<繊維リサイクルの歴史と課題>

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以下から本物が見ることができます。
T.繊維リサイクルってどんなもの? http://www.nakano-inter.co.jp/seni.htm
U.繊維リサイクルの歴史  http://www.nakano-inter.co.jp/new_page_8.htm
V.故繊維産業の課題 http://www.nakano-inter.co.jp/new_page_15.htm
W.繊維リサイクルの将来  http://www.nakano-inter.co.jp/new_page_16.htm
X.繊維リサイクルの青写真  http://www.nakano-inter.co.jp/new_page_23.htm

T.繊維リサイクルってどんなもの?

 

  一般に衣食住といわれるように、また故事にも「衣食足りて礼節を知る」などといわれるように、人間の歴史が始まって以来、その存在には欠かせない衣類。もちろん今日みなさんの生活でもなくてはならない必需品ですね。

 

 さて、最近身近なものとなってきた「リサイクル」、つまり限りある資源を有効に使いましょう、ということを考えたとき、この皆さんの身の回りのものでなくてはならないこの衣類、または繊維製品が、いったいどのようにしてリサイクルされているかご存知でしょうか?

 

 たいていの皆さんは、フリーマーケットやリサイクルショップで売られている古着や、ユーズドジーンズなどを思い浮かべるかと思います。ところが、集められる繊維製品のなかで、こうした用途にむけられる量はごくわずかなのです。

 

 実は、日本国内で集められる繊維製品は、@原料の綿に戻す用途が30%、Aワイパーなどに再利用する用途が20%で、皆さんがイメージするB古着として再使用する用途、は全体の50%です。「何だ、多いじゃないか?」と思われるかもしれませんが、これらの古着は99.9%が東南アジアなど、海外へ向けて輸出されます。つまり、みなさんが街中で見掛ける繊維リサイクルのイメージは、実態の0.05%を反映しているに過ぎないのです。

 

  また、「リサイクル」という言葉について、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?

 

  先日、私が友人と話をしていたときのことでしたが、「会社は何をやっているのか?」と聞かれたので、「繊維のリサイクルを67年やっている」と答えたところ、その友人に非常に驚かれました。この友人も私もまだ20代の若者ですが、リサイクルというと、一般の方はどうも非常に新しい、はやりのもの、というイメージをもっておられるようです。無理もないことなのかもしれません。私自身、小学生のころ親の仕事について調べてくるという課題があったときに、「リサイクル」という言葉自体が全く理解されなかった、という記憶があります。ついこの間までリサイクルに対する認識は、そんなものだったのですから。

 

  しかし、リサイクルの歴史は非常に古く、我々の業界も100年以上の歴史を持っております。そもそも、ほんの3、40年ほど前まで、わが国は身の回りのものを何でも活用する、リサイクル先進国だったのです。というより、資源を再利用することは、もともと資源希少国である日本に当然のこととして備わった生活の知恵、文化だったのです。しかし、戦後、日本が物質的に豊かになるにつれ、リサイクルという「生活の知恵」は日常の生活感覚からは薄れてゆき、いつしか忘れられてしまったのです。

 

  こうして見てみると、今盛んに騒がれるようになって再び身近なものになりつつある「リサイクル」ですが、とりわけ繊維のリサイクルということを考えたとき、皆さんが毎日肌に身につけている衣服がどのように再資源化されてきたのか、意外と知られていないようです。

 

 そこで、このページは、リサイクルに関心のあるみなさんに、「繊維のリサイクル」についてもっと深く知っていただこうという目的で作成しました。全体で大きく三章から構成されます。まず最初に、私たちがたどってきた道、繊維リサイクルの歴史について見ていきましょう。次に、今日繊維のリサイクルが直面しているさまざまな課題について。最後に、本当の循環型社会を作るために、これからのリサイクルのあるべき姿とは何か、私たちが繊維を通じて培ってきたノウハウから、将来に向けての提案をしたいと思います。

 

U.繊維リサイクルの歴史

−リサイクルは故繊維から始まった−

 

 冒頭でも触れましたように、「リサイクル」というと非常に新しい響きのように聞こえる方も多いのではないかと思います。それだけ最近、「リサイクル」が注目を浴びるようになってきたわけですが、資源を再利用する、という行為そのものは決して新しいことではありません。ご存知の方も多いと思いますが、資源希少国であるわが国は伝統的に資源を再利用するということが生活文化として定着しておりました。生ごみはもとより、都市の糞尿にいたるまで肥料として再利用されていたのです。

 再生資源業ということでいえば、それはわが国においては明治の近代国家の幕開けと共に始まりました。つまり、近代化にともない、廃品を回収し工場に原料として供給する業者が現れたわけです。今でいうリサイクル業のはしりですが、この再生資源業はまずボロ(古着・古布)や屑繊維を扱う故繊維業者から始まりました。当時はもちろんペットボトルもアルミ缶もありません。その意味で、日本のリサイクルは近代社会の幕開けと同時に故繊維から始まったといっても過言ではありません。ですから、故繊維業界の歴史を紐解くことは、すなわち日本のリサイクルの歴史をたどることにもなるのです。意外と知られていない日本のリサイクルの歴史、リサイクルは最近のブームだと思っていた方、これから一緒に故繊維の歴史について見ていきましょう!

 

1.近代産業の発展と故繊維業界の成立

ボロを原料にスタートした製紙工業

 ボロ、すなわち使用済みの衣類や布類、は縫い物用として、江戸時代にはすでに売買されていたようです。しかし、当時ボロの回収を専業とする人はまだいなかったようです。ボロを専門に扱う仕事が成立するのは明治以降、近代産業の発展にともなって量的にまとまった需要が生まれてからのことです。その最初の需要は製紙工業でした。

 

 明治初年に日本に初めて設立された製紙工場は木綿や麻のボロを製紙に使いました。したがって、当初の製紙工場はボロを集めやすい東京や京阪神に集中していました。やがて、わらパルプの混用が始まると、製紙工場は地方に移転し始め、明治22年には、最初の国産木材パルプ工場が静岡県に建設されます。それでも明治36年ごろの資料によれば、ボロパルプは全体の20.5%を占めていたようです。

 

ウエスのはじまり

 工場の油ふきなどに使われる布切れをウエスといいます。このウエスは英語の「Waste」からきた言葉です。幕末にはすでに洋式軍艦などが導入されていますから、すでにウエスは使われていたのでしょうが、ある程度まとまった需要が起こるのは明治10年代の半ば頃です。日本郵船や大阪郵船など、船舶会社の需要に始まり、やがてわが国の工業発展と並行してウエスの需要は伸びてゆきます。さらに、日清・日露戦争がその需要に拍車をかけます。ウエスの原料は使い古された木綿布などです。洗いざらしの木綿は油分が抜け吸収力が良いからです。ところが、日露戦争の時などウエスの需要が追いつかず、新しい木綿布を裁断してウエスにするということも行われたようです。

 

 今では日本のウエスは広く世界に普及していますが、その輸出がいつ頃始まったのか、正確なことはわかりません。少なくとも明治末年には、アメリカに向けて輸出されたと言われています。

 

 輸出が本格化するのは、大正時代に入って第一次世界大戦後のことです。欧州を主戦場とする大戦により日本は戦争景気に沸きました。ボロ業界も大いに活況を呈したわけですが、戦争が終わると一転して不況が訪れます。これを機に、余ったウエスを海外に輸出しようとする動きが活発化したのです。昭和に入ると、ボロは一躍輸出商品の花形となり、ウエスは製紙原料と並んで、ボロ業界の主力商品となりました。

