「払い下げ」廃止運動の憂鬱


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虹線



このページに来る人なら、行政が野良犬を捕獲したり、ヒトが「飼えなくなった」とする犬や猫などを「不用動物」として"動物アウシュビッツ"に集めていることは誰でもご存知のことと思います。

集められた動物たちの一部は運良く元の「飼い主」に返還されたり新しい「飼い主」に引き取られたりして助かることになりますが、大半はそのまま動物アウシュビッツで殺害されます。しかし、中には大学等の研究機関へ実験動物として回されて殺される者もいます。
この行為を「実験動物への"払い下げ"」と呼んでいます。

さて、「動物愛護団体」の中には、この"払い下げ"に反対し、行政に対して払い下げの廃止を求める運動を行っている団体があります。
しかし、この「払い下げ廃止運動」ですが、本当に、「動物愛護」運動と呼べるような運動なのでしょうか?


もちろん、残酷な生体実験の実験台に回されずに済むわけですから、払い下げが廃止になれば、回される予定だった犬や猫にとってはまことに結構なことです。

しかし、考えてもみて下さい。そのことで実験自体も廃止になるのならともかく、実験自体は存続するのであれば、結局、ブリーディングされたビーグル犬など動物アウシュビッツ以外のどこかの犬や猫が実験台に回されるわけです。供給元が動物アウシュビッツ以外になるだけのことです。
一方、払い下げ廃止によって実験台に回されなくなったアウシュビッツの動物たちはどうなるのかというと、どうにもなりません。動物アウシュビッツで殺害されゴミとして焼却されるだけです。

つまり、結果として殺される犬や猫が増えるだけだということです。これでは何をしていることやらわかりません。
自分たちのしていることが「助けている」のか「殺している」のかもわからない。こんなことで運動になるのでしょうか。

この「払い下げ廃止運動」は、現『地球生物会議』代表者のNさんが第二期『動物実験の廃止を求める会』事務局長時に提唱したものですが、Nさんに影響を受けた活動家だけでなく、その後Nさんと分裂した活動家も含め、第3の波系団体全般が賛同し、今や多くの「動物愛護団体」が同調している活動となっています。

では、Nさん以前にはそのような主張をした者がいなかったのかというとそれは違います。
「生体実験に回されるのなら保健所に持って行きにくいので払い下げをやめてくれ」と主張する人は世の中には結構いました。

犬や猫を「飼えなくなり」保健所に捨てざるを得なくなった人がこのような主張を持つことは理解できます。
しかし、問題はこのような主張は果たして「動物愛護」団体が取り扱うべき主張なのかということです。

もう少しこの問題について考えてみましょう。

払い下げ反対の主張には、「元ペットが実験台にされるのは忍びない」というものもあるようです。
しかし、代わりに実験台にされるビーグル犬などはどうなるのでしょうか。どうでもいいのでしょうか。
それに、こういうものは見方の問題であり、家庭で可愛がられてきたペットより、実験台になるためだけに生まれてきたビーグル犬などの方がよっぽど可哀相だともいえるのではないでしょうか。

一般の人なら、「捨てられたペットの"殺され方"を改善するために、ブリーディングされたビーグル犬などの実験動物の犠牲を増やしてもよい」との主張をしても許されるのかも知れませんが、「動物愛護」団体がそのような主張をしてもよいものでしょうか。
それは、「ペット愛護」になるかも知れませんが、決して「動物愛護」とは呼べないものではないでしょうか。

さて、実際にこのような払い下げ廃止運動が第二期『動物実験の廃止を求める会』を中心に行われた結果、各自治体で払い下げを廃止したり削減したりする動きが活発になってきます。
各団体はこれを「運動の成果」として宣伝しているわけですが、当然、その影で今までは殺されるはずではなかった犬や猫が実験台にされるという事態も起きているわけです。
中でも、騒ぎになっているのが猫の密猟の増加です。

わが国では三味線産業によって猫の密猟が半ば公然と行われてきていることは国民的な周知事項なわけですが、払い下げ廃止運動後、各地で猫の密猟が増えているとの指摘が密猟ウォッチャーたちによって行われるようになります。
80年の松村和子さん以降、三味線を持った人気歌手というのも出ていませんし、空前の三味線ブームが訪れたということも聞いたことがありません。
三味線の需要が増えていないのに、密猟が増えているということになるとそれは三味線以外の需要、すなわち、動物実験の需要が増えたということを意味します。
実際、行方不明の猫を追跡したり、密猟者を逮捕して追及したところ、実験動物用に回されていたという供述も出てきているようです。
もっとも、こういったことは水面下で行われていることなので、どのくらいの規模で行われているのかといった詳細はわからないわけですが、払い下げの規制により猫の密猟が増えていることは状況からみて確実といえるでしょう。

