画用紙に残された、あのころ

舞鶴市明倫国民学校
梅田学級児童画展
より
(その1)

主催 立命館大学国際平和ミュージアム

共催 舞鶴市教育委員会・舞鶴市

後援 舞鶴市立明倫小学校

 1939年から1944年まで、梅田作次郎先生は明倫小学校につとめ、1年生から 5年生まで同じクラスを担任しました。先生は学校を出たばかりで若さと情熱を持って子供の教育にあたり、とくに図画の教育には多くの時間をさいて熱心に指導しました。そのおかげで子どもたちはめきめきとうまくなり、たくさんのすばらしい絵が生まれたのです。先生はこの500枚あまりの絵を、亡くなるまで大切に持っていらっしゃいました。
 しかしこの時代は、太平洋戦争がはじまる直前から、戦争が激しさを増す時期で、小学校も国民学校と名を改め、授業も戦争一色となっていきます。こうした時代の流れが、梅田先生の絵の指導にも影響をあたえ、子どもたちの絵も変わっていきました。また、舞鶴には軍港があったために戦争の絵も多く残されていますが、子どもたちのふだんの生活もたくさん描かれています。
 梅田先生が残された60年前の絵は、私たちに多くのことを語りかけてくれます。みなさんはどう感じられますか?.....(パンフレットより)

 

2002年11月1日〜12月1日まで、京都・立命館大学国際平和ミュージアムにて
展覧会が開催されます。

・ここにあるのは、会場に展示された100点以上の作品の一部です。
・作品ごとの説明は、私が付けたものです。
・背景が映り込んで見にくい部分があります。
「世界一周旅行」

毎日新聞社は1939年(昭和14年)、海軍の中型攻撃機を借り受け、これを長距離機に改造、
ニッポン号と命名し、東回りの世界一周飛行に成功しました。
色々な国の名前が書かれています。

1年生(昭和15年)

「桃太郎(左)」「無題(左上・下)」

左は桃太郎の話の絵でしょう。右上は正月の風景のようです。
たこ揚げ、羽根突き、まりつきをしているのが見えます。
右下は花がたくさん咲いています。家の中には象徴のように電灯が描かれています。
当時はもちろん蛍光灯ではなく、電球です。

1年生

「無題」

下は軍馬に乗る軍人。海軍の街だった舞鶴では、軍人の姿も多く見かけたでしょう。

1年生

「無題」

演習か戦闘の様子。軍刀を振り上げる人物に、銃を突き出す兵隊。

1年生

「無題(上・下)」

上は軍艦と飛行機、下は万歳をする兵隊。

1年生

「行軍」

行軍の様子。モチーフは当時多く見られた戦争画からとったのでしょう。

5年生(昭和19年)

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