Kの作曲家


ヴァシリー・カリンニコフ Vassily Kalinnikov (1866-1901)

ロシア(旧ソ連)の作曲家。1866年1月13日,オレル地方ヴォインの警察官の家庭に生まれる。ギターを演奏,地元の合唱団員でもあった父の影響でまずヴァイオリンを学び,14才で地元神学校の合唱団長となった。1884年に18才でモスクワに出てモスクワ音楽院の初等科へ進学。奨学金は少なく,数ヶ月後には学費を賄えず退学したが,代わって学費免除のモスクワ・フィルハーモニー財団付属の音楽学校へ進み,ファゴットを学んで劇場付の楽団で演奏し費用を賄いながら,アレクサンダー・リーンスキー,パヴェル・ブララムベルグに師事した(この当時,生活は困窮を極め,生涯の友であり良き師でもあったS.V.クルグニコフの援助を受けている)。1890年,のちにその命を奪うこととなる結核に罹患するも,1892年にチャイコフスキーと出会って激励され,モスクワのマリイ歌劇場およびイタリア歌劇場の指揮者に任命された。1895年には音楽学校も卒業し,『交響曲第1番』を作曲。しかし,楽団で演奏させるために大部の楽譜を写稿する資金もなかった彼は,妻の手助けで手書きによる写稿を余儀なくされた。彼はリムスキー=コルサコフに推薦の辞を貰うべく,その一部を送付したが,作曲に造詣のない妻の写しが多くの誤謬を含んでいたためコルサコフの誤解を招き,それはカリンニコフをいたく落胆させ,死期を早めたと言われる。1897年2月の初演は大きな反響を呼び,やがてこの曲はベルリンやパリでも演奏されて国際的な名声を博することになった。しかし既に,その初演にも立ち会えないほど病が悪化していた彼は,1899年に全ての職を辞して南クリミア地方のヤルタへ隠棲。1901年1月11日に世を去った。僅か34才の生涯であった。


主要作品
※申すまでもなく原題はロシア語です。

舞台作品 ・オペレッタ Operetta (1877) ...現存せず
・皇女マラまたはカシュチェヤの死 Knyazhna Mara, ili Smert' Kashcheya (1894) ...台本,スケッチのみ
・付帯音楽【皇帝ボリス】 Tsar Boris, after Alexey Tolstoy (1899)
・1812年 V 1812 godu (1899-1900)...未完
管弦楽曲 ・フーガ fugue (1889)
・交響詩【妖精たち】 nymfi (1889)
・弦楽セレナード ヘ短調 serenade for strings F minor (1891)
・組曲 ハ短調 suite in C minor (1891)
・序曲【ブイリーナ】 'Bylina' overture (1892)
・交響曲第1番 symphony No.1 in G minor (1894)
・間奏曲第1番 intermezzo No.1 in F sharp minor (1896-1897)
・間奏曲第2番 intermezzo No.2 in G major (1897)
・交響曲第2番 symphony No.2 in A major (1897)
・交響詩【杉と棕櫚の木】 kedr i pal'ma (1898)
器楽曲 ・ヘルヴィムの歌 song of hervim (1885-1886)
・弦楽四重奏曲 string quartet (-) {2vln, vla, vc} ...紛失
ピアノ曲 ・哀しみ grust (1884) ...紛失
・ハ調のスケルツォ scherzo, F (1888-1889)
・悲しい歌 ト短調 grustnaya pesenka, in G minor (1892-1893)
・ハ調のロシア風間奏曲 Russkoye intermetstso (1894)
・ホ調のメヌエット minuet, in E (1894)
・イ調のワルツ Waltz, in A (1894)
・嬰ヘ調の夜想曲 nocturne (1894)
・変ロ調の哀歌 elegy (1894)
・変ロ調のモデラート moderato (-)
・交響曲第一番の主題によるポロネーズ,変ロ調 polonaise (-) {2p}
歌曲 ・逆境と苦悩が人生を苛むとき kogda zhizn' gnetut i stradan'ya, i muki (1887) ...Polivanov詩
・君の愛らしく小さな肩に na chudnoye plechiko miloy (1887) ...
Heine原詩, V.A. Fyodorov訳
・墳墓の上で na starom kurgane (1887) ...
I.S. Nikitin詩
・僕らの上に星は優しくまたたきかける nam zvyozdi krotkiye siyali (1894) ...
A.N. Pleshcheyev詩
・輝ける星 zvyozdi yasniye (1894) ...
K.M. Fofanov詩
・古の王 bil stariy korol' (1894) ...
Heine原詩, Pleshcheyev訳
・1900年正月の贈り物 prezent na l-oye yanvarya 1900 goda (1900?)
・16の音の手紙 16 musical letters (1892-1899)
・祈り molitva (1900) ...
Pleshcheyev詩
・鐘 kolokola (1900)
・微笑みの訳を ne sprashivay, zachem uniloy dumoy (1901) ...
Pushkin詩
・愛しい人よ,私はあなたのもの ya li tebya, moya radost' (-) ...
Heine原詩, Fyodorov訳
・我が歌を麗しき花の如く ya zhelal bi svoi pesni sdelat' chudnimi tsvetami (-) ...
Heine原詩, Fyodorov訳
・手押し車の上で Na starom kurgane (-)
合唱曲 ・ケルビム風の讃歌第1番,第2番 kheruvimskaya (1885-1886) {choir}...紛失
・小さな合唱曲 malen'kiy khorik (1887) {choir} ...
紛失
・山の頂 gorniye vershini (1887) {choir} ...
M.Yu. Lermontov詩,紛失
・主よ我が主 gospodi, gospodi nash' (1889) {4vo}
・クリステ・エレイソン Christe eleison (1889) {4vo}
・聖イオアン・ダマスキン Ioann Damaskin (1890) {vo, choir, orch (p)} ...
Tolstoy台本,紛失
・海の上の美女 nad morem krasavitsa deva sidit (1894) {f-vos, orch}...
Lermontov詩
・我がもとへ pridi ko mne (-) {sop, alto, btn, p} ...
A.V. Kol'tsov詩
・リリパットの勝利 torzhestvo lilliputa (-) {choir, p}
典拠 Iordan, I. and Kirkor, G. eds. 1980. Vasily Sergeyevich Kalinnikov. Moscow: Sobraniye sochineniy.


