鯨文化:鯨を弔った鯨墓・鯨塚など


長門市通(青海島)の「鯨墓」      諫早市仲沖町の「鯨塔」

平戸市最教寺奥の院「鯨鯢供養塔」2基。 後部の墓の作りは「五輪塔」と呼ばれる。

壱岐・前目浦(恵比須浦)鯨供養塔 (資料提供:柿原啓之氏)
左の屋根付き墓の種類は「笠塔婆」といわれる。

唐津市神集島。昔は鯨定置網が有名。珍しい「鯨に乗った恵比寿様」
(撮影:廖ゝ楚融瓠

日本各地には、かなり昔から鯨信仰があり供養のためにお墓や供養塚・供養碑が建てられています。
親鯨のお腹から出た胎児を葬ったり、流れ鯨・寄り鯨の供養、捕獲した鯨の霊を弔う等仏教の
影響が大きく日本人の心の優しさが現れています。欧米人はクジラを物・灯油の原料などと見ておりました。
今の石油・合成樹脂時代の見方と同じ精神構造といえますしそれが異文化です。

流れ鯨・寄り鯨のために飢餓を逃れた話、鯨を売って神社を作ったり(鯨神社)、お寺を寄進したり、
港の工事費に使ったり、学校を作ったり(鯨学校)など伝説や逸話が多くあります。
鯨は富・幸をよび、大漁をもたらす「恵比寿・夷・戎・蛭子」信仰も各地にあります。

『鯨墓・塚』は一般的な花立付きの石柱型が多く、自然石・石板型・五重塔
・鯨型・記念碑型等があり大きさはまちまちです。愛媛県の鯨塚は風化防止のため近年ガラス枠の御堂
にいれられているものもあります。場所は辺鄙な所に多く、尋ねるのには皆さん苦労しているようです。
このような 未開地・辺鄙な地は「鯨寄る浦」(この世の地の果てとも云うべき未開の地のこと)と云われます。
正式には「虎伏す野辺、鯨寄る浦」ですが現在でも交通不便な場所が多いようです。

鯨信仰と鯨墓をもっと知りたい方は下記をご覧下さい
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『日本の鯨文化・鯨と信仰』をご覧下さい

