BACHATA
カリブの音楽(バチャタ)

  ひと口にラテンアメリカの音楽は何だなどと解説はできません。これから話に入るバチャタについても、たかだか20年ほどの歴史しかなく、今後もどう変貌していくの分かりません。私がドミニカ共和国で過ごした2年間で完全にハマッテしまったバチャタについて一考察を描いてみます。
 
(最初に断っておきますのが、これは全く個人的な思いつきと、私的意見と偏見で作ったページで、一切の反論は受付ませんので宜しくご承知おき下さい。なお、皆さんはバチャータという呼び方を取って貰っても構いません。こちらの方が検索エンジンでは一般的なのかもしれませんから。ただ、私はドミニカの田舎ではバチャタと発音する人が多いので私はこちらを採用します)

  最初にメレンゲとバチャタの違いはよく言い表しにくいといわれていますが本当でしょうか?これは音楽的な分析素養の乏しい私には難しい質問です。
 

 このメレンゲとバチャータは、同じ国で誕生し発達したにもかかわらず、前者が2拍子、後者が4拍子とリズムが根本的に異なっており曲調も全くと言ってよいほど違います。

 また、バチャータとサルサは拍子こそ同じであるものの、明らかに別種の音楽である(一方、中南米の比較的広範囲で普及しているクンビア(Cumbia)とサルサとの間には共通項を見出すことができます。

 さほど広いとは言えない地域から発生したこれらのダンス・ミュージック間の明確な相違は、音楽史のみならず文化人類学的見地からも大変に興味深いものなのです。



  思いこみはやめてくれドミニカ共和国にやってきた人は、まず、さてメレンゲは何処で聞けますか?出来たら今晩辺り何処かで聴けませんかね?などという質問をなげかけてきます。

  この国に旅した人は、メレンゲだけがここでローカルな音楽ではないというと驚くかも知れません。

  だってタクシーに乗ってもラジオから聞こえてくるのはメレンゲでなく、バチャタなのですから。


  バチャタは長い間ドミニカ共和国の人々の一般の生活の一部として親しまれてきたものです。キューバの「ソン」やメキシコの「ランチェラ」を思い出させる魅惑的なス夕イルのものです。

  
バチャタのグループはもちろんメレンゲも演奏しますが、伝統的なメレンゲとは全然ちがう楽器の編成で演奏されます。ギターや、ギターの親戚のような楽器「requinto」がメレンゲでのアコーディオンの役割をするバチャータでの最も重要な楽器で、強くつま弾かれるその奏法が特徴です。

  そして打楽器はメレンゲにおけるタンボーラに対してバチャータではボンゴがふつう使われます。ギラはメレンゲと同じく演奏されます。バチャータのグループはメレンゲを演奏するときにはこのような楽器の置き換えをするのですね。

 歌詞の内容は、失恋や報われない愛についてのものが多く、しばしば品のない猥褻な性的な暗示を含んだ言葉も使われていたので、つい最近になるまでラジオでかかったりすることもありませんでした。「
元々田舎の音楽で、貧しく無教養なところから生まれ、ギターがメインの音楽ということで、アメリカのブルースによく似ている。」と英文解説に書かれています。

 なるほどドミニカのブルースか?でもJuan Luis Guerraを聴くと全くはブルースではないもんね?本当のところ、バチャッタって何なの?


  もうラテン・アメリカの暮らしを初めて23年になります。もともとは音楽は子供の頃に江州音頭を聞いて育ったくらいの、田舎出のただのアンチャンでした。演歌も美空ひばりくらいしか知らず大学に入りました。江州日野が私の生国です。

  もっとも、高校生の頃はファークソングの大流行期で本当に関西フォークには感化されました。特に母校の八日市高校の5年先輩だった岡林信康には八日市高校の学園祭で聴いて完全に打ちのばされてしまいました。一番好きな曲は美空ひばりのために書いた「月の夜汽車」です。岡林信康の歌は出発が彼が近江八幡時代に聴いた
江州音頭だそうですが、私もその意見には全く賛同します。バチャタはドミニカのカンポの貧しい労働者や、下町のその日暮らしの人々の恨歌なのです。基調は一緒という事にしたいと思います。


  
大学に入って初めてジャズを聞きました。いやあ、本当に徹底的にジャズにのめり込みました。吉祥寺のメグが私の道場でした。野口さんのファンキーや大西さんの A & Fにもよく行きました。後は中野のビアズレー、渋谷のメリー・ジェーンが好きでした。

  2年生の時にスイスのモントルージャズ祭にも出かけました。父にお金を借り、アエロフロートでパリからバックパックを担いで夜汽車に乗りました。ネベサダと本多武廣が素晴らしい演奏をしましたが、私はアンソニーブクストンの哲学的な演奏に痺れました。


 何か自分の振動を大きくしてくれる振幅増長器がいつも必要でした。それが、色々な音楽として、いつも自分にまとわりついて生きてきました。

  卒業論文は「芸術情報としてジャズのデスクグラフィーの意義」(1906年〜1967年までのレコードを中心として)です。これが慶応義塾大学図書館・情報学科の小林胖ゼミの卒業論文です。B評価を頂きました。

 小林胖先生は協力隊の技術選考委員もされておられた様で、後にパラグアイに出発する前に広尾の壮行会の際、講堂で偶然お会いしました。よかった、よかったとニコニコしながらおしゃっていました。とても嬉しかった思い出があります。

