東京湾岸内・外の鯨塚


千葉県浦安市:鯨塚「大鯨の碑」
 
「稲荷神社」と「大鯨の御社」
東西線浦安駅から歩いて10分の所に稲荷神社があります。その境内を入ると右奥に
「大鯨の御社」があり鯨塚が祀られています。現在,浦安は埋め立で都市化が
進み大都会になり、稲荷神社は海からかなり離れた位置にあります。

住所:浦安市当代島3-11 アクセス:東西線浦安駅・徒歩10分

 
「大鯨の碑の由来」と祀られている「四つの塚」
明治8年(1875)、地元の漁師である高梨源八と西脇清吉さんが浦安の八枚洲で大
鯨を見つけ大格闘の末に捉え、当時の金額で二百円で売れたそうです。二人の漁師
は大鯨捕獲劇でもちきり英雄扱い有名人となり仕事には手が付かず、 年配者の示唆
を受けて気を引き締めるため「大鯨の碑」を稲荷神社末社にたて奉納したといわれる。
この大鯨は「深川の見世物」として郵便報知新聞第832号にも載っております。

 
四つの塚は左から大きい屋根がある「無名」碑、小型の「無名」碑、もっとも
小さい「大鯨」の碑、赤い字で書かれた「讃岐国 金刀比羅宮」の順に並んでいます。
  
鯨塚の碑は横21臓縦41造寮弌並罎寮个禄く)で作られています。
頭部後ろ側は大きく欠けていました。大きい字で「大鯨」の銘がくっきりとわかる。

左上の方に、朱色バックの「奉納 竜宮」「大正14年」の額がにぎやかさを増しています。

稲荷神社の説明

大鯨の御社(稲荷神社境内)
大鯨の御社は、碑の左側面に高梨源八、西脇清吉の名が刻まれてお
り、明治八年、当時は現在の船入緑道には船入川が流れていて多く
の木造漁船が?がれ、桟橋近くは漁民の社交場ともなっていた。

船入川より江戸川にでて引き潮を利用して櫓を漕いで河口へ当時は
水門や護岸提もなく、岸辺に葦が生い茂り春ともなるとヨシキリが
啼き、鴎が飛び交い漁師は追い風があれば帆を張って川の流れにゆ
だねて海へ、貝や魚を採って日々の暮らしの糧を稼ぎながら生活を送っていた。

東京湾に鯨がいたということは現在では思いも及ばないことではあ
るが、水が澄み、自然環境が好く小魚が多く、鯨の餌が豊富だったのであろう。

河口から海へしばらく向かうと三枚洲(葛西沖)という好漁場があ
り、漁をしようといつものように日の出前に当代島の高梨源八、西
脇清吉の両氏は船に立って漁場の三枚洲に近づいていくと、洲の上
に大きな黒い大きな魚が暴れているのを見つけて近寄っていくと、
うわさが絶えなかった大鯨が浅瀬の汐溜まりに取り残されている。

そこで両氏は驚きと興奮で体が硬直したものの気を取り直し、大格
斗の末に大鯨を捕ることに成功し、意気揚々と当代島へと戻った。

両氏が帰還すると村中が知らせを聞いて大騒ぎとなり、老若男女が
こぞって見物に来たそうです。

この大鯨は当時の価格で金弐百円もの高値で売れ、大金を手にした
両氏はすっかり有名人になり、どこへ行っても英雄扱いされたそう
です。両氏は大鯨捕獲劇のことで仕事も手につかなくなり、このこ
とに終止符を打つために考えた末に年配者の知恵から稲荷神社に大
鯨の碑を奉納し、祀ったとのことです。これが大鯨の碑建立の経緯であります。

(稲荷神社 千葉県浦安市猫実3-13-1 TEL:047-351-5417(清瀧神社))

東京都 品川・利田神社(カガタジンジャ)の鯨塚
京浜急行の北品川駅から徒歩10分弱で利田神社につきます。
近くには運河・船泊まりがあり海・漁師町の雰囲気です。
魚屋さん、海苔屋さん、お土産屋さんもあり下町情緒が漂って
いました。リックを担いだ多くの人たちが鯨塚に来ていました。

住所:品川区東品川1-7-17 アクセス:京急・北品川徒歩6分


旧東海道の近くの「利田神社」と   整備されている「鯨塚・鯨碑」の全景

寛政の鯨事件として品川宿を大いに賑やわせた有名な鯨さん。
寛政10年(1798)5月1日、品川沖に迷い込んだ鯨を漁師たちが
天王洲の浅瀬に追い込み、捕らえて浜離宮まで曳航し第11代将軍
家斎も上覧された由。鯨はシロナガスクジラ(?)といわれ体長
16.5叩高さ2.04叩このクジラの骨を埋めて、その上に建て
られたのが鯨塚。この鯨は見世物となり多くの人が集まったといわれている。

