Wind Mill in Denmark
デンマークの風力発電

デンマークには元々風力を利用する伝統があって、風力発電も20世紀初めの頃からあったのだという。1970年代の石油危機を境に急速に発展し、大型化されてきた。チェルノブイリの原発事故の後では原子力発電に代わるクリーンエネルギーとしてますます重要になってきた。デンマークでは1980年代の10年間に3,000台の風力発電機を国内に作り、6,500台を輸出している。
2002年現在デンマーク国内で稼動している風力発電機は6500基、世界の風力発電機の約半数はデンマークの輸出品だという。
風力発電機をウインドミルと呼ぶが、ミルとは元々粉引き機のこと、水車はWater millなので昔は水の代わりに風で製粉をしていたのだろう。オランダの風車は海面下の土地を維持するために水を汲み出すのに使われていた。デンマークでは「原子力発電所の代わりに風力発電を」とプレーベン.メゴールという民間人が始めた運動から盛んになったということだ。象徴的な話で、政府が風力発電を行うと必ず大型化する方向に計画するので、うまくゆかないことが多く、逆に民間では小型の計画を数多く進めることで成功するのだという。だから風力発電は地方分権のシンボルとしての意味も付与される。


コペンハーゲンの南、ロスキレ(大聖堂のある町)の郊外、ライムギ畑に立つ3基の風力発電機、実用化された設備なのでライトアップもなければ、観光客用のベンチも、説明板もない。それだけ生活に定着した存在になっていることがわかる。
デンマークでは既に3,000基の風力発電機が稼動し、国内電力需要の7%をまかなっているが、2,000年までには10%に増やそうとしている。
1999年から2000年までデンマークに留学していたtabuさんによると、風力発電機はすでに6000機(2002年6500基)、総発電量に占める風力発電の割合は10〜15%に達したという。

この写真はWindowsの壁紙にもなります。


バルト海に面したアミドホルムという場所にあるELKRAFT電力会社の1000KW(1メガワット)ウインドタービン。デモ機
「ホルム」という地名は海の近くの小高い場所という意味であるらしい。北ヨーロッパには各所に「ホルム」のつく地名がある。

HUBまでの高さ55メートル、ブレードの長さ24メートル
稼動最低風速4m/秒
運転停止風速24m/秒
ブレードスピード30回転/分
発電機軸回転1500回転/分
年間稼働率70%

この発電機一基で、平均的な家庭650戸の電力が得られ、25万リットルの石油を節約できるという。


発電機の内部、向かって右側の壁の向こうに巨大な3本のブレードがある。


発電機の上に登る(遥かにコペンハーゲンを望む方角)


風力発電機の上から見ると他にもたくさんの風力発電機が立っている。手前は火力発電所。


風の方向に風車を制御する巨大なディスクブレーキ


これがメインシャフト、ジェネレーター(発電機)は2つついている。


風をいつも正面に受けるように首がねじれるため、ケーブル類は6回転まで耐えられるようになっている。

1997年9月


デンマークに関するリンク
tabu
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環境保護はさりげなく
エネルギー・ゴミ問題の先進国デンマークを訪ねて
(雑誌『栄養と料理』(1998年2月号に掲載されたものです)


 環境問題に関心を持ち、何かしなければと考える人が増えている。現在の便利で快適な生活の結果が実は環境を汚染し、資源を枯渇させ、次世代にマイナスの遺産を大量に残すものだとわかったからだ。ジレンマを感じている間にも年々二酸化炭素の排出量は増加し、有害物質による汚染が進み、極地のオゾンホールは広がり続けている。身近なゴミの問題一つとっても行政の処理能力を超えて危機的状態となっている。12月には地球の温暖化防止のための国際会議も京都で開かれたが、ヨーロッパの国々に比べると日本やアメリカの姿勢は消極的だ。
 北欧の小国デンマークでは早くからこのような問題に取り組み、解決を図ってきたと聞き、インターネットで情報を集めたりしていたところ、デンマーク農業理事会から取材招待の話があったので同行させてもらった。

