「関西水俣友の会」の情報公開コーナー

10月15日(日)最高裁判所の判決 悔し泣きをしています!!
2004年10月15日(金)最高裁判所の判決! 悔し泣きをしています!!

  原告が水俣病患者かどうか、という点では、大阪高裁で認められた原告については、そのまま患者と認められました。賠償金もそのまんま。つまり、大阪高裁で否定された原告は、救われませんでした。チッソに返還せよと言われた分は、返さなくてはなりません。年五分の利子がつきますから、そろそろ総額7000万円には達したはず。弁護士さん、頑張って交渉してくださいね。
  国と熊本県に責任があるかどうか、という点では、基本的に大阪高裁の判決通り、チッソの工場排水を規制する義務があったとして認められました。じゃあ、なんのために7月に弁論を再開したのやら(行政責任がゼロにされるという見方が大半でした)と思いきや、少しだけ変更がありました。国と熊本県の責任が発生するのは「1960年1月から」という区切りが厳格に適用され、その前に水俣・不知火海から引っ越した原告8人については、責任がないとされてしまいました。
  そのため、会長の坂本美代子が「チッソだけの責任の水俣病」にされました。奇病が出たと村八分され、寝たきりの清子姉さんにおコメのお粥を食べさせようと、稼ぐために大阪に出たことが、仇となりました。水俣病のせいで生活に困った人ほど、早く水俣を離れて関西に出ていることが多いのですが、最高裁判決は無情でした(大阪高裁が厳格に適用しなかったのは、それだと不公平だと考えたからかな?)
  そもそも、どんなに海が汚れていようと、どんなに工場排水が汚かろうと、汚染された貝や魚を食べなければ、水俣病にはなりません。見た目は普通で分からないのですから、国や熊本県が「危ないですから、食べるな」と言ってくれれば、誰も食べません。言ってくれないと、食べてしまいます。魚や貝を主食にしているのですから、早く言ってくれないと困ります。熊本県は1957年の夏に食品衛生法を適用して、「販売用に釣ってはいけない」と言おうとしました。販売用に釣っている漁業組合に補償する準備もしていました。「食べてはいけない」と言うための法律がなかったらしく、せめてもの対策として「販売用に釣ってはいけない」で、被害の拡大を防ごうとしたのです。しかし、厚生省が待ったをかけ、「水俣湾内の魚が一匹残らず有毒だという明らかな証拠がない限り、ダメ」とを止めました。
  大阪高裁の判決では「原告らは自家用に釣っていたのであって、販売用に釣るのを禁止しても、関係がない」からと、国と熊本県が食品衛生法を使わなかったことを免罪しました。理屈はそうかもしれませんが、販売用に釣ってはいけないのなら、自家用に釣るのも控えますって…。
  そして、食品衛生法を使わなかった責任が認められたら、坂本会長の行政責任も大丈夫だった…(会長の来阪は1958年。なお、大阪に引っ越してからも里帰りはしょっちゅうで、汚染魚との縁は切れてない…)。
  会長を慰めようとしてか、多くの人が「賠償金は減らなかったのだし、水俣病であることに変わりはないのだし…」と言ってくれます。しかし、初代原告団長の岩本夏義さんが言っていたように、「お金の問題ではない」のです。国と熊本県に責任を認めさせたかったのです。この思い、なかなか分かってもらえませんが、会長は悔し泣きをしています。
  

2004年7月5日(月) 最高裁判所で意見陳述!
 最高裁判所で原告の出番があるなんて珍しい! 高等裁判所での判決のどの部分に変更があるのかは謎ですが、せっかくですので、思いっきり発言してきました。

 みんなの思いを背負って…。

 裁判所で陳述するときは、事前に原稿を提出する慣習があります。それをそのまんま読み上げるわけでもなく、実際、読み上げるというよりは「新作」を語りました。ただ、話の中身自体は似たようなものですので、ここに発表させていただきま〜す。


【友の会会長・坂本美代子の意見陳述】

 私は昭和57年に提訴したチッソ水俣病関西訴訟の原告番号17番の坂本美代子です。提訴以来すでに22年経ちましたが、国や県がいまだに私達原告を水俣病とは認めないのは、本当におかしいです。
 裁判官の皆さん、よ〜く聞いてください。

 たとえば、私の姉の清子は、昭和29年頃から足がもつれて、よくこけるようになって、血が出ても知らん顔しているのです。そして、足が立たなくなって、頭が痛いと言い出して、昭和31年には寝たきりになってしまいました。

 病院の先生は、「栄養失調」と言われたので、栄養のあるものを食べさせましたが、よくならず、次の先生は「小児麻痺」と言われました。その当時、姉は二十歳を過ぎていたのにです。しまいには奇病ということで、私達家族は村八分にあいました。

 私のとこは井戸がなかったのです。近くにある共同井戸では汲ましてもらえなかったので、30分くらいかかるところまで貰い水に通いました。カラで行く時は何もしないのですが、水を汲んで帰る時に、坂道を登りきったところで、石や棒が飛んでくるのです。大人が投げるのです。頭に当たったり、足に当たったりして、どうしても水がこぼれる。だから、また汲みなおしに行く。その繰り返しなんです。水がなかったら、生活が出来ないから、水汲みは朝4時頃に行ったり、夜中に行ったりしました。

 弟や妹は、学校にも行けませんでした。学校の門までは行っても、けがして泣いて帰ってくるのです。先生たちは「けがしたらいかんから」と言うだけで、守ってはくれませんでした。昼間も雨戸を閉め切ったまま、電気もお金がないからつけられない。真っ暗です。雨戸一枚開けたら、そこから石が飛んできます。そういう生活が一年半続きました。「父さん。清子姉さん殺して私らももう死のうよ」と言ったこともあります。父は「我慢してくれ。自分に負けるな。自分に勝て」と言いました。その言葉に鍛えられて、私らきょうだいは耐え抜きました。

 私は、姉にお粥でも良いからおコメを食べさせたいと思って、大阪に出てきました。お風呂代と女にいるもの、それだけを残して、あとは全部、家に仕送りしたんです。でも、半年後に、姉は亡くなりました。熊本大学で解剖されました。姉は、解剖で水俣病と認定された最初の患者だそうです。私は結婚して二人の子供に恵まれましたけど、姉は、女の喜びも悲しみも何も知らずに、いちばんの苦しみだけを背負って死んでいったんです。

 私は、大阪に来てからは、「水俣」とは絶対に口にだしませんでした。夫にも言いませんでした。熊本の水前寺公園のそばということで通してきました。大阪では美容院で働きながら美容師の免許を取ったのですが、指に力がはいらなかったり、頭が痛かったりして、鎮痛剤は今でも離したことがありません。