場所 名称 特記事項
北海道函館市鯨族供養塔千歳坂:函館市弥生町9。 昭和32年に鯨の供養のため個人で建てたものである。捕鯨船長・砲手でもあった天野太輔氏がそれまで獲得した鯨を供養するために建立。
岩手県陸前高田市広田吊(弔)大鯨之霊碑浜辺に「吊大鯨之霊碑」がある。自然石:高さ80舵34臓L声38年正月24日シャチに追われて湾内に入ってきた27辰離轡蹈淵ス鯨を大陽と泊の両集落の漁船が同時に見つけ岸へ引っ張り競争となった。均衡状態であったが帰港中の大陽の船が最後に加勢したので太陽側の勝ちになった。売上代金1172円のうち、両部落に314円の配分があったといわれている。隣接する泊集落には小観音堂がある。地元では「魚籃観音」または「鯨観音」と呼称され、千手観音菩薩が祀られています。(下記「鯨観音」参照)
千手(鯨)観音泊集落には、小館観音堂がある。地元では「魚籃観音」または「鯨観音」と呼称され、千手観音菩薩が祀られています。小館観音堂:宝永年中勧請、別当:真言宗海雲山智福院と伝承)。近くに覚社明神社(通称おかくらさま)の寄り鯨の絵馬も有ります。絵馬は寄せ波の中心に鯨が見られ、両側に小型のサッパ船・人物が見られる。寄り鯨の絵馬は非常に珍しく広田地域での鯨との関わりが伺われます。浜辺には、「吊大鯨之霊碑」があります。(参考:元気のでる「自本楽・雑楽」・情報)
宮城県石巻市鮎川鯨霊供養祭河北新報によると、1993年の鯨祭に際して、はじめて鯨霊供養祭りが行われたとのこと。
宮城県石巻市鮎川鯨位牌観音寺。鯨供養のため
宮城県石巻市鮎川千頭鯨霊供養塔観音寺。建立:昭和8年。施主:鮎川捕鯨会社。
宮城県石巻市鮎川三界萬霊塔観音寺。建立:昭和7年。施主:伊佐奈商会。
宮城県石巻市網地島鯨の慰霊碑『鯨大明神にたすけを請い奉る』 通称『くじらっぽね』の碑 年代は不明。高さ60舵37存さ13造亮然石。
宮城県本吉郡南三陸町鯨供養塔延享3年建立。施主:当浜庄市。
宮城県本吉郡唐桑町崎浜鯨塚御崎神社。唐桑半島の先端に位置する“御崎神社”。昔、嵐にあった漁船を鯨が御崎神社沖まで誘導し、無事救ったという伝説があり、この鯨の霊を祀ったものである。文化7年(1810)。只越浜漁師50人。
新潟県柏崎市 鯨碑宮川神社。1910年漂着した24.5辰離淵スクジラのために建てられた鯨碑
新潟県刈羽郡西山町 鯨鯢相寄供養塔真蔵院。1956年コビレゴンドウ5頭集団漂着の供養、現在見当たらない
新潟県三島郡寺泊町大和田鯨塚観音堂境内 明治30年肋骨を併置した塚、種はミンククジラか?
新潟県三島郡寺泊町松沢鯨塚嘉永2年、種は不明。
新潟県三島郡野積 クジラの頭蓋骨西生寺宝物殿。鯨頭御霊験と墨筆
新潟県西蒲原郡岩室村間瀬 鯨塚海雲寺。1934年間瀬海岸に漂着した15.5辰離淵スクジラの塚
新潟県佐渡市畑野町松ヶ崎弁天崎卒塔婆1985年漂流したヒゲクジラ下顎骨の卒塔婆
新潟県佐渡市片野尾鯨の供養塔(卒塔婆)鯨塚(海王妙応信女),万延元年に漂着したナガスクジラを弔い、鯨の顎骨を塚にした
新潟県佐渡市羽二生大鯨の魚霊塔明治14〜15年漂着した大鯨のもの
新潟県佐渡市椎泊 鯨墓願誓寺。明治21年漂流中の14.4辰離ジラの墓 戒名は釈震声能度鯨魚
神奈川県三崎市くぢら塚地蔵院。城ヶ島灯台の下で流れ鯨が捕獲された。三崎西浜の地蔵院にある鯨塚はこの鯨の供養のため。天保5年。高さ66臓幅31臓
東京都品川区東品川鯨塚利田(カガタ)神社。江戸時代、品川沖に迷い込んだクジラの骨が埋められた塚。当時は江戸中の評判になり、浜離宮まで引っ張って十一代将軍家斉にも見せたという。寛政10年。狂歌『品川の沖にとまりし せみ鯨 みな みんみんと 飛んでくるなり』。『江戸に鳴る 冥加やたかし なつ鯨 (素外)』も有名。 
 ★東京湾岸内・外の鯨塚  
千葉県浦安市堀江4丁目 大鯨石碑稲荷神社。明治8年2人の漁師が大鯨を捕まえて大金を得、有名人扱いされ、有頂天になってしまいその反省に建てたもの。稲荷神社に石碑がある。
 ★東京湾岸内・外の鯨塚  
千葉県安房郡鋸南町鯨塚醍醐家が建てた弁財天境内にある。鋸南町には関東捕鯨の始祖である醍醐新兵衛の墓と鯨塚がある。鯨塚の大きさは46臓81造半さい。大きさは46臓1基)、47臓9基)、66臓複唄陝法68臓複唄陝法73臓1基)、81臓27基)の割合で81造最多。大漁時は墓を大きくした。毎年建立したので120基以上あったが現在は埋もれ52基くらいになっている。墓を建てたのは鯨漁に参加した解体専門の人達(出刃組)で1612年頃からと思われる。西海捕鯨の鯨組主が建てたものに比べてサイズは非常に小さい。
★安房の捕鯨(古式〜現在)・・「勝山のくじら塚」