ゴミの出にくい暮らし方

 ドイツなどではゴミの分別が徹底していて、六〜七種類のコンテナが並び、それぞれ回収者も違うと聞いていたので、デンマークでも同じかと思っていたが、意外なことに、ゴミの分別は紙(燃えるゴミ)とガラス(燃えないゴミ)の二種類というものが多かった。分別の方法は地域により異なるが四種類という所もあるようだ。このような簡単な分別で済むのは実は始めからゴミが出にくくなっているからだ。この国では以前から飲料類の容器としてアルミやスチールの缶は使われていない。飲料の容器は最近になってペットボトルが使われ始めたがほとんどはガラスびんで、購入時にびん代込みの代金を払い、びんを返すとびん代が戻ってくる制度(デポジット制)がとられているのでゴミとして捨てられることがない。回収されたびんやペットボトルは溶かされて再生(リサイクル)されるのではなく洗って最利用(リユース)されている。
 首都コペンハーゲンの中心にあるチボリ公園そばの「イヤマ」(大手スーパーマーケットチェーン)という店を覗いた。一見日本のスーパーマーケットと変らないようだが、野菜や果物は包装されずに山積みになっている。そばに薄いビニール袋とレジスターのような秤があり、客はこの袋に買いたいだけの分量を入れて秤に載せ、該当する品目のボタンを押すとラベルが出てくる仕掛けになっている。ラベルを貼ってレジに持って行くとそのまま渡してくれるので客は買物袋が必携となる。
 ゴミ処理全体の考え方についても、まず再使用(リユース)、次に資源化(リサイクル)、そして焼却、埋め立てという順序で考えられ、二〇〇〇年までにはゴミ全体の五〇%を資源化するという目標を立てている。
 ちなみに日本のゴミ処理方法を大雑把な割合で見ると、ゴミの七五%を焼却し、一四%を埋め立て、一一%が資源や堆肥にされていて、リサイクル率は八%である(一九九四年)。日本では焼却の割合が非常に高く、焼却率はドイツの三倍、アメリカの五倍、カナダの一五倍であり(一九九二〜三年)、よほど燃やすのが好きな国かと思われてしまいそうだが実は埋め立てに必要な場所が少ないためでもある。しかし焼却すればなくなってしまうわけではなく、焼却灰約二〇%が残り、それも埋め立てるので実際の埋め立て量は三〇%相当の量になる。燃やすことで発生するダイオキシンなど有毒物質の発生も大きな問題だ。

ポイズンタックスと自転車

 ポイズン(毒)は体に悪いものということだが、この代表が酒、タバコ、自動車で、高い税金が課せられている。自動車は車体価格の三倍という税金がかかる。
 また、自動車が増えないような方策も取られている。それは車道と舗道の間に自転車専用のレーンを整備し、市内の駐車場を減らしたのだ。自転車通勤をする人には小さなパンとジュースの朝食を配っていたことがあったと聞いた(最近イギリスでそうしている)。そして二〇クローネ(約四〇〇円)のデポジット(返却時にお金が戻ってくる)で誰でも一日乗ることができる自転車を市内各所に配置している。この見るからにハデな自転車には賛同して出資した企業の名前が書いてある。市民にはずいぶん人気があるという。
 朝夕の通勤時間には相当な数の自転車が走る。「ここは北欧の北京(中国の首都で自転車が多い)と呼ばれていますから」と通訳のお姉さんが言った。自転車はレーサーもどきからママチャリまで千差万別、好き勝手なスタイルで走っている。自転車に乗ることは有酸素運動で膝や関節に負担がかからず、健康にもいい。かつてオランダの政治家が中国を訪れたとき、「貴国の自転車普及はすばらしい」と言ったところ、むっとした中国の指導者が「我が国のモータリゼーションはこれから始まるところです」と答えたという。という話を思い出した。

