◇臨死体験・気功・瞑想

臨死体験の事例集

 

渡辺満喜子氏

 以下は、渡辺満喜子氏の『聖なる癒しの歌』(金花舎、1996年)からの収録である。この体験を臨死体験の事例集に入れることに疑問を感じる人もいるかも知れない。
 たしかに彼女は、この体験をしたとき、瀕死の状態だったとは言えないだろう。しかし、体験の内容はいくつかの点で臨死体験と似ている。臨死体験を考える上でも貴重な資料を言えるだろう。
 共通点を整理すると
1)計り知れない愛を放射する存在(「父」)に出会い、 名状しがたい至福感に包まれること。
2)「一緒に帰ろう」と言われながら、自分の意志でこの世に生きることを決心していること。
 (臨死体験では、自分で決心する場合も、他の存在に帰るよう言われる場合もある。)
3)病いの癒しが関係していること。

 私が興味深かったのは、愛を発散する存在が、この場合とくに「父」と呼ばれていることだ。しかもそれは、「自分の存在の根源」とも言われ「神」とも言われている。呼び方はどうであれ、「自分の存在の根源」として自覚されているという点を、私は注目したい。


たとえようのない愛が訪れた

 その日、私はいつものようにリビングルームの絨毯の上で、自然に瞑想の態勢に入った。 すると次の瞬間、何かがひらりと左ななめ前に降りてきた。明らかにそこに誰かが坐して いた。矢つぎ早に不思議な体験をしっづけているそのときでさえ、眼には見えない存在が 「紛れもなくそこにいる」と感じるのは衝撃的なことだった。  「存在」はじっと私を見つめていた。そしてこういったのである。
  「三十七年間見ない聞に、あなたは身も心もボロボロになった」
 そして彼はこらえきれないように泣いた。言葉も声もそれがあらわす感情も、身体をと おして明確に響いてきた。それは深い悲しみを伝えていた。
 
  「あなたは誰ですか?」と私はたずねた。
  「父です」と彼は答えた。 「私の父の魂ですか?」と私はたずねた。
  なぜなら、ちょうどそのころ実家の父が入院して意識不明に陥っていたからである。私 は父の余命がいくばくもないことを知っており、彼が肉体を離れて私に会いにきても不思議はないように思われた。しかし、
  「いいえ」とその存在は答えた。
  「私は、あなたという存在の父です」
  その瞬間、信じられないような愛の波動が私を包んだ。私は、
  「お父さま!」 と叫んで泣きだした自分の声を遠くで聞いた。私の通常の意識は、どこかに飛んでいっ てしまったようだった。
  「おとうさま!おとうさま!おとうさま!」
  と私は叫んでいた。懐かしく嬉しく深い幸福感が私を包んだ。 人はよくある名状しがたい至福感を「子宮のなかにいるような」と表現することがあるが、私を包んだ幸福感はまさしくそれだった。

 私は「人間として自立しなければならない根拠」をことごとく失っていた。私は正真正銘の「赤ん坊」になってしまったようだった。私の上にひろげられているのは、見たこと もないような「保護の翼」だった。
 私はそこにいるだけで信じられないような「愛」に守られていたのである。

 「あなたは長い間生きていることが辛かったね?」と彼はいった。
 「今でも、とても辛いのだね?」と。
 「はい!」と私は答えていた。
 「それでは、私と一緒に帰ろう」と彼はいった。
 「はい!」と私は答えた。どんなにどんなに、そういわれたことが嬉しかったか、私は 今でも忘れることができない。
 
 ところがそのとき、私の破れたゴム風船のような頼りない意識が、どこかでパチリと音 をたてて目覚めた。
 「いいえ!私は帰れません」と私はあわてて答えた。
 「私にはとても愛している娘がいます。彼女を置いて、私だけ帰るわけにはいかないの です」
 「あなたはここにいなくなる。たしかに。でもそれも瞬く問のことだよ」と彼はいった。
 「やがてあの子もあなたのように帰ってくる」
 語られているのは、明らかに「人間としての死」にちがいなかった。

 彼はこういった。
 「あなたは、もっと早く帰ってくるように決められていたのだ。ところが、この世の愛 があなたを引きとめた。あなたを愛していた人々があなたを返してくれなかったのだ」
 「あなたを入れている肉体は、とうの昔に終わるはずのものだった。あなたが帰れない のなら、あなたは大きくならなければならない。あなたは生まれ変わらなければならない」
 「それはとても辛いことだよ。あなたはそれに耐えられるだろうか」
 私は「はい!」と答えた。
 「たとえばそれは、四歳の子供がいきなり十二歳になるということだ。いや、もっと辛 いことかもしれない」

 私は動転していた。死にたくない。この世にさようならしたいとは思っていない。どう 返事すればわかってもらえるだろう。
 彼は私を見つめて微笑んだようだった。
 「私のいうとおりにしなさい。私についていらつしゃい。大丈夫。すべてがうまくいく ことになっている」
 私は子供のように大きくかぶりを振って「はい!」と答えた。

「背骨を矯正する活元」を導く手

 驚いたことに、そのときはじまったのは「活元」だった。それもアクロバットのように 奇妙で激しいものだった。私は最初から彼が導いてくれているのがよくわかった。
 「両手をウェストにつけて、足を上に伸ばしてごらん」と声はいった。
 すると、信じられないことに私の身体は縄のようにスルスルと、空間をどこまでもはい のぼっていくのだった。  「床に坐りなおして、両足を開いて、右足だけをぐんぐん伸ばしてごらん」と声がいう と、ほんとうにそのとおりになった。しかし、激しい痛みが同時におそってきて、私は叫 び声をあげた。どんなに痛くても、身体はいわれたとおりに動いていく。やめることがで きないのだ。

