私の分かる範囲のことを皆さんに紹介したいとおもいます。
多少、正確さを欠くところもあると思いますので
気がつかれた方はご連絡ください。 2001.3


大宮・北袋の経過   2001.3
1.現状
2.1959からの三菱原子炉撤去闘争の経過
3.1999.3 放射能漏れ報道
4.全と環境を守る会 
5.豊島事件への提言 から 抜粋 2000.4.20

6.1974.7 三菱マテリアルと住民の和解協定

1.現状

大宮市北袋町地域は、開業間近の「さいたま新都心」の至近距離の所にあります

1960年代当初は工業団地として出発したのではないかと思われますが、
現在は殆ど住宅地になっています。最近は新都心の開業もあって、
周りはマンション、住宅地となっています。2000.4にはいって県、又は三市合同に絡まる
再開発の話が浮上。放射性廃棄物の移転先はない。さらに2棟の核物質研究棟の
解体が予定されているので廃棄物が増える。

2.1959からの三菱原子炉撤去闘争の経過

1959・4
実験原子炉が三菱金属によって建設計画が発表された。反対運動起こる

1959・12

大宮市原子力安全対策協議会が管理機構として設置された。市長が会長。中性子実験装置認めた?

1965・12・20
3人の従業員がウラン合金の爆発事故で大やけど(会社はアルミ合金と回答)

1966夏
話題になった商業原子力船「むつ」の動力のための実験原子炉(臨界実験装置)の計画

1967・4
市議会で大宮設置に反対を決議

大宮市北袋町をはじめとする近隣住民は、永い間、三菱マテリアル総合研究所敷地内で「原子力研究、実験その他の関連作業を行わないこと」を要求してきました。

芝川の専用排水溝に大量の放射線物質が検出される

1968・2・23
市議会受け入れ住民大会で反対決議


1968・12.17
浦和地裁に提訴

1969・2・27
初公判

1969・2・27
三菱は元自治会役員を料亭に呼び出し「覚書」をかわす。住民が認めたと宣伝。臨時町内会を直ちに開き新役員を選出し、覚書の無効を宣言反対運動を呼びかけ

1973(昭和48)年11月19日
三菱側は、証人尋問を前にして「原子力船むつのために必要な実験は済んだ」とー方的に宣言して、突然「原子炉撤去」を発表しました。

裁判継続
しかし「そのままでは近隣の安全が保証されない」とする住民と裁判所のねばり強い努力によって、和解協定調印にこぎつけることができました。その中で、三菱2 5社の総力を結集した三菱原子力工業(株)が設置した「原子炉施設撤去のための蕃判」が行われ

1974(昭和49)年7月17日
和解協定が成立「原子炉撤去の明文化、住民が必要に応じて立入調査することを明らかにした」

(以上 三菱原子炉撤去闘争の記録を参考に作製)



三菱マテリアル総合研究所
三菱原子力工業(株)の原子炉操業
後継会社二ュークリァ・デベロップメント株式会社

3.放射能漏れ報道

1999.3.18読売新聞、19朝日
建屋の老朽化、放射能漏れ報道

1999年7月15日 朝日新聞
 内部告発によるマスコミ発表ここに大量の「放射性廃棄物」があること、一部が地中に埋蔵sれていることが、マスコミに大きくとりあげられた。科学技術庁の立入調査、住民と自治体による交渉、話し合い。

1999年
 三菱が行った説明会「三菱原子力工業(株)時代に発生した放射性廃棄物」と、三菱マテリアル総合研究所は形式上「裁判の対象とされていなかったから、原子力燃料等に関する研究、実験その他の作業を、その後8年も続け、その結果ドラム缶8000本以上の放射性廃棄物をかかえている」
 「その後継会社二ュークリァ・デベロップメント株式会社等の作業で生まれた放射性廃棄物」は、「総計900本以上」と称されているそれ以後、「放射性廃棄物」は「ドラム缶相当9000本」 にも達し、そればかりではなく、 核燃料も3トンもの大量に保有し、現在なお「放射性廃棄物」が増えつつあるということが明かになってきました。

1999年6月17日
大宮市議会決議に基ずき科学技術庁「放射性廃棄物の撤去」の申入れ


1999年7月18日
安全と環境を守る会結成

1999年7月19日、7月29日
安全と環境を守る会三菱と交渉

1999年8月12日
安全と環境を守る会が大宮市環境部へ市としても「放射性廃棄物の撤去を科学技術庁へ申入れ」「近隣住民へ知らせること」「立入り調査」するよう申入れ

