味から”祝福された家”を指している、平たく言えば小さくても幸せに満ちた・・・
と言う ことなのかもしれませんね。
Des petites tasses de the
Reflete tes yeux d'amande
Aux reflets mouilles
小さな茶器に君の濡れたアーモンド色の瞳が映る
「mouilles」は湿ったと言う意味なんでしょうが、辞書を引くと、もっと危ない俗語の
意味が書かれていて、多分、”ロダ=ジルおぢさん”のことだから、そっちの意味の
ほうが正解かもしれないなぁと、ここは深読みしてしまったのですが、いちおう、
正統派?で読みを続けましょう。
2番の歌詞には、
Tous les parfums de la Chine
Et tous les Japons dores
Font de toi la mandarine
Au pouvoir sacre
中国のさまざまな香りと、日本の金箔は
君を神聖不可侵な力をもつマンダリンに仕立てる
実は柑橘類が苦手な私は、マンダリンの放つ濃厚な匂いもダメなのですが、
中国の香、日本の金箔(屏風のこと?)で彼女が濃厚な香りを放つオレンジ色の
神々しい姿に感じられたのでしょうか。 表現の善し悪しは別として、恋人のことを
そこまで表現できるのは、日本人にはちょっと出来ない「技」ですね。
ルフラン
Des jours entiers a rever
Aux jours passes et a venir
Et a venir
来る日も来る日も夢を見よう
過ぎ去った日々の そして未来の日々の・・・
もうホント、二人の世界って感じで、羨ましい!(笑)
でも、何となくこの歌は絶頂期の二人の日々であって、ここからだんだん
灰色の影が忍び寄って来る・・・な〜んて思うのは変な小説の読み過ぎ
なのでしょうか??
20年前はこの歌詞にとても憧れていたのですが、現実は厳しかった!です。

Paroles: Étienne Roda-Gil
musique: Julien Clerc,
Comme un volcan devenu vieux
Mon coeur bat lent'ment la chamade
La lave tiede de tes yeux
Coule dans mes veines malades
Je pense si souvent a toi
Que ma raison en chavire
Comme feraient des barques bleues
Et meme les grands navires
J'ai la raison arraisonnee
Dans un port desert
Derisoire toute ma vie s'est arretee
Comme s'arreterait l'Histoire
J'ai la raison arraisonnee
Dans un port desert
Derisoire toute ma vie s'est arretee
Comme s'arreterait l'histoire
Comme une legende qui s'eteint
Comme un grand peuple en decadence
Comme une chanson qui se meurt
Comme la fin de l'esperance
Mon coeur volcan devenu vieux
Bat lentement la chamade
La lave tiede de tes yeux
Coule dans mes veines malades
Comme une armee de vaincus
L'ensemble sombre de mes gestes
Fait un vaisseau du temps perdu
Dans la mer morte qui me reste
Mon coeur volcan devenu vieux
Bat lentement la chamade
La lave tiede de tes yeux
Coule dans mes veines malades
久々にアップしました今月は、ジュリアンも大好き(らしい)初期の曲です。
1971年発表。シングルでは出ましたが、オリジナルのアルバムには入っていません。
さてさて、選んではみたものの、詞の内容が私には抽象的で厳しい選択をしてしまった
ものだなぁと、実はちょっと後悔しています。
ロダ=ジルおじさんの 得意のパターンなのでしょうか、多分、聴く人によって解釈が多少
変わってしまうだろうなァと 思いますが、私は恋人未満の、いえ、きっとまだ片思いの男の
歌ではないかと思うのです。
それが、繰り返し出てくる
La lave tiede de tes yeux
Coule dans mes veines malades
君の目の温かい溶岩流が
僕の病んだ血管の中を流れる
この2行でそう思ったのです。
