ボブ・ディランーBrotherたちと見た「生きた伝説」

     
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低い☆TAKEの「ディラン認知度」
 正直に言うと、ディランは私にとってかつては「聴かず嫌い」なアーティストのひとりだった。ビートルズ、特にジョンに与えた影響のことはあちこちで語られていたし、「フォークからロックに転向、フォーク・ロックという新分野を開拓した」という生き方はカッコイイと思っていた。それでも興味が持てなかった。実は私は 70年代の日本のフォークが大の苦手。で、この時代の日本のフォーク・シンガーに「神様」といわれていたのがディラン。吉田拓郎は「日本のディラン」といわれていたし、ガロの「学生街の喫茶店」にディランの名前が登場するし・・・。つまり、その「フォークの神様」というイメージが邪魔をして、 彼を遠ざけていたのである。

  だけど、ラジオで流れていたLike A Rollin' Stoneはすぐに気に入ったし、同じくラジオで聴いたライブ盤HARD RAIN(激しい雨)からのMagie's Farmのライブ・バージョンは「まるでパンクみたいだ」と感動したしで、少しずつ彼の音楽に興味を持つようになった。1990年頃だった。そして、ジョージ目当てで見た「バングラデッシュ」のライブ・ビデオでの彼のパフォーマンスは 私を心底感動させた。彼自身の歌とギター、ハーモニカに、ジョージのギター、レオン・ラッセルのベース、リンゴのタンバリンという、あまりにも簡素な演奏、気のきいたMCも演出もない、それなのにあの大きなマジソン・スクエア・ガーデンを熱狂の渦に巻き込む彼の存在感といったらない。特にジョージとレオンのハモリも入ったJust Like A Womanの彼の歌声は心に染みた。 翌日、初期のベストGREATEST HITS VOLUME 1を購入、以降、ディランを聴き進めていった・・・。

  とはいえ、ディランのディスコグラフィはあまりにも膨大。とてもすべてをフォローできるもんじゃない。時代によって、アルバムによってやってることが全然違うし、あまりにも奥の深いアーティスト。「無節操になんでも聴く」といえば聞こえはいいけど、「聴きかじり」も多い私のような音楽ファンにとって、ディランの世界は奥が深すぎる。よってその後、HIGHWAY 61 REVISITED(追憶のハイウェイ61)、THE BASEMENT TAPES(地下室)、そしてベスト盤GREATEST HITS VOLUME 3、3枚組ヒストリー・ボックスBIOGRAPHを聴いたのみ。 ヒストリーものを購入してさえ、彼の世界の半分もフォローできないんだから恐ろしいほどの奥深さだ。

  とまあそういうわけで、「好きなアーティスト」であるにもかかわらず、また10年以上の付き合いであるにもかかわらず、その奥深さのためになかなかディープに聴き込むことができないでいるアーティスト、それが私にとってのボブ・ディランという人なのである。


Brotherの粋な計らい
 「ディランが2001年に来日」。最初にそのニュースを知ったのは、相互リンク先の弦さんのボードを覗いた昨年12月初めのこと。で、自分のボードをはじめあちこちで、「行くべきか、行かないべきか迷っている」と書いてきた。実は前回来日した97年初頭(当時札幌在住、札幌公演もあった)も、私は「行くべきか、行かないべきか」迷った末に行かなかった。 理由はふたつ。ひとつは当時の最新アルバムの2枚、GOOD AS I BEEN TO YOU(92年)、WORLD GONE WRONG(93年)が弾き語り中心の地味なものだったので、ライブもそうしたものになりそうだと思ったため。もうひとつは当時は異常に忙しく、まず行けないだろうと諦めたため。ところが、いざ蓋を開けてみるとライブの内容は、弦が切れそうなほどギターを掻き鳴らして熱唱するロック色の濃いものだったとのこと。そして、「忙しい」と思われていたライブ当日は突然の休み・・・。 つまり、私は勝手に「ふたつの予想」をたてて行かなかったんだけど、その予想は見事、ふたつとも外れたわけで、そのことを知った時は悔しくて、悔しくて・・・。なので、「次に来日する時は絶対に見る」と心に決めていたというわけ。とはいえ、やはり「ディラン認知度」の低い私、「ライブでは突然マニアックな曲をやる」上、「お馴染みの曲も全然違うアレンジで歌う」ことで有名なディランを前にして尻込み。 4年前の決心はどこへやら、結局今回も「見送り」となった。はずだった・・・。

