

[Hac & Jim]
【内容】
マーク・トウエィンの『トム・ソーヤーの冒険 The Adventures of Tmo Sawyer』(1876)か、その続編にあたる『ハックの冒険
Adventures of Huckleberry Finn』(1884) かの何れかを、どのような形にせよ、一度は読んだことがあるかと思います。
共にミズリー州のハンニバルという小さな田舎町を、舞台にミシシッピー河の自然と冒険をテーマとした小説です。物語としては『トムの冒険』の方が、のびのびと明るく、その冒険も泥棒の隠した金塊を探しに出るという、冒険譚の典型で、しかもその金塊を探し当て2人とも大金持ちになる。ハピーエンドで終わっております。
それに対して『ハックの冒険』はそもそも逃亡奴隷のジムを自由州に逃してやるという、冒険と言うより、当時としてはれっきとした犯罪から始まっております。それに冒険のエピソードも何だかよく分からないような話も出てくるし、結末ももう一つすっきりしないまま終わっております。子供の時読んだ感想では、ハックの方は面白いがハックの方は何だか詰まらなかった。買って損した、という位の記憶しかありません。
が、後年、アメリカ南部史を勉強するようになってもう一度2冊の本を読み直してみて、大人になって読んでも共に面白いことは面白いが、ハックの方が遙かに深い内容をもっていることに気が付きました。かの文豪ヘミングウエーは「全てのアメリカ現代文学は『ハックの冒険』の1冊を持って始まった」と述べているそうですが、それは兎も角、じっくりと研究に値する本だと思います。
アメリカでは『ハックの冒険』を研究するための学会まで出来ているそうですし、我が国でも日本マーク・トウエィン協会編集による『マーク・トウエィン:研究と批評』(南雲堂)という研究誌が出ております。試しにサーチエンジン‘Yahoo’に「Adventures
of Huckleberry Finn」と入力して見て下さい。どこから手を付けて良いのか迷うほど様々な特色を持ったHPが紹介されております。
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(はじめに)
『ハックの冒険』の主題の一つは、自然と自由への憧れであろう。但し著者は冒頭の「警告」で「この物語に主題を見出さんとする者は告訴さるべし」と断っているので、これ以上の詮索は止める。
ハックの時代には自然は原生状態(ウィルダネス)沢山あったが、国家社会は次第に市民を枠の中に追い込み、他方の自由を束縛し始めた。直接規制する法律も次から次へと作られ、ピューリタン社会の倫理が市民の日常生活を窮屈なものにし始めていた。
ハックは、片親(父)はいるものの、飲んだくれで、何時も酔っぱらってハックに暴力をふるっていた。ハックはある意味で‘父ちゃん’のある意味で「奴隷」(白人)であった。 ハックと冒険を共にすることになるジムは、まさに自由など何もない文字通りの「奴隷」(黒人)である。この2人が先ず自由を求めて飛び出していったのが、ミシシッピー河の自然であった。自然は社会から遠いところにあり追っ手はなかなか探し当てられない。何よりも自然の空気は人間を自由にする。
が、白人のハックはミシシッピー河の自然で自由を謳歌できたかも知れないが、黒人奴隷のジムは南部という州に住んでいる限り如何なる自由も保証されるあては。当時の唯一の手段はミズリー協定によって奴隷制の及ばないオハイオ以北の自由州に逃れて、身分的な自由を手にすることであった。ハックはジムに、最初は積極的ではないが、オハイオまでの逃亡の手助けを約束する。冒険はこうして始まる。
1.ミシシッピー河の自然
ミシシッピー河は全長3,780km。ロッキー山脈から流れてくる支流と併せると長さは6,210kmとなり、ナイル川、アマゾン川に次いで世界3位である。流域は合衆国の31州とカナダの2州に広がり、流域総面積は324万8,000km2に達し、アマゾン川,コンゴ川に次ぎ世界3位となっている。おもな支流には、東部より流入するオハイオ川(その支流にはテネシー川などがある)、西部より流入するミズーリ川、アーカンソー川、レッド川などがある(猿谷要『ミシシッピー河紀行』文芸春秋参照のこと)。
私はミシシッピー河の出口ニューオリーンズからミシシッピー河を車で遡ってメンフィスまで行ったことがある。その雄大な自然風景は今でも忘れない。静かで美しかった。他方、1993年ミシシッピー河が大反乱したことがある。子供達の乗ったスクールバスごと濁流に呑み込まれ何名か犠牲になったことがある。野次馬根性丸出しで、テネシー州のノックスヴィルから車で駆け付けて眺めたが実に荒々しく怖い感じかした。
その大洪水を見ながら思った。これで又周辺の住民はやり直しか。自然の前には文明なんて甘っちょろいもんだ。いや、人生も自然の中でだったらやり直しが効くのではないか、などと。ハックもジムもそう思ったのかも知れない。
『ハックの冒険』の中にも、大雨が続いた時は「川の水かさが、十日も十二日もどんどん増え続けて、とうとう土手をあふれた。水の深さは、島の低い土地や、イリノイ側の川プチの低地では、1メートルくらいにまでなった。川の幅も、イリノイ側では何キロだかわかんねくらい広く」なるとある。私は山陰の江の川水系の洪水は何度も目にしたことがあるが所詮規模が違う。
アメリカは今でこそインターステーツ・ハイウエーで結ばれているが、かっては鉄道、その前は川であった。特にミシシッピー河は西部と南部、さらに北部と結ぶ国内最大の幹線交通路で、西部の農民が生産した穀物・家畜、南部の奴隷達が生産した綿花は一端ニューオリンズに集められそこから北部、ニューヨーク港へ運ばれた。今でも西部で生産される小麦・ともろこしはミシシッピー下流に穀物メジャーが所有する倉庫に集められそこから世界の各地に輸出されている。
作者のトウエィンは一時期少年時代からの憧れの職業であったミシシッピー川の「水先案内人」になったいた。ペンネームもそれに由来し、水深2尋を示す“マーク・トウエィン”を名のったというのは有名な話である。彼のこの川への思い入れは『ミシシッピー河上の生活 Life on the Mississpi』(1883)に詳しく書かれている。
話題とハックとジムに戻そう。ハックは奴隷のジムを逃してやるため、ミシシッピー川をイリノイ州の南端のケーロという町まで下り、そこで筏を売って汽船に乗ってオハイオ川上流の自由州へ入る。そうすればジムも自由の身になれるだろうと考えた。が、ハックは濃霧で視界を見失いケーロを通り過ぎてしまった。