 その翌年お亡くなりなったと言うことを異国の空の下で伺いました。


  一番好きな演奏者はSONY CRISS です。卒業した翌年に日本に来る予定でしたが、直前に自殺しました。それから、南米での仕事が始まりジャズはすっかり聞かなくなりました。


  
替わりに耳に入ってきたのがラテン音楽でした。ボリヴィアのフォークローレ、アルゼンティンのタンゴ、フォークローレそしてドミニカのバチャタと続きました。

  全て素晴らしい体験でした。その中で
バチャタは一番シンプルで、一番深い音楽だと思います


  ODAの仕事で海外で働いていてたまに日本の歌をうなる時、私の十八番は岡林の
「山谷ブルース」の替え歌の「専門家ブルース」でした。

  ラテンアメリカをODAの仕事でたらい回しさせられているJICAの専門家(その多くは協力隊のOBの業務調整員でしたが、、、、)の悲哀を歌ったものでした。これはウケました。

  国際協力の最先端で、病院作り、農業開発、社会開発など、家族も放りぱなしで大変な20年間でした。

  2年前にサント・ドミンゴに単身赴任して、たまの週末に場末のバル(スペイン語ではバルと発音)で聞くのは大概がバチャタでした。

  最初はメレンゲだと思っていました。
  前者が2拍子、後者が4拍子とリズムが根本的に異なっており曲調も全くと言ってよいほど違う。

   これはあるドミニカの協力隊のOB隊員のHPで見つけたのですが、リズムが基本的に違う以上に、使っている楽器に大きな差があるのです。メレンゲは管楽器も含めたオーケストラにも構成しやすいといえます。

        

                  
Yoskar  Sarante と彼の楽団 (2002年8月10日)


  上の2枚の写真は現在ドミニカ及びニューヨークで最も注目を浴びているバチャテー ロYoskarSarante  の演奏です。コンサートが始まったのは何と深夜12時でした。8時に会場に行ったのは私一人でした。エアコンのがんがん聞いたデイスクテカが一人でビール1本を震えながら飲みました。寒かったのです。ところが、コンサートが始まると会場は熱で一杯。毎員になると蒸し暑さえ感じる位です。
  驚いたのは入り口で念入りなボデイチェックがあり、ピストル類が何と20丁も一時取り上げになり、無造作にカウンターの奥へしまわれた事です。ドミニカ人が欲しがるもののベスト3はアメリカのビザ、トヨタのピックアップ、そしてピストルだそうです。
 現在アメリカに約100万人の出稼ぎ移住者を抱え、その中にはアレクス・ロドリゲサ、サミー・ソーサ、ペロド・マルチネス、アルフォンス・ソレーアーノなど70名の大リーガーも含まれています。

  彼らがニューヨークやシカゴで聞くのは絶対、サルサでもなくメレンゲでもありません。バチャタなのです。



  現在、ドミニカで人気のあるベスト・グループは次の13でしょう。

 
03年10月にJICAのシニアボランテイアの新保明さんが新譜のCD10枚を持って一時帰国されました。そこで彼のCDから最近のバチャッタについて解説しましょう。

   グ  ル ー プ  名                         02年の現状   03年の現状
ALEX BUENO
素晴らしいリズム感 ますます人気が出て、NYへ出稼ぎにいく日々
FRANK REYES よい 悪くない

MONCHE & ALEXANDRA
軽妙でノリがいいジュエット、ルックスはX スターだ。完全に、新曲が欲しい

RULIN RODRIGUEZ
田舎の親父の歌い方だ
JOE VERAS 人気あり 何というか、悪くない
ハイ

WILBERT MANUEL
コンサートはやってるの?

YOSKAR SARANTE 肥の艶は最高、ルックスは最低 もう少し男前の格好したらもっともてるのに
ALEX ROSARIO ソウル
EDDY HERRERA
10 LUIS VARGAS 人気あり、リズムよし,何しろ大御所 大御所は変わらない。娘がすっかり偉くなった
11 JUNIOR & jORGE
ぱっとしないが良い ぱっとしないが、悪くはない
12 Juan Luis Guerra
このメロデイの多様さ、音楽性、クロスオアバーしているバチャテロです
13 AVENTURAA(We broke the rules)
この不良ぽい格好のお兄ちゃん達歌いプリ好きだな、一曲目のデユエト最高。 よい、ギャングスターと呼びたい。彼らのファンが日本にいる事知りショックに。


 ミス・ユニバースにドミニカの女子高校生18歳

  おいおい、バチャタの神聖なページに何のおふざけなの。
 まあ、イイじゃありませんか。ちょっとだけ紹介させて下さい。
 2003年ミス・ユニバースのコンテストがパナマ市で開催され、女王にはドミニカ共和国のアメリア・ベガさん(18)が栄冠を獲得しました。(サンケイ・スポーツ6月4日)
 アメリアさんはまだ高校生ながら183cmのブロンド美人同国
公共サービスにも出たことがあるそうで、将来の夢は歌手。
  実は叔父がグラミー賞歌手のジャン・ルイス・ゲーラでアドバイスを受けながら日々のトレーニングしているとか。
  
一方、大和撫子も大健闘で日本代表の宮崎今さん(25)=熊本出身=が5位に入賞を果たしました。AP

 
ええっと、ジャン・ルイス・ゲーラって誰だっけ。そうか、ファン・ルイス・ゲーラと西語で発音するを英語読みしたんだ。

 なるほど、バチャタの歌手に将来はなりたいのかしらん?