これはどういうことなのかというと、払い下げの代用が※コスト面の理由からブリーディングされた動物へは直接は向かわず、密猟された動物に向かったということでしょう。

つまり、結果的には、アウシュビッツへ捨てられた「ペット」の殺され方を改善する運動のために、捨てられていない「ペット」が残酷な殺され方をするようになったということになります。これでは、もはや、「ペット愛護」とすら呼べなくなったわけです。
密猟された猫たちにとっては、まったくとんだ災難ですし、殺された猫たちの「飼い主」たちは当然怒り狂っているわけですが、それが「払い下げ廃止運動」という「動物愛護」運動によってもたらされたという事情については、あまり知られていないようです。

また、こんな指摘もあります。
保健所に「飼えなくなった」として犬や猫を持ち込む人を説得して追い返す活動(引き取り実態調査)をしている人がいるのですが、この人によると、「残酷な生体実験に回されるんですよ」と説得するのが効果絶大なのだそうです。
ところが、払い下げが行われていない自治体では、こういう弁が使えないため、説得に苦労するのだそうです。

これは容易に想像できることだと思います。先ほど紹介した払い下げに反対する一般人の声を思い出してみて下さい。

    「生体実験に回されるのなら保健所に持って行きにくいので払い下げをやめてくれ」

実は、「愛護団体」による払い下げ廃止運動の前から自主的に払い下げを行っていない自治体がいくつかあるのですが、その理由はそういうった理由によるようなのです。

たとえば、大阪では昔から「保健所に持ち込まれた犬や猫は動物園のライオンの餌にされる」という噂が世間に流れており、今でも年輩の人の中にはその噂を固く信じている人がいるそうです。
誰がそんな噂を流したのかは知りませんが、そのせいか、元々アナーキーな街の性格も手伝って大阪では犬や猫を保健所に持ち込む人が昔から少なく、野に捨てる人が多いのだそうです。北海道大学の研究者も野良 犬の生態調査のためにはるばる大阪まで行くくらいです。
そこで、困った※大阪市はヘンな噂を打ち消すためにも、実験動物への払い下げを行っていないようです。

こういった論理は「ゴミとゴミ箱の関係」からも心理学的に確立された論理のようです。

    「ゴミ箱があるのにゴミを路上に捨てる人がいて街の美観が損なわれている。何とかよい方法はないものか?」
    「ゴミをゴミ箱に捨てさせるためにはゴミ箱を美しくすればよい」
というわけです。
行政にとっては、「飼えなくなった」犬や猫は「生きたゴミ」と規定しているわけですから、それを専用のゴミ箱である「保健所→動物アウシュビッツ」へ捨てさせるためには、施設を美しくすればよいということです。ましてや、生体実験に回していたりしてはいけないということです。

しかし、このことは裏を返せば、払い下げが廃止になる自治体が増えるということは、保健所に犬や猫を捨てやすくなることも意味しているわけです。


このように運動被害を引き起こしてしまった払い下げ廃止運動ですが、戦略的にみた場合も、非常にまずい面を持っています。

実験動物への「払い下げ」という事象は、「動物実験」と「動物アウシュビッツ」という二つの事象の存在の上に成り立っているものであり、どちらか一つが存在していなければ「払い下げ」も存在していないわけです。
つまり、「動物アウシュビッツ」に反対し廃止を求める運動をしても、「払い下げ」の廃止を求めることになるわけですし、「動物実験」に反対し廃止を求めても、「払い下げ」の廃止を求めることになるわけです。
にもかかわらず、「払い下げ」という事象だけを取り上げて、それに反対し廃止を求める運動をするということは、「動物実験」も「動物アウシュビッツ」も容認する立場であると受け取られかねません。

実際、某動物アウシュビッツの職員が、「こういう施設がなくなれば払い下げもなくなるんだから、愛護団体はもっと根本を変える運動をしなきゃネ」とニヤニヤ笑いながらコメントしている姿がテレビで放映されたりしていますし、キャスターの木村太郎さんも似たようなコメントをしていたように記憶しています。
しかも、この運動を提唱したのは『動物実験の廃止を求める会』なのです。「"廃止を求める会"とは言ったものの、結局、実験に反対するのは間違いだとわかったからあんな主張をするんだろう」と思われかねません。

