◇臨死体験・気功・瞑想

臨死体験の事例集

 

Aikoさん(1)

 

2001年の2月27日から3月23日にかけて、本サイトの掲示板(談話室)に沖縄のAikoさんという方が、ご自身の3度にわたる臨死体験のお話を中心に書き込みをしてくださった。その体験をこの「臨死体験の事例集」に転載したいとお願いしたところ、おまかせしますとのことだったので、ここに再録する。

その書き込みは全部で15回にわたり、掲示板への書き込みとしてはかなり長文のもの含まれているので、最初は少し編集しようかと考えたが、そうすることで編集者の視点を混入してしまうよりは、書き込みをされたそのままの形をできるだけ保つ方がよいと判断した。

なお、分量の関係から、2回に分けて掲載することにした。また、読みやすさを考え、筆者の判断で適当なところで1行の間隔をあけたことをお断りしておく。それぞれの書き込みにつけられた表題はAikoさんが付けられたものをそのまま使用した。表題の前の番号は、掲示板に書き込まれた時の通し番号である。

印象としては独特の深さをもった貴重な体験で、書かれている言葉のひとつひとつが、体験の重みを凝縮しているように感じられた。


1090 奇跡体験(臨死) aiko 2001/02/27 12:43

はじめまして。 私は過去3回の臨死体験を通し、そこで観たものを自分の人生を通して実践しなければならないという使命感に後押しされ積極的に生きている者です。 人間とは、生きるとは、愛とは、宇宙とは、神とは、悟りとは、何でしょうか?過去とは、未来とは、私たちの永遠のテーマと思われるこの課題に答えはあるのでしょうか? 私はYesと言えます。 生や死、時間や距離感、肉体や個別感、すべて誤解です。 私たちは決して血や肉に属する者等ではなく意識こそが我々なのです。 1人でも多くの方に気づいてもらいたい。 私たち一人一人は無限宇宙そのものであることを。

初めての投稿であるにもかかわらず、偉そうな事を書いてしまいました。 そのモードに入ってしまうと臨死体験をした時、地球上のすべての人間と思われる人々の嘆き苦しむ祈りの声を聴かされ、いかに我々が生きるすべを知らず彷徨っているか。無知であることの罪を思い知らされ愕然となった事とオーバーラップしてしまうのでしょうか。 どうぞ御許し下さい。

三度にわたる臨死体験前後の神秘体験は語り尽くせないほどありますが、私はその体験を重要視している者ではありません。 むしろ、観たものをどう具現するかを課題にしております。 気づいた者が始めなければ・・・と思っております。 気づきを得た方、また気づきの大切さを痛感しておられる方、交流をして頂ければ幸いに存じます。 では本日はこれで失礼いたします。 ありがとうございました。

1095 臨死で観たもの aiko 2001/02/28 13:57

臨死に係わる追求は私の人生の大半を占めており、話せば長くなりますが、今日は主観を交えず観たままをお話することにしましょう。 10年前の夜突然全身の力が抜け次第に呼吸が止まり、心臓が止まってしまいました。救急病院へ担ぎ込まれ、慌しく応急処置、心臓マッサージ、電気ショック。好転する兆しはありません。 最後の手段か喉に管を差し込んでいます。 意味のわからない医学用語が飛び交い慌てふためいている医療スタッフの様子を見ていると自分がただならぬ状態であることが理解できます。

でも私は死んでなどいない。 最初の疑問です。 私の内部は明らかに息をしておりましたし、心臓は鼓動していました。 観察の結果自分は皮膚呼吸をしているんだなと実感しました。 心臓も特定の場所にあるのではなく全身が心臓そのもの。 そうしている間にも私の身に変化が現れ始めました。 真っ暗な管の中でもがいている自分がいます。 管の圧力が強すぎて抵抗できません。 搾り出されているような感じです。耳をつんざくような電波生涯音。圧迫感。閉鎖感。とにかく苦しい。 苦しさの中である学習効果が出できます。 抵抗をしないこと。戦わないこと。