 娘や息子にも「お母さんはおかしい」と言われました。私の妹や弟が水俣病の申請をするとき、父にお前もしてはと言われましたが、近所の目が気になったし、子供達の結婚や就職に差し支えたらと思って、断りました。

 姉の清子の21回忌で田舎に帰ったとき、私は痙攣を起こして倒れたんです。担ぎ込まれた病院で「あんたとこは父親も母親も姉も弟も妹も、家族全員が認定患者やのに、なんで今まで放っておいたんや」と怒られました。子供達に相談したら「どんな差別にも耐えるから」と言ってくれたので、水俣病の申請をしました。今から25年前のことです。

 一番の苦痛は頭痛です。普段はズキンズキンという痛みですが、ひどくなると頭が割れるのではないか、目玉が飛び出るのではないかと思うほどです。目も二重に見えるし、けいれんが起きることもあります。我慢できるだけ我慢するのですけど、出来ないときは救急車で阪南中央病院に行きます。阪南の先生は他の医者のように「水俣病はわからんから、水俣に帰れ」などと言わず、熱心に勉強しながら治療してくれています。私の体をいちばん良く理解してくれているのは、阪南の先生です。阪南を悪く言う国や県は、おかしいです。

 料理では、お味噌汁がいちぱん難しいです。体が悪いときは、舌の感覚がないのです。だから、子供達に言わせると、辛い時や、みずくさい時があるらしいです。包丁は、包丁の柄のとこを持てないので、包丁の刃のとこを持って、包丁の柄を支えて切るんです。子供はそれ見て、恐いって言うのですが、私は慣れているし、手を切っても痛いという感覚がないもんだから、どうっていうことありません。

 毎朝、目が覚めたときに、手足が動くかどうかが一番心配です。ゆっくりと動かしてみて、「あっ、今日も動いた」。その時は、言葉に表現できない喜びがあります。それが毎日、続いています。

 現在、夫は出て行き、息子と二人で暮らしています。息子は「もし、お母さんに何かあれば、僕は絶対に許さん。殺してやりたいほど憎い」と、私より怒っています。激怒しています。子供たちは、小さい頃から私の体調が良くないもので、遊びに行く約束もうかつにはできず、看病するために遅刻や早退も多くて、勉強
する時間もありませんでした。私は、二人の子供たちを生き甲斐にして、生きてきました。

 この裁判の原告の人たちは、私の大切な友達です。お互いに支えあって、励ましあって、20年間、裁判を続けてきました。原告はみな、私と同じような状態です。私同様に苦しみと辛さを毎日かみしめながら過ごしているのです。もう一度言いますが、国や県が私達を水俣病と認めないのは絶対におかしいです。

 水俣病と認定された人も認定されてない人も、みんな同じように水俣の魚や貝を食べて生活してきました。他に食べるものはなかったんです。みんな、同じような症状に苦しんでいます。なぜこのような苦しい辛い思いをして生きていかなければならないのか、頭が痛くなるたびに国と熊本県が憎くてたまらなくなります。原告の中には、大阪高裁の判決で棄却になったり減額されたりした人もたくさんいます。最高裁がそれを認められたので、その人たちはチッソにお金を返さねばなりません。みんな、私同様、水俣や不知火海で生まれ育ち、魚介が主食でした。ほかに食べるものはなかったんです。感覚障害も認められています。それなのにどうしてこのような扱いをされなければならないのか、不安と憤りの毎日です。

 私達が水俣病でないのなら、私達は認定された家族と違って水銀に強い体をしているのでしょうか? この頭痛は、水俣病ではない原因不明の奇病なのでしょうか?

 最高裁の裁判官の皆さん、私達を水俣病の患者と認め、奇病ではないと言ってください。そして、何十年も待たせて悪かったと、国や県に謝らせてください。

 最後の水俣病裁判で患者の声を聞き届けてください。これが亡くなった原告も含めて、私たちみんなの思いです。お願いします。
2004年07月16日 09時39分01秒

4月6日(日)大泉緑地で、お花見会!
2003年4月6日(日)大泉緑地で、お花見会!

 去年は3月31日(日)に大阪城公園で花見弁当を食べましたが、今年は阪南中央病院から徒歩20分のところにある府営の大泉緑地にて、バーベキュー大会をやりました。最高齢はたぶん82歳の荒木さん、70歳台の美人が主力。会長の坂本は、孫連れ。新潟と高知からは銘酒が到着。

 食べ物は、肉・野菜、持ち寄りのお握りとお漬物(みんなが少しずつ多めに持って来たから、大量に集積)、さらに魚貝類は欠かせないということでサザエ! 焼き立てのサザエを2袋ほど平らげました。

 3人くらいが体調不良で欠席でしたが、十数人が参加。あの広〜い緑地の中での待ち合わせ場所を決めていなかった割に、なんとか洩れなく集合できたのは、たいしたものです。当日は、前日までの雨がウソのように快晴で、同好の人も同伴の犬も多く、お花見の場所は平地ではなく小高い丘の上になりました。トイレも行列でした。

 二次会は、最寄の駅に行く途中にある小笹家(初代団長・岩本夏義の家)でお茶をいただき、仏壇にお参りし、お花見で撮ったデジタルカメラの写真をプリントして、帰途に着きました。帰宅後は、足が2倍サイズに腫れ、痛かったことと思います。

 来年も元気で、また行きましょう! 今度は前の日から、良い場所を確保しておきますから!!

2003年3月21日(木)開催「水俣病1次訴訟判決30周年記念集会」!
2003年3月21日(木)開催「水俣病1次訴訟判決30周年記念集会」へのメッセージ

 水俣病の発生についてチッソの責任を認め、損害賠償を命じた水俣病第一次訴訟の熊本地裁判決(1973年3月20日)から30周年ということで、水俣市内のあらせ会館というところで、記念集会がありました。訴訟派患者でつくる水俣病互助会(上村好男会長)の主催。上村さんは、ユージン&アイリーン・スミスの『写真集・水俣』の中で、お風呂に入ってる胎児性患者の父上です。