そうなると大変である。益々深南部に入り込むことになり、ハックに取ってはその自然も楽しむことが出来たかも知れないが、ジムにとっては奴隷に対しての扱いがミズリーにも増して厳しくなる。つまり身がより危険になるのである。
トウエィンはここまで小説を一気に書け上げたがここまで来て筆はぴたと止まり、再び書き始までに数年を要したようである。研究史によると、ケーロでジムをオハイオ川上流の自由州に至蒸気船に乗せてやればハックの役目は終わる。冒険もそこで終わり同時に小説も終わる。それよりも南部人(西部人でも良い)トウエィンは主人公に逃亡奴隷の幇助をさせることになる。
ハックが書かれた時(1884)は既に奴隷制は廃止されており、北部による「南部の再建」も終了していたが、それでも奴隷制を否定することは南部人には耐え難いことであった。M.ミッチェルの『風と共にさりぬ』(1936)を見よ、D.W.グリフュスの映画『国民の創生』(1915)を見よ。これはH.B.ストウ夫人の書いた『アンクルトムの小屋』(1852)に対する復讐・北部の奴隷解放に対する復讐であるという見方もある位である(青木冨貴子『「風と共にさりぬ」の南部』(岩波新書)。他方、ケーロを通過させて深南部へ入ればジムの自由は薄くなる。それではハックの役目は果たせない。つまり冒険は成立しない。それで筆が止まったという説。もう一つは、小説が書かれた当時は北部出身の美しい女性と結婚しニューイングランドに住んでおり、既に名声も確立し北部イシュタブリシュメントの仲間入りをしていた。彼の南部・西部で培った自由な精神と行動が北部イシュタブリシュメントの世界では思うように発揮できない。そのジレンマに陥ったというものである。
どうも話がわき道に逸れるようである。
2.ハックが求めた自由とは?
小説が書かれたのは1884年であるが、ハックは活躍しているのは1840〜50年代にかけて、即ち著者の少年時代を過ごした町と時代が背景となっている。この時代は国家も曲がりなりに体制を固め(奴隷制の問題は後に述べる)、ピューリタン体制(教会による人民管理)も社会の隅々まで行き渡り、義務教育制も確立していた。北部では牧歌的な農村社会から、産業革命に伴う工業化・都市社会へと移行が始まっていた。
子供といえども自由ではない。学校には行かなければならず、日曜日には教会の礼拝へも出席を義務づけられた。また、B.フランクリンに典型的に見られる「社会での成功とは富を掴んだ者で、それに至には勤勉と勉学」であるという倫理に国民的合意が出来上がっていた(ここでの国民とは限定すると北部人をいう)。
1)ハックとは何者か?
友人のトムによると「大酒飲みのせがれで村の母親たちからは毛虫のように嫌われ恐れられた。といのは、彼は怠け者で、乱暴者で、下品で、たちの悪い小僧であるばかりでなく、子供達は彼を尊敬し、こっそり彼とつきあいたがり、思いきって彼のようになりたいとさえねがっていたからだ。トムも、ちゃんとした家庭の少年たちと同じように、ハックの自由な宿無しの身分ををうらやみ、しかも彼と遊ぶことを厳重に禁じられていた。だからトムは機会あることにハックと遊んだ。ハックは、いつも大人の使い捨ての服を着ていて、ぼろきれが満開の花のよううにぶらさがっていた。帽子は縁が裂けて大きく三日月型口をあけていたし、上衣は、それを着ると、ほとんど踵まで垂れ下がり、うしろのボタンは背中のはるか下の方にあった。ズボン吊りは片方だけしかないし、ズボンの尻は、だらんとぶらさがっていた。ぼろぼろになって縁飾りのついたようにぶらさがったズボンの下の部分は、まくりあげてないときには、いつも泥のなかを引きずっていた。
ハックルベリーは自分の気持ちのままに行動した。天気がよければ、どこかの玄関の階段で眠り、雨が降れば、大きな空樽のなかで眠った。学校へも教会へも行く必要がなかったし、釣りでも泳ぎでも、好きなとき、好きなところへ行くことができ、好きなだけ、そこにいることができた。喧嘩をしてはいけないと叱るものもいなかったし、いくらでも夜ふかしができた。春になると、誰よりも先に跣足になり、秋になると、誰よりも遅くまで靴をはかなかった。顔を洗ったり、きれいな服を着なくてもよかったし、どんなひどい言葉だって言いたいほうだいだった。要するに、人生を価値あるものにするために役立つすべてのことができるのだ。自由を束縛されたセント・ピーターズバーグじゅうの良家の少年たちは、みんなそう考えていた。」(『トムの冒険』新潮文庫より)。
ハックは学校、教会、富という当時の社会規範・生活の外におり、中でがんじがらめにされた子供達には憧れの的だったというのは良く理解できる。そのハックは偶然に探し当てた「金と、そしてダグラス未亡人が後見人になっているという事実が、彼を交際社会へ導き入れたーいや、引きづり込み、投げ込んだーその苦しみは、彼にはほとんど耐えがたい」(『トムの冒険』)立場になった。つまり他の少年達がうらやんだ自由を失ったのである。
ハックに取ってお金持ちになり上流社会の仲間入りをすることはどんな意味があったのか?トムはハックにそれは誰もが求めることだと諭すが、それに対してハックは「誰でもやるからって、同じことだよ、トム。おれは、ほかの連中とはちがうから、我慢できないんだ」と。続けて、「なあ、トム、金持ちになるってことは、はたで騒ぐほどいいもんじゃねえ。めんどうくさいことばかりで、汗のかきどおしだ。おれは、しょっちゅう、死んだほうがましだと思っていたよ。この服のほうはなが、おれにゃ似合うし、この樽のほうが気楽でいいんだ。おれは、もうここから離れないつもりだ。トム、あの金さえなけりゃ、こんなめんどうくさいことに巻きこまれないですんだんだ。おれの分け前は、みんなおまえにやる、おれにゃ、ときどき十セントくれときどきでいいんだ。よほど手にはいりにくいものでなけりゃ、おれは、金を使うことなんてねえんだからおれの代りに、小母さんのところへ行って、話をつけてくれないか」とお金には全く頓着しない。そればかりか「トム。おれは金持なんかまっぴらだ。あんな窮屈な家にゃ住みたくねえんだ。おれは森や河や空樽が好きなんだ、一生、そういうものから離れねえつもりだ。ちえッ、冗談じゃねえや。せっかく銃や洞窟が手にはいって、山賊をやるにゃ今が潮どきがきたってときに、こんな邪魔がはいって、みんなめちゃめちゃになっちまった」(『トムの冒険』より)と嘆く。お金がハックの自由を奪ったのである。
2)ハックが求めた自由とは?
