[台湾紀行3」
高鉄台湾(平成19年3月)

           望月浩平
1. サクラソウ

今年の冬は暖かく、ほとんど雪も積もらぬままに迎えた3月。玄関には母にもらった鉢植えのサクラソウがピンクの花を咲かせている。過ごしやすいとは言うものの、あるべきものがないと何か満たされぬ思いが残る。一方台湾では1/5に高鉄(台湾新幹線)が開業したが、当初昨秋予定の開業が様々なトラブルで延び、待たされるうちに期待は不安と無関心に変わる。実は1/7に大学山岳部時代の友人が2人訪れ、そのうちのT氏が台湾新幹線の車両を製造した川崎重工業に関係し、「何が起こるかわからないから1年は様子を見た方がよい」という助言をもらっていた。それを息子の佑滋が聞きとがめ、折に触れて復唱。こうして何のために出かけるかという目的意義が見出せず、何だか忙しい仕事にかまけて予定も立たず、今までお世話になった妻の母に一度は同行を遠慮されたが、何とかまた来てもらえることになり、ようやくいつものHIS川西営業所に出かけたのが3月2日。予定の3/28出発で3/31帰国の航空券がなかなか取れず、昨年のキャセイ航空は満席、日本アジア航空の¥64000は押さえたものの、エバー航空はキャンセル待ちという結果。3/28は問題ないが、帰りの3/31が土曜日でいつもは日曜日の方が混むが、年度替りの影響だろうとは今回担当の塔本氏。事情がわかっても状況は好転しないが、とりあえず努力をお願いするしかない。幸い、3月5日の晩に塔本氏から3/28昼と3/31夕のエバー航空が取れたと電話があり、続いてファックスで請求書送付。これで何とか外枠は完成。早速翌日営業所で入金する。内訳は航空券¥40000、航空保険料・燃油サーチャージ等¥7360、関西空港施設使用料¥2650、台湾出入国税等¥1170で4人分合計¥204720(昨年は¥204840)。その他の諸費用を合計すると¥268807(昨年は¥292236)で結果的には安くついた。
今回は佑滋が4歳でもうベビーカーを使えないので、当初予定は無理をせず3/28は台北で夜市散策、3/29は烏来温泉日帰り、3/30は水族館と基隆で台北3泊としたが予定は未定。2/25に近所の一庫公園最高地点の知明山(349m)まで妻と佑滋で3人7km歩いて往復、結構体力あるではないか。3/21には佑滋と2人で自宅裏山の雨森山(383m)を6km周回とこれはりっぱなハイキング。佑滋本人は山登りが好きではないかもしれないが、もう少し行けそうな感触を得た。
とはいっても無理は禁物。体重は20kgに近づき眠れば重い。 でも最後は2005年の礁渓温泉の時と同じでかなり単純。3/25朝にテレビ大阪の台湾新幹線の特集番組で、プロジェクトの進行に伴う様々な困難な挿話と共に走行風景が紹介されるとやっぱり乗りたくなってきた。だから佑滋次第で考えることにして3/28の朝は6:15に起床してポストに手紙を出しに行くと帰りにパラパラ雨が降る。6:45にヴィヴィオで美山台に家族を降ろす。ぬかみその甕も預かってもらう。一人で車を丸山台に戻し、代わりにバイクで美山台に折り返す。母の食事を頂き、7:45に日生中央まで父に送ってもらう。ベビーカーなしでも佑滋はどんどん歩く。日生中央始発7:59の特急梅田行き乗車。通学生徒が少ないせいかそれほど混雑はない。8:16川西能勢口で3分停車し乗務員交代と梅田側に2両増結し10両編成になる。1日7往復の特急といっても、朝は通勤電車の間隔が密でダイヤが寝ていて昼間の急行より時間はかかるが、ドアが開かないので乗客流動が少なく人気がある。
阪急梅田到着は8:44でJR大阪駅8:59発の関空快速・関西空港行きには間に合うだろうと考えて、地下鉄御堂筋線梅田駅近くのチケット屋で「関西空港⇔大阪」¥1100×5(正規運賃1160)と「大阪⇔川西池田」¥200×2(同200)を購入するが、行列で遅れ改札口に着くと8:59。間に合わないかもしれないと佑滋を急がせ大阪環状線内回りホームに駆け上がると、満員のホームに電車が遅れて停車。母との待ち合わせは先頭車両だが、到底そこまで行ききらないので、最後尾の車両に何とかドアの隙間に身体を押し入れて乗車。阪急と違い激しい混雑だが、その原因はUSJ。すぐ横の男性の手には北陸線からのUSJ企画往復切符。妻が携帯で連絡を取ると、母は先頭2両目に乗車し一安心。次の停車駅、桜島線乗換駅西九条でUSJ塗装の電車に乗客がかなり移動し春休みを実感。でも一度もUSJに行ったことはない。車内放送では列車の遅れを詫びるが、自分たちには本当に幸運で不思議な気分。