 

反毛のはじまり

 明治の始まりとともに近代的繊維工業が起こります。イギリスの産業革命が毛織物、綿織物から始まったように、当時の工業の花形は繊維工業だったのです。

 

 製紙工業と異なり、繊維工業はまず国産の技術がリードします。明治8年、長野県の僧、臥雲辰致が独自の技術で綿紡績機を開発します。これは紡機を回すとガラガラと音がしたことから、「ガラ紡」と呼ばれました。小型の機械ではありましたが、それまでの糸を手で紡いでいた時代に比べ生産性を数十倍から百倍も高めた当時画期的なものでした。それ以前にも慶応三年に島津藩が洋式紡績工場を建設したのを始め、明治5年には官営富岡製糸工場が開業するなど、西洋の技術も導入されてはいましたが、「ガラ紡」は一人で扱える小型のものであったことから、伝統的な綿糸の産地にたちまち普及していったのです。しかし、明治20年ごろになると西洋式紡績工場も軌道に乗り、両者のシェアは逆転します。それでも当時のガラ紡は、地場産業として立派に生き残ります。大正時代には、ボロを反毛(元の綿状に戻すこと)したものを原料に、足袋底や帆布、じゅうたんに用いる緯糸などが生産されるようになります。

 

 ところで、この反毛ですが、反毛の始まりは木綿よりも毛織物の方が先で、明治37年のことでした。毛織物の需要はまず洋式の軍服に始まり、羅卒(警察官)、郵便夫、鉄道員の制服、官吏(役人)の制服など官需が先行しました。ところが、毛織物の原料である羊毛は国産化にことごとく失敗し、海外に依存せざるを得ませんでした。そのため、毛織物は貴重で、毛ボロから糸を再生する技術が急がれたものと思われます。毛ボロが製糸工場の原料になったわけで、ボロ業界はガラ紡原料とあわせて、製糸工場に対しても原料の供給源となっていったのです。

 

再生資源業界の成立と発展

 はじめにも申し上げましたように、屑物や古着、古道具などを扱う業者は江戸時代から大勢いました。しかし、今日のように、工場に原料を供給するいわゆる「再生資源業界」が成立するのは明治の中ごろから大正時代にかけてのことです。そして、その再生資源業をまずリードしたのがボロでした。これまでお話してきましたように、製紙原料、製糸原料、そして資材としてのウエスという三本柱ができ、業界らしきものが形成されていったのです。これにともなって、ボロの選分業者、洗濯業者、ウエスをカットする職人などさまざまな仕事が登場しました。

 

 昭和初期にウエスが日本の主要輸出商品に成長したことはお話しましたが、昭和10年ごろには、ウエスは輸出品目の第十位ぐらいに成長していたようです。主な輸出先は、世界一の工業国アメリカでした。しかしそれも長くは続きません。昭和12年に日中戦争が始まり、だんだん時局が厳しくなると、資源を扱う故繊維業界は当然のように軍事体制の一翼に組み入れられていくことになります。それでは次に、この昭和初期から終戦までをもう少し詳しく見ていきましょう。

 

2.戦時統制経済下の故繊維業界 

軍需景気で活況を呈するが

 昭和2年の金融恐慌、続く昭和4年の世界恐慌では、故繊維業界も他の産業と同様、物が全く動かないという深刻な状況に陥りました。しかし、昭和6年に満州事変が起こると、軍需を受けてウエスが飛ぶように売れ出し、一転して故繊維業界は活況を呈します。ガラ紡原料の需要も増え始めました。軍艦などの油拭きに使われるウエスは当然軍需品として需要が伸びるわけですが、それだけではありません。綿ボロはセルロイド原料や火薬の原料になりましたし、また、軍服やテントや毛布の需要が増えれば、その分ボロの相場も押し上げることになります。

 

 しかし、その後、日中戦争は泥沼化の様相を呈し、次第に物資が不足するようになります。日中戦争の始まりは昭和12年の7月ですが、この年の12月には早くも綿製品にスフを30%混入することが法的に義務付けられます。物資統制の始まりです。

 

 物資統制はやがて国民の生活必需品である衣類にも及び、昭和13年4月、国家総動員法が公布され、6月29日にはついに綿製品の国内向け製造販売が禁止されます。こうなると、手持ちの衣類を大切に使うか、あるいはリサイクルするしかありません。その上、商工省の見解によると綿製品の禁止措置はバージン原料である綿花を原料とする物とする、とされていたために、これまで洋式に押されっぱなしだったガラ紡が再び脚光を浴びるようになるのです。ガラ紡はボロを反毛にして使用するわけですから、法律には抵触しないというわけです。また、繊維工業はやがて軍需を除いて不要不急の業種ということになり、多くの工場で洋式の機械がスクラップにされます。したがって、設備の面でも民需に応じられるのはガラ紡だけとなったのです。しかし、太平洋戦争に突入すると、そのボロでさえも不足するようになってしまいます。

 

 国家総動員法に基づく物資動員計画は、国内のあらゆる物資を国が掌握して、それを戦争に使おうというものでした。このため、昭和13年にまず商工省の指示で「廃品回収懇談会」というのが設けられます。これまで、この業界を取り締まっていた国が一転して業界の把握に乗り出したのです。昭和14年になると、「活かせ廃品、興亜の資源」といった官製のスローガンが見られるようになります。ボロ業界はイメージが廃品の盗品とだぶることもあってか、明治以来どちらかというと取締りの対象となる日陰的存在でした。ところが皮肉なことに、取締りの対象だった業界が一転してお国のために奉公することになったのです。

 

 けれども、昭和15年から16年にかけて企業整理が進められ、故繊維を含む屑物業界は商工省直属の統制会社の下に統合され、これに加われなかった問屋や建場は店を閉じざるを得ず、大勢の買出し人なども仕事を失って、軍需工場や戦場に駆り出されていくことになりました。

 

3.戦後の復興と発展

戦禍からの復興

 戦時中、日常の生活物資は、手持ちの物を大事に使うか、あるいは代用品が頼りでした。繊維も先ほど述べたスフ30%混入などは遠い過去の話となり、桑の皮とかおよそ繊維と名のつくものは何でも混入するようになります。毛織物にも犬や牛の毛まで用いられ、羊毛が一割でも入っていれば、立派な毛糸として流通したのです。このように物資が底をついた上に、空襲が追い討ちをかけます。空襲の焼け跡にボロや紙は残りません。

 

 戦後、ボロの買い入れは自由になり、回収したものを統制会社に売る仕事が再開され始めましたが、市中から回収されるボロはとことん使い古されたひどいものばかりだったので、軍需工場や占領軍の払い下げ物資が細々と扱われていたに過ぎません。そこで商工省は昭和22年、戦時中以来の故繊維維持特別回収を実施しました。今度は戦時中と異なり、民需のためのガラ紡原料確保が目的だったわけですが、この回収は全国的におよそ一年がかりで実施され、これを機に戦前の統制時代に入る前の組合が各地で次々に再建され始め、岡崎などのガラ紡産地にもようやく活気が出てきたのです。

 