千葉県南房総市白浜町乙浜鯨塚白浜町乙浜(オトハマ)。鯨の供養と安全祈願・大漁祈願のために設置された。東海捕鯨会社による供養碑。マンション建設により海側に移された。大きい台石に小さい無銘碑2基が並列に並んでいる。台座にに説明板がある。
千葉県南房総市千倉町千田1635鯨塚長性寺境内。心臓部を埋葬するために供養塔「鯨塚」を建立し手厚く供養。人の墓の転用とも云われ、種類は「宝筐印塔」という珍しい複雑な形をしている。
静岡県東伊豆町稲取鯆霊供養塔イルカ供養。鯆はイルカと読む。稲取はイルカ漁のある地域。文政十丁亥年(1828)の刻印。
静岡県西伊豆町阿良里浦上海豚供養碑イルカ供養。明治15年。伊豆には「いるか供養塔」が7つありますが、うち3つは安良里。供養塔は、大量のイルカの捕獲に対してその霊を慰めるために建てられました。
静岡県西伊豆町阿良里浦上海豚供養塔イルカ供養。昭和10年。供養のため
静岡県西伊豆町阿良里浦上いるか供養塔イルカ供養。昭和24年。供養のため
静岡県伊豆市土肥いるか供養碑イルカ供養。昭和34年。大藪弁天神社。
静岡県伊東市川奈海豚漁祈念碑三島神社。イルカ供養。大正12年。 
静岡県伊東市川奈海豚群霊供養塔海蔵寺。イルカ供養。昭和52年。 
三重県北牟婁郡海山町腹子持鯨菩提之塔鯨の祟りを畏れ腹子持鯨の霊を弔う為に供養を行い塔を建てた、母鯨の御霊伝承がある。腹子持鯨の捕獲200年を記念した「200年記念碑」「海幸神社」もある。高さ47臓
三重県熊野市二木島鯨三十三本供養塔寛文11年3月(1671)、鯨の供養と豊漁を祝う記念碑か、もっとも最古。高さ1,3叩3擁33本を獲るごとに「万の祝」と称して餅投げをする風習があったので習ったものだろう。
三重県熊野市木本町夫婦岩獲鯢誌供養塔明治30年4月、日清戦争後の村の疲弊の際に鯨を捕りその利益が大きかったのでこの塔を建てて鯨の霊を弔ったとある。高さ65臓
三重県度会郡二見町鯨魚供養塔明治13年11月、シャチに追われ脇の浜に座礁したナガスクジラの供養塔。当浦漁夫中とある。「熊野市の文化財」にナガスクジラを捕獲しこの代金1500円のうち500円で木本小学校を建設したとある。高さ60臓
三重県度会郡二見町大字荘大海鯢之墓明治36年2月、地引網操業中に一頭の鯨が鰯を追って接近したのを捕獲、神領の人々の大きい負担であった伊勢神宮遷宮費用に当てて恩恵に浴した。この霊をなぐさめるため建てた。高さ50臓ι50臓
三重県志摩郡大王町大字波切鯨石約300年前一頭の大鯨が難を逃れて流れ着き波切村の鯨船仲間が捕獲、腹中から大きな石が出てきた。これをエビス神社にまつった。その後波切神社に合祀のため移設。高さ55臓ι40臓
三重県尾鷲市九鬼町献灯九鬼神社。供養塔とは異なるが九鬼神社境内に九鬼浦鯨方勤人中の「献灯」がる。宝暦14年(1764)建立。
三重県鳥羽市鯨崎鯨供養之塔相差町内会。平成1年。鯨崎は太平洋に突きだした細長い岬。この岬に鯨に乗った観音様が現れたという伝説から名前がついた。十一面観世音菩薩発祥之碑、鯨の岬記念碑、鯨供養之塔、漁師の守り神などの史跡名勝がある
三重県鳥羽市志摩イルカ供養碑イルカ供養。志摩マリンレジャー内イルカ島
和歌山県太地町くじら供養碑灯台のある岬“梶取崎(かんとりざき)”にある“くじら供養碑。この地を支えてきた鯨に感謝し供養する「くじら供養碑」を建立。大きくて立派。
和歌山県太地町鯨供養碑東明寺境内にある。地元漁民がたてたもの。明和5年(1768)。高さ:150臓幅:16臓奥行:16臓F遒鮓いている。 カバチ組の一人という浜八兵衛が建てる。「願以此功徳普及於一切 我等與衆生皆共成仏道」「懺摩一会 妙典石経」「亡鯨聚霊塔」の銘。カバチ組は捕獲した鯨の頭部(かばち)を分け前としてもらった家柄の人達のこと。
和歌山県串本町大島弔鯨塔1962 (昭和37) 年まで続いた大島の近代捕鯨(日本水産鯨解体場)。クジラの慰霊塔。
福井県あわら市浜坂鯨塚碑石高;高さ76cm 幅25cm 厚24cm。建立年月日:文化9年1月11日。文化9年(1812年)頃浜坂は、約170戸700人の大きな漁村でした。 その頃に、天候不順で不漁や凶作が相次ぎ、平和な村は苦しい生活に一変したといわれています。 旧芦原町史によると、鯨塚建立の前年の文化8年に一揆と思われる事件が発生していると記載されています。 そんな時、一頭の大鯨が浜坂の浜に迷い込んできました。 浦人は狂喜してその大鯨を捕獲して食料としました、この大鯨一頭のおかげで浦人は10日も飢えをしのいだと伝えられています。 大鯨を一頭捕れば7浦(漁村)が潤うといわれ、古来、人々は鯨を「福を呼ぶ神様」として信仰したり、捕鯨地に供養塔を建てたりして鯨に特別な思いを寄せていました。 県内には浜坂の他、小浜線の本郷駅と和田駅の中程の青戸入江に面して、鯨の供養塚が立っています。(あわら市役所) 
