串本町大島の権現島について
(熊野速玉大社との関連)

紀伊大島 権現島 03/08/21

  串本町大島の外の浜(そとのはま)にある、「権現島ごんげんじま」についてご紹介します。

     ☆ 宜しければ、権現島近くにある案内板の画像をご覧下さい。(43KB) → 画 像 

  文字が薄れて判読が困難な箇所もありますが、以下のような内容となっています。

     昔、熊野権現がこの島に降臨された後、新宮の地にお渡りになった。      権現島の名の由来は、この故事によるものである。      新宮の速玉大社の祭礼「御船祭」には、権現島の萱の穂と周辺で捕った三掛の魚(三匹のカサゴ)を      献上する慣わしが現在も続いている。

     「御船祭」の際は、熊野権現が御船島(熊野川の砂洲)に上陸なさった故事により、
     島での祭祀の贄(にえ=捧げ物の意)として捧げられる。
     また、萱の穂は御輿を先導する神馬に乗った「一物」(ひとつのもの)と呼ばれる
     人形に矢を模して用いられる。

     このような古来の習慣により、大島の住民が権現島によせる純粋な信仰の思いは篤く、
     古くから祠(ほこら)や鳥居を建てて神域として大切に護ってきた。
     しかし、永年の風浪の影響で朽ち果ててしまい、跡形もなくなってしまったために、
     心ある氏人らは以前から再建を願っていた。

     このたび有志と速玉大社のご援助により、この神域に祠と鳥居が建立されることとなった。
     これを機に、権現島の由緒を永く後世に伝えるため由来を記した。


  大島の権現島の萱の穂と三掛の魚が、車でも小一時間は掛かる新宮の速玉大社の祭礼に欠くことの   できないものであることは、実に不思議です。



    *** 萱の穂と三掛の魚 ***

     昔は、大島からの使者2名が、萱の穂と三掛の魚を徒歩にて新宮の熊野速玉大社に運んでいたようです。      実際に献上品を運ぶ使者を務めた経験のある方から、お話を伺う事ができました。

       『私が使者を務めたときは、権現島の萱の穂(すすきの穂)を12本と権現島の周辺で獲った         アタガシ(カサゴ)3匹を氏子総代2名、大島地区の代議員2名の計4名で車で新宮へ届けました。         しかし、20年ほど前からは、アタガシが思うように獲れなくなったこともあり、現在では代わりに         鯛4匹を献上しています。どうも赤い魚でないといけないようです。         ずっと昔は、新宮から白馬(神馬)を仕立てて受け取りに来ていたこともあったと聞いています。』

     アタガシ(カサゴ)を献上することに関しては、現代語訳の日本書紀のなかで、      大山祇神(オオヤマツミノカミ)の娘、木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)の別名が      神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)であると書かれていました。このことから、何か      山の信仰との繋がりがあるのではないかと思いました。


    *** 一物(ひとつのもの) ***

     神馬に乗る一物(一つの物)は、「男に扮した女性の人形」と大島小学校の記念誌にありますが      それ以上のことは、わかりません。



    *** 寄神(よりがみ) ***

     先の記念誌には、新宮の御輿(神輿)に大島をのぞませてからでないと祭礼が始められないと      書かれています。これに関しては「山の霊力」町田宗鳳著(講談社選書メチエ)の90頁に次のような      記載がありました。

       神は年に1度、わが故郷に旅することによって、その霊験をあらたかなものにすることが
       できるのであり、神が移動するのを止めるのは、蛇が脱皮を止めるのと同様、致命的なことで
       あった。この仕組みは、山の神だけでなく、海の神の場合にもあてはまる。海から漂着した神、
       いわゆる寄神(よりがみ)は毎年、自分が上陸した海辺に帰らなくてはならない。たとえば        能登地方の祭りで、神輿をまるごと海に浸けたりするのはそのためである。

     大島をのぞむのか、大島の先の何処かをのぞませているのか、私などには想像もつきません。      生まれた土地を離れ暮らす人々が、お盆やお正月に故郷に帰省することも「わが故郷に旅する」こと      を実践しているように思えてきます。      視界の及ばない来し方を偲ぶのは、誰もが持つ素直な心情からなのでしょうか。



   私は大島地区の生まれではないのですが、子供の頃、外の浜へ毎日のように遊びに行きました。    潮が引けば外の浜と権現島をむすぶ砂の道が現れ、島に渡るのが楽しみでした。

   しかし、権現様(権現島)の石の祠より先は立ち入ってはいけない神聖な場所という意識があり、    近づき難い雰囲気を感じていたのです。この感覚は未だに心の奥底に息づいていて、昨年の夏に    権現様の岩場で貝を獲っている人を目にしたときは、残念でなりませんでした。    私もまた、案内板を設置された方々と同様の思いから、島の由来などまとめてみました。

     (案内文の中には、萱の穂=矢 に見立てるとあります。私は、萱の穂=稲 とも考えてみたのですが、
      原点に立ち返り 矢=守護矢・破魔矢のようなものと考えたほうがいいのかも知れないと
      現時点では思います。2004/02/13付 )


   *速玉大社の例大祭の様子は、『み熊野ねっと』の奥様ご担当、「おさんぽフォトアルバム」にて
    拝見できます。


   更新日 2004/02/12(当ページから『み熊野ねっと』様へのリンク) 

   作成日 2003/09/30