 私たち「関西水俣友の会」としても、会長の坂本美代子の両親や姉が原告でしたし、互助会にはお世話になっていますので、下記のようなメッセージを送りました。


 第1次訴訟の判決30年の日にお集まりの皆様

今日は、どうもおめでとうございます。
私は坂本嘉吉・トキノの娘(坂本美代子)です。
皆様のおかげで、父、母もチッソに勝つことが出来ました。
又、私の姉、妹、弟も認定されました。
大阪に出て来た私も、阪南中央病院から水俣病と
診断されましたが、私だけは今だに認定されず、つい最近は
県から、検診拒否者扱いまで、されています。
私と同じように関西に来てから水俣病の病状が出た人たち
は、ご存知のように、1982年に関西訴訟を起しました。
1994年の地裁判決では、安い賠償金ながらも、42人
を水俣病と認めました。所が、国と県の行政責任を認め
画期的な判決とまで言われた高裁判決は、返す刀で
2人の仲間を逆転棄却し、12人の仲間の賠償金を減額し
それぞれチッソに返還を命じました。
年5分の利子を合わせると実に総額6000万円を
超える額に達します。
私たちは、患者だけが泣き寝入りをさせられるのを、とうてい
認めることが出来ません。
患者自身で声をあげ、助け合っていくために
1年前に「関西水俣友の会」を作りました。
本来ならば、そちらにお伺いしてご挨拶するべき
ではございますが、事情がありまして
伺うことが出来ませんが、水俣病が終わっていないことは
私たちが一番よく知っています。
これからも私たちにできる限り、水俣病のことを伝え続けて
いくつもりですので、どうかご支援をお願いします。
つたない文ではありますが、益々の皆様の御活躍と
御健康を、お祈り致します。

 2003年3月21日
 関西水俣友の会
 会長 坂本美代子
  22名の会員一同より

 追伸 友の会の荒木が、つまらないものでは
 ありますが、お酒などもっておじゃまします。お口よごしにどうぞ、お召し上がり下さい。

2003年3月20日(木)荒木多賀雄さん、熊本県庁へ
 まずは、3月21日(金)付の『熊本日日新聞』より
http://www.kumanichi.co.jp/minamata/kiji/20030321.1.html

【見出し】
 水俣病検診、主治医立ち会いを 関西訴訟原告ら県に要請

【記事本文】
 水俣病関西訴訟の原告と支援者らが二十日、県の水俣病認定審査で検診を受けるにあたって、主治医と弁護士の立ち会いを認めるよう県に申し入れた。
 県が昨年、検診命令などに応じなかった原告を「検診拒否者」と判断したことについて、原告の川上敏行さん(78)らは「きゅう覚の検査で、たばこを鼻に突っ込まれたことがある。県の検診方法に不信感があるから応じなかったのに、一方的に拒否と決め付けられた」と反論。
 認定業務で「主治医の意見を尊重する」とした国会の付帯決議などを挙げ、検診に主治医や弁護士の立ち会いを認めるよう求めた。

 これに対し、応対した高宗秀暁・環境生活部次長らは「立ち会いを認めると、検診医が心理的な圧迫を受ける」と発言。原告側は「患者は圧迫を受けてもいいのか」とただしたが、県側は「知事には報告する」と答えるにとどめた。
 原告らは認定業務の基本姿勢を聞きたいとして、三時間にわたって潮谷義子知事に面会を求めたが、県側は「所用」として応じなかった。<了>

【掲載された写真のキャプション】
 県と交渉する関西訴訟の原告、弁護士、支援者=20日、県庁


<私たちのコメント>
 写真中央の白いYシャツに白髪頭の男性が、「関西水俣友の会」を代表して参加した荒木多賀雄(82歳)です。普段は好々爺ですが、今回は県庁訪問&話し合いということで、きちんと正装していて、見違えるようです。
 県庁では、県知事さんにお会いできなかったのは残念ですが、ちゃんとイスに座らせていただけたようで、ありがとうございました。

 その後、荒木は故郷の妹を訪ねるなどして旧交を温め、3月28日(金)の朝に帰阪いたしました。検診の際の立ち会いを認めたかどうかは押し問答でラチがあかなかったけれど、県の役人が荒木の自宅玄関からではなく裏口から入ってきたことに関しては、役人が謝ってくれたと喜んでいました。高齢のこともあり、いろいろ心配しておりましたが、上機嫌で戻ってまいりました。関係各位の御配慮の賜物と思います。本当にありがとうございました。

 主治医と弁護士の立会いですが、ぜひ実現させて下さい。坂本美代子の母のように指と爪の間に針を刺されるなんてことは、現在ではあり得ないとは思います。でも、県の検診が「乱暴ではない」「丁寧だった」「ちゃんと診てくれた」という話は、今まで聞いたことがありません。
 長年お世話になっている阪南中央病院のデータを使ってもらえれば、それがいちばん正確ですし、国会の付帯決議の趣旨にも沿うと思います。が、どうしても無理なのでしたら、主治医と弁護士の立ち会いを認めてください。

日能研関西Web情報通信(2003.2.21号)より
 関西水俣友の会が、2003年2月に語り部をした時、新聞社だけではなく、塾からも取材がありました。せっかくですので、御紹介しま〜す。

甲南女子の探究講座 「水俣を学ぶ」
 日能研関西Web情報通信(2003.2.21号)より
http://www.edu-net.jp/nnk/wir/kansai/

 甲南女子中・高では2001年度から高1に「探究」という科目をおき、5つの講座に分かれて総合学習に取り組んでいます。今回取り上げるのは、そのうち「人間環境と福祉」という講座です。

 これまで介護実習や高齢者疑似体験など、福祉に焦点をあてて学習してきた生徒たちですが、今度は「水俣」をテーマにビデオ番組を作ることになりました。「普通の高校生は水俣をあまり知らない。でも理解するきっかけを作り、メッセージを発信することが福祉社会に繋がっていく」と考えたからだそうです。また、先生は「日本の公害の原点であり、地域再生の問題をはらんでいる水俣の事件は、生徒に問題意識を持ってもらうためのすべてのテーマを網羅しているのです」とも話されます。

 この日は水俣病関西訴訟の原告である2人の女性が講師として訪れ、実際に体験した差別についての話をしてくれました。劇症の水俣病にかかった姉をかかえ、家族全員が薬を撒かれたこと。学校でも石を投げられ、門から先に入れてもらえなかったこと。自身も慢性の水俣病にかかり、美容師の道をあきらめざるをえなくなったこと……。症状がひどい姉を殺して自分も死のうと、姉の首に手をかけたときの温もりが今でも忘れられないと声をしぼりだすように話されたときは、教室いっぱいに生徒たちの息をのむ音が聞こえました。

