
ジュリアン・クレールとの出会い、そして……

「燃えるカリフォルニア」
この邦題の曲がFMから流れてきたのを初めて
聴いたのは1974年の春だったと記憶している。
その時からこのフランス人の歌手の歌う歌が
その後の私の生活に拘わっていく事になるとは
全く想像も出来なかった。
ちょうど初来日の頃で、FMからは毎日
“La carifornia〜”と歌う彼の曲が流れていた。
それまで聴いていた洋楽と違う新鮮な
フランス語の響きとエキゾチックなメロディに
“どんな人がこの曲を歌っているのだろうか”と
想像力は日に日に膨らんでいた。
ついにレコード店でそのシングル盤を手に
取った私はその場に暫し棒立ち状態になった。
「まるでギリシャ神話のアポロンのようだ……。」
黒服に身を包み、獅子のたてがみの様な黒髪の
彼を見た時の私の偽らざる印象である。
ちょっと口が大きいけれど(笑)、26歳の若き
アポロンはルックスでも私を魅了してしまった。
それからはもう大変!
ジュリアンのLPを買う為に、少ないお小遣いを貯めて、土曜日のお昼代(その頃テニス部に入っていて、土曜日は
午後から練習だったから、学校の近所でお昼のパンを買うために親から昼食代を貰っていた…)も全てLPの為の
資金に充てた。そして数ヶ月後にやっと手にしたのがその「燃えるカリフォルニア」が入ったLP
『パリの熱い息吹/ジュリアン・クレール』(原題;Des jours entiers a t'aimer)だった。
風邪を引いた鼻声の様にビヴラートのかかった彼の歌は私を熱病患者の如く仕立てた。
遠い異国を感じさせずにはいられないメロディの中で、ジュリアンは自由奔放に彼の情熱のありったけを
「歌」という方法を用いて私に語りかけてくる。
結局 記念すべき初来日コンサートは観ることが出来なかったけれど、その後はジュリアンの歌が、
ジュリアン・クレールと言うひとりの未知のフランス人が私の生活の一部として完全に入り込んでしまった。
そして翌1975年3月。
私は本物のジュリアンに触れる事になる。
新宿厚生年金ホールでの来日コンサート最終日の事は私の一生の思い出となっている。それ以前にも
(ほんのちょっと)TVでビデオクリップが流れたりしたのを見ていたが、コンサートでの本物の迫力に
圧倒され、シャイで且つひとなっつこい仕草にすっかりマイってしまったのだ。
LPからCDへと時代は移り、雑誌のページを飾るどころか、日本での契約もなくなったジュリアンを、私は
フランスから遙か遠いこの国から今でも見守っている。
初来日から既に25年。私の若きアポロンは今年の10月で54歳になる。
97年、99年とパリで見た彼は外見はすっかり「おじさん」ではあったけれど、とてもカッコいい歳の取り方をして
来たのではないだろうか。(と、思う。)
私の中では永遠にアイドルであり続けるであろうジュリアン、
人生の友である彼の歌をこれからも愛し続けたい。