はるか向こう側に一筋の光が差し込んでいます。 自分が光に向かおうとしていることがすぐ理解でき今の苦しみを無条件に受け入れます。 一切の振動が止みました。 一切の重圧感がなくなりました。 光の中にいるのです。 姿かたちがあるわけでもないのに光に崇高な人格を感じるのです。 すべて許され、抱かれ、こんなにも愛され、見守られていた事を一瞬にして理解します。至福に満たされこの愛により生かされていたんだ。 ありがとうございます。ひれ伏し、主よ私をお連れ下さい。と哀願します。 白光の光へと上昇します。 暖かく懐かしいい波動を感じます。 人はここから生まれてここへ帰るのだと実感します。 言葉を交わすわけでも触れるわけでもない直接実感するのです。 先ほどまでいた場所から明らかに移動をしているに係わらず、時間、空間を感じません。 全てが静止しています。私の内部も同様です。

観察したい学習意欲が湧いてきました。 光の微粒子が目にもとまらぬ速さで活動しているではありませんか これを超高周波と理解すればよろしいのでしょうか? 無とは有であり有は無なのだ。 生命とはまさしくこれだと納得してしまいました。 すると、私の中心から白光の光が放たれ大いなる光と一体となったのです。 我光なり。そう確信します。 そのとたんおびただしい祈りの声が聞こえてきます。 なすすべを知らずすがりつくように救いを求める同胞の祈りの声。 かつて私がそうしたように・・・ 悩み苦しむものよ幸いなり、あなたは光を見るであろう あなたの祈りが外に向かわずあなたの中心に向かえばあなたは全てを知るであろう・・・ 同胞よ祈るのを止めて我こそが光であることを知りなさい。 なぜなら全てを創造した創造主があなたの中に居賜うのです。

同朋の中に私の死に嘆き悲しむ主人が居ます。 即主人の元へ行き子供たちをしっかり育ててくれるよう頼みましたが、首を縦に振りません。 それでも私は行かなければならないのです。 「aiko行かないで!」シンバルのように鳴り響きました。 瞬間的に主を私を御使いくださいと叫びます。 来た時以上の強い力が私を手繰り寄せます。 激しい嘔吐と共に動き出した心電図、周りから安堵の声が、歓声が。 生還したのです。

しかし私は最悪でした。 肉体は痙攣をしており下の方は汚物をたれております。 情けないやら恥ずかしいやら・・・生は死で死は生だ。 しかし感傷に浸っている場合ではありません。 検査に継ぐ検査で引っ張りまわされます。 挙句の果てに重症筋無力症と宣告されました。 私は病気などではない。病は癒されたと心の中で断言し、ベットから起き上がろうとした瞬間再び深い眠りに入ってしまいました。 その時から長い闘病生活が始まるのですが、それはまたあの体験の実践の機会でもあったのです。それに伴う不思議体験は次の機会にしたいとおもいます。 ありがとうございました。失礼いたします。

Noboruは、上の書き込みに次のような質問をした。「aikoさん、貴重なご体験の書き込みありがとうございました。 軽々しい言葉を発することができなくなるような、 重さをもった体験ですね。 聖書の言葉がちりばめられいますがaikoさんご自身は キリスト教徒でいらっしゃいますか。 」

 

1100 病から学んだこと aiko 2001/03/01 14:51

こんにちは。 聖書の言葉は不思議体験をするたびに出てきますが、私も一時ふに落ちませんでした。聖書を一度も手にしたことがないからです。 他の宗教団体にも所属しておりません。 ある現象が私という個性をもったフィルターを通りそれを言葉として表現する時の引用傾向はその後も一貫しております。 後に言葉における表現についても私の課題の一つになっています。 付け加えておきますと、聴いたこともないような言葉が自分の口から発せられていると言う印象はありません。

さて、闘病生活についてですが、 眠りから覚めた私を待ちいけていたものは先日の光体験など吹っ飛んでしまうほど悲惨な現実でした。 主治医を始め研修医4人が重症筋無力症について詳しく説明します。 そして現在効果的な治療方法はなく特定疾患に指定されている難病であることまで。 失望が私を孤独へ追いやります。 これから先の人生を想像すると真っ暗です。 どう説明すればいいでしょうか目を開けているにもかかわらず何も見えなくなっています。 病室の人払いをして狂ったように泣きました。

どれくらいそうしていたのでしょう。放心状態で大きな木の下に立ちすくんでいる自分の姿を見ている自分に気づきました。 気づくと同時に光体験が体感として鮮明によみがえりました。 ベットに寝ている私の肉体に強い衝撃が走ります。 反動で飛び起きようとしましたが全身から放電でもしているかのごとく ビリビリしています。雷が落ちたのだろうかそれともリアル過ぎる 夢を見ていたのだろうか?体の硬直が取れるのを人事のように待ちながらいま自分に何が起こったのか把握しようとしましたが思考能力など働きません。

