津軽・庄内  旅のメモから

  • 3月22−23日
    上野 22:37−07:37 横手 07:41−09:20 北上 09:33−10:25 盛岡 10:44−14:07 大館 14:38−15:15 弘前
     京急 ¥440 ビールとつまみ¥660  酒¥220 (コップが欲しかったから)  東根で朝。急行津軽は1/2くらいの乗車率。快晴、新庄から雪が残り始め霧。
     横手定時着。乗換えの北上線はキハ40単行。和賀仙人で見つけた「仙人小学校」。卒業すると仙人になれるのか。横川目より混んでくる。曇り空が晴れてきた。
     空気冷たく、爽快。北上定時。駅のそば250円。雑な作り方の割りには熱くておいしい。盛岡晴 定時着。弁当ビール970円。  この辺りは美人の産地で乗る列車、止まる駅、楽しみ多い。
     好摩より山に入る。岩手山北西面が美しい。昼の列車に乗っていると退屈ということを知らない。4人掛けのボックスを独占できるのは、嬉しい。しかも空いているから気兼ねがいらない。新幹線のグリーンよりも快適。
     安比へは3.3%の急勾配。40kmでえっちらおっちら登っていく。湯瀬という山間の小駅より金髪の外人三人娘乗車。どうも温泉ホテルのダンサーらしい。田舎の列車とはめずらしい取合わせである。
     陸中花輪では私ともう一人の男の旅行者を除いて総入替。見事なくらい。13:27着の十和田南で列車は逆になる。晴れてきて暖かい。古い転車台が草に埋もれている。使われなくなって15年。
    陸中花輪の2つ先の駅は「どぶかい」。気をつけないと落ちそうな駅名だ。
     大館に着く頃には曇ってきた。特急「いなほ」に乗り換えて弘前へ。この辺では平地に雪は全く見られない。
     弘前ではどうしたことか、ホテルはすべて一杯。駅前の案内所のおねーさんに旅館を探してもらう。あったのは駅の近くの福士旅館。二食付きで7000円では、少し汚くても贅沢は言えない。我慢我慢。曇って寒くなってきた。雪になるかな?
     夕食の後、津軽三味線のライブ居酒屋「山唄」に行ってみる。山田千里の店だという。チビチビやっていたが一向にライブが始まらない。8時半になって帰ろうとしたら、カウンターの若い衆が「今からやりますから」と引き止める。
     それなら聞かずに帰る手はない。やはり本場で聞くじょんからはすばらしい。実に力強く、みごとに節が流れていく。¥2060支払い

  • 3月24日 曇り空

     曇り空の弘前を09:01の五能線に乗る。左に岩木山、右に八甲田を眺めながら津軽平野をトコトコ走る。五所川原 10:05着。津軽鉄道に乗り換える。
     入り口は別で、中は一緒という田舎の温泉風呂のような造りの五所川原駅を、10:18発車。旧国鉄のオハ46のストーブ列車で金木に向かう。
     やたら賑やかなクリスマスの飾り付けがそのままぶらさがっいる。車内には、なんとなくイカと漬物の匂いが漂う。

     ダルマストーブは床にネジで止めてある。車内放送のスピーカはカーステレオ用をそのまま使っている。そのスピーカから津軽の民謡が流れ、賑やかな列車は津軽の野をのんびりと走っていく。  金木の町は、何と言っても太宰治の斜陽舘。古くて立派な建物であるが、一階が喫茶店になっていたり、観光客向けになって宜しくない。昼飯はそば500円。  町をホンの少し外れると、いかにも農村という雰囲気になる。道端に12時から開いている風呂屋を発見。当然入る。250円。