183cmのブロンド美人というが、写真を見る限り白人ぽいムラータちゃんという気がします。
 時間があればお会いしてみたい方ですね。



ファン・ルイス・ゲーラ
がバチャテーロだとは知らなかった:
  
ドミニカ共和国の音楽の大改革をしたのは、バチャータの英雄と呼ばれるファン・ルイス・ゲーラ(Juan Luis Guerra)です。

  初めて彼の曲を聴いた時は、メレンゲでもなく軽いノリのポップスだと思いました。彼自身は白人的な雰囲気のクリオージョです。いつも大きな鍔のある黒い帽子をかぶり、粋なバンダナかなにかを首に巻いてどにかくかっこいいのです。曲は軽妙でリズムがよく、おまけにCDのジャケットはコンピューターグラフックでポップ調にサイケに描かれています。左のジャケットも凝ってますしね。

  バークリー音楽院でジャズの勉強もした彼は独自にメレンゲ、バチャータを研究し、発展させました。440というバンドを率いて彼は'90年リリースのアルバム「バチャータ・ローザ( Bachata Rosa )」という名盤で世界的にブレイクし、グラミー賞のベスト・トロピカル・アルバム賞を受賞しました('99年発表のアルバムで2000年のグラミー賞にもノミネートされています)。彼のアルバムには洗練された豪華なアレンジのメレンゲもたくさん収録されていましたが、ゲーラはあくまでもバチャータに焦点を当てていました。彼はドミニカ共和国の音楽の中にあるアフリカにルーツを持つ要素に注目し、ロック、ジャズの要素も取り入れて合体させたのでした。最近ではKinito MendezやLos Toros Band、Chichi Peraltaなどのアーチストたちがアフリカの伝統とスタイルをとりいれて人気を得ています。

 「空からコーヒーのマメが降ってくればいいナ」(Ojara que llueva cafe)こんな調子の歌詞が多くて,さすがやるネ、と思わせてくれます。ルックスも最高でナウイと思いません?



  メレンゲ
の歌手と比べて庶民派のバチャテーロはつい最近まで貧民街で暮らしていたようなお兄さんが多くて、服のセンスもルックスも決してよくはありません。しかし、バスの中やバルで流れてくる彼らの歌声には、初期のタンゴやジャズが持っていた人生を生き抜く凄みや重さがひしひしと流れていて、それでいて軽くてノリがよく、おっと、と、、、と構えてもう一度聞きたくなります。かれらのCDは殆どが違法コピーされて、街角で1枚200円ほどで買えます。


  
ある時、バスで地方のサンチアゴという町に出かけたことがありました。もう夕暮れが近づいていて、乗客はエアコンの効かない車内でぐったりしてラジオの音楽を聴いていました。
  
プエルト・プラタから何人もの乗客が乗り合わせてきました。

  その中に一人のカシュナット売りの叔父さんがいました。

  針金にカシュナットの入ったビニール袋をいくつもくつけた棒を抱いていました。私が一袋買ってあげると喜んで、今日はさっぱりだったと悲しそうな顔をしました。

  一日にいくつ売れるの?と尋ねると、大体20袋から30袋だと言いました。1袋50円くらいですから、かれの収入が大体分かります。夜は妻と二人で翌朝の分を詰めて用意するとの事でした。

   そのうちバスのラジオでバチャタが流れてきました。その親父は目を輝かせて体でリズムを取り出しました。本当に楽しそうでした。MONCHE & ALEXANDRAでした。

  「アレキサンドラの声は本当に切なくていいね。女房もあの娘と同じ位太っているんだよ。フッフ

 親父は今夜は二人で夜なべだと嬉しそうに体を揺すって音楽を聴いていました。


 左上のジャケットの写真が
モンチとアレキサンドアラ(MONCHY & Alexandara)
の新しいCDジャケットです。二人ともお澄ましで写っていますが、右側のアリキサンドラは実際に会って見ると、身長は155cmくらいのチビのオデブちゃんです。
 しかし、その歌唱力、歌詞回し、
くささは相当のものです。日本の演歌でいえば神野美伽というところですか。こぶしの入れ方が似ています(?)



  サント・ドミンゴのオサマ河のほとりには貧民街が乱立しています。ここいら辺は夜になると、汚いバルの周辺には売春婦やオカマ、もの売りが徘徊し、治安がよくありません。

  とくに
カポチージョと言われるバリロ(地域)は要注意地区でJICAや大使館では極力近づくなというお触れが出ています。ある日、用事があり対岸から橋を渡り、この町のガソリスタンドで休んだ事がありました。

  店の傍でジュースを飲んでいると、遊び人のお兄ちゃんが近づき、そこのバルでお話をしたいといいます。よく見ると、お金がなくビールを奢って欲しいというところです。
  あまりにしつこいので、車を駐車場に預けビール1杯だけつき合う事にしました。

 がんがん鳴る音楽が気になり、メレンゲでなくて、バチャタのスローなやつに換えてくれと頼みました。

 すると、男ははっと顔をあげて言いました。
 「セヨール、実は俺もバチャテーロなんだよ。
ヨシカル・サランテやモンチなんかも(MONCHE & ALEXANDRA)いつも一緒だったんだぜ。ヨシカルはあいつの親父と一緒に、そこの橋の傍でユデトウモロコシを売っていたムチャーチョだったんだよ」

 
ヨシカルはその声が評判になりあるレコード会社にスカウトされ、ニューヨクでのツアー演奏で名前をあげていまではCDを8枚も吹き込んだのだという。左上の最新のCDの写真は妙に畏まっています。本当はもっとでっぷりしてチビのアンチャンです。彼も最近三菱のパジェロを買って、嬉しそうに乗り回しています。良かったネ。ドミニカ人の三種の神器の一つが手に入って。