天王寺で席が1つ空き妻の膝上に佑滋を座らせるが、それ以上空かずに天王寺から阪和線を南下。佑滋は次の駅がどこか常に訊く。「堺市・鳳・和泉府中・東岸和田・日根野・りんくうタウン・関西空港」と説明するが、ダイヤ改正と覚え忘れがあり、堺市の次は「三国ヶ丘」で日根野の前に「熊取」。実は後尾3両は和歌山行きの紀州路快速でずっと混雑。どこかで車両を移らないといけないが、熊取で特急通過の放送があり前の車両に乗り換える。「オーシャンアロー」が抜いていく。母と合流し日根野でようやく4人並んで座る。10:02ほぼ定刻に関西空港到着。

関西空港は春休みでそれなりに混雑。今回から航空券のEチケット化で空港渡しがなくなり、HISでもらった控えの書類を直接窓口に提出。3月1日から持ち込み手荷物規制が強化。20年使用のダックスの登山用アタックザックを預け荷物にして、ペットボトルや液体物を入れ荷物を組み替え。ANA窓口でチェックインだが、10:30からと言われ順番を確保し交代でトイレに行く。窓口では直接パスポートと書類を見せ搭乗券と引き換え。続く保安検査は30mほど3列の行列だが、11:00すぎに通過し出国審査へ。前回搭乗のキャセイ航空(11:15出発)の最終手続き放送。エバー航空BR2131便は12:30ゲート集合なのでもう少し時間がある。
佑滋はハーゲンダッツのシングル(¥350)、大人はスターバックスのコーヒー(¥350)と紅茶(¥370)で一息入れ、妻と母は免税店へ。こちらは佑滋を連れて最初に泉州銀行の外貨両替を見ると¥4.07→1元のレート。その後恒例のポピンズキッズルームへ行き12:15までおもちゃで遊ぶ。教育TVの「ピタゴラスイッチ」の影響か、おもちゃを繋げ車両が転がる距離を長くして木枠の上から転がして遊んでいる。
時間が来るとシャトル乗り場で記念撮影し中間駅まで進み、降りた所にある売店のおもちゃをしばらく試してから15番ゲートへ。12:30に搭乗開始で13時離陸。台湾の出入国書類を記入。今回より用紙は複写式。滞在予定地は「YMCA台北」にしておく。『日本経済新聞』と『読売新聞』朝刊によると1967年の提訴以来40年になり、「中華民国」が「中国人留学生」に施設明渡しを求めた京都市左京区の光華寮訴訟の大阪高裁判決破棄・京都地裁差戻し判決の記事。「中華民国」「中国」「台湾」とは一体何なのか。13時定刻に離陸。乗客は70%ほどで空席が多い。最初に佑滋のchild mealとおもちゃが来る。おもちゃは「○×ゲーム盤」大人の食事はfish pastaとカツ丼の選択。ビールはキリンの一番搾り。食事後佑滋はトイレ。その後少し気分が悪くなり空いたシートで眠る。飛行機はエアバス製A330-200で東シナ海の南西諸島と大陸の間を台湾西岸に向けて順調に飛行。
南西諸島は沖縄本島から北を「道の島」、西には「先島」と呼ぶ。柳田國男の『海上の道』は南から伝わる交流の道筋を描く晩年の大著(1961)だったが、谷川健一は『甦る海上の道・日本と琉球』(文春新書,2007)で、その後の考古学的発見に文献解釈や民族伝承を踏まえ、両者の歴史の重なりについて密度の高い実証的な議論を展開。それは沖縄の歴史が内在的発展であったというよりも、大和(日本)の影響を強く受けた外圧的発展だったという結論に近づく。それは大和(日本)自身の大きな側面であることは、単純に平行移動できないにしろ、現在の国内・国際情勢を見ても頷ける。ただ、『海の群星』(1981)に示された物語の雰囲気が基層にあるため、柳田の精神のある意味の継承者だとも言える。海の交流は閉じたものでなく広い可能性を実現していたことは、時代を越えた海人の姿からも明かされる。