上流社会の名士であるダグラス未亡人に引き取られ、ちやんとした教育と礼儀・マナーなどを仕込まれる。が、ハックはこれが窮屈でならない。ハックは自分のお金を捨ててでもここを逃げだそうとするがトムは「お金持ちだて山賊になれないことはない」、ダグラス未亡人の所で大人しくしていれば「山賊の仲間に入れてやる」と何とかなだめすかす。そこに、ハック以上に村中から嫌われ、乱暴者で飲んだくれの‘父ちゃん’が現れる。目当てはハックの金。ハックを取り戻して、序でにハックの金も取り戻そうとする。社会は(ダグラス未亡人の家では)真綿で首を絞めるように自由を締め付けるが‘父ちゃん’は鞭でハックの自由を奪う。まるで‘父ちゃん’の奴隷である。こうなるとハックは社会と‘父ちゃん’から逃げ出さざるを得ない。両方からの自由を求めてである。『トムの冒険』の続編『ハックの冒険』はこうして始まるのである。
ハックが先ず逃げ出したのはミシシッピー河に浮かぶ無人島であった。当時のミシシッピー河は現在では東西南北を縦横に走るインター・ステーツと同じであり、どこにでも自由に連れて行ってくれる。しかもその雄大な自然は追っ手の追跡を許さないし、何よりも精神を‘自由’にしてくれる。ハックは言う。「なんてったって、筏ほどいい所はねえと二人で話した。ほかの所は窮屈で息がつまりそうだけで、筏ではそんなことはねえ。筏の上にいると、すごく自由で気楽でのんびりするんだ」(『ハックの冒険』岩波文庫より)。ミシシッピー河と筏はハックに取って自由のミニ・コスモスであった。
*余談ですが私はM.モンローとR.ミッチャムが筏でコロラド河の激流を下る『帰らざる河』という映画が大好きです。筏の先には夢と自由がある!
補注)
作者の「自由の探求」については、亀井俊介『マーク・トウエィン研究』南雲堂 第V部9『ハックルベリー・フインの冒険』他を参照のこと。
4.ジムが求めた自由とは?
1)ジムの身の上
そこへ黒人奴隷のジムが逃げてくる。ジムはハックの家庭教師でもあるミス・ワトソンの所の奴隷で、『トムの冒険』にも何度か登場する。奴隷とは自由は愚か人格まで認められない主人の財産(動産)にすぎない。ジムはミス・ワトソンが彼をニューオリーンズへ売り飛ばすという話をしているのを小耳にはさみ、飛び出すのである。ミズリーの、まして奴隷作物である綿花も麻もタバコも出来ないような土地柄では奴隷の仕事といえば家の雑益と軽い農作業だけである。ミズリーなど境界諸州では奴隷とはいえ多少の自由は残されていた。
が、低南部のニューオリーンズへ売られ綿花プランテーションで働かせられるようになると状況はガラリと変わる。明けても暮れても、鞭を持った監督の指示の下で働かされ、少しでも手を抜こうものなら容赦なく鞭が飛んでくる。奴隷を意のままに働かせ逃亡を防ぐために、意味のないときでさえ鞭は飛んでくる。ここでは完全に自由は剥奪される。その話を聞きジムが逃亡を企てるのは充分理解できる。しかしそれは南部では重大な犯罪なのである。
ジムとハックは多少似た境遇にある。ジムはミス・ワトソンの奴隷、ハックは‘父ちゃん’の奴隷。奴隷の境遇とはいえハックは白人。‘父ちゃん’から逃げれば自由になるが、ジムはミス・ワトソンから逃れても南部のいる限り自由はない。否、例え運良く自由州へ逃れたとしても、見つけて連れ戻されれば再び奴隷に逆戻りする可能性さえあった。1857年のドレッド・スコット事件(DredScottCase)における最高裁の判決を見よ。
そのハックは奴隷のジムの逃亡を手助けすることを約束する。逃亡補助もれっきとした犯罪である。
2)ハックは奴隷であるジムをどう思っていたか
ハックはこう自戒する「いちどおらは心の中で、どっちみちジムが奴隷にならなきゃなんねえとしたら、自分の家族のいる故郷で奴隷になったほうが何倍いいかわからねえと考えたので、トム・ソーヤーに手紙を書いて、ジムの居所をミス・ワトソンに知らせてくれ、と言ってやろうかと思った。でもおらは、すぐにその考えはやめにした。そのわけは二つあって、一つには、ミス・ワトソンはジムが出ていったので、あれは悪いやつだ恩知らずなやつだとムシャクシャ腹をたてて、またジムをずっと川下のほうへ売りとばすだろう。たとえそうまでしないとしても、ほかのみんなが当然ジムを恩知らずの黒んぼだと軽蔑して、年じゅうジムにそのことを思い知らせるだろうから、ジムはみじめな恥ずかしい思いをしなきゃならねえだろう。その次には、おらがどうなるか考えてみろ!ハック・フィンは黒んぽが自由を手に入れるのを手助けしたといううわさがひろまって、おらは、だれでもあの町の人に出くわしたら、恥ずかしくて、はいつくばって靴をなめるような思いをしなきゃならねえ。そういうものさ。人間というやつは、恥ずかしいことをしておきながら、その責任をとるのはごめんだと言いたがる。なんとかそれをかくせる間は恥じることはないと思ってるんだ。そのときのおらの苦しみも、ちょうどそれと同じだった。そのことを考えれぱ考えるほど、ますます良心に苦しめられて、いよいよ自分が、根性まがりで卑劣でけちな人間に見えてきた。そのうちに、おらは突然ハッと気がついて一これはたしかに神様がおらの顔にピシャッと一発くらわせたんだーおらになんの悪さもしてねえばあさんの黒んぽをおらが盗み出しても、その悪い行ないは高い空の上からすっかり見られていたんだよって、神様がおらに知らせて下さったのだ。いつも見張っている者があるぞよと教えて下さって、こういう浅ましい行ないは、ここまでは許したがそれから先は許さんぞとおっしゃっているのだーそう気がついたとき、おそろしさのあまり、おらはその場でぶっ倒れるかと思った。それでもおらは、今まで根性まがりに育てられたんだから、おらばかりが悪いわけじゃねえと言って、少しは自分の責任を軽くしようとやってみた。ところが、おらの心の中で声がして、「日曜学校というものがあって、おまえも行こうと思えば行けたじゃないか。もし行ってたら、おまえがあの黒んぼにしていたようなことをおした者は、地獄の焔に焼かれることを教わったはずだ」と言いつづけていた。