  「いいかい。ドミニカ国内では誰もCDは買わないよ。コピーすればいいのだからね。アメリカで同胞や他のラテン人に買って貰うンだ。彼らは小金があるからね、中身さえ良ければ、ドミニカの曲はすぐ売れるだな。DVDだってヨシカルは歌っているからね。次は俺だよ。ホント」


  そのバルでは、トドのように太った売春婦達がしょっちゅう出入りし、レコードがガンガン鳴り響き、決して居心地が快適ではなっかった。しかし、バチャタのルーツはこういう安酒場なのだという事をしっかり私に教えてくれた。


 
メレンゲが徹底して踊りのための音楽なのに対して、キューバのソンの影響を強く受けたといわれるバチャータは、メッセージや愛の言葉、ときには露骨にセックスにつながる歌詞などをギターにのせて歌ったものらしいのです。

 いってみれば貧乏人の貧民街のオカマの歌で、下品だがイキイキとした活気にあふれた街角の音楽なのです。

  これを洗練されたポップなバチャータに仕上げたのがファン・ルイス・.ゲーラです。実は彼にはお手本があった。70年代からシンガー・ソンライター/プロデューサー/民俗音楽研究家として活躍してきたビクトル・ビクトルがその人で、彼の作り上げたロマンティックなポップ・バチャータというスタイルをJ.L.ゲーラが継承したのが、あの『バチャータ・ロサ』なのです。

 


  
ドミニカ音楽の懐の深さ、そしてバチャータの奥深さ、というより、幅の広さ、捕らえどころのなさとがとんでもないと私には思えますが、あなたはいかがですか?

  さて、ファン・ルイス・ゲーラと並んで重要なウィルフリード・バルガスというおっさんも、凄く重要なミュージシャンです。次のメレンゲの中に紹介してみます。この人はファン・ルイス・ゲーラほどのカリスマ性はありませんが、見逃せないミュージシャンです。


 最後に
イチオシのバチャタは右のAVENTURAという若手4名のグループです。何しろタイトルがいいなあ。 We Broke the Rules だって。暴力的でオカマぽいコスチユーム、センスの悪いCDのデザインといい、ヨシカル・サランテよりモンチとアレキサンドアラよりさらに上を行っていますね。
 しかし、歌は将に正当バチャッタのノリとクササです。
 1曲目のOBESIO,2曲目のYo Creoは秀抜です。女性とのデユオはモンチとアレキサンドアラよりクサクって好きです。曲の構成といい、新しいパワーを感じさせてくれてお買い得です。(私は水族館の入り口で子供から200円で買いましたが、、)。

 これを聴いているとメレンゲって一体何なのサ、と叫びたくなります。アメリカ人の音楽評論家は
ドミニカ共和国のブルースといいましたが、むべなるかなです。ではレゲエとはどう違うの?