 実は、講師のお2人は「こんなに幸せそうに青春をおうか謳歌しているお嬢さんたちに聞かせるにはしのびなくて、あまりひどい話はできなかった」といいます。しかし、取材メモをとる手も止まりがちで、真剣に話に聞き入る生徒の様子からは、かなりのショックの大きさがうかがえました。「公害をなくすことは難しい。でも困っている時『がんばってね』という言葉があればその一言が力になる。もし身近にそういう人がいたら声をかけてあげてください」。水俣病患者として、差別を受けてきた者としての重い言葉を生徒たちはしっかり受けとめていたようです。

 この後、生徒たちは「探究」講座の総まとめとして水俣へ研修旅行に出かけます。これまでの学習と、研修旅行での実地体験をもとに作られるビデオ番組。きっと強いメッセージを投げかけるものになるに違いありません。(政)

⇒ 坂本と小笹が参加しました。新聞記者とはまた一味違った記事を書いていただき、ありがたく思います。大手有名塾の方に接するのは初めてで、これをきっかけにまた新たなつながりが出来れば良いな〜と思います。

 なお、関西水俣友の会恒例のバーベキュー大会(お花見を兼ねて)ですが、当初3月30日(日)でしたが、会員4人の都合が合わなくなったので、1週間延期。4月6日(日)となりました。
 桜が残っているかどうか疑問ですが、葉桜の下ってのも良いかもしれません(笑)。思い出作りだし、冥土への土産話(笑い話)にもピッタリ!

2003年3月3日付の熊本県による「保留処分」への抗議文
熊本県知事 潮谷義子殿

 私たち「関西水俣友の会」の会員である坂本美代子と川元文子は、検診拒否者だと決めつけられたばかりか、2003年3月3日付で保留となりました。とても残念です。

 私たちは、水俣病患者として認定されることを求めています。

 私たちは、水俣とその周辺で生活していた時、魚や貝が水俣病の原因とは知らなかったので、毎日三食、主食として魚や貝を食べてきました。同居家族だけではなく、近くの親戚や隣近所の人も同じように食べていました。

 坂本美代子の場合、両親は水俣病の認定患者です。検診の際、母は両手の指10本と爪の間に針を刺されたため、青黒く腫れあがったままお米を洗っておりました。帰省して、母の指を見た時の衝撃はいまも忘れることが出来ません。 姉の清子は死後解剖で認定された第1号患者で、両親は清子の遺影を掲げて第一次訴訟の原告となりました。妹と弟も認定されています。弟は、ニセ患者発言を行った県会議員に乱暴を働いたとして緒方正人氏らと共に逮捕され、最高裁で有罪確定となった「謀圧裁判」の被告です。

 川元文子は、早くに父親を亡くしたため、父の兄が世話を焼いてくれたのですが、父の兄の一家が認定されています。また、網子としてお世話になった網元(茂道の杉本さん)も皆、認定患者です。

 関西に移住した私たちが食べた魚だけ、水俣病とは関係なかったのでしょうか? 私たちは、水銀に強い体なのでしょうか? そんなことはないでしょう。一日も早く水俣病として認定して、私たちを「医療費の不安」「棄却される不安」から解放してください。

 私たちには、昭和55年9月以来、阪南中央病院の主治医による詳細な診断書を提出し、これをもって水俣病かどうかを判断するように求め続けてきた経緯があります。これは、公害健康被害補償法制定の際の「認定審査についての意見を決めるにあたっては、特に健康被害者の治療を担当している主治医の診断が尊重されるよう配慮すること」との国会の委員会付帯決議にもとづいています。

 したがって、私たちは単純に検診を拒否しているわけではありません。どうしても検診を受けなくてはならないのなら、主治医と弁護士の立ち会いを求めます。

 また、県の役人は「(検診を受けるように)説得した」そうですが、川元文子は「昨年秋から心臓と肺の手術で入院していて、それどころではなかった」ですし、坂本美代子は「主治医と弁護士の立会いを条件にして書面で返事したけど、その後、反応がない」と話しています。

 今回は審査対象になってはいないものの、検診拒否者扱い寸前の荒木多賀雄は「2002年11月29日に電話で、弁護士と主治医の立ち会いを認めると確認したが、その後、県に否定された。まるでワシがうそつきみたいに言われた」と怒っています。今月20日には、県庁に話をしに行くそうですので、よく説明してあげて下さい。82歳で、目や足も老人力がついていますので、御配慮のほど宜しくお願いします。

  2003年3月14日  関西水俣友の会

  会長:坂本美代子  副会長:川元文子・芝シズエ  会計:小笹 恵

会員の荒木多賀雄さんのメモ
 関西水俣友の会のメンバーの荒木多賀雄さんは、熊本県から「検診を受けろ」と言われている一人です。また、大阪高裁判決では500万円ほどの返還を命じられ、「息子に迷惑を掛けられない」「夜も眠れない」と悩んでおられます。荒木さんは82歳。とても、かわいらしいお爺さん。

 「検診を受けろ」と言う県の役人さんとのやりとりを、メモにまとめておられますので、御紹介します。主治医である阪南中央病院の医師と弁護士の立ち会いを、検診の時に県が認めるかどうかが、焦点です。

 関西水俣友の会のメンバーは、皆、検診に対して嫌〜な思い出を持っています。私たちが検診で感じたような「屈辱」を、「誤解」だと県が主張するのなら、立ち会いを認めてほしいです。隠すことはないはずです。

 荒木メモです。高齢(なにせ82歳)の割に、しっかりした作文です。

<2002年7月7日13時30分>
水俣病対策科小川勝彦課長補佐他一名
此の前連絡しました 検診 受けて呉れますか
何回受けても一緒だ 今の状況では無理だし(体調も悪いし)
弁護士さんにも頼んで居ますから打合わせて下さい 2月から
集会にも行けない状況ですから又何もわからないし
弁護士さんに頼んでるので。突然連絡もなく 来たので ムカッと
きたが 明日大野先生に一応連絡しておくからと思った

<7月22日16時20分>
再度小川さん他一名(同人)が前回と
同じく連絡なく 裏口から来て 何人か検診を受けと
言ふ人が居る様ですが 貴殿はどうされますか との事
でしたので どうせ受けても一緒でしよう 受ける気持ちは
有ませんから 弁護士さんと打合わせて頂きませんか
大野先生に明8日一応連絡しようと思ってダイヤルして
不在に付き 事務所に頼んでおいた

<11月5日>
小川さんから電話があった様ですが一寸外出して では
17時前に又かけますからと言って切ったとの事でした。
17時前に熊本の小川さんから もう一度受診して頂けませんか
との事でしたから 阪南病院のカルテを使って頂き
前回の検診みたいな検診なら もう受ける気はない
前回も誰か横に居て頂いたら と思った犬猫でも有るまいしテープで引張って
痛いし 人はじろ じろ 見るし 待ち時間は長いし
こんな検診なら いやだと 思ったが其の時は何も
言わなかった

