臨死体験の事例集

 

Y・I 氏(2)

 ■「臨死なき臨死体験」(2)

  Y・I氏の「光の体験」は、いわゆる「限界状況」といえるような激しい苦悩に 力尽きて体験されたのではなく、「いつものように電気を消して床に入った時」に 何のきっかけもなく起こったところに特徴があると、前号で書きました。何かあっ たとしても、「ひょっとしてあれかな?と思えることもなくはないのですが確信は 持てません」という程度のものです。

 その後、私はY氏へのお返事で、「ひょっとしてあれかな?と思えること」が何 か、よかったらお聞かせいただけないかとお願いしました。また、「光」体験後に、 氏の具体的な生き方や、周囲の人々への感じ方、人間関係がどのように変化してい ったかについてもお聞きしました。以下は、これらの問いについてお返事をいただ いた内容です。長いので2回に分けて掲載し、(3)に私の感想をごく簡単 に書きたいと思います。


◆熱にうなされて見た幻覚

   最初のことは、私が4才の時です。父が早くに亡くなりましたので、母は上の姉 を女学校の寄宿舎に入れ、下の姉を養女に出し、一番下の私を父方の祖父(医者) に預けて、今で言う単身赴任をして、遠くへ住み込みで行ってっておりました。生 れて初めて親から離され、とても怖い祖父の所で、多分ストレスからだったろうと 思われますが、僕は肺炎に出惟って、高熱を発し、祖母の後日談では「もう助から ないかも、と思った」という状態になりました。熱にうなされていた間に、僕はこ んな幻覚を見ました。真っ暗な闇の中をものすごいスピードで、どこまでも、どこ までも落ちて行くのです。その次には、大きな男とキャッチボールをしています。 小さな石ころの投げあいなのですがどういうわけか、その石がどんどん大きくなっ て行きます。だんだんとその重さに耐え切れなくなってくるのですが、相手はいさ さかの容赦もなく、思いっきり強く投げてよこすのです。「怖かったなぁ」という強い印象は今でも、まざまざと残っています。

◆クリスチャンの姉の思いもがけない言葉  

  次の出来事は中学の3年の時でした。養女にやられた下の姉は、どうしても泣い て仕方がないので数カ月で返されて、その時は女学生でしたが、その頃大流行して いた肺結核に罹り、入退院を繰り返していましたが、一向に回復せず、病は重くな るばかりでした。あと4〜5日が峠という頃に、母から言われて、僕は病院に行きま した。既に姉は個室に移されていましたが、僕の顔を見て『悪い姉だったね、ごめ んね』と言いました。多分、鈴木先生のおっしゃる「仲良し時間」だったのでしょ うか。姉は続けて思いもかけないことを言いました。「こうして手を組んでお祈り をしていても、真っ暗な闇の中で、一人でぶつぶつ言ってるだけで、誰も答えてく れないの」と。姉は大変熱心なクリスチャンで、常に聖書を読み、祈り続ける生活 をしていて、誰の目にも、これ以上敬虔なクリスチャンもあるまいと思われるよう な模範的な信仰生活を送っておりました。親戚の者がお見舞いに行っても「慰めに行ったのに、慰められて帰ってきた」と言うくらいでしたし、いつも微笑みを絶や したことがありませんでした。あれほど深く強い信仰心をもっていた姉がこんなこ とを言うとは、と非常に意外な思いがしました。そしてこのことは僕の心の奥の方 に終生忘れられないこととして、今もその時の姉の表情と共に残ることになりまし た。因みに姉の一番好きだった聖書の中の言葉は『光の子の如く歩め』です。

◆肺結核に犯されて

   3つ目の事柄は、僕が二十七才の時です。姉と同じ肺結核になって胸の手術を受 けた時のことですが、右肺上葉の部分切除を受けたのです。一度目の手術が失敗で、 気管支に空気が漏れて、急いで二度日のやり直しをしなければならなくなりました。 その当時、入院患者の中では「この手術は一度で成功すればよし、やり直すようだ と、絶対に助からない。繰り返し手術を重ねて行くうちに死んでしまうんだ」とい うことが殆ど信仰のように信じ込まれていましたから(今でこそ肺の手術は簡単に 1カ月余りで全部の治療を終えてしまいますが、何しろ四十八年も前のことで、手 術そのものが行なわれ始めたばかりのことです)僕は看護婦が「安武さん、来週オ ッペです」とポンと検査のための器具を枕元に置いて行った時には、大袈裟でなく 絶望のどん底に叩き落とされたような心持ちがしました。手術の当日を迎えるまで の数日は、特に夜の真っ暗な個室のベッドの中で、もうこのまま死んでしまうのか なぁ、と思うと何とも耐えられない気持でした。勿論、僕白身が気が小さくて臆病 だからですが、その時の絶望の深さにはもう一つ理由がありました。

   昭和二十年に戦争が終った時、僕は十七才でした。戦争中に日本軍がやった沢山 の残虐行為が次々と暴露され、その種の本が街に溢れ、それらを読むたびに僕は人 間というものに心の底から絶望していきました。そして、石井先生のお年ごろの方 にはどのように受け取られているか分かりませんが、僕達と同じ年代の若者は、非 常に多く『自殺念慮』を内心深く持って生きておりました。そして殆ど全ての若者 に共通していたのは、戦争に反対したのは誰だったか?という疑問でした。牧師も 僧侶も教師も、信頼できる人と見なされていた人達は全て軽蔑の対象になってしま っていました。僕白身、クリスチャンの家庭に生れ育ちましたので、先ず第一にキ リスト教徒の全てが信じられなくなっておりました。仏教のことはよくは分かりま せんでした。敗戦以来すでに十年の歳月が流れていましたが、僕は内心の絶望をず うっと引きずっていました。

◆「僕の全てをあなたに委ねます」  

  容赦なく手術の日は近づいて来ます。心の底には何の救いもありません。このま ま完全な無に帰するのか、と思うと恐ろしくて、恐ろしくてたまりません。僕はど うすることも出来なくて、子供の頃から習慣になっていた「手を組んで祈る」とい うポーズをとりました。こんな情けないことはありません。あんなに軽蔑していた 人達から教えられた「神への祈り」を僕は始めたのです。口をついて出てきたのは 「神様、僕の全てをあなたに委ねます」という言葉でした。この時、とても不思議 なことが起こりました。ふっと心が楽になったのです。自己嫌悪で一杯なのに、何 故だか急に大きく緊張がほぐれて、とてもほっとしたのです。訳が分かりませんで した。心の一番深いところで、ふと何か安心したような気持になりました。

   勿論、だからといって手術が嬉しいわけはありません。医者を恨み、看護婦を呪 い、僕は絶望と自暴自棄のまま、また手術台に上がりました。どういう訳か、手術 は成功して約一年後、無事教壇に復帰することができて、その後およそ四十八年間 僕の肺は何の問題もなく働いてくれています。何故あんなにもホッとしたのでしょ うか? 僕には今もって全く分かりません。(続く)  

2003/9/27 掲載


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