 いよいよ深くなるバチャタの世界です。



>【ドミニカ共和国安全情報レポート】第15号
><2003年9月29日ー10月5日>
>
>
>
>
>デモ・ストライキ
>
>停電、生活費の高騰、給料ベースアップを要求した抗議運動
>
> 先日、「民衆組織連盟」(Coordinadora de Organizaciones Populares)及び運転
手労働組合などが予告宣言をしていた抗議ストライキが予定通り9月30日に全国各
地で実施された。その結果、デモ隊や一般住民、介入した警官隊など計12名が負傷
し、数十名が警察に拘留された。首都やシバオ地方、東部地方では、同日午前中か
ら、デモ行進、なべたたき行進、タイヤもやし、投石、路上にゴミや木などを置いて
通行妨害をしたりという、抗議運動が展開された。国家警察は警官隊を出動させ、銃
の発砲(ゴム製の銃弾を含む)や催涙弾を放って、騒動の鎮圧を図った。
>
> これら抗議運動が実施されたのは地方ではサンチアゴ、ナバレッテ、リセイ ア
ル メディオ、ボナオ、バラオーナ、ラ ベーガ、ビージャ アルタグラシア、サン
 フラシスコ デ マコリス、サルセード、サン ペドロ デ マコリスで、サント
ドミンゴでは地方ほど規模は大きくなく、国立サントドミンゴ自治大学では学生グ
ループが大学の周辺路上でタイヤを燃やしたり、投石した他、カポティージョやビー
ジャ ドゥアルテ地区の住民がデモ行進をしたが、警察の介入により負傷者などを出
すことなく解消されただけで、一般市民の活動に影響はなく、通常の一日であった。
一方、上述の地方の各地で、地元住民や民衆組織メンバーで構成されたデモ隊と警官
隊の激しい衝突があり、負傷者や拘留者を出した。バラオーナではサビカ、ビージャ
 エステーラ、パルマリット、ラ ロトンダ デ プエブロ ヌエボ、カシッケ、ロ
ス、 バラコーネスなどで抗議デモが繰り広げられた。また、南部地域では、ビセン
テ ノブレ、ポーロ、カブラル、サリーナス、カノア、ハキメージェス、タマー
ジョ、ネイバ、ヒマニ、ドゥベルヘなどの交通機関が、バラオーナでのデモ運動に賛
同し、これら地域へのバスの運行をストップした
>。バラオーナ市ドゥベルヘ通りとルイス E.デル モンテ通りの角にあるEDESUR
(南部配電会社)の支社に自家製爆弾が投げつけられたが、被害はなかった。同市で
は30日夜通し、各地で(自家製爆弾の)爆発音が聞こえ、住民を脅かすこととなっ
た。
>
>
>__________________________________
>
>抗議デモにかこつけて、ドゥアルテ高速道路沿いで蛮行が横行、略奪も
>
>ビージャアルタグラシア:9月30日の全国的な抗議ストライキが同地でも実施さ
れたが、30日の午後4時頃から翌日10月1日の明け方まで、ドゥアルテ高速道路
路上及びその周辺でデモ隊を中心として投石やタイヤもやし、木や電柱を倒したり、
建物を壊したりする通常の抗議ストライキよりも更に破壊的な性格を見せる蛮行が展
開され、ドゥアルテ高速道路は約7時間事実上、これら蛮族により占拠に近い状態と
なった。蛮族は同地にある「ドミニカ革命党(与党)」の事務所を壊し、中の家具を
叩き壊したり、地元のEdesur支社も壊そうとした。また、銀行のキャッシュサービス
ボックスの窓ガラスを割ったり、隣人組合連合の事務所もドアをこじ開ける、並木や
電柱を倒したりなどの一連の蛮行を繰り広げた。ドゥアルテ高速道路45km付近か
ら、ビージャ アルタグラシアから名部地方への出口付近である、キント センテナ
リオ地区までの道路区間を占拠し、走ってくる車へ投石した。午後9時にプエルト 
プラタからサントドミンゴへ向かって走っていた「ビニコラ デル ノルテ会社」の
トレーラーがこれら蛮族に投石され、運転手が顔面を負傷、ハンドルを切り損ねて道
脇にスリップする事故があった。しかもトレーラーが
>運んでいたウィスキー、ラム酒、ビール、酢など千箱以上がこれら蛮族に略奪され
たという。
>(10月1日、リスティンディアリオ、オイ、エルナショナル、カリベ)
>
>
>_____________________________________
>
>イグエイストライキで40人が拘留される
>
>10月3日同地の隣人組合連合がラ アルタグラシア県の3つの道路の改修を要求
してストライキを実施し、タイヤもやし、投石、路上に溝を掘ってくぎをまいたり、
木の幹を置いたりして通行妨害をしたりした。影響を受けた道路区間はクルス デ 
イスレーニョ マカオ、イグエイ ミチェッス、アナムージャ村への道路であった。女
性や未成年を含めた40人が警察に拘留された。
>(10月4日、リスティンディアリオ)
>
>
>______________________________________
>
>サントドミンゴ市内で夜間に停電抗議デモ
>
>10月2日夜、最大22時間にも至る長時間の停電に抗議して、サントドミンゴ市
内各地で住民が抗議デモを行った。クリストレイ地区では通行する車に投石をしてい
た10才から12才の少年グループ8人が警察に拘留された。午後11時半、ニコラ
ス デ オバンド通りと6番通りの角、ルペロンとカポティージョ地区の間ではデモ
隊がある車両を襲い、運転手と乗客に降りるように命じてその車を燃やしてしまっ
た。27 デ フェブレーロ通り(延長)では、デモ隊が石やビンを投げたため一時
的に車両の通行が中断した。サン マルティン通りとラモン カッセレス通りではタ
イヤが燃やされ、エレーラ地区イサベル アギアール通りでは地元の大学の学生が停
電で授業が中断されることに憤慨し、タイヤをもやして抗議デモを実施した。ラ 
フェ地区ではロッペ デ ラベーガ通りとサン クリストバル通りでデモ隊が路上に
中古の冷蔵庫やタイヤを燃やして通行妨害した。午後9時頃、グアレイ地区、グアリ
カノ地区ラ ピシーナ区、ビージャ アグリコラ地区などでも同様な抗議運動が行わ
れ、警官隊とデモ隊が衝突した。真夜中0時を過ぎても、サントドミンゴ東部のベネ
ズエラ通り(延長)、ロス トレス ブラッソス
>、サントドミンゴ西部のラス カオバス地区で抗議運動が続行された。     
            (10月3日、オイ)
>
>______________________________________
>
>
>犯 罪
>
>9月の家庭内暴力の犠牲者19人に
>
> 2003年は家庭内暴力が急増し、特に9月は19人の犠牲者を出し、ド国の大
きな社会問題となっている。19人の内訳は女性が12人、子供が4人、男性が3人
であった。今年に入ってすでに125人の女性が家庭内暴力により殺害されている。
9月29日、海軍少尉であるカンディド ガルシア リリアーノ(49才)と、妻で
あるイサベル エルナンデス(37才)がサントドミンゴ東部インビビビエンダ地区
にある自宅で死んでいるのが発見された。妻は胸を2発、夫は頭を一発撃ち抜かれて
死亡していた。なお、夫は銃を右手に持ったままで死んでいた。警察は男性の服のポ
ケットに遺書のようなメモが入っているのを発見し、その内容からこの男性が妻との
トラブルが原因で無理心中を図ったものであることが伺えた。また、同じくサントド
ミンゴ東部メンドッサ地区で、ジュデルカ マニョン スヒリオ(28才)が夫であ
るファン サーラス デ ラ クルス(30才)を刃物で刺して殺害する事件があっ
た。この女性の供述によると、彼女が仕事からの帰りが遅かったことに夫が憤慨し、
刃物で彼女を刺そうとしたが、足を滑らせて転倒したため、その隙に彼女が刃物を奪
い、逆に夫を刺したというもの。10月3
>日にはロス アルカリッソ地区で、警官(伍長)のファン カルロス マルティナ
スが自分の妻であるアラネラ ロサリオとその母(義母)であるケニア アルタグラ
シアを銃殺し、自分も銃で自殺した。動機は夫が妻への嫉妬と復縁を拒否されたこと
であった。   (9月29、30日、10月3日、リスティンディアリオ、ディアリオリブ
レ)
>
>
>________________________________________
>
>睡眠薬を使った女性泥棒逮捕 
>
> 9月30日、飲み物に睡眠薬を混ぜて眠らせてから金品を奪うという手口で、少
なくとも15人から盗みを働いた女性泥棒が逮捕された。名前はワンダ メルセーデ
ス ガルシア、22才。ボカ チカやエンサンチェ オサマ地区を拠点に犯行を働い
ていた。本人の自供により共犯者として別の女性(ソフィアという名)がいたことが
わかり、現在捜索中である。この2人はまず、獲物となる男性を誘惑してモーテルへ
連れ込み、睡眠薬を飲ませるという手口であった。最後の被害者であるタクシードラ
イバーがモーテルでビールを飲んでから眠ってしまい、2時間後に目が覚めた時、現
金2千ペソ、ネックレス、ブレスレット3個、指輪4個が盗まれていたことから、警
察に被害届けを出し、事件が発覚したものであった。       (10月1日、
ディアリオリブレ、エルエキスプレッソ)
>
>
さて、02年9月に帰国した私ですが1年たった今、ドミニカ経済は混乱して、治安がすっかり悪くなったようです。最近の治安状況の最新ニュースが手に入りましたので転載します。