京都府与謝郡伊根町在胎鯨子塔蛭子神社。鯨の墓。青島の蛭子神社の鳥居をくぐり、石段を上ると、左手に小さな鯨の墓が三基ある。「在胎鯨子塔」「鯢胎凶霊追薦」「兒鯨塔」と墓碑銘が刻まれ、その一つに「文化五辰正月二十三日」と明記されている。「嘗て鯨をとりしが子鯨、母鯨にそうて上となり下となりて其の情態甚だ親しく、既に母鯨の斃る頃も、頑是なき児の母の死骸にとり付きて、乳を飲む様にも見えたり、よって屡々これを取除かんとすれども遂に離れず、拠無く子・母共殺すに至る。いかなるものもその様を見てはその肉を食うに忍びず、此処に葬りて墓を建て供養せり、定めてこの墓の鯨もザトウなるべし」とある。(伊根町商工会)
岡山県瀬戸内市牛深町鯨墓御堂の浜にある高さ90造梁膩澆諒茵鯨を捕獲し供養したもの
広島県呉市弔鯨塚弔鯨碑(ネット情報)
広島県尾道市因島聖(鯨)観音慈眼寺 対潮院。薬師堂の脇に鋳銅製の聖観音がある。 捕鯨船に乗り組み、千四百二十三頭の鯨を仕留めた人が供養のために寄進したもので地元では鯨観音と呼ばれている。
島根県大社町杵築北鯨墓・魚地蔵 安養寺。鯨墓や魚地蔵といわれるものがあり、かつて漁師町であった杵築北の面影を今も感じる
山口県下関市あるかぽーとくじら感謝碑青銅製鯨体像はシロナガスクジラ(blue whale)の生体サイズを復元
山口県長門市通鯨墓 向岸寺清月庵。胎児の墓、元禄五年(1692)、向岸寺五世讃誉上人の隠居所である清月庵(観音堂)に建立。日本の『代表的鯨墓』。
★長門捕鯨のくじら資料館・・・・「くじら墓」
鯨位牌鯨位牌は全高77.5臓幅22.4臓奥行(基檀部)15.2造如表面の題字は鯨墓と同じ
鯨鯢魚鱗群霊地蔵尊文久三年(1863)早川家13代早川源治右エ門が鯨や魚類の霊を弔うために、向岸寺歴代住職の墓地に石地蔵を建立
山口県萩市見島「見島」の鯨墓20基余ある。正徳年間この島で捕鯨を始めた松島与五郎が建てたものである。
山口県長門市油谷慰霊碑川尻浦の捕鯨を記念して、近年立てた慰霊碑。
愛媛県西予市明浜町高山 「碆の手」の鯨塚代表的鯨墓。「鱗王院殿法界全果大居士」「天保8年6月21日」の銘がある。大名家並みの法名。天保8年丸石網代に大型の寄鯨あり大飢饉であったが鯨で餓死を免れた、「鯨様」といわれる。高さ:108臓幅26,5臓厚さ:16造寮軼磧
「楠の浦」の鯨塚明治3□年、俵津湾で捕獲した鯨の塚。 「呼嗚大鱗鯨子墓」「組中建之」の銘がある。高さ:113臓幅24臓厚さ15造寮軼
「子持岩」の鯨塚明治40年3月13日、九州の方から来た帆船に寄り添い入ってきた鯨を仕留めた鯨の供養塚、「弔大魚霊」の銘がある。高さ73,5臓幅:21臓厚さ19,5造里笋篝軼磴猟省体。
愛媛県西予市明浜町高山 鯨位牌金剛寺。「碆の手」の鯨塚の「鱗王院殿法界全果大居士」のものと思われる
鯨過去帳詳細不明
愛媛県西宇和郡伊方町三机 須賀公園鯨墓文化6年(1809)、イリコの大群を追って三机湾内に入ってきたのを殺した鯨の霊を祀る。宮脇和人氏によると墓が破損し六地蔵の一体になっているとのこと。「妙鯨之位」「三机所中」の銘。頭を含め塔身の31臓幅:26臓厚さ:17,5臓折れる前は高さ:1辰△辰人魁
愛媛県西宇和郡伊方町小島「小島」の鯨塚「○海魚鱗善鯨位」「明治12己卯」、青石の自然石、岩場に座礁した鯨を食料として感謝と冥福を祈るため骨を埋め塚を建てた。高さ:185臓幅:58臓厚さ:25〜30臓
愛媛県西宇和郡伊方町川之浜「川之浜」の鯨塚「大乗妙典一字一石鯨霊塔」「奉天下太平」「納 浦中安全」「明治20年2月朔日」「施主 水野藤吉」。青石の自然石。沖合いを漂流し、打ち上げられた10辰侶漾∪犬永瓩蠅砲掘骨をこの地に埋め慰霊のために塚を建てた。高さ:167臓幅:最大75臓厚さ:10〜17臓
愛媛県西宇和郡伊方町名取「名取」の鯨塚「捕鯨供養塔」、昭和4年頃建立?、イワシクジラの塚。高さ:41臓幅:18臓厚さ:12造猟省体。
愛媛県西宇和郡伊方町串「串」の鯨塚(大魚さま)碑文がない、明治15年頃漂着した鯨のために建立、骨は塚の下に埋めた、かっては大小の2基があったとのこと。高さ地表から237臓∈蚤臧:66臓厚さ:6〜11造寮沈弌
愛媛県西宇和郡瀬戸町小島■海魚鱗善鯨位明治20年。水野藤吉
愛媛県西宇和郡瀬戸町川之浜一字一石鯨■塔明治12年。小島区民
愛媛県伊予市湊町 克鯨一字一石塔湊神社。明治43年3月20日、捕獲した抹香鯨(?)を供養した碑。鯨は上浜の山黒の岡に塚を作って埋葬、造成のため神社境内に移された。鯨を捕獲してからは伊予市の沖合いは不漁が続き鯨のたたりをおそれ鯨供養のために建てた。マッコウクジラとコククジラの論争がある由。郡中漁業組合中。台石を含めた高さ:202臓E秧箸旅發150臓幅29,5臓厚さ25造猟省体。