そう考えるとおらは身ぶるいした。それでおらはお祈りしようと決心して、なんとかして今までみたいな悪童ぶりを改めて、もっといい子になれないもんか、やってみようと思った。そこでおらはひざまずいた。だけど、どうも祈りの文句が出てこねえ。どうして出てこねえのかP神様にかくそうとしたってだめなんだ。自分にもかくそうとしたってだめなんだ。どうして祈りの文句が出てこねえか、自分じゃよくわかっていた。それはおらの心が正しくねえからだ。
そう考ええるとおらは身ぶるいした。それでおらはお祈りしようと決心して、なんとかして今までみたいな悪童ぶりを改めて、もっといい子になれないもんか、やってみょうと思った。そこでおらはひざまずいた。だけど、どうも祈りの文句が出てこねえ。どうして出てこねえのな神様にかくそううとしたってだめんだ。自分にもかくそうとしたってだめな考どうして祈りのの文句が出てこねえか、自分じゃよくわかっていた。それはおらの心が正しくねえからだ。それはおらがまともな人間じゃねえからだ。二枚舌を使っていたからだ。表向きは罪を犯すことはやめたようなふりをしていながら、心の奥のほうじゃ、いちばん罪深いことを考えつづけていたんだ。
おらは、正しいこと、きれいなことをします、あの黒んぽの持ち主にすぐ手紙を書いて居所を知らせますなんて、口にはそう言わせておこうとしながら、ずっと奥深い心の底ではそれがうそだって知っていたんだー神様もそれはお見通しだったんだ。うそを祈ることはできねえーおらにはそれがよくわかった。
そこでおらは困って困って、困りぬいちまった。どうしていいかわからなかった。やっとのことでいい考えを思いついた。そうだ、すぐに手紙を書こう一そしてその後で祈れるかどうかやってみよう。いや、驚いたことに、そう考えたとたんに、気持が羽根のように軽くなって、心の悩みも全部ふっとんじまった。そこでおらは、大喜ぴで浮きうきして、一枚の紙と鉛筆を見つけると、腰をおろしてこう書いた。
ワトソンさまおたくから逃げた黒んぼのジムはパイクスヴィルから三キロ川下のと
ころにいます。フェルプスさんがつかまえました。賞金を送ってくださればひき渡すそうです。
ハック・フィン
おらはいい気持で、罪も洗われてさっぱりしたんな気分になったのは生まれてはじめてだった。これでお祈りもできると思った。でもおらはすぐにお祈りにはとりかからねえで、紙を下におくと、そこにすわって考えはじめたーこんな成り行きになってよかったとか、もう少しで道をまちがえて地獄に落ちるところだったとか考えた。そうやって考えつづけているうちに、川を下ってきたおらたちの旅のことを考えはじめた。そのあいだずっと、いつもジムのすがたが目の前に見えていた。昼も夜も、月の明るい晩も嵐のときもだ。おらたちは、しゃべったり歌ったり笑ったりして川を下ってきた。でもどうしてだか、いつのできごとを思いだしても、おらはジムを憎むことができねえで、その反対のことばっかり思いだした。ジムが自分の見張り番をした上に、おらを寝かしてやろうと思って、おらを起こさねえで、おらの分まで見張りをしてくれえんこんたときのことや、おらが霧の中から戻ってきたのでジムが大喜びしたときのことや、あの怨恨のあった所で、沼の中でジムとまためぐりあったときや、そんなときのことを思いだした。いつもおらのことをおめえさんと言ってかわいがってくれて、思いつくかぎりの事をしてくれて、いつもじつに親切だった。最後におらは、筏の上に天然痘の病人がいると男たちにうそをついて、ジムを助けたときのことを思いだした。ジムはすごくありがたがって、おらのことをジムじいやにとっては世界でいちばんの味方だと言ったり、今ではおらがたった一人の味方だと言ったりした。その時おらはひょいとあたりを見まわすと、さっきの紙が目にはいった。
おらは追いつめられた。おらはその紙を取り上げて手に持った。からだがブルブルふるえだした。だって、右か左か、ここで最後の腹をきめなきゃなんねえことが、自分でもわかっていたからだ。おらは、息を止めるみたいにしてちょっと考えてから、心の中でこう言った。
「よし、こうなったら地獄へ落ちてやれ」ーそしておらは、その紙を破いちまった。
恐ろしいことを考えて、恐ろしいことを言ったもんだけど、もう口から出ちまったことだ。おらはそれをそのままにして取り消さなかった。悔い改めようなんて、もう考えなかった。そんなことはいっさい頭の外へ押し出しちまった。おらは悪者に育てられたので、悪者のほうが性に合っていて、その反対のほうはだめなんだから、また悪者に戻ろう、とおらは言った。そしてまず手はじめに、ジムを奴隷の身分からまた救い出す仕事にとりかかろうと思った。その後でもっと悪いことを考えついたら、それもやってやろうと思った。いったん悪の道にはまりこんで、もう抜けられないとなったからは、とことんまでやっちまったほうがいいんだ。」(『ハックの冒険』より)
3)作者(トウェイン)は奴隷制をどう思っていたか?