  ところが、ディラン来日公演のことなどとっくに忘れていた2001年2月半ば、不意に弦さんから「大宮公演のチケットを確保したので行きませんか」との連絡が。いやはや、驚きました。「Web Brothersの外交官」(私が勝手にそう呼んでます)であるこの方には、たびたびいろんな企画に参加させていただいたりとお世話になりっぱなし。 本当に感謝しています。不規則な生活を送っている私だったが「これは行かねば」とばかりにスケジュールを調整。しかしそれは私にとって、「1998年以来3年ぶりのライブ」であるとともに、「1999年1月以来、2年ぶりにネット上の知り合いに直接対面すること」にもなるわけで・・・。「ディラン認知度」が低いことと合わせてそのこともまた、嬉しい反面、私を緊張させる要因にもなった。その上、2001年2月は異様に忙しく、生活も不規則だったため、「予習、復習」もできないまま当日を迎え、 期待よりも不安が大きくなるばかりだった。


Brotherたちとの対面
 ほとんど休みもなく、何の予習もないままライブ当日の2001年2月25日を迎えた。夜型生活の私は朝9時頃帰宅、10時に就寝、1時過ぎには起きて準備をするという、何ともハードなスケジュール。だけど「連続勤務」が続くと逆にハイテンションになるのが私の長所(いや、短所かも:笑)。眠気も疲れもなく、テンションの高いまま大宮へと向かった。大宮駅で電車を降り、Web Brothersの弦さん、Yutakaさん、SUGAさんとの待ち合わせ場所へ急ぐ私。 メールには「3人とも楽器を持ってるのですぐに分かると思います」とあった。3人組のストリート・ミュージシャン発見。「ひょっとして、あれか?」不意に立ち止まった私。でもまさかねえ、いくら「プレイヤー系」なお3方といえども、待ち合わせ場所で演奏するなんて大それたことはしないだろう。第一、話し掛けづらいじゃないか(笑)。よく見るとみんな20代前半。じゃあ違うや。みんな俺と同世代だったもんね、確か。ということでその場を通り過ぎると・・・。 ああ、あの3人だ。今度は間違いなかろうと恐る恐る話し掛ける。でも、私も緊張していたので、なんと話し掛けたらよいのか分からず。うーん、なんて話し掛けたんだったっけ? 「どうも、はじめまして」だったか、「すみません・・・」だったか、全然覚えてない。でも、3人とも反応が鈍い。おかしいなあ、違ったかな。しばらくして「☆TAKEさんですか?」ときた。よしよし、間違ってなかったんだ。でもねえ、自分のことを「☆TAKEです」ってのは照れくさくって、 「そうです」と答えたっきり、ペコペコ頭を下げていた。本名で「Sです」って名乗るのは自然だけど、「☆TAKEです」って名乗るのは照れる。ネット上の知り合いに直接会ったことのある人なら分かるんじゃないかな。時間は夕方の4時15分。開場は5時半なので、しばらくお茶でもということで、埼玉県在住の弦さん行き付けの店へと向かった。

  で、ここでWeb Brothersと私の関わりについて。この「ネット上の兄弟」を名乗っているWeb Brothersは、山川健一氏のHPで知り合い、親しくなったというみなさん。私がこの人たちとネット上で出会ったのは1998年12月のこと。当時みなさんは期間限定共作サイトTribute To John Lennonを作成、「ゲリラ的」ともいえる派手な宣伝活動をネット上で展開されていました。当然私がそれを見逃すはずもなく、早速そのサイトにアクセスしてBBSで大暴走。それまで私はWeb Brothersの どなたとも親交がなかったのに、まるで自分のボードであるかのように連日派手に書き込み。実はうちのサイトが「内輪だけが見ているサイト」から大きくステップ・アップしていく最初のきっかけになった出来事でした。そのBBSからいろんな人が来てくれたし・・・。そこからみなさんとの交流がはじまり、翌1999年12月には各自がビートルズの曲を演奏したテイクを集めてWeb BrothersオリジナルCDまで作成してしまったみなさん。依頼を受け、 私は「全曲解説」のテキストを手がけるに至ったというわけです。この方々のネット上での行動力、企画力には毎回驚かされるところですが、意外にも今回が初対面となったわけです。