<11月18日>
小川さん電話で
弁護士さんと阪南の先生の立合でしたら
阪南のカルテを使って呉れませんか。犬猫じゃあるまいし テープを
貼付けて痛いのをがまんしていました。待ち時間は永いので
いやがらせをしてるのではと思ったが何も言わなかった
今頃あんな事された事はない 人はじろじろ見るし テープで張り
付けているのは私だけだし本当に いや な検診でした ので
(阪南の先生と大野先生の立合って頂いたらと思った)
一応打合わせて見ますと言って切った

<11月26日16時40分頃>
11月15日、受診はしないと言ったと強調したが あんな検診の
やり方でしたら 受けなくても 阪南病院の カルテを使ってもらった
方がよいと思った から 言った事であって 始めから
受診しない と言ふ て いない 受診はする、と大野先生が
代理人で回答書も出してあるのに何回も同じ事を言ふから
どうせ打切る気持ちだからと言ったが 其れには何も言はなかった

<11月29日16時20分頃>
小川さん
弁護士大野先生と阪南病院の先生の立合を認める
検診の先生は国立の先生でなく審査委員の誰かがすると言っ
たので、其の先生のお名前は何と言ふ先生ですかと聞いたら
まだ味定だと言った。期間は12月の2日迄との事でした。

<12月2日>
大阪の荒木ですけれど と言ったら一寸待って下さい と言って
2 3分待った藤本です小川さんは今日は風邪で休んでいますので
私で宜しいですか 何か聞きとれ なか った様で 再度
検診は受けさしてもらい ますので と言ったら
弁護士さんと阪南病院の先生の立合は認めないと言った
検診の先生は国立の先生でなく審査員の誰かが すると話した
其の先生の名前 はと言ったら其れはまだ味定だと言った
        11月29日
阪南の先生と弁護士さんの立合を認めないと言ったから
弁護士と阪南病院の先生の立合を認めると言ったのは誰で
したか、と言った

<12月3日>
1000項 今外出してゐすので 1030〜1100項には帰ると思ひます
ので 御待頂けますか との事
昨日 阪南病院の先生 と弁護士の立合は認めない との事でしたが
もう一度 11月29日貴殿が言った事を話して呉れませんか 私は
其の場で下手な字だけど忘れない様に二回も三回も聞いて書いて
居ると言って読んだら  はい そうですと言って田中弁護士さん阪南の先生にも
連絡して下さいと言ったが
     12月6日 1600項 外出して居ましたので又后でと言て切り
待機してたら 弁護士さんにも阪南病院の先生も立合は認めない。
検診は国立の先生でなくて認定審査会の先生が検診すると
田中弁護士にも報告しました、との事でしたので じや 田中先生に聞い
た方が認実だと思って切った 連休でしたので
9日13時前に 田中先生に聞く
弁護士と阪南の先生の立合は今迄に例が無いから受入れられない
との事で 其れでは此方も受入れないと言って切った との事でした

2003年3月4日(火)「熊本日日新聞」朝刊<紹介と私たちのコメント>
2003年3月4日(火)「熊本日日新聞」朝刊<紹介と私たちのコメント>

【見出し】:司法認定6人を含む19人を棄却、8人保留 県の水俣病処分

【記事本文】
 県は3日、水俣病の認定を申請していた27人について、19人を棄却、8人の判断を先送りして保留とした。

 今回の棄却者には、いずれも民事裁判で水俣病とされた関西訴訟の原告4人と、1985年に判決が確定した二次訴訟の原告2人が含まれている。保留とされた8人のうち、関西原告は4人、二次訴訟原告は1人。

 保留となった関西訴訟の4人は、県から指定医療機関で受診するよう命令や勧告を受けたが、県に対する不信感で受診を拒否してきた経緯があったため、命令・勧告に反発。検診未了のまま、審査対象となっていた。

 今回の処分対象者は、訴訟で水俣病とされた事情などから、処分が「困難」とされてきた人たち。県は長期間、判断を先送りしてきたが、昨年から処分を前提とした対策に乗り出していた。なかでも、保留とされた二次訴訟の原告(水俣市)は1977年の申請だった。

 これで県の未処分者は、今回の保留者を含め21人。棄却者は11406人となった。県関係の水俣病は国の処分も含め、申請者13202人のうち1775人が認定されている。  【熊本日日新聞2003年3月4日朝刊】


【私たちのコメント】

 このたび、私たち「関西水俣友の会」のメンバーのうち、坂本美代子と川元文子は「保留」になりました。棄却されたら再申請するつもりですが、書面の作成など手続きがとにかく“煩雑お役所仕事”“病人にそんな複雑なことさせないでよ〜”なので、「保留」でヤレヤレ。

 何度も繰り返しますが、私たちは、検診を拒絶してません。「受ける」と書面で熊本県に回答しています。ただ、検診の際には、坂本美代子の母親の経験がありますので、主治医の先生と弁護士の立ち会いを条件に付けているのです。
 右手の爪と指の間に針を刺され、青黒く腫れた指でお米を洗っていた母親(水俣病の認定患者)は、昨年(2002年)夏に亡くなりました。検診の際の主治医の先生と弁護士の立ち会いは、私たちはどうしても譲れないのです。

2003年2月26日(水)の熊本日日新聞の記事がネット上に登場!
 2003年2月26日(水)の熊本日日新聞の記事が、熊本日日新聞HPに載りました! 友の会の会合の様子がカラー写真で紹介されているので、ちょっと恥ずかしい…。でも、うれしい。

http://www.kumanichi.co.jp/minamata/kiji/20030226.1.html

2003年2月26日(水)の熊本日日新聞の記事<紹介と私たちのコメント>
2003年2月26日(水)の熊本日日新聞の記事<紹介と私たちのコメント>。

【縦書きの見出し(大きい順)】
 「反発強める原告ら」「主治医立ち会い認めず“検診拒否”扱い」「“再三説得してきた”県」

【横書きの見出し】
 「県あまりに身勝手」「水俣病認定審査」「関西訴訟」

【掲載写真のキャプション】
 「水俣病関西訴訟の原告がつくる“関西水俣友の会”の会合でも、県の対応に批判が集中した=9日」
(→ 2003年2月9日に小笹家=初代原告団長・岩本夏義の家。夏義と同居していた娘夫婦が現在も住んでいる=で行われた会合に記者さんが取材に来て撮影もしてました)