     湯上がりに缶ビールを2本買って、金木からまた津軽鉄道に乗る。12:52。
    空も晴れてきた。おばあちゃんが五所川原からの汽車の時間をたずねてくる。全然わがねぇ津軽弁でなス。
     五所川原駅のホームにあるキヨスクの娘さんは、だれかにとてもよく似ているのだが、それがだれだったか思い出せない。ひょっとしたら、前世であったことがあるのか、どうも青森を旅していると、そんな気になってくる。
     鰺ヶ沢で接続の3両編成の列車に乗り換え。それでも学校帰りの学生で一杯である。この位混むならば、廃止にはならないだろう。
     五能線は、難読駅の宝庫。そのひとつ風合瀬(かそせ)でだいぶ空いてきた。となりに座った女性の定期を盗み見る。五所川原−鰺ヶ沢、なんと淋しい券面。
     いくら混むから、痴漢が多いから、と文句を言ったって三軒茶屋−新橋なんて、別世界であるよ。(*この当時付き合っていた女性が三軒茶屋に住んでいた)
     そう言えば、この五能線にも「とどろき」があった。東京は「等々力」だが、こちらは「轟木」と書く。北の果ての漁村。駅前には何もなく、少し離れた丘の上にへばりつくようにして集落がある。カモメの群れ、鈍色の水平線には竜飛岬。
     そんな旅情を破ってくれるのは、けたたましい女子高校生の笑い声。
     追良瀬駅の貼り紙。「石をなげるな。人家あり」。今年最初の蠅が車内を飛び回る。
     まもなく深浦に着くというあたりは、奇岩怪石の連続。海はくすんだ灰色。それでも波打ち際はきれいに澄んでいる。岩肌は赤黒かったのが、いつのまにか赤茶けて来ていた。
     深浦で再び乗換え。ここには昔ながらの機関車の転車台が、そのままに残されている。さすがに、レールは固定されて動きそうもないが、昔の蒸気機関車が活躍していた時代をしのばせている。
     深浦港は、その名のとおり深く湾入していて、良い港である。北前船の頃から船の往来が盛んだったという。
     再び動き出した列車も、二つ先の艫作(へなし)で下車。もちろん無人駅である。下車した10人程の客が散ってしまうと、駅にのこるのは私一人。今日の宿、黄金崎の不老不死温泉という、怪しげな所に行く。
     雑貨屋のおばちゃんに場所を聞くと、「電話したら迎えにくるから」。さっそく電話したら、すぐに軽のライトバンが来てくれた。
     安い普請の、「田舎の宿」である。部屋も6畳。下の中といったところか。窓から見える穏やかな灰色の空と海。
     湯に入りに行くと、海辺の湯らしく茶色をしている。地元の人たちが何人も入っていて、津軽弁が飛び交ってなかなか宜しい。地元の人同士の会話は、外国語を聞いているようである。
     食事はさすがに海の宿らしく、揚げたての海老フライ、養殖でないブリの刺身、魚の鍋、ナマコの酢の物、サザエ壺焼き、ホタテと赤貝の刺身、カレイ焼き物、イカめし、アワビの水貝、サケの照り焼きと豪勢に並ぶ。
     船の影も見えない日本海を、艫作埼の灯台が照らして行く。寂しい海である。雨が降り始めた。  宿賃 8850円

