田中豊子さん 発見記と
ご本人からの最初のメール
ご本人からの最初のメール
田中豊子さんより:

永い間、行方不明になっていました旧姓、田中豊子です。結婚後は、末延(すえのぶ)という、珍しい姓になりました。先日の昭和小学校開校50周年を祝う会で豊田先生、岡村君、村上君、木村君、平林君と再開でき、大感激しています。小学校6年の12月に卒業間近にして大阪に転校しましたが、中学2年の時に福岡に引っ越し、中学高校時代は福岡で過ごしました。大学で東京に戻り、21歳の時には、上高田の家に帰ってきていました。結婚後も、上高田の実家に住んでいましたので高1と小6の息子は昭和小でお世話になり、今回の50周年記念の会はPTAの立場で参加していました。出席者名簿に豊田先生の名前を見つけ混み入る会場の中で豊田先生を捜し当ててお会い出来た時は本当にうれしかったです。私が名乗ると「あっ!とよちゃんだ!」と覚えていてくださり、またまた感激でした。そのうえ、豊田先生の周りには岡村君、木村君、村上君、佐々君がいて、一挙に30数年前にタイムスリップ!話している内に子供時代の面影が重なってきて、ずっと遠くに忘れさっていた子供時代がよみがえってきました。実は、米原君とは大学時代に同じサークルだったり、島崎君や戸田君とは子供同士が同じサッカーチームで交流があったり、佐々君とはPTAで挨拶を交わしたりしていたのですが、6年3組の同窓会にたどり着くことがこれまでできませんでした。私をずいぶん捜して下さった朝倉さん、本当にありがとう。6年3組の同窓生の皆に再会できるのを楽しみにしています。            
田中豊子さん 発見記

なににこんなに不思議な力を感じるかというと
この再開をつかさどってくれた 母校 昭和小学校そのものの 暖かい心です

田中さんは皆さんご存知のように 6年生の時に大阪に転校され
その後一切 足取りがわからず 女性陣の長く地道な努力にもかかわらず
とうとう今日まで お会いする手がかりがつかめず いつもみんなでため息をついていました

ところが
この日  記念式典の夜のパーティの席で 突然 豊田先生に声をかけられてきました
”あっ 豊ちゃんだ!”これは 先生の第一声です
先生もさる事ながら 長年探していた木村や私たちも 我が目を疑いました
木村いわく ”おい 岡村 田中豊子さんだよ”と ちょっと離れたところから声を
かけてきても ”まさか そんなはずは無いよ 連絡つかないんだから”と にわかには
信じませんでした 

その後 いろいろお聞きしてみると 大阪に転校された後 2年ほどで 福岡に移られたそうで この所で 全く連絡が途絶えてしまった編んだと思います
所が実は大学も東京に戻られて通われたし 結婚された後も 中野でずっと中野昭和小学校のお子さんといっしょに PTAとしても長年がんばってこられたとの事
今回はその関係で出席されたのだそうです
名前が変わっているのと 大阪に行ってしまったという私たちの先入観が
大きく障害になっていた事が明らかになりました

とにかく こんなに苦労して探してきてあきらめかけていた人に このような形で
まためぐり合わせてもらった事に 先生と 母校に 大きな感謝をし また その思いもよらない事実に 本当に人生の不思議を感じざるを得ませんでした

また 一人増えることができた仲間との再開を皆さんも 楽しみにしていてください

                                   

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