【リード文】
 水俣病の認定申請で、県の受診命令や受診勧告の対象となった関西訴訟の原告たちが反発を強めている。命令・勧告を受けた5人のうち4人が「検診拒否者」とされ、検診未了のまま、認定審査会の審査対象となった。近く結果が出されるが、原告の中からは「棄却処分となった場合、再申請や裁判で対抗する」との声も上がり始めた。

【記事本文】
 「県はあまりに身勝手。検診は受けないとは言っていない。主治医と弁護士の立ち会いを求めているだけなのに…」
 最高裁で審理中の関西訴訟原告の一人、坂本美代子さん(67)=大阪市=は、1月中旬に県から送られてきた通知を握り締めながら、怒りで声をふるわせた。

 通知には、こうある。「受診命令等に応じなかったため、1月末をもって(県が医療費の一部を助成する)治療研究事業の対象から除外する」。通知の発送とともに県は、坂本さんを「検診拒否者」と判断。1月24日の認定審査会で、審査対象とすることを決めた。

 78年4月に認定申請して以来、坂本さんは受診のため、県が指定する国立大阪病院に何度か足を運んだ。しかし、「あれで本当に水俣病の診断ができるのか」と不信感は募るばかり。感覚障害の検診では、目を閉じたままの状態でティッシュで体をなぞられた後に、分かるかどうか聞かれただけだった、という。

 受診命令は昨年11月上旬に届いた。坂本さんは「受診する」と回答した上で、主治医らの立ち会いを条件とした。「認定審査の資料には、主治医の診断書を使ってもらいたい。だめなら、せめて主治医に検診の場に居てほしい」と坂本さん。しかし、県は「立ち会いは前例がなく、認めると公平・公正さを損なう恐れがある」などとして認めなかった。

 坂本さんは「棄却されても再申請する。今後、申請する人のためにも、立ち会いの実現を求めていく」と言う。受診命令や勧告を受けた原告の中で唯一、今回審査対象とならなかった荒木多賀雄さん(82)=大阪市=も坂本さんと同様、主治医と弁護士の立ち会いを求めている。

 受診勧告を受けた川上敏行さん(78)=東大阪市=は、「県は一時も早く、われわれを棄却処分にしたいのだろう。そうじゃないと言うなら、大阪高裁判決に従うべきだ」と訴える。大阪高裁は一昨年4月、原告らが主張する病像論を採用、原告58人中、51人に賠償を認める判決を下した。命令や勧告を受けた中の4人も含まれている。

 「二十数年もほったらかしとって、今さら何事か。棄却になったら、処分取り消し訴訟を起こすことも考えている」と川上さんは明かした。

 受診命令などを出されたり、検診拒否者と扱われたことに対して、原告たちは県に抗議文を送った。一方、県は「一人ひとりの事情や意向を聞き、再三にわたって訪問や電話などで説得してきた」との立場。水俣病対策課は「県としては検診を受けてもらうことが目的。今後も話し合いを続けていきたい」としている。<終>


→ 熊本日日新聞のHP「水俣病百科」に掲載されていないのが気になるけれど、写真入で大きく紹介していただき、うれしく思っています。が、ちょっとコメントを…。

【記事へのコメント その1】
 私たち「関西水俣友の会」は原告全員を水俣病患者として認定することを求めています。判決には関係ありません。
 私たちは、水俣とその周辺で生活していた時、魚や貝が水俣病の原因とは知らなかったので、毎日三食、主食として魚や貝を食べてきました。同居家族だけではなく、近くの親戚や隣近所の人も同じように食べていました。私たちの体調不良は、水俣病と認定された人々と同じです。関西に移住した私たちが食べた魚だけ、水俣病とは関係なかったのでしょうか? 私たちは、水銀に強い体なのでしょうか? 一日も早く水俣病として認定して、私たちを医療費の不安から解放してください。

【記事へのコメント その2】
 県は「説得した」と言いますが、私たち「関西水俣友の会」の仲間は「いきなり裏口から入って来た」「心臓と肺の手術で入院していて、知らない」「主治医の立会いを条件にして書面で返事したけど、その後、反応がない」などと話しています。「話し合い」は私たちも望むところですが、もっと誠意を持った「説得」をして下さい。
 特に、会長の坂本美代子の母親は、認定患者ですが、検診で針を右手の指に刺され、青黒く腫上がったまま、お米をといでいました。ぜひ、長年お世話になっている主治医の先生の立会いを認めてください。

2003年2月26日(水)弁護士と話をしてきました。
 昼の11時半に待ち合わせをして、お昼ご飯を食べて、いざチッソ水俣病関西訴訟弁護団事務局のある弁護士事務所へ。

 私達は会長の坂本美代子を先頭に、女ばかり計4人。向こうは3人、男2人に女1人。2時間くらいの話し合い。お忙しいだろうに、私達のためにお時間とってくださって、ありがとうございました。

 私達が一番気にしていること、チッソに返還するように大阪高等裁判所判決で命じられた6000万円については、弁護士はチッソと少しは交渉してくれてるような、してないような…??

 まだ何回か、話し合いをする必要がありそうです。思いを分かってもらうのは、大変だわ。

2003年2月7日(金)「関西水俣友の会」として初めての語り部活動をしました!
 語り部をしに出かけたところ、毎日新聞神戸支局や神戸新聞、熊本日日新聞、日能研(塾)から取材陣が来ておられ、地元紙では翌朝の記事になりました。
 小学生ではなく高校生相手ということで、緊張しましたが、意外になかなか好評で安堵しました。心は通じるものなのですね。帰り際に生徒たちが贈ってくれた募金袋の重み(千円札の束だけでなく硬貨がドッサリ)と「ふるさと」の歌声(泣いちゃった)は、忘れ難い思い出です。


語り部の記事その1:毎日新聞(2003年2月8日神戸版)

見出し:「水俣病患者ら高校生に講演 東灘・甲南女子高で」

 チッソ水俣病関西訴訟の原告団の坂本美代子さん(67)と、元原告団団長の岩本夏義さんの娘、小笹恵さん(49)が7日、神戸市東灘区の甲南女子高校で生徒ら30人を前に講演した。
 同校の「探求」という授業の一環。1年生が環境をテーマに学習を進めており、昨年11月から水俣病について学んできた。
 坂本さんは「水俣は苦しい思い出しかない。水俣病だけでない、公害病のつらさを分かってほしい」と訴えた。小笹さんは「自分が水俣出身なのが罪悪感のかたまり。いま水俣の街はきれいになっているが、外見の変化の中で私たちだけ取り残されている感じがする」と話した。生徒らは真剣に耳を傾けていた。
 生徒は20〜22日、熊本県水俣市を訪れ、水俣病にかかわった人に話を聴く。  【細川貴代】