1999年9月13日
市から安全と環境を守る会へ回答『三菱に調査と情報公開を要請、
住民に説明を指導」『町会役員による施設の視察は可能」「放射性廃棄物の移転や最終処分対策を要望している」「科学技術庁にも同様に要望している」

1999年10月14日
安全と環境を守る会三菱と交渉


近隣住民を中心として「三菱放射能などから住民等の安全と環境を守る会」を結成し、三菱各社、大宮市役所と交渉を続けてきています。三菱側は、「住民への真相公表」から遠くへだたった姿勢を崩してはいません。また、埼玉県、科学技術庁にも要請しています。

放射性廃棄物を保管する場合は、国際基準(ICRP)、六ケ所村基準にして欲しい。




.安全と環境を守る会  2000.4.15

三菱放射能廃棄物問題 経過報告

1999年4月15日
 平成11年3月、突然三菱構内に放射能廃棄物があり、会社は住民に知らせず内密に除去作業をしている。また建屋は老朽化して放射能が外部に漏れている。このような新聞報道があり、住民の不安が広がっていきました。
この後の経過は、以下の通りです。

1999年4月7日及び4月10日
 土壌汚染について、撤去・回収の今後の計画について

1999・7・10
 総合研究所旧核燃料試験研究施設整備についての今後の計画との文書が各自治会に届けられ、回覧された。

1999・7・18
 三菱原子炉撤去25周年のつどい、10日の計画・15日の新聞により、放射能廃棄物が大量になる(当初のドラム缶1600本から8000本)事を検討

同日
 三菱放射能などから住民等の安全と環境を守る会を結成

1999・7・19
 三菱、NDC(ニュークレア・デベロップメント)に計画の説明を求める

1999・7・29
 両社の試験・研究の内容と廃棄物の発生経過及び隣接地の放射能測定値の公表等について説明をうけた

1999・8・12
 市役所環境部へ要請 立ち入り調査権の尊重(する様に)市議会決議の科学技術庁申し入れ、市にも申し入れた

1999・9・20
 三菱・NDCから説明メモ受け取る

1999・9・21
 三菱放射能対策、角田先生を招き勉強会を行う

1999・10・1
 市役所環境部へ要請
 東海村核燃料工場の事故、住民の安全最優先の対応を。

1999・10・1
 三菱・NDCに対し質問書

1999・10・14
 二社より回答(口頭)文書回答を要求するも拒否、再質問には殆ど回答なし

1999・10・21
 自治会長へ環境モニタリング結果報告書(11年9月分)

1999・11・9
  市役所環境部へ要請
三菱二社の対応問題、市役所からの指導等について


1999・11・16
 三菱二社と交渉(保管している)ドラム缶(に1年間)抱き着(いていても安全)き説明について、 災害時の対策等

1999・12・12
 肥田先生講演 放射線被爆の怖さ、治療の実態について

2000・1・25

 市役所環境部へ要請(和解条件の)立ち入り調査権の狭い解釈について等

2000・2・24
 三菱二社へ住民説明会を要求 要請書の提出
早急に開催を要求するも5月以降開催の回答

2000・3・9
 東京電力福島第一原子力発電所見学

2000・3・16
 三菱二社交渉
住民説明会の実施について、2・24要請の文書回答を要求

2000・3・27
 市役所環境部へ要請
三菱二社への要請書に文書回答の指導を要請

2000・3・29
 県庁へ知事あて要請
要望書、三菱への指導、防災条例等

2000・4・6
 科学技術庁へ要請
8項目の要請に回答、三菱には要望を伝える

2000.4.28
 核
燃料研究開発会社・NDC研究部 
大宮を撤退、来年、茨城に移転計画

2000.5.19
 NDCが市に移転案を説明

2000.5.20
 新都心
三菱マ再開発案

2000.5.30
 「汚染土壌回収終了説明会」


2000.7.15
 「住民説明会」 
 60名以上参加



1974.7 三菱マテリアルと住民の和解協定

住民の大きな運動の結果、実験原子炉の運転に関して以下の三菱金属と住民の間で
和解協定が成立している。これが、守られてきたのかどうか?