tiedeを辞書で引くと「生暖かい」の意味の他に「不熱心な」という言葉も出てきます。
だから、余り良い意味ではないのだろうと判断しますが、彼女は彼の事を恋の対象者として
見てはいないのではないでしょうか。
だけど彼は彼女に会うと
Comme un volcan devenu vieux
Mon coeur bat lent'ment la chamade
活力を失った火山のように
僕の心はゆっくり鼓動を打つ
メロメロなわけです。
そして彼のそのメロメロ度合いをロダ=ジルは色々な表現を
用いて表しています。
単純で使えそうなのが
Je pense si souvent a toi
Que ma raison en chavire・・・・
終始君のことを考えていて
僕の理性は転覆してしまった
青い小船のように・・・・
ちょっと大げさですけど、気持ちは良くわかります。
次のヴァースの
J'ai la raison arraisonnee
理性はあるけれど
で、強がっては見るものの、
Dans un port desert
Derisoire toute ma vie s'est arretee
Comme s'arreterait l'Histoire
小さな砂漠の中で
全ての力を失ってしまうという
物語を夢見るのだ
彼女に魂を抜き取られてしまっているのですね。
ロダ=ジルは詩人だから、歪曲した書き方で
聴いてる人を煙に巻く?ような表現を楽しんでいるかように
私は思えてならないのです。
最期のヴァース、
L'ensemble sombre de mes gestes
Fait un vaisseau du temps perdu
Dans la mer morte qui me reste
僕の動作の1つ1つが集まって
失われた時間の船を作る
その船は僕に残されている死の海に浮かんでいる
「どう解釈したら良いの ロダ=ジルさん!」という
有様で、感覚的には判らないでもないのだけれど
う〜ん、と唸ってしまうのです。
勝手な判断で考えると、彼女にはマッタクその気がないから
彼には普通に接しているけれど、彼にとってみれば
彼女の一挙手一投足が全部自分にとって「・・・・」だ、と。
「・・・・」にはその時々の僕の感じた言葉を埋めるわけですが、
とにかく彼女が自分に気がないことは明白で
彼女の行動に対して何かを感じる都度に
溜め息と絶望の想いが心の海に堆積されて行くと
いった解釈をしてみました。
曲はエキゾチックで2ヴァース目からアコーデオンが伴奏に
入ってくるのですが、それが何とも言えない郷愁がありますね。
ジュリアンがライブでこの曲を取り上げる時には必ずその
アコーデオンを入れます。今考えると、この頃はアルゼンチン
タンゴ(ピアソラ)の影響をかなり受けていたのではないでしょうか。
Paroles: Maurice Vallet
musique: Julien Clerc,
Ne m'attends pas trop longtemps
A l'ombre fraiche des menhirs
La lande restera la meme
Avec fougeres et bruyeres
La cote gardera sa rage
Et le froid crachin son rire
Pour des souvenirs amers
Quand je passe
Et je t'oublie Et je t'oublie
Ton amour sera silence
Tes instants seront des jours d'ennui
Et de temps trop lourd
Pour une vie de grande absence
Tu retrouveras les plages
Ou mers et rochers s'aiment
Les tristes blockhaus y revent
Il y fait froid
Et je t'oublie Et je t'oublie
D'entendre sonner le tocsin
Quand les femmes attendent pour rien
Quand le phare se jette au temps
Tu apprendras le gout du vent
Pour oublier Pour oublier
Tu compteras chaque seconde
Tu t'inventeras des forces
Tu t'acheteras des amours
Puis tu t'habitueras aux autres
A la certitude de tes nuits
T'abandonnant au sommeil
Et quand chaque jour se leve
Te dire encore
Que je t'oublie Que je t'oublie
D'entendre sonner le tocsin
