日本の運動に欠けている5つの要素


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日本の運動は欧米の運動と比べていろんなものが欠けていると思いますが、中でも次の5つのものは重要だと思います。


哲学

「哲学」というと、何か日常生活とは縁遠いもので難しいもののように日本では思われていますが、それは全くの間違いです。
また、ソクラテスやプラトンなどの「哲学者」の言説を知ることだと思っている人もいるかも知れませんが、それも間違いです。
そのように感じさせてしまっているのは、日本の「哲学者」を名乗る人たちに大いに責任があると思います。
非日常的な専門用語を使って哲学を語るからそういう間違ったイメージを持たれてしまうのです。

哲学は私たちの生活の身近にあり、切っても切り離せないものです。哲学抜きに人生を終わることはできません。
たとえば、「死刑についてどう思うか?」というのも哲学ですし、人生観や死生観などの様々な価値観も哲学です。
日本人が哲学だと思わずに知らず知らずに行っている作業、それも哲学なのです。
ソクラテスやプラトンの書いたものを読んで覚えることではなく、ソクラテスやプラトンのように考えることが哲学なのです。
がしかし、問題自体はわかりやすくとも、それに答えを出すのは時間がかかるもの、ああでもないこうでもないと考えなければいけないもの、それが哲学というものです。

一般に日本人は哲学能力が弱いとされています。今や世界中で活躍している日本人ですが、「日本のビジネスマンには哲学がない」とよく言われます。
これは哲学することや理性を嫌った戦時中のファシズムの影響が未だに残っているのかも知れませんし、古くは※儒教の影響なのかも知れません。


サイエンス

「サイエンス」とは「科学」のことですが、「科学」というと、「テクノロジー」「技術文明」のことだと思う人もいるでしょうから、ここではあえて「サイエンス」としておきます。
サイエンスとは、言わば、「なぜ、なぜ」と論理的に検証することによって真理を探究しようとする作業のことです。

利根川進さんは「サイエンスというのは明らかに西洋の文化だ」と言っています。
これはどういうことかというと、たとえば、漢方薬などの東洋医学のことを考えてみて下さい。
よく、「中国四千年の歴史」と言われますが、「なぜ、それがその疾病に効くのか」ということについてはほとんど解明されていません。
つまり、「何が何に効くのか効かないのか」については興味があるものの、「なぜ効くのか」については四千年間興味がなかったということなのです。


パースペクティブ

パースペクティブとは遠近法のことですが、ここではもっと広い意味で3次元的な思考の形態を指す言葉として考えて下さい。
言わば、事象と事象がどのようにつながり、どのような位置関係にあるのかを時間的空間的に把握する能力のことです。

国際的に評価の高い日本の浮世絵ですが、何作も見ているうちに西洋人はあるものが共通して欠けていることに気付きました。浮世絵には遠近法がなかったのです。
そこで、「わざとそうしているのかも知れない」と思った彼らは、確認のために日本の絵師たちに遠近を描いてもらうことにしました。すると、なんと日本の絵師たちは遠近を全く描けなかったのです。

なぜ、日本の絵に遠近法がなかったのかはわかりませんが、これは日本人の思考と関係があるのかも知れません。
たとえば、今日でもクレジットカードのしくみがわからず、5%の手数料を上乗せしている店が多くありますし、消費者も何の疑問も感じずに支払ってしまいます。
日本人は3次元的な思考が苦手なのかも知れません。


リアリズム

事実を事実として受け止めることができる姿勢のことです。
精神医学者のリフトンさんによると、ヒトには自分に都合の悪い事実から目を背けたり、見て見ぬふりをする機能が脳に組み込まれているのだそうです。
人生の中でつらい現実に出会った時に見て見ぬふりをすることによって危機を乗り越えるための言わば安全装置のようなもののようです。
また、一説によると、この機能は男性よりも女性の方が強いようです。世の中、男性が支配する男社会であるにもかかわらず、女性の自殺率が男性よりも圧倒的に少ないのはそのためのようです。一般に女性は男性よりも健康に出来ていますが、ここでもそれが当てはまるようです。

しかし、自殺を防ぐためには有効なこの機能も、運動にとっては害毒となってしまいます。
死んでいるのに「死んでいない」と言ったり、その活動で殺されたケースの方が助かったケースよりも多いのに、助かった方ばかりを見て「運動が成功した」と規定したり、失敗や間違いを認めたくないがために強弁をはったりすることはリアリズムに欠けているということになります。
もちろん、当ページで取り扱う「不真面目な活動家」にもリアリズムはありません。彼らは決してリアルに救済を求めているわけではなく、見かけ上助かっているように見えればそれでよいのです。そして、「助けたいと思っている」と称する自分を楽しめればそれで満足なわけです。
また、当ページを「運動の失敗例が書いてある」として「読みたくない」という人もリアリズムに欠けているといえます。


