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Vol.1
「半農半X」を考える上での有益なヒント・資料などを紹介してきます。掲載内容の脚注も兼ねています

資料集1

バリ島モデル
〜『ぼくらの智慧の果てるまで』
山尾三省+宮内勝典著・筑摩書房
「たねっと」の活動について 塩見直紀
「半農半著」というキーワードに出会えた3冊の本 塩見直紀

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バリ島モデル●宮内勝典
『ぼくらの智慧の果てるまで』(山尾三省+宮内勝典著・筑摩書房)

「僕が今ぼんやりと考えているのは、バリ島型の社会です。バリ島では朝早く水田で働いて、暑い昼は休憩して、夕方になるとそれぞれが芸術家に変身する。毎日、村の集会所に集まって、音楽や踊りを練習をする。あるいは、絵画や彫刻に精魂を傾ける。そして十日ごとに祭りがやってきて、それぞれの技を披露しあい、村人たちが集団トランスに入る。そして翌朝は水田で働き、夕方には芸術家になり、十日ごとに集団トランスに入る。

村人一人一人が、農民であり、芸術家であり、神の近くにも行く。つまり一人一人が実存の全体をまるごと生きる。僕はこのバリ島モデルを、人類社会のモデルにすることはできないか、過去に戻るのではなく、未来社会に繋ぐことはできないか暗中模索しているところです。」

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「たねっと」とは何か?●塩見直紀

「たねっと」とは、野菜や雑穀、除虫菊、日本綿など在来種を後世に遺しゆくためのネットワーク(NPO)です。

98年に発足し、2000年4月でまる2年、全国約200名のネットワークとなりました。現在、「たねっと」では、「いのちのたね」に関する資料集(『TANET NEWS』)や会員誌(『TANET』を各年4回発行しています。

たねっとは種屋さんではありません。種を"換金"したりしないで"交換"できたらと思っていて、種の「交換」カタログづくり、種の里親の会など、小さな活動をおこなっていますが、野菜等の種だけでなく、人が生きるための「希望の種」や「勇気の火種」も扱っています!

今から100年ほど前、英語の「インスパイア(inspire)」という言葉が、日本の青年たちの間で好んで使われたといいます。
あの人に出会って、あの講演を聴いて、この書物を読んで、この言葉にふれて、インスパイア(息を吹き込む、精神・魂を鼓舞する、心に火を点ける)された、と。今、この
"インスパイア"ということがとてもとても大事なような気がするからです。

それぞれの"天の仕事"のお役に立つ"何か"(=メッセージや情報、新しい概念やコンセプト、企画等)をお届けしたり、個人やグループ、さらに市町村の「ミッション」をサポート、ケアする「希望の種や勇気の火種」も提供できたらと思っています。微力ながら、「希望の種」を後世につなぐ役割を少しでも果たしていけたらとうれしいです。

お問合せ:  たねっと 塩見直紀 まで

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「半農半著」というキーワードに出会えた3冊の本●塩見 直紀

僕が星川淳さんの「半農半著」という言葉に出会ったのは、いつの頃だっただろう?

本棚から何冊か取り出して、記述部分と読了年の探索を始めた。まずは3冊発見しました。ご紹介しましょう。

  • 1冊目は、「屋久島を訪ねた少女がおりなす物語」に託したエコロジー入門書である『エコロジーって何だろう』(星川淳著・ダイヤモンド社・1995年)です。

「『エコロジー』ということばや記号は氾濫しているけれど、それが何なのか、もうひとつよくわからない。自然破壊や環境汚染について何かしたいと思っても、どこから手をつけていいか見当がつかない。
この本はそんな多くの人に読んでもらうために書きました。著者は水と緑の豊かな屋久島に住んで、家族とともに『半農半著』の暮らしをしています。そのなかから見えてくるものを半フィクション風につづったのが、この物語です。」

(1995年3月5日の読了印あり)

エコロジーの入門書として、また、「環境問題という人間の心の問題」の解決の一助となることを願って、まだまだ多くの人々に読んでいただきたい本です。また、屋久島に行く機会がある方は、読まれたらさらに「深い旅」ができることでしょう。行く予定がない人が読めば、訪れたくなり、困ります...。以前、屋久島でこの本を旅の若者にプレゼントしたことを思い出しました。ということは、手元にあるこの本は2代目かな。

  • 冊目は、『地球生活』(星川淳著・平凡社ライブラリー・1995年)です。

「屋久島のエコロジカルライフ」という文の中に、「半農半著」そのものではないのですが、こんな記述がありました。

「アマチュア農業者として一番手ごたえのあるのは、何といっても米づくりである。生きることの基盤となる主食をまかなうことは、ことばで表せない充実感を生む。今年で7年目、まだまだ"新米"で失敗も多いが、四月から七月までの米づくりの四か月間はさわやかな緊張感とウキウキした気分の入りまじった素敵な時間だ。 米づくりはけっしてむりな辛い労働ではない。ぼくの場合、社会とのかかわりと現金収入の道をかねて日に四時間、著述や翻訳の仕事をし、あとの半日で農業その他からだを使う労働をしているが、米づくりはこの半日農業に楽におさまる。」