機内アナウンスは北京語・英語・台湾語(ホーロー語)・日本語の4言語。香港を本拠地にするキャセイ航空には台湾語アナウンスがなかったので少し雰囲気が違う。台湾語の変調するアクセントが印象的。ただ少しの勉強では何を言っているか理解するのは難しい。14:50に「台北中正国際機場」から名称変更の「台湾桃園機場」着陸。桃園は空港所在地の桃園市を示す。離着陸時にはグループの長栄交響楽団のビデオが流れる。
 エバー航空は第2ターミナルに入るが入国審査場までかなり歩く。荷物受け取りでカートを借りると佑滋はベビーカー代わりに乗る。大人は交代でトイレに行き、税関を抜けて両替。¥50000→13630元でレートは1元=¥3.66。「中国国際商業銀行」は「兆豊国際商業銀行」に名称変更。一連の変更は政府の正名(名前を正す=大陸色を排除=台湾化)政策により、中国や蔣介石(号が中正)の表記の排除意図に由来。入境(入国)後佑滋はカートに乗ったままバス乗り場へ。

2. 台湾高鉄

 バス乗り場でカートから降りた佑滋を交え4人で今後の予定を相談。行き当たりばったりなので常に予定は未定だが、,海里泙淆翹未悒丱弘榮亜↓台中までバス移動、9眦甘躅珮(駅)へバスで移動し台湾高鉄(新幹線)乗車の選択になる。妻は佑滋の体調を考え,鮗臘イ垢襪、当の佑滋がを選ぶ。バス窓口は国光・大有・統聯と並んでいるが高鉄桃園站へ行くのは統聯客運(U-bus)。窓口で1000元札を出して「Taoyuan(桃園)、三票」と言うと、若い女性職員に”High speed?”と訊き返され、”Charge?”と続き1000元札は両替、3人分料金の60元が示される。バス車内で現金を支払う。「3時40分」と日本語で時間も教示。 15:37に外に出ると国光客運が停車し角を曲がると統聯客運のバス停。黄緑色のUバスは数分遅れて到着。「上車収票(乗車時運賃支払)」の表示があり60元支払い前扉乗車。他の乗客は9名で高雄市のタグをつけたスーツケースを持ち込んでいる人もいる。高速道路に入り10分走って一般道に下りると高鉄の高架線が見え駅に向かって線路沿いを進む。所々に高鉄桃園站の道路標示がある。途中で止まらず16:00到着。駅付近は空港施設との関連で線路が地下化され、地上1階建て駅舎と駐車場が見え普通の新築企業のような雰囲気。ホーム部分がなく建物は小さい。若い女性駅員に「日本の方ですか?」と聞かれ日本語パンフレットをもらう。パンフによると「ガラスの灯篭のように浮かび上がる」構内は明るく切符は自動販売機と窓口で販売。日本発行のクレジットカードでは自動販売機は収受しないので窓口へ。「Taizhong(台中)、三票」と言うと、若い男性係員が”One way? Four forty-one?”と英語で聞きながら発券切符に鉛筆で線をひき○をつけて確認。座席は全て指定席で運賃は540×3で1120元。因みに終点の左営(高雄)までは1330元。
 少し待ち時間があり構内のモスバーガーへ。駅の外に特に目立つ店は何もない。オレンジジュース30、スティックケーキ30、コーヒー30×2、玄米茶40で160元。green teaがhong tea(紅茶)と間違えられるが、日本語がわかる次の客が指摘して購入できた。スティックケーキはチーズケーキにチョコレートを混ぜたような味。ファーストフードは大阪名物「551蓬莱」以外ほとんど行かないのでよくわからないが日本のモスでも売っているらしい。今まで少し慌しかったので適度な休憩だがまだ先がある。16:25に自動改札機から地下ホームへ。自動改札機は日本と違い切符裏面の磁気面を上にして機械に通す。佑滋と一緒に通ると1枚の切符で2人通ったためかアラーム音が鳴る。
南下列車ホームは地下2階。線路の隣は壁になり通過線があり、その向こうに更に壁があって北上列車ホーム。1/5に開業したばかりの暫定ダイヤで1日16本の各駅停車のみほぼ1時間間隔で停車。他に3本の通過列車は通過線を通るのでホームドアは未設置。列車待ちの乗客が多い。台湾桃園空港は成田空港同様国際線用で高雄方面には、高鉄桃園站での乗り継ぎが今後定着する可能性は大いにある。桃園から高雄への直接乗継便は少ないので、台北市内の松山空港までバス等で出て折り返す従来の方法より便利で安く、台北・高雄間では競合する飛行機が実質値下げと厳しい競争。日本で新幹線が開通し寂れた街はないように、更なる需要を喚起するのが新幹線効果と言えるだろう。
