飛ノ台史跡公園博物館(とびのだい)

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飛ノ台貝塚は、千葉県船橋市海神(かいじん)4丁目の海神中学校西にある縄文時代早期(約7000年前)の遺跡です。縄文時代で一番暖かいころの遺跡です。
この遺跡は1932年に発見されました。その後、日本で初めて「炉穴(ろあな)」が発見され、重要な遺跡であることがわかりました。
炉穴は縄文時代早期特有の戸外で料理をする遺構(いこう)です。炉穴で、肉や魚介類の燻製(くんせい)作りや煮炊きが行われました。
1977〜1993年の4回の発掘調査から、多くの炉穴を持つ縄文早期の集落跡であることがわかり、旧石器時代の石器工房跡、古墳時代の住居跡も発見され、人々がどのような生活をしていたかを示す遺跡であることがわかりました。
船橋市は1997年に飛ノ台貝塚を市指定史跡として保存し活用することにしました。

左:階段を2階から3階にのぼる所から史跡公園をながめます。

右:博物館の道をはさんだ向こう側の工場には、マテバシイがたくさん植えられています。いけがきにはドングリがころがっています。博物館の近くに、昔からマテバシイの林があったのかな。

左:博物館の戸外には炉穴、小型貝塚、住居跡の発掘調査時の状態のプラスチックモデルが作られて展示されています。

右:博物館内に、炉穴のプラスチックモデルがあります。

左:縄文早期遺跡に埋葬されていた犬の骨格をもとにして、「飛丸(とびまる)」という名をつけた縄文犬が復元されました。

右:3匹の犬が埋葬されていました。そのうち1匹は足を骨折していました。狩をして、足を骨折した犬を大切に飼っていたことがわかります。縄文人の心がわかります。

飛ノ台遺跡を復元したジオラマです。

左:住居のとなりで、魚のひものを作っています。

右:飛ノ台遺跡の台地から降りた小川のところに丸木舟がとまっています。海で魚をとるために使うアミが丸木舟につまれています。小川が細く作られていますが、縄文時代は大きな森があり、わき水が多かったことから、もっと川幅は広かったと思います。沼があり、水鳥がいたと思います。

飛ノ台博物館には、どんぐりを石皿で粉にしたり、縄文式土器の模様を油粘土につけるような体験コーナーがたくさんあります。(左の画像のコーナーにはたくさんのどんぐりが用意されていました。マテバシイが多いことから、「食べやすいどんぐりがたくさんあってすみやすいですね」と話したところ、マテバシイは人工的に周辺に植えられているとの話でした)。  
左:博物館の入口に、「縄文時代に使われた道具や布を作ろう」という博物館のお知らせが展示されています。

右:縄文時代の布「アンギン」を博物館で作った例です。

昭和時代までは同様な作り方のアンギンが新潟県の信濃川流域に残っていました。「越後アンギン」と言います。

 

     
     
     
     

【 カゴつくり 】 : 2002年1月4、5、6日

縄文時代は土器しか使わなかったと思っていませんか? 土器は何千年もの間、形を残しますが、木や竹で作ったものは腐りやすく形が残りません。最近、竹や木で作られた道具や布が湿地の遺跡や寒冷地の遺跡で発見されるようになり、精巧な木製や竹製の道具が縄文時代に使われたことがわかりました。カゴは竹ひごや木の皮で作られるものですが、入門として荷造り用の紙のひもでカゴを作る講習会が行われました。

1. 幅の広い6本のひもと半分の長さのひもを木用接着剤で接着します。タテのひもの本数は奇数でないと編むことができません。

2. 細いひもの端を中心部に接着し、幅の広いひもの間を編んでいきます。

3. 10cmくらいの平らな底を作り、幅の広いひもを直角に曲げます。

4. 底と直角になるように編んでいきます。

     

