◇臨死体験・気功・瞑想

臨死体験の事例集

 

杉山文四郎さん

 このサイトの姉妹サイト「日本の気功家たちのアンケートに、杉山文四郎さんという気功家が返答をくださっています(杉山気功科学研究所
 最近杉山さんは、ヤフー掲示板>科学>オルタナティブに私が作ったトピックス「精神世界フォーラム」に次のような体験を投稿して下さいました。
 瞑想中に起こったというその体験は、もちろん臨死体験そのものではないのですが、かなり共通するものも含まれた体験です。臨死体験を考える上でも、貴重な体験だと思い、杉山さんの了承を得てここに掲載させていただきます。


 気功を 始めてから2年後くらいに、瞑想中に5次元といいますか、あの世といいますか、至高体験といいますか、そんなようなのを体験しまして、死の恐怖がかなり薄れました。そこで気功が、かなり進んだと思います。まあ今でも皆様が言われるような境地までは、程遠いですが・・・

 あまり人に声高に言う程の事でもないですが、始めての時は強烈でした。瞑想中に体が振動しだして(実際には揺れてないと思います)緑色の光のトンネル(くねくねと 曲がっている)を物凄いスピードで進んでいきます。恐怖感で一杯でした。
  そして、 ポンとある所に着きますと、今まで感じた事の無い安心感と満足感に包まれました。 何も見えませんが、自分がそこにいるのは 判ります。肉体はないけど自分はいる。 肉体がないから死なない。死の恐怖がないというのは、100%安心でいられる。 そこは、ただ気持ちがいい。ずっとここに いたい、娑婆のことは何ひとつ思いださないし、興味もない。
  そして残念なことに、 気がつくとこちらに戻っていた。ということです。

 その時はこれがなんだったのかは、判りませんでしたが、あとで、本や 映画(コンタクト)でそっくりな場面があったので、5次元とかあの世だったのか、 と知りました。その時に思ったことは、肉体のある無しでこんなに違うのか、エデンの園を追われたというのは、肉体を持つことなのでは?死んでからの方が、よっぽど いいや。というような事でした。仏性開顕 のように、全てを仏の目で見ることが出来るまでの事は、その時はありませんでした。自我もまだしっかりとありました。

 これに対し、私は以下のように書き込みました。

 杉山さん、ありがとうございます。たいへん興味深く読ませていただきました。臨死体験と、本質的なところでかなり共通した体験ですね。そして、臨死体験に共通した体験が瞑想中にもかなり起こりうるということも印象的です。

 共通点は、
1)トンネルと抜けるということ。ただし、臨死体験の場合は暗いトンネルが多いようですが。
2)「今まで感じた事の無い安心感と満足感に包まれました。」というのも臨死体験の報告と同じですね。
3)「肉体はないけど自分はいる。」という感覚もかなりの臨死体験者が報告しています。
4)そして臨死体験者も、肉体の死を超えて続く命を実感する人が多いです。
5)自分のこの世の肉体に戻った時に残念に思う、がっくり来る(一時的ですが)というのも臨死体験者の報告と共通です。
 ただ、臨死体験者の場合は、あちらの世界を光に満ちていたと報告する場合が多いです。また、人格的な光の生命と出会ったという人もいます。  杉山さんの場合は、そういう出会いはなかったですか。また、何かしら人格的な存在との交流は?

 杉山さんのご返事は以下の通りです。

 わたしの場合は、人格的な存在には、その後も会ったことがありません。残念ですが。あちらの世界が光に満ちていると感じたことも無いです。 いつも何も見えないものですから。 その後はトンネルをくぐらなくても、スッと行けるようにはなりました。 でも、いつもこんな風ですので、最近はあまり興味が無くなって、他の世界に行ける かも知れない瞑想をしています。 また、私の場合、色んな執着(欲望)が薄くなるのに、10年くらい掛かってます。 劇的な変化というのは無かったように思います。この世は面白いですし。 また、これから先も霊的存在?には会わないような気がします。このままで良いと思ってますから。


 

杉山気功科学研究所

いやしろち(杉山氏の日記)

 

00/12/27 追加

 

 

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