Quand les femmes attendent pour rien
Quand le phare se jette au temps
Tu apprendras le gout du vent
Pour oublier Pour oublier
Ne m'attends pas trop longtemps
A l'ombre fraiche des menhirs
La lande restera la meme
Avec fougeres et bruyeres
La cote gardera sa rage
Et le froid crachin son rire
Pour des souvenirs amers
Quand je passe
Et je t'oublie Et je t'oublie
2003年最初の曲は1970年発表のLES MENHIRSです。邦題で「遺石」とされたこの曲はM・ヴァレが詞を書いて
いますが、実は私は最近までこの詞がロダ=ジルだと思い込んでいたので、詩人M・ヴァレの力を思い知らされた
気がしました。
メンヒルはブルトン語で「長い石」と言う意味ですが、この遺跡の存在由来については諸説あるようで、調べてみると
なかなか興味深いものです。
イギリスのストーンヘンジやイースター島のモアイなども同様な”メンヒル”とされているようですし、日本にも
点在しています。
この石たちについて、ホーキンズ博士の「ストーンヘンジの各々の石の配置位置に見い出される方向線が太陽と月の
運行を観測する観測点として正確に配置されているのではないかと言う仮説のもとに、測量とコンピュータによる
データー解析を行い、この有史前の遺跡が、当時は天文台であり天体観測コンピュータとして利用されていた」
という談話に、さすが現代科学の先端を行く博士ならではと思いましたが、私にはフランスのメンヒルを
「ブルターニュ地方に進軍してきたローマ軍が魔法によって行軍する姿のまま石化させられた、そしてクリスマスの
夜には魔法がとけた彼等は川に水を飲みにくる」という伝説のような話の方が夢があっていいなと思います。
さて、詞の内容なのですが、多分この詞の中の二人は別れようとしている、いや、すでに別れてしまった恋人達
ではないかと思います。
曲名のLES MENHIRSはここでは「二人の思い出」で、墓標みたいな、と言うか、形骸化された思い出では
ないでしょうか。
苦しい苦い思い出ばかりになってしまった「僕」は”もう君を忘れたい”と言い続けているのに対して「君」である
彼女はまだやり直したいと思っている。。。。。。
僕の気持ちは歌の出だしの
Ne m'attends pas trop longtemps
僕をあまり待ち続けないで
で、決定的なのです。でもきつい言い方ではない。
彼女に対しての最後の愛情みたいな表現です。
La cote gardera sa rage
Et le froid crachin son rire
Pour des souvenirs amers
Quand je passe
海岸は荒れて、冷たい霧雨が苦い思い出をあざ笑う
僕が行く時に
彼女との思い出の場所が僕をもっと落ち込ませるような感じ、でしょうか。
だからもうこれ以上は思い出したくないし、考えたくない。
彼女の気持ちが変わっていないのは次のヴァースでとてもよく表現されている気がします。
Ton amour sera silence
Tes instants seront des jours d'ennui
Et de temps trop lourd
君の愛は沈黙
瞬間(とき)は憂鬱の日々になり
苦痛の時間になる
何を言っても彼は反発するだけ、でも待っていればきっと彼は帰ってくる。
その気持ちだけで日々を送っている彼女の心の状態がよくわかります。
ルフランの部分で、
Tu apprendras le gout du vent
Pour oublier Pour oublier
君は風の味を知る
忘れることを 忘れることを
がとても印象的です。風を受けて-それは多分「僕」が感じた風と同じもの、で-
彼女も「僕」を忘れて欲しい。それは彼の願いのよう。
このルフランの1行目
D'entendre sonner le tocsin
警鐘が鳴るのを聞く時
の鐘は「君」にとっては警鐘だけど「僕」にとっては希望の鐘の音である気が
します。
で、曲中では鐘の音が聞こえて非常に臨場感在る編曲になっています。
ここでちょっと脱線しますけれど、この鐘の音はチューブラーベルという楽器で、TVの
「のど自慢」で鳴らす鐘と言えば曲を知らない方にも分って頂けると思います。
この楽器はクラシックでは結構使われます。ベルリオーズの「幻想交響曲」、ムソルグスキー「禿山の一夜」
マーラーの交響曲第2番「復活」などがそうです。曲中でのこの楽器の響きがその曲の
雰囲気によって悪魔の言葉にも荘厳な教会の鐘の音にも聞こえるすごい楽器です。この曲では1回目の
ルフランの部分がちょっと遠慮がちに小さな音で「君」への警鐘のように聞こえ、2度目のルフランでは大きく