 昭和25年6月25日、朝鮮の三十八度線で戦火が起こり、アメリカ軍を主力とする国連軍が参戦すると、最も近い日本がその出撃基地および物資の補給基地となります。その結果、いわゆる朝鮮動乱特需が生まれ、屑物業界も沸き立ちました。「金へん、糸へん景気」などと呼ばれ、金属や繊維は軒並み値上がりしたのです。故繊維業界は既に好調だったガラ紡がさらに活気付き、いわゆる「ガチャ万時代」を迎えます。「織機がガチャンと音をたてる度に一万円稼ぐんだ」という意味です。

 

 ところが、昭和28年7月に朝鮮休戦協定が調印されると、一転して大不況になり、高値を追って在庫を積み増ししていた業者は苦境に陥り、ある者は倒産してしまいました。

 

繊維工業の隆盛

 朝鮮動乱特需を第一のピークに、その後の日本経済は好況不況の波を繰り返しながらも発展の道を歩みます。そして世界史上空前の高度経済成長を遂げるのでした。

 

 そんな中で、故繊維の相場は比較的落ち着いた動きで推移します。それは、昭和30年ごろには早くも綿糸や毛糸の生産が戦前の水準に達し、化学繊維が急速に伸び、さらに戦前にはなかった合成繊維の生産が加わって、国内需要は十分に満たされてしまうからです。そうして、繊維工業は後に途上国の追い上げに会うまでは輸出の花形産業として成長していきます。

 

 繊維工業が戦前の水準を上回る発展を遂げると、昭和30年代には造船、鉄鋼、電気、機械、石油化学などの重工業を中心に産業界は設備投資を積極的に行うようになります。昭和31年7月に起きたスエズ動乱がこの活況に拍車をかけ、好景気が訪れます。いわゆる神武景気(昭和29年11月〜33年6月)です。

 

 重化学工業の発展にともなってウエスの需要も伸び、故繊維の価格も上昇しました。そして、故繊維業界では、この間に、従来かみそりで行っていたウエス加工に電動カッターを導入し、選分ラインにはベルトコンベアを導入するなど、工程の近代化が図られました。

 

 一方、ウエスの海外輸出も昭和27年ごろには再開されました。アメリカが日本産の良質な綿ボロを欲しがっていたためです。輸出高は金額ベースで昭和29年には早くも1億円を突破し、以後昭和35年10億円、昭和40年20億円、と昭和48年に第一次オイルショックが起こるまで順調に伸びていきました。このように、故繊維業界も繊維産業をはじめ、鉄鋼、造船、機械、自動車など日本の高度成長をリードした産業と共に発展の道をたどるのです。

 

4.高度成長と再生資源業界の変貌

伝統的回収システムの崩壊

 昭和29年の秋、東京や大阪のいくつかの学校で廃品の「学校回収」が行われました。今日行われている「集団回収」と似ていますが、これは児童に家庭から古新聞や古雑誌、ボロ、空き瓶、鉄くずなどを持ってきてもらい、それを売却して学校の諸経費に当てようというものでした。

 

 今日ならば学校の集団回収に文句をいう人はいないでしょうが、当時は買出人や建場(収集人から再生資源を集荷する業者)関係者の反発を招きました。当時はまだ都内だけで買出人と収集人合わせて二万人近い人が屑物を集めて生活していましたから、それなりに抵抗もあったわけです。しかし、こうした今からではちょっと考えにくい問題も、やがて物が豊富に出回る時代になると、自然に消滅していきます。日本は歴史を通じて、常に物の足りない時代であったのですが、高度経済成長を遂げたことにより、初めて「物が余る」という時代に突入したのです。

 

 「くず屋」と呼ばれた資源回収業者は、資源を回収しても生活できない、という事態に直面しました。東京都内のデータによると、わが国の経済発展とは裏腹に、屑物の買出人や収集人の数は昭和27年をピークに減少の一途をたどります。商売として成り立たなくなったこともありますが、後継者の問題もあったようです。こうした動きに拍車をかけたのが昭和39年に開催された東京オリンピックです。この年には都内だけで収集人が一度に2000人も減っています。これは、東京オリンピックを控え、都内からゴミ箱が一斉に撤去されたためです。

 

 東京都のごみ収集は、当時は「厨芥」と「雑芥」の二分別で行われていました。「厨芥」とは台所の生ごみのことで、「手車」という大八車に木枠を取り付けたような車が回収します。「雑芥」は紙屑や木屑、ボロ、空き缶、ガラスなど、生ごみ以外のごみを言います。これは家の外の道端に設置したゴミ箱に捨てます。これを荷車やトラックに積んで回収していたのです。お金を払って資源を回収する買出人に対して、道端からごみを拾い集める業者を「ばた屋」とか「拾い屋」と言いました。彼らにとっては文字通り道端のゴミ箱が大切な生活源だったのですが、これが東京オリンピックで景観を損なうということで一斉に撤去されてしまったことにより、大勢の収集人が廃業に追い込まれたのでした。いずれにしても、物が余るようになりつつあった時代ですから、遅かれ早かれ商売替えせざるを得なかったのかもしれません。

 

 東京オリンピックを機に、ゴミ箱が一斉撤去されたことにより、ゴミ収集は今日行われている「ステーション方式」に変わります。これは業者が回収にくるのを待たなくても良い、ということで、当初から好評でした。しかし、こうしたごみ収集の近代化が、一方では何でも気軽に捨てるという習慣を助長したということもいえるのかもしれません。

 いずれにせよ、時代の流れとはいえ、江戸時代から続いた町のくず屋さんという生業はこうして衰退してゆき、屑物が建場に集まり、選分され、問屋を通して工場に送られるという伝統的な資源回収システムは昭和30年から40年の初めごろにほとんど崩壊してしまったのです。 

 

「ちり紙交換」の登場と故繊維業界

 高度経済成長により、私たちの暮らしは豊かになりました。所得が上がる一方で、生産方式の合理化、技術革新、また海外から原料が安価に入手できるようになったことにより、工業製品の値段は逆に下がったからでしょう。もはや再生資源の値段が上がることはなく、再生資源業界としては、その分を量で対処するしかありませんでした。

 

 経済発展にともなって、印刷会社や製缶工場の裁断屑、縫製工場の裁断屑、鉄工所の金属屑などが大量に発生するようになります。また、流通業ではそれまでの木箱がダンボールに変わり、その屑がスーパーなどから大量に発生するようになります。買出人や収集人が減り、屑物の集まらなくなった建場にとって、唯一の生き残りの道がこうした資源の回収を担う坪上業者になることでした。しかし、人件費が上がったため、従来のような選分といった手間のかかる作業はやってられません。こうして、古紙だけ、鉄屑だけ、というように回収の専門化が進んでいきました。

 

 鉄やガラスなどは工場発生の屑が大量にあり、また、バージン原料も安くなったために、家庭から出る空き缶や割れた瓶などは誰も回収しようとはしなくなりました。一方、古紙業界は家庭から大量の新聞・雑誌が発生することに目をつけ、昭和39年に「ちり紙交換」を始めます。この「ちり紙交換」は、昭和40年には全国に広がりました。

 

 ところで、伝統的回収システムの崩壊で最も打撃を受けたのは、おそらく故繊維業界ではないかと思われます。すでに申し上げましたとおり、故繊維の主力であるウエスは洗いざらしの布でなければ生産できないからです。いくら縫製工場が発展し、裁断屑が大量に発生しても、家庭から回収するボロの代わりにはなりません。そして一方、家庭から発生するボロは古紙に比べればきわめて少量ですから、独自に回収車をだしても採算が取れません。そんな中登場した「ちり紙交換」は、故繊維業界にとって「渡りに舟」だったわけです。 