マーク・トウェイン『自伝(上)』ちくま文庫
第2章「叔父の農場と迷信深い黒人たち」より
「柵ぎわの小さな丸太小屋に白髪頭の寝たきりの奴隷女が住んでいた。僕ら子供は日に日に出かけて行ったが、その度に畏怖の念にかられながら眺めた。老婆は千歳をとうに越していてモーゼと話をしたことすらあるのだと子供たちは信じていた。黒人の若者たちも老婆の年齢とそれにまつわる話を信じているらしく、老婆のことを真顔で子供たちに話した。僕らはそれを細大漏らさずまともに受け入れ、老婆が体を悪くしたのはエジプト脱出時のあの長い砂漠の旅のせいで、それ以来ずっと健康を回復できずにいるのだと思った。また、老婆の脳天に丸ハゲの箇所があり、僕らはそっと後ろへ回っては、押し黙ったまま、そのハゲをうや*うやしく見つめ、これはパロが海に呑み込まれるのを見て恐怖のあまりできたのではないかとも思った。南部の習慣で子供たちは老婆を「アーント」ハンナと呼んでいた。黒人の例にもれず、彼女も迷信深く、信仰心が厚かった。神への祈りに絶大な信頼を寄せ、日常、ふとしたことにもいちいちお祈りするのは、いかにも黒人らしかったが、なんの効き目もないのがはっきりしている時は、どんなにせっぱ詰まっても断じて祈ろうとはしなかった。魔女が現われたとなると、残り少ない髪の毛を小さい房に白糸で束ねていた。こうすると魔女はたちどころに魔力を失ってしまうというのだ。
黒人たちはみんな僕ら白人の友達であり、同じ年頃の少年たちは、事実上、僕らの仲間だった。いま、事案上と言ったのは、仲間であると同時に仲間でなかったからである。肌の色と社会的立場の違いで、両者の間に微妙な一線が画されており、双方ともそれを意識するあまり、完全に融け合うことはなかった。しかし、僕ら子供たちは、忠実で愛情深い親友・味方・相談相手として、中年奴隷の「アンクル・ダヌル」を尊敬していた。彼は黒人仲間で一番頭がよく、物わかりもよく、包容力に富み、気取るということがなく、実直そのものだった伝が小説を書く上で、彼は長い間、大いに協力してくれた。もう半世紀以上も会っていないが、その間も、心の中では実によく付き合ってきた。時には本名で、また、時には「ジム」という名前で彼を活躍させ、あちらこちらと引きずり回してきたーハンニバルに連れて行ったり、筏でミシシッピ河を下らせてみたり、サハラ砂漠を気球に乗せて越えさせたりした。彼は生れつき忍耐力があり、友情に厚く、忠誠心に富んでいたので、こういう無理な要求にも耐えてくれた。黒人たちにもすぐれた資質があることを知り、深い愛情を抱くようになったのは、幼いころ叔父の農場で一緒に過ごしたからである。以来、六十年以上もの長い間、黒人に対する感情と評価は時の試練を経てきたが、いささかも色あせることがなく、黒人を信頼する私の気持は今も昔と全く同じで、彼らとの交際を歓迎している。
そういう私でも、小学校時分は奴隷制度を毛嫌いすることもなく、また、この制度に不都合なところがあるなどとは思ってもみなかった。制度を批難する声は聞かれなかったし、おまけに田舎の新聞は奴隷制度に反対する記事をのせなかったし、町の教会へ行くと、牧師は壇上から、奴隷制度は神が認めた神聖な制度であって、このことにいささかでも疑間をはさむ向きは、ちょっと聖書を開いてみれば、それがたちどころに氷解するはずだと説いていたーそれをさらに不動のものにするため、聖書の中の必要な箇所を高らかに読み上げたりもした。奴隷の中にこの制度に反発を感じている者がいたとしても、彼らは賢いからそれを口に出して言うことはしなかった。ハンニバルでは奴隷が虐待されている光景などめったに見かけず、叔父の農場でも、そんなことは一切なかった。
しかし、私が子供の頃、小さいながらこの問題で一つの事件があった。私には大変ショックな事件だったに違いない。さもなければ、何十年もたった今日、ついこの間の事のように、少しの曇りもなく、まざまざと思い出すはずがない。幼い頃、ハンニバルのわが家にどこからか雇い入れた奴隷少年がいた。少年はメリーランド州の東海岸で生れ、家族や友人たちから引き離され、たった一人こんな遠い所まで売られて来たのである。陽気で無邪気なやさしい少年だったが、騒々しいことおびただしく、一日中、口笛を吹いたり歌ったり笑ったり大声を上げたりしていたー毎日それを聞かされる私は全くやり切れず気が変になりそうだった。とうとう、たまりかねて、ある日のこと、腹立ちまぎれに母に抗議した。サンデーの奴、一時間もぶっ通し歌ってんだから、やかましくてたまったもんじゃないよ、母さん!何とか止めさせてよ!と言った。すると、母は眼に涙を浮かべ、唇を震わせながら、次のように言うのだった。
「かわいそうに、あの子がああやって歌ってる時はね、つらいこと悲しいことを忘れてるんだよ。そう思うと、母さんはホッとしてんの。あの子がじっとして黙り込んでるのを見ると、思い出してんじゃないかしらって、母さん、気が気じゃないの。もう、二度と母親にも会えないだろうし……歌って気が紛れるんだったら、そっとしておいて上げなきゃね。その方が母さんは有難いんだよ。お前も、もう少し大きくなるとわかると思うけど。身寄りのないあの子が賑やかに振舞っているのがどんなにうれしいことかわかると思うんだけどね。」母の言葉は簡潔で決して難しくはなかったが、私の胸にグッとこたえた。以来、サンデーの騒々しさに腹を立てたりしなかった。母は決して大げさな言葉を使わなかったが、やさしい言葉を効果的に使う天賦の才に恵まれていた。母は九十近くまで生きたが、その話し振りは最後まで衰えなかったー特に、卑劣な行為や不正な行為に直面した時の母の舌はすさまじかった。有難いことに、私にとって母は調法で、トム・ソーヤーのポリー叔母さんのように、何度も作品に登場させたと思う。母に独特の方言的な喋り方をさせ、いろいろ工夫をこらしてみたが、あまりうまくいかなかった。サンデーも一度使った。『トム・ソーヤーの冒険』で、白ペンキで塀塗りをさせようとしたがうまくいかなかった。作品の中では、彼をどういう名前にしたのかも、もう、すっかり忘れてしまった。」(22-25頁)