「僕」から「君」への引導のように、そして「僕」の希望のように明るく聞こえます。
Tu compteras chaque seconde
Tu t'inventeras des forces
Tu t'acheteras des amours
Puis tu t'habitueras aux autres
君は1秒1秒をかぞえる
自分を力づける
(新たな)愛を買い求める
そして(僕以外の)他の人達と仲良くなるだろう
もう、これは「僕」のお仕着せに近い彼女への”立ち直りのプログラム”みたいですが、
こんな想像ををしているのは、別れても、かつては恋人だった「君」の幸せを願って
いるんだと言ってるのではないでしょうか。
その後に出てくる
Et quand chaque jour se leve
Te dire encore
Que je t'oublie Que je t'oublie
毎日目覚めた時
君にまた言う
君を忘れたい 君を忘れたい
毎日目覚めた時と言うのが「僕」にかかるのか「君」にかかるのか
ちょっと判別出来ないでいるのですが、どちらにしても
この部分で彼の苦悩が表れている、「もしかして別れなくてもやり直せばよかったのか。
いや、もう後戻りは出来無いのだ」と。
Paroles: Étienne Roda-Gil
Musique: Julien Clerc
Quand elle regarde la lune
La femme du boulanger
A une certitude
Ce sont des pains ranges
Quand il regarde la lune
Monseieur la cure
Y voit un refectoire
Ou les anges vont manger
( refrain )
Lune, lune, lune, lune
D'amertunme ou bien sucree
Lune, lune, lune, lune
Douce pomme de mon pommier
Quand il regarde la lune
Le si beau general
Y voit la grosse medaille
Qui manque a son poitrail
Quand il regarde la lune
Le marchand de journaux
Y voit des cosmonautes
Qui ecoutent la radio
( refrain )
Quand il regarde la lune
Le triste enfant gate
Veut qu'on la lui achete
Pour pouvoir la jeter
Il n'y a qu'on lune
Et chacun de ses yeux
Y voit sa fortune
Son malheur ou bien les deux
( refrain )
Quand je regarde la lune
Comme je suis amoureux
Je sais qu'elle regarde la lune
Et moi, je suis heureux
( refrain )
久々に再開の今月は今年のジュリアンの「julien demenage」ツアーでも1曲目を飾った
’74年発表のアルバム、「TERRE DE FRANCE」から、ロダ=ジルの詞が可愛いこの曲です。
ロダ=ジルにしては平易な単語が並び、でもちゃんと韻は踏んでいて、ちょっとだけ文学的で
ロマンティックな歌詞ですね。
パン屋のおかみさん、司祭、軍人、新聞売り、甘やかされた子供、そんな人達が見る月は
それぞれに違って見えるのを少々皮肉っぽく書いてあります。 が、最後から2番目のヴァース
Il n'y a qu'on lune
Et chacun de ses yeux
Y voit sa fortune
Son malheur ou bien les deux
月は1つ。だけど、それを見るそれぞれの人の目に
幸福か不幸かそのどちらにも見える。
単純だけど深いですね。
別に月じゃなくても(例えば太陽でも星でも空でも海でも)いいのに
「月」を詞の対象にした所がロマンチックであり、さすがはロダ=ジルだと私は感心してしまうのです。
多分、今回ジュリアンがこの曲をツアーで歌ったのには去年のアメリカのテロのことが頭の中に
あったのではないかと思うのです。
この地球上から見える月は1つで、世界の何処でもこの月を眺めることが出来るけれど、
色々な国の色々な人によって、この「月」と言うものが違って見える。意味が違っていることを
多分、言いたかったのではないでしょうか。
そして、あるひとつの事柄についても、人によって見方が違うし、それをどう見るかで幸か不幸か
の全く正反対の解があるんだよ、と。
最後のヴァースは私はとても好きです。
Quand je regarde la lune