 

繊維製品多様化への対応

 鉄や紙は回収して溶かせばまた製品になって売れてゆきます。経済が発展し、産業界は設備の拡大を続けていましたから、この種の再生資源業界は、値段が上がらなくても量を扱うことによって対処できました。

 

 これに対し、故繊維業界はやや事情が異なります。それは商売の元になる繊維の種類が急激に増えたためです。

 

 戦前は、回収されてくるボロは綿か毛織物、それにせいぜい麻と絹でした。ところが戦後、昭和30年代以降になると、化学繊維や合成繊維が急速に出回り始め、数年の間をおいて、ボロとしても大量に回収されるようになりました。さらに、ナイロン混紡、アクリル混紡といった具合に、素材を組み合わせた毛織物も回収されてきます。それらの選分は大変手間のかかる仕事ですから、故繊維は単純に量を扱えば儲かるという話にはならなかったのです。

 

 先ほども述べましたように、故繊維の主力であるウエスは、家庭から綿ボロを回収しなくてはならないわけですが、日本中の家庭から綿ボロだけを選びだして回収するというわけにはいきません。結局、「ボロ」という名で一括して回収し、選分し、綿以外の製品にいかに高い付加価値をつけるか、が頭の痛い問題となったのです。

 

 さて、故繊維業界において、ウエスに次ぐ大きな需要は反毛ですが、これも繊維製品が市中に大量に出回るようになると、品質の均一なバージン原料が好まれるようになり、ボロは使われなくなりました。そこで、反毛は特紡用といって、もっぱら軍手、モップ、カーペットなどの太糸に再生されるようになりました。こうした消耗品にはまだボロの需要があったのです。ところが、特紡はウエスと違って、工場から大量に出る繊維屑でもよいわけですから、その分値段も大変低くなってしまいました。このほか、ボロの反毛は車の内装材やフェルト、椅子やぬいぐるみの中入綿などにも使われ、これには合成繊維も使用されます。

 

 このほか、故繊維の再生方法として、溶解して使用する方法があります。そもそも故繊維は溶解して製紙原料として使用するところから始まったことはすでにお話したとおりです。その需要はなくなりましたが、工場発生の純綿のボロはその後も若干ではありますが、絶縁紙の材料などに使用されました。一方、合成繊維などのボロを溶解したものは、「ルーフィング」という、建築のときにモルタルを塗る前に貼る黒い紙やスレートタイルの補強材に使用されました。

 

 しかし、再生資源として再利用できるか、ということと再生品で採算がとれるか、ということは全く話が別です。繊維製品は次第に安価な使い捨ての時代に入り、売れないボロが増加し、それらは結局ごみにするしかなくなりました。昭和40年ごろ、新たな用途を探る研究開発も行われましたが、うまくいきませんでした。

 

中古衣料輸出のはじまり

 一方、わが国の衣生活がますます豊かになると、それにつれてまだ着られる衣服がボロとして大量に回収されるようになりました。女性用の肌着や、クリーニング店の袋に入ったままの背広、レースのカーテンなどですが、これらはウエスにも反毛原料にもなりません。つまりゴミですが、こうしたボロでないボロがやがて中古衣料として東南アジアに向けて売れるようになりました。

 

 こうした海外市場は、ウエスを扱っていたバイヤーが開拓しました。昭和45年に開催された大阪万博の折に来日したインドのバイヤーが注目したという話もあります。そうしたルートにはそれまでアメリカの中古衣料が出回っていたのですが、日本人の方が体型が似ているので、次第に日本からの衣類が大量に出回るようになったのです。

 

 戦前にも「青島貿易」といって、中古呉服の輸出が行われていたのですが、これは満州など大陸在住の日本人に向け、現地では手に入りにくい着物を供給するのが目的で、戦後はなくなっていました。しかし、こうして再び中古衣料の輸出が故繊維業界の主力の一つとなっていったのです。

 

 こうして、高度経済成長を経て、故繊維業界はその業態を大きく変えました。また、この時期にウエス、反毛、中古衣料という今日の故繊維業界の三本柱が形成されたのです。

 

5.故繊維業界のその後

リサイクル時代の到来

 昭和46年のニクソンショック、それに続く48年のオイルショックにより、日本の高度成長は終わりを告げ、安定成長期に入ります。変動相場制移行に始まる日本の円高は、昭和60年のプラザ合意以降急速に進み、日本を世界一の物価高、人件費高の国に押し上げました。海外から安価な製品が流入するようになり、ちり紙交換などもいつしか姿を消してしまいました。

 

 故繊維業界に目を向けると、ウエスや反毛の大口の需要先であった自動車業界などが積極的に海外移転を進めたことにより、その需要が減り始めます。中古衣料はアジアの経済発展により、唯一順調に成長を続けますが、90年代半ばのアジア経済危機や韓国などの追い上げにより、価格が暴落しています。

 

 高度経済成長のひずみによる公害問題などは60年代から出ていましたが、70年代に入り安定成長期になると、発展の爪跡としての環境問題に関心が高まるようになります。特に国土の狭い我が国では、大量生産・大量消費・大量廃棄の結果として、ゴミ問題が深刻になります。

 

 こうした中で、今ではリサイクルという言葉が一般的にも定着し、ブームのようにもなっています。故繊維業界では、80年代においては「いかに集めるか」が課題でしたが、世間の関心の高まりと共に市民運動や行政回収が広がるにつれ、需要は減少しているにもかかわらず、供給は激増する、という現象が起きています。みなさんも恐らく耳にしたことがあると思いますが、近頃「循環型社会」ということが声高に叫ばれています。にもかかわらず、現実には資源が循環することなく行き詰まりを起こしているのはどうしてなのでしょうか。これまで100年以上の歴史を担ってきた再生資源業界は皮肉なことにリサイクルへの関心の高まりと反比例するかのように、危機的状況に陥っています。そこにはどのような力学が働いているのでしょう?

 

 さて、ここまでで繊維リサイクルの歴史をざっと振り返りました。次の章では、故繊維業界の現在の状況と直面している課題について見ていきましょう。21世紀を迎えた今、本当の循環型社会を建設するにはどうしたらいいのか、それを考えるにはまず、「なぜうまくいっていないのか」を考える必要があります。

 

V.故繊維産業の課題

 

 近年、これまでになくリサイクルに対する関心は高まり、「循環型社会」形成に向けた法制度も次々に施行されています。ところが、「循環型社会」に最も適合するはずの故繊維再生業界は、世間の関心の高まりとは裏腹に未曾有の危機に直面しています。

 

 なぜこのようなことが起きるのでしょう。一つには、これまで見てきた繊維リサイクルの歴史からもお分かりのように、繊維という素材が抱える独特の難しさがあるでしょう。しかし、最も大きな問題は、従来型の産業構造と、目指そうとする「循環型社会」とのギャップ、またそのギャップを埋めるための方策の不在にあるといえます。

 