狂歌 「品川の沖にとまりしせみくじら、皆みんみん飛んでくるなり」

セミクジラとミンミン鳴くセミをかけてすごい賑わいをあらわす狂歌です。
品川沖で見せ物になった鯨に見物人が騒々しく集まる様子が目にとるようです。


「鯨塚」・大きさは縦90臓横150臓      峽瀏蝓

「鯨碑の説明」         「鯨塚の由来」

品川区指定有形文化財

鯨碑

所在 東品川一丁目七番十七号 利田神社
指定 平成十八年十一月二八日(歴史資料第四号)

この鯨碑(鯨塚)は、寛政十年(一七九八)五月一日、前日からの暴風雨で品川沖
に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕らえられた鯨の供養碑である。鯨
の体長は九間一尺(約十六・五メートル)高さ六尺八寸(約二メートル)の大鯨
で、江戸中の評判となった。ついには十一代将軍家斉(いえなり)が浜御殿(現、
浜離宮恩賜庭園)で上覧するという騒ぎになった。
全国に多くの鯨の墓(塚・塔・碑など)が散在するが、東京に現存する唯一の鯨碑
(鯨塚)である。また、本碑にかかわる調査から品川浦のように捕鯨を行っていな
い地域での鯨捕獲の法を定めていることや、鯨見物に対する江戸庶民の喧騒ぶりを
窺い知ることができる貴重な歴史資料である。
平成十九年三月一日  品川区教育委員会

鯨塚乃由来

此ノ鯨塚ハ寛政拾年(西暦一七九八年)五月壱日折柄ノ暴風雨ニモマレ乍ラ大鯨ガ
品川ノ沖ニ這入リ込ミ是ヲ見ツケタ猟師達ハ舟ヲ出シテ遠巻ニシテ天王州ニ追イ込
ミ遂ニ捕エタ 此ノ事ガ忽チ江戸ニ広ガリ見物客デ大賑イニ成リ五月三十日ニ芝ノ
浜御殿(今ノ浜離宮公園)ノ沖ニ船デ引張ッテ行キ第十一代将軍家斉公ニ御覧ニ入
レタ 此ノ鯨ノ背通リ長サ九間一尺高サ六尺八寸有ッタト言ウ 鯨塚ニハ左ノ句ガ
刻ンデアル
  江戸に鳴る  冥加やたかし    なつ鯨  
                   当時の俳人 谷 素外

昭和四十四年九月吉日 昭和大改修
東品川一三町会      鯨塚保存会

鯨碑

武州荏原郡品川浦   天王洲漁人等建之
鯨鯢ハ魚中ノ王 本邦西南ノ海ニ多ク東北ノ海ニ少ナリ 今年仲夏
甲子ノ日 始子品川天王洲  舟ヲ以テ囲ミ矛ヲ以テ刺 直ニ廳事
ニ訴フ衆人コレヲ聞テ コレヲ見ント 数日群集ス 諺ニ此魚ヲ獲
時ハ七郷富潤フトフ漁長ニ代ッテ祭之詞  玉池一陽井 素外
 江戸に鳴  冥加やたかし  なつ鯨
寛政十年戌午夏 華渓稲貞隆書


「品川浦の生活」の説明板     鯨さんの詩・狂歌

「うちよする 浪は御浜の おにはぞと くじらは潮を ふくはうち海」

鬼は外、福は内!!!!!

「利田神社と鯨塚」案内板  利田神社横のモニュメント鯨(セミクジラ)と可愛い遊具2機

「品川浦の生活」の説明板に書かれていたクジラ。肌の斑点模様や腹の畝に見える筋・大きさ・
背びれがあることから種類は「セミクジラ」ではなくて「シロナガスクジラ」ではないかと
いわれております。「セミクジラ」には背びれ、腹部の線「ウネ:畝」はありません。

狂歌の「みんみん」「セミ」「セミクジラ」とが違ってきますが、鯨種不明時のご愛嬌??

「シロナガスクジラ」       「セミクジラ」

海洋堂「シロナガスクジラ」       海洋堂「セミクジラ」

クジラを見る機会が少なく、「寛政の鯨」事件と云われた時代です。
昔の鯨絵・話・詩(ウタ)は間違いが多く鵜呑みにはできません。
下記の特別付録:国立科学博物館の実物大模型「シロナガスクジラ」もご覧下さい


「鯨塚の絵葉書」鯨塚・品川史跡と書かれた案内板、鯨碑の銘がある三角石、
 Z Z Z と眠っている鯨絵。途中の「東海道品川宿・お土産処」でゲット!