Comme je suis amoureux
Je sais qu'elle regarde la lune
Et moi, je suis heureux
僕が月を見るとき、僕は恋をしていて
彼女も(同じ様に)月を見ているから
僕は幸せだ。
子供の頃、良く友人と「何時何分にOO座の1等星を見ようね」と、意味なく約束して
星空を眺めた憶えがあります。子供だったし、恋人ってワケじゃぁないので、ちっとも
ロマンチックじゃないですけど、このヴァースを読んで、思わず昔のことを思い出しました。
別の場所で同じ月を見てお互いのことを想う....心が思わず暖かくなるようなエンディングです。

J'me leve et j 'mets dans mon cafe
Deux ou trois larmes pour le saler
Rien de nouveau dessous la porte
Sauf un billet pour la mer Morte
A la radio on n'parle pas d'toi
Et dans la glace on ne voit qu'moi
(Refrain)
Romina, Romina,
T'as laisse bien trop d'place chez moi
T'as laisse trop d'traces sur mes doigts
Sur mon piano et sur mon coeur
Je ferme et j'descends l'escalier
Je tangue comme un bateau paume
Sans mon pilote et sans ma foi
Je risque de bientot m'ecraser
Dans les journaux, pas d'mots sur toi
Mais dans l'orage on ne voit qu'moi
Refrain
Je vais nager dans le quartier
Avec ma peine a mes souliers
Et ma boussole dereglee
M'entraine dans de droles de pensees
A mon cine, une photo d'toi
Mais a l'entree, il n'y a pas qu'moi
Refrain
今月は’76年発表のアルバム、「ブラック アウト」から、ノリの良いナンバー、「ロミーナ」を選びました。
このアルバムは75年に5年もの長き間恋人だったフランス・ギャルと別れたジュリアンがロダ=ジル、ヴァレ以外の
新たな作詞陣を迎えて作ったアルバムなのですが、ものの見事に(?)、失恋の歌ばかりです。
その中でもいちばんジュリアンを理解していたであろうヴァレの作品をあげたのは、ヴァレの詞の世界が
紙芝居的(良い意味で)なので、情景がイメージし易かったからです。
J'me leve et j 'mets dans mon cafe
Deux ou trois larmes pour le saler
朝起きて、コーヒーを辛くする為に
2、3滴の涙をたらす
出だしから私はこの詞にとても惹きつけられてしまいました。
朝、起きていきなり不愉快モードになる人は余りいないでしょうけれど
コーヒーを飲もうとしたら色々思い出して涙がこぼれて、コーヒーに落ちたってことで
また悲しみを引きずるような一日が始まったということでしょうか。
ルフランのところ、
Romina, Romina,
T'as laisse bien trop d'place chez moi
T'as laisse trop d'traces sur mes doigts
Sur mon piano et sur mon coeur
ロミーナ、君はボクに大きな場所を残していった
ボクの指に、ボクのピアノに、そしてボクの心に大きな傷を
”心”は、良くわかります。(誰もがそうでしょうから)
そこに”ボクのピアノと指”って所がジュリアンの歌らしいですね。
指だけだと余りにも官能的すぎるけれど、ピアノを入れることで
ちょっと中和している感じです。
そのルフランを挟んだ前後の詞に
A la radio on n'parle pas d'toi
Et dans la glace on ne voit qu'mo
と、
Dans les journaux, pas d'mots sur toi
Mais dans l'orage on ne voit qu'moi
が、あります。
ラジオは君のことを語らない、
新聞に君の記事は無い
って、ことは「相手はあの女性だよ」って
ズバリ言っているようなものです(笑)
ヴァレっていつもこうなんですよね。(笑)
あと、ひじょうに面白い表現が色々出てきて
失恋の歌ながら、とても楽しい曲だと感じました。
A mon cine, une photo d'toi
Mais a l'entree, il n'y a pas qu'moi
ボクの映画には君の写真、
