「動物愛護」運動の悲しき宿命


Copyright(C)2001 jem4wn

虹線



「動物愛護」運動というのは、他の社会運動とは違う二つの特性を持っています。
そして、この二つの特性が「動物愛護」運動を困難なものにしている原因なのです。


一つ目は、「動物愛護」運動は"死と向き合う重たい運動"であるということです。

運動の対象となる「動物たち」は常に生か死かの境目にいる立場にあります。
かつては、人間社会の社会運動も死と向き合う運動が多かったのですが、アパルトヘイトも廃止された今日、死と向き合う社会運動は少なくなってきています。
しかし、「動物愛護」運動はいつまで経っても命にかかわる運動命を取り扱う重たい運動でしかありません。

これらから、責任感や真剣さ真面目さが要求される運動であるということがわかります。

二つ目の特性は、被害当事者が運動者ではないということです。

黒人解放運動をやっているのは黒人です。
もし、白人だけの黒人解放団体があればどう思いますか?
女性解放運動をやっているのは女性です。
もし、男性だけの女性解放団体があればどう思いますか?
しかし、「動物愛護」運動は違うのです。
映画の『猿の惑星』では猿が自分で解放運動をしていますが、こんなことは現状では到底起こり得ません。
「動物愛護」運動は、"ヒト以外の動物を「助けたい」と称するヒトによる運動"でしか有り得ない運動なのです。

これらから、偽善や欺瞞が発生しやすい運動であるということがわかります。インチキ臭くなるということです。


つまり、「動物愛護」運動とは、

最も真面目さが求められる運動であるにもかかわらず、最も不真面目になりやすい運動

であるといえるのです。

これが、「動物愛護」運動の持つ悲しき宿命です。

だからこそ、「動物愛護」運動には、より厳しい運動モラルが求められるのです。





虹線


更新





mail

目次に戻る