「享保のゾウ」「文政のラクダ」と共に「寛政のクジラ」は江戸を騒がせた3大動物です。
この鯨の胴部分は41両3分(120万〜210万円)で売られたと記録されている。

品川区には東京海洋大学があります。ここには北太平洋で捕獲された
セミクジラの骨格が展示されています。またアメリカ式捕鯨船をモデルにした
雲鷹丸(旧練習船・現在は陸上設置)や水産資料館があり一般の人も見学できます。


千葉県南房総市白浜町 『乙浜の鯨塚』
白浜町では明治時代に捕鯨が行われていました。そのころ東洋漁業会社
が鯨の供養と安全祈願・大漁祈願をするために作られたのが乙浜の鯨塚です。
現在は白亜のリゾート・マンションがたち道路を挟んで海側に移設されました。

「鯨塚がある海岸の風景」       海を向いた「鯨塚」

住所:千葉県南房総市白浜町乙浜(オトハマ)

 
「鯨塚」碑の拡大            「鯨塚」
鯨塚は明治4年頃建立され、親鯨の頭骨や胎児が埋葬されていました。

「鯨塚の由来」が書かれています。


千葉県南房総市白浜町 『白浜海洋美術館』の鯨岩
白浜海洋美術館の入り口に大きい岩があり鯨が横たわったような形を
しています。「鯨岩」とかかれていました。「杉長墳」という石板
がありましたが休館日だったので由来は聞けず不明です。

住所:千葉県南房総市白浜628-1

 
鯨岩の全景            鯨岩の案内板
 
鯨が横たわったような鯨岩  鯨岩の上にある「杉長墳」の銘がある石板
この博物館には大漁時に贈られる「万祝長着」の数々。紀州古式捕鯨
(江戸時代)を描いた「古座浦捕鯨絵巻」などが展示されています。
捕鯨関係・漁業に興味ある方は一見する価値があります。

千葉県安房郡鋸南町勝山  くじら塚

勝山・板井ケ谷(イタイガヤツ)の弁財天には多くの石碑・くじら塚が立って
います。この塚は毎年、クジラの供養と大漁祈願のために建てたそうです。

勝山のくじら塚は漁・鯨解体に加わった漁師・出刃組が中心になって建てたものです。

くじら塚は120基以上ありましたが崖崩れなどで現在52基が残っています。
骨を埋めた「くじらの墓」ではなく石を掘っただけの「くじらの塚」です。
その年の捕獲数で墓の大きさに違いがあります。高さは46臓81臓幅は
30造曚鼻奥行き20造曚鼻B腟年ほど背高です。狭い場所に立っていますが
数が多いので賑やかな感じ。後ろ・横・傾きと時代の経過を残しています。

住所:千葉県安房郡鋸南町板井ケ谷1138 アクセス:JR安房勝山駅徒歩15分


  弁才天の鳥居。                 道標。

「いさなとる 安房の浜辺は魚偏に 京という字の 都なるらん」

賑わう勝山の浜を「京」のようだと「鯨」の字になぞらえて詠んだ狂歌です。
(江戸時代の文人・狂歌師・大田蜀山人:1805年に勝山を訪れた)
 

  「魚偏に 江の字くじらと 書かせたい」

江戸時代の 古川柳。くじらの漢字「鯨」は「魚」偏に「京」、
この字を賑やかな江戸の「江」に替えてはといっております。

詳しくはこちら↓↓↓↓↓
★面白い江戸・くじら川柳


千葉県千倉町・千田:「長性寺」のくじら塚
 
千葉県南房総市千倉町千田1635の長性寺には鯨を祀る鯨塚があります。
明治29年9月に千倉の千田港に鯨が打ち上がりました。
この鯨の供養のために石碑を用意しましたが、放置されていた人の墓を
転用したのだそうです。このためか千葉の鯨塚では超立派なかたちでした。
どこの鯨塚でも云えますが付近でも知っている人がなく探すのに苦労します。
(資料:「くじらと散歩」小松正之著ごま書房)

「昔からこの付近では鯨は霊獣と見られ、明治29年に鯨が捕獲された
ときに肉部分は神からの恵みとして住民で話し合い分けました。住民は長性寺
住職に相談しました。災いを避け供養のために肉以外の骨内臓を埋葬し
ようとしたそうです。しかし全部を埋めることができず心臓を埋葬す
ることにし長性寺境内に供養塔を建立し手厚く供養しました」
(資料:南房総市千倉支所・南房総捕鯨伝承施設〜長性寺ほか〜)