事が納まりベットから立ち上がってみると目が見えるようになっています。更には肉体が先ほどの衝撃で再生されたと言う確信がファンファーレのように響き渡ります。 鉛のような肉体が羽がついたように軽くなっているではありませんか。 肉体同様心も宙を舞っており現実的な思考は作動しませんが、その時私はそれに従って生きてゆこうと素直に思いました。 窓の外はまぶし過ぎるほどの朝日が差しています。 「明けない夜はない」そうつぶやきながらやがて始まる精密検査に向けて身支度を整えました。 私の肉体のどこにも病気などないことを検査結果が証明してくれるであろう事を期待して。

結論から先に申し上げると2週間に渡る精密検査の結果重症筋無力症という診断が撤回されたことに伴い胸腺の除去手術も必要性がなくなりました。私はとても満足でしたが、医療関係者を始め私の身内は納得がいきません。相変わらず突然肉体が麻痺すると言う摩訶不思議な症状が続いていたからです。 筋無力症ではないとすると、いったいどういう病気なのかという新たな議論が出て最終的に神経内科に引き継がれることになります。

検査結果と私の症状のギャップに回りが翻弄されていることは解っておりましたが、私の内部変化をどう説明すれば理解してもらえると言うのでしょうか。 そのころすでに私の内部は病の正体を突き詰めており、細胞が再生されるにつれて症状は消えると確信しておりました。 そして短期的な目の前の症状は体感を伴ったあの光を意識することで確実に回復するという自信です。 その根拠を問われても私とて促されている状態です。 誰に? 解りません。ただ、体が麻痺し心肺機能が医学的に判断して限界に達した時医者が注射を指示するのと同じタイミングで光を意識しだすのです。最初のころは「全てをゆだねなさい」と促されたような気がします。注射が効いているのではなく、意識作用が肉体を変化させているに違いない。

主治医が重い口を開きそれが証明されました。 注射したのはただのビタミン剤です。おそらく貴方は水を注射しても回復するでしょう。何故ですか?呆れたようにそして履き捨てるように投げかけてきます。 救急医の診断によると15分間の心肺停止となっているが5分以上経過した時点で生還する確立は激減する。だからありえないことだ。 ましてや後遺症すらない。慌てて病室を出て行った主治医と入れ替えに救急担当医が入ってきて問診を始めました。 当日の状況を一通り説目し終えた時点で貴方は意識不明の状態に ありましたが、あなた自身はどこまでの記憶が残っていますかと聞かれたので、全部覚えていますと応えました。 それを話すように言われたので医療処置に関することだけをのべました。目を見合わせた2人の救急医が病室を出で行ってまもなく救急医の診断が手違いだった可能性があるとつたえられました。

私は病院に救いを求めるのはやめようと決心します。 身内の心配をよそに退院を申し出ると、主治医がさばさばした口調で、貴方は何らかのアクシデントで一時心配機能が低下したがそういうことはよくあることだから、今後通院の必要もないでしょう。帰ってよろしい。「私は病気をして病院に来ることは2度とないでしょう」ありがとうございましたと一礼をして病院を後にしました。 時々襲ってくる全身麻痺に対しまったく不安がなかったわけではありませんでしたが、しきりに私を後押しする光の存在が事あるごとに大きくなりいつのまにか実在に変わっていることを自覚しておりました。 私はこのような目の前の現象をもっと論理的に、客観的に見つめてみたいと思い始めます。 長くなりましたので今日はこれで失礼いたします。 ありがとうございました。

 

1105 病から学んだこと aiko 2001/03/02 14:47

前置きが長くなりすぎたこと反省しております。 出来るだけ簡潔に要点をお伝えすることが出来ればいいなと思います。

さて、退院後の私は発作の合間に家事をこなす日々を過ごすようになりますが、そのさなかに起こる奇異な出来事があの時の光体験の理解度を深めます。 私は、一連の出来事にある一定の流れがあることに気付き始めます。 深い理解を伴う心の変化は肉体を変化させるということです。 断定的な言い方かもしれませんが肉体は心を表現する媒体である。 身も心も疲れはて、限界に達して居る時でも好きなことを連想すると元気になることがあります。 私は肉体とはそういうものだと思います。

