石原・平松パーティーの五龍岳遭難事故調査報告

 

はじめに

1999年9
五竜遭難事故調査委員会
今年3月、石原君、平松君のパーティーが積雪期の北アルプス五龍岳直下で山岳遭難という残念な出来事に遭遇してしまいました。いったい現場で何が起きたのか。

この報告書は二人に関わりのあった山岳団体が共同で行った遭難事故の調査報告です。事故発生の直後に結成された調査委員会では、二人の遭難に際してどのようなことが起きたのか、できる限りの調査をし、事故がなぜ起こったのかを解明しようとしてきました。

調査では、遭難の起こった時期に同じ山域にはいっていたパーティーを中心にできる限りの聞き取りと分析をしています。また、気象面で起きた異常な状態が今回の遭難につながったと考え重点的に調査と分析を試みています。遺留品から読みとれる限りの情報も得るよう努力しました。

しかし、目撃情報をはじめとする遭難した二人の一次情報を得ることは残念ながらできませんでした。また、彼ら自身の行動や判断を示す、メモなどの記録、写真、そのほかの判断材料も見つかっていません。こうしたことから実際に起こった出来事を明らかな事実として描き出すまでには至りませんでした。

遭難がいつ起こったのか。二人の事故が同時だったのか。遭難救助が終わった直後、我々は一堂に会し、様々な可能性を検討し、その答えを得ようと調査を進めました。おそらく、天候が悪化しつつあった21日に、五龍岳を訪れたすべてのパーティーが下山に向かった後で、二人は五龍岳山頂付近にたどり着いたと考えられます。しかし、二人が当初の予定通り北尾根ルートを選んだのか、それとも遠見尾根などほかのルートに変更したのか。彼らの取ったルートも断定することは出来ません。20日及び21日の夜どこに泊まったのか。いつ遭難地点にたどり着いたのか、そして、どのような状況でビバーク体勢をとろうとしたのか。二人のどちらも山行中に登山記録をメモする習慣はなく、手帳や筆記具も残っていません。厳しい積雪期の登山でそうしたゆとりがとれないことは、当然のことと思えます。また、このとき入山していた他のパーティーに聞いても、ほとんど写真を撮る余裕はなく、山行中は記録も取れなかったようです。同様に、彼らの行動や、天候に対する判断も分かりません。「こうした点をいくら考えてもきりがない。」調査に協力していただいた山岳警備隊の方も、そうした感想でした。

遭難をできるだけ詳細に解明したいと思っての調査でしたが、仮定の上に推測をするのにとどまり明白な根拠までは見つからなかったというのが今回の結論です。

ただ、集めた情報を基に、この報告書では何が遭難にいたらしめたのか出来る限り分析しようとしています。3月の連休という積雪期登山の適期を襲った記録的ともいえる悪天候の様相と、このとき同じ山域でその事態に巻き込まれた多くのパーティーが直面した出来事を照らし合わせて頂ければと考えます。二人の遭難がどのように起こったのかという点に留まらず、この時期に起こる可能性のある最悪の事態がどのようなものだったのか、ここに集めた調査資料と報告から実感していただき、彼らを追悼する意味でも、山をめざす方々にとって少しでも何かを得られる内容になればと願っています。

  
この報告書は石原君、平松君の所属していた、以下の3団体の協力で作成しました。
  ・慶応義塾大学アルペン=フェライン山岳会(略称KAV)及び岳酔会(OB会)
  ・秀峰登高会(略称秀峰)
  ・慶応義塾大学バックパッキングクラブ(略称KBP)OB会