愛媛県伊予市尾崎克鯨一字一石塔上記湊神社から数百辰僚蠅法惺邨澎貉一石塔』「明治43年3月20日、大元丈吉之立」という同じ鯨の鯨塚がある。一頭の鯨に二基の鯨塚は珍しい。高さ:183,5臓幅20臓厚さ:16造寮軼磧
愛媛県宇和島市(遊子・美地島)「美地島」の鯨塚「飛鯨塔」鯨が岡の島の岩礁に引っかかって死んだ。そこに塚を立ててまつった。江戸時代。現在不明とのこと。 高さ:50臓幅:10臓厚さ:9臓 
愛媛県宇和島市(遊子・二並島)「二並島」の鯨塚「三界萬霊塔 鯨骸霊之塚 為漁事安榮」 天保5年(1834)。高さ:78臓幅:24臓厚さ:20臓 三界とは仏教で言う「欲界・色界・無色界」のことで「全世界」の意味、全世界のあらゆる物の霊塔といえる。 
愛媛県宇和島市(遊子・雨宿島)「雨宿島」の鯨塚「鯨供養塔」、「昭和50年5月4日」養殖筏に引っかかり抜け出せなくて死んだ鯨の供養に真珠養殖組合が鯨塚を建立した。 高さ:108臓幅:21臓厚さ:17造猟省体。 
愛媛県宇和島市(遊子・番匠)「番匠」の鯨塚「鯨之供養塔 昭和61年10月15日没 堀田稔建之」  
愛媛県宇和島市(高助)「高助」の鯨塚戒名「海譽鯨音 明治25年2月13日」、シャチに追われ、傷つき息絶えた鯨を売って山を買い戻した。人々は鯨に感謝し萬吉寺に鯨塚を建立した。高さ:51臓幅:25,5臓 厚さ:17臓 
愛媛県宇和島市(水谷)「水谷」の鯨塚(木製)木柱墓、昭和23年12月5日イワシクジラが岩に挟まり白い腹を見せていた。小船で持ち帰り市場へ引き上げ解体、胎児が入っていた。鯨は売却した。母鯨が座礁した地点に胎児を埋葬し木製の碑を建てた。正面に「鯨之塚」側面に「昭和23年12月6日」と書かれていた。現在は見つからない由。  
愛媛県宇和島市小矢野浦鯨之供養塔昭和52年 堀田稔。  
愛媛県宇和島市高助海誉鯨音満吉寺。明治25年。「鯨過去帳」もある。  
愛媛県愛南町(旧西海町内泊女呂)「内泊」の鯨塚「飛揚鯨之塚」「明治15年4月29日建」。内泊浦所中。「其長七間余」、鯨が内泊女呂の海岸に飛び上がってきた。この塚を建てた。
鯨の塚「鯨之塚」「明治33年9月」上記の内泊女呂の海岸にさらに飛び上がってきた鯨の墓。二基の塚は内泊の西林寺の境内にまつられていたが平成7年、寺の新築に伴い道路脇に移された。
高知県土佐清水市窪津鯨供養地蔵海蔵院。津呂組 へんろみち 文化9年申年 為鯨供養也 海蔵院住法印祐天。施主:奥宮正敬
高知県室戸市浮津中道寺の大位牌三つ中道寺の鯨の位牌、高さ60造搬腓い。南妙法連華経勇魚供養と記された千頭のクジラ供養。天保11年。宮地氏
高知県室戸市八千頭鯨供養碑金剛頂寺は四国霊場第二十六番札所で弘法大師が大同二年(807)平城天皇の命を受け建立され、嵯峨天皇により国家鎮護の勅願道場とされた古刹である、泉井守一氏寄進の鯨供養釣鐘のほか八千頭鯨供養碑が建ち、捕鯨具などが展示されている。その他貴重な土佐捕鯨資料も残されている。 「捕鯨八千頭精霊供養塔」
捕鯨八千頭精霊供養塔金剛頂寺。山下竹弥太。昭和24年。
鯨位牌金剛頂寺
高知県室戸市浮津鯨位牌中道寺。
福岡県行橋市沓尾鯨塚高さ約2辰侶瀋諭1903年に体長18辰離ジラが現れ、長崎から呼んだモリ師がモリを打ち込んだが豊予海峡から出ようとした。このため二番モリを打ち、若者が刀で捕らえた由。
福岡県福岡市東区箱崎鯨ノ標〔鯨塚〕地元では鯨塚と呼んでいます。従来九大構内にあったものを、現在網屋天神境内に移転してお祀りしています。明治21年博多湾内に回遊し、捕獲された鯨の霊を弔うため、網屋の漁師たちが建てたものです。
佐賀県呼子町 石上山龍昌院龍昌院は宝暦5年(1755年)、鯨組の頭首、二代目中尾甚六が鯨1頭分の代価で建立鯨鯢の供養を行ったと伝えられる。
★鯨王国「呼子」・・「呼子・小川島の鯨墓」
鯨鯢供養塔鯨鯢は「げいげい」と読み、雄鯨と雌鯨のこと正徳4年建立。古くなり立替えている。文化2年松尾嘉六奉納
鯨鯢千本供養塔七代中尾甚六の頃、創業以来の鯨の捕獲数が一千頭に達したことを機に、供養のために建てた
佐賀県呼子町小川島 鯨鯢供養塔観音堂。鯨の胎児を供養するための「鯨鯢供養塔」。1983年(文久3年)建立。観音堂境内にあり高さ0.7檀0.3辰僚形光背を有する地蔵尊石造。折れた跡も見られる。
★鯨王国「呼子」・・「呼子・小川島の鯨墓」   
佐賀県呼子町君塚鯨墓正面「南無阿弥陀仏」側面に「中川與四兵衛重次建立」背面に「万霊鯨鯢成仏」鯨鯢供養塔(1748)
★鯨王国「呼子」・・「呼子・小川島の鯨墓」   
