サクラ咲く、それは・・・日本人のこころ。

 古くから日本人は和歌(うた)に桜(サクラ)を詠み込んできました。サクラは日本人の「こころ」なのです。そんなサクラを少しいろんな角度から見てみましょう。雑学&アカデミックの融合するページにあなたはついて行けますか!?

 主に北半球全体に分布するサクラの品種名は800にも及ぶといわれています。サクラという名前は植物名としてはなく、古くはヤマザクラ、現在はソメイヨシノを指すといわれています。サトザクラと呼ばれるものは、園芸用に改良された品種群(約200種以上ある)を総称して呼ぶものであり、正式なものではありません。サクラはバラ科(Rosaceae)の植物です。(バラ科・・・バラ(Rosa)・イチゴ(Fragaria)・シモツケ(Spiraea)など)

 また、広義の見解では、サクラはスモモ属(Prunus)に分類されます。(Prunusにはサクラ属という和名がつけられることが多いが、スモモが基準種になります)
広義のスモモ属には約400種あり、北半球の温帯から世界の熱帯にかけて分布します。これらを狭義の見解で分類すると以下のようになります。

モモ属 Amygdalus
アンズ属 Armeniaca
スモモ属 Prunus
サクラ属 Prunus
スワミズザクラ属 Padus
バクチノキ属 Laurocerasus

 ※サトザクラはオオシマザクラを中心として多種との交配(交雑)によりできた品種群を指します。
学名はPrunus lannesianaです。(3月22日、補記)【以上、朝日百科・植物の世界 より抜粋、独自編集】

【花・葉について

花弁の枚数によって以下のように呼ばれます。

一重咲き 5枚
八重咲き 5〜10枚
半八重咲き 7〜40枚
千重(菊)咲き 40〜200枚以上


葉は枝に互生し、葉身、葉柄、托葉のある単葉の完全葉です。葉身基部には蜜腺が1対、または1〜5個つき、托葉は早葉生です。

【時代とサクラ】

 サクラと日本人とのかかわりは古く狩猟時代にまでさかのぼります。福井県三方湖の鳥浜遺跡から、補強のためサクラの樹皮が巻かれた五千年以上も前の縄文前期の弓が出土しました。まずサクラは樹皮の実用性で認識されていました。そして水田耕作の頃には、名前の由来の説によれば、「さ」は早で稲の霊を象徴、「くら」はその寄り集まりということから見られるように、田の神の化身として(開花状況で稲の豊凶を判断)人々にとって重要な存在としてありました。

 その後、奈良時代になると花を鑑賞する文化が中国から伝わり、それによりまず中国の鑑賞花である梅が愛されますが(「万葉集」では桜の歌よりも梅の歌が多く詠まれている)、都が京都に移ると花といえば桜となり(「古今和歌集」ではその数は逆転)、御所の左近の梅は桜に植え変えられ、時の平安貴族たちは花見に興じました。そして「新古今和歌集」の時代ともなるとこの傾向は一層強くなり、西行法師の「山家集」には百首に余る歌が、また「平家物語」では若い平家の公達の死を桜によせて詠んだ歌がみられるようになります。当時の貴族や武士が桜を愛したことは、絵巻物や武器の装飾に知ることができます。足利義満は金閣寺や室町の居所がその花で埋るほどの桜を配し、「花の御所」と呼ばれました。

 花見は安土桃山時代、秀吉の吉野、醍醐の豪華絢爛な宴を頂点として、広く行われました。その様子は「洛中洛外図屏風」「風俗図屏風」で伝えられています。また、着物や調度品などに桜がさかんに描かれました。

 江戸時代には家康、秀忠、家光など花好きの将軍によって植栽が盛んに行われ参勤交代で江戸は品種交流の場ともなり数々の名所も出来、花見は一般化していきました。落語の「長屋の花見」には庶民の花見の様子が伺えます。桜は芸術上のモチーフとしても重要な存在となりましたが、ことに歌舞伎「義経千本桜」「京鹿子娘道成寺」「妹背山女庭訓」等での巧みなデフォルメによる舞台での演出効果は、日本人の心を映す象徴として大きな役割を果たしたといえます。以後、今日まで桜は日本人にとって民族を代表とする花として定着し、花見は国民的行事といえるものに発展していきました。

【サクラは日本だけ?】

 いえいえ、日本以外にもサクラはちゃんとあります。
 ワシントンのポトマック公園には3000本近い桜が植えられています。これは明治45年に送られたものですが、実はその前の明治43年に2000本すでに送られていました。この桜は検査で害虫が着いていることが分かり、全て焼却されてしまいました。そして2年後、綿密な計画の元にソメイヨシノを中心としたものが送られたのです。その後、第二次世界大戦の前にこの桜を切り倒そうという運動がありましたが、花を愛する心に国境はなかったようで、今も春には美しい花が満開となっているようです。