語り部の記事その2:神戸新聞(2003年2月8日)

(こちらは、写真付きでした! はずかし〜)

見出し:水俣病訴訟原告招き授業 同世代に伝えたい 甲南女子高1年生 20日から研修旅行で現地取材

 水俣病関西訴訟の原告を招いた授業が7日、甲南女子高校(神戸市東灘区)で開かれた。同校1年生は昨年秋から水俣病の学習に取り組んでおり、20日からは二泊三日の研修旅行で水俣を訪れる。学習の成果は生徒らがビデオにまとめ、春の文化祭で発表する。  (平井麻衣子)

 同校では毎週金曜日の5、6時間目、1年生に「探求」の授業がある。本年度は環境がテーマで、約160人が「人間環境と福祉」「地域環境と神戸」など5講座に分かれ学習。昨年11月以降、各講座で水俣病を取り上げている。
 「水俣病は公害病の原点で、差別や地域再生など、現代にもつながっている問題」と三宅広明教諭(51)。その締めくくりに、研修旅行を計画した。現地では、町の様子や農水産物などを取材し、ビデオ作りの材料も集める。
 この日は「人間環境と福祉」の講座に原告の坂本美代子さん(67)=大阪市平野区=と小笹恵さん(49)=大阪府松原市=らが訪れ、約40人の生徒らは、質問を交えながら、話に聞き入った。
 坂本さんは病気への差別で1年近く“村八分”にあった経験から「家が消毒され、友人でさえ離れていった。水俣病に限らず、公害病のなかに入ってしまった者のつらさを分かってほしい」と訴え、小笹さんは「表面的には分からないかもしれないが、今も取り残されている人がいることを感じながら、水俣を歩いてきてほしい」と呼びかけた。
 生徒の和田浜裕子さん(16)は「公害病があったのは知っているが、今どうなっているかは知らない。ビデオにまとめて同世代に伝えたい」と話していた。


語り部の記事その3:熊本日日新聞(2003年2月16日)

見出し:「水俣の今」を体験 神戸・甲南女子高生が20日から現地訪問
写真のキャプション:講師として招かれた坂本さん(右)ら関西訴訟原告の話に聞き入る甲南女子高の生徒たち=神戸市

 神戸市の甲南女子高(采女節子校長)の一年生が、環境の授業で水俣病と取り組んでいる。関連する本を読み、患者の話を聞き、遠い存在だった水俣病に少しでも近づこうと学習を重ねてきた。二十日から、水俣市を訪れ「水俣の今」を体験、あらためて環境について考える。

 「姉の発病で無視された生活が始まった。昨日まで仲のよかった同級生でさえ、口をきいてくれない。家族の会話もなく、毎日が通夜のよう。看病を続けながら、姉を殺して自分も死のうと何度思ったことか。子や孫に、あんな思いは決してさせたくない」

 今月七日、関西訴訟原告の坂本美代子さん(67)=大阪市=が、生徒ら約四十人を前に語り始めた。周囲からの差別、襲いかかる病の苦しみ、国・県相手の裁判闘争…。重い現実を突き付けられた生徒たちは、一様に沈痛な面持ちで聞き入っていた。

 同校は昨年度から、文部科学省の環境教育指定校となった。一年生約百六十人は本年度、「自然環境と生命」「地域環境と神戸」など五講座に分かれて、さまざまな角度から「環境」にアプローチしている。坂本さんはこの日、遺族原告の小笹恵さん(49)=大阪府松原市=とともに講座「人間環境と福祉」の講師として招かれた。

 同講座が水俣病を教材に取り入れたのは十一月から。石牟礼道子さんの「苦海浄土」など関連書籍を読む一方、関西訴訟や水俣の現在について、外部から講師を招いて知識を蓄えてきた。担当の三宅広明教諭(51)は「環境を考える上で水俣病は原点であるとともに、今の社会でも同じようなことが起こりかねないという意味からも普遍的で最前線のテーマ」と取り上げた理由を説明する。

 同校は環境学習の総まとめとして、一年生の研修旅行を企画。二十日から二泊三日の予定で水俣、島原を回る。水俣では、患者や支援者をはじめ地元に生きる人たちの話を聞くほか、水俣の自然や特産品づくりを体験する予定だ。

 「人間環境と福祉」の生徒にとって今回の旅行は、取材も目的の一つ。水俣病を通して学んだことを、同世代に向かって発信しようとビデオ番組をつくり、文化祭などで発表するという。和田濱裕子さん(16)は「ふだん私たちが食べている魚にも水銀が含まれていることを知った。果たしてそれが安全なのか、考えてみたい」と話している。

⇒ 取材を受けてた生徒さんは他にも何人かいたのですが、紙面に登場したのは和田濱さんばかり(笑)。他の人も、次の機会にガンバレ!

(資料3)熊本県知事に出した最初の抗議文
(資料3)熊本県知事に出した最初の抗議文

熊本県知事 潮谷義子殿

 私たちは、関西在住の水俣病未認定患者で作っている集まりです。最高裁で係争中のチッソ水俣病関西訴訟の原告でもあります。

 さて、平成15年1月22日付け『熊本日日新聞』を拝見して、私たちは驚きました。
http://www.kumanichi.co.jp/minamata/kiji/20030122.1.html

 まだ正式に通知は来ておりませんが、「検診拒否者」とされた4人のうち、2人は、私たちの会の会長の坂本美代子と会員の荒木多賀雄と思われます。

 この2人は、ご承知のように、大阪地方裁判所と大阪高等裁判所の両方の判決で損害賠償を認容されています。

 私たちは、昭和55年9月以来、阪南中央病院の主治医による詳細な診断書を提出し、これをもって水俣病かどうかを判断するように求め続けてきた経緯があります。これは、公害健康被害補償法制定の際の「認定審査についての意見を決めるにあたっては、特に健康被害者の治療を担当している主治医の診断が尊重されるよう配慮すること」との国会の委員会付帯決議にもとづいています。

 したがって、私たちは単純に検診を拒否しているわけではありません。

 しかし、認定申請しても県からはいつまでも認定されないため、私たちはやむなく司法に認定を求めて昭和57年10月に大阪地方裁判所へ提訴しました。その結果、先ほど申しましたように、一審でも二審でも水俣病に罹患しているとして認容されたわけですが、私たちの再三にわたる要請にもかかわらず、国と熊本県が非情にも上告されたため、現在に至っているわけです。

