



ダルマストーブは床にネジで止めてある。車内放送のスピーカはカーステレオ用をそのまま使っている。そのスピーカから津軽の民謡が流れ、賑やかな列車は津軽の野をのんびりと走っていく。
金木の町は、何と言っても太宰治の斜陽舘。古くて立派な建物であるが、一階が喫茶店になっていたり、観光客向けになって宜しくない。昼飯はそば500円。
町をホンの少し外れると、いかにも農村という雰囲気になる。道端に12時から開いている風呂屋を発見。当然入る。250円。


深浦で再び乗換え。ここには昔ながらの機関車の転車台が、そのままに残されている。さすがに、レールは固定されて動きそうもないが、昔の蒸気機関車が活躍していた時代をしのばせている。

3月25日
雨模様。宿の親父さんに送ってもらって、艫作の駅へ。何にもない待合室に乗客は私だけ。勝手に石油ストーブを点火して、20分ほど列車を待つ。
五能線の南半分も、相変わらず美しい海岸にそって走って行く。岩館駅から、秋田県に入る。
「秋田名物、八森ハタハタ」の八森駅で、座席は一杯になった。能代までは、2〜30人の立っている乗客がいるほどの乗車率。地方の交通手段として、やはり鉄道の利用者は多いのである。それでも、能代に着いたら、半分近い乗客は降りてしまった。
考えてみれば、弘前から深浦までと、八森から能代までのためにこの五能線はあるようで、その間はただ「つなぎ」として存在しているだけのような気がする。
東能代からの奥羽線上りは特急いなほ。座席はほとんどふさがっている。秋田駅も小雨が降っていた。昔の仙台の駅によく似た感じの駅舎である。
町をぶらぶらと歩いてみる。佐竹氏の城下町で、中心はさすがに新しいビルが立ち並ぶが、城跡に公園や美術館などあって落ち着いた雰囲気があり、よろしい。
お昼は、そば。立ち食いではなく、ちゃんとしたそばやで。山菜そば550円。のり、うずら卵、揚げ玉入り。
14:14、羽越線鈍行で象潟に向かう。時々薄日が差すものの、まだ雨は上がりそうもない。負け惜しみではなく、日本海は雨の方が良い。雲の間から陽の光が一筋二筋、緩やかにうねる海を照らしている。
象潟で降りるが、そんなにゆっくり出来る時間はない。駅の裏手からかつての島の名残である、松の生えた丘が幾つも見える。田圃はまだ冬の姿のまま、春の雨に濡れている。「象潟や 雨に西施が ねぶの花」。葱の花はないし、象潟を浸していた水もないが・・・。
芭蕉の見た象潟はどうだったのだろう。 再び、汽車で鶴岡へ。右手には海、左手には雄大な鳥海山が聳える。北西の風に逆らって雁の一群れが、Vの字を造って沖に向かって飛んでいく。私も今は同じ旅の鳥である。
遊佐駅。かつて良く酒を飲みにいった近所のバーに、遊佐という人が来ていたっけ。ダメオヤジのタコ坊みたいな、あの人もこっちの出だったはずである。今も元気だろうか、などとしばし思い出にふける。
この近くに「有耶無耶の関」があったという話を聞いた。今はその通りうやむやになってしまったという。
まもなく酒田。パチンコ屋のネオンの最初の一文字が消えていて、凄いものを売っていることになっている。
駅の看板に「ファースト・クラスのホテル FB。都会派センスを越えたパステル空間。鉄筋コンクリート四階建て、エレベーター付き、コンピューター制御、全室ビデオ、カセットレコーダー完備」。都会派センスを越えると、どこにいってしまうのだろう。見てみたいような気がするが。
酒田から小一時間で今日の宿泊予定の鶴岡に着いた。どういう訳か、この日本海沿岸の町は駅と中心がかなり離れていて、歩くと15分はたっぷりかかってしまう。弘前も、大館も、秋田もそうであったが、先に城や港ができて、そこから街道が伸びていたのであろう。街道と鉄道駅は、どういう訳か離れている。
その15分を歩いて、今日の宿「山王プラザ」にたどり着いた。荷物から解放されると、また元気を回復して町にでたくなる。知らない町を歩くのは楽しいし、強い風もパラつく雨も気にならない。
まず夕食と酒。酒田と町の名前にもあるように、ここ庄内は酒どころとして有名である。ここならば、きっと旨い酒がのめるはずである。
とはいうものの、何の予備知識もなしに出て来たので、本屋で地元の観光案内を立ち読み。そして一軒の割烹料理屋を見つけた。その名も「いな舟」。
繁華街の外れにその店はあった。入り口は暗くて、余り愛想の良い店構えとはいえない。ただし、店構えで釣られてはいると大した事がないから、ここはまあ、入ってからのお楽しみとなる。
親父さんと奥さん、そしてお嬢さんの三人できりもりしている。親父さんは当然のことながら取っ付き難いが、お嬢さんの笑顔がそれを補って余りある。 落ち着いた店にすっかり落ち着いて、まず庄内の地酒「初孫」、「栄光富士」。刺身は鯛とヒラメ。マスの照り焼きに酒のすすむこと。そして蕎麦の実の粥。
4本の酒の勢いも手伝って、酒や魚の能書きやら蘊蓄やら。酔いが醒めれば、よく恥ずかしくもなく偉そうにしゃべっていたことか。
すっかり腹一杯になって、御代は5.500円。すっかり満足。この3日間はすべて海の幸のみ。
ホテルに戻り、風呂を浴びて「いな舟」の貴子さんを思い出し、幸せに包まれて寝る。23:40。
3月26日
抜けるような見事な青空。15分もあっというまに駅に着く。種田山頭火師はこの地を訪れた時、「町の方角の目印は」と尋ねたという。そして教えられたのが鳥海山であったそうだ。師はその後、何の不自由もなくこの町を歩き回ったとか。
たしかに、この山以上のランドマークは無い。雪をまとったその姿は、この庄内のどこからでも見ることができる。
駅でモーニングセット48O円。8:03の下り列車で余目に戻り、ここから陸羽西線にのりかえ。ほとんど満員の乗客をのせて、ディーゼルカーはガタゴト揺れて、ついでにビリビリ震えながら、鳥海と月山の間を流れる最上川に沿って暖かい春の日の中を走って行く。
雪解けで最上川の水かさはずいぶん多いようである。本流に流れ込む小沢に、幾つも滝がかかっているのが見える。それにしても、窓がビリビリと振動してうるさくて仕方がない。古いディーゼル・カー。
新庄から快速列車に変わるが、混み方はさらにひどくなって通勤列車並み。この混雑は終着の山形まで続いた。
山形から赤湯までは鈍行のつもりが、臨時の特急が出るとかで、いそぐ旅ではないけれどワイド周遊券のメリットを利用しない手はない。
赤湯の駅前は閑散としていた。辛うじてラーメン屋を見つけて、昼飯。ラーメン380円、おばあちゃんが山菜のおひたしを付けてくれた。
ここからは第三セクターの山形鉄道・フラワー長井線に乗り換え。のんびりと畑の中をとことこ走って行く。