メディアリテラシー


「リテラシー」とは識字能力のことですが、だからといって、「新聞の漢字を読めるか」とか「久米宏の早口が聞き取れるか」といった意味のことを「メディアリテラシー」というのではありません。
「メディアリテラシー」とは報道を読む能力、もっと言えば報道の裏を読む能力、ウソを見破る能力のことです。もっと正確に言えば、「情報に対する主体性」のことです。

よく、「俺は頭がいいからメディアリテラシーがある」と言っている人がいますが、こういう人は全くあてになりません。
報道とは言わば手品のようなものですから、タネや仕掛けを知っていなければ基本的にひっかかるものだと考えるべきでしょう。
しかも、報道は「これは手品です」とは言ってくれません。

世論調査によると、日本人の約7割は報道に疑問を持っていないとのことですし、学校等でもメディアリテラシー教育を行っていません。
しかし、最近、トルシエ監督解任騒動でサッカーファンの間で報道に疑問を持つ人が増えてきたようですので、明るい兆しもあるといえるのかも知れません。


それぞれの詳細については、他の項目で述べていますが、これらは各活動家個人として欠けているというよりも、運動全体として欠けているのです。

このことは、運動人口が少ないこととも関係しているといえます。
個々の活動家がすべての要素を兼ね備えていなくても、それぞれの要素を持った者が集っていれば運動全体として身に付けることができるのですが、そうなるほど運動人口が必要絶対数に足りていないのです。
しかも、これらの要素の中には「動物愛護」運動に欠けているというよりも、日本人に欠けているといえるものもあることから、なかなか深刻な問題といえるのかも知れません。

そして、これらの結果、全体として見た場合、社会性が欠落してしまっています。
つまり、社会との繋がりにおいて「動物愛護」問題をとらえるということができていないわけです。

さらに、このことは個々の活動家が社会との繋がりを持っていないともいえるのかも知れません。
日本の「動物愛護」活動家の中には、「動物のことにさえ詳しければよい」と考えている人が少なからず存在しています。
このことは、日本の「動物愛護」運動の本質が「ペット愛好」運動であることとも関係しているのかも知れませんが、いかに、「動物好き」を究めたところでそれで動物たちを救えるわけではありません。

たとえば、「動物愛護」のために獣医学を学ぼうとする人が結構います。
間違ってはいませんが、「動物愛護」という観点から見た場合、今の日本の状況下でそのことにどれだけ意義があるのかとなると疑問と言わざるを得ません。
なぜなら、獣医は既にたくさん存在しているからです。もし、獣医学を学ぶ者が増えることが「動物愛護」の推進に繋がるのなら、これまでもそのような成果が出ているはずです。
しかし、これまで日本の獣医たちが「動物愛護」にどれだけ貢献してきたのかというと見るも無残な状態と言わざるを得ません。

では、なぜ、そうなるのでしょうか?
これは、「動物愛護」運動とは何なのかということを考えればわかることです。
つまり、多くの動物たちは病気で殺されているというよりも、"ヒト社会"によって殺されているわけです。
ですから、「動物愛護」運動とはヒト社会から如何に他の動物たちを救い、如何に守るかという運動であるといえます。

しかし、悲しいかな獣医たちは病気から動物たちを救ったり守ったりすることはできても、ヒト社会から動物たちを救ったり守ったりすることはできないのです。
実際、マスコミによる「動物愛護」バッシングが吹き荒れる中、獣医たちはほとんど何もすることができず、多くの動物たちが殺されていくのをただ指をくわえて見ているだけでした。それどころか、バッシングに引っ掛かってマインドコントロールされる者さえいました。

このように、動物の生態に詳しい人が何人増えても、それは根本的な解決にはならないわけです。
それには、もっと別の能力を身に付けた者が必要となります。
それは、動物たちを殺す"ヒト社会"の生態に詳しい者、すなわち、社会科学を修めた者です。

もちろん、修めるといっても単に大学の社会科学教育を受けるというようなことを言っているのではありません。この国のシステムでは記憶力さえ優れていれば、どんな科でも簡単に卒業できてしまいます。
うわべの知識を身に付けるだけでなく、実用性のある社会科学能力を身に付けた者が必要なのです。しかし、そのような人材が日本には不足しているのです。
もし、このページを読んでいる人で「動物愛護」のために何か学びたいと思っている人がいたら、是非とも、そのへんのところを考慮して欲しいと思います。





虹線


更新Friday, 21-Sep-2001 23:08:30 JST





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