 それなのに、平成14年11月になって、急に「県の検診を受けていない」と論難され、その2ヶ月後には「県の検診を拒否している」と決め付けられるとは、どういうことでしょうか。

 新聞によれば、県は訪問や電話で説得をしたとありますが、坂本美代子はその電話に対し、「これまで27年間もほったらかしといて、何で今さら検診を強制されないかんのか。私はもう7回も検診を受けてるんだから、そのカルテを使って下さい。それに阪南中央病院の診断書もあるんだから、それを使って下さい」と申しました。また荒木多賀雄の家には、県職員が勝手に裏口から入り込んだそうですが、その職員に対し荒木は「どうしてもというのなら、代理人と主治医の立会いを認めてほしい。どうか?」と問い質しましたが、確答をしなかったそうです。これで「説得したにもかかわらず」と表現するのは、あまりにひどいというべきではありませんか。

 私たちは、4人を「検診拒否者」とされることに厳重に抗議し、これを撤回することと、主治医の診断書を認定審査の資料とすること、もし県の検診をどうしても受けろというのなら、代理人と主治医の立会いを認めることを要求します。

    2003年1月24日   関西水俣友の会  会長 坂本美代子

(資料2)熊本県知事への再抗議文
(資料2)熊本県知事への再抗議文

熊本県知事 潮谷義子殿

 私たちは先日(2003.1.24)、熊本県が私たちの会の会員2名を含む水俣病関西訴訟原告4名を水俣病認定審査にかかわる「検診拒否者」とされたことに対し抗議文を送りましたが、2003年1月28日の『熊本日日新聞』朝刊を拝見して、さらに驚きました。

 記事によれば、県水俣病対策課は「訴訟で争っている相手であり、現時点では(主治医の)立ち会いは認められない」とあります。

 百歩譲って、もしそうなら、訴訟原告の全員について認定審査自体を一旦停止するのが筋ではありませんか。一方では訴訟を理由に「主治医の立ち会いを認めず」、その一方では訴訟中でも「検診拒否者」として審査会にかけるなど、矛盾しているとは思われませんか。

 先日の抗議文の段階では私たちの会からは坂本美代子と荒木多賀雄が対象者と思われると書きましたが、その後、坂本美代子と川元文子と判明しました。しかし、川元文子は昨秋来、手術で病院を転々としていましたので、貴県の職員が訪ねてきた形跡はありましたが実際に面談したこともなく、それこそ説得など受けた覚えはございません。いずれにしろ、前回の抗議文の趣旨は変わりませんので、再度、考え直していただきたくお願いするしだいです。

 2003年1月28日  関西水俣友の会  

会長:坂本美代子  副会長:川元文子・芝シズエ  会計:小笹 恵

(資料1)2003年1月28日「熊本日日新聞」朝刊
(資料1)2003年1月28日「熊本日日新聞」朝刊

「検診拒否者」扱いに抗議 水俣病関西訴訟原告  ← 見出し 本文↓

 最高裁で係争中の水俣病関西訴訟の原告でつくる「関西水俣友の会」は二十七日までに、水俣病の認定申請で、県が原告四人を「検診拒否者」としたことに対して、撤回を求める抗議文書を潮谷義子知事に送った。

 文書は「主治医の診断を尊重するとした国会の付帯決議に基づき、詳細な診断書を提出して水俣病かどうかの判断を求めてきた。単純に検診を拒否しているわけではない」として、あらためて主治医の診断書を認定審査の資料にするよう要求。その上で、検診を受ける場合、「主治医と弁護士の立ち会いを認めること」を求めている。

 会長の坂本美代子さん(67)=大阪市=は「検診拒否者と決め付けた県の対応は一方的。受診しないとは言っていない。県の検診医が水俣病を分かっているのか疑問で、主治医の立ち会いを求めたい」と話している。

 これに対して、県水俣病対策課は「訴訟で争っている相手であり、現時点では立ち会いは認められない」としている。

関西の水俣病患者の問題に関心を寄せていただいている方々へ
 2003年1月28日の熊本日日新聞に別紙の記事が出ましたが、「関西水俣友の会」というのをよくご存知ない方も多いかと思いますので、この機会にご挨拶方々、報告をさせていただきます。

 私たちは記事にありますように水俣病関西訴訟の原告です。関西訴訟は大阪高裁で行政責任を認める判決が出ましたが、私たちの再三にわたる要請にもかかわらず、国・熊本県が上告したため、最高裁でまだ裁判が続いています。 

 一方、高裁判決はあろうことか、全額返還の2名を含む総額6000万円にも上る損害賠償の減額分とその利子をチッソへ返還するよう命じたため、とてもこれには従えないと私たちの方からも上告しています。

 私たちは関西訴訟に心を寄せて下さる人たちに、関西訴訟はもともと患者が泣き寝入りしないために裁判を始めたことを忘れないでほしいと願っています。

 私たちは患者同士が寄り合い、話し合い、助け合うために作った関西患者の会の初心に立ち返り、1年前に「関西水俣友の会」を作りました。その後、これまでのいきさつもあり、表立った活動は控えてきましたが、患者の声がいつまでも皆様に伝わっていないことに気がつき、今年からは私たちも患者としての声をあげていこうと決心し、役員も新たに選び直しました。

 その直後に起こった今回の「検診拒否者」問題は、会員の3名に関わることですので、熊本日日新聞の記事をもとに急遽、熊本県知事へ抗議文を送ったしだいです。抗議文の段階では坂本美代子と荒木多賀雄と書きましたが、その後、「検診拒否者」とされたのは坂本美代子と川元文子であることが判明しました。しかし、川元文子は昨秋から手術で病院を転々としており、県職員が訪ねてきたようですが実際に面談したこともなく、説得をしたとはどんな口でも言えるはずがありません。

 今日の熊本日日新聞の記事では「訴訟で争っている相手であり、現時点では(主治医の)立ち会いは認められない」と言ってるそうですが、それなら訴訟中の原告全員について認定審査自体を一旦停止すべきで、「検診拒否者」と確定した上で審査対象にするなどもってのほかではないでしょうか。

 この件では、再度、知事に抗議文を送りましたので、ご参照下さい。

 私たちは今後も患者としての声をあげるとともに、私たちの経験をできるだけ多くの人たちに伝えたいと思っています。患者の話を聞きたいというお申し出にはできる限り協力したいと思っておりますので、その節は遠慮なくご相談下さい。

 2003年1月28日   関西水俣友の会

 会長:坂本美代子  副会長:川元文子・芝シズエ  会計:小笹 恵

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