さらに今泉から米坂線に乗り継ぐ。この駅前も何もなく、キオスクも雑貨屋さえもない。場所を聞きながら5分も歩いて酒屋を探し、ビールを買う。この ローカル線の車中を何もなしに過ごせというのは酷な話である。そのお駄賃としてか、販売機が故障してか、100円玉が一個戻ってきた。有り難くいただきました。
米坂線はガラ空きで、ボックス席を独り占め。窓からの暖かい陽射しに、ビールの二缶がすぐにカラになる。もう4日も持ち歩いている袋詰めの「柿ピー」が粉になりかけている。
まだ雪を目深にかぶった山に向かって、列車は走る。春の旅はまた「むべなるかな」。線路沿いの藁葺き屋根に残った雪が、白と黒のコントラストで美しい。
秋の旅は西へ、冬から春にかけては北へというのが私の旅のパターンである。北国の秋は淋しくていけない。これからの長い冬を迎えようという、暗さが良くない。そのかわり春になると、山にも海にも「冬」から解き放たれようとする自然の力が漲って、心弾むものがある。
「手の子」という妙な名前の駅から、線路は急に山登りにかかる。残雪の中を縫うようにして、ディーゼルカーはエンジンを一杯にふかして登って行く。 長いトンネルを抜けるとまだ冬の世界のまま。川が逆に流れるようになり、分水嶺を越えたのがわかる。山越えを祝って、とっておきのウイスキーを飲み干す。

