
慶長8年(1603年)徳川家康は征夷大将軍になったとき、秀吉の朝鮮遠征によって壊された国交の回復の必要性を痛感した。その修好の証拠として,通信使の派遣方を要請した。しかし、朝鮮では依然として対日感情は、わるいままで、日本の態度には懐疑的であった。処がたまたま日本から脱出して帰国した俘虜から日本の事情を聞かされた。
「家康はじめ、その重臣には再び朝鮮には出兵する意図はなく、使者を送れば、必ず和平はなる」ということであった。これを聞いた朝鮮政府は、俘虜の送還問題もあったので、従来の態度を一変し、修好に応ずることにした。
この和平交渉は頗る複雑で紆余曲折を極めたが、ともかく,交渉をはじめて四年振りの、慶長12年(1607年)にようやく和平が成立し、その第1回の通信使を日本へ派遣することとなった。以後約200年にわたって12度、通信使の来朝があった。文化8年(1811年)対馬での行礼以来、ついに廃止になった。徳川が主体になっての使節要請であっただけに、毎期4〜500人に達する一行の国賓的待遇は、経済負担のたえかねる処であった。したがって、やむなく廃止になった。
通信使の構成
通信使の総人数は、毎回多少の増減があった。その構成員には,一定の基準があった。
三使(正使・副使・従事官)
上々官(倭学官から任命され、通訳が職務)
上判事(倭学及び漢学の教官)
学士(製述官一員は、文才のある者を選び、門地にかかわらず実力によって任命され、文章の起草にあたる。)
上官(輸送担当の通訳、倭学の教官、写字官,医者、画家、三使の縁故者、弓術に秀でた者など)
次官(曲馬上覧のための騎手、奏楽師、馬の世話役、料理人、三使の従僕、船長など)
中官(荷物船の船長、小通訳、賠小童、奴子、進物係、旅行用物品係、角笛吹手、砲手、船頭、巡視旗手、槍手、馬上鼓手、銅鼓手、楽器、武器、旗等各種儀杖の持手)
下官(風楽手、屠牛匠及び船夫など)
兵庫と通信使
幕府の慶事のあるごとに来朝した通信使は、兵庫の地に11度着いている。
慶長12年(1607年)・元和3年(1617年)・寛永元年(1624年)・寛永13年(1636 年)・寛永20年(1643年)・明暦元年(1655年)・天和2年(1682年)・正徳元年(171 1年)・享保4年(1719年)・延享5年(1748年)・宝暦14年(1764年)
宝暦通信使
11回の通信使を受け入れた兵庫津に現在記録がきちんと残っているのは,宝暦14年 分である。岡方文書として上中下3冊本で記録されている。「朝鮮信使来朝帰帆官録」と いう書名で昭和44年自費出版(現在絶版)されたので公立図書館にて閲覧できる。
「朝鮮信使来朝帰帆官録」から兵庫津に関係する部分を抜き出し,簡単な説明をする。
註1 当時兵庫津は、北浜(東川崎町〜島上町)・南浜(船大工町〜和田崎)・岡上(JR高架以南、港町〜切戸町)の三方(みかた)で惣会所を設置し、月毎に交代して番にあたっていた。
註2 註1の南浜の項。
註3 松平氏(尼崎藩)の当地の行政所。
註4 将軍家治の襲職のためにやってきた。正使 趙 嚴・副使 李 仁培・従事官
金 相翊・総人員 472人。歴代のものは、資料 表1 参照のこと。
註5 延享5年の通信使を受け入れた時にも提出していたが、16年前のものなので津の町の変化もあるだろうということで新たに提出を求められた。
通信使の到着1年前から馳走の準備は、始まっていた。通信使を送り出す側はどう
であったかは知るよしはないが、参考になるものはある。現在は、国立国会図書館に
保存されている「宝暦物語」がそれである。著者その他ともに不明である。
宝暦物語 全10巻
巻1 韓人来朝の由来
朝鮮国方角・方言・衣服・土産之事
中華15省之分
朝鮮国祭之記
宝暦の通信使
通信使の接待《馳走という》の実際を記録の残っている宝暦14年分でみる。
通信使の行程
宝暦13年 9月13日 京城出発
10月 6日 対馬 佐須那浦着 滞在30日
11月10日朝 対馬 府中乗船出帆
11月13日后2 壱岐 勝本着港 舵破損のため40日逗
12月26日 藍島出帆
12月27日 下関着港・越年
宝暦14年 1月 2日 下関出帆
1月11日后6 から津着
1月12日前11 々 出帆
1月14日后2 室津着
1月18日 々 出帆
1月19日后12 兵庫津着
1月20日前4 々 出帆
1月20日前8 大阪 着港
1月26日 大阪 出立
2月16日 江戸着
2月17日 精進日・朝鮮国忌
2月18日 上役饗応
2月19日 曲馬下見
2月20日 精進
2月21〜26日 法事
2月27日 登城
3月 1日 曲馬上覧
3月 2日 朝鮮国忌
3月 3日 別幅音物記
3月 4日 対州へ招請
3月 5日 此方より進物
3月 6日 射芸
3月 7日 御暇上使
3月10日 精進
3月11日 江戸 出立
3月21日 浜松着
4月 3日 京都着
4月 5日 大阪着
4月 9日 大阪 出帆予定のところ事故中止
5月 3日 鈴木伝蔵 打首
5月 6日 大阪 乗船
5月 7日 々 出帆
5月 8日前2 兵庫津着・上陸
5月 9日前6 対馬守 兵庫津着
兵庫津6日逗留
5月14日前4 兵庫 出帆・帰国
兵庫津・朝鮮通信使 (マガジンID:0000091697)
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