でも、入り口にはボクはいない
彼女=フランス・ギャルはM・ベルジェの力でまたショー・ビズの世界に
戻っていくわけですが、彼の手の届かぬところへ
行ってしまったことを暗示しているかのようで、ちょっと
悲しい気持ちにもなる部分ですね。
今月はいつもの私のいい加減な「今月の〜」を変更して、特別にこの曲の詞にaqui_en_japonさんが
訳を付けて下さいましたので、全篇ご紹介させて頂きます。
9月11日アメリカであのような事件が起こり、真っ先に浮かんだのがこの詞の事でした。
しかし、私にはこの詞が重過ぎて、どう解釈していいか、悩んでいました。
aqui_en_japonさんは10月9日がフランスでの死刑廃止から20年であることでこの訳詞を送って
下さったのですが、是非、この時期に皆さんにこの詞の意味を考えて頂ければと思い、私の変な
解釈無しに頂いた訳詞を全文載せさせて頂きます。





ロダ=ジルにしてはやけに真面目で優等生的な歌詞だと言うのが第一印象だったのですが、
私はあまりにも彼をちょっと斜に構えた変わり者と思い過ぎていますね。(苦笑)
さて、前回のutileとちょっと似た感じの歌詞ですが、時代が遡っている分
もっと素直で純粋・・・・言い方を変えれば、まだ世間が狭いお坊ちゃまの詞なのかもしれません。
でも、この歌を聴いていると、ジュリアンはずっとこの歌のように自分の夢を大切にして、ファンを
大切にして歌ってきた人だと感じるのです。
こんな平易な歌詞でバックもピアノ、アコーディオン、ストリングスというとても簡素な中で
ジュリアンはこの歌をとても大事な宝物を両手で包むように歌っていて、彼の暖かな体温を感じます。
この歌詞の中で私がとても気に入っているところが、
et quand je serai vieux
toi la foule
des gens heureux
tu reviendras pour d' autres cheveux〜
僕が歳を取ってしまったら
君は別の歌手を聴きに行くだろう
でも大した事じゃないよ
みんなが生きて歌っていれば。。。。。。
ロダ=ジルの歌詞で面白いところは色々ありますが(^^;
この歌はその最たるものの1つではないかと私は思うのです。
だって、最後の方でこの歌の主人公の「僕」が舞台の袖で聴いている女のコを意識しているにも
かかわらず、
この照明が消えたらコートを着て
僕のママとエチエンヌとモモのところへ帰ろう
僕は彼らにとって1番のお気に入りなんだ。
と、歌わせてしまっているのです。(大笑い)
その上普通の日本人(東洋人)的発想からすれば、歌詞を書いたロダ=ジルの自身の名前を
入れるのは一番最後で、モモ(モーリス・ヴァレ)を先に立てるのでしょうが、自分の名前が
先に来ているのはメロディに乗せた時の韻の問題なのか、ロダ=ジル自身がジュリアンにとって
一番身近な人間でありたい(ママには勝てないでしょうけれど)心理状態だったのか、と、
考えると結構面白いと思いますよ。
最後の1フレーズ
comme le vent passera
は、「総てのものは風化する」と、ロダ=ジルの悟りきったような捨てゼリフのような
一言ですね。

1987年に発表されたアルバム「LES AVENTURES AL’EAU」からの曲です。 
(やっと最近の曲登場!?)
このアルバムから友人でもあるフランソワーズ・アルディが何曲かの詞を提供するように
なりました。そして、この詞も彼女の作品です。
彼女の書く詞はもっと散文的なものだと思っていたのですが、この曲では言葉遊びのようで
私はこの曲でずいぶん単語の勉強をさせてもらったような気がしています(笑)
MON ANGE(僕の天使)はとても気まぐれで、僕はその天使に翻弄されている。
でも、僕も気まぐれだから、僕だって君が夢見るような天使ではないんだ・・・・・。
女性は恋愛に対して「王子サマは白馬に乗って」みたいな何か掴み所の無いフワフワした夢を
描く事って多いですね。(最近は計算高い人も多いかもしれませんけれど。)
で、恋愛対象の男性に自分の理想形をぶつけてみたり、又は「アバタもエクボ」になっちゃう
事は自分の経験からも納得出来る話です。
それが、この歌の出だしでも表れています。
TU RÊVAIS D’UN AMOUR
TOUT EN SOIL ET VELOURS
QUE DIRE MAINTEMONT
SOIL ET VELOURS ”絹とビロード”とはアルディさん、なかなか面白い単語を
使いますね。
ルフランされる部分はずっと韻を踏んだ言葉、単語の羅列なのですが、それが、恋人達の気まぐれさを
表すのにとても興味を覚えます。最初のルフランは
BEL ANGE MON ANGE MÉLANGE SE VENGE
SE CHANGE EN DEMON
MON ANGE ME MORD ME MANGE
J’SUIS MORT J’SUIS MARRON
そして
J’DÉCOLLE J’M’ENVOLE JE FLÁNE JE PLANE
J’FAIS DES BONDS・・・・・