5.奴隷制社会と自由制社会−人間に取って“自由”とは?
1688年のイギリス名誉革命によって人間(市民)は国家・身分・宗教の制約から解放され“自由”となった。それを人類史の潮流にまで引き上げたのは1779年のフランス革命である。スローガンは「自由・平等・博愛」。A.スミスは自由社会(=資本主義社会)の到来が人類に限りない豊かさと幸福をもたらすであろうと、1776年『国富論』という本を書いた。
資本主義を批判したK.マルクスは『資本論』(1867)において、資本主義社会においては他人のために働かなくても良いが自分も食べなくてもよいという、‘二重の意味での自由’であると指摘した。何も驚くことはない。奴隷制を擁護したG.フィッフューはそれよりも早く『南部のための社会学』(1854)資本主義社会の矛盾を指摘し、「食べられない自由がある北部の労働者より衣食住が保証された南部の奴隷の方が幸せであると」喝破した。奴隷の方が幸せだとは思わないが、このいわゆる「自由主義社会」に本当の自由があるのであろうか?マルクスは「共産主義社会」こそ本当の意味での自由[千年王国]があるといったが、ソ連・東独の例を見よ!そこにも自由はなかった。
では、「人間に取って“自由”とは何か」。
6.“自然”は人を‘自由’にする
中世ヨーロッパの諺に「都市の空気は人を自由にする」というのがある。封建制の支配する農村から自治を獲得した都市に1年と1日住めば市民としての自由身分が保障させるのだ。がそれは封建制社会からの自由であって、政治、宗教、権威、伝統などといった日常からの自由をいうのではない。
では‘自由’はどこにある?
政治、宗教、権威、伝統などといった様々な社会的拘束からの自由は“人間と自然交流”の中にこそある。内山節『自然と人間の哲学』岩波書店を是非読んで欲しい。
アメリカ自然主義哲学の基盤を作り、アメリカ人の‘自然観’に多大な影響を与えたエマソンはいう。
「この地方には、一年のほとんどどの季節にも、世界がその完全な状態に到達する日々がある。そういう時には、大気と天体とこの地球が、まるで自然がその子供たちを甘やかそうとしているかのように、一つに調和している。こういう時には、地球の北方にあるこの荒涼とした地方において、もっと楽しい地方にっいて聞いておれぱよかったのだが、と思わせるものは何もなく、われわれはフロリダとキューバの照り輝く陽をあびる。この時、生命をもっすべてのものが、満足の様子をしめし、大地にうずくまる牛は、雄大でのどかな思想をもっているように見える。われわれが、とくに、小春びよりという名で呼んでいるあのすんだ十月の天候のうちに、こういうおだやかでのどかなひよりを求めれぱ、まず大てい確実であるといえる。はかり知れないほど長い一日が、どこまでも伸ぴている丘と暖かい広々とした平野に、ねむっている。この日当りのよい時刻を、最初からずつとあますところなく味わったということは、長生きをしたようなものである。きぴしい場所が、それほどきぴしげに見えない。森の入口で、自然の美しさに驚いた俗界の住人は、大小、賢愚についての都会の評価を、すてなければならない羽目に陥る。森に一歩足をふみ入れると、背中にせおった習慣が、彼の肩からおちる。ここには、われわれの宗教を恥じいらしめる神々しきがあり、われわれの英雄たちの信用をおとさせる真実きがある。ここで、われわれは、「自然」が環境であって、これがほかのあらゆる環境をつまらぬものに思わせることを知り、また自然が、神のように、自然のもとに来るすべての人ぴとを裁くのを知る。われわれは、むっと、たてこんだ家を、そっと出て、夜と朝のなかに入った。われわれは、どんなに壮大な美しきが、毎日、われわれをその胸のなかに包んでくれるか、見ている。大した力もない障壁を逃がれ、誰弁や思い直しを逃がれ、自然によって悦惚境に入れてもらいたいと、われわれは、どんなに心から願っていることだろう。森のやわらかな光は、永遠の朝のようであり、心を鼓舞させるものであって、堂々としている。昔から伝えられている森の魅力が、いつのまにかわれわれの心に、しのぴ入ってくる。松の木、つがの木、樫の木などの幹は、興奮した目には、鉄のような輝きを放っている、といってもよいくらいである。
言葉で伝えることができないほどの魅力をもった木々は、われわれにむかって、自分たちと一緒に生活をして、しかつめらしい瑣事におわれた生活を捨てるようにと説得をはじめる。ここでは、歴史も、教会も、国家も、神々しい空の上に、そして不滅の歳月のなかに、閲入してこない。われわれは心も軽く、足をはこんで、目の前に開けている景色のなかに入って行き、新しい光景と、あとからあとから、あらわれてくる思想に、われを忘れるのであるが、そのうち、次第に、家庭を思い出す気持が心から押し出されてしまい、すべての記憶が、現在の圧倒的な力によって、かき消きれてしまい、自然の導きに従って、意気揚々と進んで行く。
