穂高屏風岩東壁青白ハングルート初登攀

    昭和三十六年八月の記録  昭和三十五年十月の試登にもふれて

  われわれがこの屏風岩の東壁に初めてアタックしたのは、昭和三十三年十月のことである。そのころのわれわれの東壁に関する知識は非常に貧しく、その取り付き点であるT4(ルート図参照)までのルートさえ未知の状態であった。したがって、その第一次アタックには、Tルンゼの途中から東壁の大スラブを上下に分ける横断バンドをトラバースし、T4に達したものだった。

  われわれの試登は、このT4から二ピッチほど東壁を登っただけで行き詰まって、T4下の側壁(草付)を懸垂で下降、Tルンゼへ戻った。この時この下降路が現在ではT4に至る最も容易でかつ短いルートとして利用されているようである。

  その後、われわれのあとを受け継いだ東京雲稜会が、数次におよぶアタックの末、昭和三十四年四月、ついに完登した。われわれはその翌月、第二登を行った。

  われわれと屏風岩との関係は、これが始まりであったが、以来その魅力に取りつかれた仲間は、さらに中央壁、Uルンゼ右岩壁と、この壁の開拓を続けた。そしてわれわれの目はふたたび東壁へと向けられるようになった。対象として取り上げられたのは、その壁の中央部にある、東壁の象徴であるかのような青白いハング帯であった。

  昭和三十五年十月、試登、三十六年八月三晩におよぶビバークの末、われわれはついにこのルートの開拓に成功した。

  以下はその記録である。


 試登の記録  

   パーティ 新井登吉郎、安久一成

 昭和三十五年十月二日 晴

  横尾渡のベース・キャンプから二時間ほどでT4直下の大岩のテラス(ルート図参照)に到着した。ここで登攀具を整備しながら、目的の岩壁を観察した。

  いわゆる青白ハングは壁全体が前傾しており、その中に無数のオーバーハングがある。とくに一番上部の岩庇は数メートル張り出している。この青白ハングの基部には大きなバンド(図・大バンド)があり、青白ハングと、その下部の岩壁とを二分している。昭和三十四年五月、雲稜会ルートを登った時、われわれはこの大バンドを確認していたが、それは扇岩まで続いている。

  大バンド下部の岩壁には、大きなコブシを三つ重ねたようなハングを持った溝があり、われわれはそれにルートをとった。

  安久がトップで登攀を開始。T4(図@)から左へブッシュ伝いに水平にトラバース、二〇メートルほど進むとブッシュが切れて、足下はTルンゼへ切れ落ち、壁に取り付いた感じになる。

  ここでハーケンを二本打ち、五メートルほど直上してから左の丸い大きな岩めがけてトラバース、その岩の裏側に回り込んでスタンスに立った。(図・A)

  次ぎのピッチはかなり強い傾斜だったがホールドが多く快適なクライム。右上へルートをとって、前記の三つのコブシ状ハングの中央めがけで高度を上げ、ニ〇メートルほどでハングの下のスタンス(図・B)に着いた。途中でハーケン三本を打つ。

  十月とはいえ暑い日で、日射が強かったがこのスタンスの上には庇状に張り出した岩があって、日射から頭を守ってくれた。その岩庇と壁の間には、わずかなすき間があって上部へ抜けられそうである。

  そこで、この狭いクラックに体をねじこみ両側の壁に交互にハーケンを打った。ハンマーを振ると、反対側の壁につかえてしまうので始末が悪い。時間をかけて小きざみに打ち込んだ。それにアブミをセットして、このハング気味のクラックを突破、岩庇の上に出る。そこから、さらにブッシュと浮き石を交えた溝を登り、右の壁に移って一段登ると、そこは最上部のコブシ状ハングの下であった(図・C)。ここも二人は立てる、快適なスタンスであるが、崩壊した岩がゴロゴロしており、頭上には一メートルほど岩庇が張り出している。

  わずかに入った不確実なハーケンにアブミをセットし、それに全身を託して、さらに短い薄刃ハーケンを打つ。アブミからアブミへ、六本のハーケンを使用してこのハングを乗りきった。出たところは青白ハング下の大バンドだった。ここで登攀の第一段階を終わったわけである。

  いよいよ青白ハングにかかることになるのだが、真正面からここを突破するには、どうしても埋め込みボルトに頼らなければ可能性はなさそうである。青白ハングの左側にはハングにそって左上する顕著なクラックがあるが、これをルートにとったら、終始ハングに頭を抑えられた不愉快な登攀になるにちがいない。