 16:40の時刻になるとアナウンスもなく静かにオレンジ帯の高鉄「左営(高雄)」行き到着。レール幅は1435mm。桃園では3分停車。列車扉は7号車入口の若い女性乗務員がホームを確認せずに車内で開閉。高鉄は数年前から職員採用を本格化したので基本的に若い職員が多い。12両編成で1〜5と7〜12号車が普通車。6号車は商務車で日本のグリーン車に相当し運賃は台中まで1010元。普通車は50%位の乗車率だが6号車は乗客が少ない。シートは青色で日本の車両と変わらない印象だが、3/25のテレビによるとN700系は当初高鉄がヨーロッパ方式導入を検討した関係で安全基準等が異なり、製造元の川崎重工は苦労の連続だったようだ。例えば最高時速300kmも日本の285kmと15km違うだけだが、事故が許されないだけに同じ仕様であるはずがない。そういえば台湾新幹線の安全性は開業1年経たないとわからないと、造船に携わるT氏は1月に発言。
 次の停車駅新竹は16:55で同じく3分停車。街から駅は山側に10km離れ、街並みは遠く駅の周りに特に目立つものはない。複線線路は左側通行だが、日本と違い駅間所々に渡り線ポイントがあり、双方向運転が可能。片側線路にトラブルがあってももう一方が使えたり、遅い列車を速い列車が走行中に追い抜ける利点があり、日本では桜島線や関門海峡トンネルなど一部で採用。ただ反対方向から来る列車と衝突してはならないのだから、列車本数増加の場合に実際有効かどうかは疑問がある。次の目的地台中までは丘陵地域をトンネルで貫き、山脈から急流で下る広い河川敷で水量の少ない川を長い橋で越えて進む。 在来線の台鉄縦貫線は、新竹の南の竹南から台中の南の彰化までは難工事区間で先に台中経由の山線が1908年に開通したが、急勾配区間があり1922年に台中経由しない海線を建設。高鉄は山線と海線の間を南下し町は少なく、特に目立つ景色もない。出口に向かう扉上の電光表示は台中・嘉義・台南・左営各駅の到着時刻と各地の天候。台北は小雨だが台中は曇で雨はない。佑滋はエバー航空でもらった○×ゲームをしたり、座る位置を変えたりして遊ぶ。ただオレンジ色のベストを着た車内販売員がただでおもちゃやお菓子をくれるわけでないことをわかっているのだろうか?
 台中到着は定刻の17:23。人口100万を超える台湾第3の都市で乗降客が多い。ホームは3階で見晴らしのよい高架駅。桃園でビデオ撮影ができなかったので列車が発車する所まで撮影してから出発。駅係員は列車が遠ざかるまで直立で見送る。2階出口から南側へ進み、構内出店のロイヤルホストとヤマザキを見て十文字に交差する台鉄「新烏日」駅へ向かう。切符自販機前に年配職員が立ち「台中三票」と言うと買い方を教えてくれる。‐茲詢鷦屬亮鑪爐髻崋強・莒光・復興」、∪敝篌鑪爐髻崛管次θ症次廖↓9愼枚数、け芯造僚腓覗択すると購入金額が表示。硬貨を投入すると残額が減り、ゼロになると発券。台中までは15元×3で45元。改札口まで更に通路を進み、自動改札機に切符を通し北上列車の月台(ホーム)に階段を降りる。時刻は17:35で時刻表では次の南下「ニ水」行が17:37で北上「新竹」行が17:40。列車は全て復興号料金の「区間」電車で優等列車の「自強・莒光」は通過。新下関のようなローカル駅という感じ。昔の日本の国鉄駅と同様に低いホームで1067mm幅のレールが敷設。すぐに韓国製車体の南下電車が線路を挟んだ向かい側ホームに定刻到着。一息つくと時刻表ではわからない北上の自強号が、前触れなく突然北上ホームを通過。E1000系の両端の動力車は南アフリカ製で中間座席車は韓国製。高鉄と比べても仕方ないが台鉄の看板列車との思いがけない再会に佑滋も少し興奮する。
 その後定刻を過ぎても電車は来ない。妻は檳榔(ヒ゛ンロウ)を噛んでいる男性が駅員に注意され紙コップに赤いつばを吐くのを見る。母は台湾人女性と日本語で話す。7歳まで東京で育ち今は73歳。父は早稲田大学へ行っていた。台湾には日本語を解する人が少なからずいるので、思いがけず便利な点があるが「壁に耳あり」言動には配慮が必要。電車は5分遅れて到着。先頭部分に立ち進行方向を眺める。各駅停車で「烏日」「大慶」と止まる。壮年の車掌が車内を廻る。「台中」到着は17:58。夕方ラッシュでかなりの乗客が入れ替わる。
