カッコイイ車に乗りたい! クルマをカッコよくしたい!
でもちょっと待って、ドライバーはチューンナップしなくていいの?
サーキットを走りたい! 走行会で目立ちたい!
でもちょっと待って、サーキットを走るのっていくらかかるんだ?
オイラのマシン速くするのにいくらかかるんだ?
運転がうまくなりたい。
もっと安く、お金かけずにドライビングテクニックを磨く方法ってないの?
S.O.R NEWS wired は「金をかけずにドラテク スキルアップ」をコンセプトに
続けられる趣味としてのモータースポーツ、
サンデーレーサーを応援するための情報を発信します。
 

 

S.O.Rとは
サンデーレースを活動の中心としたアマチュア モータースポーツ クラブ。
スポーツとしての自動車レースを普及させるべく、 健全なるアマチュアレーサーの
養成を目的としてモータースポーツの底辺拡大に貢献する、 非営利目的のクラブです。

 

 

 
1993年3月 大○水峠で出会った3名でS.O.Rを結成。
1993年6月 ステージを山梨県○武トンネルに移し、毎週末練習を積む。
この頃から徐々にメンバーが増え、12名の大所帯チームとなる。
1994年7月 山での活動に疑問を感じ始め、今は無きミューサーキットで開催されていた CASHIEW Jr.トライアルレース第5戦にチームとして3台エントリー。最高位はまちゃトレビンのD3プロクラス7位。
後々S.O.Rに強い影響を与えることになる あるじー近藤と出会う。
1994年8月 チーム会報誌としてレースの詳細、リザルトなどをまとめたペーパーブック「S.O.R NEWS」創刊。
B4コピー用紙にワープロでテキストを書き綴っただけのモノクロ片面1ページだった。創刊号の発行部数は30部。
CASHIEW Jr.トライアル第6戦に3台エントリー。最高位はしまっくFDのD1プロクラス5位。
1994年11月 CASHIEW Jr.トライアル最終戦に7台エントリー。最高位はしまっくFDのD1プロクラス4位。
山で走っていた仲間が徐々にサーキットに集まりだし、メンバーは25名と増加の一途。
ホッテン伊藤との出会いはこの頃。
1995年2月 CASHIEW Jr.トライアル開幕戦に6台エントリー。最高位は まちゃトレビンのD3プロクラス2位。S.O.Rのプロクラス初表彰台をGET。
後にD1四天王と呼ばれ、しまっくFDとスクラッチレースを展開することになる 小袖軍団 又吉くん(現Rock On代表)、村田ブロスらと出会う。
1995年3月 CASHIEW Jr.トライアル第2戦に5台エントリー。最高位はしまっくFDのD1プロクラス2位。
ドライバー、サポーター合わせて20名近くでサーキットに押しかけ、大騒ぎをするチームS.O.Rが主催の賀集自動車さんにケムたがれてきたのはこの頃。(笑)
1995年4月 CASHIEW Jr.トライアル第3戦にS.O.Rから5台エントリー。最高位はしまっくFDのD1プロクラス5位。
Jr.トライアルが大盛況、総エントリー台数95台。
S.O.R NEWS第7号発行。B4 7ページ立てにスケールアップ。発行部数は90部を超える。
1995年6月 CASHIEW Jr.トライアル第5戦(日光)に3台エントリー。最高位はしまっくFDのD1プロクラス6位。
D2クラスのあまのっち(GDA)、ジョニーらとの出会いはこの頃。・・・死ぬほど後悔。
1995年7月 CASHIEW Jr.トライアル第6戦に3台エントリー。最高位はしまっくFDのD1プロクラス4位。
S.O.R NEWS 第9号発行。A4版、モノクロ写真入りに。
1995年8月 CASHIEW Jr.トライアル第7戦に2台エントリー。最高位はしまっくFDのD1プロクラス3位。あるじー近藤がプロクラス6位初入賞。
1995年9月 CASHIEW Jr.トライアル第8戦に2台エントリー。しまっくFDがD1プロクラス初優勝。ホッテン伊藤がD2クラス6位入賞。
S.O.R NEWS 第11号発行。頭文字 C、ホッテン伊藤のインタビューコーナー、Keita's Eyes、賀集孝二語録などのコンテンツに人気が集中。
1995年10月 CASHIEW Jr.トライアル第9戦。しまっくFDがD1プロクラス2位。
OPTION2編集部とのお付合いはこの頃から。