「払い下げ」反対の主張は、理論上は「動物実験」も「動物アウシュビッツ」も容認する立場の主張なのです。

これらからもわかるように、仮に、払い下げ廃止が正しい方針であったとしても、その運動方法は非常にヘタクソなやり方をしているとしか言わざるを得ません。
何も、「払い下げ反対!」と言わなくても、「実験台にされるから保健所に捨てるのをやめよう!」とか「雑菌にまみれた動物を使うのは動物実験のいい加減さの証明だ」とか別の主張をしているだけで、行政の側から「払い下げ廃止」という施策を出させることはできるわけです。

いや、それどころか、「動物愛護団体」が何の運動もしなくても、払い下げは世の流れとして廃止に向かう事象なのかも知れません。
事実、ご紹介したように、いくつかの自治体は「動物愛護」運動とは関係なく、保健所に犬や猫を持って来させるという理由で自主的に払い下げを廃止してきているわけです。
また、「動物実験」の精度という観点から見た場合、雑菌にまみれた動物アウシュビッツの動物は本来ふさわしい対象ではないわけですから、こちらも医学的理由から払い下げから脱却する方向性を持っているといえるでしょう。

こう考えれば、この「払い下げ」という事象を殊更に運動課題として取り上げたり、ましてや、その成果を自慢することは「動物愛護」運動としては情けないことだとしか言いようがないのです。
このような運動を続けていて、たとえば、もし、医学者側から、「私たちは少しでも動物たちの犠牲を少なくしたいから、あえて雑菌にまみれていようとも、どうせ殺される運命の犬や猫で実験しているのです。ペットを助けたいという気持ちはわかりますが、実験台になるためだけに生まれてくる哀れなビーグル犬などのこともたまには考えてやって下さい」などと一発カマされたらどうするのでしょう。
「な〜んだ。医学者の方がずっと動物愛護について考えてるじゃないか」と人々に思われてしまいかねません。そうなると、これは今後医学者に向き合う運動にとって大きなマイナスになります。
もちろん、医学者の側が「愛護団体」よりも「動物愛護」について考えてるなんてことはないと思います。彼らが、払い下げを利用する真の理由はコストがかからないからでしょう。
しかし、本音はともかく、建前でもそのような弁論をぶたれたらそれは正論として通ってしまうわけです。

もちろん、すべての団体や活動家がこういった払い下げ廃止運動に参加しているわけではなく、おかしいと思っている活動家もたくさんいるのです。
それらの人たちはどうしているのかというと、実はどうもしていません。というよりも、対応に苦慮しています。

なぜなら、払い下げ廃止運動がおかしいこととわかっていても、だからといって、「払い下げ賛成!」とも言えないからです。それは「動物愛護」団体として認めてはいけない何かを認めたようになり、別の意味でヘンだからです。
ですから、おかしいとわかっているのに、どう対応したらよいのやらわからず、非常に憂鬱な気分になって事態を見ているというのが現状です。


とはいうものの、相変わらず『地球生物会議』のNさんを中心に、この払い下げ廃止運動は「動物愛護団体」によって熱狂的に続けられているわけです。そして、どこかの自治体が要求に応えて払い下げを規制すれば、「運動の成果だ!」として得意げに自慢しているのです。
運動に入ったばかりの人が主張しているというのならともかく、もう10年も続いているのです。

しかも、不可解なことに、Nさんはこれまでに会員からも、「殺される犬や猫が増えるだけだ」との指摘を受けていますし、また、猫の密猟増加と払い下げ廃止との因果関係も認めているようなのです。それどころか、Nさんはこれまで三味線問題については全くといっていいほど触れてきておらず、あたかも猫の密猟がすべて実験用であるかのような記述まで行ってきていたのです。
にもかかわらず、一向に払い下げ廃止運動を止めようとせず、最近はむしろ熱心に取り組んでいるようにすら見えるのです。これはいったいどういうことなのでしょうか?