  結局、現在われわれがいる大バンドの中でも最もいごこちのよい、平らに整地された大テラス(図・D)から、青白ハングの右際、やや茶色味をおびたところを登ることにして、ふたたび行動をおこす。最初からハーケンとアブミによる苦しい登攀である。壁全体が前傾している、この青白ハング帯を乗り越すまでの三〇メートルあまりは、ハーケンにぶら下がりながら、アブミに乗っての前進以外に方法はない。

  リスに導かれて左上へと登る。途中小さな足場に立って一息入れ、直上。大テラスから一メートルほど登ると、ついにリスがなくなってしまった。ここで埋め込みボルトを使用することにし、アブミに両足を乗せたまま穴あけ作業にかかる。苦しい姿勢で四本連打、数メートル登ったが、この間にジャンピング・セットを破損してしまった。二組しか持って来なかったのが悔やまれたが、もう仕方がない。ボルトを使用しなければあとは一歩も前進できない。最上部のボルト(図・×印)にペナントを結び、空中懸垂で大テラスへ下降、ビバークに決した。

 三日

  大バンド右端の扇岩へ移り、雲稜会ルートを登って、横尾渡のベース・キャンプに帰った。


 完登の記録

  アタック・メンバー 青木宏之、鈴木鉄雄、安久一成、藤平好彦、正野進

  サポート・メンバー 瀬山和雄、野村彰男

 昭和三十六年八月十日 晴

  前年の試登ルートを完登すべく、同じく横尾渡にベースを置いた。午後、あすから開始する登攀に備えて、四名でT4に向かう。

  Tルンゼに三ケ所まで五〇メートル、TルンゼからT4までに二ケ所ほど六〇メートルばかり、ザイルをフィックス、T4に登攀具、食料、水などの荷上げをした。

  帰路は工作したザイルを利用して、簡単にベースヘ下る。

 十一日 晴

  五時半、アタック・メンバーの五人はフィックス・ロープを利用して簡単にT4へ登った。

  登攀計画は次ぎの通りである。

  まず、きょうはパーティを二つに分け、一パーティは前年試登した鵬翔ルートを登り、他パーティは雲稜会ルートを登って、大テラスで合流。ここで二人もしくは三人が残り、上部ルートを開拓した上で、大テラスにビバークする。他はT4に懸垂下降し、ベース・キャンプに泊まる。これが第一日の作戦。

  翌日、ビバークしたパーティがさらにルートを伸ばしている間に、他パーティは荷上げを兼ねてふたたび大テラスに登る。第二日、つまりこの夜はビバークのメンバーを交代、前夜のビバーク・バーティはベースへ戻る。この方法を繰り返しながらルートを伸ばし、最後に完登の見込みがついたら全員が壁でビバーク、翌日一気に登り切ろうという作戦である。

  こうすることによっで、体力の消耗と食料や水の無駄な消費を防ぐわけであるが、うまくいけばビバーク地たる大テラスとT4間の物資の輸送は、滑車とザイルの操作だけでできるかもしれない。つまりこの二つのポイントは、垂直線上にあるからである。この作戦はうまく図に当たった。

携行した登攀用具などは次の通り。
ザイル(11ミリ40メートル) 五本
補助ザイル(8ミリ40メートル) 二本
フィックス・ロ ープ 百米
アブミ 十六ケ
縄バシゴ(13メートル) 二本
カラビナ 七十五ケ
ハーケン(各種) 百本(七十五本使用)
埋め込みボルト 百本(四十一本使用)
ジャンピング 三十本
ホルダー 十五本
特製ホルダー 一本
滑車 二ケ
ツェルトザック 二張
コンロ(スベア型) 一台
コッヘル 一式
食料・燃料 五人分・五日分
またわれわれは、この登攀ではじめてパンカム無線機を使い、アタック隊とサポート隊との連絡をした。この試みも成功だった。

aojiroroute.jpg

  こうして九時、登攀を開始した。安久、青木は鵬翔ルートから取り付き、藤平、正野、鈴木は雲稜会ルートに向かった。前年のルートをたどって、安久と青木が大テラスへ着いたのは三時、ベース・キャンプのサポート隊とは、この日の十二時以後、時間を決めて交信した。

  雲稜会ルートを登って来る三人の到着を待って、安久は上部ルート開拓に向かった。

  ベースに帰る青木、鈴木、正野は大テラス下の一枚岩に懸垂下降用のボルトを埋め込み、まず鈴木が下って行った。三〇メートルほど途中の小さなテラスに立ち、ふたたび支点を設けて二〇メートルほどの懸垂でT4に達した。

