◇臨死体験・気功・瞑想

臨死体験の事例集

 

赤峰勝人氏

独特の「循環農法」で無農薬栽培をおこなっている赤峰勝人氏の臨死体験を紹介したい。

彼の臨死体験は、すでに船井幸雄(編著)『地球と人間の関係そして真実』(同朋舎、1998年)に紹介されたものだが、臨死体験を専門に扱う本に掲載されたものではなく、日本人のものであり、かつ体験後の意識変化が明確に表現されているという条件にあうので、ここに転載することにする。


彼は、三七歳のころに酔っぱらったまま鉄棒遊びをしていて、コンクリートの上に頭から落ちたという。頭を約五十針も縫い、医者によれば助かったのはまさに奇跡だった。六時間も意識不明の状態が続いたが、その間に一瞬、意識が戻った。ところがその時彼は、ベッドに寝ている自分を見たいたという。  

 あたりは、今まで見たことがないようなまばゆい光に満ちていました。身も心も清められているような幸福感が私をつつみました。今思い出しても、いわく言いがたい心地よさでした。しかし「これはいったい何事か」と心が騒いだとたん、私は地獄の苦しみとでも言うべき、痛みが待つ自分の体に戻って行ったのです。 いろんな本を読み、それが俗に言う臨死体験と言うやつだったと知ったのは、しばらく後のことでした。それでも、そういう体験をしてみると、「死」が本当にあっけなく、まったく苦しみもないものなのだと知らされました。

そして、死んでみるとこの世に自分のものは何もないということに気がつきます。どんなにお金をため込み、高価な物に囲まれて暮らしていても、何もあの世へは持っていけないのです。それこそ裸で生まれて裸で死んでいく。 そのことが分かったとたん、それまで自分の中にあった、いろんな欲が去っていったのです。また、生死の境から生き返ったのだから、何か生きてすべきことがあるだろうと、改めて思うようになったのです。

私は百姓ですから、いい野菜、いい米を作って多くの人に食べていただく、そのための方法を、これまでになく真剣に考えるようになったのです。62  

赤峰氏の臨死体験は、これを読むかぎりいわゆる体外離脱体験だけだったようである。しかし彼の場合も、その後の意識変化は、多くの側面からなっていることがわかる。たとえば「死はあっけなく、苦しみもない」という表現は「死への恐怖の減少」を物語っているし、「お金も高価な物もあの世へは持っていけない」という気づきは、明らかに物質的欲望からの解放をほのめかしている。

また、「いい野菜、いい米を作って多くの人に食べていただく」ことが、赤峰氏が自覚する「生きる目的」となったのだろう。

このように臨死体験は、彼の生き方の大転換になったのだが、いろいろな欲が去っていくと、これまで取り組んできた無農薬農法についてもいろいろなひらめきがやって来るようになった。たとえば、虫や菌たちが「害」であるどころか、私たちの命を守っていることを農場で突きとめ、農薬も化学肥料もいっさい使わず、しかも収穫量があっておいしい理想的なニンジンを作ることに成功するのだ。そのニンジンを土から間引いた時、ひらめきのように耳元で囁く声を聞いた。

「すべてのものは回っている、循環しているんだよ」

それによって彼は、改めて「命が循環している」ということの意味、そして有機肥料による農法の重要さに気づかされたという。

 「すべてのもの、そして命は循環している」という彼の気づきは、「宇宙に存在するものはすべてがつながっている」という感覚と深く呼応しているはずだ。そして、彼がこのようなことに気づいたことと、「自分の中にあった、いろんな欲が去っていった」こととは、やはりどこかで深くつながっていると思われる。


コスモスアイランドというサイトの中に「赤峰勝人の部屋へようこそ」というページがある。
その部屋にあった言葉を転載しておく。
大分県野津町にて、無農薬、有機農法を20数年前から実践している

畑の虫は神虫:
畑に発生した虫は人間が食べてはいけない毒入り野菜を代わりに食べてくれている。
安心な野菜が虫に食べられるのはごく僅か「虫の子孫のための少しだけ」

畑の草は神草:
畑にはえた草は、その土に不足している栄養素を作り出してくれている        
だから種が出来るまで待って土に返してあげる。
人間は食べたものに依って身体が作られている。

01/5/13 追加

 

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