 
長性寺の立派な鯨塚(宝筐印塔型といわれる)      拡大写真・苔むしていたので削り銘が出ました

鯨塚から見た千倉の海・近くに千倉潮風王国があります。塚は海方向を向いています

現在は北隣の和田町の方が{鯨の町」になっていて夏場は捕鯨基地として鯨の水揚げもあり、
「鯨料理店」も多く”宣伝ののぼり”が沢山立っておりました。鯨のモニュメントが皆さんを迎えてくれます。

歴史がある房総の沿岸捕鯨基地は勝山・白浜・銚子・千倉・和田と変遷しました。

★房総半島の400年捕鯨史


神奈川県三浦市・「西浜地蔵堂」のくぢら塚

  神奈川県三浦市三崎5-14-7の西浜地蔵堂に天保5年(1834)建立の「くぢら塚」があります。
くぢら漁が盛んだった頃に、漁師たちが建立したといわれております。

別説では、城ヶ島灯台の下で流れ鯨が捕獲されて祀られ、三崎西浜の地蔵院にあるくぢら塚は
このくぢらの供養の塚とも云われる。
くぢら塚は最近建てられたかと思われるほど綺麗に保存され花もあげられていました。

 
花がいけてあるくぢら塚            地蔵さんの横にくぢら塚
 
くぢら塚への登り口           くぢら塚から見た遠景(城ヶ島方向)

くぢら塚を探しまわっていると近くにお住まいの地蔵堂を管理している方が私たちに近づいてきて、
どこを探しているのかといわれ、それでは、私が案内しますと登り口まで連れて行ってもらいました。
くぢら塚のいわれは『魚をもたらしてくれる鯨として漁師たちが祀った』とのお話でした。
魚を連れてくる・集めてくれ大漁の神様=鯨=(エビス様)として祀ったといわれていました。

塚の正面は「くぢら塚」、左右に天保五甲午年二月一二日、
下に施主宇八ほか宗右衛門、権助、七右衛門とある。

くぢら塚は海を背にしておりました。各地の鯨の墓や塚は海方向を向いているのが多いのですが不思議!
坂道の両側には沢山の住宅が建ち並び漁師町といった感じでした。
狭い敷地のためか海を向いた地蔵堂とくぢら塚は向かい合った配置になっています。


すぐ下が三崎の魚市場です。そばに多くの魚屋さんが入った海産品売り場があり
日曜日のため団体バスの列、駐車場入り口には自家用車の行列ができておりました。
加工業者・鮮魚店・マグロ料理店・すし屋さんが沢山あり大繁盛!。お客様で満員でした。

関東地方で初めて捕鯨が行われたのは三浦地方といわれており、 三浦から房総に捕鯨が伝わったようです。
(※クジラは「くぢら」としました)


詳しくは下記をご覧下さい。

★鯨文化:鯨を弔った鯨墓・鯨塚など

★安房の捕鯨(古式〜現在)・・「勝山のくじら塚」

★鯨王国「呼子」・・「呼子・小川島の鯨墓」

★長門捕鯨のくじら資料館・・・・「くじら墓」


鯨さんが登場する、短歌・俳句・川柳・狂歌・詩・歌・そして各地に伝わる鯨歌
上村博一さんのホームページに鯨さんにかかわる詩(うた)が沢山掲載されています。
『自分のことばで書く・話す〜日本語の街角散歩〜』をどうぞお楽しみください!!!!!!!

『鯨さんの詩(うた)』

『上村博一の日本語ホームページ・日本語ノート』

 
特別付録:国立科学博物館の実物大模型「シロナガスクジラ」
深呼吸をした後、今にも潜水に入ろうとする瞬間の姿勢。
シロナガスクジラ模型・体長30叩重さ150鼎亮楕大サイズ。
流線型の細長い体形、灰色のかすり状斑紋、小さな「背びれ」が特徴です。
腹側には口元からヘソまでの縦線の「畝:ウネ」、かわいい「目」、目の後
やや下にごく小さい「耳の穴」があります。平らな口ばし状の頭部には3本
の稜線も見られます。





メスのクジラ、前から「交接器」ー円状の「肛門」の順に縦長の溝状・窪みが見られる。
交接器(真ん中の縦の溝)の両側にある短い溝状の窪みがお乳部分です。
乳房が見えないお乳の位置は、人間と大違いですね!!!!。
クジラは、進化のため 凸凹部をなくして魚形「紡錘形」に”大変身”しました。