5. どんどん編んでいきます。

6. 細いひもの端を接着し、幅の広いひもを細いひもに折り返して入れます。

小さなカゴの作り方をマスターできました。

     
     

【 縄文クッキー作り 】 : 2002年1月12日
縄文時代の遺跡から、炭化したクッキーのようなものが出土しています。ドングリのような木の実や アワ、ヒエのような穀物を焼いて携帯用の料理を作り、狩をしたり、腕輪を作るための貝を採取したり、石器のもとになる石を手に入れるために遠くに行くときにクッキーを持って行ったのかも知れません。
今回は、マテバシイを粉にして水を加えて焼くものでしたが、シカやイノシシの肉を入れて焼くものもあったそうです。

@.石皿にドングリをのせて、すり石でたたいてカラをわります。

A.カラをむきます。この時、黒い実があったら捨てます。

B.石皿をきれいにして、カラをむいたドングリをのせます。

C.すり石でドングリの実をくだいて、粒が小さくなったら、すります。

D.できた粉を入物に入れます。

E.粉に水を加えて、耳たぶくらいのやわらかさにします。よくかき混ぜます。

F.ホットプレートで焼いて、できあがり。。

ちょっとアクがありますが食べれます。
マテバシイの場合、粉砕してから流水で晒すことにより、おいしいものになります。

 ↑ 幼稚園の女の子に作り方を
    教えてもらいました。
    「水を入れてこうやってかき
    混ぜるの」・・・
    というような感じでした。
    (もちろん博物館の人にも
    教えてもらいましたが)

 

     

 

飛ノ台史跡公園博物館では次のような縄文時代を体験する催し物が行われています。
詳細は飛ノ台史跡公園博物館に問い合わせてください。

  内  容

どんぐり縄文クッキー作り,   石を使った勾玉作り,   「縄文・石器を作ろう」(黒曜石を用いて矢じり等を作ります),   (エコクラフトを使った)かご作り,  
縄文時代の布織り(状差し、ポシェット、巾着などの作成),   縄文髪飾り(くし)作り

  場 所 : 船橋市飛ノ台史跡公園博物館          船橋市海神4−27−2(〒273-0021)  電話 047-495-1325
 
  博物館の展示を鑑賞する場合は、入場料(一般=100円、生徒=50円) が別途必要です。

 

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独り言 : 炉穴が土器発生に関係あるのではないかと、ふと思って飛ノ台に行きました。縄文早期は住居の中に調理をしたような炉はなく、戸外に炉穴を作り、調理を行いました。ほとんどの炉穴は露天式です。ごくわずか、柱が立っていたであろうと思われる炉穴があります。つゆのように、雨が長く続く時に縄文人がどのような食事をしたか不思議です。
炉穴をいつ使い始めるようになったのでしょう? 炉穴のかべは加熱されるために、土器のようにかたく、水がかかっても形が崩れないようになったと思います。雨が炉穴にたまると、なかなかなくならないことがあったかもしれません。木の実を貯蔵するのにちょうどいい場所ができたかもしれません。
炉穴でなくても、決まったところで毎日火を用いて調理したことにより、その場所の土が焼かれて土器のように固くなったかもしれません。その現象を見て、土器を作ったかもしれません。下総台地の南端のように、狩猟や採取をするのに適した森が背後にあり、谷戸に下りていくと湧水があり、小川を丸木舟で下ると海にいける ・・・ そんな環境に定住し、焚き火を毎日同じ場所でやると、粘土層が露出しているところで焚き火をすることもあると思います。台地の端には粘土層が露出していることが良くあります。例えば国道51号線で千葉駅から加曽利に向かうと車坂を通りますが、車坂上には粘土層が露出しています(1995年ころ中古自動車屋を作るために整地をしていました。一面が粘土層でした。)。木戸場貝塚の近くです。小倉台から坂月交差点に向かう途中に、常総粘土層が良く見える切り通しがあります。坂月台貝塚の近くです。

 

 

 

 

 

 

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