  大テラスに残った藤平は、二本のザイルと滑車を使用して、三人の降り立ったT4から食料、水などを上げている。

  一方、安久は前年の最高到達点であるペナントの付いたボルトから五メートルほど登ったところで、この日の作業を終了、下降の準備にかかった。

  さっそく試作した十三メートルの縄バシゴの一つを最上部のハーケンにセットしたが、ハシゴの末端は大テラスに届かず、壁から三メートルほど離れたところで揺れている。

  藤平と安久の二人は壁の真中にあるこの大テラスに残された。

  夕闇がせまってきた。

  ビバークといってもこの大テラスは小さな天幕なら張れるくらいの広さがある。星を見上げながらツェルトザックにくるまってのビバークは快適そのものである。

  十時、パンカムの交信で、ベース・キャンプとあすの行動の打ち合わせをする。

 十ニ日 晴

  七時半、藤平が空中にぶら下がっているハシゴをよじ登り、ハングの基部めがけてアタックを開始した。ボルトとハーケンで約五メートル前進、最上部のハーケンにハシゴをセットして大テラスへ下る。

  この間に青木、鈴木、正野、野村の四名はベースからT4に登り、鈴木、青木は鵬翔ルートより大テラスへ登攀を開始する。

  十一時、こんどは安久がハシゴをよじ登る。最後のハーケンに達して、上を仰ぐと頭は一連のハング帯に抑えられている。

  だが、斜右上に七〇〜八〇センチ張り出した岩庇に、一直線に入った縦リスが確認できる。このリスめがけてボルトとハーケンを使用して登る。このあたりは岩がもろく、ある時にはハーケンを打ち込むにしたがって、ミシッ、ミシッと異様な音をたててリスが開き、岩がはがれそうになることがあった。

  ハングの下に到着した。予定していたリスに縦ハーケンを逆打ちする。そのがっちり利いた逆ハーケンにアブミをセットして岩庇の上に乗り出したが、上には適当なリスがなかった。やむを得ず乗り出したままの姿勢で上部にボルトを打つ。

  下を見ると、青木、鈴木はすでに大テラスに到着、例の荷上げルートでT4から荷上げをしている。

  安久はハングにぶら下がりながら、その荷上げされたばかりの缶入りジュースとタバコを、体から一直線に大テラスへたれさがっている連絡用の補助ザイルで引き上げ、のどを潤す。こんなことが妙に嬉しかった。

  ハングを乗り越したところには予想外のスタンス(二人がビレイに頼って立てる程度のもの)があった。(図・E) 時間はちょうど二時。ここからの登攀はほとんどボルト使う以外には手がなさそうなので、きょう中にできるだけ進むことにした。

  すぐ頭上には一条のハングが連なっており、四〇〜五〇センチは張り出している。しかし、これまでの登攀で慣れてしまったためか、苦しい姿勢ながらも、簡単にハングの上にボルトを打ち込むことができ、このハングを乗り越してしまった。

  さらに一枚岩の垂壁。ここもボルトとハーケンで五メートルほど直上した。すると、下から「ザイル、いっぱい」という声がかかった。やむを得ず下降。図・Eのスタンスまではアブミのかけかえで降り、さらに大テラスへは二本つないだハシゴで三〇メートルほど下降する。

  この夜のビバークは青木、鈴木、安久の三人。藤平はT4へ下降し、正野、野村とベースへ下って行った。

  夜の定時交信ではベース・キャンプから音楽が送られて来た。

 十三日 晴

  ベースとの定時交信を終え、七時半、鈴木をトップにしてハシゴをよじ登る。図・Eのスタンスで中継し、さらにハングを越えて垂壁を登る。

  鈴木は安久がきのう打ち込んだ最後のボルトに到着した。きのう確認しておいたハイマツのあるテラスまで五メートルほどの距離である。ボルトとハーケンを連打、四メートルほど直上して、微妙なバランスで左へ二メートル、狭いバンドをトラバースしてハイマツ・テラスに入った。(図・F)

  このテラスは岩の小さな出っ張りの下に生えた直径十センチほどのハイマツによって形成されており、壁とハイマツの間に挟まるようにすれば、それでも.二人がやっと腰を下ろすことができた。

