Fの作曲家



ジャン=ルイ・フロレンツ Jean-Louis Florentz (1947-2004)

フランスの民俗音楽学者,作曲家。1947年12月19日,アニエール(Asnières)生まれ。当初はリヨン大学,次いでパリ大学でアラビア文学および自然科学を学び,1966年に学士号を修得。さらに1971年から1975年に掛けてはパリ音楽院へも進み,オリヴィエ・メシアンおよびピエール・シェッフェル(Pierre Schaeffer)に師事。またアントワーヌ・デュアメル(Antoine Duhamel)とともに創作活動を展開した。パリ音楽院進学後,精力的に西インド,ポリネシア,およびアフリカ各地を歴訪。特にケニア地域には,動物皮革を用いた民族楽器に関する調査のため4度に渡って訪問している。1979年にローマのフランス・アカデミー委員としてヴィラ=メディチに居住。次いで1983年にマドリッドのカサ・デ・ヴェラスケス(Casa de Velázquez)へ居住。その後は1984年にリヨン高等音楽院の口承民俗音楽学の教授職に就任し後進の指導にもあたっている。1995年にフランス芸術院(Academie des Beaux-Arts)委員。1978年にリリー・ブーランジェ作曲賞,1980年にSACEM賞およびフランス研究院賞,1989年にパリ市民賞などの受賞歴がある。晩年は癌を患い,2004年7月4日パリにて死去。


 主要作品

声楽曲 ・マグニフィカート magnificat antiphone pour la visitation (1979-1980) {tnr, choir, orch}
・乙女のためのレクイエム asún: requiem pour la vierge (1986-1988) {sop, tnr, btn, child-choir, choir, orch}
・アスマラ asmarâ (1991-92) {choir}
・ヴォーカリーズ Vocalise (-) {vo}
管弦楽
協奏曲
・リリュク・アルカリの夢 le songe de Lluc Alcari (1992-1994) {vc, orch}
・アメンタの庭 les jardins d'Amènta (1995-1997)
・ソロモンの環 l'anneau de salomon (1997-1998)
・交響詩【島々の子ども】 l'enfant des iles (2002)
・交響詩【クザル・ギラーヌ】 qsar ghilâne (2003)
・古代の太陽の行進 Les Marches du Soleil, antienne (-)
室内楽 ・賛課 les laudes (1983-1985) {org}
・ニャンダルアの歌 chant de Nyandarua (1985) {4vc}
・太陽に向かって debout sur le soleil (1989-1991) {org}
・ニャンダルアの歌第2番 second chant de Nyandarua (1995){12(8)vc}
・ギョリュウの木の妖精 l'ange du Tamaris (1995) {vc}
・南十字星 la croix du sud (2000) {org}
・夜の子ども l'enfant noir (2002) {org}
・血の月 Lune de sang (-) {hrn}

※もか氏より未載録作品3点をご教示いただきました(2006. 5. 15)


 フロレンツを聴く


★★★★★
"Les Jardins d'Amènta / Le Songe de lluc Alcari / L'Ange du Tamaris" (Collection MFA : MFA 216023)
Emmanuel Krivine, Günther Herbig (cond) Orchestre National de Lyon : Yvan Chiffoleau, Yves Potrel (vc)
フロレンツはフランス芸術院の委員を務めている,現代フランスを代表する作曲家にして理論家。世代的には完全に現代ですけれど,その作風は意外に穏健で,ラヴェルやジョン・ウィリアムス,久石譲の耳でも,やや抽象的かつ純音楽的に変貌したと思えば,充分楽しめるものです。イベールとオアナの中間点を行きつ戻りつしながら,流動的な官能性を漂わせる弦部に,オネゲルの激情性と気難しさを備えた管部(特に金管)が絡み合い,相互に陰影を掘り進めていく。民族音楽の研究者でもある彼らしく,ときに管部による雅楽的な響きが,時に指ピアノ的効果を狙った木鉄琴や管弦のピチカート,パーカッションによるバーバルな響きが挿入されて緊張感を高めていきます。目立たぬながら,彼の美点は,極めて鋭敏な低奏部の対位法センス。これが,全体を通じて緊張感を支えている。和声面ではまるっきりプレ・モダンだったチェコのマルティヌーと,和声面ではむしろ一層ヒステリックだったオネゲルの両人は,いずれも群を抜く対位法センスの持ち主でした。この2人の間に空いた陥没地帯にベクトルを取り,ドビュッシーからデュティーユへ進んだフランス近代の伝統である和声の彩りを添えていく。その中庸を得たバランス感覚の良さが,この人の真骨頂でしょう。演奏は,フランス楽壇で目下最高峰の位置をキープするクリヴィヌとリヨン管。フロレンツ自身も,1995年から3年に渡って,リヨン管専属の在リヨン作曲家に任ぜられているほど両者の関係は深い。今フランスで最も創造的な活動をしているクリヴィヌの慧眼を図らずも見せられた気がしました。名盤です。

