「愛護団体」もモノだと思ってる? その1


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虹線



動物虐待事件が起きた際に「動物愛護団体」からの次のようなコメントをよく耳にすることがあると思います。

「生きものをモノだと思っているからだ」

しかし、実はそう言う「動物愛護団体」自身も「生きものをモノだと思っている」と言われても仕方がないような側面を持っているとしたらどうでしょう。


行政が犬や猫などを集めて殺していることはこのページに来る人なら誰でもご存知のことと思います。
そして、この行為を行政や各団体が「殺処分」と呼んでいることもご存知でしょう。

しかし、考えてもみて下さい。
この"処分"という言葉は通常は要らなくなった"モノ"を始末する時に使う言葉ではないでしょうか?
こんな言葉をどうして「動物愛護団体」が使っているのでしょうか。

「いや、モノ以外でも処分という言葉は使われている」と反論する団体関係者の人もいるかも知れません。
確かに、"処分"はモノ以外にも使われる場合もあります。罪を犯した人や失敗をした人に罰を与える場合がそうです。

例:「電車内の痴漢で現行犯逮捕されたAさんは懲戒免職処分となりました」

しかし、犬や猫は別に悪いことをしたわけではありませんし、何か失敗をしたわけでもありません。ただ「街を歩いていた」だけです。ただ「生まれてきた」だけなのです。
罪を犯しているのは我々人類の側なのです。"処分"されなければならないのはむしろ我々の方なのです。
したがって、この用法はこのケースには当てはまりません。

「単に言葉の問題じゃないか」と言い訳をする団体関係者の人もいるかも知れませんが、そうでしょうか?
ではそう言う人にお尋ねしますが、あなたは自分の親が死んだ時、"処分"という言葉を使いますか?

「親が死んだので火葬場で"処分"してきた」などと言いますか?

ヒトなら死体を焼却する行為でさえ"処分"という言葉を使わないのに、どうして生きている犬や猫を殺す行為が"処分"なのでしょうか。
それは単なる言葉の問題ではなく、その背景にある精神がヒトと犬猫の場合とでは違っているからではないでしょうか。

たとえ行政が"処分"と呼んでいようとも、"動物愛護団体"を名乗る団体がそれに合わせていてはどうしようもありません。
「動物愛護団体」なら、あるいは、それをなくしたいと思うのなら、あるいは、それを罪だと思うのなら、ちゃんと"殺害"と呼ぶべきではないでしょうか。
"処分"という言葉は明らかに殺害行為を正当化する方向に作用する言葉です。"処分"という言葉を使っている限り正当化の視点や論理にはまってしまい大切な真実が見えてこないでしょうし、"処分"という言葉を使っているうちは大量殺害行為はなくならないでしょう。


要するに、世間に向かって「生きものをモノだと思っている」と言う「動物愛護団体」ですが、そういう自分たちも実はたいしたことないわけです。
団体にあわせて「処分」と呼んでしまっていたWeb活動家のみなさんも同様にイケてません。
私とてこの件についてはイケてたものの他の件ではイケてないかも知れません。
そんなもんです。
世間に向かって主張する前に、まず、自分を見つめることから始めなければならないと思うのです。

ここで書いたことにより、"処分"という言葉は使われなくなっていくでしょう。中にはこのページを見て気付いたことを隠してこっそり変える人もいれば、自分で気付いたとウソをつく人もいるでしょう。
でも、言葉だけ変えても中身が変わらなければ意義は半減してしまいます。
どうして気付かなかったのかを考えたり、"処分"という言葉を使っていた自分の精神を見つめたりする人が果たして何人いるのかとなると疑問です。
残念ながら日本の団体はそういった姿勢を失いつつあるのです。



その2へ続く

(関連項目:説得と姿勢



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