大分県大分市一尺屋鯨塚「南無阿弥陀仏」「安政2年3月吉日」基礎を含めた高さ:185臓塔身の幅最大75臓厚さ:最大37臓
鯨塚「法号釈皆成」「明治21年」「12月7日逝 俗名鯨」基礎を含めた高さ:167臓幅最大65臓厚さ:11〜23臓
鯨過去帳教尊寺
大分県臼杵市佐志生大鯨善魚供養塔「大鯨善魚供養塔」「明治19年」「戌正月15日」「此魚○垢嶋前ニテ拾得長七○丈八尺也」と書かれている。沈んでいた鯨を引き上げたが腐敗のため海岸に葬った。塚には鯨の頭骨と一文銭5枚を入れてまつる。
大分県臼杵市中津浦「蛭子神社」の鯨塚「鯨神社」「明治15年9月10日宮元網 平松弥四郎 元網東徳次郎など」と書かれている。鰯を追って座礁した鯨を売ってかなりの額を得て感謝のために鯨塚を建てた。高さ:基礎を含め121臓 幅32臓厚さ31臓甲盛型
大分県臼杵市字破磯「大浜破磯」の鯨塚「釋尼鯨」「明治27年5月18日」ここも鰯の漁場である。基礎を含めた高さ:92臓幅:26臓厚さ:15堕塞瑤牢砲笋な円形。
大分県臼杵市大浜「大浜松ケ浜」の鯨塚「鯨之墓」「昭和十九年二月廿七日」(右)「稲垣松吉/定雄建之」、村に不幸があり寺の僧侶を向かえに行く途中、松ケ浜で鯨を見つけ銛を打って捕った。マッコウクジラであったので好まれず捨てられ腐った。このため鯨を埋め塚を建てた。塚の北に「鯨塚」の額束がかかった鳥居がある。基礎を含めた高さ:67臓塔身幅:20臓厚さ:18造猟省体。
大分県臼杵市大泊「大泊」の鯨塚港を見下ろす位置に「大鯨魚宝塔」の銘が入った高さ2.7辰侶瀋諭B臟颪任1870(明治3)年港の工事のために大変な借金をしていた村に一匹の鯨が、迷い込みその肉や内臓、油や皮が高い値段で売れたため、借金を返すことができたと言われ鯨の霊を慰め、感謝した証だとされている。「鯨様」と呼ばれ親しまれている。明治40年。「鯨過去帳」「鯨位牌」もある
大分県臼杵市板知屋鯨地蔵「翁」、カジキを突く鉾先の開発者を記念した碑とのこと、地蔵と鯨の関連は不明。
大分県佐伯市上浦町浅海井 鯨魚塔「南無阿弥陀仏鯨魚塔」「明治二十一年子旧正月十六日」「曾根角蔵網組」下の鯨魚墓と並んでいる。基礎を含めた高さ:130臓塔身の高さ:95,5臓幅:24臓厚さ:24臓J錐角柱。
鯨魚墓「南無阿弥陀佛鯨魚墓」「明治四十年十二月六日」上の鯨魚塔と並んでいる。約20メートルの鯨が座礁し入札で買取り生肉・塩漬けにして売ったとのこと。基礎を含めた高さ:139臓塔身の長さ85臓幅・厚さ:24臓J錐角柱。
長崎県諫早市仲沖町鯨塔諫早市東本町と仲沖町の境目付近を流れる小さい川・湊橋の土手に一列に並ぶ。「東本町道路湊橋竣工記念」碑と大「恵比須像」の近く。湊橋際「鯨塔」の隣に「竜宮」の碑、2基の「恵比須」像、「諫早漁業協同組合之碑」「旧地名 唐津」が並ぶ。諫早市仲沖町は有明海に注ぐ本明川の支流に位置している。ここは諫早湾の魚介類の集積地で、その年は正月近くなっても不漁のため漁民の生活も苦しかった。そこに大きい鯨が迷い込んできた。この鯨を追い込み捕らえて近隣に売り払い生活危機を乗り越えることができた。これに感謝し、漁民が鯨の霊を慰めるために立てたのが「鯨塔」といわれている。有明海の干拓地の堰にも近い。大きい苔むした石板に「鯨塔」「諫早市津漁民中敬立」「明治18年1月建立」と銘記。 この鯨塔はあまり知られていない。付近の方も知らない人が多く探すのに一苦労した。(写真参照)
長崎県北松浦郡的山大島鯨の供養碑的山大島アズチオオシマ:西海捕鯨の場所、鯨供養のため、真教寺、元禄5年(1692)の銘
長崎県北松浦郡小値賀町鯨供養塔小値賀町笛吹郷 小淵墓地。小田鯨組。元禄8(1695)年建立?
長崎県平戸市前津吉町鯨供養石造五重塔長泉寺。元文4年(1739年)建立の鯨供養塔(県指定)がある。地元の漁民が鯨の鎮魂のために建立したもので、平戸の江戸時代中期を代表する石造建造物である。
長崎県平戸市岩の上町鯨鯢供養塔最教寺。奥の院に元禄8年(1695)建立の鯨鯢供養塔2基がある。(写真参照)
長崎県佐世保市宇久町鯨魂供養塔東光寺。鯨供養塔。
長崎県佐世保市宇久町鯨魂供養塔江戸中期。
長崎県南松浦郡有川町鯨墓元禄4年より正徳2年までの間の鯨1312本を供養。正徳2年10月建立。
長崎県南松浦郡有川町鯨鯢供養碑正徳2(1712)年建立。江口甚左衛門
長崎県南松浦郡新魚の目町供養山 鯨 塚百六頭塚。南無阿弥陀仏。元禄9年(1696年)。
供養山 鯨 塚前塚に並ぶ、年間捕獲百本を記念して寛保4年に建てた供養塔。「鯨百本供養」の銘
長崎県南松浦郡新上五島町鯨 塚深沢儀太夫・鯨供養塔・元禄9年「鯨百頭鯨塚」
長崎県南松浦郡新上五島町奈摩一字一石鯨供養碑江戸期。永田富太郎