発作が始まって体が身動きできなくなってくると、決まって出でくるのは、「それを見て、それと戦わないで」 ハッとして即「我光なり」と念じるのです。 それは時として想像を越えた効果をもたらせます。 病院における精密検査で私はこの方法を実践しました。 これが神経症を疑われ、周りを必要以上に振り回した結果になったと思います。検査室まで車椅子がないと移動できない状態であるにも係わらず、検査段階になると平均台をまっすぐ歩くことが出来たり、筋力検査で30以上という男並みの握力が出たり。 息も絶え絶え、しかし肺活量はスポーツ選手並 水晶体のない片目を持ちもう片方の目は眼底出血で真っ赤に炎症し、この視力では見えるはずのない文字を読むことが出来てしまったりするのです。 しかし、検査が終わって病室を出るときは生きる屍です。 心電図や脳波の検査は何度も繰り返されました。

それが何故か私に知る由もありませんが、検査最中、私は皮膚呼吸をしていたときのことを思い出して通常の呼吸をしていなかったように思います。 私は全身全霊をかけました。ただそれだけなのです。 至高体験で病が癒されたこと、細胞が完全に入れ替わるまで多少時間を要することを身をもって主張したかったのかもしれません。

退院後真剣に自分の内部と向き合った私はいかなる機会も学びの場と捉えありとあらゆる試みをしました。しかしそれは決して自我による自己主張の範囲ではなかったと思っております。 その結果肉体は自由自在に操ることができるという確信は揺るがぬものとなります。 勿論そこに至るまで、自己暗示ではないか。死に対面した恐怖の裏返しではないのか・・・想定できることは全部納得行くまで突き詰めました。 しかし、意識を向けると周りが止めるまで腹筋運動が出来たり、走り続けたり、焦点の合わない目で針穴に糸を通して裁縫をすることが出来るのです。

やはり再び私はそれに従って生きてゆこうと決意を新たにします。 そして、療養になればと、姉に連れて行ってもらった旅先(山梨県)で入院中に立ちすくんでいたあの場所、あの木と遭遇します。 ここがあの場所であることはすぐに解りました。あの日、私はここへ来ていたのです。 ショックでした。私の理解を超えた世界が目の前に叩き付けられたようで・・・ 放心状態のまま予約したペンションにたどり着いた私を3度目の臨死が待受けていました。 続きは次の機会にしましょう。 では失礼いたします。

 

1109 愛とは。 aiko 2001/03/03 14:26

こんにちは。 さて旅先で3度目の臨死体験迎えたわけですが、私はこれをPart3総集編と名づけております。 今回は違う視点で書いてみたいと思います。

いよいよ身体が動かなくなり視界がぼやけだしたころ、 必ず帰るから病院には連れて行かないでと誰にともなくつぶやいて 通いなれた道を行くようにまっすぐ光に向かいました。 これは意識の移行状態を示した感覚と思われます。 光に抱かれると同時に輪廻転生してきた全ての人生回顧が始まります。 その過程で自ら選択したであろう人生の課題を思い出します。 私の場合は「愛」でした。 「愛」の秤に人生を掛けてみると自分の現在地点が明らかになります。 無知故の愚かさ、幼さ、あさはかさ。 落胆します。「今度こそ成し遂げます」何度誓った事でしょう。この時点での人生回顧は最後の生、死、の選択に影響を与えます。

「愛」とは何か? 私に理解できるものであれば知りたいと強く思います。望みが叶えられ、光の中心に招かれて「愛」を体感します。 抱かれて許され癒されます。 そして今回その光が私自身であることを知るのです。 つまり、私は一連の体感からして、わが肉体から抜け出た魂が昇天して光の世界に行き自分の知らない力が働いたと思っていました。 違うのです。「調整能力」私はそう名づけました。 「人は誰しも無限の能力を秘めている」そう確信します。

最後に私は問いかけます。どうすれば貴方に会えるのですか? 「今来た道を通りなさい。しかし、私は常に貴方とともに居るのです。」「解りました」ありがとうございました。 そう言って明らかに自らの意思で光の天子の下を離れ、再びやり残した人生を完結すべく肉体へ戻ります。

私の書いている文章を国語的な既成概念で捉えないで下さい。 私は出来るだけ忠実に体感した内容を書いております。 それらの言葉を、体験を現実的にどのような意味として私が解釈したか。今後の実生活において浮き彫りになると思います。 私は、精神面における影響力は何を体験したかではなく、体験をどう捉えるかだと思っております。 ではまたお会いしましょう。 ありがとうございました。

 