カリンニコフを聴く


★★★★☆
"Symphony No.1 in G minor / Symphony No.2 in A major" (Naxos : 8.553417)
Theodore Kuchar (cond) National Symphony Orchestra of Ukraine
1995年に発表されたこの録音は,ウクライナ管の名前を一躍有名にするとともに,百年の時を経て,ロシア近代の徒花ともいうべき薄幸の作曲家カリンニコフが再評価されるきっかけを作ったCDです。2曲の交響曲は,いずれもロシア国民楽派を範とした分かりやすく懐旧的な作風。自分の労苦が報われたところを目にすることなく散ってしまったからでしょうか。短い生涯をその分凝縮したような,鬼気迫る情念が感じられる曲調には,充分に富も名声も手にした他の巨匠たちにはない,一種妖しい魔力があります。演奏するテオドル・クチャルとウクライナ国立管弦楽団は,他にピストンの協奏曲などの録音もある気鋭のコンビ。旧ソ連で経済的に豊かとは言えないということから,ナクソスで外貨稼ぎしているんでしょう。懐事情でやむを得ず廉価盤というだけに,恐らくナクソスのオケでは実力的にトップ・クラスではないでしょうか。オリンピアのに比べると数段抑揚があり,女性的な艶めかしさの漂う華美な演奏で,水準はかなり高い。個人的には,まるでフランスものみたいな女性的な華やかさのある弦部はもう少し猛々しくても好かったような気がしますが,下手な通常価格盤よりもコスト・パフォーマンスの高い演奏ではないでしょうか。

★★★★☆
"Symphony No.1 in G minor / Symphony No.2 in A major"(Olympia : OCD 511)
Veronika Dudarova (cond) The Symphony Orchestra of Russia

カリンニコフは,仏近代のモダニズムとは全く異質な,いわゆるロシア国民学派の流れに位置する作曲家です。実はこのレビューを書く際に,初めて経歴を調べたのですが,調べていて思わず同情の涙を禁じ得なかったほど,この人は労苦が報われることなく世を去ってしまった人でした。作風はチャイコフスキーの傍系。しかし,悲劇的な経歴を知ったことがそう感じさせるのでしょうか。その作風は,生前に充分過ぎるほど評価されたためか,時にゆったりとくつろいでいるような余裕のある作品も書く本家とは明瞭に一線を画すもの。死に魅入られたかのように危険なロマンティシズム,何かに追い立てられているかのように切迫した精気とエネルギー。それらが,保守的な形式の枠中ではちきれんばかりに充満。奔流となって押し寄せる。命を削ったような強烈な筆致に溜飲が下がりました。調性は明瞭で和声は旧態然。形式も保守的。それでも,贔屓目でなく一聴に値する作曲家だと思います。チャイコフスキーやドヴォルザークあたりまで守備範囲に入っている方なら,驚愕すること疑いありません。生地ロシアのオケによる演奏は,ナクソス盤のような華やかさはない代わり,ゴツゴツしたロシア訛りが感じられるものです。

(2003. 7. 15 / amendment 2005. 3. 22 USW)