 「背中に何かあてられる突起状のものはありませんか」と声がたずねる。私が思いつく より早く、「メキシコからもってきたティーポットの蓋があるね」といわれる。蓋のつま みを上に向けると、私の背中が勝手に動いて、背骨の上から下までをポイントごとにぎゅ っぎゅっと押しつけて指圧に似た動きをする。もちろんとても痛い。痛いけれどもやめら れない。彼の「指導」は、優しいのにけっして「もういいよ」とはいってくれない厳しさ もあって、私はただただついていくしかないのである。
 瞬く聞に、午後の「体操」が終わった。再び、素晴らしい「愛の波動」が私を包んだ。
 「いい子だったね。また逢いましょう」
 私はどんな抱擁よりも素晴らしい抱擁を体験する。
 さっと何かが去っていく気配がした。そしてそのとたん、ピンポンとチャイムが鳴って 娘が学校から帰ってきた。なにもかも、すべてが仕組まれたもののように無駄がなかった。

「神の手」に守られて

 私は私を訪れた存在を「父」でありながら「神」であると実感していた。人間ではなく あれほどの「愛」を運んでくる素晴らしい存在が、「神」でなくて何だろうか。そして彼 は約束したとおり、またやってきた。翌日の明け方四時、私は何かに揺り起こされたよう に感じて眼が覚めた。
 彼が私を起こしたのである。私たちは、リビングに移動した。そして昨日よりもっと激 しい「運動」が起こり、私の体操の実力なら首の骨を折っても不思議はないような動きを 次から次へと繰りだした。そして、家族が目覚めるころになると、彼はふっとかき消える ようにいなくなった。
 しかし、彼らが出かけてしまうと、またあらわれて運動がはじまった。私は彼があらわ れるときは、霊気のようなひんやりとした涼しい風に包まれることを知った。いなくなる と、その風も消え去っ一でしまうのだった。

 私はだんだんに理解していった。「運動」は背骨を中心に、身体の歪みを根底から直そ うとしているものであることを。たとえば、私の右足が激しい痛みをともないながらも、 両足を開いて床についている姿勢のまま右へ右へと伸びていったのは、おそらく私の両足 が不揃いで、右足の方がわずかながら短かったのではないかとか、腰の位置にさまざまな 運動が集中したのは、その部分に大きな歪みがあったからではないかとか。

 私は少女のころから全裸になって鏡に写してみると、肉眼でもそれとわかるほど左右の 骨盤がずれてっいていた。小さいころから何より運動が苦手で、それはもしかすると骨格 的なものからもきていたのかもしれない。私は運動神経がきわめて悪い子供だった。

 この運動の最中に、買い物にいくために地面に降り立ったとたん、私は腰の位置が自分 でもびっくりするほど「ぎゅっと定まった」ことに気づいてびっくりした。足がその「定 まった腰」の位置から投げだされるように前に出て「歩行」をはじめた。それは生まれて 初めて経験する「歩き方」だった。
 私の背中は、まっすぐに伸びた頭部からそのままなだらかに腰まで続いているようだっ た。私は、その姿勢で歩くと不思議な快感がリズミカルに身体に入ってくること、そのま まで何キロ歩いても平気なほど疲れないことを知った。

 何年もたってから私はある文献で、「霊が訪れて、人の背骨を矯正することがある」と いう記述に出会って心から驚いたことがある。また三年前、立花隆さんの「臨死体験」と いうテレビドキュメントを見ていたとき、通常の「行く先に光が見えた」とか「愛してい た家族があらわれた」とかいうような体験でなく、たいへん不思議な体験をしたある登山 家の話を聞いて驚いた。

 彼は、ヒマラヤの山中で遭難して確実に死んだと思われた人だった。登山仲間は彼を置 いて下山した。しかし、奇跡的に彼は生還したのである。彼はこう語っていた。
 「もうダメだと思ったとき、ここのこのへんの左斜め前に、何かがあらわれた。それは ほんとうに、たとえば立花さんがそこにいるように『居た』んです。そして僕を導いて移 動させはじめた。途中でどんなに眠くなっても休みたくなっても許してくれなかった。気 がつくと麓の村落に着いていたんです」と。

 彼はそれを「自分の存在の根源」が、自分の緊急事態に気づいて助けにきてくれたと思 うと語った。その話を聞いているうちに、私の頬に涙があふれ落ちた。

 私は一緒にテレビを見ていた夫に、 「私もそうだったの!同じものがあらわれたのよ」といった。
 彼は結婚以来、何度も聞かされた話をすぐに思いだしてこういった。 「だから、きみもこの人のように危なかったんだ。きみはわからなかったかもしれない が、そのとききみは死にかけていたんだよ……」

 

 私は宗教一般にまったく縁がない育ち方をした。それなのに、私は何につけても一心に 祈るようになった。その年は、ボーランドでその後、大統領になったワレサ氏が指導者と して、ソ連および国家体制に対する大規模な労働運動が起こっていた。そして予想された とおり運動は武力介入を受け、指導者多数がソ連に送られると新聞は報道していた。

 私は自由を求めて立ちあがり、苛酷な状況にいる人々のために日夜、神に祈るようにな った。祈りながら、私は自分が確固たる信念をもって「神の存在」を信じていることに気 づいた。

 私は、その年の一月、「自分の存在の根源であり、神である存在」と二週間にわたって 一緒にすごした。そのときに私という存在に浸みわたった「愛と慈しみ」こそ、私の「信 仰」の基盤である。私は、「神」が存在することを知っている。そして私たち人間がどれ ほど深く愛されているかを「知っている」。


10/6/17 追加

 

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