当初は、「動物実験反対!と言っても何の成果も出ないから、"払い下げ"をむりやり動物実験問題に仕立て上げて目玉商品にしてるんじゃないの?」と見られていました。実際、昔から自主的に払い下げを廃止している自治体もあることをNさんは隠していました(今でも隠しているようです)。
しかし、その後の動きを見ていると、どうも、別の理由がありそうで、まったく理解に苦しむところです。
そのためか、最近では、「実験動物提供業者からリベートを貰っているのではないか?」との説まで出てくる始末です。
この見方は、医学界では当初からあったようで、「あれっ?あの運動は業者が仕掛けたんじゃなかったの?」との会話が飛び交っていたようです。払い下げ廃止で儲かるのは実験動物提供業者であり医学者たちはそのことをよく知っているからです。

確かに、Nさん個人についてはそもそも「動物愛護」とは無縁の極左活動家ですし、とかくいろんな噂の絶えない人なので、その可能性は十分にあるといえるのかも知れません。
しかし、払い下げ廃止運動をしているはNさんだけではないのです。今やNさんと対立している第四期『動物実験の廃止を求める会』もやっているのです。いくらなんでも、それらのすべてにリベートを配っていたのでは実験動物提供業者は大損をしてしまいます。これではリペート説だけでは説明がつきません。
では、いったいどう解釈すればよいのでしょうか?

つまり、こういうことです。日本の「動物愛護」運動には"パースペクティブ"というものが欠落してしまっているのです。

「動物愛護」における一つ一つの問題だけでなく、世の中のありとあらゆる事象は有機的なつながりを持っています。したがって、それぞれどことどこがどのように繋がっているのか、個々の事象が全体から見てどのような位置にあるのか、といったことを把握していなければならないわけですが、それが皆目できていないのです。
払い下げ廃止運動に奔走している活動家たちは、「払い下げ」という一つの事象を他の事象から切り離して見てしまっており、その際には、ブリーディングされたビーグル犬も、猫の密猟も視界に入っていないし脳裏でつながっていないわけです。

実際、払い下げが廃止になれば「動物実験」そのものも廃止になると真剣に思っている活動家も何人もいたのです。これは、「愛護団体」側が「払い下げ動物」が実験動物に占める割合などに触れず、あたかもすべての実験が「払い下げ動物」で行われているかのような印象を与えたこととも関係しているようです。
また、猫の密猟問題に取り組んでいる活動家の中には、その前に払い下げ廃止運動に関わっていた者も少なからず存在しているのですが、密猟事件が起きた段階で初めてその関係性に気付きバタバタしてしまっています。
密猟が野放しになっている現状は「動物愛護」活動家ならわかっているのですから、そのような状況下で払い下げを廃止すれば密猟が増えることはわかるはずですし、どうしても払い下げを廃止したいのなら、その前に、密猟を徹底的に取り締まる運動をすべきだったのです。

つまり、「払い下げ」という事象に取り組む際にも、他の事象と連動して運動を展開しなければならなかったのです。それを怠るから、また、別の問題が発生して事態がややこしいことになってしまうのです。
しかし、こういったことは何も払い下げ廃止運動に限ったことではなく、一事が万事ジャンプであらゆる事柄に対してこんな調子なのです。
時間的空間的に論理展開というものがなく、行動が場当たり的で、対応が常に後手後手に回ってしまっているのです。

しかも、それらが単に技量面の不備によるものだとすればまだしも、精神面の不備から来ている可能性すらあるのです。
「どうやって運動を楽しむか」とか「どうやってカネを儲けるか」といったことに気が散っており、「どうやって助けるか」ということに対する思考量が不足している傾向がエコロジーブーム以降見られますし、「犬や猫のためにそこまで頭を使うのはアホらしい」と公言する活動家すらいるのです。
これでは、到底、パースペクティブなど身に付くはずがありません。

おまけに、払い下げ廃止運動を唱えているのは、既成の団体を常日頃から「保守的だ」「軟弱だ」と批判しているラディカリストを自称するような第三の波系団体なのです。
それが「保守的な団体」も取り扱っていない「動物愛護」とも呼びにくい主張を叫んでいるのです。

    「だから、それだけ日本のラディカル団体はダメだってことじゃないの?」

もちろん、そうなのですが、このことはそれだけでは済まないもっと大きな問題を孕んでいるといえます。
何せ、今日、第三の波系団体が日本の運動体の大半を占めているわけです。その彼らが、自分でものを考える傾向が著しく低く、自分のやっていることが助けているのか殺しているのかもわからないということになると、危なっかしくて仕方ありません。
しかも、内心は「助けているのか殺しているのかわからなくても楽しければそれでかまわない」と思っている活動家すら存在しているとすれば、それは極めて深刻な問題だといえるのではないでしょうか。





更新Friday, 07-Dec-2001 23:32:22 JST





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