 ある社会システムが別のシステムに移行しようとするとき、移行にかかる費用(摩擦といってもいいかもしれません)が発生するのはある程度やむをえないことであります。かといって、私たちが望む社会が、一般に信じられているように、市場の競争の中から自然発生的に現れるわけではないのです。なぜなら、今日の市場は廃棄物の発生をメカニズムの変数の対象外、いわゆる外部不経済とすることを前提としているためです。「循環型社会」とはこれら外部不経済とされてきたものを内部化し、新たな市場システムを目指す試みに他ならないのです。

 

 さて、前置きが長くなりました。この章では、最近マスコミでも取り上げられることが多くなった、故繊維業界が抱えるさまざまな課題について整理していきたいと思います。

 

1.発生および回収段階での課題

 

 故繊維業界の課題は、大きく二つに分けられます。一つは、故繊維の供給が急増している問題。もう一つは、供給の増加とは裏腹に出口としての需要が減ってきている問題です。製造業とは違い、需要に応じて生産調整をするというわけにはいかない業界ですから、需要と供給が全く相反した動きを示していることにより、故繊維業界を急速に窮地に追いやっているわけです。

 

 ここでは、まず供給面の課題、すなわち故繊維が発生して回収する段階でどのような問題が起きているのかをまとめてみました。

 

行政回収ルートの増加

 最近十年、容器包装、古紙に次ぐ収集品目として、自治体が衣類を分別収集の対象とするケースが増えてきています。しかし、行政回収ルートの場合、市場メカニズムが機能しないため、需要と関係なく供給が増加し、需給バランスが崩れる、また、分別収集の場合、排出時の別意識が低くなりがちで、回収物に不能物・汚れ物などの混入が多くなるなどの問題が起きています。空き缶やビンと違い、衣料は洗えば済むという物ではなく、濡れても、汚れても使い物にならなくなってしまうことがあるのです。

 

素材そのものに不能物になりやすい製品が増えている

 従来のどの用途にも売りにくい合成繊維を使用したものや、混紡製品が増え、ごみとして処分せざるをえないボロが増えています。

 

背広・スーツに偏った下取りセールが需給バランスを崩している

 ご存知のように、最近、織布メーカーや衣料量販店による背広・スーツの「下取りセール」が広がっています。しかし、数多い衣料の中で、背広やスーツのみに偏った新しい回収ルートは、一部の反毛用途や中古背広輸出に供給過剰・価格急落をもたらし、従来の流通構造や用途別の需給バランスを破壊しています。

 この「下取りセール」は一見リサイクルのように見えますが、果たしてリサイクルと言えるのでしょうか。しかし、本来「拡大生産者責任」ということを考えた場合、メーカーや販売者のリサイクルとは、集めたものを需給バランスを無視して再生業者に横流しすることではなく、使用済みの衣料をどうするか、集めたものをどうするかというところにあるはずです。

 

 似たような例として、回収された使用済みPETボトルで作った衣料品もそうです。PETボトルから衣料品を作るのは確かに良いことですが、PETボトルをどうするかはPETボトルの業界のテーマであって、衣料品のメーカーは、作った衣料品、使われた後の衣料品をどうするかが主要なテーマであるはずです。リサイクルが注目されているから、企業イメージが良くなるから、という理由で、「リサイクル」の名を冠した販売促進が本当にリサイクルと呼べるのか、注意が必要です。

 

2.需要面の課題

 

 次に、需要面の課題についてまとめてみます。故繊維の用途は主に、中古衣料、ウエス、反毛の三つに分けられるということはすでにお話しました。故繊維の出口となるこれら三つの市場に、今どのような問題が起きているのでしょうか。それぞれの用途別に見ていきたいと思います。

 

●中古衣料●

 中古衣料は量こそ過去十年で1.5倍の成長をしていますが、さまざまな要因により価格は半値以下に下がってしまいました。中古衣料市場の抱える問題について見ていきましょう。

 

主な仕向け地はアジアに限られる

 地域上の特徴(アフリカの決済メカニズムの不安定、中南米でのビジネスモラル不安、ロシア・東欧の体型相違等)および物流上の立地から日本の主な輸出先はアジアに限られています。アジア市場のほとんどは日本より南方に位置するため、毛織物等の冬物衣料は値がつきにくく、その結果、冬物衣料が行き場を失い、余ってしまうということになりがちです。

 

 また、衣類は生活必需品であると共に、わが国のような先進国にあっては、奢侈品、すなわちファッションであるという点も見逃せません。つまり、日本では衣類に対し、実用としての価値よりも、ブランドとしての価値に値段がつけられています。しかし、中古衣料を必要としている多くの国の人々にとって、衣類はあくまで生命を守る必需品なのであり、ファッションを楽しむところまでいたっていないのが現状です。ここに価値の不一致が生じます。私たちはともすると自分たちに価値のあるものは海外の人々にも喜ばれるもの、と思ってしまいがちですが、そうではないのです。実際、東南アジアでは、どのような中古衣料に良い値がついているのでしょうか。一例を挙げてみますと、

−ハンカチ

−ブラジャー、パンティー、ガードルなど

−バスタオル、スポーツタオルなど

−野球帽

などです。意外な結果に驚かれた方もいらっしゃるかと思います。ご覧のように私たちの感覚ではどちらかというと「汚い」もの、使用済みとして出すには抵抗のあるものが、アジアでは実用的価値のあるものとして重宝されているのです。その結果、彼らが必要としているものほど、日本ではどうも出すのが恥ずかしい、ということで集まりにくいという結果になっています。もし、このページをご覧になった皆さんがこのことを覚えておいていただければ、もっとアジアの人々にも喜ばれる共存共栄のリサイクルが望めるのではないでしょうか。

 

中国・インドの輸入規制

 アジア市場は中国・インドという世界第一位、二位の人口を抱える圧倒的に大きな市場を内含しています。一見すると、とりわけ日本は中国の近隣に位置し、まことに中古衣料にとって有利なように思われますが、この最も購買力のあると思われる二国が中古衣料に対し、公正な理由のない輸入規制を敷いています。このことが、中古衣料の出口をかなり狭めていると言えます。

 

カントリーリスクが大きい

 中古衣料市場のほとんどは後進国であるため、取引に不安定な要素が多いのも事実です。近年のアジア通貨危機による輸出先国全般の景気低迷、価格下落、パキスタンの核実験に対する経済制裁による同国の輸入数量の減少などがその典型例と言えます。

 

国際的な競争が激化

 アジア通貨危機以降、かつては日本の中古衣料の輸入国であった韓国や台湾が輸出国に転じ、価格攻勢を強めています。このことが日本の業者の輸出価格低迷を加速することになりました。

 

●ウエス●

 前章の「繊維リサイクルの歴史」でもお話しましたように、明治以来長らく故繊維業界の主力商品であったウエスは、我が国の製造業の海外移転などにより、過去20年構造的な需要縮小がつづいています。資源の再使用という点から見れば、いかにも理に適った商品と思えるウエスですが、どうして需要が先細りしているのでしょうか。

 

ウエスを支えてきた日本の工業の構造的変化

 過去二十年の間に、機械工業の不振、ファクトリーオートメーション化、工場の海外移転など、日本の工業そのものが構造的に変化し、国内におけるウエス需要の絶対量そのものが減少しています。

 

代替品の登場

 最近、ISO14000など環境問題への対応を名分とし、大手メーカーによるレンタルウエス、紙ウエスといった代替財への切り替えで従来のウエスの需要減少がさらに加速されています。

