タエコ・メッツラー
日本に帰ってきて。。。(1)
もうすぐ、わたしたちに弟か妹ができるんですって!

 7月23日に日本に帰ってきたのだけれど、それ以前もそれ以後も嵐のような毎日
だった。
 
 そもそも日本に帰ることになったのは、マークが東京大学の社会科学研究所というところで1年間、日本近代経済史を研究することになったからだ。アメリカの大学では7年間勤めるとサバティカルイヤーと言って研究のために1年間の休暇がもらえるのだ。

 マークの場合は3年勤めたところだったので本当は半年間しか休暇がもらえないはずなのだけれど、アメリカ政府から奨学金をもらえることになったので、大学のほうが1年間休講する事を了承してくれたのだ。

 住んでいたアパートは気に入っていたので、1年後にまた同じ所に帰ってくる予定だったのだけれど、アパートの家賃は月720ドルで、貸し倉庫は月140ドル。ということでけち臭い私たちは面倒くさいけどアパートを引き払って、荷物を全部倉庫に入れることにした。

 私たちは7月16日にはオレゴンに飛んで、マークの両親の家で1週間過ごしてから23日に日本に帰国することになっていた。けれど私は6月の末まで大学で陶芸のクラスを取っていたのでいそがしいし、怠慢な性格なこともあり、倉庫に入れる荷物を箱に詰めたり、日本に帰るための荷造りは7月からはじめることにした。けれどそれが間違いだった。

 そもそも2週間で引っ越しやパッキングができるわけがないという事はアホでもわかる。その上私は妊娠6か月だったので、これも怠慢な性格なこともあって、睡眠を削るわけにはいかないと心に決めていたのだ。 ということで案の定7月15日(出発の前日)の夜にはまだパッキングやそうじが全然すんでいないというありさまで、夜の10時ごろに友達の旦那さんに子供達が壁にクレヨンで絵を描きまくっているのを消すための洗剤やぞうきんを持って来てもらう始末。

 睡眠を削る訳にはいかないと考えていた私も、結局そうはいかなくなり、夜中も子供の落書き消しに専念した。朝になってもその落書きは半分も消せていない状態だった。例の友達が子供の相手をしに来てくれたのだけれど、その様子を見て友達もびっっくり。

 落書き消しに意固地になっていた私に、マークがそれはほっておいて荷物を倉庫に全部運ばないといけない、などと面倒な事を言い出した。しかし私たちは、自動車に荷物が全部入りきらず、だからといって倉庫まで往復すると飛行機に間に合わないという状態に陥ったことに気付いた。そこで例のおどろいている友人に頼んで彼女の車にも荷物をわんさか詰め込んで、一緒に倉庫まで来てもらい、私たちはそのまま空港に直行した。ということで無事にオレゴンに飛ぶことができた訳だ。

 ちなみにあとでわかったことだけれど、掃除もできていず、子供達のアートワークがどの部屋にも残っている状態だったのにもかかわらず、寛大なアパートのオーナーは私たちのデポジットから25ドル(約2800円)引いただけだった。

 持つべきものは寛大なオーナーとその驚いていた友人だということを学んだ私だった。
                                         (つづく)

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