  「すぐに反応がなかった」のは、どうもメールでお知らせしていた私の服装、イメージと若干違っていたせいらしい。弦さんの行きつけの店は、壁にR&Bなどのブラック系のレコードのジャケットを飾って、BGMには70年代ディスコが流れるという、ちょっと洒落た店。YutakaさんとSUGAさんは酒を注文されていたが、「寝不足だから寝てはいけない」ということで私は泣く泣くアルコールを拒否してコーヒーで我慢。2人とも俺の前で美味そうに飲まないでくれ!(笑) とはいえ、忙しさで ハイテンションになっていた私は「ネット論」「サイト論」「ロック観」をやけに熱く語ってしまった(笑)。初対面の人と上手く話せないはずの私なのに。しかも声のトーンの低い大人な他のお3方に対して、私の話し方、言葉遣いのなんと荒いこと(笑)。この辺は少し反省です。でも、嘘は言ってないし、あれが自然な私です。どうもネット上では「クールだ」とか、「真面目だ」と思われることが多いんだけど、But it ain't me, babe(俺はそんな男じゃないんだ)といったところ。私が上手く話ができたのは、特に弦さんの細やかな気配りと心遣いがあったからだということは気がついています。「Web Brothersの外交官」のイメージそのままの方だな。 私とは正反対かも。ディランの話も当然出たけど、どうも「認知度」は他のみなさんも同じくらいのよう。「前回の来日公演を見た」、「最近のアルバムも聴いている」というSUGAさんが若干高いかなといったところ。意外と時間は早く流れ、気がつけば開場時間が迫ってきたので店を出て、会場の大宮ソニック・シティへと向かった。


会場入り、そして現れた「伝説の人」
大宮ソニック・シティに着くと、既に人だかりができていた。しかしダフ屋に「チケット余ってない?」と声をかけられ、「余ってません」とわざわざ答える弦さんの律義さといったら・・・(笑)。この性格は見習わねば。開場が遅れているようで、建物を取り囲むように列ができている。最後尾を探し列に加わった。しかし寒いぞ。この日は雪こそ降ってなかったけど、 いつ降り出しても不思議じゃないほどの寒さ。山形在住のYutakaさん、福島在住のSUGAさんですら「寒い」と言っていた。客層は私が想像していた以上に若い。私と同世代か、もっと下の世代の人も目につく。ストーンズのライブよりも平均年齢は低そう。ちょっと意外。だけど、一方でヒッピー・ファッション、髭面といった「デッド・ヘッズ」風の人も目立つ。ブリティッシュ系のアーティストのライブに行くことの多い私にとっては、 新鮮な光景だった。ようやく開場となったのか、列が動きはじめた。動き出すと意外と早い。あっさりと中へ入れた。うーん、暖かい。しかしこの建物、設計ミスでは? 通路が狭い上、ホールをグルリと廻り込まないと中へ入れない。席につくまで時間がかかってしまった。ちなみに弦さんと私は席に直行、YutakaさんとSUGAさんはグッズ売り場へ向かった。席は1階の中段、ステージに向かって右側の通路に面したところだった。 かなりはっきりと姿を拝むことができそうだ。

  YutakaさんとSUGAさんがグッズ売り場から帰ってきた。「パンフが売ってない」とボヤく2人。おいおい本当かよ。私はグッズには興味はないけど、パンフはよく買う。2人に見せてもらって、よさそうだったら買おうと思ってたのに・・・。「音楽だけで勝負、余計なサービスはしない。ディランらしいじゃないですか」。そう言った私だったけど、でもねえ。まあ、出費を防ぐことはできたな(笑)。 と、いきなり「アンプのセッティングがどうのこうの」とか、「あのギターの機種がどうのこうの」と、私にはさっぱり分からない「プレイヤー」ならではの視点で分析をはじめるYutakaさんとSUGAさん。「何の話ですか! さっぱり分からん」。苦笑いで突っ込みを入れる私(笑)。いやいや、さすがに目の付け所が違う。会場のBGMはジャズ。また、開演までは席を離れてウロウロしてる人が多いのというのがライブでよく見られる光景だけど、 不思議とみんな早くから席につき、静かに開演を待っているといった状態。こういう雰囲気のライブも珍しいな。

  開演時間を20分ほど過ぎた18時20分頃、客電が落ち、ステージにサポート・メンバーが登場、そして一番後ろから・・・。遂に登場した伝説の人。後ろを向いたままスタッフにハーモニカ・ホルダーをかけられ、正面を向いた瞬間大歓声。特に挨拶もなくいきなり1曲目の演奏がはじまった。

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