かんこうのとびまつ
- 菅公の飛松 -


昌泰四年(901)、時の右大臣菅原道真は左大臣藤原時平のはかりごとにより九州の大宰府に左遷される事になりました。
都より大宰府へ向かう途中の道真が攝津国の今の板宿(兵庫県神戸市須磨区板宿町)の辺りで休まれていた時の話です。
都を離れはるばる板宿まで来た時のこと、道真はふと都に居たときに可愛がっていた木々のことを思い出していました。道真は屋敷の庭の木々の中でも、特に松、梅、桜をこよなく愛していました。
そんなある日のこと、道真が大宰府に左遷されることを知った桜の木は見る見る葉を落とし枯れてしまいました。また、梅の木は東風(こち)に乗せて自らの花の香りを道真の後を追うようにして西へ西へと送ってきました。
しかしどうしたわけか、松の木だけは何事も無かったようにいつもと変わらぬ様子でした。
道真は、心を持たない草や木でも、桜や梅はこの私のことを慕ってくれているというのに、松の木だけは何ともつれないものだと嘆いておりました。
その道真の言葉を伝え聞いた屋敷の松の木は、すぐさま都よりそらを飛び道真のもとにやってきたそうです。
この松の巨木は大正年間の落雷が原因で枯死してしまいましたが、この山の東の端にある板宿八幡神社の境内に飛松社としてこの松の大きな株が保存され、「大宰府の飛梅」とともに「板宿の飛松」と呼ばれています。また、今もその松の木が飛んできた所を「飛松岡」と呼んでいます。

Special thanks to 真名井 糾