実際は使用後のウエス処分をアウトソーシングしているに過ぎないのですが、ISO14000、すなわち環境マネジメントシステム導入に際し、工場ゼロエミッションの目標化、ということでレンタルウエスなどの需要が伸びたことなどが原因として考えられます。

 いずれにせよ、これによりウエス製造業者では大口ユーザーを失う深刻なケースが出てきています。

 

輸入原料の流入と国産原料の不能物化

 過去15年の間に円高が進み、その結果安価な輸入ウエス原料が流入することで、国産ウエス原料が供給過剰となり、ごみとしての処理コスト負担が増大しています。

 

●反毛●

 反毛は、再使用としての用をなさない繊維屑などを元の原料に戻し、再商品化する、故繊維業界では「リサイクル」の代表格ですが、過去十年で量、価格共に半分に下落しています。  この反毛市場ではどのようなことが起きているのでしょう。

 

フェルト用途(反毛一次用途)でのプラスチック系素材への代替

 自動車業界を中心とする客先の品質要求アップにつれ、反毛原料主体のフェルトでは要求を満たせなくなる傾向が見られます。また、フェルトの素材も毛や綿の故繊維から製造する反毛から、再生ポリエステルなどに変化してきています。

 

作業用手袋(反毛二次用途)分野における輸入の増加

 特紡糸(反毛一次用途)の最大用途である作業用手袋は国内消費の約60%以上を海外の安価な輸入製品が占め、反毛を原料とする国産品はそのシェアを失いつつあります。

 

ボロ選別業者における反毛用途向け事業の採算割れ

 反毛の生産地である愛知県から遠い中国・四国以西はもとより、関東・関西地区のボロ選別業者でも物流費をまかない切れず、反毛用途むけが事業として成り立たなくなってきています。その結果、各地で回収はしたものの、不能物として処理せざるをえない反毛原料用途のボロが増加しています。

 

●全体●

 ここまでは、各商品分野別に故繊維業界の直面する課題について説明してきました。最後に、業界全体として、なぜ繊維の分野では循環型社会形成の理想と裏腹に再資源化の取り組みが危機的状況に瀕しているのか、その原因を探ってみたいと思います。

 

国内需要の縮小と、輸出価格低迷の複合的危機

 これまでも述べましたように、従来故繊維の再生市場を支えてきたウエス、反毛、中古衣料の三大用途の内、国内需要分野として故繊維の総需要を底支えしてきたウエス、反毛はここ十年、量的に縮小し、唯一の成長分野であった中古衣料もアジア通貨危機以来、価格低迷により事業採算を悪化させています。こうした需要の落ち込みは、当然のことながら故繊維の供給過剰を生み、その回収ルートの存立自体を脅かしています。

 

繊維動脈産業による実体的な故繊維リサイクルの不在

 紙やガラス、金属などと比べると、繊維の場合、その発生源である紡績・織布・アパレルメーカーによる再生資源(故繊維)の利用はほとんど行われていません。単一素材製品などの自社回収の取り組みも行われてはいますが、今のところモデル事業としての域をでていません。

 

 ごみが出てしまったからどう減らすか、ではなく、ごみをいかに出ないようにするか。大量生産、大量消費、大量廃棄の構造そのものを見直さなければ、結局、リサイクルは一過性のブームに終わり、本当のリサイクルとは言えません。

 

 このようにして見ると、今故繊維業界が直面している多くの課題は、まさに「大量生産・大量消費・大量廃棄」に慣れ親しんだ社会が循環型社会に移行するにあたって突き当たったさまざまな矛盾を典型的に表したものと言えます。

 

 しかしながら、我々は現行の社会システムのままであり続けることはもはや許されません。昨今騒がれている京都議定書を巡る議論のように、循環型社会システムが目先の損得に適うか否かを問うのではなく、循環型社会実現にかかる移行費用をできる限り少なくし、かつ実現可能なものとしてプロセスを構築していくかを真剣に考えなければならないのです。

 

 私たちは、繊維を通じて、実現可能な循環型社会とはいかなるものか、そのイメージと実現プロセスを考えてきました。現在抱えている課題を取り上げ、分析することはもちろん重要です。しかし、明日の社会を見据えて課題を克服し、私たちの向かうべき道筋を明らかにしていくことはなお一層大切なことだと信じるからです。

 

 次の章では、課題克服のための条件と、その先に描く繊維リサイクルの姿について私たちの考えを述べていきたいと思います。そこに、我が国が向かう新たな社会へのヒントが見えてくるのではないでしょうか。

 

W.繊維リサイクルの将来

 

真の循環型社会形成にむけて

 前の章では故繊維業界が直面するさまざまな課題について見てきました。何かと暗い話題ばかりでした。確かに非常な困難に直面してはいますが、私たちはこの仕事に社会的使命感を持っています。私たち人類がこの先繁栄を保ちつつ、存続していくためには循環型社会の形成が不可欠です。

 

 しかし、昨今のリサイクル事情を見ると、必ずしも循環型社会形成に適ったことばかりが行われているとはいえません。大量生産・大量消費・大量廃棄の従来型社会が生み出した大量のごみをただ回収して再び大量生産・大量消費・大量廃棄のレールに投入するのでは、本当のリサイクルとはいえないのです。

 

 まず、ごみを出さないこと、次に製品は使える限り再使用すること、そしてこれ以上使えなくなった製品を資源として帰すこと。私たちひとりひとりにこうした取り組みなくしては本当の循環型社会の到来はありえないのだ、ということをまさに信念として、私たちは故繊維のリサイクルに取り組んで参りました。この信念が社会的に認知されつつある今、私たちは現状の困難を乗り越え、100年を越える歴史の中で培ってきたノウハウを社会に還元しなければならないのではないか、と考えているのです。

 

 この章では、故繊維の視点からリサイクルと取り巻くさまざまな動向の変化を分析し、その結果、真の循環型社会実現のため、繊維リサイクルのこれからのあるべき姿について考えていきたいと思います。

 

1.故繊維製品市場の動向

 

 21世紀の日本は急速な高齢化社会を迎えると言われています。日本の人口は21世紀の半ば頃ピークを迎え、その後は減少していくと予想されています。一方で、東南アジアの人口は、将来的にも増加傾向にあります。このことは、故繊維の発生人口が相対的に減少し、中古衣料の消費人口は増加するということを意味します。しかし、急速な高齢化はスーツや若者向けの需要を減少させ、高齢者向けにアパレル業界の高付加価値戦略に沿った素材繊維の構成変化が考えられることから、従来の用途には使いにくい故繊維がさらに発生していくと思われます。

 

 また、すでにご存知のように、天然素材のニット系を中心に中国製品等安価な海外加工製品が流入し、繊維製品の消耗材化、ライフサイクルの短縮化が進んでいます。ライフサイクルが短くなり、価格が安くなる動きが加速することで、循環型社会とは裏腹な、大量生産・大量消費・大量廃棄の傾向が、繊維業界ではむしろ加速されているといえます。

 

 こうしてみる限り、このままでは故繊維業界を取り巻く環境はますます厳しくなってきているといえます。市場経済のながれは、循環型社会と逆行しているようにも見えます。

 

 それでも、ご存知のように、家電・空き缶などでは既に循環型社会形成に向けたさまざまな法律が施行されて、曲がりなりにも循環型社会を目指して前進しようとはしているようです。これら法制度の方向性と故繊維業界のあり方について、次に見ていきましょう。

 

2.循環型社会形成に向けた法制度の動向

 