    3月25日
       雨模様。宿の親父さんに送ってもらって、艫作の駅へ。何にもない待合室に乗客は私だけ。勝手に石油ストーブを点火して、20分ほど列車を待つ。
     五能線の南半分も、相変わらず美しい海岸にそって走って行く。岩館駅から、秋田県に入る。
     「秋田名物、八森ハタハタ」の八森駅で、座席は一杯になった。能代までは、2〜30人の立っている乗客がいるほどの乗車率。地方の交通手段として、やはり鉄道の利用者は多いのである。それでも、能代に着いたら、半分近い乗客は降りてしまった。
     考えてみれば、弘前から深浦までと、八森から能代までのためにこの五能線はあるようで、その間はただ「つなぎ」として存在しているだけのような気がする。
     東能代からの奥羽線上りは特急いなほ。座席はほとんどふさがっている。秋田駅も小雨が降っていた。昔の仙台の駅によく似た感じの駅舎である。
     町をぶらぶらと歩いてみる。佐竹氏の城下町で、中心はさすがに新しいビルが立ち並ぶが、城跡に公園や美術館などあって落ち着いた雰囲気があり、よろしい。
     お昼は、そば。立ち食いではなく、ちゃんとしたそばやで。山菜そば550円。のり、うずら卵、揚げ玉入り。
     14:14、羽越線鈍行で象潟に向かう。時々薄日が差すものの、まだ雨は上がりそうもない。負け惜しみではなく、日本海は雨の方が良い。雲の間から陽の光が一筋二筋、緩やかにうねる海を照らしている。
     象潟で降りるが、そんなにゆっくり出来る時間はない。駅の裏手からかつての島の名残である、松の生えた丘が幾つも見える。田圃はまだ冬の姿のまま、春の雨に濡れている。「象潟や 雨に西施が ねぶの花」。葱の花はないし、象潟を浸していた水もないが・・・。
    芭蕉の見た象潟はどうだったのだろう。 再び、汽車で鶴岡へ。右手には海、左手には雄大な鳥海山が聳える。北西の風に逆らって雁の一群れが、Vの字を造って沖に向かって飛んでいく。私も今は同じ旅の鳥である。
     遊佐駅。かつて良く酒を飲みにいった近所のバーに、遊佐という人が来ていたっけ。ダメオヤジのタコ坊みたいな、あの人もこっちの出だったはずである。今も元気だろうか、などとしばし思い出にふける。

     この近くに「有耶無耶の関」があったという話を聞いた。今はその通りうやむやになってしまったという。  まもなく酒田。パチンコ屋のネオンの最初の一文字が消えていて、凄いものを売っていることになっている。  駅の看板に「ファースト・クラスのホテル FB。都会派センスを越えたパステル空間。鉄筋コンクリート四階建て、エレベーター付き、コンピューター制御、全室ビデオ、カセットレコーダー完備」。都会派センスを越えると、どこにいってしまうのだろう。見てみたいような気がするが。  酒田から小一時間で今日の宿泊予定の鶴岡に着いた。どういう訳か、この日本海沿岸の町は駅と中心がかなり離れていて、歩くと15分はたっぷりかかってしまう。弘前も、大館も、秋田もそうであったが、先に城や港ができて、そこから街道が伸びていたのであろう。街道と鉄道駅は、どういう訳か離れている。
     その15分を歩いて、今日の宿「山王プラザ」にたどり着いた。荷物から解放されると、また元気を回復して町にでたくなる。知らない町を歩くのは楽しいし、強い風もパラつく雨も気にならない。
     まず夕食と酒。酒田と町の名前にもあるように、ここ庄内は酒どころとして有名である。ここならば、きっと旨い酒がのめるはずである。  とはいうものの、何の予備知識もなしに出て来たので、本屋で地元の観光案内を立ち読み。そして一軒の割烹料理屋を見つけた。その名も「いな舟」。
     繁華街の外れにその店はあった。入り口は暗くて、余り愛想の良い店構えとはいえない。ただし、店構えで釣られてはいると大した事がないから、ここはまあ、入ってからのお楽しみとなる。
     親父さんと奥さん、そしてお嬢さんの三人できりもりしている。親父さんは当然のことながら取っ付き難いが、お嬢さんの笑顔がそれを補って余りある。 落ち着いた店にすっかり落ち着いて、まず庄内の地酒「初孫」、「栄光富士」。刺身は鯛とヒラメ。マスの照り焼きに酒のすすむこと。そして蕎麦の実の粥。
     4本の酒の勢いも手伝って、酒や魚の能書きやら蘊蓄やら。酔いが醒めれば、よく恥ずかしくもなく偉そうにしゃべっていたことか。
     すっかり腹一杯になって、御代は5.500円。すっかり満足。この3日間はすべて海の幸のみ。
     ホテルに戻り、風呂を浴びて「いな舟」の貴子さんを思い出し、幸せに包まれて寝る。23:40。