長崎県南松浦郡新上五島町青方山口「青方」の鯨墓明治の中頃、松山の福寿庵にあった一字一石の供養墓をここへ移したもの。
長崎県五島市富江町小島鯨供養墓大きな自然石、高さ2旦1.3
鯨供養碑同上の鯨墓の隣に並ぶ
長崎県五島市富江町黒瀬鯨鯢成仏碑鯨碑・ 鯨供養塔・為鯨鯢成仏。元禄3年(1690年)。
長崎県壱岐市芦辺町エビス浦鯨供養墓立派な鯨墓。「奉読誦大乗妙典一千部」「鯨鯢速証菩提」享保2年3月建立高さ2.4メートル。花崗岩の笠塔婆型で、捕獲した鯨霊を供養する。塔の各面に次の銘が刻されている。 (左)此組連綿吉祥 (表)奉読誦大乗妙典一千部 (右)鯨鯢速証菩提 (裏)茲時享保二丁酉年三月吉日 (台の裏)右から 布屋 土肥 布屋 許斐 篠崎   享保2年(1717)3月に壱岐島の捕鯨業者5氏が捕獲した子鯨や親鯨の霊を供養するために建立したもの。(写真参照)
長崎県壱岐市勝本町(永取家)鯨供養塔 永取家の鯨供養塔。永取家は、元治元年五月(一八六四)永く鯨を捕るようにと平戸の殿様から「永取」を拝命し、勝本鯨組の頭として隆盛を極めた。 鯨を取って得たお金は、藩主の参勤交代の献金となっていたそうだ。
長崎県壱岐市勝本町辰の島海豚供養碑 イルカ供養碑
宮崎県日南市油津鯨魄碑日南の人柱〔とばしら〕神社の鯨魄碑。江戸時代に嵐が続き油津の漁村は不漁で食べ物が 無くなり餓死寸前のところ油津の浜に大きな鯨がうちあげられ、油津の人々は天の助けと、ハシゴをかけみんなで分けあって食べ飢えをしのいだ。鯨は子供を宿しており、人々は鯨の恵みに感謝し親鯨の目玉と子鯨を手厚く弔い供養した。碑銘:建碑以慰鯨霊魂。高さ1.4メートル巾1淡さ0.5メートル。
神社など--
北海道登別市鯨明神鷲別神社は飢饉のときに寄り鯨によって救われたことを祈念して建立されたことから別名「鯨明神」と呼ばれている。
北海道室蘭市海岸町鯨八幡室蘭八幡宮は別名「鯨八幡」。神社の造営にあたって、市民からの寄付が思うように集まらなかった。その頃、追直浜にクジラが漂着した。北海道開拓使に願いでて払い下げを受け、このクジラを売った代価を造営費用にしたことから「鯨八幡」とも呼ばれる。 八幡宮の絵馬は鯨で、祭り時には御神楽「鯨神の舞」が披露される。
福島県南相馬市鹿島区鯨大明神鳥崎津神社。明治時代。鳥崎の津神社には、鯨の霊をまつる鯨大明神の石塔があります。その隣には亀の霊をまつる亀明神の石塔があります。
千葉県富津市鯨神社富津御嶽神社。この神社は富津岬の付け根あたりに鎮座しています。別の場所の岩山には明治32年に祀られた「鯨神社」があり房総でも鯨漁が行われていたことがわかります。
東京都三宅村古錆ケ浜鯨神社天保3年。供養。
三重県南勢町田曽浦高良神社江戸時代、鰹船、捕鯨で栄えた田曽の高良神社には鯨の骨の御神体が祀られている。
和歌山県太地恵比須神社鯨骨の大鳥居
京都府与謝郡伊根町鎮座地青島祭神八重事代主命(地域住民は「蛭子」を祭るとし「夷」又「恵美須」とも書く。)
大阪市東淀川雪鯨橋1756年 鯨橋。瑞光寺境内の弘済池に架かる橋である。地元では「くじら橋」とも呼ばれる。 宝暦6年に瑞光寺4代目住職・潭住知忍が、南紀太地浦(現在の和歌山県太地町)に行脚した。太地の村人は捕鯨で生計を立てていたが、折からの不漁のために食べるものにも困っている状況だった。村の代表者が潭住に豊漁祈願を依頼したものの、潭住は「殺生は仏教の教えに背く」として一度は断った。しかし村人の困っている様子を見て豊漁祈願に応じることにした。 潭住が祈願をはじめたところ豊漁となり、村の危機は解決した。後日、村人は瑞光寺を訪問し、お礼として黄金30両とクジラの骨18本を寄進した。潭住がクジラの供養のために、クジラの骨を使って橋を造ったことが、雪鯨橋の始まりとなった。(Wikipedia)
香川県高松市屋島鯨大明神捕鯨の歴史を忍ばせる鯨大明神を祭るほこら
長崎県屋島長崎の鼻海童神社・鯨骨鳥居鯨の顎骨の鳥居で有名
長崎県南松浦郡有川町鯨神社不明
長崎県五島市三井楽海豚神供養
長崎県平戸市生月町鯨恵比須像高さ35臓凝灰岩質の石で作った像、御崎浦捕鯨納屋場に付随する社に祀られていたもの白山神社所蔵。鯛を抱いた恵比須の下部に、網に掛かった鯨の姿が刻まれている。鯨取りにとっての鯨と恵比須神との関係を示す、民俗学的にも貴重な資料だ(参考:島の館だより)
佐賀県唐津市神集島神集島鯨乗り恵比須日々の豊漁と航海の安全を祈る。鯛を抱いた恵比須に対しこの恵比須は鯨に乗った形をしている。
佐賀県唐津市名護屋石像恵比須古里神社。捕鯨関係者が奉納したエビス。安政3年(1856)の銘
大分県臼杵市大字中津鯨神社蛭子神社。明治15年。宮元網平弥与四郎