駅の改札と出口は別々で、まず駅前ロータリー左側の「富春大飯店」へ。ここはLonely Planetにも記載され、おばさんの係員に1950元の部屋を見せてもらうが、通路が細く段差があり部屋も狭く×。続いて建国路右側の「達欣大飯店」へ。駅右側の国光バスターミナルの向こうに見えるが横断できず。薄暮の中、駅まで戻りタクシーの間を縫って到着。フロント上には東京と台北時刻の時計があり、若い女性係員に冊子になった部屋の写真を見せてもらう。実際に部屋へ行くと「ダブル1・シングル1」の部屋は狭くて×だが、「ダブル2・シングル1」の部屋は十分広くて○。断られるのが苦手の佑滋は「ここでいいじゃないママ」と言っている。18:02にフロントに下りて1950元でカード支払い。内訳は部屋代1662,サービス料195,消費税5%93元。
 やっと宿舎が決まり落ち着いたので、18:26に妻と通りの先のセブンイレブンで買出し。ヨーグルト30×3,台湾ビール500cc41×2,オレンジジュース40,烏龍茶600cc20,ドリトス(チーズ味)22,台湾回味宜蘭牛舌餅20に包装袋2元で276元。レジでスヌーピーの台湾名所パスケースをもらう。お茶は砂糖入りを避ける。部屋に戻って一服。日本ではドリトスはまず食べないが、ハワイへ行った新婚旅行(1996)以降外国のコンビニに行くと定番で購入。牛舌餅は平野久美子の『台湾好吃大全』(新潮社2005)によると牛舌酥と表記され「牛の舌をかたどったお菓子は、中部の鹿港と東部の宜蘭が名産地だ。鹿港製はねちっとした餅菓子系、宜蘭製はぱりっとした歯触りのクッキー系である(p79)」と記載。台湾伝統菓子の細長いクッキーで中央部がカラメル風味。宜蘭は2年前に行った礁渓の隣町。台湾ビールはアルコール分4.5%で少し薄口だが飲みやすい。佑滋は妻と入浴準備にかかるので母とセブンイレブンに行く途中の食堂「圓環魚趐肉火庚」へ行く。火庚はこれで1文字だがパソコン辞書にない。台湾人好みのとろみスープを示し食堂メニューに頻出。
 白く明るい店は入口が厨房で奥にテーブル。伝票に印を入れて注文。ご飯に肉そぼろを乗せた「魯肉飯」20, 排骨は豚肉を示す「苦瓜排骨湯」35, すり身の魚が米粉スープに入った「魚趐肉火庚米粉」40,野菜や筍の入った定食状の「肉捲飯」70を頼む。おいしいので急いでホテルから2人を呼ぶ。子供が持ってきた伝票に追加の「魯肉飯」と鶏のから揚げ「炸鶏腿」40を追加注文し225元。苦瓜排骨湯と炸鶏腿は美味。お茶はセルフだが砂糖入り。台湾料理にはこの甘味が合う。帰り19:31にセブンイレブンに寄って追加のビール2本82,ドリトス(コンソメ味)22,合計104元を購入。入浴後消灯するが、佑滋以外の3人は台湾初日で気分が高ぶりよく寝られない。深夜に入りだんだん宿泊者が増えてくる。

3. 台中公園

 3/29は早朝に目が覚めて5:07にセブンイレブンでツナおにぎり22,日本式うなぎ蒲焼おにぎり26,オレンジジュース40,烏龍茶5本80で合計148元。7:15からNHK衛星放送で「いもたこなんきん」を見る。8時に出発し成功路を経て台中公園へ。台北と違い人通りが少ないが、建物の敷地から張り出す薄暗い台湾独特の建築様式「亭仔脚」の下を通ると家毎に高さが異なるので、よく下を見て歩かねばならず有難い点もある。15分で台中公園到着。
 台中公園は台中市同様に歴史は新しく、日本統治時代の1903(明治36)年10月28日に開かれた公園で、終戦後は孫文に因んで中山公園と呼ばれ、そのように記述されたガイドブックや絵葉書もある。片倉佳史の『観光コースでない台湾』(2005)によると、「市民からの声を受ける形で2000年4月から『台中公園』の名が復活(p156)」と記述。
 入口の公園銘板前で記念撮影。園路沿いに日本時代の台中神社等の写真が展示され往時を偲ぶ。佑滋も元気でハイビスカスやヤシの茂る緑の公園が目新しいのかなかなか進まない。中央部には絵葉書にも入る大きな池と池亭が見える。元々この辺りは沼地で池はその名残。池亭は「木造で擬洋風建築と呼ばれる珍しいもの(p158)」で明治時代の特徴で、この優れた都市公園のシンボル。池亭の向こうには日本時代のラジオ放送台が残り、その向こうの孫文の乗る銅像の台座には、かつて後藤新平が立っていた。