森の魔力には、治療の力があり、われわれを落着かせて、いやしてくれる。この魔力は、地味な楽しみであって、われわれの性に合い、快よいものである。われわれは、われわれ自身のもののところに帰って行く。学校の野心家連中は、おしゃべりのなかで、しきりと物質を軽蔑するようにとわれわれを説きつけようとするが、われわれはこの物質と親しくなる。われわれは、決して物質と離れることができない。心は、その古巣を愛する。水が、われわれの喉のかわきをいやしてくれるように、岩と大地は、われわれの目と手と足とを力づけてくれる。物質は固い水、冷い火である。
なんと健康的で、類似していることであろう。われわれが、知らない人びとと気取った態度で、おしゃべりをする時に、いつも旧友のように、いつも親友であり、兄弟であるかのように、この誠実な顔をした自然が、やってくる。そして、まじめな態度で、われわれになれなれしく接するので、われわれは自分たちの愚かしい態度を恥ずかしく思い、これを捨てる。都会は、人間の正常の心を入れる余地がない。われわれは日毎、夜毎に外に出て、地平線を見て、われわれの目を養う。ちょうど風呂には水が必要であるように、われわれには地平線といった広々としたものがなくてはならない。このようにわれわれを隔離してくれる自然の力から、想像力と魂に対する親しみのこもった大切な奉仕にいたるまで、自然の影響力には、あらゆる段階がある。泉から桶でくみ出されるつめたい水があり、寒きでこごえた旅人が、身の安全を求めて走りよる焚火があり、また、秋と真昼の崇高な教訓がある。われわれは、自然のなかに抱かれて横になり、やどり木のように、自然の根と穀物から、われわれの生命を養っている。そして、われわれは、天体の輝やく目によって見られているが、その目が、われわれを孤独の境地に招き、はるかかなたの未来を予言してくれる。青々とした天頂は、ニンスと現実とが合する点である。もしも、われわれが天について夢見ているもののなかに、捲として運ばれてゆくならば、そして天使ゲイブリエルやテ呈ルと語りあうならば、われわれの将来は、空高い天だけとなるであろう。
われわれが、何かの自然物に注意を払った日は、全く世俗のうちにすごした一日、ではなくなる吉に思える。しずかな大気のなかを落ちてくる雪ひら、これは、一つ一つの結晶体が完全な形をもっているま々とした海面に、あるいは平原に吹きつけるみぞれ。風に波打つラィ麦畑。波打っているかに見える野原面のアメリヵあかねの無数の小花が、目の前で白くなり、ちらちらと誉波が立っ鑑のよう覇面に、樹木や花のうつる影。音楽的で、蒸気をはえで、かぐわしい南風は、あらゆ柔々を風になる琴にかえる。つがや松の薪が、ろで燃えながら、パチパチと音をたて、ジューといって、水分を出す。これは居間の周囲と人びとの顔に、光輝を与える。これらのものはみな、最古の宗教の奏でる音楽、描く絵である。私の家は低地にたっていて、眺めもあまりきかないが、村のはずれにある。しかし、私は友達とともに、村の小さな川の岸辺に行く。そして、かいを一押しして、私は村の政治と人物とから離れる。そうだ。村落や人物の世界をあとにして、日没と月光の美妙な世界に入って行く。しみのある人間が、修道期間や見習期間ももたずにいきなり入って行くには、ちょつとまばゆすぎる。われわれは、身体ごと、この信ずることのできないほどの美しさのなかに突き進んで行く。われわれの手を、あ彩られた水のなかにつける。
われわれの目はどれらの光と形のなかで水浴をする。休日、田園生活、すばらしい饗宴ー勇気と美、力と趣味が、これまでに経験したことがないほど堂々とした祭りーこういうこころを楽しませる祭りが、たちまちに、とりおこなわれる。あの日没時の雲、あのいつとはなしに現われ出でて、言葉では表わすことのできないまなざしを、ひそかに、われわれの方に投げかける星、これらのものは、この祭りを意味しており、この祭りをさし出している。私は、われわれの発明が、どんなに貧しいものか、そして都会や宮殿が、どんなに醜いものであるかを教えられる。芸術と華麗な装飾は、はやくより、この自然の本来の美を高めるもの、これをうけつぐものとならなくてはいけないということを学んでいる。私は教育きれすぎたほどで、あともどりをすることはできない。これからは、私を楽しませることは、むつかしくなろう。私は玩具にもどることはできない。私は金のかかる人間、ものを単純に見ない人間となってしまった。私は、上品さの欠けた生活をすることは、もうできないが、田舎の人が、私の饗宴の委員長とならなければならない。もっとも多くのことを知っている者、大地のなかに、どのような甘いもの、どのような美点があるかを知り、河、海、植物、天などを知り、そしてどうしたらこういう魅力に接することができるかを知っている人は、豊かな、すぱらしい人である。世間の金持連申が、自分たちを助けてもらうために、自然を呼び入れた場合に、初めて、彼らは、最高の栄誉に到達することができる。これこそ、崖につくったっり庭、別荘、あずまや、島、公園、禁猟地などを彼らがもっている意味であって、こういう強力なアクセサリーによって、自分たちの欠点のある人格の後押しをさせるのである。こういう危険な補助物のある州において、地主側が断然強いということに、不思議はない。....」と。R.W.エマソン(斉藤勇訳)『自然について』日本教文社 1996年
ハックが求めたのは社会と‘父ちゃん’からの、そしてジムが求めたのは奴隷制からの‘自由’であった。そこに至る第一歩として彼等が選んだのがミシシッピー河という‘自然’であった。
⇒何だかインチキ臭い落ちですね!