1116 愛とは aiko 2001/03/05 12:32

肉体に戻った私は(正確には肉体の感覚を取り戻した)輪廻転生の全ての人生を涙で洗い流そうとしているかのごとく泣きました。 自分の意志で止めることは出来ません。 無知なる愚かさを嘆き、このような私を愛して生かしてくれたことに感謝し、あれから10年以上経った今でも思い起こすたびに涙が出てくると同時に身が引き締まります。

2日が過ぎたころおなかに激痛が走りました。 私は何故だかいよいよその時がやってきたと思いました。 あまりの痛さにベットから転げ落ちのた打ち回りました。 相部屋のおばあさんが助けを呼びにすっ飛んでゆきます。 でも変です。そのおばあさんはリュウマチで付き添いが居ないと起き上がることさえ出来ない状態です。少なくとも先ほどまで。 階段を駆け下りペンションの管理室に入ってきたおばあさんを見て驚かない人は居ません。 知らせを受けてペンション中の人が集まります。 石のように硬くなったおなかを抱え込みうずくまり、必死に耐えている私は脂汗で洋服がびしょぬれです。 「そうだ、この痛みと戦ってはならない。我は血や肉に属するものにあらず、我は光なり」と心の中で叫びました。 おなかを抑えた手のひらから大きな光の玉が腹部に入りました。 腹部が燃えています。燃えて頭のてっぺんから噴火しました。

私は慌ててトイレに・・・ お産かと思いました。排便とはまったく違う感覚です。 大量の汚物が悪臭を伴って次がら次へ。(申し訳ありません、決して想像しないで下さい。)おなかの痛みが比例するように取れてゆきます。 痛みが全て治まったころ何年ぶりでしょう生理になりました。 私は子宮発育不全でほとんど生理がなかったのです。

晴れ晴れとしてトイレのドアを開けると先ほどのおばあさんと抱き合ってみんな泣いています。 奇跡が起こった。歩けなかった人が走ったのですから無理もありません。 私はおばあさんに言いました。「これは奇跡でもなんでもなく貴方がその気になれば貴方に車椅子は要らなくなりますよ。」 しかし残念なことにおばあさんが自分の足で歩いたのはそれが最後になりました。

翌日からますます落ち込んでゆくおばあさんの手を握り締め一緒に頑張りましょうと励ましましたが、 「私には、その状態が必要なの、私はそうなることで復讐をしているの、私を捨てた主人と、私から主人を奪った女に」おばあさんの心の声。 見てはいけないもの見てしまったようで一瞬うろたえましたがすかさず「そのために一番傷ついているのはあなた自身なのですよ」 「そう。私は許せない自分を憎んでいるの」 おばあさんは喉まで出かかっている思いを押さえ込むかのように口ムの字にして必死に涙をこらえています。

私はおばあさんの心に無理に立ち入るのをやめました。 おばあさんが心を開き、話してさえくれれば闇に光が当たるであろに、 結局おばあさんの奇跡はおばあさんの心の闇に吸い込まれてしまいました。 「求めて与えられたのに、信じることが出来なかったのです」と私は思いました。

旅の予定が1週間もずれ込んでいます。 私は再びこの地に来ることを決意し家族の待つ我が家へ急ぎました。 今度こそ旅先で死んでしまうのではないか。主人を始め子供たちは恐怖のあまり眠れない日々を過ごしたようです。 飛行機から降りる早々私は主人にひっぱたかれました。 病院にも見放され、なすすべもなく一人で病と戦う私を主人は不憫で。そして何もしてやれないことが辛くて寂しくて気持ちのやり場ないのです。 もうどこへも行くな、死ぬならここで死んでくれ。子供たちも「私たちを置いてどこへも行かないでね」必死に訴えます。 「心配掛けてごめんなさい」 「大丈夫だから、私たちきっと大丈夫だから」意味不明の言葉しかでてきませんでしたが主人をはじめ私の家族は納得してくれました。

私を案じた主人や身内から大学病院での再検査やら、お払い・・・ さまざまな勧めがありましたが、私はそれに同じず、1年掛けて周りを説得して子供たちを伴い山梨へ移住しました。 私はそこに至る道を最短距離で正確に歩む為には大きな木のあるこの地でなければならない気がしてしょうがないのです。 見知らぬ土地で幼い子供を抱え、主人のいない実生活は表面的には並大抵のものではなかったのですが、通らなければならない道でもありました。 今日はこれで失礼いたします。 私の体験を書かせていただく機会を与えてくださった事に感謝申し上げます。

Aikoさん(2)



01/03/25 追加

 

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