伊藤潔の『台湾』(1993)によると、後藤新平は1897年1月、日清戦争後の台湾で布告された「台湾阿片令」の元になった意見書作成が縁となり、台湾総督府衛生顧問に起用。1898年3月に総督補佐官の台湾総督府民政局長(後に民政長官、1920年からは総務長官)として第4代総督の児玉源太郎と共に台湾に赴任。台湾総督は初代樺山資紀(『台北の緑』参照)以降、2代桂太郎、3代乃木希典と続くが、中央政界に目が向いたり事後処理に追われすぐ交代。4代児玉は総督在任中に陸軍大臣・内務大臣・文部大臣と次々に兼任。日露関係の悪化に伴い内務大臣を辞し、格下の参謀本部次長・満洲軍総参謀長に就任し戦争準備にかかる。従って実質的台湾統治は医学博士の後藤新平に委ねられた。
山口県徳山出身の児玉は支藩の徳山藩に関わるが、長州閥の系統に連なる権力人脈の正統派。熊本での若き日々の神風連の乱や西南戦争時の熊本城死守の経験に始まり、日露戦争に終わる軍略家としての高い力量を持っていた。後藤は岩手県水沢の出身。水沢は蛮社の獄で非業の死を遂げた高野長英や、1932年の5.15事件後に首相を務め1936年の2.26事件で凶弾に倒れた斎藤実などを生んでいる。薩長出身でない後藤に台湾統治を全面的に任せた児玉のリーダーシップと器量は言うまでもないが、前任者が困難を極めた台湾統治の問題は、軍事的掌握は終わったものの、大陸の出身地と言語の相違にも起因する人心混迷と連続する小規模治安問題、良いとは言えない生活・衛生状態と風土病だった。
後藤の持論は「生物学的植民地経営」であり、甘くはないが闇雲に日本式を押し付けず、旧慣を十分に調査し民情に応じた政治を行った。多数の警察官による土皇帝支配という批判もあるが、インフラ整備を進め、阿片問題でも「厳禁論」を斥け、新規吸引を厳禁した上で、阿片を専売制にして既存吸引者には鑑札交付の「漸禁論」を唱える。徐々に吸引を無くす健康行政、一方で阿片管理に伴う財政収入、第3に阿片専売制により販売権を持つ総督府への反抗を減らす治安対策という一石三鳥の施策といわれる。『謎の島・台湾』(別冊宝島127,1991)には「日本植民地下で、台湾は近代化された!」という伊藤潔のインタビューがあり、日本の領有から国民党政権の台湾掌握にかけて明快な説明が読める。それは昭和期日本の軍事優先政策と中国国民党の台湾統治に欠けた人心収斂に関わる問題だった。公園奥の小山にはかつて台中神社が鎮座し、広い路面には横倒しになった形でかつての鳥居が本来とは違う形で復元されている。
 公園では集まって中国拳法や音楽・ダンスに興じる団体がいくつかあるが、銅像の少し下手でかつての日本歌謡を歌う年配男女の集団が「二人でお酒を」などを合唱。異境の地に響くこの涼やかな歌声は一体何だろうか。その先の子供遊具で佑滋は楽しく遊ぶ。母が見ているともう1人女の子が遊んでいて、その子が突然「そこで座っていたらいいじゃない」と言うので母はびっくり。聞いてみると宇都宮から両親とやって来た女の子で近くには祖父が遊ぶのを見ている。
 9時に公園脇のマクドナルドへ入り、玩具つきのハッピーセットを3つ237元にエッグマフィン1つ追加で30元。玩具はスヌーピー。若い店員は英語が話せないが、中年女性店員の英語が上手で昨日高鉄に乗ったなどと話す。帰りに開店早々の衣料品店でスヌーピー絵柄の佑滋の帽子を100元で購入。1人で先に台中駅まで行き台北方面の列車時刻を調べると、10:56自強号と10:59莒光号でまだ余裕があるが、10:20の自強号が15分遅れ。ホテルに戻り荷物を纏めて駅に向かうと昼間は交通量も少なくすぐに到着。
台中駅舎は1917(大正6)年竣工。1999年9月の台湾中部大震災で損傷した英国風の歴史的建造物で丁寧に復元され、かつての写真にあった看板・時計・青天白日旗も外される。基隆・高雄間の縦貫線開通は1908(明治41)年4月20日、開通式は同年10月24日に台中公園で挙行。