 バチャッタを聴きに行く人は以下のニュースをよく頭に入れて下さい。

>_________________________________________
>
>10月4 10日の燃料価格(先週より上昇)
>
>Gasolina Premium : RD$ 61.05 (+1.55)     Gasolina Regular  : RD$ 53.31 
(+1.30)    Gasoil   : RD$ 39.10 (+ 1.99)
>
>
>□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
>この安全情報レポートは、受信をお申込み頂いた方のみに配信しています。
>受信の解除、送付先アドレスの変更等は、FAX 565-1250 までご連絡ください。
>このメールには返信されませんようお願いします。
>発行:ドミニカ共和国日本国大使館(担当:宮本)




2.メレンゲって何


 それでは今度はメレンゲに移りましょう。

 
メレンゲは1840年代にドミニカ共和国で生まれ、ハイチなどに広がったダンス・ミュージックです。

 ギターを主体とした編成からスタートし、ボタン・アコーディオンやサックスが次々にリード楽器として導入され、メレンゲはそのスタイルを変え続けています。

 1960年代に入るとメレンゲ・バンドはサルサ・バンドの編成に接近。数本のサックスをまじえたホーン編成でリズムもアップ。現在一般に知られるところのメレンゲです。つまりバチャタの貧乏臭さと違ってリッチな感じがします。


  このメレンゲとバチャータ、同じ国で誕生し発達したにもかかわらず、前者が2拍子、後者が4拍子とリズムが根本的に異なっており曲調も全くと言ってよいほど違う。また、バチャータとサルサは拍子こそ同じであるものの、明らかに別種の音楽である(一方、中南米の比較的広範囲で普及しているクンビア(Cumbia)とサルサとの間には共通項を見出すことができる)。さほど広いとは言えない地域から発生したこれらのダンス・ミュージック間の明確な相違は、音楽史のみならず文化人類学的見地からも大変に興味深いものである。
  この提言は非常に重要ですので、もう一度整理しておきましょう。



 
 今から16年ほど前に中米で非常にヒットしたメレンゲがありました。

  それはミリアム・クルスの歌う、「私のママは何で色が黒いの」でした。
  LAS CHICAS DEL CAN(ラス・チカス・デル・カン)というグループでした。ふつうこのグループはチカンとドミニカで呼んでいます。ミリアム・クルスはグループを離れて独立しましたが、反響はもう一つ思わしくないようです。たまにテレビに出演しているのを見かけますが、かってのあの華麗でキュートな歌いぷりは何処へいってしまったのか?ちょっとショックでした。

  ある夜、国立劇場で
Ruby Perezのメレンゲ・コンサートがあるというので行きました。観客は皆、ドレッシーに着飾ってやってきました。メレンゲのバンド16名、何と2部ではストリングスのバンドまで出演。その数二二名。

Ruby Perez実はデビューの頃、
Eddy Herrezや JoseEstebanのバンドで歌っていた頃があり、その頃 Mi Mama es Negraをよく歌っていたのです。
 この日のコンサートも最後はこの曲を歌いました。とても楽しい締めの曲でした。
 話しは変わりますが、Ruby Perezの弟は現役の大リーガー
Neifl Perezで、カンサス・シテイの攻守のショート・ストップとして活躍しています。

 ウィルフリード・バルガスはこれらのミュージシャンのパトロンでした。ミリアム・クルスも彼のバンドから独立しようとしてホサれてしまいました。ルブー・ペレスは旨くやりました。
 最近ではウィルフリード・バルガスは実の娘を起用してやっていますが、ミリアム・クルスのようにはまだいっていません。彼女は20年前のドミニカの黒い真珠だったのです。


   さて、この曲に対しての評価を捜して見ましょう。このバンドも
ウィルフリード・バルガスの臭いがぷんぷん漂ってきますね。
 熱心なメレンゲファンからはカラい評価もあるでしょうが、まあまあ! 10人以上の大所帯で可愛いメレンゲを聴かせてくれるのですが、このバンドを聴いてある事に気付き愕然としました。
 このおネエちゃん達 の、元気でノリのよい女のメレンゲバンドです。
 ふと気付いたわけです。10人以上のバンドが、このテンポの曲を演奏し複雑なキメのユニゾンを決めています。