    3月26日
        抜けるような見事な青空。15分もあっというまに駅に着く。種田山頭火師はこの地を訪れた時、「町の方角の目印は」と尋ねたという。そして教えられたのが鳥海山であったそうだ。師はその後、何の不自由もなくこの町を歩き回ったとか。
     たしかに、この山以上のランドマークは無い。雪をまとったその姿は、この庄内のどこからでも見ることができる。  駅でモーニングセット48O円。8:03の下り列車で余目に戻り、ここから陸羽西線にのりかえ。ほとんど満員の乗客をのせて、ディーゼルカーはガタゴト揺れて、ついでにビリビリ震えながら、鳥海と月山の間を流れる最上川に沿って暖かい春の日の中を走って行く。
     雪解けで最上川の水かさはずいぶん多いようである。本流に流れ込む小沢に、幾つも滝がかかっているのが見える。それにしても、窓がビリビリと振動してうるさくて仕方がない。古いディーゼル・カー。
     新庄から快速列車に変わるが、混み方はさらにひどくなって通勤列車並み。この混雑は終着の山形まで続いた。
     山形から赤湯までは鈍行のつもりが、臨時の特急が出るとかで、いそぐ旅ではないけれどワイド周遊券のメリットを利用しない手はない。
     赤湯の駅前は閑散としていた。辛うじてラーメン屋を見つけて、昼飯。ラーメン380円、おばあちゃんが山菜のおひたしを付けてくれた。
     ここからは第三セクターの山形鉄道・フラワー長井線に乗り換え。のんびりと畑の中をとことこ走って行く。

     さらに今泉から米坂線に乗り継ぐ。この駅前も何もなく、キオスクも雑貨屋さえもない。場所を聞きながら5分も歩いて酒屋を探し、ビールを買う。この ローカル線の車中を何もなしに過ごせというのは酷な話である。そのお駄賃としてか、販売機が故障してか、100円玉が一個戻ってきた。有り難くいただきました。
     米坂線はガラ空きで、ボックス席を独り占め。窓からの暖かい陽射しに、ビールの二缶がすぐにカラになる。もう4日も持ち歩いている袋詰めの「柿ピー」が粉になりかけている。
     まだ雪を目深にかぶった山に向かって、列車は走る。春の旅はまた「むべなるかな」。線路沿いの藁葺き屋根に残った雪が、白と黒のコントラストで美しい。
     秋の旅は西へ、冬から春にかけては北へというのが私の旅のパターンである。北国の秋は淋しくていけない。これからの長い冬を迎えようという、暗さが良くない。そのかわり春になると、山にも海にも「冬」から解き放たれようとする自然の力が漲って、心弾むものがある。
     「手の子」という妙な名前の駅から、線路は急に山登りにかかる。残雪の中を縫うようにして、ディーゼルカーはエンジンを一杯にふかして登って行く。 長いトンネルを抜けるとまだ冬の世界のまま。川が逆に流れるようになり、分水嶺を越えたのがわかる。山越えを祝って、とっておきのウイスキーを飲み干す。

     午後2時、駅名の表示に「越後」が付いたので、新潟県にはいったのが知れる。山を下るにしたがって、色付きの瓦屋根が多くなってくる。秋田や青森ではトタン屋根、山形では黒の伝統的瓦屋根が多かった。気候の違いからなのかな。
     好天のまま再び日本海側に戻る。坂町着14:25。駅前いこい食堂でカツ定食にまたビールを一本。
     15:07の新潟行き電車は少々遅れているからか、あるいは今まで遅い列車に乗っていたからか、随分と飛ばしているような気がする。
     ビールの酔いでうつらうつらしていたら、もう新潟についてしまった。大して時間もないけれど、町をぶらぶらと万代橋あたりまで歩く。
     新幹線に乗ってしまえば、もう東京までそのままである。旅の情緒など無いけれど、利用価値は十分。相席になったお嬢さんと平野に落ちる夕日を見ながら、話が弾む。楽しかった5日間の旅の終わり。
    新幹線 3900円 お土産 2000円 ビール 220円