風力発電と電磁プレート

 デンマークの観光名所と言えば人魚姫の像、コペンハーゲン港の中にある。あたりには小さな土産物屋が一軒あるだけで何もない。飽きて左の方向に目を向けると真っ白なタワーの先端に三本のプロペラがゆっくりと回っている風車が六基視界に入ってくる。風力発電施設だ。デンマークでは三八〇〇基の風力発電機が稼働していて、現在は総電力の六〜七%をまかなっている状態だが二〇〇五年までに一〇%(一五〇〇メガワット)に増やそうとしている。
 コペンハーゲンの南アベドーレホルムにあるNESA(電力会社)のデンマークで二番目に大きいという風力発電機を見学させてもらった。この施設は、陸上に風力発電の適地が少なくなってきたので海上で風力発電を行なうために一九九三年に作られた実験機で、すでに海上の風力発電施設(沖合ウインドファーム)が二箇所で稼働している。二五メートルのプロペラ(ブレード)が地上五五メートルの高さでゆっくりと回っているのだ。四七メートルまでリフトで上がり、そこから垂直なはしごでもう二階登って発電装置の内部に出た。内部は一本の太いシャフトに二つの発電機がつけられブレーキなどが組み合わされた巨大なものだった。高度な電子技術というよりは機械工学の成果という感じがする。風の向きを感じてその方向にプロペラを向け、風速四メートルになると回り出すのだがプロペラの取り付け角度(ピッチ)を変えて風速二四メートルまで毎分二四回転のスピードで回り続ける。これを三段階のギヤで毎分一五〇〇回転に上げて発電する。風速が二四メートルを超えると安全確保のためプロペラのピッチは風と平行になって停止する。さらに垂直なはしごを登って屋上に出た。隣の火力(石炭)発 電所がはるか下に見え、手前に石炭の山と灰の山がある。風力発電は風次第、風任せなので電力の安定供給には必ず他の発電方式との組み合わせが必要になる。
 この風力発電機の発電性能は一〇〇〇kw(1メガワット)/時で、年間稼働率は七〇%、一基で六五〇世帯の電力をまかなうことができ、一年間に二五万リットルの石油を節約できる。原子力発電を推進する考えの人たちは風力発電の発電力が小さいことを理由に軽視する。出力は少ないが危険度はゼロであるし、耐用年数を過ぎて取り壊すのにも厄介な放射性廃棄物は全くなく。一基あたりの建設コストも設置数が増えるに従って下がってきているという。
 デンマークでよく見かける調理器具に電磁プレートがある。仮に風力発電で得た電気を電磁プレートで熱に変えて調理すれば、調理で発生する二酸化炭素はゼロである。デンマークでの電磁プレートの使用率は約五〇%と言うことだ。
 この国は一九八五年に原子力発電を行なわないことを決めていて、さらに石油、石炭などの火力発電を極力減らす方向で風力発電以外にも再生可能エネルギーの創出に様々な工夫をしている。水力発電、太陽光発電などであるが、電力ばかりでなく地域暖房に使うエネルギーも畜産廃棄物からガスを発生させて利用したり、麦藁を燃やして熱を供給する施設を作っている。
 なお、電力供給についてつけ加えると、デンマークでは大規模発電所の大量の電力を太いパワーケーブルで各地に供給する方式から、小規模の発電施設を多数作り、それらを網の目のように結びあわせてゆく方式に変えてゆこうとしているということだ。そのほうが送電ロスが少なく、網の結び目に風力発電も太陽光発電も組み込めば、風のない日や雨の日にも電力の安定供給は確保される仕組みだ。2階建ての住宅が並ぶ地域の一角にある一見それとは気付かない木造の小規模発電施設を見せてもらった。大型トラックのエンジンそっくりな天然ガスエンジンが静かに回っていた。天然ガスはイギリス、オランダ、ノルウェーと共同開発した北海油田のものだ。このような発電施設や風力発電機は地域の住民たちが共同で所有することができ、余った電力を電力会社に売ることもできる。

アンチック趣味と環境保護

 デンマークの人たちは古いものに愛着を持っているという。建物の外観は昔のままで内部を補修して使い続ける。一五七〇年代の民家を所有して建築家に貸しているという人に出会った。元来が石で壁を造る建て方であるし、地震のない地域でもあるので長もちするのだろう。内部の梁の木材にはペンキが塗ってあったが小さな穴だらけだった。江戸幕府成立以前に建てられた民家というのは日本には無いような気がする。制度上でも市内のビルの取り壊しはできなくなっているというので、建築廃材として出るのは内装部分だけになり廃棄物はごく少ないだろうと思われる。家具なども伝統的なデザインを大切にしているので古くても長く使い続けられるということだ。
 日本では産業の活性維持のために何とかして大量生産、大量消費と環境保護とを共存させようとしているように見えるが、大量消費は必ず大量廃棄に結びつく。
 デンマークではレストランでもランプの炎が置いてあり、家庭内の照明は間接照明で、来客があるとろうそくを灯し、赤みがかった柔らかい光の中で食事をする。こうした環境を好んでいるということだ。昼は活動的に動き、夜になったらほの暗い光の中で静かに過ごす。これは人間の自律神経の切り換えリズムと一致している。強い光は神経を興奮させるので、まぶしい光の中で夜も活動したり、テンションの高いお笑い番組のテレビを深夜まで見ていたりしているとやがて自律神経の失調を招くという精神科医の忠告もある。
 国民性ということでつけ加えれば、この国の人は他人のすることにあれこれ口を出すことがない。喫煙してもどこかの嫌煙運動家のようにヒステリックに咎めるようなことはしない。これは個人の問題はその個人が責任をもって対処すべきだということと、かつてナチスに占領されたことで全体主義に対しては嫌悪感を持っている。
 だから、一部の先進国だけが二酸化炭素の排出削減を行なっても、発展途上国の工業化が進めば地球の温暖化は止めようがないではないかという悲観論にも、「これは理性と民主主義の問題だ」という。つまり先進国が責任を持って手本を示し、実績を挙げることが必要で、発展途上国の人々にしても地球環境の問題に対して無関係ではいられないのだから、その国の責任で対処すべきだ。ということだ。