コメント:この提言の抜粋は、県や三菱、経過が非常に判りやすい。また、低レベルの廃棄物の行方に対する関心がよく分かる。

豊島事件への提言 から 抜粋 2000.4.20
三菱マテリアルと核燃料汚染廃棄物

 
埼玉県の大宮市に三菱マテリアル総合研究所がある。昨年(1999)3月17日研究所敷地内の土壌が放射能で汚染されていたことが科学技術庁の調べで明らかに上なった。周辺の土壌の約20倍に当たる1.45マイクロシーベルの放射態が測定された。同研究所は、科学技術庁の検査までその事実を隠していた。しかも科学技術庁の記者会見の後、やっと埼玉県へ電話で連絡してきた。
 
 埼玉県は土屋知事が、その日の夕方緊急首脳会議を開き、事実確認や同社に情報や資料の提出を求めるなどの対応策を決めた。ここの辺りの対応はどこかの県知事とフットワークが違っている。3月19日には、土屋知事は、三菱マテリアルの秋元社長に会い、安全確保や周辺住民への説明を要望したその足で有馬科学技術庁長官へも関係情報の公開を要望している。大宮市議会は18日の夜「三菱マテリアル放射性廃棄物遺棄に関する意見書」を全会一致で可決した。23日こは土屋知事は地域防災計画を見なおす考えを明らかにした。しかし事件は拡大していく。同研究所建物内部からさらに高濃度の3 4 0ベクレルの放射能量が検出される。6月14日には同研究所は汚染土壌など廃棄物ドラム缶8000本を回収することを明らかにした。

 ところが7月15日に新たに同研究所敷地内のNDC大宮研究部(本社茨城県東海村)で、核燃料物質汚染廃棄物がドラム缶939本に保管されていることが、大宮市議会各派代表会で報告された。汚染廃棄物は原子燃料の製造、研究開発の過程で200 リットルドラム缶に換算して毎年平均3本増え続ケるという。同研究所は汚染廃業物のドラム缶保管を市や地元住民に報告していない。12月14日になって、三菱マテリアル総合研究所は、科学技術庁に核燃料物質使用許可変更を申請する。要するに隠していたことを認め、今後は厳重に保管するという内容だ。大宮市北袋町1丁目東自治会を中心とした「三菱放射能などから任民等の安全と環境を守る会」は、次々と拡大する放射能汚染に抗議し、三菱マテリアル総合研究所の撤去去を要求して戦っている。高レベルの汚染物質はドラム缶に入れて敷地内に保管しているが、低レベルの汚染廃棄物は何処かへ運び出されており、それが瀬戸内海の直島へ持ち込まれるのではないかと心配している。




 埼玉県大宮市の三菱マテリアル総合研究所の事件から何が見えてくるのか。土屋埼玉県知事をはじめ県当局、県講会、大宮市、市議会の対応が住民の安全を第一として、極めて迅速だったことは、豊島事件への香川県や県溝会の対応と雲泥の差がある。三菱マテリアルが何をしている会社なのかよく判った。原子力発電所から核燃料の製造、放射能汚染廃棄物の処理に至るまで放射能まみれの会社なのだ。

 私たちは「提言N o.2」と「N o.3」で「直島処理案」 の循環型社会のリサイクル資源とは、原発廃材に至る放射性廃業物のことだと警告してきた。残念ながら私たちの心配を浜田町長は「怪情報」だとして無視してきた。「怪情報」と言う前に、町で研究し、三菱マテリアルと香川県に質問し、町民が納得し安心できる説明をすべきだ。

 しかも「直島処理案」の危険なことは、エコタウンとか、循環型社会とか、リサイクル推進県とか美辞麗句で節られているが、その中身はー切明らかにされていないことだ。 科学技術庁は、低レベル放射操廃棄物をー般廃棄物として処理するという報告書を出しているではないか。原子力は安全ではないというのは世界の常識となっている。安全ではないから原子力安全委員会などというものがあるのだ。一般廃棄物として持ち込まれた場合、住民はチェックできない。豊島の不法投棄さえチェックできずに見逃してきた香川県が、一般廃棄物として持ちやまれる放射性廃棄物をチェックする能力も見識もないことは既に証明済みだ。

 「直島処理案」は、豊島産廃を入り口に県外産廃を持ち込み、平成13年3月に施行される電気製品のサイクル法、自助車産廃のメー力ー責任、そしてー般廃棄物としくつ皮射性廃棄物処理へ至る「循環型社会」のゴミ処理の基地として直島を位置づけてしいる。