【日本原産のサクラ9種】

和名 学名
ヤマザクラ Prunus jamasakura Sieb. et Zucc.
オオシマザクラ Prunus lannesiana (Carr.) Wilson var. speciosa (Koidz.) Makino.
エドヒガン Prunus pendula Maxim. f. ascendens (Makino) Ohwi.
オオヤマザクラ Prunus sargentii Rehd.
カスミザクラ Prunus verecunda (Koidz.) Koehne.
マメザクラ Prunus incisa Thunb. ex Murray.
タカネザクラ Prunus nipponica Matsumura.
チョウジザクラ Prunus apetala (Sieb. et Zucc.) Franch. et Sav.
ミヤマザクラ Prunus maximowiczii Rupr.

上記9種が日本原産です。たった9種しかないのですね。(3月22日、訂正)


【サクラといえば・・・?】

サクラといえば、現在はソメイヨシノを指します。開花予報も、このソメイヨシノの開花日を予想しているのです。基準となるサクラですね。

和名 学名
ソメイヨシノ Prunus × yedoensis Matsumura ‘Yedoensis’

 これがソメイヨシノの学名です。
 1950年代に染井吉野の起源を確認した竹中 要 博士(元・国立遺伝学研究所 細胞遺伝部長)が、オオシマザクラとエドヒガンの交雑からできたサクラであるということを解明しました。徳川末期、江戸染井の植木屋によって「吉野桜」の名で売り出され、明治33年「染井吉野」と名を改めました。翌年(明治34年)、松村によって学名Prunus × yedoensis Matsumura ‘Yedoensis’が与えられました。

ちょっと休憩・・・
(桜餅について)
 祭りのお菓子でもある桜餅の生命はその葉にありますが、桜の葉の中には、クマリンが糖と結合した配糖体として含まれ、塩水に浸しておくと加水分解によってこのクマリンがでてきます。この葉独特の香りがあんに移って桜餅ならではの風味を出します。
 桜餅に使われる桜の葉は「オオシマザクラ・Prunus lannesiana (Carr.) Wilson var. speciosa (Koidz.) Makino.」が一般的です。


【文学・音楽】

サクラを題材(使われている)にした文学小説や音楽はたくさんあります。

梶井基次郎「桜の樹の下には」
萩原朔太郎「桜」
小林秀雄「花見」
坂口安吾「桜の森の満開の下」 など。

さだまさし「山ざくらのうた」「夢しだれ」「桜散る」「桜月夜」など。
森田童子「春爛漫」

やはり文学的センスを持つさだまさし氏の楽曲の中には、桜を題材にしたものが非常に多いです。

【サクラじゃないけど・・・】

 サクラではないけれど、サクラと慕われるものがあります。それはノウゼンカズラ科のジャカランダ(Jacaranda mimosifolia) です。(写真)
 落葉低木で、ブラジル原産。世界中の熱帯で観賞用に栽培されています。(ブラジルの)春(日本の11月頃)、葉に先立って紫色の花をびっしり咲かせ、樹形も桜を連想させることから、ハワイの日系人が日本の桜を偲んで、「ハワイ桜」「紫の桜」と呼んでいるそうです。一方ブラジルでは、“ジャカランダ”が俳句の季語として採用されているとのことです。日本では暖地以外の路地栽培は難しく、鉢植えにして室内で越冬させるのが無難です。苗から育てて花を咲かせるまでには、十年以上かかるようですが。実際の花を見たことがないので何ともいえないのですが、写真で見る限り、非常に美しい花のようです^^;

 1998年、中島みゆき「夜会 VOL10・海嘯」の中でジャカランダを題材にした「紫の桜」という楽曲が披露されました。唖然とするような演出で鳥肌ものでした。

あの大樹が 紫色の滴を しんしんと降らせている ジャカランダの大樹
そんなはずはない
ジャカランダは1月になんか散らない
100年前に この島で 帰れる日本を失った 移民たちが
この花を 桜と慕い 泣いたという
紫の桜
この花房は 5月の証
                   【著:中島みゆき 「海嘯」(幻冬舎)より抜粋】


 以上で終わりです。どうでしたか?これであなたもお花見になくてはならない存在!?どうぞお花見の席でご披露くださいませ。なお、披露してみんなに煙たがられても、当方は一切責任を負いませんのであしからず(笑)。