  先日、テレビで現在では中年太りになってしまいましたが、あのミリアムの小悪魔的な目線だけは少しも老いていませんでした。私も女房も、すっかり彼女の声とリズムにハマッテいた18年前を思い出しました。



月刊「ラティーナ」1999年3月号から

* フアン・ルイス・ゲーラ『ニ・エス・ロ・ミスモ・ニ・エス・イグアル』

 フアン・ルイス・ゲーラが再び動き出した。前作『フォガラテ!』から4年あまりの沈黙を破って発表された新作は『ニ・エス・ロ・ミスモ・ニ・エス・イグアル(似ても似つかない)』。本誌先月号の海外ニュースでも紹介されていたが、先行ナンバーの「ミ・ペーセー(ボクのパソコン)」は12月の半ばにビルボード誌の“ホット・ラテン・トラックス”の1位にいきなりランクイン。彼の復活がいかに多くの人々に待ち望まれていたかを見せつける結果となったのである。

 といってももちろん、前評判と期待感だけで話題になっているわけではない。そのサウンドは、「いかにも彼らしい」としかいいようのないポップでキャッチーなメレンゲだ。軽々としたリズム、軽快なアンサンブルを聴かせるホーン・セクション、しゃれたセンスのコーラス・ワーク、そして4年のブランクを感じさせない生き生きとしたヴォーカル。これぞまさにフアン・ルイス・ゲーラの世界である。しかも、タイトルが「ボクのパソコン」とは!

「ねぇ彼女、聞いてよ。ボクのコンピューターにはキミのキスが1ギガバイトも入ってるんだよ。それにキミの人柄を記憶したフロッピーもね…」ときて、「ボクのパソコンにはキミの目を写すモニターしかない。キミの肉体を記録したCD‐ROMしかない…」、さらにインターネット、モデム…とコンピューター関係の用語を続々と登場させながら、世紀末らしいストーカー的な愛の形を浮き彫りにしてみせるところなんぞは、さすがにフアン・ルイス・ゲーラならではだろう。

 このあたりの、時代の最先端をヒョイっとつかまえてヒット曲にしてしまうのが、この人はウマイ。天才的だ。考えてみれば、90年の大ヒット・アルバム『バチャータ・ロサ(薔薇のバチャータ)』だってそうだ。その少し前からメレンゲのアルバムの中にはやたらに“バチャータ”っていうタイトルのついた曲が増えてきたのだったが、いろいろ聴いてみても、なんだかよく実態がつかめなかった。そんなときに、「これがバチャータですよ」って感じでバーンと登場したのが、あのアルバムだったのだ。もともとは安酒場の片隅で歌われていた庶民の(つまり、かなりオゲレツな)歌だったバチャータを、ドミニカ共和国が誇る音楽として世界のポップ・ミュージック・シーンの中に引きずり出したのが、『バチャータ・ロサ』というわけである。

 ボストンにあるバークリー音楽大学でジャズを学んだフアン・ルイス・ゲーラが故郷に帰ってグループを結成し、最初にアルバムをリリースしたのは84年だった。はじめはそれほど売れなかったようだが、男ふたり女ふたりによるマンハッタン・トランスファーを思わせるユニークなスタイルが次第に話題を集めるようになり、88年の『オハラ・ケ・ジュエバ・カフェ』が大ヒットを記録。この次の作品が前述の『バチャータ・ロサ』で、続けて『アレイト』(92年)、『フォガラテ!』(94年)と意欲的なアルバムを連発したのだった。しかしそんな絶頂期に、突如、活動停止宣言をしてしまうのである。

 この間、彼はいったいナニをしていたのだろう? 再び先月号によれば、テレビ、ラジオ局を開局・運営していたそうで、「つとめて平穏に暮らすようつとめてきた。そして、イエス・キリストのなかにそれを見いだした」ということになる。
 ある人に聞いた話しによれば、彼はこの間にカトリックからプロテスタントに改宗したのだそうである。ほとんどがカトリック教徒というドミニカ共和国にもやはりプロテスタントはいるのだそうで、聞くところによれば、彼らは一般に、歌ったり踊ったりすることを禁じられているのだという(ドミニカだというのに!)。なぜ改宗したのか、また、なぜ突然復帰する気になったのか、くわしいことはよくわからない。が、この新作を何度も聴いていると、なんとなくヒントのようなものが聞こえてくるような気もする。

 例えば5曲目の「エル・ニアガラ・エン・ビシクレタ」。“自転車でナイアガラを渡る”という、ある意味では魅力的な、意味深なタイトルのついたこの曲は、スロウなメレンゲのビートをバックにした彼の語りから始まる。それが次第にラップのようになっていき、途中からノリノリのメレンゲに突入するのだが、歌詞はかなり難解だ。心臓発作で緊急病院に運び込まれた人が、どうなってしまうかわからない不安な医療の現場に直面する。そこで看護婦のいうセリフが「落ち着いて、ボビー、落ち着いて」なのだ。しかもこのセリフは、ジャケットの見開き部分にどデカク登場しているのである。さて、この意味は…?