鯨墓・鯨塚を詠んだ俳句(資料:ネット検索情報)
※作者の承諾、アドレス不明のため、そのまま掲載させてもらいました。

(鯨墓) 

たそがれてひぐらし鳴けり鯨墓 (京都・伊根)

十二月鯨の墓に日の当たり (山尾玉藻)

夏海へ鯨墓守る鐘わたる (白鳥義岳 帆船)

泣かれつつ鯨の墓の方へゆく (男波弘志 槐)

鯨の墓山をとこらの春羽織 (岡井省二 岡井省二全句集)

漁家の奥鯨墓あり春の昼 (勝原文夫 ペン皿)

朱夏の海真正面に鯨墓  (出版本「ごりむちゅう」) 

夏海へ鯨墓守る鐘わたる( 白鳥義岳  帆船)

(鯨塚)

草と木につつまれて在る鯨塚 (郷土カルタ:福井・あわら市)

金秋のまんまん中の鯨塚 (小形さとる 槐)

アリバイのなき日鯨の親子塚 (高橋澄子 鴫)

藪椿浦に祀りて鯨塚  (岸野貞子)

  青蜜柑潮の香鯨塚    (佳子)

鯖雲や社に小さき鯨塚 (09伊吹嶺誌12月「伊吹集」収載)

秋の蚊によつてたからる鯨塚 (久美子)

木洩日が深める春よ鯨塚 (今田拓)



詳しくは下記もご覧下さい。

★東京湾岸内・外の鯨塚 ・・「浦安市の大鯨の碑」「品川・利田神社の鯨塚 」など
★安房の捕鯨(古式〜現在)・・「勝山のくじら塚」
★鯨王国「呼子」・・「呼子・小川島の鯨墓」
★長門捕鯨のくじら資料館・・・・「くじら墓」



鯨伝説に見られるお宮・お寺参り 

『クジラ民話にある”お宮・お寺参り”』



くじら伝説

★ 日本の鯨文化「くじら伝説・逸話」
★ 日本の鯨文化「くじら伝説・逸話(2)」
★ 日本の鯨文化「くじら伝説・逸話(3)」
★ 長崎の西海鯨伝説



鯨さんが登場する、短歌・俳句・川柳・狂歌・詩・歌・そして各地に伝わる鯨歌
上村博一さんのホームページに鯨さんにかかわる詩(うた)が沢山掲載されています。
『自分のことばで書く・話す〜日本語の街角散歩〜』をどうぞお楽しみください!!!!!!!

『鯨さんの詩(うた)』(鯨歌)

『鯨さんの詩(うた)』(その2)

『上村博一の日本語ホームページ・日本語ノート』


※場所は市町村合併により変更があります。

参考ページ: 平成17年度<郷土学>再興呼子鯨組ー玄海のくらしと鯨ー事業報告書:呼子町文化連盟
くろしお文化7 捕鯨特集(下)黒汐資料館併設痩魚洞文庫
http://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohaka2/10gyogyo/haka_idx10.html
http://www2.dwc.doshisha.ac.jp/tfujiwar/6_zemi/kuzira/site/file/event.html
http://member.hot-cha.tv/~htc09819/
http://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohaka2/ohakalink.html
鯨塚からみえてくる日本人の心ー豊後水道海域の鯨の記憶をたどってー宮脇和人・細川隆雄:農林統計出版
クジラと日本人の物語ー沿岸捕鯨再考ー小島孝夫著 東京書店
鯨・イルカの民俗 日本民族文化資料集成18 三一書房