  このテラスで一息入れ、こんどは安久がトップで行動に移る。リス一つない花崗岩の大スラブに次々とボルトを連打する。

  今回の登攀にはかなり数多くのジャンピングとホルダーを用意してきたが、中でも金属関係の仕事をしている鈴木が、自分でデザインし製作した特製ホルダーの威力は大きかった。この特製ホルダーはジャンピングが摩滅あるいは破損しても、不安定なアブミに乗りながら、手のひらの中で簡単にジャンピングの交換ができるように工夫されている。結果としては、この登攀で使った数十本のボルト打ち込みが、この特製ホルダー一本で間に合ってしまった。またジャンピングも良質なものを使用し、五〜六本のボルト打ち込みではほとんど刃の摩滅はみられなかったが、大事をとって三本打ち込むたびに交換した。ハンマーも従来のものより重く、打撃面が大きいのを使った。

  垂直な、時にはかぶり気味なスラブをボルトによって直上して行くと、やがて傾斜がおち、ボルトの打ち込みが比較的容易になってきた。

  太陽はいつか壁の向こうに入ろうとしでいる。逆光を浴びたスラブがまぶしいほど輝いている。ここではじめて、安久はこの巨大なスラブのまっただ中に、ただ一人取り残されているような自分に気が付いた。しかし腰に結ばれた三本のザイルは、自分を現実の世界へつなぎ止めている。そのザイルの末端には、都会でも、山でも、いつも、ともに笑い、ともに語りあう仲間がいるのである。

  逆光に目がくらんで、上部のルートは観察しにくいが、頭上二〇メートルほどのところに真横に走っている一条のハング帯が見え、その上にはまた巨大なカンテ状の黒ぐろとした岩壁が大空を切り抜いて張り出している。その巨大なカンテの左際めがけて登りだす。アブミの最上段に乗って、できるかぎり高いところにボルトを打ち込む。

  やがてハング帯の最左端に着いた。ハングの下の二〜三メートルは、斜めに入ったきれいなリスに三本のハーケンを連打することができた。ハングの左端は五〇〜六〇センチ張り出したものだったが、そこにぶら下がりながら、岩庇の上にボルトを利かす。

  こうしてハングを乗り越したところに、三人くらい立てそうな草付のスタンスがあった。(図・G)このスタンスから上のブッシュ帯までは十メートルほどの溝があるだけである。大丈夫、あすは全員完登できる。その確信をもって、五時、下降にかかる。

  アブミをかけかえながら、一時間ほど下ってハイマツ・テラスに到着。七時間ぶりに鈴木と一緒になった。

  下の大テラスにはT4から藤平、正野が上がって来て、青木を交え三人でビバークすることになっている。そしてこの狭いハイマツ・テラスでは、鈴木と安久がビバークする。これが登攀第三日の行動だった。

 十四日 晴

  きょうはいよいよ完登の日である。サポートの瀬山が早朝からT4に登って来ている。不必要な物資をベースに下ろすためである。

  オーダーは安久がトップ、二番正野、三番の鈴木は上と下との連絡と荷上げをする。四番青木、ラストは藤平で、使用したすべての登攀用具の撤収をする。

  七時、登攀開始。鈴木はハイマツ・テラスから下(図・E)のスタンスに降り、二番に入る正野を上げる。大テラスからこのスタンスへの登りはすべてハシゴを用いる。

  安久は正野を迎え、すぐ登攀を開始。きのうのボルト埋め込み作業の苦労とは雲泥の差で、広大なスラブに快適な人口登攀を展開する。きのうの最高到達点であるハングの上の草付スタンスからは、十メートルほどの溝に入って、ぶよぶよした不安定な草付バンドを登る。(図・H) 途中スラブに数本のボルトを使用して、ついに稜線のブッシュの末端をつかんだ。

  一方、下では、青木、藤平がまだ壁のまっただ中を登攀中である。四〇メートル間隔で仲間の五人は、すべて一本のザイルにつながっているのである。延々と続く百六十メートルのザイル。

  登攀終了点へは、猛烈なブッシュの中を三ピッチ(図・I11)登って到着。ここは雲稜会ルートの登攀終了点で、ペナントや、空き缶がぶら下げられていた。(図・12)

  七時、夕闇に追われるようにして、ラストの藤平が登って来た。

  五人で感激の握手。

  すぐに横尾渡のベース・キャンプと交信をし、ここで全員がビバークすること、あす早朝屏風の頭経由で帰ることを知らせた。空には星が輝きはじめていた。

                               (安久−成・記)


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