 またまた聞いた話しで恐縮だが、彼は93年ごろに目の病気で入院したのだそうだ。そのときの経験がもしかしたら、この一連のさまざまな出来事…改宗、復帰…に関係しているのだろうか? んー、このへんのところは本人に直接訊いてみたいところである。

 ま、そういった歌詞の内容のことなどは別にして音だけを聴いてみるならば、これはまさにジャケット写真から想像できるとおりのサウンドだといえるかもしれない。前11曲中メレンゲが4曲、サルサが1曲、ほかはポップ・バチャータや弾き語りの曲が中心で、“軽やかなポップ・ラテン・アルバム”といった表現が最もあてはまりそうだ。
 なにはともあれ、偉大な音楽家の復活を、まずは喜びたいと思う。

(月刊「ラティーナ」1999年3月号)



 分かった、分かった言ったでしょう。ファン・ルイス・ゲーラはバチャテロだっていってのに。bachata.htm へのリンク


     


その他のラテン音楽

 キューバ、ジャマイカなどの大アンテーリャスの音楽は別の機会に紹介したい。 なぜなら、これはちょっとジャンルが大きすぎて簡単には説明できないからです。

 私にとっても、よくわからない「
ハイチの音楽」につては「ハイチ目覚めたカリブの黒人共和国」(佐藤文則;凱風社)を参考にして紹介してみよう。私も隣国のハヒチには国境の近くをうろうろして程度で大した情報も持っておりません。



 
ハヒチの音楽は長い間よく世界では理解されてきませんでした。
ヴードー教に象徴されるように、どんな辺鄙な田舎にいってもラジオから不思議な音楽流れています・

 ハヒチの女性は、どの音楽のようにドミニカの女性より、しなやかでほっそりして柳のよう手足を持っています。黒光りする美しい鞭のような肌を持っています。
  ハヒチは勿論アフリカ音楽とラテンが不思議な割合で混じり合ったクリオーリョ文化の固まりですが、欧米のダンス音楽の影響を強く受けています。
  特に有名なのは19世紀に生まれてた
メレンゲコンパです。
  ハヒチのメレンゲはは4分の2拍子のアップテンポなダンス音楽にそのルーツがあります。ハヒチの混血ダンス音楽、バンジョアーやアコーデイオン、
マリンブラなどで演奏されたものを初め、混成、リズムなども実に多様です。

 フランス植民者によて由来した
コントレダンスは、アフリカのコンゴ流域の奴隷によって伝えられたダンス音楽が混成して、カラビーンという男女一組で踊るダンス音楽が生まれました。それがやがてメレンゲと呼ばれるようになったーーと「カリブの音楽史」には説明されています。

  
つまりメレンゲのルーツはハイチなのですか?
  しかし、そのスタイルやリズムは農民や都市の富裕層によって違いが様々で、娯楽音楽の総称として使われた。今でもハヒチでは伝統音楽として扱われているのです。1950年代になって隣国のドミニカからアップテンポのメレンゲが逆流入し、それをハヒチ風に変えたのが
コンパなのです。

  
コンパは他のラテン音楽、ロック、エレキ楽器などの多様な影響を受けさらにモダンなスタイルに発展し、1070〜80年代には全盛期を迎えました。
  今日のハヒチで人気のあるのはコンペ、ラップ、ヒップホンプ、ミジック・ラシーン(クリオーリョ語で根元の音楽の意味)です。

  これまで多様なスタイルが生まれて来ましたが、その中核になったのは農民層で信仰されてきた太鼓と歌と踊りで精霊と交流する伝統的なヴードー教の音楽や、ララ(春祭り)と呼ばれるバクシーン
(竹やで作った吹奏楽)で演奏されるパレード用の音楽です。

  ミジック・ラシーンとは、ハヒチ人のルーツとしてのヴードー教ララ(春祭り)の伝統音楽に積極的に目を向けて、さらにロックやジャズなどを取り入れ、現代風に再生しようという運動です。

 
サンバ・ヨ・フラクマンブックマン・エスペリアンスなどのバンドがこの音楽運動の先駆けになりました。
 折しも、1987年のデユバリエ(パパ・
ドック)の独裁政権崩壊後の民主化の機運に乗って、ラシーンのバンド達はヴードー教歌の比喩や象徴にとんだ歌詞や言葉を歌の中に取り入れ、社会変革のメッセージを人口に膾炙しようとしたのでした。
 
  社会変革の中でどんな新しい音楽が出てくるか本当に楽しみですね。
  


  カリブ海に浮かぶ
アンティル諸島の音楽は、ヤシの葉かげに煌めく陽ざしを思わせる。リゾート風のトロピカルムードとラテンのリズムが一体になった陽気な音楽だ。人気のスティールドラム似合う。
 こんなうたい文句が似合うのが小アンテーリャスです。

 そこで、同じカリブ海に浮かぶ小アンテーリャスの音楽にも目を向けて見ましょう。

 西インド諸島の陽気なダンス音楽を中心に聴かせるラテンアメリカでは珍しくフランスの文化が伝わっているフランス領アンテリャス諸島(マルティニーク、グアドループ)は、カリブ海に浮かぶ西インド諸島の一部。フランス人が奴隷として連れてきたアフリカ系黒人の音楽は時代と共に変化し、ビギンやズークなどの活気あふれるダンス音楽が生まれました。

 この島々はドミニカなどとは違って、花や愛について歌った甘いムードのズーク、ラヴ(ランバダを踊るための音楽としても知られる)、などです。
 楽器もややこぶりのものが多い様です。右上の地図は大アンテーリャス諸島のもので小アンテーリャスはプエルトリコのさらに右上になります。



 
カリブの音楽
バチャタのヒーロー
Juan Luis Guerra
バチャタって何?