1995年11月 CASHIEW Jr.トライアル最終戦に4台エントリー。しまっくFDがD1プロクラス3位、年間シリーズランキングも3位でシーズンを終える。最終戦のラップタイムは46'013秒(サーキット:ミューサーキット DRY・マシン:FD3S サスペンション以外は全てノーマル・タイヤ:BS RE710)
1996年3月 OPTION2 ロータリー世界一決定戦(間瀬)にエントリー。しまっくFDが豪雨の中、全国のロータリーショップのワークスマシンに挟まれ4位入賞。世界で4番目に速いロータリー使いと認定される。(笑)(サーキット:間瀬サーキット WET・マシン:FD3S ブーストアップ仕様・タイヤ:BS RE520S)
1996年4月 OPTION2 間瀬 4時間耐久レースに小袖軍団 with S.O.R ボロハチで参戦。タダで手に入れたハチロクは朽ち果てる寸前・・・1分14秒台で予選落ち、コンソレーションレース完走。
S.O.R NEWS 第16号発行。A4 8ページ立てに。発行部数は130部を超える。
1996年5月 OPTION2 ロータリー世界一決定戦(間瀬)にエントリー。しまっくFD E/Gブローリタイヤ。
1996年6月 adidasカップ OPTION2 チャレンジレースRD2(ミュー)に参戦。しまっくFDが2位入賞。プロクラス参戦のキップを手に入れる。
1996年9月 adidasカップ OPTION2 プロクラスレースRD4(ミュー)にしまっくFDが参戦。44'849秒で4位入賞。(サーキット:ミューサーキット DRY・マシン:FD3S ブーストアップ仕様・タイヤ:BS RE520S)
1996年11月 Woody走行会(ミュー)にゲストドライバーとしてやってきたGTドライバー、織○学選手のオートプロデュースボスS14を、しまっくFDが43'720秒で軽くひねる。(笑)(サーキット:ミューサーキット DRY・マシン:FD3S ブーストアップ仕様・タイヤ:BS RE520S)
1996年12月 CASHIEW最速グランドチャンピオンシップ最終戦(日光)に参戦。しまっくFDが予選で42'765秒をマーク。決勝は4位。(サーキット:日光サーキット DRY・マシン:FD3S ブーストアップ仕様・タイヤ:BS RE520S)
1997年3月 CASHIEW最速グランドチャンピオンシップRD2(日光)に参戦。しまっくFDが雨の中48'725秒でD1クラス4位。(サーキット:日光サーキット WET・マシン:FD3S ブーストアップ仕様・タイヤ:BS RE520S)ちなみに6位までに入賞したのは、おいら以外全部4駆。(苦笑)
この日、D2クラスには3位に現スコールのドライバーあまのっちPS13(GDA)、6位に現FUZZガレージ代表のふじ。DC2が・・・ いたコトを後で知る。
OPTION2 間瀬 4時間耐久レースにWoody with S.O.R ハチロクで参戦。予選1"11'763秒、決勝リタイヤ。
この年、間瀬耐久にWoodyと組んでハチロクで4戦、小袖軍団とYSRプレリュードで1戦エントリーする。予選は常に上位だったが全て決勝リタイヤ。理由は聞かないで・・・
1997年10月 CAR BOY 最速選手権(山梨)にエントリー。しまっくFDが40.310秒でロータリークラス2位。(サーキット:スポーツランド山梨 DRY・マシン:FD3S ブーストアップ仕様・タイヤ:BS RE520S)
1998年 しまっく結婚準備のため、一時活動休止。
1999年9月 結婚してからレース資金の調達が苦しくなったしまっくが、なんとか小遣いでクルマを楽しみたいと模索中にレンタルカートと出会う。
ハコのレースのように大金をつぎ込まなくとも、レースを楽しみながらドライビングテクニックのスキルを身に付けられるレンタルマシンに共感を覚え、S.O.Rと「これらを使って日本のモータースポーツの底辺を拡大したい!」と話し合い、第1回S.O.R杯イベントレースを企画。
さらにペーパーブック版 SOR NEWS に変わる媒体としてWebマガジン「S.O.R NEWS wired」を立ち上げる。
カート以外のレンタルマシンにも積極的に取り組み、微力ながらも日々目的に向って精進する。
現在 ・・・他にも多数のレースに参戦してきましたが、記憶に残るものだけをピックアップしました。
以降の活動内容はTOPからイベントレポートをご覧になっちゃって!