 2000年5月、循環型社会の憲法、とも言うべき「循環型社会形成促進基本法」が施行されました。この法律では、ドイツの「循環経済法」にならって、初めて生産者に製品の使用後にも一定の責任を負わせる「拡大生産者責任」の考え方が盛り込まれました。繊維業界に照らしてみると、この法律により、アパレルや繊維動脈産業のリサイクル責任が明確化されることになり、繊維製品についてもリサイクル法制定に向けた法的地ならしが行われたということになります。

 

 また、この法律において、発生抑制>再使用>マテリアルリサイクル>エネルギーリサイクル>焼却の、リサイクルに関する優先順位付けが明確にされました。故繊維業界はこれまで見てきたように、伝統的に発生した故繊維を中古衣料などに「再使用」し、それでは使えない繊維屑などを軍手や断熱材の原料に「マテリアルリサイクル」してきました。この法律により、私たちの取り組んできたリサイクルのあり方が法的には優位に位置付けられたということになります。

 

 また、2001年4月には、「資源の有効な利用の促進に関する法律」が改正され(一般に、「改正リサイクル法」といいます)、一般廃棄物に占める組成割合の多い順から個別リサイクル法の対象となることが経済産業省側の考えとして明示されました。リサイクルでみなさんがご存知のアルミ缶の消費量は年間50〜70万トン程度と言われています。これに対して、繊維製品はどのくらい消費されているかご存知でしょうか?実は、二次繊維製品(衣類など)で何と年間220万トンも消費されているのです。しかも、そのうちリサイクルとして回収されている量はわずかに20万トン程度。繊維製品はその9割以上がごみとして燃やされているのが現状なのです。経済産業省は2001年を「繊維リサイクル元年」と位置付け、利用率目標設定をともなう繊維リサイクル法制定が繊維産業行政のスケジュールにのぼることになりました。これは、故繊維業界において画期的な出来事と言えます。

 

 こうした動きの中で、繊維製品においても、これまでの機能性や風合いに偏った複合材や混紡をあらため、再生用途に適したリサイクルマークやタグ導入の可能性が出てきました。逆の見方をすれば、家電などにならって製造・販売業者による自主回収が今後奨励されるようになると、既存の故繊維産業を除外した流通業・アパレル産業による自主回収ルート構築が行われる可能性も出てきたことになります。

 

 同じく4月、「国等による環境物品等の調達の推進等に関する法律」(通称、グリーン購入法)がしこうされました。繊維製品においては、官庁のグリーン購入計画や環境省の外郭団体「グリーン購入ネットワーク」によるガイドライン策定で、作業服が対象となったことで、その方向性に大手民間企業が追従する可能性が強くなりました。ここに故繊維再生品が購入対象品目となる可能性が見えてきそうです。しかし、一方でペットボトル、合成繊維などの再生使用受け皿として繊維製品が選択され、グリーン購入の対象とされるケースが増えてきています。「容器包装リサイクル法」を含む循環型社会関連諸法の影響を受け、出口対策として繊維製品が選択されたわけですが、翻ってこのことが繊維業界においては反毛などの故繊維用途を侵食する結果となっています。

 

 以上のような循環型社会形成に向けた各種法整備の結果、民間企業においても環境マネジメントやグリーン購入に対する関心が今後ますます高まっていくことでしょう。そのような動きは、確かに故繊維利用製品の需要を広げる効果が期待できますが、反面、環境マネジメントによる廃棄物コスト削減志向により、ウエスや反毛製品の代替、アウトソーシング等がいっそう進んでいくということも考えられます。また、空き缶などと同じように、一般家庭の間では、繊維製品についてもある程度の分別回収が進んでいく(繊維製品の分類は空き缶や瓶ほど単純ではありませんが)可能性があります。同様に各自治体の間でも繊維製品を分別回収対象品目とするところが今後いっそう増えていくと思われます。

 

 こうしてみてみると、法制度は徐々に整備されつつあるものの、やはり既存の大量生産・大量消費・大量廃棄の社会システムを前提にしていては、結局のところ、繊維リサイクル品の需要は先細りする一方で、資源の供給はますます過剰になるという悪循環から抜け出せない、ということが言えそうです。こうした悪循環を是正し、循環型社会を形成するには、何よりも社会システムを変える必要があるのです。法律を整備するにしても、何よりもまず私たちがどのような社会を目指すのか、という方向性がもっと明確でなければなりません。

 

 繰り返しになりますが、循環型社会とは自然発生的に形成されるものではありません。それはある意味では、これまでの産業社会のあり方を根底から覆すシステムなのです。ですから、漠然と「循環型社会」ということを唱えるだけでは不十分なのであり、私たちひとりひとりが「循環型社会」とはどういう社会で、何故そうした構造に変えていかなければならないのか、ということを認識しなければなりません。社会システムを見直すからには、現行のシステムで機能するよう形成された複雑な利害関係も見直さなければなりません。当然抵抗が予想されます。だからこそ、今のままではうまくいかないのです。

 

 しかし、目先の利害にとらわれていても、早晩現在のシステムは機能不全に陥ることになります。そうなれば現在の利害も何もありません。それゆえに、この社会に生きるすべての人々が自己の責任と使命を見直し、新たな関係を築くことに同意しなければならないのです。

 

 こうした一連の課題の構図が、繊維リサイクルの将来像を考えるにあたって見えてきます。繊維にかかわるすべての利害関係者、私たちが衣・食・住と無縁ではいられない以上、すべての人がどのような責任と役割を果たしていけば、現在のさまざまな課題を乗越え、本当に機能しうる「循環型社会」に即した繊維リサイクルシステムの青写真を描けるのでしょうか。

 

3.合理的な「繊維リサイクルシステム」のかたち

 

実現可能性のあるシステムを

 先に見た循環型社会形成促進基本法やリサイクル法にもとづき、実現可能な循環型社会を目指すためには、とりわけ繊維製品についてみた場合、何よりもまず「繊維製品は循環資源であり、ごみとして処理してはならない」という原則に立脚した政策が必要です。そのためには、繊維製品についても動脈産業における「拡大生産者責任」を確立しなければなりません。すなわち、輸入者を含むアパレルなどの繊維動脈産業が、不能品となった繊維製品を、発生量に応じて責任を持って資源化し、資源化に要する費用(不能品の処理コスト、再商品化コスト、自治体分別収集の一部コストなど)の一次負担者となる、ということです。

 

 次に、発生抑制>再使用>マテリアルリサイクル>エネルギーリサイクル>焼却の、リサイクルに関する優先順位付けの確立ですが、まず繊維製品の発生抑制については、再生時の用途展開を考慮した製品設計を行うなど、今後の検討が必要でしょう。処理方法ですが、繊維製品については最初に再使用としての中古衣料用途、マテリアルリサイクルとしてのウエス・反毛用途をエネルギーリサイクルや焼却よりも優先する必要があるので、用途市場としての採算性が保てるシステムを目指さなければなりません。また、どうしても不能品が発生してしまうという繊維製品の性質上、再生品を含めた繊維製品全体のリサイクルシステムを考えることも重要です。

 

需給バランスのとれたシステムを

 いくら循環型社会システムと言っても、その根幹はやはり市場経済のシステムですから、需給バランスのとれたシステムでなければ現実的とはいえません。しかしながら、現在の状況は現状の需要量を考慮することなく、ただ「リサイクル」の名の下に故繊維の回収量のみが増大しています。これでは、循環型社会など実現すべくもありません。この問題の大きな原因の一つとして、現在、回収率によってリサイクルの目標設定を定めている点が上げられます。