10:30に遅れている自強号の指定席切符を購入し375×3で1125元。10:35に乗車し北上開始。高鉄なら1時間弱だが台鉄では2時間以上かかる。景色の流れは緩やかで旅行らしい。自強号は12両編成だが空席も多く佑滋の席も確保。次の停車駅の豊原までの間で検札。10:55に豊原を過ぎると開通当初難所だった山岳地帯へ。急勾配の旧線は1997年に新線付け替え。車内販売で台中名物太陽餅の箱があり250元で購入。アイスクリームはないが便當(弁当)は販売。苗粟には日本時代の蒸気機関車や古い客車が保存。11:25に通過駅の竹南で海線と合流。旅客列車は主に大都市の台中を経由し、海線には貨物列車や一部の台北・高雄直行列車と区間列車が走る。海岸沿いに台湾海峡を望む大きな風車が見えると新竹で12:39到着。新竹付近は冬に天候が良くて風が強く名産の米粉を干すのに適する。清朝時代は城壁で囲まれ日本統治時代は新竹庁が置かれ、今は台湾の誇るハイテク産業の工業団地で外省人の地盤。ここから乗客が増え席も埋まりだす。高鉄駅は少し遠く移動時間と台北への距離を考えると台鉄でも引き合う。従来と列車本数も変わらない。なお日本や韓国と違い台鉄と高鉄は別組織。勿論高鉄自体は運営主体で設置は国家プロジェクト。
12:50にようやく佑滋が寝る。ベビーカーがあれば移動中どこでも眠れたが、自分で行動できるようになると、手はかからないがその分言うことを聞かなくなる。父親似で我が強い。車窓から高層住宅が見えると中壢、実は高鉄桃園站も中壢市に所在。ここでは1977年11月に桃園県長選挙の不正がきっかけで警察署が焼き打ちされた中壢事件が発生。この時鎮圧に動員された軍隊は、市民に「お前らも台湾人だろう。同じ台湾人を撃てるのか」(『台湾』(p184))と言われて引き下がる。蔣介石が1975年に死亡し、後継者で息子の蔣経國の台湾総統就任が1978年、蔣経國死亡に伴う副総統李登輝の総統昇格が1988年。台湾でも少しずつ時代が動く。
12:16に桃園、12:26に陶器の街で知られる鶯歌通過。唐三彩から衛生陶器まで数々の看板がかかる。高鉄高架線が近づき並行すると地下線になり12:38に板橋。北京語・台湾語・客家語の放送がある。ここから台北市街を抜け松山終点までは地下線で萬華を過ぎると下車駅の台北に12:50到着。地下に並ぶホーム2面は台鉄・2面は高鉄が使用。台鉄ホームの人通りが少し減ったような気がするが実際はどうだろうか?台北車站から今回は「YMCA台北」に向かう。シングル2つにエクストラベッドの部屋を見せてもらうが少し狭く×。続いて前回宿泊の華華大飯店新館へ。シングルとダブルの部屋は少し狭かったので×だが、ダブル2つの部屋がちょうど良くて決定。去年は1泊3200元だったが今年は少し狭くなり1泊2560元。明日は金曜日で混雑し2泊目の予約が取れるか不明という返事。仕方がないのでそれは明日考えよう。

4. 台北海洋館

 今回台湾で何をするか事前に佑滋に尋ねたところ「水族館へ行く」という希望で、今朝からそう言うので行かないわけにもいかない。と言っても士林夜市はどのガイドブックにも載っているが、近くの台北海洋館の記事はとても少ない。行くほどの価値はないかもしれないが、とりあえず14:15に前回行った「王記府城肉粽」に行き、肉粽50×2,菜粽35,豆沙粽35の粽3種に麺線40,魚丸湯35×2の全メニューを注文し280元で腹ごしらえ。どれも食べやすくおいしいが佑滋は魚丸湯の大根と魚のすり身団子がお気に入り。魚団子は弾力があり台湾人好みの”QQ”という食感らしい。
 14:45にMRT(地下鉄)の台北車站から北上する淡水線で士林夜市のある剣潭へ(20元×3)。台北車站には前回なかったホームドアが設置。中山・雙連・民権西路までは地下鉄で地上高架線に出ると圓山。動物園跡地の遊園地を東に見て基隆河を渡ると山(東)側に中国風建築の圓山大飯店が聳える。日本時代の台湾神社の跡地。昭和天皇も皇太子時代の1923年に参拝。次の剣潭には15時に着いたが出口を間違え、淡水河(西側)寄りの台北海洋館に15:15到着。入場料は480×3で1440元。60元の台北動物園と比べるとかなり高い。ビルの2.3階を利用した水族館で、入場者も少なく第一印象はそれほど期待できない感じ。