★★★★☆
"Debout sur le Soleil / Asmarâ / Qsar Ghilâne" (Accord : 476 7495)
John Nelson, Nicole Corti (cond) Olivier Latry (org) Maîtrise Notre-Dame de Paris: Ensemble Orchestral de Paris
2005年1月15日,パリのノートルダム聖堂で,あまりに早く世を去ってしまったフロレンツの追悼コンサートが催されました。本盤はそのドキュメントであり,遺作『クサール・ギラーヌ』(サハラ砂漠にあるオアシスの名称)が採録されている貴重な音盤です。彼はこの曲を書く前年に調査旅行でチュニジアを訪問しており,恐らくはこの時の胸懐を曲にしたのでしょう。正直なところ,演奏家の陣容は不揃い。民族楽器風の装飾音を多用した意匠を考慮に入れても,ノートルダム聖歌隊は声質不揃いで歌唱力は一流半がいいところですし,パリ管弦楽アンサンブルも(特に弦部の)アーティキュレーションやピッチの精度に不満が残ります。しかし,そんな些末な難点を遙かに超えて,圧倒的な輝きを放つ作曲者の巨大な才能ときたら!ただもう溜息しか出ません。中近東やアフリカ土着音楽の節回しと,近現代の和声法とが緊密に絡み合って,滑らかな質感と豊穣な起伏を生み出す。その底流を流れる,緻密な対位法センスが,絶えず示唆的な輪郭を付与する。時折挿入されるピチカート,木琴,打楽器が指ピアノ効果を挙げる。非西欧音楽に走った作家はこれまでにも沢山いました。しかし,かつてこれほど双方を無理なく止揚し得た男がいたでしょうか。冒頭こそラングレも真っ青の炸裂を見せるも,見る見る深遠な音響構造美を披露するオルガン曲も素晴らしい。完全に彼の型に嵌った筆致ながら,理屈抜きで感動を喚起するこの筆力。並みいる才人の中でも,度外れた筆力です。聴くほどに,僅か18曲の寡作ぶりがつくづく惜しまれてなりません。一曲辺り数十分。次々工夫を凝らし,聴き手を飽きさせない超高濃度の音絵巻ゆえ,仕方ないといえば仕方ない。しかし,もっと長生きして素晴らしい曲を沢山書いていただきたかった。本当に惜しい人を失ってしまった。悲しいです,実に悲しい。

★★★★☆
"L'Enfant des Îles / L'Anneau de Salomon" (Forlane : 16832)
Hubert Soudant (cond) Orchestre National des Pays de la Loire
フランス芸術院の委員も務めているフロレンツの管弦楽作品2編を収めた新譜。作品はいずれもここ5年ほどの間に書かれた新しいものです。自らも文化人類学に深い造詣を持ち,非西欧圏の民俗に関心を寄せる彼の作風は,打楽器的な要素の強いアフリカの土俗音楽を,洗練されたフランス近代の和声法や対位法によって止揚しようとの意図が明確に感じられるもの。既にMFAからクリヴィヌとリヨン管による作品集も出ていますが,本盤も作風に大きな変化はなし。木鉄琴弦のパーカッシブな打奏,弦のピチカートにより武骨に彫り取られた拍節の中を,デュティーユやイベールの薫陶を得た低体温の非機能的和声が滑らかにすりぬけ,艶めかしい肌理を満たして行きます。やはりこの2品でも,低奏部を緊密に支える対位法のセンスが抜群。二兎を追うだけの薄っぺらな越境作品にとどまらないのは,この精妙な対位法によるところが大きいでしょう。指揮棒を執るスーダンはマーストリヒト生まれ。フルネの高弟となり,カラヤン・コンクールで優勝したのち新国営フランス放送管弦楽団,メルボルン響を経て1994年に国立ロワール管弦楽団の音楽監督に就任した人物。2004年からは東京交響楽団の音楽監督にも就任する見込みだそうで,これから日本でも馴染みになるでしょう。あの堅実なフルネに似て指揮は実直。ロワール管も国営化されたためでしょうか。また細部に粗さが残るものの,かつてデルヴォーが振った酷いピエルネの面影は随分なくなりました。

(2003. 6. 30)