Fの作曲家



エルネスト・ファヌリ Ernest Fanelli (1860-1917)

1860年6月29日,パリに生まれる。父はボローニャ移民で,銀行の受付係であった。1876年パリ音楽院へ進むも,教師との確執から,いったん中途退学。ティンパニ奏者をして生計を立てながら再入学し,再び経済的窮状から退学するまで,レオ・ドゥリーブに師事して作曲法を学ぶ傍ら,ヴァランタン・アルカン,ジュール・ロラン,アナシャルシス・ドゥプラートに師事した。1912年にガブリエル・ピエルネによって,コロンヌ管弦楽団の打楽器奏者に抜擢され入団。当時,譜面の印刷がさほど普及していなかったため,彼はピエルネの依託で数度に渡って楽団の演奏譜の写稿を行った。この際彼は,自らの記譜技術を示すべく,ピエルネに『ミイラのロマンス』の譜面を手渡した。この譜面を持ち帰って読んだピエルネは,「こんにち知られた名匠たちによって用いられているモダンな作曲技法の変遷と全貌は,全てここに含まれている」と,その斬新さに驚嘆したという。これをきっかけに,彼の作品の幾つかはピエルネの手で初演され,「我々は今や,印象主義の語法の源泉がどこにあったのかを正しく知ることになった」と,ラヴェルをも驚かせた。だが彼はその後も評価を受けることがなく,1894年以降は『牧神』に絶望してか作曲の筆も折り,その存在は忘れ去られた。ドビュッシーよりも遙か以前に全音階,旋法,多調,平行和音を用いた彼の先駆的な作品は,疑いなく再評価されるべきものである。1917年11月24日パリにて没。


主要作品

歌劇 ・歌劇【2台の二輪馬車】 les deux tonneaux (1879) {3act} ...Voltaireによる
管弦楽曲 ・クラランの英雄 St Preux à Clarens (1881)
・交響的絵画【ミイラのロマンス】 tableaux symphoniques 'le roman de la momie' (1883/1886)
・交響詩【テーベー(妖精)たち】 Thebes (1883)
・マスカレード mascarade (1889)
・ラブレー趣味の組曲 suite rabelaisienne (1889)
・謝肉祭 carnaval (1890)
・田園詩曲による印象 impressions pastorales (1890)
・衛兵の城館にて au palais de l'escorial (1890)
・英雄的な行進曲 marche héroïque (1891)
・太陽への畏怖 l'effroi du soleil (-)
器楽曲 ・若き日の想い出 souvenirs de jeunesse (1872-1878) {p}
・詩的な回想 souvenirs poètiques (1872-1878)
・ソポール地方の夜 une nuit chez Sophor (1891) {fl, cl, pf, strings}
・32の歌 32 chansons (1880-1892) ...
詳細不詳
・ユーモレスク humoresques (1892-1894) {cl, p}
・弦楽五重奏曲【驢馬】 quintette à cordes 'le aneu' (1894) {4vln, 2vla, 2vc}
典拠 Rosar, W.H. 2004. New Grove Online. Oxford University Press.


ファヌリを聴く


★★★★
"Tableaux Symphoniques d'après 'Le Roman de la Momie' (Fanelli) Rhapsodie Cambodgienne (Bourgault-Ducoudray)" (Marco-Polo : 8.225234)
Adriano (cond) Lydia Drahosova (msp) Slovak Radio Symphony Orchestra
全ての近代音楽好きにとり,本CDの登場は,間違いなく2000年代最初の5年間で最大の事件でしょう。作曲者のエルネスト・ファヌリはボローニャ系移民の子。パリ音楽院でドゥリーブの弟子だった他は,殆ど独学だったようです。当然,作曲家としては全く認知されぬまま時代は移り,やがてドビュッシーやストラヴィンスキーによって,斯界における20世紀の幕開けは告げられていきます。ところが,ファヌリの本作品は,両者が用いた全音階,多調,非機能的和声法のどれもが使われているうえ,何と作曲年は1883年!ドビュッシーが印象主義の語法を完成したのは1894年で,ストラヴィンスキーの原始主義はさらに後ですから,完全に先んじていたことになります。勿論本作品に限ってはピエルネに対するファヌリの自己申告だったようですから,果たしてどこまで信憑性があるのか疑わしい面もあるような気もしないではありません。しかし,彼にはなお,1890年に初演された『田園の印象』という根拠もあります。今後の文献研究の結果,もし彼の主張が事実であると立証されれば,これは間違いなく近代音楽史におけるコペルニクス的大転回。同時代人の強力な擁護者だった指揮者ピエルネの楽歴中でも,最大の功績と言って好い代物になりましょう。交響的「絵画」というだけに,基本的にこの作品は描写音楽。本家2人に比べると,ストラヴィンスキーに見られる堅牢な変拍子マジックも,ドビュッシーの天才的な香気もなく,単純な動機をモーダルな和音に乗せて反復するだけの大味な作品なんですが,時代離れした斬新さの一点だけで,一聴の価値はあります。併録は同じく「陰のドビュッシー越え男」エマニュエルの師匠,ブルゴール・ドゥクドレイによる異郷趣味作。こちらはぐっと穏健で,ロジェ=デュカスやアンリ・ラボーを思わせる優美かつモデストな近代ロマン派音楽です。しかしまあ,何ちゅう凄いカップリングであることよ・・。

(2003. 8. 6 upload)