「愛護」と「保護」騒動 その1


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虹線



Q
「動物愛護」と呼ばずに「動物保護」と呼ぶ活動家の人がいますが、どう違うのでしょうか?


A
『地球生物会議(ALIVE)』代表のNさんは、今から約10年ほど前、『動物実験の廃止を求める会(JAVA)』代表時に次のようなことを呼びかけました。

「"動物愛護"とは呼ばずに"動物保護"と呼ぼう!」

そして、マスコミ・出版業界に対し、「自分たちを紹介する時は"動物保護団体"と紹介してくれ」と要求しました。

この考えは瞬く間にエコロジーブーム以降に参入してきた新興団体や活動家の間で広まります。

彼らの何人かが言うには、「自分たちは次元が高い」のだそうです。

一方、これに対し昔から運動をしてきた人たちの中には、「あんなことを言うからまた世間からバカにされるんだ」と言う人がいます。

先般、『動物の保護及び管理に関する法律』が『動物の愛護及び管理に関する法律』に改名されましたが、これに対し、Nさんは「これでは一歩後退だ」と批判しています。

これについて、自民党の法改正担当者は「あいつら、何をわけのわからんことを言ってるんだ?」と首を傾げていたそうです。

別の話ですが、政治学者としておなじみの舛添要一さんは自然保護運動にも関心があり、自らも森林を守る活動をされていますが、従来の"森林保護"という言葉ではなく"森林愛護"という言葉をあえて使っています。


では、Nさんはなぜ"愛護"ではなく"保護"と提唱しているのでしょうか。

Nさんの主張は次のようなものです。

当初:「"愛護"というのは動物を上から見下している言葉だ。だから"保護"だ」

最近:「"愛護"というのは感情的な言葉だ。だから"保護"だ」

一方、自民党の法改正担当者の主張は次のようなものです。

「この法律をさらに強化するために"保護"から"愛護"にした」

※舛添要一さんの主張は次のようなものです。

「従来の"保護"では弱すぎて森林を守れない」


結論から言うと、Nさんは間違っています。

Nさんの言うように、"愛護"が他の動物を上から見下しているのだとしても、だからといって"保護"では同じことではないでしょうか。
私にはなぜ"保護"だと上から見下していることにならないのかさっぱりわかりません。

その間違いを誰かに指摘されたからこそ、最近、こっそりと提唱理由を変更したのだと思います。
しかし、理由を変更したところで、やはり今ひとつ言ってることに意義は少ないと思います。

そもそも、"愛護"と"保護"は、

    愛護(自分のために守るのではなく、相手のために守るというニュアンスが加わる)
     ↑
    保護(対象が生命体であるというニュアンスが加わる)
     ↑
    保存(対象がモノであるというニュアンスがある)

という関係にあるというのが一般的な解釈なのですから。

"愛護"という言葉がいろんな意味で問題があるのは事実です。しかし、それはNさんが指摘しているような点ではなく、本来の意味とは別にその使われ方が原因で汚れてしまっている点が主たる問題なのです。

ですから、汚れていない"保護"という言葉に置き換えることには、Nさんの主張とは別の理由でそれなりのメリットはあります。

しかし、それは所詮一時的な効果に過ぎず、"愛護"がそうであるのと同様に"保護"もやがて汚されていくでしょう。

そうなった時には、本来持っているポテンシャルが"愛護"よりも低いわけですから、逆にデメリットの方が多くなるでしょう。


では、Nさんはなぜこんな間違いをしたのでしょうか。

以下は当方の推測です。

  • 今から15年ほど前に関西で活動しているTさんが、「"愛護"は汚れているので使うべきではない」と提唱したことがありました。
    ただし、この際、Tさんは"救済"、"解放"、"福祉"といった言葉を使うようにと言っていました。
  • 同じ頃、自然保護運動の中で、「"自然保護"ではなく"自然敬慕"と呼ぼう!」という提唱がありました。
    この理由が、実は、「"保護"は人間が上から見下ろしている言葉だから」というものだったのです。
おそらく、この二つの事柄がどこかでごちゃ混ぜになってしまったのだと思われます。
情報というのは人から人へ伝わるうちに劣化したりノイズが混じったりするものです。
Nさんに伝わるまでに既にごちゃ混ぜになっていたのか、それともNさんの頭の中でごちゃ混ぜになったのか、それは今のところ不明です。


その2へ続く



虹線


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