個人を大切にする教育制度

 このような国民性はどのようにして育成されるのだろうか。シェラン島北部にあるヒレロという町の保育園と初等学校を見学させてもらった。初等学校は九学年なので、小中一貫教育のようなものだ。
 校長先生が白いTシャツにデニムの半ズボンといういでたちで出迎えてくれた。夏はずっとこの服装で通しているということだ。二五人学級制になっているので仮に一学年に二六名の生徒がいた場合には一三人ずつのクラスが2つできることになる。「私たちはクラスを教えているのではなく、一人ずつを見て育てているのです」という言葉に、日本とは根底から違う考え方を感じた。そして「何よりも大切なことは生徒が学校を楽しいと感じることです」と言っていた。これは学校教育の行く手に受験地獄がないためらしい。九年間の初等教育を終えるとたいていは職業訓練学校に入るのだという。この学校で国語を教えているアイギル・イエンセン先生は職業訓練学校を出てペンキ職人になり、その後徴兵で一年間軍隊にいた後、教員養成の学校に入って教師になったと言っていた。若い頃に社会を知り、様々な職業の中から天職を探すことができるようになっている。
 受験がないのなら誰でも大学に入って高級官僚や医師や弁護士になりたいと、日本人なら考えるかも知れないが、そうした職業についても収入がちょっと多いだけということならどうするだろうか。ちなみに国会議員の年収を訊ねたら約八〇〇万円くらいでしょう。との答えが返ってきた。誰でも六七歳からは年金で生活ができ、学校教育と医療・福祉は全部タダである。職業訓練学校にはいつでも入学でき、学んでいる間は月額約六万円の生活補助費が支給される。また、生涯学習制度とも言うべき国民高等学校(フォルケホイスコーレ)という制度もあり、夏休みや定年後も学びたいだけ学ぶことができる。
 初等学校での教科書もむろんタダだが、これは支給するのではなく教科書は学校が生徒に貸し出し、学年が終わると回収する。見せてもらった授業でも、包装紙か何かでていねいにカバーをかけた教科書を小さな手で開き、文字を追っている姿は可愛らしかった。
 昼食をこの学校の食堂で食べたが、附近の老人ホームの入居者たちが作ったハンバーガーを職員が売りに来ていた。老人ホームではどうしても食材が余るし、老人たちも子供たちの食事を作ることにやり甲斐を感じているということで、見るからに僅かなこの収入も老人ホームの運営費の一部になるのだという。
 ついでに書くと、アイギル・イェンセン先生はメッテ・シルベストさんという保育園の保母さんと家庭を持っているが入籍はしていない。そのためペーター君という九歳の男の子と五歳のイングリッドちゃんという女の子の名前には両親の姓が二つともについている。だからペーター君のフルネームはペーター・イェンセン・シルベストという。こうした子供たちが大きくなって同じような相手と結婚すると名字(姓)ばかりがいっぱいついた名前になってしまうのではないか。と聞いてみたが、それは子供たちが成人し独立するときに選ぶことで、理屈上は4つの名字ということもあり得るが、「まあないでしょう」ということだった。この国では入籍していようがいまいがそんなことは社会的には全く損得のないことなのだと言われた。

分散型社会と政治、税金

 デンマークは人口五二〇万人(一九九三年)の小国だが、一四の県に分れていてさらに市町村にあたるコミューン(自治体)二七五で構成されている。ゴミの分別収集などを始め地域の問題はすべてコミューンの中で議論され決められている。政治に対する国民の関心は極めて高く、選挙の投票率が八五%というのは普通のことだという。EC加盟にあたって国民投票を行ない、一度は僅差で否決され、二度目の投票でやっと加盟が決まった(一九九三年)のも記憶に新しい。教育、医療、福祉について充実している見返りに税金も高い。収入の五〇%近くが所得税であるし、消費税は二五%にもなっている。新たに炭素税という二酸化炭素排出抑制のための税も導入された(一九九二年)。この高い税率も国民が政治に直接参加し論議を尽くした結果で、政治に対する信頼が高いことの証明だと考えられなくもない。また、教育や医療といった生活を圧迫するような出費がなければ、日常の安心感は大きいだろうし、貯金もしないで済む。高齢者も老後の心配がなければ守銭奴になることもない。
 失業率は一二.一%(一九九四年)で非常に高いが、この国の「失業」は生活の問題ではなく、社会参加できないというプライドの問題であるという。
 かつてロンドンや上海で見た物乞いや東京のホームレスのような人たちをデンマークでは一度も見かけなかった。
 日本に住む私たちが便利で快適な生活のために、資源を無駄に使い、物を粗末に扱い、大量の廃棄物を出し続け、環境を破壊し続けていても、国土の許容力がある間はその弊害は目に見えてこない。最近、あちこちでその弊害が顕在化し始めている。これまでのやりかたでこのまま未来永刧繁栄を謳歌できると考える人は恐らく一人もいないだろう。
 一見、私たちとおなじように、ただ普通に生活を送っているように見える気さくなデンマークの人たちと接し、私たちの抱えている問題がそこでさりげなく解決されているのを見ると、その生活基盤の違いに驚く。私たちの抱えている問題の根が予想以上に深いという印象を持った。


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