(1996年6月19日の読了印あり)

この『地球生活』は1990年、徳間書店から単行本として出ていたものを加筆され、平凡社ライブラリーとして文庫になったものです。文庫には、「Our True Nature」と副題があり、「外なる自然の貧しさは、内なる自然の貧しさと繋がり合っているにちがいない」と、「本当の自然(ネイチャー)」と「わたしたちの真の本性(ネイチャー)」について、また「地球生活」という新たな生き方について、屋久島から提案されています。いま、あらためて読みなおしたい1冊で、半農半Xのテキストといえるかもしれません。

  • 冊目は『街を離れて森のなかへ』(駒沢敏器著・新潮社・1996年)です。

この本は「自然界からのメッセージを受けとる特別な仕事とは、どんなものだろう?」とエッセイストの駒沢さんが、海ガメを守る仕事に情熱を注ぐ男、本物の京野菜を育てる農家、ライ・クーダーのギターを木曾の楽器工場で作った職人、自然の音で構成された衛星放送の制作者など、知らない世界で生きる多彩な「達人」に会われた16篇の素敵なドラマが詰まった本で、雑誌『SINRA』、『NAVI』のエッセイを単行本化したものです。
著者はその中で屋久島の星川淳さん宅(圧倒的な聖性を感じるモッチョム岳の近く)を1992年夏、訪れました。

「本棚には、農業とかニュー・サイエンスを中心としたエコロジー関係の本が目立つ。ニュー・サイエンスの書籍のいくつかは、彼自身の手によって翻訳されたものだ。そのほか英語で書かれた本も目立つが、文学や娯楽のものはほとんどない。実に簡潔な本棚だ。『何もないでしょう』と星川さんは言った。『物のいらない生活をしているからね。こういう生活をしていると、本当に必要な物はそう多くはないんです。今でも半農半著の生活だから』

彼のことを肩書や職業で説明するのは、とても難しい。たとえば自ら『半農半著』というように、彼はこの屋久島で自給のための農業を営むかたわら、主にニュー・サイエンスを中心とした書籍の翻訳をおこなっている。その作品はジェームズ・ラブロックの『地球生命圏‐ガイアの科学‐』『ガイアの時代』、あるいはケン・ウイルバーの『アートマン・プロジェクト』、そしてデュエイン・エルジンの『ボランタリー・シンプリシティ』など、エコロジーと呼ばれるジャンルの名作ばかりで、彼はこの分野における日本の代表的な紹介者としての役割を果たしてきた。彼やラブロックのことを知らなくても、『ガイア』という言葉を知らない人はいないのではないだろうか。

また翻訳だけではなく、自らの自然生活を基盤とした著作『地球生活』『地球感覚』を記すなど、作家活動も彼はおこなっている。90年代に入ってからは奥さんとふたりで手作りのエコロジー雑誌(本人は『地球生活誌』とうたっている)『リヴ・グリーン』の編集も始め、執筆の内容はエッセイから小説へと広がってきている。

しかしそれでも彼のことを説明する適切な言葉がないのは、こういった創作活動がいわば彼の自然生活のなかから生まれた副産物であり、決して第一の目的ではないからだ。つまり本を書くために自然の中に住んでいるのではなく、生活そのものが創作を導いている。農業も自給や地球との対話の手段としておこなっているだけで、収入としての目的はない。」

 (自然の時間を優先させた部屋に流れる時間に、
身も心もくつろいだ駒沢さんは取材を始める気分になれず・・・)

「『だめだ、仕事にならないです』『そうでしょうね。僕もここで生活していると、自然に植物のペースになる』と彼は静かに笑いながら言った。『ゆっくりなんです。その、植物のペースで思考が進んでいく。米を自分でつくるようになってからは、特にそうですね。有機栽培だと土をいじっている時間がどうしても多くなるんだけれど、そうしていると、精神のレベルで植物と自分が混じったようなかんじになってくる。この地球とどうやっていけるかということが、植物との共同の思考作業みたいになってきます。』

彼がこの屋久島に自分の拠点を置くまでの歴史は、そのまま、彼自身が地球というひとつの生命体を認識し、その認識を土台に共生のデザインを試行錯誤してゆく歴史でもあった。」

(1996年7月1日の読了印あり)

いまも大切にしている3冊の本から、探ってみました。いつ頃から自らの生き方を「半農半著」と呼ばれるようになったのか、いつか星川さんに訊ねてましょう。僕がいつこの「半農半著」というキーワードが気になりだしたかは、1992年から書き始めている「10年日記」を探索すれば、わかるかもしれません。それは追々見つけていきましょう。

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