といった感じで、どんどん言葉が広がり、あふれています。
2人の愛情の変遷(歴史と書いたらちょっと重々しい)が短い「単語の羅列」のような形で
ずっと語られていくのがとても面白いです。
結局、僕は彼女の魅力には勝てないと告白しているのでしょうか。
1976年に発表されたアルバム「NO.7」からの曲です。 
それまでの曲調とはかなり異なった路線で出来たアルバムで、「孤独」とか「漂泊」と言う感じの
言葉を連想させるような曲が多いアルバムです。
さて、この曲はそのアルバムの2曲目に入っています。E・ロダ=ジルの詞です。
この曲を聴いていて自分(ジュリアン)自身を鼓舞する内容であることを強く感じます。
ロダ=ジルの詞でも、ヴァレの詞であっても、ジュリアンは自分自身の心に響かない内容の
詞では歌わない歌手ですから、何かに迷っている当時の彼の心をそのままにしたこの詞は彼自身にも
かなりインパクトがあったことだろうと想像できます。
出だしから詩の内容はとても厳しいと言うか、ハッとさせられます。
NON PASSE PAS TON TEMPS
A REGARDER TES MAINS
CRISPEES, TENDUES OU VIDES
OU PLEINES DE CHAGRIN
そして、次のヴァースでは
NE PASSE PAS TA VIE
EN JOURS SANS LENDEMAIN
SECOUE UN PEU TON COEUR
ET PRENDSLE PAR LA MAIN
”手を眺めて(いるだけのような)時間を無駄にするな” ”将来の無い日々に人生を費やすな”
・・・・・私も耳が痛い。
多分、生き方そのものに悩んでいたであろうこの頃のジュリアン自身の気持ちををロダ=ジルは上手く
捉えて叱っているようにも思えます。
しかし、曲の後半で、詞の内容がちょっと雰囲気を変えます。
PRENDS TON COEUR PAR MAIN
INSTALLELE CHEZ MOI
METSLE DANS LA LUMIERE
AU LIT ON DANS MES BRAS
この言葉を投げかけている相手は恋に破れた想い人へのものなのか、それとも
何かに絶望してしまった恋人への言葉なのかはわかりませんが、
「僕がここにいるよ」と言いたいのを遠まわしに、またはちょっとひねた表現で
出している感じです。
ロダ=ジルの詞の書き方はこのように多分受け手によって解釈が変わるようなつくりをしているようです。
たった1行の詞の意味を色々と連想するのはとても面白いのですが、1行に拘っているとなかなか先に
読み進めませんね。
サウンドはピアノとクギター、ベース、ドラム、ストリングスと、アクセントに拍子木。
中心はベースとピアノで、アレンジもとてもシンプルです。
シンプルな分だけ今までのアルバムに比べてジュリアンの歌が前面に出ている印象を受けますね。
この曲でも最後のヴァースにまた私はぐっと来ました。 ロダ=ジルの技に今回もはまってしまいました。
PRENDS TON COEUR PAR MAIN
ET PUIS DONNELEMOI
ET PUIS DE TES DEUX MAINS
FAIS CE QUE TU VOUDRAS
力強いジュリアンのこのフレーズの歌い方に何か背中を押されたような気持ちです。

今月は72年に発売されたジュリアンの4枚目のアルバム「SI ON CHANTAIT」 
からの曲です。若々しくて、自信があって...このアルバム全体にそれがあふれています。
当時の彼は24歳。恋の歌が多くても当たり前です。そんな中でこの曲は恋人を待つ
主人公の「僕」の小さな物語。
JE T’AI DONNE RENDEZ−VOUS
J’AVAIS CHOISI L’ENDROIT
JE SAIS BIEN C’EST UN PEU FOU
C’EST COMME CA・・・・
「ちょっと変だけれど、恋人と逢うのにその場所(ナシオン広場)を選んだ・・・」
この意味は昨年ナシオン広場を初めて訪れて理解できました。「広場」と言ってもただのロータリー
みたいで、ちっとも広場らしくない。歌の中にある、
LES DEUX COLONNES BARBARES
COMME DES CHEMINEES
(煙突のような2本の柱)は、確かにあったのですが、1880年に革命記念日の式典を行った所とは
到底想像もできないパリの普通の1区画のようでした。
そして「僕」は来ない恋人を待ち続け、レモンティーを7杯も飲んでいた。
待ち合わせをしていて相手がなかなか来ない時のあの何ともしがたいイライラ感が主人公がこの広場の
歴史を遡る表現で続きます。 でも、最後はハッピーエンド。 待った甲斐があって、彼女はやってきました。
MAIS TU VIENS DE M’ARRIVER
ET EN PLEIN FRONT
JE NE VOIS PLUS LE CANON
NI LA NATION....
彼女の顔を見たら、大砲もナシオン広場ももう見えなくなった・・・・この表現に思わず「うん、うん」と
納得してしまった私でした。