 

 しかし、本来リサイクルは、資源化されてこそ意味があるのであり、集めただけではリサイクルにはなりません。リサイクルを測る指標としては、具体的な用途を明示した資源としての使用率で目標設定すべきです。使用率を上げるためには、従来の再資源化の用途に加え、繊維動脈産業に対しても再生繊維の使用やエネルギー回収など、何らかの形で故繊維の使用を義務付けていく必要があるでしょう。また、国全体として新用途にむけた技術開発に取り組む必要もあります。

 

 しかし、新技術というものは簡単に生まれるものではありません。繊維製品はその素材も組成も用途も非常に多岐にわたります。再生資源としての活用を考えた場合、現在再資源化しても需要に乏しい、すなわち不能品とならざるを得なくなっているのは一体、どのようなものなのか、まずそれを見極め、そうした分野に資本を投下していかなければ、現実の需要に即した新技術は生まれませんし、ごみも減りません。したがって、繊維製品についてもリサイクルの各手法に応じた分類方法を確立する必要があるでしょう。

 

 現状の供給過剰にも係わらず、わが国の繊維製品のリサイクル率はわずかに10%に過ぎません。一概には言えませんが、ドイツが26%、アメリカが33%と言われる中で、少なくともわが国が循環型社会を目指すのであれば、現在の市場構造のままでは到底実現することなどできない、ということは想像に難くないと思います。

 

 また、繊維製品はアルミニウム缶などと異なり、再生することによる品質劣化が避けられません。したがって、繊維製品のリサイクルについて法制度を整備するにあたっては、品質劣化を前提として、中古衣料などの再使用、ウエス・反毛などのマテリアルリサイクルとともに、燃料としてのエネルギーリサイクルも視野に入れたシステムを考えていく必要があります。資源の性質を考慮せずに「燃やすこと=悪」とする画一的な法制度では実現可能性のある循環型社会は望めません。

 

産業界・消費者・行政の連携

 循環型社会とは、その名の通り資源が「循環」する仕組みでなければなりません。物を動かすにあたって、そこには必ず情報の流れがなければならず、繊維リサイクルに携わる各主体、すなわち繊維動脈産業、故繊維産業、自治体、消費者の情報交流、意識共有が不可欠なものとなります。したがって、各セクターは従来とは違ってお互いに連携を深めていかなければなりません。

 

 具体的には、繊維回収をスムーズにするために、消費者が分類しやすく、かつ資源化に有効な繊維製品の分類を整え、回収するにあたっても製品の汚れや濡れなどを防ぐための方法を考えていく必要があるでしょう。回収ルートについては、公共支出による行政の収集のみに頼るのではなく、すでに機能している故繊維業界や市民団体の回収ルートも併用して多様なルートが活用できます。また、故繊維の需要開拓にあたっては、大企業が主体である動脈産業の技術力、中小主体の故繊維業界の回収・選別・加工のノウハウ、双方の強みを活かしながら新たな社会システムの下での新たな市場を開拓していく必要があります。

 

 強み、という点では、大手メーカーであれば、その資本力と研究開発力で貢献できるでしょう。一方、私たちの故繊維業界はほとんどが中小あるいは零細企業ですが、やはり回収・選別・加工のノウハウで貢献することができます。例えば、回収した古着を海外に輸出する場合を考えてみましょう。最近では、よく善意のボランティア精神で海外に古着を送ることが盛んに行われるようになりましたが、すでに述べましたように、「自分が高い値で買ったものは古着としても価値のあるもの」という感覚からでしょうか、相手の国の人たちにとって本当に必要なものが届けられていない場合があります。例えば、イスラムの女性は地域によって今でも人前で肌をさらすことを嫌いますが、日本から出るスカートはほとんどがミニや膝上のものであったり、灰色を嫌うヒンズー教徒の国にそうした衣類が送られていたりするのです。送っている人たちはあくまで善意なのでしょうが、衣類についていえば、衣類に対する認識の違いや気候風土の違いだけでなく、宗教など生活文化の細かな違いに至るまで考慮して分類し、送ることはやはりノウハウなくしてはなかなか難しいことです。生活必需品、文化の象徴ゆえの問題です。

 

 このように、循環型社会とは、生物の生態系のようにすべての人たちがそれぞれの責任を果たしつつ、お互いに共存共栄の道を歩むことに他ならないのです。

 

X.繊維リサイクルの青写真:"ECOSOPHY MODEL"

 

 ECOLOGYとECONOMY。共に「生態」や「環境」を意味する"ECO"から始まる言葉です。およそ200年前にヨーロッパで始まった近代社会は、自然と対立し、人間社会のために利用することによって未曾有の物質的充足を達成してきました。すなわち、人間社会のECONOMYは、ECOLOGYを犠牲にすることによって発展してきたのです。ところが、ECONOMYに偏重し、ECOLOGYを軽視するあまり、さまざまな環境問題が人間社会に深刻な影を落とすようになったことは、ご存知のとおりです。

 

 かといって、ECOLOGYに偏重し、生活水準を落として自然生活に帰るというのが現実的な解決策とも言えません。生活水準を維持しつつ、経済システムを持続可能たらしめるためには、ECOLOGYとECONOMY、この二つのバランスをいかにとるかが重要になってくるのです。

 

 自然破壊の犠牲の上に成り立ったシステムはもはや「豊かな社会」とは言えなくなっています。私たちが21世紀に持続可能な真に「豊かな社会」を実現するためには、少なくとも物質的には既に満たされた先進国にあっては、私たちひとりひとりがすでに「足る」を知り、今の生活を享受できるのは自然のおかげなのだ、という感謝の気持ちをもって社会システムの変革に取り組まなければなりません。これまで再三にわたって述べてきた「循環型社会」とは、すなわち"ECOLOGY"と"ECONOMY"のバランスをとった「安定した社会」のことなのです。

 

 ECOLOGY偏重でもECONOMY偏重でもない、二つの"ECO"のバランスを取った新しい"ECO"の形を、私たちは「環境(ECO)に対する私たちの理念(PHILOSOPHY)」という意味をこめて、"ECOSOPHY"と名づけました。"ECOSOPHY"の"SOPHY"は、「知」を意味します。つまり「環境に関する知恵」です。21世紀は、人間が自然と共生し、いかに豊かな社会が実現できるかを真剣に考えていくことで成り立つ時代だと思うのです。

 

 私たちは繊維の再生資源化を通じ、一貫してECOLOGYとECONOMYのバランスを目指してきました。私たちの歩んできた道を社会全体が志向するようになりつつ今、現在抱えているさまざまな課題を克服し、「豊かな社会の豊かなリサイクル産業」を目指して、これからの繊維リサイクルの青写真を"ECOSOPHY MODEL"と名づけ、最後に提案したいと思います。

 

 長々とお話してまいりましたが、リサイクルに関心を持っていらっしゃる皆様が「繊維」という素材を通じて、リサイクルについてより一層認識を深めていただけたのであれば、私たちにとってこれ以上の喜びはありません。また何かの機会にもっと皆様とお話ができれば幸いです。

 

お問い合わせは→y.kubota@nakano-inter.co.jpまでお願いします。