でも水槽が子供の目線に配置され、入口のピラニアとカクレクマノミに始まり、クラゲの水槽が大きくて明るいし、クリオネやウーパールーパーなど眺めて楽しくそれほど悪くない。佑滋は3階の屋外水漕で跳ねるエイや近づくウミガメに歓声をあげ、なんだかとても楽しそう。帰国後5/3に大阪の海遊館に行くと、規模としては比べものにならないが、この手作り感覚には努力を感じる。規模が小さく賑わっている水族館というと、京都府宮津市の関西電力宮津エネルギー研究所の「丹後魚っ知館」がある。ここは入場料¥300で駐車無料。水槽は台北海洋館より小さいが敷地が広く、屋外のタッチプールが明るく広い。宮津に出かけたH19正月は年末年始閉館期間で気になっていたので、台風4号一過の7/15日帰りで行くと、駐車場は混雑し子供連れで一杯だった。クリオネとモリアオガエルがいて、エチゼンクラゲの標本が展示され、クラゲアイスを売っているが、生きているクラゲの展示がなくて残念。
展示を見て1階に降りると、更に17時まで地階の展示があるということで、一旦外へ出て入場券チェックを受け、土産物とスナックコーナーの先の両生類・爬虫類・昆虫展示を見る。わかりにくいところに小さな登り階段があり、その先でハムスターやウサギ・ニワトリ・子豚なども飼育。一番奥はイベントスペースだが誰もいないとがらんといている。階段と土産物コーナーの間はプレイルームで、周囲に大きく網を張り、中に遊具が組み立てられ床面がボールで埋まる。入口にはお兄さんが中を監視し大人立ち入り禁止。母親が外で話をしながら中で遊ぶ子どもを見ている。早速佑滋も靴を脱いで中へ入れると一杯のボールを投げ、階段にチューブと滑り台を組み合わせた非日常空間で遊ぶ。海洋館入園者は無料で遊べる。日本の遊園地やショッピングセンターやイベント会場にもあるが、混雑の上に屋外では装置が熱をもつ。冷房の効いた地階設置で入場料が高いと混雑がない。ただ子供の遊ぶ施設なら、6/10に行った丹波篠山のチルドレンズミュージアムの方がのんびりできて空気もおいしい。でもこの子守り装置でずっと佑滋を見ていなくて済む分、なんだかとても有難く少し神経を休められた。スナックコーナーで入場の際にもらった35元の飲物購入でもう1杯レモンティー無料のクーポン(買1送1)を使用。お土産コーナーでは全般的に対象年齢が低い気がしてTシャツも買いにくかったがキーホルダー等を420元購入。佑滋には母がスーパーボールなどを追加で110元購入。地階は17時閉鎖で残念だったが剣潭站へ戻る。士林夜市もこれからだし、永康街へ小籠包を食べに行く案もあったが、少し疲れたのでホテルへ戻る。
 列車の便當(弁当)でも食べれば良かったのかもしれないが、少し休むと空腹になる。漢口街を西に1ブロック進み、台北車站方向に重慶南路を1ブロック北上し15人行列の「福州世租胡椒餅」へ。カウンターの向こうに2つドラム形の釜が並び炭火で下から焼き上げる。片方の釜は筒部分に1つずつ餅を貼り付ける。もう片方の釜から1つずつ胡椒餅を取り出し行列はすぐ短くなる。1個40元で4個160元。1個45元だと思い180元出すと必要代金を店員が取る。今度は東に開封街を2ブロック進み、串刺し食材を炭火焼で持ち帰り提供する「小朱碳烤」へ。店の紹介カードには「30年老店・口味獨特」と”Handy!・Speedy!・Very Tasty!”と記載。バットに食材を選択すると店員がオーブンに並べる。ある程度焼けると裏返しソースを塗ってまた炙ると完成。食材と引き換えに代金支払い。豆腐を干した豆干15,日本のすり身天ぷらより弾力のある甜不辣15,青椒20,臭豆腐30,豚肉串の猪肉串30で110元。南下して漢口街へ戻りファミリーマートで台湾ビール41×4に水2.2リットル35で199元。帰ると妻が「小朱碳烤」のソースが辛すぎ、佑滋の食べ物が不足だと言って、また「王記府城肉粽」で肉粽50と魚丸湯35と、指差せば買える別の行列店で便當70を捜してくる。台中よりずっと賑やかで不便と不安はない。
 19:35から順番に入浴。佑滋は朝教えた足じゃんけんや、じゃんけんで勝ったら水族館のエイの絵を書いたりして体力回復が速い。22時過ぎに就寝。



後半へ続く |