(終わりに)
ジムの求めた‘自由’は容易に理解できるであろう。亡くなったミス・ワトソンの遺書で奴隷の身分から解放されたのである。ジムの冒険はここで一応終わる。
他方ハックはどうか?。今度はダグラス未亡人に代わってトムの叔母さん(サリー叔母さん)が養子として引き取ろうとしてしてる。が、ハックは言う「そいつはごめんだな。一度でこりごりだよ」と。
ここで『ハックの冒険』の物語は終わっている。
ハックはまた‘自由’を求めて冒険に出るのか?それについてはグレッグ・マシューズ『それからのハックルベリー・フィン』読売新聞社を読んでみて下さい。
これで私の‘ほら話’は終わり!
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《『ハックの冒険』が書かれた時代的背景》
1789:世界に先駆けて人権を憲法に盛り込んだ合衆国憲法においても黒人奴隷には人権は認められなかった(憲法で「奴隷制」は合法とされた!)
1820:ミズリー協定(ミズリー州を奴隷州として連坊に編入。他方でメイン州を自由州に編入し連邦でのバランスを取る。以後北緯36度30分以北を自由州・以下を奴隷州とし、棲み分け妥協が成立)
1832:ギャリソンによる奴隷制反対協会発足⇒奴隷制反対運動始まる!
1938:★M,トウエイン、ミズリー州フロリダという小さな寒村に生まれる。4歳の時小説の舞台となるマリオン郡ハンニバルに移住。彼の実質的故郷となる。
1840:奴隷制廃止論者自由党を結成
1846:米墨戦争(ウィルモット修正条項下院に提出→50年カリフォルニア州を自由州に加えることで妥協。)
1850:逃亡奴隷法強化と首都ワシントンでの奴隷売買禁止。北部の奴隷制反対運動に対して南部州権協会(Souther State Right Association)
1852:*ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』出版
1854:カンザス=ネブラスカ法案を巡る論争ーネブラスカ地域を2つに分け、ネブラスカとカンサスという2つの準州を作り、それぞれが奴隷州に加わるか自由州に加わるかは住民の意志に任すという妥協。1820年のミズリー協定を破棄するものである。!
1857:*ドレッド=スコット判決
1859:ジョン・ブラウンの武装蜂起ーバージニアにある武器庫を襲う。奴隷制への反乱!
1861:南部11州は連邦(Union)から分離脱退し「南部連合Confederate States of America」を結成。同年南北戦争始まる
★ほんの短期間(3週間)であったが、トウエィンは南軍に入隊しゲリラ隊に身をおいた。
1863:奴隷開放宣言
1865:南北戦争終結/憲法修正13条で黒人の自由を承認/KKKテネシー州で結成 ★トウェイ作家活動に入る!デビュー作『跳ね蛙』出版
1866:市民権法・新解放民管理局法成立/黒人の生活援助を行なう
1868:憲法修正14条で黒人の市民権承認/このころからKKKが盛んに暗躍→D.W.グリフィスの映画『国民の創生』(1915)参照のこと
1870:憲法修正15条で黒人の選挙権を承認/H.R.レベルズが黒人最初の上院議員となる
1876:大統領選挙で「ヘイズ=チルデンの妥協」により連邦軍は南部から引き上げ、南部に自治を認める
[参考文献]
マーク・トウエィン『ハックルベリー・フインの冒険』岩波文庫
同『トム・ソーヤーの冒険』新潮文庫
同『マーク・トウエィン自伝』ちくま文庫
同『ミシシッピー河上での生活』文化書房博文社
亀井俊介『マーク・トウエィン研究』南雲堂
同『サーカスが来た!』岩波書店
Dennis Welland, The Life and Times of Mark Twain.New York.1991
<その他>
映画「 ハック・フィンの大冒険」(ウォルト・ディズニー社 1993年)
主演:イライジャ・ウッド(ハック)、コートニー・B・ヴァンス(ジム)
グレッグ・マシューズ『それからのハックルベリー・フィン』読売新聞社
・『ハックの冒険』のフルテキスト(原文)は[http://www.americanliterature.com/HF/HF.HTML]で読むことが出来ます。
・『ハッルベリー・フィンの冒険』に関する論評、挿絵等々に関してはヴァージニア大学の
H. Copeによる、Mark Twain's Huckleberry Finn: Text, Illustrations, and Early Reviewsがあります。
【余談】
・マーク・トウエィン『自伝』にみる南部の食文化に関連して
・『ハックの冒険』にみる食事の風景
・南部の迷信ー疣を取る方法「ハックと猫の死骸」
・徳島大学総合科学部 欧米地域研究コース 専攻の学生による卒論「『ハックルベリー・フインの冒険』研究」概要が同大学のHPに掲載されておりましたので紹介しておきます。テーマはミシシッピー河の自然と対称としたものです。
・初版挿絵 JimとMiss Watson

