第二部 喫煙の健康に及ぼす影響

第1章 総論[要約]

  喫煙と疾病との因果関係は、5つの疫学的基準つまり、関連の一致性、関連の強さ、関連の特異性、時間的関係、関連の整合性
 に基づいて推理されている。しかし、1986年のWHO報告では、「たばこ煙は人に対して発がん性がある」と結論されている。
  WHO専門委員会は、喫煙による健康障害について以下のごとく列挙している。

  肺がん        : 紙巻たばこ喫煙が肺がんの罹患率を著しく増大せしめたことにいまや反論の余地はない。
  気管支炎と肺気腫   : 紙巻たばこは気管支炎と肺気腫に罹患しやすくする最も主要な原因である。
  虚血性心疾患     : 紙巻たばこ喫煙は冠状動脈疾患の発生に寄与する原因である可能性がきわめて高い。
  その他の循環器系疾患 : 紙巻たばこ喫煙は全身、特に頭部および四肢の動脈の粥状硬化発生を促進し、血行障害を起こして
              重大な結果をもたらす可能性がある。
  その他の健康異常   : 胃・十二指腸潰瘍、口腔がん、喉頭がん、食道がん、膀胱がん、乳頭腫症、膵臓がん、肺結核、妊
              娠中の喫煙により胎児の被る悪影響、禁煙による体重増加および離脱症候群。

  このように、喫煙によって超過死亡がみられることが示されている。

  喫煙用に栽培される植物は、ナス科植物ニコチアナ属のニコチアナ・タパクムで、主アルカロイドとしてニコチン、副アルカロ
 イドとしてノルニコチンを含む。
  たばこ煙の物理化学的特性と有害成分をみると、各種有害物質発生量は主流煙中より副流煙中に大であり、有孔フィルターでは
 タール、ニコチンのみならず主流煙中のCO収量も減ずるが、副流煙中ではかえって全有害物質収量が無孔フィルターの場合より
 増加している。主として口腔粘膜および肺胞で吸収されたニコチンは血液を介してほとんどすべての臓器・組織に分布するが、同
 じく吸収されたCOは赤血球内のヘモグロビン(Hb)と結合してCO―Hb(あるいはHb―CO)となり血液中に存在し、全
 身に分布する。吸収されたHCNの一部はそのまま肺から排泄されるが、大部分は主として肝臓できわめて迅速に硫シアン酸塩と
 なって解毒され、また一部は活性型ビタミンB12のハイドロオキシコパラミンと結合して、シアノコパラミンとなり解毒される。
  一般にニコチンは中枢神経系を興奮させ、末梢自律神経系の神経節に作用してその支配臓器に刺激効果を現すが、常習喫煙者で
 は、喫煙は、精神神経機能の促進と抑制という二様の効果をもたらす。
  喫煙と循環系機能との関連をみると、喫煙の急性生体影響で最も顕著なものは、吸収されたニコチンによる心臓・血管機能の変
 化である。一般には交感神経刺激効果として、心拍数増加、血圧上昇、心仕事量増加、末梢血管収縮などの変化が認められる。
  喫煙時の末梢血管収縮は特に四肢末端の皮膚で顕著に現れ、通常量の紙巻たばこ喫煙により感受性の高い常習喫煙者では5℃以
 上もの指先皮膚温度下降をみることがある。
  妊娠末期(34週以降)の女性における喫煙時には、胎児にも心拍数増加が生ずるのと同時に、子宮血管の収縮と子宮胎盤間の
 血液量減少が起こると考えられている。
  喫煙と呼吸器系機能との関連をみると、通常量の紙巻たばこ喫煙時においては、肺活量、1回換気量、呼吸頻度、分時換気量な
 どには有意な変化は認められない。しかし、紙巻たばこ1本の喫煙でも、気道閉塞の生じ得ることが確かめられた。喫煙によって
 気道けいれんの発生することが示唆されており,また,末梢および中心気道の両方に機能障害の生ずることが推測されている。
  消化器系機能に対する喫煙の影響は循環器系の場合と異なり、特に感受性の高い常習喫煙者にあっては副交感神経系刺激効果と
 して現れるとされる。喫煙による胃および腔機能の変化は十二指腸潰瘍の形成と治癒遅延に関連を有すると考えられているが、喫
 煙時に吸収されたニコチンの作用機序については不明な点が多い。
  喫煙を中毒という視点でみると、初心者の喫煙時あるいは非常習喫煙者が短時間内に過量の喫煙をした場合には、いわゆる急性
 たばこ中毒あるいは急性ニコチン中毒に陥ることがある。常習喫煙者でも自己の常用量を著しく超過する大量の喫煙をした際も同
 様で、急性ニコチン中毒の症状として、脱力感、発汗、呼吸困難、流涎、悪心、嘔吐、便意頻数(下痢を伴うこともある)などが
 あげられ、しばしば頭痛、不安感、振戦、尿意頻数、顔面蒼白、視力減退、散瞳と縮瞳の交替なども認められる。このような主観
 的および客観的症状のほかに、自覚の有無にかかわらず、心拍数増加、血圧上昇、分時拍出量増加、1回拍出量増加、心収縮速度
 上昇、心筋収縮力増高、冠血流量増加、心筋酸素消費量増加、不整脈発生、心電図上の変化などの、顕著な心臓・血管系機能変化
 がカテコールアミン遊離を介して生ずる。
  ニコチンの経口致死量は60mg前後とされるが、非喫煙者では4mgでも重篤な症状が現れるともいわれ、また、血中CO―
 Hb濃度の上昇に対する急性生体反応が示される。